ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

ADHD/LD/アスペ 【養育問題】コミュのADHAのクラスメートの考え方を教えてください。

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
二人の子供ともにADHDの子がクラスにいます。
上の子は家庭環境も複雑なお子さんがクラスメートにいたのですが、転校してしばらくしてADHDのお子さんに目をつけられてしまったみたいです。
そのお子さんについて何の説明も成されていなかったので、うちの娘はその子の授業、学校での態度を頻繁に注意したり言い合いになってしまったそうで、それから激しい罵声を浴びせられるようになってしまったそうです。
この子は私の家に子供たちや親御さんが集まった際に、アンティークの椅子から転げ落ちて謝らないので叱りつけ、誰彼構わず怒鳴りつける私の性格を汲み取ったのか、はたまた私が同類だからかwそれ以後うちの子との間に問題は無くなりました。

当人たち(親御さん含め)だけの問題ではありません。接する周囲が変に気を使うことも、使わないことも問題だろうから困るんです。

今度は下の子がクラスにADHDのお子さんが居ますが、この子は重症です。
子供の少ない地域で、全学年1クラスなので、6年生まで居るわけですね。
早速隣の席になったうちの息子まで落ち着きも聞き分けも無くなりました。1日でw

上の子は海外留学の準備で、今年度から(5年生)で当校はリタイアしますが、下の子、大丈夫か?って心配です。
ADHDのお子さんを「同じように」扱うのは、他の子の学業の邪魔になりませんか?
既に他の保護者さんも愚痴をこぼし出したのですが、すごく難しい問題です。
我が子の学業の邪魔はさせたくありませんが、毛嫌いする様な人間にもなりたくありませんよね。
学校側、先生はどう考えているんでしょうか?
ADHDのことを「かわいそうな子」として周知するでも無く、ルールを守る事に関してはその子を例外的に扱うわけですよね。子供たちにはその矛盾を理解できるのだろうか。
うちの子なんか、完全に共鳴しちゃってるので、多分、先生に叱られるのはうちの子ですよね。そんな理不尽も許せません。
それで、その子には特別教室も無いし、ライン引きも一切保護者への説明も無いし、そんな中で、子供達にどうやって教えて良いものか悩んでいます。

「あの子たちは病気で、普通じゃ無いから〜」で正解なんですか?
「可哀想な子だから〜」ですか?
なんか変ですよね。普通じゃ無いのに、普通の子と同じ様に扱うのって。その子のためにもなるの?訳わかりません。

居なくなれば良いと思っている訳ではありません。ただ、学校側も何の対応も考えてい無い様ですし、他の父母からは陰口も聞きますし、子供にはどう説明したら良いのかも分かりません。

なぜ、病気ならば健康な事一緒なのでしょうか?
病気で無いのなら「ダメな子」で良いのでしょうか?

そもそも私自身、小学校4年以降、教室から外に席を移され、今では考えられ無い「隔離」をされて育った「不良品」です。私は単なる不良品扱いで育ちました。完全な虐待教育ですね。当時はw
なので、他の子の様にいかない子には、愛情や共感を覚えます。

ただ、親御さんは何を考えているのか分かりません。心労や周囲への配慮、配慮不足の他者への悩みをお持ちだと思います。
でも、むしろ助けて欲しいです。
どうやってADHDのお子さんの事を考え、どうやって子供達に説明し、どうやって学校側に対応を求めるべきでしょう。

コメント(66)

>>[026]
なるほど。先生や学校とはすでに渡り合っていて、「どう動かすか」も熟知していらっしゃるんですね。
では、このスレッドではるさんが期待したものは、多様な意見の収集と、そこから導き出されるシミュレーション……といった辺りでしょうか。

でも、やっぱり「認知エラー」を避けるためには学校での子どもたちの様子を目の前で見ている担任の先生と、まずは情報共有することが重要だと思います。
ここでは、はるさんのお子さんに対してみんな想像でしか語れないわけですから、それこそ認知バイアスがかかりまくりです。
>>[27] 私のように考える事が、不快だと捉えた場合、また爽快だと捉えた場合、すでにシュミレートされた反応を示してくれると期待した訳です。
想定していても、こちらも悪意が無い場合には快くは無くとも率直な、この場合、少ない認知資源の中から情動的に、あるいは内発的にどのような態度を示されるのか、これを統計的に確認して判断する事は「進歩的」だと考えています。
直接の対人関係では、私も、私に対して攻撃的な方も、これだけで様々な対人摩擦を発生させてしまう要因となる訳です。
これまでのやりとりが現実の場合、私に共感無いし類似性を強化する方、反私な方と共感したり類似性を強化する方、根本的な問題、原因も無関係に集団間摩擦を作り出す事となります。
それでなくとも親御さんは各々に疑心暗鬼で、他社批判的になりがちだと思います。

ですので、これは現実では無い事、また、互いによく知ら無いし、今後も接触の可能性が少ないと考えられる事から、SNSを介して、痛烈であれ穏やかであれ、歩み寄りの可能性を模索する姿勢を探る事は無駄では無いどころが「とりあえず行動、まずは直接」よりも遥かに慎重に物事を扱う事だと考えています。

私は海外も好きで、今年行く国もテロの脅威が現実的です。そんな際に「とにかく詮索は無意味。まずは行ってみよう」となりませんよね。そういう人、デリケートな場所に何の情報も持たずに行く事を社会的行動とは言わ無いのでは無いのでしょうか。

真意がどうあれ、仮に私が排他的で村八分のターゲットを探すような不快な人物の可能背があると想定して、本当にその手の人物とうまく話をし無くても良いのですか?
そのような人物の価値観、妥協点などを探る事は無意味ですか?

私が博愛主義者で、排他的な集団が発生した場合に、見方をする場合であればどうですか?

私も皆さんの事は知りません。なので、実際のところ、子供を愛している方も、自分の苦労を嘆くのが好きな方も居て、周囲に対して気を使う方、周囲に対して攻撃的な方など、様々なタイプのどれかは不明な状態なわけです。

これはそのまま社会の現実ですよね。ある方は創価学会、ある方はエホバの証人、ある方は自民党、ある方は共産党な背景を持ちながら、何らかのトピックで共同作業を求められる訳ですから。

田舎ではそれどころか「あの家は狐憑きの家だ」とか、未だに若い方でも爺さま達からのパーソナリティを持っていたりするんです。あと、朝鮮系か土着かでも、はっきりとはし無い、しかし確かに存在する差別や集団間関係があります。

不快なもの、嫌いなもの、そんなものを強烈に意識していたら、生きていけ無いでしょ?
みんな、少なくとも私は、皆さんよりも遥かに苦労して大人になりました。親の保護すら受けられずにね。なので、皆さんが苦労してい無いとも、苦しんでいないとも言いませんが、大袈裟すぎませんか?
ほとんどの人は、現実的に考えれば、年を追うごとに弱者排除の環境に向かう訳ですよ。

なので、当事者でありながら、多からず冷静に(私に対しての感情を排除して)対話、対応をされる人が居ることも確認できましたので、誰にとっても不快で、誰にとっても的外れな事を聞いている訳ではないのです。
その逆に、正しい事ですら多数の意見で排除される事物もあるのです。
1つだけ気になるのですが、
はるさんは、ここの意見に対して、
自分の思いに近ければ感謝し、違えば攻撃されますよね?
でも、自分の発言は攻撃的ではないという感覚で、
こちらの意見に対してだけ、そのような選別。
それは違うと思います。
自分はどのような投げ掛けをしたか、
相手を不快にさせていないか、
それは考えられてますか?

話は別ですが、
ADHDや自閉やアスペは、
コミュニケーションスキルが低いために、
トラブルが起きます。
相手の気持ちを考えずに発言することもあります。
しかし、自分は傷つきやすく、そう発言します。
大人でも結構います。
そんなときにグッと我慢している周りがいるんですよ。
そこに気づかせ改善させるのが、支援だと思います。
だから、小学生のうちは、
特性を持った子の支援と、その周りの子のフォローがいるわけです。

教師だから完璧とも言えません。
特性のある方はいます。
勉強を教えることに特化してる場合もあるので。

それが発達障害。見えない障害なんですよ。
>>[28]

正論を並べるだけでは屁理屈に偏りやすいです。
助けてほしいという気持ちがあるなら
どんな対応をしたら手を差し伸べてもらえるのかわかりますか?
私個人はここでのあなたに手を差し伸べたいどころか
本当は口を挟むのもイヤなくらい嫌悪感満載です。
読み手を排除してるのに他の話では排除は良くないとか
意味わかりませーん!
会話が成立しない人とのつきあいは疲れるから時間の無駄にさえ思います。

だけど、新しい風を吹かせたいんでしょ?
なんとかしたいんでしょ?
だったら助けてあげたいと思える人物にならなきゃ。
理解してるとかどうでもいい。
理解してるのならその次のステップが大事なの。
誰にでも他人事じゃないって思ってるようだけど今は必要じゃないよ。
自分のための話しかしてないですよ。
文字だけの世界だから余計に屁理屈まみれに見えてます。
感じちゃってます。
印象を変えること、マストです。
見せかけだけでも角を取る工夫を。
一石二鳥にしてください。
自分にも他人にも利益になる話を。
苦労したら偉いの?
文字だからよけいに感じちゃうのかな。
常に上から物をいわれてる感じ。
そりゃあ苦労するだろうなという表現の仕方。

先にも言いました。
人が感じたことを放置しないで。
だから苦労する部分だってでてくる。
因果応報って言葉があるように。

特性があろうがなかろうが
こうしたらいいんだという改善力は経験でなんとかしましょうよ。
人が嫌だって言ったらどうするのか。
子供にだって気がつけないことは仕方がないから
これは相手が嫌がちことだと覚えようって教えてます。
難しくても人に囲まれて楽しく過ごすために必要なことだから。
自分のために。

もうこのトピは見たくないので
これで最後にさせていただきます。
>>[30]
まるっと同意です。
私もそれが言いたかったです。

フォローにまわっている側の気持ち、
もう少し分かってもらいたいですよね。
結構ないがしろにされるんですよね、そちら側の方が。
だから、障害を理解する前提だけど、
自ら障害を振りかざしてほしくない。
息子にはそのように話したこともありました。

みんな完璧ではない中で、
努力して改善していくんです。
だから、障害も同じことだと思うし、
結果的に自分のためになるし。

小さな事で言えば、気分を表に出す人。
周りはすごく気を使う。
でも、本人は気づかない。
きっと、周りが気を使ってくれて成り立つから。
だけど、嫌われてるでしょうね。

そう思い、自分はどんな時でも、
相手の気持ちを考えて行動し続けたいです。
それが、おもいやりかな!
>>[29] 結局の所、障害なのか?社会が求める発達が無理があるのか、それすらも不明瞭です。害なのか?です。
出発点はそこですが、それに関して個人的な答えは確信しつつあります。
それで、私は攻撃的だと評価されることも多いですが、批判的と理解する方も居ますし、実生活においては殆どの場合、地域では興味を持って人が近づいてくるタイプかもしれません。

色々と小さな事業もしていますので「対話と圧力」は必要不可欠です。
しかし批判的であることと攻撃的であることが混同されているようですが、私は誰にも「あなたの考え方や行動は間違っている」と明言したことはないと思います。
「そう受け取れる、そう感じる」人が多いように感じたとして、そもそもがマイノリティな集団内で、指で数えるほどしか居ない方々からの意見を持って、
「私は攻撃的で、私の言動は避難的だ」
とは思わないということです。
現に実生活で、妻子からも愛され、地域でも定期的に地元の父兄方も集まりを開いて貰えています。とは言え、もう少し配慮のある言動を心がけたいと思う事も、しばしばです。
>>[32]
うーん、意見を聞きたいとのトピだから、
色んな経験談などを書いてきたのですが、
すべてにおいて批判的に返されてるので、批判です。
あー言えばこう、こう言えばあー。。
欲しい答えは何ですか?と。

私に対する返信でも、w←使ってみたり、
勢いよく責め立てる言い方は、攻撃的でした。

建設的ではないのですよ。

障害という言い方は、あえてしました。
ADHDやアスペなどは障害名ですから。
ただ、その個性に関しては、特性だと思います。
ちなみに言葉狩りほど偽善なものはないと思っているので、
『害』を『がい』に言い換えるなどは、どうでもいいです。

ちなみに、自分で自己評価したり、
周りの評価は〜ってアピールする人に、
出来る人を見たことないです(能ある鷹は…)。
人柄や才能のある人って、滲み出るものです。

すいません、淡々と書いてしまいました。
なんか可哀想な言われ方になってきたんで、少し弁解をしますね。
助けて欲しいんだったら、って、誰か私を助けようとしているんですか?
丸っと同意の方も、その丸の方も、別に一度も私の助けとなるような情報は示していませんね。

例えばですが、私の素性がどうあれ、本当に例えの話ですからね。
ADHDの子供を薬が必要とも考えない、それこそ「個性」と考えて育てている方も少なからずなんですね。
みんなに理解を求めるどころか、学校で浮いてしまうのであれば学校に対応を求めるのではなく、マイノリティである我が子を特別に教育する事を人任せにしない。そういう人も居る訳です。
それで薬を飲ませて病気なので気遣ってください、そういう考え方自体が間違っているんだと私が主張したとしますね。

これこそが丸っとさんと、丸さんのやっている事ですね。

私が一度でも、皆さんの考え方は間違っていると言ったでしょうか。
一度でも、そんな考えはおかしいので、考え方や言動を変えなさいなどと言ったでしょうか。

まあ、問題の本筋に向かわせまいと感情的になる方々は、政治でもよく見ますよね。
そんな言い方では聞く耳持たんとか、態度が気に入らないって事なんですかね。

お願いですから
「私はこういう問題だと思っています」
「私の知る限りのADHDに関する知識は」
「私の場合、学校や父兄との関係で、こういう事を気にかけたり、こういう事を心配しました」
そういった意見を聞かせていただけると有難いです。

なので、以降新たにレスされる方は、私の気に入らないところでは無く、自分自身についての提示があると助かります。

こういう奴がいた!こんな勘違い野郎が!そういったトピでも立てて、そちらで好きにやってください。







仕切り直しとします。

どなたか「そうか、周囲も不安に感じるのか、そら当然ですな。誰しも入学期は不安な中、我が子含め素行が目立つ子が気がかりにもなりますな。」「どう向き合って欲しいのかを聞いてるのかな、どう見て欲しいのか」そんな風に受け取る事の出来た方は、ご自分の環境で父兄の中で感じる気持ちや、PTA、保護者会、バザーやらバレーやら打ち上げ会などとの向き合い方、そういう時に、色々気にして参加しないのか、参加してるとして周囲はどう接しているのか、そんな事を伺えればと思っていました。

脱線に次ぐ脱線に、いちいち付き合う私が悪かったのですが、レスを返すのも礼儀と思っておりましたが、今後は気をつけますね。

上記内容に絞らせていただきます。
>>[33]  脳ある鷹ですか。雅春さんの事って事ですかね。それは。

とりあえず、仕切り直してみましたので、興味があればどうぞ。
>>[35]
すみません、私が最初に発言した内容は、実体験です。
あれは、聞きたかった内容のうちに含まれていないのでしょうか?
もう一度読み返されて、ご自分の返答も見られてください。
脱線とのことですが、そもそも意見交換自体が脱線してます。
>>[36] 読み直しました。
ちょっとズレてますね〜
から始まって、
留学だ!って、安直じゃない?
読み直しましたが、始まりから結構飛ばしてますよね?

そうだ、京都へ行こう〜みたいな安直な人、そもそも何処にいるんですか?
そんな感じで家族養って、海外で事業しようとか、移住しようと考える人っています?

意見交換は何処でされましたか?
もしや、現実生活では、上の様な話口調で意見交換というか、会話が成り立つんですか?

ひょっとして脳ある鷹って、いちごみるくさんですか?なぜ隠す?

意見交換しましょうって、私の発言ですか?伺えれば〜ってのは、文字通り、交換の意味を含まないです。
色々と「脳ある鷹の件は雅春さんの発言も含むんですよね」とか、訂正なり何なり求めたいこともあるのですが、
だって、あれは失敗でしょ。私以外の「自己提示タイプ」全体を攻撃する言葉ですから、
それはそれとしてでも構いませんが、相変わらず私の指摘ですよ?
自発するものではないんですよ。あなたのは、反応してるだけ。

なんで、経験を率直に、余計な話はいいので。
それが一番大事だって、仕切り直したわけですよ。

反応示すだけじゃ一辺倒です。

そろそろ爪を見せてはいかがですか?別に痛がりませんから。
爪じゃ無くて、傷なんですかね。であれば確かに私の要求は最低ですね。
>>[37]

4番目
>私は自分もそうですが、この手の子には「特別な教育」「特別な仕事」が必要と考えていますので、むしろうちの子に素質が明らかになった時点で、上の子同様、ホームスクーリングから海外留学、クリエイティブな大人への方針に切り替えるつもりです。

あなたの発言です。
あなたが海外留学とおっしゃったのを、
安直だと言ったのです。
読解力もないようですね。

私が言いたいのは、
『能ある鷹は爪を隠す』と言うように、
本当に才能があり認められている方は、
わざわざこんなところで、
「自分はこんなに周りから認められて、嫁も〜」
とか言いませんってことです。
要するに、はるさんのことです。
『能ある鷹』さんではないですねってこと。

別にこんな言い方で展開するつもりはなかったですが、
そのような空気をつくられたのは、はるさんですよ。
「もう見ません」と言われている方は、
内容というよりも、その発言の仕方に気分を害されてるんです。
自分の納得いかない内容と、納得いく内容では、
返答の仕方も違うし、
今、完全に揚げ足とりをされてるし、
嫌み満載じゃないですか。

仕切り直しは分かりましたが、
結局、なにも雰囲気は変わっていない。

人に求める前に、まず自分を見つめ直してください。
もう来ませんから。
皆様、本日もお疲れ様です。

障がいの有無や障がい児を持つか否かに関係なく、先ずは自分のニーズを把握すること大事と思います。
そして現状の把握や確認をして、どうするかの計画、実行、実行の評価、再計画を繰り返す。

そもそも、コミュニティをどう利用するかも各々の自由と思います。
ネットを時間潰しに使うも建設的に利用するも自由と思ってます。
自由ではあるけどやりとりはマナー遵守が前提でもあると考えてもいい。

笑って使いましょ。
>>[40] これ以上湧いて来なくて良いですよ。いちごみるくさんが落ち着けば、趣旨に添える人だけになるんですから。随分と気になるんですね〜。
そして、トピ主のマナーには沿わないんですね〜。
言ったでしょ、仕切り直し〜云々って....

違うか。

こんにゃくるなさんは「ADHDは障害です」ってコミットメントなさったんですね。
貴重なご意見ありがとうございました。
こんにちは。
こちらのコミュニティは、トピック主さんのマナーに従うルールでしたっけ?
私が見落としてるのかな。

昔から「荒らし」と呼ばれる種類のひとたちは存在しますが、最近はミクシィじゃなくても発達障がい関係のブログでも見かけることがあります。
そのため、私としては難しい文章の方がいらっしゃると警戒心を持つようになりました。
こちらのコミュニティの参加者は、助言したりもらったり愚痴を吐き出したりと。
助け合うことが当たり前のコミュニティカラーがあると思ってます。
以降も、宜しくお願い致します。
>>[41]
コメントありがとうございます。
湧いてるんじゃなくて、コメントの書き込みをさせていただいてます。
「はる」さんって女性かと思っていたのですが男性なんですね。

皆さんは、はるさんのカキコミ内容を理解されているようですが
正直言って私には難解で理解できない部分が多い。

ただ気付いた点を書くと以下のようになる。

偏食についてより分かり易い様にと「お肉を食べられない」と書いた
のですが、宗教とか、動物うんぬんと飛躍した論に持っていく思考
に驚いた。
「良いものは良い。悪いものは悪い」と一般的な切り口で語りウィルス
に展開することも同様。
固体を根底に論が成り立つ内容を、液体、気体、時には凝固も持ち出し
て自分の正当性を強調しているように感じた。

家内とケンカすると言葉では負けてしまう。
何故かって振り返ると、こちらは整合性を失わないように話すが、家内
は、整合性はおかまいなしでポンポンと言葉がでる。それに合わせて話
してしまうとワナに陥る。

はるさんは言質を取って追い込むのを得意としている感もする。

さて、白黒をはっきりさせたい方のようであるが、日本では白黒がオヤ?
という感じで覆ることもある。
他人の土地であることを承知で20年公然と占有した場合、占有した者の
土地になることをご存知ですか?登記している本人が裁判に訴えない限り
その取得時効は止まらない。
また自分の庭に伸びてきた隣の家の木を勝手に切ってはならない。勝手に
切ると罰せられる。
以上のことは、はるさんの思考からするときっと納得いかないことと思い
ます。
【ご自分の環境で父兄の中で感じる気持ちや、PTA、保護者会、バザーやらバレーやら打ち上げ会などとの向き合い方、そういう時に、色々気にして参加しないのか、参加してるとして周囲はどう接しているのか、そんな事を伺えればと思っていました。 】

この疑問にのみ、コメントさせていただきます。
私は、ADHD当事者母、保育士、現在も学校支援に関わっています。

以前子供がいた学校では、発達の偏りによる困り感の高い保護者支援の一貫で、校内にカフェを立ち上げたことがあります。
これは、支援級のない通常級のみの学校で保護者の孤立を避けたいという気持ちや、その当時のPTAや地域に理解しようと思うけど、どうしたらいいの?という声を集約した形の一つです。

この動きに約1年かけました。
校長や教員の先生方、PTA会長や地域の方々、いろんな方々と話をして、その方々の思いを聞き、当事者家族としての思いなどもお伝えし続けてきた結果です。

決してうまくいったことだけではありません。また
困っている子供はADHDや発達障害の子供だけでもありません。

だけど、本当は【どう接したらよいのかわからない不安が大きいのだ】というのはわかるんです。

私自身、子供二人とも発達障害の診断のある子供です。
保護者会では診断名こそ言いませんが、保護者会では必ず通級指導を受けていること、そのことについて何かお子さんから疑問などがあれば、何なりとお知らせください、私に伝えにくければ先生を通していただいて構いませんというアナウンスはしています。
つまり、保護者として可能な限りの対応はしているし、これからもその姿勢は貫きますとの意思表示です。

そして、どの子にもきちんと大人の一人として丁寧に接する、危険行動があったとしても怒鳴ったりすれば発達障害でなくともパニックを起こしてより危険が伴う場合があるからです。

そういう姿をみて、こういう時どう接したらよいのかという事に気づいて頂く事も実際あります。

そういう事を通して、先生によっては
道徳の授業で、発達障害についての絵本の読み聞かせの依頼などがあったりもしました。

いろんな保護者さんがいますし、私にも親としての考えや言い分があるように、他の保護者さんも同じである事を充分に考えながら、丁寧に接し続けて、発達障害でなくとも我が子の困り感を打ち明けてくれたりする方も増えてきました。

自分が正しいかどうかより、
その環境にいる親子、先生方、支援者の方々
それぞれが最善を尽くしているという前提のもと、一緒に考えていきたいのですという姿勢を示していくところに子供も付いてくる。

そういうところに誠実でありたいと思いながらの毎日です。

>>[38] もはやあなたに対して対応を変える気は無いです。
相変わらず反応を示すだけですね〜。
都合の良いところだけ。
お互い様。
関係性は変わりません。
なので、対応も変わらないんです。

試しに、私が求めている「経験を率直に」「感情を込めず」意見をしてみてはどうでしょうか。
>>[43] 正しい意見だと思います。求めているものが違うようですね。愚痴を言い合う人たち、実生活においても関係性を持たない様にしてきたので、思考パターンがずれていましたね。もちろん私がです。
>>[45]  いやいや、他の方にレスしているんですが「正しいことは社会において必ず通るわけでは無い」ということには理解をしていただけると思いますし、自身でも仰っています様に雅春さんの夫婦間同様、政治の世界からmixiのコミュに至るまで、重々承知しています。

私の場合、知りたいこと、快い展開は側面と捉えます。
なので、こちらのトピで展開している「私にとっての整合性の無い」側面も知る必要があるわけです。
雅春さんが私を理解でき無いながらも、理論的に向き合い、ある方が、私への不快感を込めずに私に必要なことを伝える努力をしてくださったこと、それよりも圧倒的にdebateを排除しようとする集団が多いこと、ここまでの展開は、ある意味理論的なんです。統計的とも言えます。

私は集団パーソナリティの強化されてい無い意識であれば、何でも対話可能です。

個人的かつ主観的な認知意識をアルゴリズミカルに確認して、自分の置かれている環境において、どのパターンの人を相手にすることになるのかを知る目的です。

つまり私の認知行動、言葉に、どの様なレスポンスが返ってくるのかは、今の所3パターンから4パターンな訳です。
なので、実生活において、今の所、少なくとも
私の言動→レスポンス→対話可能か不可能か
という方程式に当てはめて、長々と感情に向き合う必要が無くなるわけです。
面と向かっての衝突は、誰にとっても絶対に避け無いといけないですよね。特に感情的に攻撃性を強めていく関係は。

色々言われ放題なこともあったり、不快な気持ちになっているのはこちらも一緒ですが、どれだけの益を不快な事柄から得られるのか。
互いに不快な関係性の中では、どれだけの発見をするか、知的生産性を高めることが出来るかに徹底するだけです。

なので、対話の中で私に不快なレスも返さずに、私も不快なレスを返さない関係性で終わった方がいます。だれかにそそのかされて戻らないことを願いますが、私の対話はシンプルです。
コンピュータートーナメント実験を実践しているまで。
写し鏡な訳です。
>>[46]  本当にありがとうございます。
とても実践的で、率直にコメントをいただけた事に感謝します。

誰かが騒ぎ出したりするまで黙っている方が得策なんです。だって、矢面に立てはどんな事でも避難にさらされるので。今の所、これまでの内容を見られた場合には、それが正解だと理解していただけるかと思います。

勿論、頂いた内容はしっかりと心の引き出しにしまっておいて、必要となった場合に「こんな事をしている方がいらっしゃいますよ」と、提案していけたらと思います。

諸々のやりとりに対して、一旦目をつぶっていただけた事、本当に嬉しく思います。
>>[50]

ありがとうございます。

私のカフェ以外の対応は、おそらく
当事者の保護者さん方、特にこのミクシィのコミュなどで発言されている方々は
普通になさっていることだろうと私は思います。

おそらく、はるさんのお子様の環境において
そういう保護者さんがいないのだとすれば、そういう発信すら、当事者家族には難しい環境なのだという事はあるのかもしれません。
そういう意味では、はるさんのお気持ちもわからなくはありません。
むしろ、特別支援教育について、発達障害について、知らない保護者の当然の反応だろうと思います。

そして、【誰かが騒ぎ出すまでは黙っている方が】という点ですが、
騒ぎ出すということよりも、子供の環境について気にかけていることは学校に伝えてもいいと思うんですね。

例えば、はるさんのお子様が隣の席になったら一日で共鳴してしまってる…という事があるようですが

これについて、支援士の立場でいうと
はるさんのお子様について、【他児に影響されやすい】という一つの課題と影響されても戻って来やすくする対応が必要かもしれないと判断をするところです。

なので、はるさんの保護者としての立場からも
我が子にも支援は必要だという話を学校に提示することもできるのです。
そもそも、どの子も
その子なりの課題は持ち合わせていますので、支援の必要のない子供もいないのです。

そういう中でできるだけ
学業に専念できるようにするのは、学校の仕事の一つです。
もし
ここにadhdという障害だからといって、その子たちのせいだけにするとなれば、それはその子供たちへの人権侵害に値する場合があります。

これは、障害者差別解消法についても
触れられているところですので注意が必要です。
少なくとも、公立の小学校については障害診断を得ている子供たちについて、合理的配慮という対応は義務となっています。
合理的配慮というのは決して
特別扱いではなく、その子にあった支援は生活介助でもあります。

障害によって、何らかの障害診断を持つことは、その環境における、大人や周囲の理解や介助、配慮があって初めて、他のお子さんと同様の生活が何とか成立するのが、障害診断の理由です。

それがない状態であることは、もうあってはならないのがこの4月からの法律です。

そのadhdの診断を得る子供たちにも対応も
理解がなされていないのだとすれば、
そのクラスにおいて影響されて起こしている不適応状態があるのだろうと思います。

これはこの子たちにとっては、大人が普通という環境が、不公平な環境となっているということなんですね。

本当に、我が子の環境を大事にしたいということでしたら、どうか、そういう観点から
学校とよりよく相談していただけたら幸いです。




>>[51]  うちの子の事についても、学校側、先生に支援を求める、これは当たり前の事なんですね。必要性、合理性など、とても良く理解できました。
現状(影響を強烈に受けているように思える状態)が維持される、または重症化するような状態が6ヶ月以上続いた場合、というガイドラインもありますので、しばらくは観察を続け、必要を感じた場合、改めて先生にも相談を持ちかける方が良い様に思えます。

ご存知でしたら教えて欲しいのですが、支援を求める場合に客観的事実として、子供が影響を受けている、受けやすいと説明する必要が出てくると思います。何らかの措置を考えてくれるとして、学校側は医師の診断などを必要とする様に思えますが、そうであれば気になり出した時点で診断を受ける事が良いのでしょうか。もしくは、やはりしばらく様子を見ている方が良いのでしょうか。
>>[52]

半年というガイドラインというのは、診断のガイドラインということでしょうか。
学校での支援そのものは日々動いていますので、学級が混乱していても何もしない、そのままで授業を展開するという事態はありえないのですが、
先生方ははるさんの見ているその状態を、本当はどう思われているのでしょう?

そこは聞いてみてもいい話だと思いますよ。

何らかの診断についていえば

学校側から相談の働きかけはあっても、医療機関で診断をと、保護者に求めることはむやみにはすることはないと思います。
それをすることがあるとしたら、相手が怪我をするような事態が頻繁に起こる時かもしれませんが。

もし、それ以外で
あるとすれば、すでに医療機関にかかっていて
アドバイスがあればお願いしたいということになります。

まず、はるさんのお子様についてそのクラスでの
状態の改善を、半年も待てますか?

待つことはとても大切です。
でも、そのまま学校が何の対応もなく(ということはないと思いたいですが)半年も同じ状態を保つことも不可能だと思いますし、大概はどんどんひどくなっていく可能性の方が高いとも思います。
お子さんご自身のそのクラスでの生きづらさがあるとするなら、そこまで黙ってみているということは難しいと思います。

現状として、私が気にかけることがあるとすれば、はるさんのお子さんはちゃんと授業を受けていられる状態なのかということです。

診断のガイドラインの半年のことを言われているのだとすれば、それは現状だけのことではなく、他の生活場面における行動などで、何らかの発達特性が見えているかどうかというのも判断基準になります。

診断があったところで、診断名だけでアプローチを考えることはないです。
あくまでも、その子の発達特性や実際の状態を考えて
対応します。


対応に本当に必要なのは発達の状態の把握です。

もし私の子どもが、他の子どもと一緒に不適応な行動が見えていたら、診断より発達検査をお願いしに医療機関に行くかもしれません。

そこに明らかに生きづらさの可能性があると思われるなら、診断もあるのかもしれません。

実際に私は、第二子では学校から学習の困難さを指摘される前からその可能性を感じて、読み書きの検査もしました。その検査を受けていると知った担任は、実はどう指導したらよいかわからなかった…と吐露されたこともあります。

ひょっとしたら、はるさんが我が子の様子をもう少し知りたいので教えてくださいと担任の先生にご相談すれば、先生なりの困り感も見えてくるのかもしれません。

大事なのは、先生も家庭も、そういう【打ち明けるきっかけ】をそれとなく作っていくことなのかもしれませんね。


今日は休みなので少し長い文章を書きます。

昔と今ではADHDについての認識が違っているかと思いますが、息子の成長過程を
書くこで、このトピの趣旨と反れますが、ADHDって何?のヒントになれば嬉しい
です。
そしてADHD児への対応について僅かでも認識が深まればと思います。

平成元年生まれの息子は、三歳半まで言葉がなく、ムニャムニャと意味不明の言葉を
発する子供でした。
当然1歳半の検診でひっかかり、子供と係わりを多く持つよう指導されました。
当時の我が子への認識は自閉症です(目が合わない、逃亡癖、言葉がなく無表情)。

当然言葉以外に、よく転ぶ、ジャンプができない等、運動面で相当の遅れがありました。
児童相談所の職員さん、子供精神専門の医師の助言を受けて運動能力の向上に努めました。
すべては遊びなんですが、抱えてグルグル廻すと無表情の息子がちょっと笑うので毎日。
布団何枚も重ねて押入れからのジャンプも・・・。
平衡感覚を高めるためにお馬さん、ブロックの上を支えながら歩かせたり、目の動き
手指(摘む、引張る)風船たたき、ボール転がし、積み木遊び。
全身運動によいプールにも行きました。

皆さんは、お子さんが最初に発した言葉を覚えていますか?。
私は覚えていますよ。待ちに待った最初の言葉は「ガコ、ガコ」です。スーパーでタコ
を指差し「ガコ、ガコ」と言ったのです。三歳半の時でした。
運動能力向上と知能相関があると確信したのは、この時です。

小学校入学前の知能テストは75で、足し算、引き算は出来ても文章問題は無理だろう
と言われました。
入学式では前の子の頭をツンツンしてちょっかいを出し、前の子は、その都度何度も
ニラミ返し、その様子は今も忘れません。

特殊学級に通級、昼食も特殊学級。繰上げ算は1円玉、10円玉を使い2年程かかり覚え
ました。
登校時に押すなどの危険行為をするとの父兄からのクレームで登下校は家内が付き添う
ことになりました。教室でもいろいろやらかしていたんだろうと想像がつきます。
家内が迎えに行った時、息子を「普通に見えてもアノコおかしんだよ」と話している
女の子の集団がいたというエピソートがありました。

そして小3の時、小児リハビリで当時有名な二上医師に見てもらうチャンスを得ました。
伊豆逓信病院に5日入院し診断を仰いだ訳ですが、その時に「ADHD」となったの
です。
示された資料に興味深いものがありました。それはリタリンを服用しない時と服用した
時の知能テストの点数。服用しない時78でボーダー。服用した時105。
LD他の話はありませんでした。
多動傾向は個人差がありますが、徐々に収まるという話でした。
リタリンは副作用が強いので服用しませんでしたが、高学年になるに従い落ち着き
ました。友達も増え「〇〇は、おかしかったけど普通になった」と友達が息子に話し
息子は「オレは小さいころラリッていた」という認識です。
また不思議なことに低学年の記憶があまりないと息子は言います。

文章問題ができないとされた息子は、高校で数検準2級合格、理系大学に進みました。
忘れ物が多い、コミュニケーションに問題等ありますが、立体的に想像する能力
(三次元空間)は高いみたいです。設計の中でも加工図面作成は得意のようです。

発達遅滞、自閉症、訓練施設に入れた方がいいと言われた時期。今日の息子の姿は
全く想像できませんでした。
プールに通っていた為、4種泳げます。またスキーにも行ってた為スキーも得意。
大学で音楽クラブだったのでバリトン、ギターOKです。年少の姿で、そのまんま
に成長する訳ではないのです。小さいころの知能テスト75のデータは、将来の
予測を示さなかった。

ADHDは、家ではささいな事でも褒めてあげる。比較しないことが大切。
健常児にはない優れた面が後で分かります。
歴史に名を成した偉人は聖徳太子を除いて、大きくなるまでおねしょや、わんぱく
等よい子でない子が多い。
周りにいっぱい迷惑かけながら見守ってくれた環境があったし今もあるでしょう。

ところでADHDの及ぼす他者への精神的負担は、ストレスを定量化することで
具体的に示せる。しかし個体差が大きい人間での定量化は難しい。
多くの場合、精神的負担を普段と違った現象を以って具体的に本人が示さないと
受け入れられない。
保護者が代理として行うことは可能だが、一方で「権利の濫用」にならないよう
気を付けなければならない。
>>[54] 「うちの子について困っていることは無いか、気になることは無いか」と、先生に聞く姿勢、とても大事なことだと理解しました。
授業参観が近いので、先生との関係作りを意識して行動してみようと思います。

私自身の経験や記憶を辿ると、アカデミックな雰囲気が出てきたのは4年生。そして、私の行動や落ち着きなく常に周囲にちょっかいを出してることを、先生方が問題視し始めたのも4年生からでした。私への対応は「教室外に席を置く」でしたw
5~6年になると、事ある毎(給食のイタダキマスを言う際に席についていないとか)に授業への参加を止められたり、矯正施設へ送ると脅され続けました。

そんな事を考えてみると、正直なところ上級生までは学校側が違和感を覚えないってことも考えられます。
難しいのは、ADHD(落ち着きのなさ、多動両方とも)はそれ自体が「子供らしさ」とも思えるからなんです。なので医学的なガイドラインとして「6ヶ月以上、多動や不注意が確認される、ないし症状が重症化する」場合に、初めて個性でも子供らしさでも無いとなるんですよね。

幸いにも入学以来、多くの子供達がうちに入り浸っています。今のところの見方として、周囲と協調できている、あるいはマイノリティでは無いという、危機感を募らせることのない認知資源を多く確認しています。

なので今の所、ADHDのお子さんとの関係については、衝突してしまったり、接し方、そのお子さんの権利について、うちの子の認識や対応に問題は起きてい無いかという事にフォーカスして、うちの子に関しては、友達が多いということで協調性に問題は無いと考えます。

細かく解りやすい説明をありがとうございました。いまいち理解してい無いようにも感じられるかと思われますが、とても参考になる視点として、ご意見や知識を有り難く感じつつ、消化吸収して実生活に活かしたいと思います。

その後の経過についても、何か変化が生じた場合、経過についての理解に、違う視点からご意見を頂きたい場合、コメントをさせていただこうと思います。
その際には対応可能な範囲内で、接していただけたらと思います。

>>[56] 子供らしい姿、それは私もそう思いますし、殆どの支援者はそこに異論はないかと思います。

ただ、医学的なガイドラインは、一応の基準ではあるけれど、実際は障害視するというラインではなく、社会資源を活用しやすくするため、子供の尊厳を守るためのの申請基準に過ぎないという理解で医療機関始め社会的資源は進んでいます。

つまり、診断によって、子供の最善の利益が守られないなど(特に虐待もですが)医師が判断すれば、保護者から診断名をよほど聞かれない限りは診断名をつけないというケースすらあるんですね。
逆に、診断名がなくとも親の理解もあって、継続した通院が見込まれる場合、支援がそこそこ受けられてる場合も同じことがあります。
これはうちもそうで、息子の診断は、【通所申請を出したいので、診断名がつかないなら行政向けに意見書をください】と言ったら
じゃあ診断書書くね〜と出てきた診断名でした。(^^;;


そういうことで、精神医療については
医療のガイドラインより、実生活の総合的判断も加わる診断であって、障害者福祉においても教育においても、診断名は付かないけれど、発達検査や医療的側面からも支援は必要と判断されれば、申請できる制度は増えています。

これは
障害診断は生きづらさを示す基準であって、障害診断がある子もない子も、支援の必要な個性という伝え方をしているのが大半です。

はるさんのお子様が、まずは
楽しく過ごされているようで安心いたしました。
教えていただいてありがとうございます。
>>[55] ADHDの子供を取り巻く環境、その取り巻きに含まれたように感じながら、尚且つ、我が子にもその傾向を感じる事、私自身がそうであったのかという、複合型の捉え方をしてきました。

[56]でhinaさんにもお伝えしましたが、我が子も当然の事ながら、周囲のお子さんの権利については一層考慮を続け、子供にもはっきりとしたガイドラインを示たらと思いました。


昔話になります。
私は小学4年生から学校社会において、地域においても取り払われるべき腐った果実でした。
4年生は教室の外に席を置かれ、5年生からは給食の「いただきます」の際に席につけていない事、周りの友達にちょっかいを出しまくる事、事あるごとに体罰を受け、空き教室に閉じ込められては「矯正施設に送る」と脅され続けました。
当時のクラスメートにも「なぜ教室に入れないのか」と先生に抗議してくれる子まで居ましたが、その当時、私の学校では魔女狩りのように、どのクラスでも似た性質の子供たちが同様の教育を受けました。
中学生になると「不良」というカテゴリーで存在が許されるようになり、私含め10名程度の私服、盗んだバイクや車で通学、県内でも札付きの不良グループに発展(脱落か)しました。
面白いのは、当時、私の中学の仲間の殆どが、前述の教育を受けた子達だったんですね。
私はそんな中で、音楽室を占拠してドラムやギターに興じ、全く授業を受けないのに、国語、数学、英語に関してのみ「テストだけ」成績がトップクラスでした。なので数学の教師は私の事を憎んでまでいたようです。
中学2年の頃には、設計士だった父がバブル崩壊の煽りを受けて人格崩壊、暴力に歯止めがかからず、母の命の危険も出るようになり、連日パトカーが複数台で家に来る始末。
母と私、姉は夜逃げ同然に家を出て、母自体も身寄りが無かった為に、1個いくらのマージンなのかと言うパンを手売りで売り歩く仕事、ぼっとん長屋で私たちを養いました。
そんな訳で、苦学生は耐えられそうも無かった為に高校進学は断念、美人で秀才の姉は大学を中退してホステスになって家族の生計を支えました。絵に描いたような貧乏ぶりですね。
私は当時流行の親父狩りや恐喝、チームを結成して××団へのみかじめ料からキックバックを受けたりと更に墜落して行き、20代の前半、結婚するまでは矯正施設、××団、××密売組織と転々としました。

転機となったのは、××の密売でロックフェスに出入りしていた際に、空間演出、舞台芸術に関わるようになった事。ここで、イギリスでアーティストとして活躍された教育学博士に拾われ、弟子入りを志願することで、ようやく人並みにアカデミックな教育を受ける事ができました。
まあ、仕事(フェスカルチャーに関する諸々)のノルマは半端ありませんでしたが、そのお陰でそれまで単なるセンスだったものがロジカルな技術に変わり、今日、アートや工芸、時に情報デザインに関する仕事まで貰えるようになり、妻子とマイホーム(田舎です)、小さなお店まで持てるようになった訳です。

何を言いたいのか。
雅春さんも言う様に、周囲の環境如何で、親の能力如何で、子供の成長方向は大きく左右されるということです。
私の親は、恥ずかしながら夫婦関係、家族も安定させることが出来ず、結果として私の人生は随分と遠回りすることになりました。
その上、周囲の理解も無かった不運の重なりで「本物の社会の底辺」になってしまう訳です。
これは健常児でも同じですが、適切な教育と周囲の理解があれば、子供は最大限に能力を発揮できると思っています。

ですので雅春さんのお子さんが社会的に活躍なさっていることは、雅春さんの能力、親の能力でもあると推し量るのです。
理解力、忍耐力、きっとバランスのとれた人格なのではと想像します。そうであって欲しい。
それは私自身が「理想の父親像」として、受けられなかった分、強化され美化された、目標でもあります。
私はもう既に35歳ですので、社会的にこれ以上の伸びしろは期待していません。勿論、夢はもっと大きかったのですが、出だしと過程から見れば、安定した家庭を作り、守れるだけでも十分だと思っているのです。

私の場合は環境によってのハンディスタートだったので、子供には絶対にそんな思いをさせる訳にはいきません。全力で打ち込む価値のある事ですので、我が子の教育、子供の理解に励みたいと思います。





PS
文中お見苦しい表記については、私の保身ではなく、他社の名誉に関するものとご理解ください。また、苦労した姉は現在、ライオンズマンションの最上階で、二人の子宝に恵まれて幸せに暮らしています。旦那さんは恵比寿ガーデンプレイスのオフィスに勤める、チャラっとした今風の方ですが、苦労した姉には相応の生活だと思います。
生まれた時から順風満帆の人生。個人的には羨ましく思わない。

苦難の粒が、後に花開くのは古今東西の真理です。
世の常として、努力し苦労した人には不思議と運がつく。

宇宙規模で見たら人の人生一瞬の光。その光がいっそう輝くか
どうかはその人に委ねられている。

私は63歳。60歳過ぎてから資格に挑戦し昨年は宅建とりました。
これで国家資格は5つ目です。
35歳は、まだまだこれから。
生きてる間は、誰にでも可能性はあるのです。
大きな夢があることはいいことです。
雅春さんの息子さんの話し興味深く読みました。下も3歳児検診の時に自閉症の指摘を受けた事があります。でもどっちかって言うと上の方が自閉的傾向が強まったから。その上と全く違うから思わず笑い飛ばしてしまいましたが。下を自閉症とも思いませんでしたがADHDとも思えませんでした。確かに小さい時は多動が酷い子だったけど。小学生の頃にはそれも収まっていたし。こいつは何ものなのか親の私も把握しかねていたのです。
それは今も変わりません。小さい時はADHD的傾向が強い子でも大人になっても学力が上がらなければADHDとは呼ばれず単なる知的障害と言われます。その差って何だろう。親である私も判らずにいます。
>>[60]
子供の成長は千差万別なので、家の息子の話は特異な例なのかもしれません。
ただ、運動能力を高めることを連日、年単位で継続していなかったとしたら
今の息子の姿があるのかとも考えてしまいます。

走り回るから運動能力があると思う人がいますが、健常児の足の運びと障害児の
それは違うと私は感じました。
豊かな土壌は大きな果実を実らせます。幼児期の運動能力向上は、豊かな土壌を
育むことへのステップと捉えるに至っております。

子供が興味を持って集中できるものがあれば、それに応えてあげましょう。
息子は機関車トーマスが好きでした。次にウルトラマンと多くの怪獣。
それらの絵本やおもちゃを買って、これなーにと聞いてきたものには応え
ました。
怪獣の名はカタカナで書かれており、最初に覚えた文字はカタカナでした。

ブランコに乗って、その揺れを目をつぶって楽しむ様子がありました。
田舎のブランコで何時間も揺らしてあげたこともありました。

鉛筆でぐにゃぐにゃな絵を描いていましたが、その内に円を書けるようになり
ました。円に口、目が入りカエルの絵になりました。それからしばらくして
「ガコ、ガコ」と言えるようになったのです。

言葉の教室ではハサミを使って折り紙を切るのが好きだったようです。
指導して下さった先生からは、〇〇君が一番成長しましたよと褒めて頂きました。

小学校では、聞くのが苦手な子でしたので絵や文字で伝えることも多かった。

水道式という教え方の教室に通い、算数を勉強しました。文章問題は無理と
言われた子ですが文章問題も解けるようになりました。

こいつはなにものなのかと想う前に、どうしてそういう行動をとるのか
話すのか、原因を考えて接しましょう。
よい対応なんで最初から皆無です。全ては試行錯誤。
怒らず、焦らず、余裕を持って、自分が疲れたら何にもならないので自分の
リフレッシュも忘れずに・・・。
トピ主様。トピ主様が誰を対象としてアドバイスを求めているのか、お聞かせいただいてもいいですか?

ADHDの子供をお持ちの保護者

または、ADHDの子供が自分のクラスにいて、お困りの保護者

長文は不要ですので、どちらにアドバイスを求めてトピ立てをしたのか、お聞かせください。
>>[62]
トピ主のはるさん、チェックされていない可能性がありますよ。書き込みも10日前でストップしていますから。
はるさんはアドバイスや答えは求めていないそうです。
他の方の経験を色々聴くことで、ケーススタディをして実際のクラスメイトさんやその子の親御さんに接する時のリスクを減らしたいらしいですよ。
抽象的な長文が難解で、はるさん自身の主張をぼやかしてしまっていますが……。

だんだんフリートークのトピになってきましたね。

ログインすると、残り30件のコメントが見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

ADHD/LD/アスペ 【養育問題】 更新情報

ADHD/LD/アスペ 【養育問題】のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング