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私にできること!コミュの父と子

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銭湯での出来事

家の近くに温泉の銭湯がある。
昨夜行って来た。
実は、銭湯で密かに逢いたい人物が居る。

           *

一年程前のことだ。

七歳くらいの子供と、三五才くらいの父親。
子供は歌をうたいながら入ってきた。
父子は湯船に入る前に、シャワーを浴びた。
シャワーを浴びながらも、子供は歌っている。

父親が子供を抱いて湯船に入る。
湯船に入っても子供は歌っている。
歌いながら子供は私の肩に両手を乗せた。
「こらっ」
父親が子供を引き寄せ、目で私に謝る。
子供の手は私の肩から離れ、なおも私の肩に両手を伸ばして
「ネコフンジャッタ。ネコフンジャッタ」
歌い続けている。

素晴らしい声をしている。ネコフンジャッタの歌が第一級の歌曲にも聞こえるくらいだ。

「上手だね」私は子供に声をかける。
子供はなおも両の手をひらひらさせて、私の肩に手を乗せ、
私に抱きつこうとする。
父親は、しっかと子供を抱き、湯船から出て、
流し場へと行き、子供の頭を洗い出した。

「ネコフンジャッタ。ネコフンジャッタ」
子供は頭を洗われながら歌っている。
「静かにしろ」
「うるさい」
「黙れ」
などとは言わず、父親は子供の頭を洗い、
そして背中を洗ってやっている。

子供の背中を洗い終わると、父親は自分の頭を洗い始めた。
丸坊主頭、身長170センチ、体重80キロか、
大きな身体をゆったりとして洗っている。
父親が身体を洗っている間、子供は、立ち尽くしたまま、ネコフンジャッタを歌っている。

私は湯船から出て、
父子の後ろの洗い場に座り、身体を洗いながらも、
鏡に映る父子の様子を見続けた。

父親が自分の背中を洗い終わると、
子供の足を洗う、
子供の足を洗い終わると、自分の足を洗う、
子供を洗う、自分を洗う、
父親は黙々と淡々と静かに、自分と子供の身体を交互に洗う。

その間、子供はずうっとネコフンジャッタの歌を歌い続けている。それを一部始終、私は見ている。
とても温かい心地がして来た。

身体を洗い終わった私は、湯船に浸かる。
しばらくして、父子が湯船にやってきて、
子供は再び私に向って両手を伸ばそうとするが、
父親がしっかと抱きしめているので、
子供の手は、私の肩までは届かない。
ただ宙を舞い、そしてネコフンジャッタの子供の歌声だけが、
私に届く。

父子が風呂に入ってきてから二十分ほどの間、
父は一度も子供を叱ったり、
手荒く引っ張ったり、
押さえつけたりしていない。

見事なまでにおおらかで優しい態度で子供に接していた。

父子は湯船から出て、更衣室へと向った。
父親が更衣室に出て行っても、
子供はまだ浴室に突っ立ったままネコフンジャッタを歌っている。

「おいで」
父親が更衣室から子供を呼ぶ。子供は動かない。
「おいで」
父親が呼ぶ、が、子供は動かない。
父親は子供に「おいで」とだけしか言わない。
「早くしろ」とも
「こらっ」とも叱らず、
同じ調子で「おいで」と子供を呼ぶ。
五回、父は子供を呼んだ。
子供はやっと更衣室へと向う。

私は、すっかりこの父子に心奪われてしまい、
子供と一緒に更衣室へと向った。

父親は先ず子供の身体をバスタオルで拭く。
身体を拭かれている間中子供は身体をあっちに揺すり
こっちに揺すりしてネコフンジャッタを歌っている。

動き回る子供を父親は裸のままで追いかけ、
優しく抱きとめて身体を拭く。
腕を引っ張ったり、
オトナシクシロなどと一度だって叱ったりはしていない。

見事な優しさだ。

子供の身体を拭き終わったら、
父親はリュックサックの中からパンツを取り出し、
子供に手渡し「ほら穿いて」と言って手渡した。

子供はパンツを受け取り、立ちすくみ、ネコフンジャッタを歌っている。

父親は自身の身体を拭く。
身体を拭きながら子供を見守っている。

「パンツ穿いて」と子供に言いながら、父親はパンツを穿く。
グレーのボクサーパンツだ。
子供は、父親を見ながら星のプリント柄のブリーフを穿く、
が片足だけを通して、きょろきょろと辺りを見回す。

