ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

自作小説交流館コミュの家主と居候

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
 ―――それはある日の午後。そいつは突然やってきた。

「……で? なんでウチなわけ? 他を当たって下さい」
 突然の来訪者に、明らかに不満が込められた一言を吐く。
 ここは私の経営しているマンションの私の部屋。そして場所は玄関。
 昼まで惰眠を貪っていたら、チャイム連打の強襲を受け、それは玄関のドアを開けるまで続いた。
 オートロックのこのマンションにどうやって入ってきたのか。玄関を開けると、一番会いたくない奴が「こんちわ〜」なんて一番の笑顔で立っていたもんだから、寝起きとこいつの登場のダブルパンチで眩暈を起こしそうになった。
 そして、気づけば話を聞いている状態。おまけにとんでもないことに、居候させてくれと言ってきたから、さらに卒倒しそうになった。
 で、この状況。
「そう言わないでよぉ、オトモダチでしょ? しばらく置いてやって下さいっ。このとおり!」
 足下で土下座しながら両手を合わせて懇願するこのストリートダンス系の女は、私にとって、疫病神の何者でもなかった。
 いままで、こいつに関わってきてロクな目にあったことがない上に、いつも私に後始末が降りかかってくるのが関の山。
 だから、そんなお願いをされても、素直に「OK」と言えるわけがなく、
「帰ってくれ」
 と、心に素直な一言を、五月に吹く爽やかな風のような笑顔で言う。
「そんなステキな笑顔で冷たいこと言わないでよぉ。他に行くアテがないのっ。ここが最後の砦なのよぉ〜っ」
 今度は泣きながら私の足にすがりついて、その必死の目は「いいって言うまで離さない!」と如実に語っていた。
 最後の砦、という言葉がいやに引っ掛かるが、私としては今、この状況をどうにかする方が先決だ。
「ええい、離せっ。私は金輪際おまえと関わることを止めたのだ。帰ってくれ!」
 振り払おうとするが、まるでスッポンのように離れようとしない。
 なんか、いつもと違い、必死な感じがする…?
 いつも軽いノリのこいつならあっさりと引き下がるはずなんだが……。
「…おい、どうした?」
 振り払うのを止め、必死になってすがりついているこいつを見る。やっぱりいつもと様子が違う。
「……………」
 あまりに必死になってすがりついているもんだから、少し気の毒に思えてきた。
 とにかく、理由くらいは聞いてやってもいいんじゃないかと、ほんの少し仏心が出る。
「とりあえず、離してくれ。これでは話もできん」
 半ば諦めムードで部屋に上げてやることにする。というか、そうでもしないと、解放してくれそうもなかった。
「ありがとう! だから大好きだよ!」
 必死な表情から一変、今度はめちゃくちゃ嬉しそうな顔で抱きついてきた。
「こ、こらっ! 離れなさい!」
 やっぱりやめておけばよかったと、後悔先に立たずとはまさにこのことだったと、この後気づかされることになろうとは、夢にも思わなかった。

 抱きついてきたこいつを引っ剥がして、部屋に上げて、今は二人とも黙って私の煎れたお茶を飲んでいた。
 なぜこんな状況になったのかというと、それは遡ること二十分前―――。
 ソファに座らせ、その間お茶を煎れて向かい合う。
「で? なんでウチに来た。そこから話して下さい」
「いや〜、立派な部屋だねぇ。独りで住むにはちょっと広すぎない? あ、でもオーナーさんだもんね、当たり前か」
 アハハ、なんて笑う。っていうか人の話はちゃんと聞け。
「もう一度聞く。なんでウチに来た。そこから話して下さい」
 多少怒気が含まれていることに気づいたのか、しゅんとする。
 そして上目遣いにこちらを見ると、
「その、偉そうな言葉遣いと敬語を織り交ぜて言うの止めた方がいいと思うよ。変だから」
「帰れ」
 玄関を真っ直ぐ指さす。少しでもこいつに気を許したのがそもそもの間違いだった。
「やぁ〜ん、ごめんなさいごめんなさいっ。怒らないでぇ〜」
 泣きながら身を乗り出してくる。
 まったくもってこいつは人の神経を逆撫でにすることばかり言う。
 それを自覚してないのだから余計手に負えない。
「ああ、いいから座れ。ちゃんと話をしてくれるだけでいい。それだけでいいんだ」
 なだめながら座らせる。
 またしゅんとする。
「ほら、茶でも飲んで落ち着け」
 せっかく煎れた静岡の二番茶が冷めてしまう。
「…うん」
 言われたとおり両手で湯飲みを持ち、ずずずっと音を立ててすする。どうやら既に冷めていたようだ。
 一気に飲み干すと「ふぅ〜」なんてリラックスした様子。
「ごちそうさま。
 えと、ここに来た訳だったよね? そうだねぇ、どこから話せばいいかなぁ」
 腕を組み「う〜ん」と唸る。そんなに考えることなのか?
「なあ、ここに来る前は他の所も回ったんだろ? 最後の砦って言ってたし」
「あ、それはね、最初で最後の砦ってこと」
 一瞬、頭の中が真っ白になる。
「ち、ちょっと待て……じゃあなにか? 始めっからウチを頼りに来たって事か……?」
「そゆこと」
 あっけらかんとした答えが私を打ちのめす。今ならこの言葉だけで昇天できそうだ。
「ダイジョーブ?」
 すっかり消沈した私にそんな軽い言葉を掛けてくる。
「でもでも、ここしかないって思ったのも確かだよ。君ならきっと助けてくれるって」
 ヤケに意味深なセリフだな。
「助けるって、なに?」
 嫌な予感がする。
「エヘへ〜」
 意味ありげな笑みを浮かべる。そして、嫌な予感が確信へと変わる。
「やめろ。言うな」
 両手でしっかり耳を塞ぐ。聞きたくない。
「駆け落ちしよ☆」
 ここ一番のとびっきりスマイル。この笑顔が私を地獄へと突き落とす。

