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世界の中のパレスチナ問題コミュの木村愛二『アウシュヴィッツの争点』(全文)

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木村愛二『アウシュヴィッツの争点』(リベルタ出版・1995年)を全文掲載します。(著者の同意は得て居ます)

http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%84%E3%81%AE%E4%BA%89%E7%82%B9-Pol%E3%80%93mica-%E6%9C%A8%E6%9D%91-%E6%84%9B%E4%BA%8C/dp/4947637331/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1352076637&sr=1-1


(この本は、全文をここで読めます。)
        ↓
http://www.jca.apc.org/~altmedka/aus.html

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Web無料公開のはしがき
『週刊ポスト』(1999.10.15)記事「長銀『われらが血税5兆円』を食うユダヤ資本人脈ついに掴んだ!」事件、………

 私の表現によれば、ユダヤ人“虐殺”デッチ上げを商売とする“ショア・ビジネス”こと、サイモンズ・ウィゼンタール・センターによる日本人をなめ切った脅迫行為の最新版をきっかけにして、またもや、私の呼び名の日本版“政治的シオニスト真理教患者”が蠢き始めたので、やむなく渋る零細出版社にも通告の上、関係拙著、拙訳書のWeb無料公開に踏み切ることにしました。

 この『アウシュヴィッツの争点』(リベルタ出版、1995.6.26)の場合には、順序は逆となりますが、巻末の資料集から公開します。なお、Web向きに若干省略します。

 なぜ資料集から始めるかというと、かつて、いくつかのメーリングリスト上で、感情的な支離滅裂の論争を挑まれ、時間の無駄と考えて放置した件がありました。これらの件を承知の友人から、私が名誉毀損で訴えた『週刊金曜日』記事の場合(わがホームページ参照)と同様に、私が「ネオナチ資料のみを利用している」とのmailを、そのまま鵜のみにしている人もいるのではないか、との助言がありました。

 私は、この種の、固い本を手に取って読む人が少ないのを見越したデマゴギーを、心の底から軽蔑し切っているので、大人気ないと思い、あえて相手にしなかったのですが、何人かの友人の意見を聞いて、この野暮なmail送信に踏み切ることにしたのです。

 最初に、この場合、私はの著書の中では参考資料の数が多い方ではないのですが、全部で15頁になる資料リストを、2回に分けて公開します。

 簡単に言うと、いわゆる通説の“ガス室”によるユダヤ人“虐殺”説を、鵜呑みにした資料の方が多いのです。それらの資料を心して読んだだけでも、いかに矛盾だらけの説であるかが、よく分かります。犯罪捜査の場合の“矛盾だらけの供述”などを見破るのと、まったく同様の問題なのです。

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主要参考資料(その1)
 著者・編者の姓名による五十音順。(※)は、引用部分など該当ページのみのコーピー入手をしめす。『アウシュヴィッツの争点』の引用頁に関する数字の記載は、Web公開では頁数が異なり意味不明となるので省いた。和雑誌と新聞は文中の引用箇所に発行年月または日付を記した。

(1)日本語および日本語訳の単行本
アイゼンバーグ,デニス『ザ・モサド/世界最強の秘密情報機関』,佐藤紀久夫訳,時事通信社,1980.

アーヴィング,デイヴィッド『ヒトラーの戦争』(上下),赤羽龍夫訳,早川書房,1983.

〈アウシュヴィッツに消えた子らの遺作展〉を成功させる会編『絵画記録/テレジン強制収容所/アウシュヴィッツに消えた子どもたち』,ほるぷ出版,1991.

青木進々『アウシュヴィッツとその背景』,グリンピース出版会ブックレット,1989.

阿部照哉編『比較憲法入門』,有斐閣,1994.

アーレント,ハンナ『イェルサレムのアイヒマン/悪の陳腐さについての報告』,大久保和郎訳,みすず書房,1994.

アントニウス,ジョージ『アラブの目覚め/アラブ運動物語』,木村申二訳,第三書館(パレスチナ選書),1989.

池田浩士『抵抗者たち/反ナチ運動の記録』,軌跡社,1990.

石上玄一郎『彷徨えるユダヤ人』,レグルス文庫,1991.

板垣雄三『石の叫びに耳を澄ます/中東和平の探索』,平凡社,1992.

伊東孝之『ポーランド現代史』,山川出版社(世界現代史27),1988.

岩波書店編集部編『悲惨な歴史〜ドイツ〜1956』,岩波写真文庫,1956.

ヴァシルチコフ,マリー『ベルリン・ダイアリー/ナチ政権下 1940-45』,白須英子訳,中央公論社,1989.

ヴィーゼル,エリー『死者の歌』,村上光彦訳,晶文社,1970.

ヴィーゼル,エリー『夜』,村上光彦訳,みすず書房,1975.

内田郁太/野口徳三『新訂/農用薬剤学』,明文堂,1937.

梅本浩志/松本照男『ワルシャワ蜂起』,社会評論社,1991.

大岡昇平『証言その時々』,筑摩書房,1987.

大野英二『現代ドイツ社会史研究序説』,岩波書店,1982.

大野英二『ナチズムと「ユダヤ人問題」』,リブロポート,1988.

オストロフスキー,V./ホイ,C.『モサド情報員の告白』,中山善之訳,TBSブリタニカ,1992.

奥田久司『防空化學』、河合商店,1942.

オランダ国立戦時資料研究所編『アンネの日記/研究版』,深町眞理子訳,文藝春秋,1994.

オール,アキバ『誰がユダヤ人か』,広河隆一/幸松菊子訳,話の特集,1984.

カウル,F.『アウシュヴィッツの医師たち/ナチズムと医学』,日野秀逸訳,三省堂,1993.

加藤周一『戦争責任の受けとめかた=ドイツと日本=』,国民教育総合研究所編集,アドバンテージサーバー・ブックレット,1993.

川上和久『情報操作のトリック/その歴史と方法』,講談社現代新書,1994.

キェニェヴィッチ,ステファン『歴史家と民族意識/ポーランドの民族的伝統についての省察』,坂東宏訳,未来社,1989.

木谷勤/望月幸男編著『ドイツ近代史/18世紀から現代まで』,ミネルヴァ書房,1992.

木村愛二『湾岸報道に偽りあり/隠された十数年来の米軍事計画に迫る』,汐 文社,1992.

木村愛二『電波メディアの神話』,緑風出版,1994.

ギルバート,マーティン『ソ連のユダヤ人/なぜ出国を望むか』,木村申二訳,サイマル出版会,1984.

ギルモア,デービッド『パレスチナ人の歴史/奪われし民の告発』,北村文夫訳,新評論,1985.

キーン,サム『敵の顔/憎悪と戦争の心理学』,佐藤卓己/佐藤八寿子訳,柏書房,1994.

クーパー,H.H.A./レドリンジャー,ローレンス・J.『防諜と諜報/原則と実践』,白須英子訳,心交社,1991.

グロズマン・デイヴィッド『ヨルダン西岸/アラブ人とユダヤ人』,千本健一郎訳,晶文社(双書・20世紀紀行),1992.

ケストラー,アーサー『ユダヤ人とは誰か/第十三支族・カザール王国の謎』,宇野正美訳,三交社,1990.