父親は白いTシャツを着、「パンツ穿いてっ」と子供に声をかける。
子供は思い出したようにゆっくりとパンツに残りの片足を入れ、
ネコフンジャッタを歌う。

「パンツ穿いて」父親は声をかけ、自身はズボンを穿く。
グレーの鳶ズボンだ。
子供はブリーフを穿き、
マッサージ椅子にどかりと座り、そして寝転がる。

父親は、白いTシャツを子供の所まで持っていき、
「シャツ着て」と言って手渡す。
子供はシャツを受け取りはするが、いっこうに着ようとはしない。

マッサージ椅子に寝そべって天井を見ながら
ネコフンジャッタを歌う。
父親は着替えが済み、リュックサックの中に風呂道具一式を入れ、
子供に着替えを渡し、子供が着るのを待つ。
その間、一度として子供を急かしたり、手伝ったりしない。

子供が服を着終わるのに十五分はかかっていただろうか。
その間の父子の様子を私は着替えをしながら、
鏡を見ながら、汗が引くのを待つような振りをして注意深く見ていた。

父親は荷物を全部持って「帰ろう」と言い出口へと向かう、
子供は体重計に乗ってネコフンジャッタを歌っている。
父親が戻って来て、「帰ろう」と声をかける。
子供は父親のところへ行き、
番台で靴箱の鍵を受け取り、風呂屋を出て行く。

私は、その後を追う。
道に出ると、父親は子供の手を引いて、一本目の角を左に曲がった。

父子の後姿に小さく手を振って「さよなら」と小さな声で挨拶した。

温泉で温まった所為ではない。
私は全身全霊が温かくなっていた。

体格と言い、風貌といい、服装と言い、
父親はサラリーマンではなく、肉体労働者だろう。
若い時は、ヤンキーかなんかだっただろう、そんな感じなのだ。

子供への態度は<見事>ととしか言いようのないものだった。


「人は何故、生まれてくるのか?」
その答えを見せられたような気がした。

あの父親は、若い時は乱暴で、気が短く、なんでもかんでも
シャキシャキっとしないと気が済まない性質だっただろう
(と私は思う)。

「あなたの、その性格を変えてあげましょう」
そう約束して、あの子供が生まれてきた。

怒りもし、
急きたてもしながら、
父親は子供を育ててきたのだが、

叱るのではなく、待つことを、
急かすのではなく、待つことを、
手助けすけするのではなく、待つことを、
父親は学び取ったのだ。
それが一番子供にとって良い、
ことであるということを学んだのだろう。


人は学ぶために生まれてきたのだ。

子は親に学ばせるために生まれてきたのだ。
と思えてならなかった。

            *
ネコフンジャッタの歌の父子に会ってから五日が過ぎた。
もう一度、あの父子に会いたい。
私はそう思って、温泉風呂に行った。
前回は土曜日の夜十一時だった。
今回は木曜日の夜十時だ。
なんと浴室に入ると、前回と同じ場所で父子が身体を洗っていた。

私は父子の横に座り身体を洗い始めた。
父子はすでに身体を洗い終わり、湯船へと向かった。
私も湯船に向かった。
右側は泡風呂(熱湯)、真ん中は浅い浴槽、左側は深い浴槽(ぬる湯)、
父子はぬる湯に入った、大人二人しか入れない広さだ。
父親は子供を抱いて湯船に浸かった。
真ん中の浴槽にも右側の浴槽にも人は入っていない。
わざわざ狭い浴槽に入るのもおかしいけれど、
私は、この父子と同じ風呂に入りたかった。
「いいですか?」そう断ると、
「どうぞ」と応えて父は子供を膝の上に乗せた。

子供は今日はネコフンジャッタを歌っていない。
黙って私を見ている。
父親が「いちにいさん」と言って、膝を開いた。
子供がちゃぷんと湯船の中に入った。
子供は小さな声を出して驚き、父親の首にしがみついた。