 ―――そして現在。
 こうして二人は黙ってお茶をすすっているしだい。
「……………………………………」
「……………………………………」
 あれから二人とも黙り込んで口をきかなくなった。いや、きけなくなった。
 目の前でお茶を日本酒みたいにちびちびやっているこいつは、自分で言ったことが急に恥ずかしくなり、時々忙しそうに、テレたり、沈んだり、ニヤケたり、考え込んだりと百面相をやっている。
 私の方は頭の中を整理しようと、あれこれ思考を巡らせているが、直球過ぎるあの一言に思考が多少なりと麻痺しているらしく、なかなかまとまらないでいる。
 いや、情報があまりにも不足しているから、まとめることができないのか。
 そもそもなんであんな事を……?
 このまま黙っていても埒があかない。
「…おい」
 ちょっと声をかけたつもりだったが、それだけでこいつはビクッとする。
 突然すぎたか。
「…ああ、すまん。
 それでだな……その、つまり、なんだ。なんで…あんな事言ったんだ……?」
 あんな事というのはもちろん『駆け落ち』のことだ。それを聞かないと、こっちもどう対処したらいいか解らない。
 モジモジと湯飲みをもてあそび、時折こちらを見ては赤面し、また繰り返す。
 そんなことを何回か繰り返して、
「……お父さんがね、この男がおまえの婿だ! って言って、熊のような男を連れてくるんだもん。思わず逃げ出しちゃった」
 顔を赤くして、何を言うのかと思ったら、結婚相手が嫌だってことか。
「それがここにやってきた理由か? そんなことに私を巻き込まないでもらいたい。言っておくが私はおまえの結婚なんかに興味なんてないからな」
「またまた〜。興味津々のく・せ・に」
 またもこいつはおちゃらけた事を言って場を賑やかそうとする。
 それに乗らず立ち上がって背を向ける。
 自分は今どんな顔をしてるんだ……?

 こいつ―――坂上樹菜は高校の頃からの付き合いだ。いや、付き合いというよりは付きまとわれていたと言った方が正しい。
 坂上のことを知ったのは、高校の入学式。同じクラスの女の子で特に目を引いたのが坂上。それが最初だ。
 高校入学して早々、坂上はいきなりクラスの人気者になった。頭脳明晰、眉目秀麗―――そんな言葉がよく似合っていたと思う。
 しかし、外見とは裏腹になかなかおもしろいヤツで、話題にも事欠かなかった。そう、坂上は底なしに明るかったのだ。
 それがあっという間に学校中に坂上の噂は広まり、学校中のアイドル的な存在になり、憧れの的となった。
 当時、私もその一人だったのだが―――それは一つの偶然から始まった。
 二学期の席替えで、偶然にも坂上の隣の席になったことがそもそもの始まりだったと記憶している。
 坂上は窓側の一番後ろ。そして窓側から二列目の一番後ろが私の席。
 隣の席になれたときは、それはもう嬉しかった。周囲から批難の声も上がったが、舞い上がっていた私には馬の耳に念仏だった。
 隣になって最初の頃は「おはよう」の挨拶くらいだったが、それだけで十分だった。
 そんなある日、私にとっての転機が訪れた。
 放課後、宿題を忘れ教室に取りに来たときだ。誰もいないと思っていた教室に、窓にもたれかかって夕日を一身に受けている坂上が佇んでいた。
 そのあまりにも幻想的な光景に目を見張った。だって、それは、一枚の絵のような、芸術のように思えたから。
 そして、あの明るい坂上が、切ない顔をしていたから、私は声を掛けることができなかった。
 そんなぼうっと突っ立っていたのに気づいた坂上は、
「カバンがないから帰っちゃったのかと思った」
 と、まるで待ちぼうけを食ったと言わんばかりに言った。
「い、いや、忘れ物を取りに……」
 目を逸らし、右手で頭を掻きながら、ぼそぼそっと返す。
「忘れ物? 何忘れたの?」
 夕日で逆光の坂上が近づいてくる。
「え、えっと、数学の宿題プリント。明日提出しなきゃいけないやつ。まだ最後まで解いてないんだ。……数学苦手で」
 そこまで言う必要ないだろうと、自分にツッコむ。
「へえ、数学苦手だったんだ。成績いいからもうとっくに終わらせてるかと思ってた」
「いや、そんな……」
 またポリポリと頭を掻く。
「最後の問題って言ったら、結構応用力ないと解けないもんね。私も苦労しちゃった」
「もう、終わったんだ」
 坂上との距離は手を伸ばせば届くところまで来ていた。
 その距離が、近いようで遠いように感じた。
「時間、ある?」
「え?」
 その言葉の意味を一瞬、理解できなかった。だって、そんなことないって思ってたから。
「数学、教えてあげる。
 その代わり、帰りにハンバーガー奢ってねっ」
 いつもの坂上の笑顔だ。
「ハン、バーガー……?」
「そっ。お腹空いちゃったから。それに、食べてみたいし」
 聞き間違えたかな。
「……食べたこと、ないの?」
 まさか、と思って聞き返す。
「ないよ。だってパパがダメって昔からしつこくしつこく言うから、食べ損なって」
 困ったもんね、とジェスチャーでする。
 それを見た途端、
「アハハハハッ」
 思わず笑ってしまった。
「あーっ、ヒッドーイッ。笑うことないでしょ!」
 案の定坂上は怒り出した。
 でもその拗ねた感じが可愛らしい。
「ゴメンゴメン、つい、ね。
 それにしても今時、ハンバーガー食べたこと無いなんて、しかも父親がダメって言うだけで……ハハッ……」
「まだ笑うの!? もういい、もう数学教えてあげない」
 すっかり拗ねてしまった坂上はそのまま私の横を通り抜けて、廊下を階段の方へ歩いていく。
「あ、ちょっと待って!」
 せっかく坂上と一緒になれるチャンスをみすみす不意にしてたまるかと、急いで後を追う。
 走って追いついたのは、階段に差し掛かったところだった。足早すぎる。
「待って! ゴメン。もう笑わないから、許してもらえませんか」
 頭を深々と下げて、反省している事を示す。もちろんこれで許してもらえるとは思っていないが、笑った事への謝罪と誠意を示さないといけない。
「……………………………………」
 何も返ってこない。
 下を向いているから、顔が見えない。見えているのは、坂上の膝から足だけだから、どんな表情をしているのかさえ想像できない。
 ―――怒ってるのか?
 ―――困ってるのか?
 ―――それとも、無表情?
 いろいろな表情を思い浮かべるも、どれも当てはまらないような気がする。
 そして、その予感は的中した。
「―――プッ、ハハハハハハハハッ!」
 頭の上で坂上の笑い声が、盛大にする。
 ゆっくりと頭を上げると、お腹を抱えて笑っていた。いや、笑われていた。
「……あの」
「アハハハッ。ま、まさか、そこまで頭を、下げるとは思わなかったから、お、可笑しくって…アハハッ」
 自分の行為がそんなに笑えることなんだろうか? と一度、さっきの流れを頭の中で復習してみる。
 ……………………………………。
 うん。ちゃんと謝罪してる。
 ならなんで笑われないといけないのか。
「そんなに笑うこと無いじゃないですか。こっちは真剣に謝罪をしているのに」
「ハハハ……ゴメンね。いきなりだったから。
 でも、セリフが違ってたら告白してるみたい」
 とんでもないことを言い出す。
 でも、つい「付き合ってください!」と言って頭を下げているシーンを思い浮かべる。
「――――――!」
 一瞬で頭に血が上る。
「あ、想像しちゃった? 純情だね〜。青春って感じ? ウンウン」
 人が大変なことになっているのに、向こうは一人で勝手なことを言ってる。……間違ってませんが。
「いや、あのですねっ」
「いいのいいのっ。みんなに言ったりしないから」
 人の話を聞いてください。
「耳まで真っ赤にして―――もしかして、そうだったりする?」
 急に上目遣いに見てくる。
 そうだったりする? ってどういう意味です?
 言葉の意味より、目の前ではにかみながら上目遣いでこちらを見てくる坂上の方が気になる。
「あ、あの……あの」
 そのまま黙り込む二人。
 その間、いろいろと勝手に思考が巡る。
 ―――どうする?
 ―――なんでこんな状況に?
 ―――どう言えばいい?
 ―――なんだこの少女漫画みたいな展開は?
 思考を巡らせたところで到底答えなんて浮かんでこない。今まで女の人に接する機会なんてほとんどありませんでしたから。
 どれだけそうしてたのか、すっかり陽も落ち、辺りが暗くなっていた。
「……暗いですね」
 やっと口から出たセリフはそんなのだった。
「……そう、だね。
 数学、ハンバーガー食べながら教えてあげる」
 結局、ハンバーガーを奢る代わりに数学を教えてもらうことができ、無事にプリントを提出することができたのだが、それがきっかけだったのか、坂上は何かと条件を付けては、私を誘うようになった。
 ことあるごとに何かかしらの問題を起こしては、その尻ぬぐいはすべて私の方へ回ってくる。
 振り回されっぱなしの高校生活。友達以上恋人未満。悪友以上親友未満。……散々な日々だった。
 何度先生に呼び出されて、注意を受けたか……。