ケルショー,イアン『ヒトラー神話/第三帝国の虚像と実像』,柴田敬二訳,刀水書房(人間科学叢書21),1993.

国立オシフィエンチム博物館(編)『写真ドキュメント/アウシュヴィッツ収容所』,青木進々ほか訳,グリンピース出版会,1987.

財団法人東京連合防火協会編『危険物データブック』,丸善,1993.

佐藤健二『流言蜚語/うわさ話を読みとく作法』,有信堂,1995.

佐藤静夫『トーマス・マン』,新日本新書,1991.

サリービー,カマール『聖書アラビア起源説』,広河隆一/矢島枝子訳,草思社,1988.

シーグラー,ベルント『いま、なぜネオナチか?』,有賀健/岡田浩平訳,三元社,1992.

芝健介『武装SS』,講談社(選書メチエ39),1995.

ジョルダーノ,ラルフ『第二の罪/ドイツ人であることの重み』,永井清彦/片岡哲史/中島俊哉訳、白水社,1990.

ジャンセン,G.『シオニズム/イスラエルとアジア・ナショナリズム』,奈良本英佑訳,第三書館,1983.

シルバーマン,チャールズ・E.『アメリカのユダヤ人/ある民族の肖像』,武田尚子訳,サイマル出版会,1985.

シロニー,ベン・アミン『ユダヤ人と日本人/神によって選ばれた民』,仲山順一訳,日本公法,1993.

ズィーヴェルス,レーオ『ドイツにおけるユダヤ人の歴史/二千年の悲劇の歴史』清水健次訳,教育開発研究所,1990.

ズヴィルスカ,クリスティナ『アウシュヴィッツ/地獄からの生還』,大河原順訳,潮文社,1990.

スモーレン,K『アウシュヴィッツの悲劇』,小谷鶴次訳,柳原書店,1992.

滝川義人『ユダヤを知る事典』,東京堂出版,1994.

ダーショウィッツ,アラン・M『ユダヤ人の世紀/フッパ/成功に隠された屈辱の歴史』,山下希世志訳,ダイヤモンド社,1993.

チェハノフスキ,J.M.『ワルシャワ蜂起1944』,梅本浩志訳,筑摩書房,1989.

ディーコン,リチャード『情報操作/歪められた真実』,小関哲哉訳,時事通信社,1988.

テイラー,A.J.P.『近代ドイツの辿った道/ルターからヒトラーまで』,井口省吾訳,名古屋大学出版会,1992.

ドイッチュクローン,インゲ『黄色い星を背負って/ナチス支配下を生きたユダヤ人女性の証言』,馬場謙一訳,岩波書店,1991.

東京裁判ハンドブック編集委員会『東京裁判ハンドブック』、青木書店,1989.

富岡倍雄『パレスチナ問題の歴史と国民国家/パレスチナと現代社会』,明石書店,1993.

トムソン,オリヴァー『煽動の研究/歴史を変えた世論操作』,山縣宏光/馬場彰訳,TBSブリタニカ,1983.

鳥井順『中東軍事紛争史・[古代〜1945]』,第三書館(パレスチナ選書),1993.

永井清彦『ヴァイツゼッカー演説の精神/過去を心に刻む』,岩波書店,1991.

中岡三益『アラブ近現代史』,岩波書店,1991.

中村隆壽『化學兵器輯録』、陸軍科學研究所内・化學兵器輯録刊行委員,1934.西尾幹二『異なる悲劇/日本とドイツ』,文芸春秋,1994.

野村二郎『ナチス裁判』,講談社現代新書,1993.

ハーシュ,セイモア『サムソン・オプション』,山岡洋二訳,文藝春秋,1992.

ハフナー,セバスチャン『裏切られたドイツ革命/ヒトラー前夜』,山田義顕訳,平凡社,1989.

バルオン,ダン『沈黙という名の遺産/第三帝国の子供どもたちと戦後責任』,姫岡とし子訳,時事通信社,1993.

ハルセル,グレース『尻尾が犬を振り回す/「湾岸戦争」1年後の真実』,越智道雄訳,プレジデント社,1992.

ハルトゥング,フリッツ『ドイツ国制史』,成瀬治/坂井栄八郎訳,岩波書店,1980.

ハルバースタム,D.『メディアの権力』(1-3),筑紫哲也ほか訳,サイマル出版会,1983.

ハレヴィ,イラン『ユダヤ人の歴史』,奥田暁子訳,三一書房,1990.

野村真理『西欧とユダヤのはざま/近代ドイツ・ユダヤ人問題』,南窓社,1992.

パレスチナ・ユダヤ人問題研究会編『パレスチナ/現在と未来』,三一書房,1985.

ピーターズ,ジョーン『ユダヤ人は有史以来/パレスチナ紛争の根源』(上下),滝川義人訳,サイマル出版会,1988.

広河隆一/ユダヤ人問題研究会(編)『ユダヤ人とは何か/「ユダヤ人」1』,三友社,1985.

広河ルティ『私のなかの「ユダヤ人」』,集英社,1982.

フォッケ,H./ライマー,U.『ナチスに権利を剥奪された人びと』,山本 尤/伊藤富雄訳,社会思想社,1992.

藤井昇『世界経済大予言/高度情報社会の幻想』,光文社,1984.

藤井昇『日本経済が封鎖される日/孤立化の危機をどう乗り越えるか』,PHP研究所,1987.

プシビルスキ,ペーター『裁かれざるナチス/ニュルンベルグ裁判とその後』,宮野悦義/稲野強訳,大月書店,1981.

フライ,ノルベルト『総統国家/ナチスの支配 1933-1945』,芝健介訳,岩波書店,1994.

フランク,アンネ『アンネの日記』,深町眞理子訳,文藝春秋,1986.

中岡三益『アラブ近現代史』,岩波書店,1991.

フランクル,V.『夜と霧/ドイツ強制収容所の体験記録』,霜山徳爾訳,みすず書房,1961.

フリードマン,ロバート『ユダヤを剥ぐ/武装テロ組織JDLの内幕』,宇野正美訳,三交社,1991.

フリードランダー,ソール編『アウシュヴィッツと表象の限界』,上村忠男/小沢弘明/岩崎稔訳,未来社,1994.

ブロック,アレックス『米国メディア戦争最前線〈全米TV界制覇戦略〉』,渡辺昭子訳,角川書店,1991.

ベギン,メナヘム『反乱/反英レジスタンスの記録』(上下),滝川義人訳,ミルトス,1989.

ヘス,ルドルフ『アウシュヴィッツ収容所/所長ルドルフ・ヘスの告白遺録』,片岡啓治訳,サイマル出版会,1972.

ヘーネ,ハインツ『ヒトラー独裁への道/ワイマル共和国崩壊まで』,五十嵐智友訳,朝日新聞社(朝日選書 460),1992.

ヘルツル,テオドール『ユダヤ人国家』,佐藤康彦訳,法政大学出版局(叢書・ウニベルシタス 330),1991.

ポイカート,デートレフ『ワイマル共和国/古典的近代の危機』,小野清美/田村栄子/原田一美訳,名古屋大学出版会,1993.