「熱いよねえ」私は子供に声をかけた。
子供は無反応だが、父親が私に向かって微笑んだ。
不動明王が笑顔を見せるとこんな感じかな、
そんな感じのする笑顔だった。

その背中に倶梨伽羅紋々があっても奇異ではない風貌なのだが、
不思議に威圧的なところがなく、
その背後には(不動明王なら炎が見えるのだが)
この父の背後には水飛沫が見える。
背後に水飛沫(水)のある不動明王に見えてくる。
私は、この父親に「水飛沫明王」と名をつけた。

「水飛沫明王」の背中をあらためて見ると、
隆起した筋肉に脂肪がのった背は陽に灼けて、
枯れ草の双丘のようにうねっている。
不意にその背に触りたい衝動にかられ、それを抑えるのに苦労した(これじゃ、まるで痴漢である)。

子供を抱いて湯船から上がり、シャワーの所へ行き、
子供の頭を洗い始めた。
子供は突っ立ったままシャワーを浴び、
父親は身体を伸ばしてシャンプーで子供の頭を洗う。
子供の背は座っている父親の頭よりも高い。
父親は子供の頭を無理に押さえつけて低くすることもせずに、
自分の身体を伸ばして子供の頭を洗っている。

つくづく優しい父親だと感心する。
その優しさが、その容貌、体躯に似つかわしくないだけに、
「水飛沫明王子育て記」とでも題して、
この父子の毎日をレポートしたい思いがする。

私はそそくさと身体を洗い
(父子は私が風呂に入る前に既に身体を洗っているはずなので、
もうすぐ出るに違いない。
私は、再び、この父子の着替えるところを見てみたい。
と思ったので)
いつでも出られる態勢でいた。

頭を洗われながら子供は歌をうたっているが、
ネコフンジャッタではない。
聞き取れない。
賛美歌のようにも聞こえるが、確かではない。
ボーイソプラノの美しい声をしている。
洗髪が終わった。

子供は不意に父親に頬擦りをし、
父親は子供の頬擦りを確認するかのようにして首を真っ直ぐに伸ばす。
と、子供は父親にキスをした。
父親の目が和んだ。
静かな湖面に一枚の枯葉が落ち、静かに波紋が拡がるように、
湖面に映る月が揺れるように、父親の目の中の光が波立った。

聖母マリアが幼子イエズスを抱いている宗教画を見ているような気持ちに私はなった。


『どんな家庭なのだろう』
『どんな事情があるのだろう』
『どんな生活をしているのだろう』
『どんな生き方をしてきたのだろう』
『この父子はどんな縁なのだろう』
『この父子は将来どうなるのだろう』
この父子への興味は尽きない。
興味ではない。

私が権威ある者であれば、
この父子に幸いを約束したい。
この父に表彰状を与えたい。

不幸にして、私には何の権威もない。
何の権威もない者として、
私は、この父子の前に跪きたい。
この父子を伏し拝みたい。
と心底思う。

 父子が浴室を出てゆく、私は後を追う(もうこうなったら、完全に私はストーカー状態だ)。

五日前と全く同じように、
父は裸のまま子供の身体を拭き、
リュックサックからパンツを取り出し、子供に渡す。
子供はパンツを手に持って天井を見ている。
小さな声で歌っている。
「ねえ、ボク、大きな声で歌って、オジサンにきみの歌聞かせて」と私は声をかけたい、が出来ずに、じっと子供の歌に耳を傾ける。

「カアくん」だか「マアくん」だかと呼ぶ声が聞こえる。
父親が自身の身体を拭きながら子供に注意を促している声だ。
透明で低い声だ。
父親の声が聞こえたのだろう、子供はパンツに片足を突っ込み、
そして天井を見上げる。
私もつられて天井を見上げる。
風呂屋の高い天井に天女や天使が四〜五人舞い飛んでいる(ような気がするほどに清涼な時空間だ)。