 思えばあの時からだったんですねぇ。
 私も若かった。
「……なんて耽ってる場合じゃありませんでした」
 つい坂上と親しくなった頃のことをしみじみ思い出してしまったではないか。
「で? ここに居候してどうするんです。あなた、確かよい家柄のお嬢様じゃなかったか?」
「だから、そのまぜこぜの喋り方止めた方がいいよ?」
「今はそんなことを言っているんじゃない」
 まったくこいつときたら、自分の置かれた立場というものがわかっているのだろうか。
「家柄なんて関係ないよ。
 そんでどうするの? 駆け落ちの話」
「私は今の生活を捨てるつもりはありませんし、あなたとの結婚なんて考えていません」
 ツン、とそっぽを向く。
「ええ〜っ、なんでなんでっ!? こんな可愛い子がいいよって言ってるんだよ」
 明らかに不満げに抗議してくる。あ〜やかましい。
「確かに、あなたは外見はいいですが、その中身がいけないんです」
「ヤダ……もっと胸が大きい方がいいのぉ? これでも結構ある方なんだよぉ?」
 両腕で胸を隠して、もとい、寄せてあげながら恥じらっている。確かに結構……じゃない。
「その中身じゃない! 性格のこと言ってるんです!」
「なんだ。そんなこと。
 じゃ、良くしたらオッケーってことだね。よし解った。直すよ」
 何をそんなにムキになってるんだか。
「簡単に直るようなら、とっくの昔に直ってるはずなんですがね」
 無理だと解ってることをどうしてやろうとしてるんだか。何をそこまでかき立ててるんだ。
「じゃ、今日からよろしくねっ」
「え?」
 半ば強引に坂上の居候が決定した。


 ―――怒濤の二日間。

 いったい何があったのかと言えば、思い出すだけで疲れる。
 坂上のヤツが強引に居候を決め込んで、必要な物があるからと、買い物に付き合わされた。
 不幸中の幸い、という言葉がこの場合当てはまるのかどうかは別として、ウチは一人暮らしの割にこのマンションで一番部屋が広い。だから使っていない部屋があり、そこを使わせることにした。
「同じ部屋じゃないの?」
 なんて言うものだから、この部屋をあてがったのだ。
 本当はリビングに雑魚寝でもさせておけばいいかと考えていたが、最初の夜、あろう事に熟睡している私のベッドの中に入り込んで気持ちよさそうに眠っていたのだ。……しかも下着一枚で。
 あの時は心臓が口から飛び出すんじゃないかってくらい驚いた。
 一応、こちらも健全な男子なんで、自分を押さえつけるのにかなりの精神力を有した。いや、ありったけの理性で押さえつけた。
 そんなことがあったから部屋を用意した。ついでに今まで必要じゃなかった鍵を、自室のドアに取り付ける羽目になった。
 用意した部屋は一応客間ということにしておいたから、寝泊まりするだけならなんの不自由もないのだが、こいつは何も用意してこないでやってきたので、着替えなどが必要になった。
 近くのショッピングモールへ行き、化粧道具、衣服などなど。思いついた店に入ってはあれやこれと買い漁り、私はその荷物持ちとして後ろを歩く。
 よくもまあこんなに買い込めると思う。ちなみに全てこいつの財布で支払っている。
 そしてとある店に着く。目の前に積み上がっている荷物のせいか前がよく見えない。
「ねえ、黒と白と赤と青と薄緑、どれがいい?」
 なんて聞いてくるものだから、
「黒」
 と、自分では当たり障りのない答えを答える。
「黒、か……。大人っぽいのが好みなんだね」
 何を感心しているのか、荷物の横から盗み見ると―――
「――――――!?」
 ようやく自分の置かれた状況に気づく。
 男にとっては禁断の領域と言ってもいいだろう、ここは―――女性下着専門店。
 狭い視界を動かして店内を見渡す。
 女性客はもちろん、女性店員までも冷ややかな視線をこちらに注いでいる。
 脂汗を流しながら、今まで生きてきた人生の中で一番居心地の悪い気分を味わう。
 とにかく荷物で顔を隠しながら後退する。
「ちょっと、どこ行く気?」
 しっかりと荷物を持つ手を握って、撤退を妨害される。
「ち、ちょっと、離してください!」
「いいじゃない、べつに。あなたの好みを聞いて参考にするんだから」
「そんなの参考しないでいいです!」
 そんなやりとりを繰り広げ、やっと店を出ることができたのは、
「他のお客様のご迷惑になりますので」
 の店員の一言だった。
「もう、買いそびれちゃったじゃない」
「私のせいですか。
 まったく、顔から火が出るかと思いましたよ」
「あ、ホントだ。真っ赤っかだ」
 頬をつついてくる。
「……もう帰る」
 踵がえして、早歩きで帰路につく。
「ちょっと、待ってよっ」
 慌てて追いかけてくる。
 ―――これが一日目。
 二日目は朝から、
「ほら! キビキビ動く!」
 前日に注文した鏡台やらタンスやらを次々と運び込んで、組み立てる。
 ……なんでこんなことしてるんだ……?
 そもそも居候が家主をこき使うというのは、普通有り得ない。
 性格を変える、と言っていたがそれもどこ吹く風と忘れ去られている。
「ハア、ハア、ハア………」
 もう限界だ。普段運動しないから余計にキツイ。
「お疲れ様っ」
 いけしゃあしゃあと言う。何もしてないこいつは元気そのものだ。
「うんっ。なかなか様になったじゃない」
 できあがった部屋を見て満足げな表情を浮かべる。
「……じゃあ、私は部屋に戻ります」
 力の入らない足腰でゆっくりと部屋を出る。
「ええっ!? もう行っちゃうの? もう少しくらい居てくれてもいいじゃない」
「…疲れてんだ……休ませてください」
 背中に浴びる非難の声を無視して部屋に戻り、ベッドに倒れ込む。
 ……ああ、しんどい。
 慣れない力仕事をしたせいか、体は休息を求め、そのまま意識は遠のいていき、いつの間にか眠りに入っていった。
 そういえば、仕事できなかったなと、意識が途切れる間際に思い出した。

