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ピアノのせんせいコミュの『音大崩壊』(大内孝夫著:YAMAHA)読書の感想

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『音大崩壊』(大内孝夫著:YAMAHA)を読んでみました。全体として、とりあげている話題が興味深いことは確かなので、音大というものに関心がある人ならば、まあまあ面白く読める本ではないでしょうか。だが、この本の著者の大内孝夫と言う人は、根拠が怪しい主張を平気でやってしまう癖がある人です。このことは、『ピアノを習っていますは武器になる』という別の本でも散々見せつけられたという気がします。いくつか気が付いたポイントを6つほど指摘してみます。

(1)第1章では、近年音大受験生がどのように減ってきたかについて現状を分析しています。日本の大学の音楽関係学科の学生数は、2000年から2019年までの20年間で7506人減少しているとのことです。その内訳は、男子学生は482人の増加であるのに対して、女子学生は7988人の減少らしい。つまり、音大生の減少とは、女子の音大生の減少だったのです(P21)。男子学生数は微増しているのに、なぜこうまで女子の音大生が減少したのか。つまり、なぜ女子の大学進学者は、進学先に音大を選択しなくなったのか、そこが問題です。

その理由は、大学を卒業して結婚して共稼ぎをし、夫とともに家計を支えるという生活設計をすることが、現代の結婚生活の設計のスタンダードとなっていることと関係がありそうです。となると、大学を卒業してから企業等に就職して確実に稼いでいくためには、音大は選択しにくいようです。このことが、音大の女子学生だけが極端に減少している背景にあるようです。

(2)本書のP90に、「音大の7不思議」という節があります。ここに挙げられている項目の5番目に、「音大ではなぜ指導法についての授業や研究が少ないのか」という問題が提起されています。この問題提起には共感いたします。音大卒業生のうち、卒業後、演奏家として食べて行ける人はほとんどいないのが現状であることは、皆さんの共通認識でしょう。その多くは、音楽教室の教師などになる。となれば、音楽大学で開講される講座に、指導法についての授業や研究がもっとあってしかるべきなのではないかというのです。この主張には共感します。

(3)著者は、「(これからは)音楽教育が果たす役割はきわめて重要になっていくはずですし、もしそうならなければ、日本はこのまま没落し続けておそれがあります」と述べています(P98)。本の著者が自身の本の中で、自分の見解や主張を述べること自体は、もちろん普通のことであるが、この本の著者は、そういう自分の見解や主張を述べる場合の根拠の説明がとても薄いと感じざるを得ません。私の考えでは、国民の教育という観点から日本の没落を救う手段があるとすれば、それは音楽教育ではなく、むしろ国語教育のほうだという気がします。私がそう考える根拠は、私が以前に読んだ藤原正彦氏の『国家の品格』(新潮新書)という本にあります。藤原正彦氏は、子どもの勉強は、高校生ぐらいまでは1にも2にもまず国語だと盛んに力説しています。私は、藤原氏の主張のほうに与(くみ)します。

(4)上の(3)で指摘したことと似たような根拠薄弱を感じさせるパターンになるのですが、著者は「芸術にはイノベーションを生み出す活力がある」という主張をしています(P110)。この主張にはどのような根拠があるのか、疑問を感じました。イノベーションということで私が思いだすのは、谷本真由美氏の『世界のニュースを日本人は何も知らない』(ワニブックスPLUS新書)という本です。この本の中で谷本氏は、「激変している世界で日本の経済力を維持したいのなら、多様な人を受け入れて創造性を高めるために移民を受け入れるべきだ」としています(P105)。その根拠として、同じ人種で構成されたグループと、多人種で構成されたグループに同じビジネス上の課題を与え、解決策を比較するという学者の研究結果を紹介している。この研究結果によれば、人種的に多様なグループのほうが創造的であり、画期的な解決策を生み出したと結論づけています。