「カアくん」だか「マアくん」だかの声が再び聞こえる。
子供はもう片足をパンツに突っ込み、引き上げる。

父親はグレーのボクサーパンツを穿き終わっている。
子供にTシャツを渡す。
子供はTシャツを持ってマッサージ椅子に乗り、身体を横たえた。

「マナブ」
父親の小さな声がする。

『子供の名前は学(まなぶ)というんだ』
そう思った途端に、
私は、鼻の奥が熱くなり、胸の奥に炎の花が咲き、揺れた。
涙が零れた。

『そうか、子供の名前は学(まなぶ)というのか。

父よ、貴方は、この子供から、学ぶために、父親に成ったのか。

子供よ、この父に学ばせるために、産まれ来たのか』

優しさを、
待つことを、
耐えることを、
見守ることを、
急かぬことを、
急かさぬことを、
人生の意味を、
生きる意味を、
生かす意味を、
共に生きる意味を、
学ぶために、父と子に成ったのか!

私には、そう思えてならなかった。


五日前、
『人は学ぶために生まれてきたのだ。
子は親に学ばせるために生まれてきたのだ。
と思えてならなかった。』
と私は思った。

そのことを裏付けるように。
この子の名前は<学(まなぶ)>なのだ。


私よ、断言しなさい。
「産まれ来たのは、学ぶため。学ばせるため」と。

「生きるとは、経験によって学ぶためだ」と。

そして思う、
学ぶため、学ばせるために、
この父子の縁(えにし)があるのであれば、
父は既に充分に学び、菩薩道を歩いている。
と私には思えてならなかった。


マアクンは着替えを終えて、マッサージ椅子に寝そべっている。
父親は「行くよ」と声をかけ、更衣室を出て行く。
残されたマアクンは不安がることもなくマッサージ椅子に寝そべっている。

父親が更衣室から出て行っても、
マアクンはいっこうに不安がることもなく、
マッサージ椅子に寝そべっている。

『こうして寝そっべて待っていれば、
お父さんは必ず迎えに来てくれるもんね。
僕のこと絶対に置いてかないもん、待っててくれるもんねっ』
と信頼、安心し切っている。


<絶対の信頼>
<絶対の安堵>
人生において、
これほど頼もしく、これほど幸いなことがあるだろうか。

私の人生で、絶対の信頼はあったか!
絶対の安堵はあったか!

これほどに信頼し、これほどに信頼されたことがあっただろうか!


死んだら極楽へ行くかどうかは分からない。
しかし、私の信頼する人が、
「南無阿弥陀仏と唱えれば、阿弥陀如来が迎えに来て下さり、
極楽へ導いてくださる」と仰っている。
だから私は、信頼する人の言葉(教え)を信じる(しかない)。
それを信じた結果、万万万が一、地獄へ落ちたとしても、
それは仕方ない。
と、親鸞上人が、法然上人を弥陀の請願を信じたように
(そう信じる他は絶無のように)、
マアクンは父親を信じている。

父親は法然上人のように弥陀のように信じ切られている。

今すぐ、私は、このマアクンを横抱きに抱いて、
父親のもとへ行き、平身低頭し、
五体投地の祈りを捧げたい思いに駆られた。

「ああ、貴方様と共に人生を学びとうございます。
どうぞ私を、貴方様の弟子にしてください」

オーバーではなく、私は心底、そう思い、願った。


マークンはのっそと起き上がり、更衣室を出て行った。
私は後をつけた。
下駄箱から運動靴を出し、
子供の前に並べると、父親はサンダルを履き、
子供が運動靴を履くのを待つ。

父子を急かしてはいけないので、私は離れてその様子を見守る。

父子は手をつないで銭湯を出て行った。
後を追う私。
一本目の角を左に曲がった。

私は合掌をして父子の背を見送る。


ああ、町のあちこちに、仏と呼びたい、
菩薩と呼ぶべき、人は居るのです。

人は人であると同時に菩薩であり、神ですらあるのです。

世の中に何億人の人が居て、
それぞれが、この世において何かを学ぶために生きている。

そう思うと、この世が、掛け替えのない存在に思えてくる。

人々が、日々の暮らしが、
それぞれの人生がこの上もなく尊いものに思えてくる。


もう一度言っておきます(断言します)。
生きるとは学ぶことです。
その証拠が、この父子です。


私は、風呂からの帰り道、
大きな声でネコフンジャッタ、ネコフンジャッタと歌いながら、
これからは生きることに疲れたら、
生きることに迷ったら、
大きな声でネコフンジャッタを歌おうと決めた。