 徐々に意識を取り戻していく。
 ……そろそろ起きないと。
 起き上がろうとすると、なにやら体が重い。疲れているという重さではない。何かが被さっている。
 ……それに柔らかくて、温かい。
 瞬間的に既視感を覚え、首を動かして、被さっているそれを慌てて見る。
「――――――!?」
 またもや勝手に侵入しているそれは、またも下着一枚というあられもない格好で、あろうことか今度は私に被さって、さらに手足を絡ませていた。
「●▽◇□$#%*!!!???」
 あまりのことに何を言っているのか解らない悲鳴を上げる。
「……ん」
 今の悲鳴で起きたのか、目をこすりながら起き上がる。って―――
「まだ起き上がるな!」
 大慌てで布団を被せる。
「―――え、ちょっと!?」
 寝起きだったため、かなり驚いた声を上げる。
 ……危なかった。もう少しで見てしまうところだったよ……。
 ほんのちょびっと惜しい気もするが見てしまったら最期、何か責任を取らされるかもしれないと思うと迂闊な行動はとれない。
 そうこれは自己防衛のための手段だ。
 あの状況でここまでの判断ができた自分を褒めてやりたい。
「―――ぷはっ。ちょっといきなり何するの!」
 布団から顔だけを出し、文句を言ってくる。
「何するのはこっちのセリフだ。人のベッドに入るなと言っただろう。……しかも下着一枚で。
 部屋を用意したんだから、自分のベッドで寝てください」
「イイじゃん別に。私はぜんぜん気にしてないし。未来の奥さんの裸くらい見れないとね、未来の旦那様っ」
 かぶっていた布団から抜け出して、飛びついてくる。
「こ、こら! 前、前隠せ!」
「イイじゃんイイじゃんっ」
 私の慌てようがおもしろいのか、その後執拗以上に迫られる羽目になった……。