マーザー,ウェルナー『ニュルンベルグ裁判/ナチス戦犯はいかにして裁かれたか』,西義之訳,TBSブリタニカ,1979.

マン,トーマス序『血で書かれた言葉/最後の手紙が語るナチス残虐史』、片岡啓治編訳,ワイマル出版会,1974.

三島憲一『戦後ドイツ』,岩波新書,1991.

宮田光雄『ナチ・ドイツの精神構造』,岩波書店,1991.

ミュンツェベルグ,ヴィリー『武器としての宣伝』、星乃治彦訳,柏書房,1995.

ミラー,シャルロッテ『母と子のナチ強制収容所/回想ラーフェンスブリュック』、星乃治彦訳,青木書店,1989.

村岡哲『近代ドイツの精神と文化』,創文社,1981.

望田幸男『ナチス追及』,講談社現代新書,1990.

望田幸男『ネオナチのドイツを読む』,新日本出版社,1994.

望田幸男/三宅正樹編『新版/概説ドイツ史/現代ドイツの歴史的理解』,有斐閣選書,1982.

モッセ,ゲオルゲ・L.『大衆の国民化/ナチに至る政治シンボルと大衆文化』,佐藤卓己/佐藤八寿子訳,柏書房(パルマケイア叢書1),1994.

モートン,フレデリック『ロスチャイルド王国』,高原富保訳,新潮新書,1975.

モラン,エドガール『ドイツ零年』、古田幸男訳,法政大学出版局(叢書・ウニベルシタス 287),1989.

山口知三『ドイツを追われた人びと/反ナチ亡命者の系譜』,人文書院,1991.

湯浅赳男『ユダヤ民族経済史』,新評論,1991.

四宮恭二『ヒトラー・1932〜34/ドイツ現代史への証言』(上下),NHKブックス,1881.

ラカー,ウォルター『ドイツ人/戦後40年で国民性は変わったか』,浦田誠親訳,時事通信社,1986.

ラカー,ウォルター『ユダヤ人問題とシオニズムの歴史』,高坂誠訳,第三書館,1987.ラッセル『人工地獄/ナチス戦争犯罪小史』、大沢基訳,みすず書房,1957.

ラングマン,アブラム『ゲットー脱出/あるユダヤ人の生還』、大谷喜明/大谷京子訳,三省堂,1994.

リッジウェイ,ジェームズ『アメリカの極右/白人右派による新しい人種差別運動』,山本裕之訳,新宿書房,1993.

リトナー,キャロル(編)『ホロコーストの記憶/エリー・ウィーゼルが問うもの』,滝川義人訳,サイマル出版会,1990.

リリアンソール,アルフレッド『ユダヤ・コネクション』,宇野正美訳,三交社,1991.

ルツィウス,フランツ『灰色のバスがやってきた/ナチ・ドイツの隠された障害者「安楽死」措置』、山下公子訳,草思社,1991.

レヴィン,メイヤ『イスラエル建国物語』,岳真也/武者圭子訳,ミルトス,1994.

ロガスキー,バーバラ『アンネ・フランクはなぜ殺されたか』,藤本和子訳,岩波書店,1992.

ロスト,ニコ『ダッハウ収容所のゲーテ』、林功三訳,未来社,1991.

ロンメル,バート『処刑の科学/絞首刑からガス室、電気イス処刑まで』、遠藤比鶴訳,第三書館,1995.

和気朗『生物化学兵器/知られざる「死の科学」』,中公新書,1966.

ワース,ルイス『ユダヤ人問題の原型・ゲットー』,今野敏彦訳,明石書店,1993.

(アラブ・ユダヤ・イスラエル関係については拙著『湾岸報道に偽りあり』の巻末、全部で30ページの資料リストのなかにも収録してあるので、参考にされたい)

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コメント(93)


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 このことについて、さらにお話ししたいと思います。
 皆さんは、テレビなどで、ナチスの収容所で発見された死体の山を見たことがおありと思います。そして、そうした映像を見て、「ドイツガス室でユダヤ人を殺した」と信じ込んでいる方が多いのではないかと思います。しかし、そうした死体の山は、「ガス室大量殺人」の「証拠映像」などでは全くないのです。例えば、先ほどお見せした写真は、ベルゲン・ベルゼン収容所という収容所で撮影された写真の一枚でした。(48ページ)
 もう一度、ご覧になって下さい。このように、穴の中に被収容者たちの死体が山積みされた恐しい写真を写したもので、テレビの「ドキュメンタリー」などで「ホロコースト」が扱われる際には必ずと言っていいほど、このベルゲン・ベルゼンの死体の映像が出て来ます。
 ドイツ北部にあったこの収容所は、あのアンネ・フランクがその短い生命を終えた場所として有名ですが、戦争末期にイギリス軍によって解放され、こうした映像が記録されていたのです。それで、その時イギリス軍が撮影したこれらの映像が今もマスメディアで頻繁に利用されているのですが、この映像は「ガス室」が存在したことの「証拠」なのでしょうか?
 こうした映像が悲惨な映像であることは間違いありません。しかし、この映像が「ガス室大量殺人」の「証拠」かと言えば、それは別の話です。それどころか、決定的なことに、このベルゲン・ベルゼン収容所については、そこに「ガス室」がなかったことを、「定説」側の人々自身が認めているのです。即ち、「定説」側の人々は、もちろん、ドイツが「ガス室」で「大量殺人」を行なったことは主張します。しかし、アウシュウィッツなどに「ガス室」があったという主張は頑(かたく)なに守りながら、例えばこのベルゲン・ベルゼン収容所に「ガス室」がなかったことは、はっきり認めているのです。例えば、このように

「アンネとマルゴットは、十月二十八日にベルゲン=ベルゼンへ輸送された。(中略)リューネブルグ原野の不毛地帯にあったこの収容所[西岡注:ベルゲン・ベルゼン収容所を指す]には、実はガス室はなかったが、生活諸条件はそこでは、とりわけ最後の数カ月には非常に悪く、数万人の人々が死んだのである。」
(ウィリー・リントウェル著 酒井府+酒井明子訳『アンネ・フランク最後の七ケ月』徳間書店)


(西岡昌紀「アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか?」(日新報道・1997年)52〜54ページより)
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%84%E3%80%8C%E3%82%AC%E3%82%B9%E5%AE%A4%E3%80%8D%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F%E2%80%95%E6%9C%AC%E5%BD%93%E3%81%AE%E6%82%B2%E5%8A%87%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%8B-%E8%A5%BF%E5%B2%A1-%E6%98%8C%E7%B4%80/dp/4817403934/ref=cm_cr_pr_product_top

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 ベルゲン・ベルゼンの生活諸条件が劣悪で、そのために多くの病死者が出たことは、全くその通りだと思います。そして、それが悲惨極まりない悲劇であったことは、見直し論者も完全に同意していることです。しかし、注目して頂きたいのは、ベルゲン・ベルゼン収容所について、「定説」側論者(ウィリー・リントウェル氏)が書いたこの本にこう書かれてあることです。