              *

37年も前のことです。

学生運動に熱心だった小生は、でも、土日はダメよ・・・と
運動にいっさい関わらなかった。
土曜日は、身体・知的発達障害施設でボランティア
日曜日はキリスト教教会へ行っていました。

小生の中で、奇蹟を起こす力のあるイエズスと政治運動と知的障害児施設でのボランティアは、
それこそ三位一体でした。

7歳児の「りーくん」が施設では、小生の一番の友達でした。
足に砂袋を乗せて、足の矯正をしている時に
りーくんが卒倒しました。
迷わず小生「イエス様、助けて」と、りーくんの額に手を載せて
祈りました。
発作はおさまらず、おろおろしている小生。
看護士が飛んで来て、指をりーくんの口に入れました。
口に入れた二本の指は血が滲んでいました。
「発作を起こした時には気道を確保してあげて」と教わりました。

祈りより、知識がりーくんを助けました。
翌日、教会で祈りながら神様に訊きました。
「何故、助けてくれなかったのか」と
返事はありませんでした。


施設では、入浴の手助けをしました。
湯舟に入れて、溺れないように湯船の縁から両脇を持って支えます。
15歳くらいの女性でした。
両脇を持つ小生の目の前に乳房が、そして陰毛が見えます。
小生、恥ずかしかった。
この女性の方がもっと恥ずかしいにちがいない。
目をそむけて入浴を手伝いました。
目をそむける自分が情けなかった(悲しかった)。

で、そんなことがあって、
1年ほどで、施設に行くのをやめました。
教会に行くのもやめました。

恥ずかしがることが 良いことなのか 悪いことなのか
慣れることが 良いことなのかどうなのか
祈ることが 力を持つのかどうなのか
未だに判らないまま、小生は、此処に居ます。

前述の長い長い日記につづく
小生の人生において重要なこと
お風呂場で学んだこと大きい・・・という話です。これ。

              *

この一年以上、学くん父子とは 逢っていません。
引越ししちゃったのかなあ・・・

「友達になってください」
って、言いたかったのになあ。

コメント(5)

3回目のほうが もっと胸に来る

親だなんて いえないなあ。
ただの 産んだ人だ、まるで私。

こどもたち 

だいすきだよ

ありがとう     がんばるねって


はい。。。
私は父親にはせかされた覚えしかないなあ・・・笑

昔はうるさいとか子供の気持ちを
考えてくれないとか色々と反論してたけど
父親にだって自分の人生の中で大変なことが
沢山あったんだろうなと思う。


そして自分が歳を重ねるごとに分かったことは
母親が超がつくマイペース人だから
父親が変わったのだと分かってきた。

これも一種の学びだなあーって(u‿ฺu✿ฺ)
でもそのことに母親が気付いてないし・・・ハハハ

色々な形の学びがありますね。
父子の情景を思い浮かべて、こころが温かくなりました

そんなおおらかな愛で包み込むことができるだろうか、と考え、自分の小ささを感じました

 >恥ずかしがることが 良いことなのか 悪いことなのか
 慣れることが 良いことなのかどうなのか
・・・私にもわかりません。

「WHAT WE CAN DO!!」
私でも何かできること、
それはきっと日常にヒントがたくさんあるんですね。
今日も素敵なお話をありがとうございました。
初めて、コメントさせていただきます。

<絶対の信頼>
<絶対の安堵>
人生において、
これほど頼もしく、これほど幸いなことがあるだろうか。

私も、学生の時非行に走り、母親に涙を流させてしまったことがあります。その頃は、私には誰も味方がいないと心底思っていたときがありました。

でも母親が、涙しながらも私を抱きしめ、私を見守り、私をかばってくれた時、この人は何があっても私の味方だと。強く感じた事を今でも覚えています。
まさしくそれは、<絶対の信頼> <絶対の安堵>
だったと思います。

それを、久々に思い出す事が出来ました。

私にも、何か出来ればよいのですが・・・

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