「今度あんなことしたら出て行ってもらいます」
 豆腐の味噌汁をすするそいつは、何のことを言われているのかしばらく考え、お椀を置いてからようやく思い出したように「……ああ」なんて他人事のように言った。
「なんで? 気持ちよくなかった?」
 あっけらかんとした感じで言う。
「気持ちいいかと聞かれれば気持ちよかったですが……じゃなくって、そういう問題じゃありません。結婚前のご婦人が下着一枚で人の布団に潜り込むことが問題なんです」
 どうしてあんなことができるのか、理解しがたい。
「ええ〜? なんでなんで〜? だって生足だよ、生乳だよ? 普通男の人なら嬉しいんじゃないの?」
 何が不満なのか、不満たらたらに抗議してくる。
「……生乳って、あんた。年頃の娘がそんな破廉恥なことをするんじゃないと言っているんだ。嫁入り前の大事な体なんだから、大事にしなさい」
 何が悲しくてこんな親みたいなことを言っているんだか……。
「そんなことわかってるってば、ダーリンッ」
 とびきりの笑顔でそう呼ばれる。
「ダーリン言うな!」
 新婚家庭なら許される呼称を、押し掛け同然の居候が何を言うか。
「……ともかく、今後またこういう事をするようなら―――出て行ってもらいます」
 家主としてビシッと言う。
「わかった。もうふざけてあんなコトしない……」
 しおらしく反省した様子。言ってみるものだ。と、その場は安心した。が―――
「今度は―――本気で行く!」
 グッと箸を握り、彼女は心新たに誓う―――って違う!
「あなた、私の言ってたこと聞いてました!?」
 バンッと箸をテーブルに叩きつけて怒鳴りつける。
「聞いてたよぉ。嫁入り前の大事な体なんだから大事にしろってことでしょ?」
「ならどうして『今度は』、なんて言うんです?」
「だーかーらー、私はあなたの所に嫁入りするからいいじゃない、ってこと」
 …………………………………………はい?
 今、聞き間違えましたか? 確か私の所に嫁入りすると……。
「ええええええええぇぇぇぇぇぇええぇぇぇぇぇぇぇっ!?」
 いや確かに「駆け落ちしよ」とは言われたが、まさかホントの本気だったなんて……。
 食事中だということをすっかり忘れ、頭を抱えてフルに脳みそを回転させて現状を整理しようと試みる。
「おーい」
「………………(ブツブツ)」
「おーいってば」
「……………………………………(ブツブツ)」
「帰ってこーい」
「………………………………………………(ブツブツ)」
「…………」
「…………………………………………………………よしっ」
「はにゃ?」
「何変な声出してるんです」
「突然『よしっ』なんて声出すんだもん。驚いたわよ」
 何をそんなに拗ねてるんだか。
「そんなことより。
 つまり坂上さん。あなたは私の所に嫁ぎに来たと、そう言うんですね?」
「初めからそう言ってるじゃない。最初に駆け落ちしよって言ったじゃない」
 もう開き直ったのか、すんなりと駆け落ちと言ってのける。
「ええ、聞きました。
 しかし、それはその場しのぎの言葉だと思ったもので」
 それに、はあぁ〜、なんてわざとらしく溜め息なんぞついて「私呆れてます」と露骨に主張する。
「私、ずっとあなたのお嫁さんのつもりでここに居たんだけど」
「普段のあなたの態度がいい加減だから信用されないんです」
 非難の声も私にはどこ吹く風。のれんに腕押し。柳に風。無駄無駄。
 むぅ、とふてくされた顔をする。
「じゃあ、本音で話す。ちゃんと聞いてね」
 崩していた足をきちんと正座に座り直して、私と向き合う。
 その目はいつもに増して真剣そのものだ。……まあ、0に何を掛けても0なのだが、そんなチャチャを入れてはいけない雰囲気だった。
「…どうぞ」
 私も彼女と同じく正座して向き合う。
 今までにない静けさが二人の間に漂う。
 じーっと、私の目を捉える。まるでにらめっこをしているような、そんな感覚。
「では、言います」
 ようやく話を切り出した。しかも敬語で。
 そしてスッと立ち上がると、私の隣まで移動して、また正座をする。
 仕方なく私も彼女の方向に向きを変える。
 そこで気づく。
 ―――いかん。
 テーブルを挟んでいたさっきまでと違い、距離が近すぎる。膝が当たりそうで当たらない微妙な距離だ。
 心臓が早鐘のように鼓動する。
 間近にある坂上樹菜の整った顔。真っ直ぐな目が私の目を捉えている。
 テーブルを挟んでいた時は違って、にらめっこなどというふざけたことなんてできない。
 ただ、その目を見る、それだけしかできない。
 その時だ。
「好きです」
 そんな言葉が耳に入ってきた。
 ―――好きです。
 それは相手に好意示すときに使う愛情表現の言葉。告白の言葉。子供の頃使う『好き』と、大人になって使う『好き』では、その言葉に込められた意味に雲泥の差がある。
 今、彼女言ったのは前者ではなく、おそらく後者の方。
 だとすると……。
「……へ?」
 自分でもマヌケだと思う、そんなマヌケな言葉が出てきた。
 もう一度頭の中で反芻する。
 ―――好きです。
 もう一度。
 ―――好きです。
 ワンモア。
 ―――アイラヴユー。
 …違う。
「……あの、私の聞き間違いでなければ、確か今……す、す、」
「好きです」
「あ」
 もう一度彼女の口からその言葉を聞く。
 臆せず、何の躊躇いもなく、彼女は言った。
「私は言ったよ」
 私は言った。その言葉の意味するところは一つしかない。次は私が本音を彼女に、坂上樹菜に言わなければならない。
「私は……」
 口にして、詰まる。なんて言うつもりだ……?
 私は坂上のことを厄介者扱いしていたじゃないか。そうだ。そうだったじゃないか。ならなんの迷いがある。
 でも、それが私の本音なのか。
 もともと、初めて彼女を見たときから、私は坂上樹菜に憧れていた。
「…………………………………」
「ねえ……何か言ってよ」
 その言葉に応えたい。しかし……。
「……少し、時間を下さい。突然で、余りにも想像していたものと違っていて、自分でも、ちょっと整理できなくて……。
 だから、時間をいただけませんか?」
 今はこれが精一杯。
 それが不満なのか、彼女は少しむくれた表情をする。それが少し子供っぽく見えた。
「……一日」
「え?」
「一日あげる。大人なんだから、一日あれば十分でしょ」
 そう言って元いた自分の席に戻り、食事を再開する。
「……あ」
 それ以上何も言えるはずもなく、彼女に倣って朝食を再開する。
 話し合っているうちに、すっかり冷めてしまっていた。坂上が料理してくれたのに……。

 その日は仕事が手につかなかった。
 もともとはこのマンションのオーナーだから、管理さえしていればいいのだが、それだけではと副業として自宅でもできるデザイン関係の仕事を請け負っている。
 坂上が来て以来、ちっとも仕事に取りかかれなかったが、あの後、彼女は部屋に引っ込んでしまい出てこない。邪魔されることもないのに、どうしてもデスクにつくことができず、ベッドの上に寝転がって天井を仰いでいた。
「…………………………………………………………」
 どうしたものか。
 頭の中で考える。
 彼女への返事がどうしても浮かばない。
 そもそも、自分が坂上のことをどう思っているのかの答えを出さない限り、返事なんてできるわけがない。
 よし。それならまずは簡単な二択から始めよう。
 問一。私は坂上樹菜の事が好き。イエスかノーか。
 …………。
 イエス。
 よし。とりあえず好意は持っていると。
 では続いて問二。私は坂上樹菜のどこに好意を抱いているか?
 …………………。
 ……………………。
 明るいところ、かな。
 ………………………………………………………………………。
 ではこれが最後の問。問五〇。私は坂上樹菜と離れることができますか?
「…………………………………………………………」
 どう答えるべきなんだろう。
 あれから何度も似たような問を自分に投げかけているが、どれも曖昧な答えしか出ない。
 ―――坂上樹菜と離れることができますか?
 自分で出しておいて、答えることができない。
「はは」
 自分が自分で可笑しい。
 なんで答えられないんだ?
 私は―――いや、俺は本当に自分に正直なのか? 自分の心まで偽ってないか? 本当に言いたいことを心の奥底に閉じ込めて、当たり障りのない上辺だけの答えばかり。
 大人として、男として、五〇問も自問自答を繰り返すより、一生に一度くらいは男を見せなければならないんじゃないか?
「そうだよな」
 本当は答えなんて出てたんだ。
 だけど、坂上のあまりな破天荒ぶりに、本音がどっかに行っちゃってたんだ。
 昔のこともあったけどな………。
 今思い出すと、本当にとんでもなかった。
 本当……とんでもなかった。
「よっと」
 ベッドから身を起こし、部屋を出る。
 答えは初めから出ている。
 なら、あとは本人の前で口にするだけ。自分自身の言葉で、自分の本心を。
 ……明日にしよう。
 意気地無し、と言われようが、一日の猶予が与えられているのなら、この気持ちをどう伝えるのかを考えることに使うべきなのだと、自分に言い聞かせる。
「ハア〜……」
 大きな溜め息を吐く。
 出たばかりの部屋にきびすがえして、ドッカリとベッドに座り込む。
 さあ、どうしたものか。