    「この収容所には、実はガス室はなかったが」

 即ち、このベルゲン・ベルゼン収容所に「ガス室」はなかったのです。他の収容所はともかくとして、とにかく、このベルゲン・ベルゼンに「ガス室」がなかったことは、「定説」側も認めているのです。
 つまり、後で述べますが、「定説」側の人々は、ナチスの収容所の何処(どこ)にでも「ガス室」があったと言っているのではないのです。「定説」側論者は、ナチスドイツはヨーロッパ各地に数多くの収容所を作ったが、「ガス室」を作ったのはその内の幾つかに限られていた、という意味の説明をしています。そうしたことについてはこの後で論じますが、今ここで重要なことは、このことです。先の写真が撮影されたベルゲン・ベルゼン収容所は、このように、「定説」側の主張においても「ガス室」はなかったとされている収容所なのです。それならば、この収容所で発見された死体の中に「ガス室」で殺された死体があったわけがないではありませんか。(違うでしょうか?)
 病死者がたくさんいたことは事実です。そして、それは悲惨極まりないことです。しかし、事実の問題として、そこには「ガス室」がなかったのだから、この中に「ガス室」で殺された死体があったわけがないのです。ところが、テレビなどのマスメディアは、何故か、ベルゲン・ベルゼンで撮影されたこの映像を今も「ガス室大量殺人」の「証拠写真」でもあるかのように使用し続けているのです。
 例えば、「アエラ」やNHKすらが、そういうことをしています。虚を突かれる気がすると思いますが、これが、「ホロコースト」についてのマスメディアお手法の一つなのです。これは、「映像トリック」と言われても仕方のない手法ではないでしょうか?

(西岡昌紀「アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか?」(日新報道・1997年)54〜55ページより)
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%84%E3%80%8C%E3%82%AC%E3%82%B9%E5%AE%A4%E3%80%8D%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F%E2%80%95%E6%9C%AC%E5%BD%93%E3%81%AE%E6%82%B2%E5%8A%87%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%8B-%E8%A5%BF%E5%B2%A1-%E6%98%8C%E7%B4%80/dp/4817403934/ref=cm_cr_pr_product_top

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 ここで私は、皆さんに或る映像を思い出して頂きたいと思います。それは、1991年の湾岸戦争の際、「イラクがペルシャ湾に原油を放出した」という触れ込みで世界中に流された、あの衝撃的なテレビ映像です。
 即ち、クウェートを占領したイラク軍が、そのクウェートで大量の原油をペルシャ湾に放出した。そのため、ペルシャ湾は原油で広範に汚染され、このように罪のない海鳥までが油まみれになって苦しめられている、という「解説」で放映された、あの戦慄すべき映像です。
 黒い原油に汚染された海岸で、この水鳥が油にまみれて立ち尽くす姿は本当に心痛むものでしたが、皆さんは、この映像が実は「イラクの原油放出」などとは何の関係もないものであったことをご存知でしょうか?詳しいことは、ジャーナリストの木村愛二さんが書いた『湾岸報道に偽りあり』(汐文社)に述べられているのでお読み頂きたいと思いますが、世界中で放映され、イラクに対する全世界の怒りを引き起こしたこの映像は、実は、「イラクの原油放出」などとは全く関係のない映像だったことが、今日明らかになっているのです。
 即ち、この水鳥が海岸で油まみれになっていた理由は、実は「イラクの原油放出」ではなく、アメリカ軍の空爆で流出した原油が海に流れ出したためだったらしいことが、今日では判明しているのです。(少なくとも、当初言われた「解説」が虚偽であったことは、イラクがクウェートで放出した原油なら、海流の速さなどから考えて明白と言えます)
 しかしながら、それでも、この映像が「イラクの原油放出」による光景だとう「解説」は一旦は世界の人々に信じられてしまったわけで、これは、映像の持つ心理的効果がいかに強力なものかを示す一例と言えます。つまり、映像というものは、それに加えられる「解説」によって、受け止める側に全く違った心理的効果を与えるものなのです。

(西岡昌紀「アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか?」(日新報道・1997年)55〜57ページより)
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%84%E3%80%8C%E3%82%AC%E3%82%B9%E5%AE%A4%E3%80%8D%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F%E2%80%95%E6%9C%AC%E5%BD%93%E3%81%AE%E6%82%B2%E5%8A%87%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%8B-%E8%A5%BF%E5%B2%A1-%E6%98%8C%E7%B4%80/dp/4817403934/ref=cm_cr_pr_product_top

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 この水鳥の映像の場合も、それが「イラクの原油放出によってもたらされた」という話とともに見せられるのと、「アメリカの空爆の結果」という説明とともに見せられるのとでは、見る側に対する意味影響が全く違うことは、言うまでもありません。
 それは、湾岸戦争初期にこの映像が前者の「解説」とともに放映された際、欧米を中心にイラクへの激しい怒りの声が上がり、イラクに対して戦術核兵器を使うべきだという声までが上がった事実に現われていると言えます。
 このように、映像というものは、それに与えられる物語や文脈によって、本来の意味とは全く違う意味のものとして人々の脳裏に刻み込まれてしまうという、恐ろしさをはらんでいるのです。
 先ほどの死体の映像も同じです。アウシュウィッツなどについては後で論じますが、このベルゲン・ベルゼン収容所に「ガス室」などなかったことは、前述したように、「定説」側も認めているのですから、少なくともこのベルゲン・ベルゼンで「ガス室」によって殺された人が一人もいなかったことは、最早、議論の余地のないことなのです。当然、そこで発見された死体の中に「ガス室」で殺された死体が含まれているわけもありません。後述するように、これらの死体の大部分は、戦争末期に大発生したチフスなどによる病死者たちの死体だったのです。
 それは勿論、悲惨な映像ですが、「ガス室大量殺人」の「証拠」などでは全くないのです。ところが、私たちは、マスメディアによって、この映像がまるで「ガス室」で殺された人々であったかのように錯覚させられています。
 テレビの「ドキュメンタリー」などでは、多くの場合、はっきりした解説を付けずにこの映像を見せるという手法を取っていますが、「ユダヤ人虐殺」を語る時に、見る側が、どう見ても病死者などとは思わず、「ユダヤ人虐殺」の犠牲者だと錯覚するようなやり方で、この病死者の映像が使われているのです。これが、湾岸戦争の「油まみれの水鳥」と余りにも似ていると思うのは、私だけでしょうか?