(5)次も根拠薄弱を感じさせるパターンを指摘しておきます。著者は「とりわけ音楽には「世界の共通語」としての威力があります」と主張しています(P140)。哲学的に考えると、この短い主張のセンテンスの中にも、突っ込みどころが満載という感があります。すぐ次のページでも「『世界の共通語』を学ぶことで、世界とのコミュニケーションツールを手にすることの意義は大きいはずです」と述べています。そもそも音楽はコミュニケーションツールなのでしょうか。私は、むしろ音楽は娯楽だと思うのです。ただし、どこの国においても、どんな民族にとっても、音楽は娯楽になりうる。だから、音楽の娯楽としての性質には普遍性があるように感じられる。しかしこれは、「音楽が普遍性のあるコミュニケーションツールである」ということとは別なのではないでしょうか。

(6)最後に、著者がいたるところで根拠薄弱な主張をしていることで、読者にいら立ちを起こさせる最たる例を紹介しましょう。日本の経済的地位低下を補完するものは何かと問題提起する文脈の中で、「それが(日本が)文化国家として成長することで、たとえば音楽や美術の分野でアピールし、世界の中での発言力を高めることです」と述べています(P226)。著者は、音大で音楽教育することが盛んになれば、日本が文化国家として成長し、世界の中での発言力を高めることにつながる、と言いたいようです。ここまで根拠をすっぽらかして論理ばかりが飛躍しては、もはや手が付けられないという感じを受けます。

私は、日本の文化国家としての発展や国際社会での発言力の増強のシナリオを描きたいのであれば、音大で音楽教育を盛んにすることよりも、むしろ映画産業をもっと復興させるほうが手っ取り早いような気がするのです。つまり、世界中の人が心から楽しめる映画がこの日本からもっともっと制作されることが、日本を文化国家にしていくような気がします。ところが、そこで気になるのが日本の俳優陣の層の薄さです。『万引き家族』で有名になった是枝監督が、外国の俳優を起用して映画を作りたがるのも、日本の俳優陣が物足りないからだろうと推察します(もちろん是枝さんはそのようにあからさまには言いませんが)。音大が衰退するのはもう時代の必然なのだから、そこはある程度音大に任せ、優秀な俳優養成学校でも作るほうが即効性があるのではないかという気がしました。

コメント(3)

上のご紹介した『音大崩壊』という本を読んで、車田和寿というドイツ在住の声楽家の方が、ご自身の見解を動画にまとめて発表されています。独自の視点が色濃く出ていて、大変興味深い内容となっています。ぜひご覧ください。

https://www.youtube.com/watch?v=Iv6mwHOo0h0


車田和寿さんの上の動画の続編です。大内孝夫さんの『音大崩壊』で扱っているテーマからはある程度離れてしまう感はありますが、これはこれで興味深いです。世間には、音大志望の若者をつかまえて、「音大を出ても食っていけない」という「忠告」をする人が少なからずいますが、車田和寿さんに言わせると、「大きなお世話」とのことです。大学のその学部学科を出ても、その職業では食べていけない人は大勢いるというのです。その例として、「大学の哲学科を出ても、哲学者として食っていけるというわけではない」、「文学科を出ても、作家として食っていけるわけではない」としています。なるほど、そう言われてみればたしかにその通りですね。

https://www.youtube.com/watch?v=1dRJprr0D_U


車田和寿さんの上の動画の続編です。大内孝夫さんの『音大崩壊』で扱っているテーマの続編として、特に小学校、中学校の音楽の授業がつまらない、という問題点について見解を述べています。車田さんによれば、小学校、中学校の音楽の教師は、児童生徒の成績を5段階でつける義務がある。このため、「音楽の試験」というものが観念される。その試験の題材として「問題を作成しうること」、「その問題には公平な正解というものがあり得ること」が求められている。そういった「試験問題」のイメージから逆算して音楽の教科書が作られている。これが音楽の授業がつまらない原因であるとしています。では、音楽の授業を楽しくするにはどうすればいいか、いろいろ提案されています。

https://www.youtube.com/watch?v=vwxskX9PCLI


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