 私こと坂上樹菜がお世話になっている、このマンションのオーナー―――小鳥遊大翔(たかなしひろと)君は高校のクラスメイトだった。
 背が高くて真面目でお坊ちゃん。このマンションだって彼の親の仕事関係らしい。
 でもって、数居る男子の中で一番気になったのは彼だった。
 最初はその名前。
 小鳥遊大翔なんてどう読んでいいのか解らなくて、ずっと気になっていた。
 同じクラスになって、隣になるまでちゃんとした呼び名なんて知らなかったなんて、今聞いたらどんな顔するだろ?
 クラスの男子からは「ヒロ」、女子からは「ヒロ君」で通ってて、誰もフルネームで呼んでなかった。だから隣になるまで私も「ヒロ君」って。
 席替えで隣になってからは挨拶くらいはするようになってた。まあ、隣同士なんてそんなもんだよね。
 その挨拶をするくらいの関係が変わったのはある日の放課後。
 親が厳しくてあまり家に居たくない私は、決まって学校で時間を潰していた。たまたまその日は教室で、夕焼けがとても綺麗で、だから夕日が沈むまでここにいようと決めて、眺めていた。
 時間の経つのを忘れて、ただ沈んでいく太陽を眺めて。その時、現れたのが彼だった。
 なんでかぼうっと教室の入り口で突っ立ってて。今思えば私に見とれていたんじゃないかって……ちょっと自惚れ。
 どうして彼がそこにいたのか訪ねると、宿題を忘れただけで、別に私に会いに来てくれたワケじゃなかった。当たり前だけど。
 でも、私は誰かを待っていたのかもしれない。
 だからって彼を待っていたワケじゃない。たまたま偶然でそこにいたのが彼だっただけ。
 隣同士だけどあんまり話したことなくて。教室で時々聞こえてくる彼の話し声、というか話し方が妙に感じていた。
 私は彼と話してみたくなった。
 突っ立っていた彼に、私から声をかけた。
「カバンがないから帰っちゃったのかと思った」
 すると彼は、
「い、いや、忘れ物を取りに……」
 目を逸らして、頭を掻きながら、落ち着きなさそうに。
「忘れ物? 何忘れたの?」
 声が小さかったからこっちから近づく。
 すると、また落ち着かない様子で、
「え、えっと、数学の宿題プリント。明日提出しなきゃいけないやつ。まだ最後まで解いてないんだ。……数学苦手で」
 彼にしては珍しい発言だった。
 私の知る彼はとにかく何でもそつなくこなす人物で、苦手な物なんてない、なんて思っていた。
 それがちょっと意外で、
「へえ、数学苦手だったんだ。成績いいからもうとっくに終わらせてるかと思ってた」
「いや、そんな……」
 また頭を掻いて……テレてる?
 普段見ない彼は、私にはとても新鮮だった。
 そんな彼をもっと見たくなって、私は―――
「数学、教えてあげる。
 その代わり、帰りにハンバーガー奢ってねっ」
 と、自分から口実を作ることにした。
 でもそのあとの彼の反応が良くなかった。いきなり私を笑い飛ばしたのだ。
 理由としては単純で、笑う要素なんて何処にも無かったはずなのに、だ。
 たかがハンバーガー食べたことないくらいで、そんなに笑うことない。
 当然私は機嫌を損ねて教室から出る。
 廊下は走ってはいけないから競歩みたいに進んだ。そしたら彼は走って追いかけてきた。
 私を呼び止めて、そしたら、
「待って! ゴメン。もう笑わないから、許してもらえませんか」
 って。
 深々と頭を下げて謝ってきた。
 背の高い彼が私の頭より低く頭を下げたのだ。
 それがあまりにもビックリで、私は思わず笑いがこみ上げてきた。だけど真剣に謝っている彼に申し訳なくて、声を出して笑いたいのを我慢した。
 だけどそれは無理な相談だった。
「―――プッ、ハハハハハハハハッ!」
 私はお腹を抱えて笑った。
「……あの」
「アハハハッ。ま、まさか、そこまで頭を、下げるとは思わなかったから、お、可笑しくって…アハハッ」
「そんなに笑うこと無いじゃないですか。こっちは真剣に謝罪をしているのに」
 ムッとする。彼にしては珍しい顔。
「ハハハ……ゴメンね。いきなりだったから。
 でも、セリフが違ってたら告白してるみたい」
 見ようによってはそう見えたから。
 でも、実際に「付き合ってください!」と言って頭を下げている彼を想像してみる。
「………」
 お。いい雰囲気かも。
 彼も同じ想像したんだろう、あからさまに動揺した表情になっていた。なんていうか、間抜けなくらい表情に出てる。
「あ、想像しちゃった? 純情だね〜。青春って感じ? ウンウン」
 つい面白くてからかってみる。
「いや、あのですねっ」
「いいのいいのっ。みんなに言ったりしないから」
 この人ホント面白い。こんな人だったなんて知らなかった。いつも真面目な雰囲気だからこういうのとは無縁だと決めつけてたみたい。
「耳まで真っ赤にして―――もしかして、そうだったりする?」
 上目遣いに彼を見る。
 そうだったりする? なんてカマをかけてみたけど、
「あ、あの……あの」
 あまりに素直すぎる反応に、そのまま黙り込む二人。
 どうしよう。私も気まずい。
 気まずさに言葉を詰まらせている間にすっかり陽も落ち、辺りが暗くなっていた。
「……暗いですね」
 彼からそんなセリフが出た。
「……そう、だね。
 数学、ハンバーガー食べながら教えてあげる」
 あの雰囲気に耐えられなかった私は、結局当初の予定通り彼に数学を教えることを再度言ったことで終わらせることにした。
 その一件があってからは何かと彼を誘うようになった。
 家が厳しい私は彼を巻き込んでいつもはできないようなことをイロイロとやり、その度に彼だけが先生に注意を受けていた。
 あの時はいつも先生に呼び出されるのは彼だけという事にその要領の悪さを笑っていたけど、本当は彼が全部罪を被ってくれたことを知ったのは二年に進級してからだった。
 多分人のいい彼のことだから、本人も知らずに庇ってくれていたんだろう。時々「お前のせいで」と愚痴られていたから、それが解らなかった。
 巻き込まれたのは彼の方なのに、巻き込んだ私が怒られなかったのを不思議に思わなかったのは、私が彼に甘えていた部分もあったから。
 友達以上の付き合いで恋人未満の私たちは、高校を卒業して、その縁が切れてしまった。
 進学する大学も違ったことが一番の原因かもしれない。
 どうして進路の話を彼としなかったのか。
 それが当時すごく悔やまれた。
 そう。私は気づかないうちに彼に惹かれていたのだ。

 ベッドの上でひっくり返り、天井を見る。
「……いくじなし」
 私は彼のあの態度にちょっとムッとして呟いた。
 どうして「好きです」と言ったのに、応えてくれなかったんだろう。
 そう思ってふと気づく。
 彼は私の事を疫病神扱いしている割には私の言葉を聞いて「考えさせてください」と言った。
 ガバッと上半身だけ起こす。
「もしや……」
 本当に嫌な相手から好きと言われたら、拒絶するのが普通。それを彼はしないで考えさせてと言った。
 ということは……、
「………………脈あり?」
 そう考えると彼への不満は無くなり、逆に期待へと変わり、明日彼がどういう返事をくれるのか、私は楽しみになった。


 一晩もう一度考えてみたものの、私の考えはあまり変化のない、というよりも、
「より強い確信ですね」
 口にしてさらに確信させられる。
「ふ……認めたくないものですね。若さ故の」
 これ以上の発言は著作権の侵害になるだろうから口にはできない。自主規制とは我ながらなんと義理堅いことか。
 部屋にある姿見で顔を見る。隈はできてないだろうか。
 姿見を見ながら目の下を伸ばしたり、吊り上げてみる。
「変な顔ですね」
「ならやめたら?」
 自分とは別の声が聞こえ、吊り上げたままドアの前に立つ人物に顔を向ける。
「おはようございます」
 パッと離して元の顔に戻す。
「オハヨ。朝ご飯できてるよ」
 よく見ると私のエプロンをしていた坂上は、わざわざ朝食を作ってくれて呼びに来てくれたらしい。
 私のエプロンのためダボダボ感がある。坂上にはかなり大きかったみたいだ。
 だが手に持つおたまは何のスタイルなのか。
「すぐ行きます」
「ん」
 短い返事だけして戻る坂上は、どこかいつもと違っていた。
 理由は……語らずもがな。
 後は私が一言言うだけですから。
「しかし」
 言わずにはいられない。
「大人しい坂上は、微妙ですね」
 見えなくなった背中に、しみじみとそう思ってしまった。

 無言の食卓。食器の音と味噌汁をすする音がこの空間を支配していた。
「………………」
 非常に居づらいです。
 一人ならまだしも二人揃ってるにもかかわらずこの状況の居心地の悪さは……。
 それもこれも私が悪いんですけどね。
 さっさと朝食を済ませて返事をせねば。
 ……にしてもです。
 昨日もそうだったんですが、流石です。坂上樹菜。
 食卓に並ぶ料理の面々。
 粒の一つ一つが立っている白いご飯。
 たくさんの野菜の入った具だくさんの味噌汁。
 焼き鮭に大根おろし。
 筑前煮。
 胡瓜の浅漬け。
 このラインナップは私の中では理想の朝食です。焼き鮭万歳。
 一人だとなかなかここまではできませんからね。
「あの」
「ん?」
「美味しいです」
「………アリガト」
 ずずっとみそ汁をすする坂上。
 ………………………………………うわあ。なんだろ、この展開。
 坂上なんて頬を赤くしてますよ。
 気づけば私もですます調だし。
 どこの新婚家庭なんだか。
 いやいや。新婚家庭でもここまでじゃないはず……!
 確信はないが、こんな初々しい展開は起こりえないだろう。
 言葉を交わしたのはそれっきりで、黙々と食べ続け、
『―――ごちそうさま』
 声を揃えて合掌。
「あ、片付けは私がしておきます」
 食器を持って立ち上がる坂上にそう言う。朝食を作ってもらっておいて、そのままって訳にはいかない。
「でも……」
 伏し目がちに困った顔をされる。
「いえ、朝食作ってもらいましたから。片付けくらいは私がやらないと」
「そう……ならお願い」
 持ち上げた食器を置き、自室へ戻っていった。
「おかしい……」
 どうして今日は朝から大人しいのか。ここまでおかしいとこっちの調子が狂ってしまう。
「何か悪いもの……」
 そんなわけがない。認めたくないが坂上の料理の腕は一流だ。あんな奴でも一応は良いとこのお嬢様である。家が厳しかったと言うくらいなのだから、料理くらいは仕込まれていても不思議じゃない。
「さて、こっちも片付けないと」
 自分のと坂上の食器をまとめて流しに持って行き、一度水をかけてから洗剤で泡立つスポンジで洗う。
 洗いながら考える。
 洗い物が終わった後で、きちんと坂上に言わなくてはいけない。自分の正直な気持ちを―――


「クククッ」
 部屋に戻るなり笑いがこみ上げる。
 いやあ、彼のあの真剣な顔。彼に自覚がないのか、思い詰めた様子が顔に出ていて、こっちも素っ気ない素振りも大変だった。
 部屋の向こう側で水の流れる音と食器のカチャカチャ鳴る音が聞こえる。
 きっとあれが終わったら私の所に来るはず。
「たーのしみーっ」
 手近にあったクッションをギュッと抱きしめて、こみ上げてくる笑いを押し殺す。
「……どんな答えをくれるんだろ?」
 私の期待する答え?
 それとも私を突き放す答え?
 期待と不安が入り交じり、どうしようなく落ち着かない。
 今思えば、彼に迷惑ばかりかけてきた。
 高校の二年以上はそうだって覚えがある。
 今だって、勝手に押しかけて「駆け落ちしよ」なんて言って困らせて、この家に居座ってしまっている。
 彼と居る時間は楽しい。
 だけど彼に迷惑ばかりかけている。
 彼と居る時間だけ、彼に迷惑をかけていることになる。
「でもなぁ〜」
 脈なしってことは……たぶん無い。
「あっ」
 化粧台の鏡の前で、自分の格好を確かめる。
 変な格好をしていて、突然彼の気持ちが変わってしまうこともありえるかも。
 右、左と顔を動かし、おかしな所はないかチェック。ちょっと離れて服装も。
「もちょっと色気のある服の方が良いかな?」
 白のトップスに半端丈のパンツの今の格好は、彼の目にどう映るだろうか。トップスの背中は編み上げカットソーでピッタリフィットだからボディラインがハッキリしてて、チラリとおへそも見え隠れ。
 ちょっとセクシー。
「う〜ん」
 だけど悩む。
 彼は外見で判断する人なのか。それとも内面?
 そういえばこないだ……
 ―――確かに、あなたは外見はいいですが、その中身がいけないんです。
 ―――その中身じゃない! 性格のこと言ってるんです!
 ―――簡単に直るようなら、とっくの昔に直ってるはずなんですがね。
 って。
「つまり中身で勝負?」
 この性格は親の反発でできてるから、そう簡単には強制できない。っていうかその時間すらない。
 自分の中で激しい葛藤が巻き起こる。
 頭を抱え、どうしたらいいのか悩む。
「―――そうか」
 ハッと気づく。
「そもそも彼は今までの私で答えを出してくれるんだ」
 なら悩む必要なんて無い。いつもの私で居れば良いんだ。ヨシッ。
 私の中で一つの答えが出たちょうどその時、コンコン、とドアをノックする音がした。
 いつの間にか水の音と食器の音が聞こえなくなっていた。