(西岡昌紀「アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか?」(日新報道・1997年)57〜58ページより)
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 もう一度言いますが、解放直後のナチス収容所で、連合軍側の法医学者または病理学者によって「毒ガス」で死亡したと確認された死体は、一体もなかったのです。これは、「定説」側の歴史家が認めた事実です。発疹チフスなどの病気で死亡した死体は、そうした解剖の結果、多数、確認されています。しかし、青酸ガスとか一酸化炭素などの中毒で死亡した死体は、実は、一体も確認されていなかったのです。(「定説」によれば、ドイツが「ガス室」で使ったとされる「毒ガス」は、青酸ガスと一酸化炭素の二種類)。それなのに、戦後、多くの「歴史家」やジャーナリストたちは、こんな基本的なことも言わぬまま、ただ、そうした病死者たちの死体を写真で見せながら、「ガス室で何百万人もの人々が殺された」等と書きまくってきたわけです。
 また、眼鏡や靴がいくら山のように積まれていても、「ガス室大量殺人」があったことの証明にならないことは言うまでもありません。それらの物の持ち主たちが、「ガス室」で殺された証明は何処にもないのですから。しかし、こうした物品を「証拠」だと思いこんでいる人も少なくありません。これも、そうした物品に与えられる「説明」の効果ですが、こうしたことは、ちょっと冷静になればすぐに分かるのです。しかし、その冷静になることができないために、このような物品を「証拠」と錯覚している人は少なくないようです。

(西岡昌紀「アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか?」(日新報道・1997年)58〜59ページより)
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%84%E3%80%8C%E3%82%AC%E3%82%B9%E5%AE%A4%E3%80%8D%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F%E2%80%95%E6%9C%AC%E5%BD%93%E3%81%AE%E6%82%B2%E5%8A%87%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%8B-%E8%A5%BF%E5%B2%A1-%E6%98%8C%E7%B4%80/dp/4817403934/ref=cm_cr_pr_product_top

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 それから、もう一つ驚くべき事実があります。戦後、これだけ「ドイツはユダヤ人絶滅を計画した」と言われてきながら、そんなことを命じた命令文書は、実は一枚も発見されていないのです。即ち、連合軍は、戦後ドイツで膨大な量のドイツ政府公文書を押収しています。ところが、その膨大なドイツ政府公文書の中に、ヒトラーもしくは他のドイツ政府指導者が「ユダヤ人絶滅」を決定、命令した文書があったかというと、実は、一枚も発見されていないのです。これは、「定説」側の歴史家たちもはっきり認めていることですが、「ユダヤ人絶滅」を決定命令した文書が存在しないことについて、私は「マルコポーロ」の記事の中で次のように書いています。

「連合軍は、戦後ドイツで大量のドイツ政府公文書を押収した。それによって、戦争中ドイツ政府が何を検討し、何を命令していたかが明らかになるからだが、その押収されたドイツ公文書の量は、アメリカ軍が押収したものだけでも千百トンに及んでいる。ところが、戦後、連合軍が押収したそれらのドイツ政府公文書の中に、ヒトラーもしくは他のドイツ指導者が「ユダヤ人絶滅」を決定、命令した文書は一枚もなかったのである。実際、連合国は、ニュールンベルク裁判において、ドイツの指導者が「ユダヤ人絶滅」を決定、命令した証拠となる文書を提出していない。これに対しては、「ナチが証拠を隠滅したから文書が残らなかったのだ」とか、「ユダヤ人絶滅計画は極秘事項だったので、命令は全 て口頭でなされたのだ」とかいう反論が予想されるが、そうした主張は、あくまでも「仮説」でしかない。事実としてそのような文書は、今日まで一枚も発見されていない。もし証拠となる命令文書はあったが隠滅されたとか、命令が口頭でなされたとか主張するなら、その証拠を提示するべきである。」(『マルコポーロ』1995年2月号「ナチ『ガス室』はなかった」)

 私のこうした指摘に対して、「定説」側の歴史家が、「マルコポーロ」廃刊事件後、論評を加えて居るので、ちょっと御紹介したいと思います。先ず、ドイツ史が専門の栗原優(まさる)教授は、こう書いておられます。

「ユダヤ人絶滅に関するヒトラーの命令書が存在しないのは事実である」

(学研『歴史群像シリーズ』42/アドルフ・ヒトラー[権力編]“わが闘争”の深き傷痕「ヒトラーと民族社会主義/ナチズムのイデオロギーとその現実」)


(西岡昌紀『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』
 (日新報道・1997年)59〜61ページより)
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 つまり、「ユダヤ人絶滅」に関する(ヒトラーの)命令文書が存在しないという点については、「定説」側の栗原教授も同意しておられるわけです。それでは、何を根拠に「ユダヤ人絶滅」が命じられたと主張しておられるのか、それは後で触れますが、栗原教授と同様、「定説」側の歴史家である村瀬興雄(おきお)教授は、こう述べておられます。

「この大号令[西岡注:「ユダヤ人絶滅」を指す]が文書によって発令されたことはない」
(同「ヒトラー体制とドイツ(4)最新ナチス編/次第に明らかにされて来た第三帝国」)

 お分かりでしょうか?このように、そんな文書が存在しないことは、「定説」側の歴史家自身がはっきり認めているのです。では、彼らはこの事実をどう説明しているのでしょうか?それは、私が先の「マルコポーロ」の記事で書いた通り、「ユダヤ人絶滅は口頭で命令されたのだ」等と説明するのです。しかし、今述べた通り、それは単なる想像に過ぎません。そんなことが口頭で命令された証拠は何処にもないのです。また、「文書はあったが隠滅された」等という「説明」も全くの想像に過ぎません。それどころか、後で述べますが、「絶滅」とは両立しない命令が出されたことを示す文書が多数、発見されているのです。(後述)
 つまり、もう一度言いますが、これだけ「ドイツはユダヤ人絶滅を計画した」と言われながら、そのような決定や命令を裏付ける文書は、実は一枚も発見されていないのです。あるのは、ただ、そんな命令が出されたに違いないという「定説」側歴史家の想像だけなのです。

(西岡昌紀『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』
 (日新報道・1997年)61〜62ページより)
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 そういう命令文書がないので、何か代わりの文書を提示しなければ、ということなのでしょう。「定説」側論者の中には、「ヴァンゼー会議議事録」と呼ばれる文書とか、ゲーリングが1941年7月31日に書いた手紙、またはヒムラーが43年10月4日に行なった演説の「筆記録」とされる文書などを引用して、それらの中で「ユダヤ人絶滅」が間接的な形で言及されている、と主張する論者もいます。しかしながら、原文を読めば分かることですが、これらの文書の内容は、「ユダヤ人絶滅」を語ったものなどでは全くないのです。
 例えば、今挙げた「ヴァンゼー会議議事録」という文書は、戦後、連合国が「発見した」として発表した文書で、ベルリン郊外のヴァンゼーという場所で開かれた秘密の会議を記録した文書ということになっています。
 この文書が、「ユダヤ人絶滅」について協議した会議の記録であるかのような説明が永年に渡って横行していますが、先ず、この文書の中には、「ユダヤ人絶滅」を決定したなどという記述は全くあろません。ですから、仮にこの文書が正真正銘ドイツ政府の文書だったとしても、この文書は、「ユダヤ人絶滅」を決定したことの記録などではあり得ません。その上、この文書は、前述のように連合国が「発見」したとされるものですが、その書式がドイツ政府公文書のものとは違いすぎるという資料批判的な指摘もあり、本物のドイツ政府文書かどうかにも議論の余地が残されているものなのです。
 こうしたことのためか、最近では、「定説」側の論者でも、イェッケル(Jaeckel)とかプレサック(Pressac)といった論者たちは、この文書を「ユダヤ人絶滅」が決定されたことの証拠として持ち出すことには否定的な立場を取るようになっています。また、前述のゲーリングの手紙やヒムラーの演説の「筆記録」も、文章の一部を全体の文脈から切り離して読むと「ユダヤ人絶滅」に関係があるかのように見える箇所があるのですが、全文を読むと、そんな内容ではないことが明瞭に理解できるものです。これらの文書をここに引用することはしませんが、皆さん一人一人がそれらの原文を読んで下されば、必ず納得して頂けるはずです。
 ここで、前出の栗原優教授の説明をもう一度聞いてみましょう。

「ユダヤ人絶滅に関するヒトラーの命令文書が存在しないことは事実である。しかし、ヒトラーがこの時点でユダヤ人絶滅を決定したことを立証する資料は存在する。おそらくそれは口頭で命令されたのであろう。」(学研『歴史群像シリーズ』42)

 「おそらくそれは口頭で命令されたのであろう」とは、想像に過ぎないではありませんか(!)
 しかも、その「ヒトラーがこの時点でユダヤ人絶滅を決定したことを示す資料」とは一体何を指すのでしょうか?(もしや「ヴァンゼー会議議事録」のことでしょうか?)栗原教授は、何故か、この一番大事な点を言っておられないのです。

(西岡昌紀『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』(日新報道・1997年)62〜64ページより)
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私の問いかけに回答できない西岡さんに、同じ手段で返答させていただいたまでです。
自己宣伝と執念 に満ちたコピぺ、ご苦労さま です。
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 それから、ヒトラーの若い頃の著作である『わが闘争』や彼の演説の中に「ユダヤ人絶滅」の予告があるという論者もいます。しかし、これは全然おかしいのです。
 先ず、本や演説は、行政命令ではありません。ですから、そんなものを命令文書と同列に見なすことがそもそも間違っています。また、それらの引用される言葉を前後の文脈とともに読むと、引用されている「ユダヤ人絶滅の予言」なるものが実はそんなものではないことも良く分かります。
 例えば、ヒトラーの著作『わが闘争』の中に「毒ガス」の話とユダヤ人の話が並んで出てくる箇所があり、それを「ユダヤ人絶滅の予告」と見なす論者がいますが、これなどは、『わが闘争』の該当箇所を前後の文脈とともに読めば、その意味が分かります。即ち、その箇所は、「ガス室によるユダヤ人絶滅」などに言及しているのではなく、第一次世界大戦でドイツ兵が敵の毒ガスに苦しめられていた時、ユダヤ人たちは何をしていたのか、といった意味の文章の一部に過ぎないのです。
 それがおぞましいオジテーションであることは確かですが、「ガス室によるユダヤ人絶滅」などとは全く関係のない話であることは余りにも明白です。これは、故意かどうかは知りませんが、文章の文脈からその箇所だけを切り抜いて見せる「引用のトリック」と同じものと言わざるを得ません。

(西岡昌紀『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』
 (日新報道・1997年)64〜65ページより)
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 また、ヒトラーが1939年に、もし今度、世界大戦が起きたら、それはユダヤ民族の滅亡に終わるぞ、という意味の演説をしたことを引いて、「ユダヤ人絶滅計画」が存在したことの証拠であるかのように言う論者もいます。
 しかし、これもおかしい。確かに、そういうひどい演説はありましたが、これですら、仮定形で述べられているのであって、そんなことを決定したとか、命令したとかいう発表ではないからです。以前、北朝鮮の代表が、或る席で韓国の代表に対して、そんなことならソウルは火の海になるぞ、という意味の発言をして問題になったことがありましたが、この演説を引いて、「北朝鮮は韓国侵攻を決定した」と断じる人はいないはずです。
 また、そうした演説の中で、ヒトラーが文字通りの物理的絶滅を意味してそういう言葉を使用したかどうかも、全くの疑問です。特に、「絶滅する」と訳されることの多い「vernichten」という動詞には、「打倒する」とか「否定する」とかいう意味もあります。ですから、仮にこの言葉がヒトラーなどの演説で使われたとしても、それが言われているような「民族皆殺し」の意味だったとは限りません。
 こういう点で、「ホロコースト」を論じた日本語や英語の本に出てくる「絶滅」とか「exterminate」とかいった訳語には最大の注意が必要です。

(西岡昌紀『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』
 (日新報道・1997年)65〜66ページより)
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 そもそも、演説とは、誇張やハッタリが日常茶飯事に使われるもので、その中の表現を行政命令などと同様に解釈することは、全くもって間違っています。減税などする気がないのに「減税する」と演説する政治家など枚挙にいとまがないことは、皆さんもよくご存知の通りです。
 また、戦争をする気がないのに「戦争をするぞ」と言うこともあれば、戦争をしようとしながら、「戦争はしない」と演説することもあります。その上、その場の雰囲気などによって、著しく誇張された表現が使われることも枚挙にいとまがありません。
 一例を挙げましょう。第二次大戦末期にアメリカ軍が沖縄に上陸した際、アメリカのハルゼー(Halsey)大将は、アメリカ兵たちに向かってこんな演説をしています。「日本人を殺せ、日本人を殺せ、もっと日本人を殺せ(Kill Japs!Kill Japs!Kill more Japs!)」(学研「物語日本史」10『日清日露・太平洋戦争』高村児「太平洋戦争」)おぞましい演説です。また、沖縄では、現に多くの民間人が殺されています。しかし、ハルゼー大将がこう演説したからといって、アメリカが「日本民族絶滅」を計画していたと言えるでしょうか?言うまでもなく、そのような計画があったことは立証できません。演説とは、このように、その場の雰囲気によって、誇張された表現や言葉が使われるものだからです。
 こうしたことから、「定説」側でも、ヒトラー他のドイツ政府指導者が演説で述べた言葉をそのまま引用して「ユダヤ人絶滅」の言明とすることは批判されるようになっています。例えば、「定説」側の歴史家の一人である前出の村瀬興雄
教授は、次のように書いておられます。

 「さらに公式な演説のなかで、ヒトラーたちがユダヤ人絶滅を絶叫した場合、それは宣伝的で脅迫的な意義しか持っておらず、全面的絶滅命令としての性格を具えていなかった事も指摘されている。ナチス戦犯が裁判の中で『ヒトラーが命令した』と主張したとしても、それについては確実な傍証が求められねばならないといわれている。」(学研『歴史群像シリーズ』42)

 「定説」側の歴史家ですら、こう言っているわけです。そもそも決定的におかしいのは、もし演説で「ユダヤ人絶滅」が語られたとしたら、何故、「ユダヤ人絶滅」を決定、命令した文書が存在しないのか、ということです。だって、そうではありませんか。もう一度言いますが、そんな命令書は一枚も存在しないのです。この事実を「定説」側論者は、「ユダヤ人絶滅は口頭で命令されたのだ」と説明するわけですが、その理由は、「ユダヤ人絶滅は極秘だったから」くらいしか考えようがありません。現に、「定説」側論者たちは、「ユダヤ人絶滅」は極秘の計画だった、という主張をしています。それでは、そんな極秘の計画が、本や演説の中で(!)公然と語られていたというのは、どういうことなのでしょうか?これは、根本的に矛盾した説明ではありませんか。

(西岡昌紀『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』
 (日新報道・1997年)66〜68ページより)
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 さらに重要なことは、先ほども触れたように、戦後、連合軍が押収したドイツ政府の公文書の中に、どう読んでも「ユダヤ人絶滅」とは両立しない命令や決定を明記した文書が、多数、発見されていることです。即ち、ただ「ユダヤ人絶滅」の命令文書がないだけではないのです。「絶滅」とは両立しない決定や命令が為されていた証拠が、押収されたドイツ政府公文書の中に、多数存在しているのです。
 例えば、1942年8月21日のドイツ政府公文書には、総統(ヒトラー)は、ユダヤ人を戦後、ソ連領内に強制移住させることを決めている、という意味の記述があります。「絶滅」ではありません。強制移住なのです。それは、もちろん、不当な差別政策ですが、その上、この文書には、アウシュウィッツをはじめとするポーランド領内の収容所は、そうした戦後のユダヤ人強制移住計画のための準備施設だという意味の記述まであるのです。これが、どうして、「ユダヤ人絶滅」などという計画と両立するのでしょうか?
 他にも、マダガスカルとかロシアなどにユダヤ人を強制移住させることを当時のドイツ政府が計画していたことを示す文書は幾つも発見されており、「定説」側も、ナチスドイツが、少なくともその初期においては、ユダヤ人を「絶滅」させるのではなく、マダガスカルなどに強制移住させる計画であったことは認めているのです。「定説」側は、それが或る時期から「絶滅」に変更されたと主張するのですが、そのような変更が為された証拠は、提示されていません。それどころか、例えば、ドイツ外務省の高官フランツ・ラーデマッヒャー(Franz Rademacher)などは、42年の2月10日に、次のような文書を発表しているのです。「ソ連との戦争は、一方において、最終的解決(Endloesung)のための別の土地を得る可能性を生み出している。その結果、(ヒトラー)総統は、ユダヤ人はマダガスカルにではなく、東方に移住させられるべきであると決定した。マダガスカルは、最早、最終的解決との関係に於いて考慮される必要はない」
(訳:西岡 原文は以下の通り)

Der Krieg gegen die Sowjetunion hat inzwischen die Moeglichkeit gegeben, andere Terrritorien fuer die Entloesung zur Verfuegung zu stellen. Demgemaess hat der Fuehrer entschieden dass die Jueden nicht nach Madagaskar, sondern nach dem Osten abgeschoben werden sollen. Madagaskar braucht mithin nicht mehr fuer die Entloesung vorgesehen zu werden.
(Nurenberg Document NG-3933)

 繰り返して言いますが、このような強制移住計画が、差別に基ずいた不当な政策であったことは明白です。しかし、そうした道徳的判断とは別に、事実の問題として、これは、どう読んでも、ドイツのユダヤ人政策の目標が、言われてきたような「絶滅」ではなく、(ロシアへの)強制移住だったことを示す文書ではないでしょうか?しかも、この文書が書かれた日付け(1942年2月10日)が、前述の「ヴァンゼー会議」があったとされる日付け(同1月20日)の後であることも重要です。もし、その「ヴァンゼー会議」が本当に開かれ、そこで「ユダヤ人絶滅」が討議されていたとしたら、どうして、その会議よりも後に書かれたこの文書に、ユダヤ人の「東方」への強制移住計画が、「最終的解決」を意味するものとして述べられているのでしょうか?
 こうした文書は他にも幾つもあるのですが、「定説」側論者たちは、何故かこういう文書の存在には、殆ど言及しようとしません。そして、ただ自分たちの想像だけで、ドイツが当初抱いたマダガスカルへのユダヤ人強制移住計画は或る時期から「絶滅」に変更された、などと一方的に述べるのです。しかし、例えばこの文書がそうですが、連合軍が戦後、押収したドイツの内部文書には、「マダガスカル」を「東方」(ソ連領内と取れる)に変更したという、ユダヤ人強制移住計画の内容が、具体的に書かれてあるのです。一体どこに、「民族絶滅」が命令された証拠があるというのでしょうか?

(西岡昌紀『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』
 (日新報道・1997年)68〜70ページより)
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%84%E3%80%8C%E3%82%AC%E3%82%B9%E5%AE%A4%E3%80%8D%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F%E2%80%95%E6%9C%AC%E5%BD%93%E3%81%AE%E6%82%B2%E5%8A%87%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%8B-%E8%A5%BF%E5%B2%A1-%E6%98%8C%E7%B4%80/dp/4817403934/ref=cm_cr_pr_product_top

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 また、この年(1942年)の12月28日には、アウシュヴィッツ収容所でのチフス等による死亡者が多いことから、同収容所の死亡率を減らすよう命じた命令が、強制収容所の統括司令部から、アウシュヴィッツの責任者に宛てて出されています。この命令書には、ヒムラーの言葉を引用して、何とこう書かれてあるのです。「死亡率は絶対に低下させなければならない」
 一体これが、「ユダヤ人絶滅」と両立する命令かどうか、考えて頂きたいと思います。こうした命令は、ドイツがユダヤ人を労働力として利用しようとしたから出されたものだと思いますが、こうした命令に符号するように、アウシュヴィッツ=ビルケナウには、「絶滅」されるはずのユダヤ人他の被収容者のための病院もあったのです。一体、ユダヤ人を「絶滅」するための収容所に、何故そのユダヤ人他の被収容者用の病院があったのか、私は、「定説」側の歴史家が納得のいく説明をしているのを読んだことがありません。

(西岡昌紀『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』 (日新報道・1997年)71ページより)
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 さらには、次の事実に注目して頂きたいと思います。戦争中、収容所でユダヤ人に対する虐待が少なからずあったことは事実です。しかし、それと同時に、そうした虐待を理由に、多くのドイツ人が、ドイツ当局によって処罰されているのです。−−ユダヤ人を虐待した、という理由によってです。しかも、その中には、何と、「ユダヤ人虐待」を理由に死刑に処せられたドイツ人すらいたことが、報告されているのです。例えば、ブーヒェンヴァルト収容所の司令官だったコッホというドイツ人は、そうしたユダヤ人への虐待を理由に、当時のドイツ当局によって死刑に処せられています。ドイツのユダヤ人政策の目標が「ユダヤ人絶滅」であったとしたら、一体なぜ、「ユダヤ人虐待」を理由に、ドイツ人が、それも収容所の司令官が、死刑に処せられなければならなかったというのでしょうか?これは、不条理としかいいようのないことです。

(西岡昌紀『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』(日新報道・1997年)71〜72ページより)
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 また、アウシュヴィッツについては、働けないユダヤ人が殺されずに収容されていたことを示す文書も残っています。これは、「働けなくなった者はガス室に送られた」という話とは全然違う現実があったことを意味しますが、先ほどお話しした病院の存在とあいまって、アウシュヴィッツにユダヤ人が収容された目的が、「絶滅」ではなかったことの傍証になっているとは言えないでしょうか?
それから、これはあまり知られていないことですが、アウシュヴィッツに収容された人々の中には、一旦、収容所に入れられた後、ドイツ当局によってそこから出ることを許された者が多数いたことが、ドイツ側の記録から判明しています。
考えてもみて下さい。もし、アウシュヴィッツ(ビルケナウを含む)などが、「極秘の絶滅収容所」だったとしたら、一体ドイツ当局は、そこに収容した人間を再び解放したりしたでしょうか?そんなことをしたら、解放された被収容者が、そこで起きていることをしゃべってしまうのは火を見るより明らかなことです。それなのに、アウシュヴィッツを管理していたドイツ当局は、現にそんなことをしていたのです。
こうした様々の事例は、ドイツが戦争の中でユダヤ人を殺したことは勿論多々あったにせよ、ユダヤ人をただユダヤ人だというだけで「絶滅」しようとしたという「定説」側の教義と両立しないものだと思うのですが、いかがでしょうか?

(西岡昌紀『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』 (日新報道・1997年)72〜73ページより)
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 まだ、あります。これまでお話ししたように、「ガス室」で殺された死体も、「ユダヤ人絶滅」を命じた文書も全く発見されていないのですが、それに加えて、当時のドイツ政府は、何と「ユダヤ人絶滅計画」の予算を計上していないのです。つまり、仮にそんな大計画があったとしたら、当然、大変な額の予算が計上されるはずなのに、それが全く計上されていないのです。そして、これも「定説」側の歴史家自身が認めている事実なのです。一体、これでも、「ユダヤ人絶滅計画」は実在したのでしょうか?

(西岡昌紀『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』(日新報道・1997年)73ページより)
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 しつこいようですが、ドイツが罪のないユダヤ人たちを差別、迫害したことは明らかです。しかし、もしドイツがユダヤ人を「絶滅」しようとまでしたなら、予算を計上せず、そんなことをするなどということが考えられるでしょうか?
「定説」側は、この事実を「ユダヤ人の財産を当てたので、予算は計上されなかった」等と説明していますが、そんな方法でそんな計画が計画、実行できるかどうか、皆さん自身で考えて頂きたいと思います。

(西岡昌紀『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』(日新報道・1997年)73〜74ページより)
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 それから、ポーランドが運営するアウシュヴィッツ博物館は、アウシュヴィッツ収容所の敷地にある博物館で、戦争中ドイツ人が残して行ったアウシュヴィッツ関連の文書や図面を多数、保存していることで知られています。また、ロシアにも、ソ連軍がアウシュヴィッツで押収したドイツ側文書が多数残っていますが、それらの中に、「ガス室」の設計図とか見積もり書といったものは、結論から言うと、一枚も発見されていないのです。
 例えば、アウシュヴィッツ=ビルケナウで今日「ガス室」として公開されている地下室の設計図を見ると、たくさんある図面のどれを見ても、それらの地下室には、「死体安置室(Leichenkeller)という書き込みがあるばかりで、それらの地下室が処刑用ガス室として設計されたことを示す文書はないのです。そのため、「定説」側論者の一人は、「これらの部屋は、当初はただの死体安置室として設計され、後からガス室に転用されたのだ」等と説明しているのですが、そんな証拠は何もありません(後述)。それに、仮にその仮説が正しいとすると、その収容所が建設された当初は、その「ガス室」を作る予定がなかったということになります。つまり、「ガス室」を作る計画がない段階で収容所そのものは建設されていたことになるわけですが、これはおかしくないか。何故なら、二つに分かれたアウシュヴィッツ収容所の内、後から建設された第二アウシュヴィッツ(別名ビルケナウ収容所)の方は、最初から「ユダヤ人絶滅」の目的で作られた、とするのが、「定説」側のこれまでの説明だったからです。それなのに、もし第二アウシュヴィッツ収容所に、建設当初は処刑用ガス室を作る計画自体がなかったというなのなら、この収容所(第二アウシュヴィッツ)が建設された目的が、「ユダヤ人絶滅」ではなかった、ということにもなりかねないわけで、これは、「定説」側がこれまで主張してきたアウシュヴィッツ(ビルケナウ)に関する説明を根本から書き変えるものです。それどころか、問題の「ユダヤ人絶滅計画」の実在にすら疑問が投げかけられかねない話なのです。
 この設計図の問題については、プレサック(Pressac)という反見直し論者の研究に触れる形で後でもう一度触れたいと思います。なお、「定説」側の本の中には、こうした第二アウシュヴィッツの地下室(死体安置室)の設計図や、マイダネックの殺虫用ガス室の図面を処刑用ガス室の図面ででもあるかのように載せている本があります。悪質なトリックですが、日本の歴史家たちは、こういうことに気が付かないのでしょうか?

(西岡昌紀『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』(日新報道・1997年)74〜75ページより)
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 こうした幾つもの事実から導かれる「ユダヤ人絶滅計画」についての私の判断を、ここで言わせて頂きたいと思います。「はじめに」の中で私は、この本の中で「ホロコースト」の「定説」に対してあえて疑問以上のものは提出しないと申し上げています。しかし、こう考えられるのではないか、ということは言っていいのではないかと思うからです。
 ドイツのユダヤ人政策は、もちろん、不当なものでした。しかし、そのドイツといえど、ユダヤ人を「絶滅」することまでは計画していなかったのではないか。私には、そうとしか考えようがないのです。ただし、これは「否定」ではないので、もし「いや、『絶滅』が計画されたのだ」とおっしゃる方があり、その証拠を提示して下さるなら−−証拠が示されれば、です。−−私は、いつでもそれを受け入れます。しかし、私が「定説」側歴史家の主張を詳細に検討したところでは、そんな証拠は提示されていないし、それどころか、反証が多々存在しているのです。
 先ほど(69ページ)引用したドイツ政府文書が示すように、ドイツ政府は、戦争に勝利した後、ユダヤ人を「東方」即ちソ連領内に強制移住させることを計画していました。当時のドイツ政府は、そうした戦後の強制移住計画を「最終的解決(Endloesung)」と呼んでいたのであり、それを「定説」側歴史家たちは、「絶滅」だったと強弁しているのです。もう一度言いますが、それは不当な差別政策です。しかし、「絶滅」ではなかったのです。
 勿論、戦場でユダヤ人の非戦闘員が無差別に処刑されるというようなことはありました。それは「虐殺」と呼ぶべきことですし、特にソ連戦線では、多くのユダヤ系市民がパルチザンなど混同されて銃殺されるということが、「アインザッツグルッペン(Einsatzgruppen)」と呼ばれる特別の部隊によって、現に起きています。また、収容所でユダヤ人に対する虐待があったことも事実です。しかし、全てのユダヤ人をただユダヤ人だというだけでドイツが「絶滅」しようとしたという話には、根拠もなければ裏付けもありません。それどころか、右(上)に述べたような反証がたくさんあるのです。そして、収容所では、後述するように、衛生状態の悪化からチフスなどが発生し、あのアンネ・フランクを含めた、何の罪もないユダヤ人たちが多数、悲惨な死を遂げることになったのです。
これは勿論、悲劇であり、このことにドイツ人が責任を負っていることも明らかです。私たち日本人があの大戦中、日本軍によって苦しめられたアジアの人々のことを忘れてはならないのと同様、ドイツ人には、このことを忘れることは許されません。しかし、事実は神聖なものであり、誰にもイデオロギーや感情を理由に事実を歪める権利はないと、私は思うのです。
 それでは、「ユダヤ人絶滅計画」の有無とは別に、「ガス室」は存在したのでしょうか?そのことについて、次の章で考えてみたいと思います。

(第二章終はり)

(西岡昌紀『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』(日新報道・1997年)76〜77ページより)
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ハティクバさん、御反論は有りませんか?
ハティクバさん、ガザの状況についてはいかがお考えですか?

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