 完璧に洗い物を終わらせ、お茶まで用意して坂上の部屋の前に立つ。
「すぅ〜……はぁ〜……」
 大きく深呼吸。
「よし」
 覚悟は決まった。
 左手で二つの湯飲みが乗ったお盆を持ち、右手でドアをノックする。
「はーい」
 部屋の中から坂上の返事が聞こえた。
「私です。入ってもいいですか?」
 若干遠慮気味に尋ねる。するとカチャッっとドアが開き、坂上が顔を出す。
「どうぞ。―――お茶?」
「あ、うん。どうかなって」
「アリガト、入って」
 ドアを大きく開いて、部屋に招き入れてくれる。
「随分片付きましたね」
「さすがにあのままじゃね。あ、お茶はそのテーブルにね」
 部屋の真ん中に小さな丸いテーブル―――イスと見間違いそうな―――にお盆ごと置く。
 そして小さいテーブルを挟んで、私と坂上は向かい合って座った。
「それで、答えは出た?」
 最初に切り出したのは坂上だった。私の答えを聞きたくて焦って聞いてきた訳じゃない。私が話しやすいように聞いてきてくれたのだ。
 その心遣いに感謝する。
「はい。出ました」
 真っ直ぐ坂上の目を見る。ちゃんと聞いてほしくて、目を逸らしてほしくなくて。
「私は―――あなたのことが」
「うん」
「すっごく迷惑でした」
「……へ?」
 どきっぱり言う。
「あなたときたらこっちの迷惑ってものを考えない。いつも私がそれの尻ぬぐいやらなんやらやらされて……本当は高校を卒業したらもう二度と会うことはないって思ってたくらいです」
「うっ」
 思い当たる節や自覚があったんだろう、坂上はダメージを受けたらしい。
「あなたがこのマンションにやってきたのにも驚きました。まさかこのマンションのこと知っているなんて思ってなかったもので」
「……そ、それはそのぉ……ホントは友達に聞いたりしてぇ」
 縮こまった坂上はか細い声で正直に答えた。
「だろうと思いました」
「うぅ〜……ごめんなさい」
 しょんぼりする坂上。それでも構わず言葉を続ける。
「玄関の前で笑顔で「こんちは〜」なんて現れたときは眩暈がしましたよ。さらに居候させてくれ、駆け落ちしてくれ。地獄に叩き落とされるかと思った」
「……………………………………」
 もう無言で放心状態。流石に効いたらしい。
「でも」
「……?」
「でも、あなたの結婚の話を聞いて正直言うと内心では焦りました」
「え? でも……」
「ええ。そのあとあなたの半ば強制的な居候が決まって、大変な毎日です。それでよく考えてみると、高校時代に戻ったみたいでした」
「昔みたい……」
「はい。久々ですよ、あんな日々は」
 懐かしくなる。毎日坂上に引っ張り回されていた毎日を。
「今はもう戻れない時間です。大切な」
「…うん」
 坂上も頷いてくれる。あの頃は馬鹿やっていたけど、楽しく大切な時間だったと。
「それで……あなたへの答えです」
「はい」
 背筋を伸ばす。
 軽く深呼吸して、覚悟を決めた。
「あなたに好きと言われ、正直戸惑いました。だって本気だとは思わなかったから」
「うん」
「だけど、すぐには答えられず、あなたに一日という時間をもらって、答えが出せました。正直な私の気持ちを」
 大きく深呼吸する。そして―――
「あなたの事が好きです」
「―――!」
 言えた。
 言ってやった。
「これが私の見つけた答えで、気持ちです。どうですか? あなたの心に届いたかな?」
 すると坂上はポロポロと涙を流し出し、うんうんと何度も頷いた。
「それで、その……この間の話ですが」
 言おうかどうか、それに一番時間をかけたと思う。だけど今しか言うチャンスはないと思った。
「駆け落ちの話ですが、私は駆け落ちはできません」
「でき、ない?」
「はい。できません」
「そんな……」
「だけど、結婚はできます」
「けっこん……? 結婚!?」
 素っ頓狂な声を上げる。そんなに驚くようなこと……でした。
「駆け落ちなんて、誰にも祝福されない添い遂げ方はありません。同じ一緒になるなら、みんなから祝福される方がいい」
 距離が近くてよかった。
 私は坂上の手をそっと握り、
「私と、結婚してください」
 プロポーズした。


 教会の鐘が鳴る。
 真っ白な教会に、真っ白なヴァージン・ロード。
 左右には家族親族、友人らが一同にかえす。
 オルガンがウェディング・マーチを奏で、私は聖断の前に立つ。 
 私の視線の先には、純白のドレスに身を包んだ彼女は、父親と腕を組んでヴァージン・ロードを歩いてくる。
 彼女が隣に来るまでにたくさんのことを思い出す。
 彼女の親の説得。
 父親が連れてきた熊のような男と向かい合った時。生きた心地がしなかった。
 二人に殴られるかと思ったけど、意外にも快く承諾してくれた。娘が自分で男を捕まえてきたことの方が嬉しかったらしい。熊のような男も半ば無理矢理だったらしく、逆に感謝された。
 なんだかな〜、なんて気持ちになる。
 うちの両親は「でかした!」と大喜び。坂上のことも気に入ってくれ、これで二人には何の障害もなくなった。
 いろいろあった。
 大変だったけど、きっと二人なら乗り越えていけるだろう。
 私は彼女のその美しい無垢な白い姿に、この先の二人の未来を夢想した―――

【-End-】

コメント(2)

璃瑚さん>

感想ありがとうございます!
なんとなくの思いつきだけで書き始め、途中まで男か女かも決めておらず、「小鳥遊」の名も考えてなかった。
そんな行き当たりばったりな作品でしたが、ノリ的には良く書けたかなと。(自分なりには)

http://www.venus.sannet.ne.jp/emues/

↑この作品を元に、僕が管理人の「Free Style!!」に参加してくれている「スティルさん」が、もっと激しく書き上げてくれた「どうか夢ならば」というタイトルで掲載されています。
そちらも読んでみてください。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

自作小説交流館 更新情報

自作小説交流館のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング