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ピアノのせんせいコミュの『「ピアノ習ってます」は武器になる』(大内孝夫著:音楽の友社)の感想

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少し以前に久しぶりに月刊誌の『音楽の友』を購入したとき、その中の広告でこの本のことを知り、読んでみようと思いました。一通り読んでみて、ざっくり感想を申し上げると、この本の著者の大内氏は、ピアノ学習の教育的効果をあまりに過大に見積もりすぎていると感じました。おそらく「ピアノを習う生徒さん」というピアノ教室というビジネスにとっての顧客層をとにかく増やしたい、厚くしたい、マーケットを拡大したい、そういう一心でこの本を書いていると思われます。

だが、私は、「教育的効果を期待して(子どもに)ピアノを習わせる」という動機自体に、音楽へアプローチする根源的動機として不純なものが混じっているような気がしてなりません。音楽へアプローチする根源的動機は、単にあこがれるとか、なんとなく惹かれるとか、魅力を感じるとか、そういう言葉になりにくい感情自体が本来の動機になるのではないでしょうか。

「教育的効果を期待してピアノを習わせる」という動機から始まると、「なんだ、期待したほどの教育効果は無いじゃないか!」と失望する父兄や子どもが少なからず発生する予感がします。つまり、この本のタイトルに習って言うと、そもそも「武器が欲しくてピアノを習うのか?」ということです。もしその学習者になんらかの武器が欲しいのなら、もっと単刀直入に、どういう戦いで使える武器が欲しいのか、その目的に即した武器を調達するにはどうすればいいのか、そういうところから出発すべきではないでしょうか。

本書を通読して一番気になった部分を一つ指摘しておきます。本書の第4章「ピアノは”生きる力”を生む」のところで、「経営学の父」といわれるドラッカーが「マネジメント」という本で提唱している「真摯さ」という概念が紹介されています。私が読んで理解した範囲では、著者の大内氏によると、ピアノ学習は真摯さを涵養する、真摯さが涵養されると、メタ非認知能力が養成され、これに起因して自己管理能力が養成される、自己管理能力が養成されると、ノルマを達成する意志の強さが養成される、というのです。さらに、メタ非認知能力が養成されると、曲全体を俯瞰する視野が養成される、ということも主張しているように読めるのです(P70〜76あたり)。

このあたりの因果関係の正当性は非常に胡散臭いというのが私の印象です。そもそも、「ピアノ学習は(ドラッカーが言う)真摯さを涵養する」という命題が真かどうか疑わしいです。なぜかというと、ドラッカーは、その著書『マネジメント(エッセンシャル版)』で、「真摯さ」について、次のように語っているのです。

 『マネージャーの仕事は、体系的な分析の対象となる。マネージャーにできなければならないことは、そのほとんどが教わらなくとも学ぶことができる。しかし、学ぶことができない資質、後天的に獲得することのできない資質、始めから身につけていなければならない資質が、一つだけある。才能ではない。真摯さである』(P130)

もしこのドラッカーの言っていることが正しいのなら、なぜピアノ学習で真摯さが身に付くのでしょうか。ドラッカーは、「真摯さ」は、「学ぶことができない資質、後天的に獲得することのできない資質、始めから身につけていなければならない資質である」とはっきり明言しているのです。

著者の大内氏が、ピアノ教育に実績があるか、もしくは教育心理学や発達心理学、その関連学問分野に学問的なバックグラウンドがあるなら、大内氏の主張をもう少し細かく調べてみてもいいかもしれませんが、大内氏は、慶應義塾大学経済学部卒業後、銀行に入って融資ビジネスなどをやってきた人のようです。ピアノ教育にも教育心理学にも発達心理学にもバックグラウンドはお持ちでないといっていいでしょう。それどころか、ご自身は「中学2年から高校2年の4年間くらいしかピアノを弾いていません(しかも独学)が、…」と述べているのです(P129)。素人の独断と偏見のオンパレードといってもそれほど的外れではないのでは、という印象です。この本を読まれた方、いらっしゃったら感想を伺いたいです。

【目次】

Part1 ピアノを習うメリット

第1章 習わなければ大損!すでに進学校は音楽を重視

第2章 「ピアノは脳にいい」は本当か?

第3章 ピアノは子どもの「非認知能力」を鍛える

第4章 ピアノは”生きる力”を育む

Part2 ピアノを人生に活かすために

第5章 子どもに合った教室の探し方

第6章 電子ピアノやオンラインレッスンでもいいですか?

第7章 人生はピアノとともに!

第8章 ピアノを習う上で気を付けること

おわりに

【著者紹介】

1960年6月5日東京都生まれ。東京都立国立高等学校、慶應義塾大学経済学部卒業後、富士銀行(現みずほ銀行)入行。証券部次長、仙台営業部副部長、いわき支店長などを歴任後、退職。現在、武蔵野音楽大学就職課主任兼会計学講師。公益法人日本証券アナリスト協会検定会員。宅地建物取引主任者(資格取得)。趣味は中学時代より独学で数年学び最近再開したピアノ。オフタイムはショパンの楽譜と格闘中。著作に『金融証券用語辞典』(銀行研修社、共同執筆人)『いわき礼賛~いわきの人が知らない、気付かない、「いわき」のあれこれ~』(いわき民報社)がある。

コメント(7)

以前に私は、江口寿子さんが著した『ひとりでピアノが弾けた』という本をこのコミュニティのトピックでご紹介しました。それは「学習者の自立」というタイトルのトピックに残っています(下記アドレス)。

https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=138877&id=9614098

『「ピアノ習ってます」は武器になる』のような商売根性丸出しの胡散臭い本を読むひまがあれば、この『ひとりでピアノが弾けた』という本を読み返すほうがよほどためになります。
為になる情報ありがとうございます。

何年か前からピアノと脳の関係が言われるようになってきて、それがどんどん広がってきていますね。

「え、こんな事にも?!」と、そのようなものを見聞きする度にピアノ講師ながらびっくりしたり中には「いやいや、言い過ぎ」と思うものまであります。


でもピアノ講師ですからそれを肯定していきたい気持ちが強くて、無理に結びつけてしまったり、分からないままそれにのっちゃうんですよね。

が、改めて正面から自分で感じて考えなければと思いました。

なかなかピアノの先生でこのような情報を下さる方はおられませんもの。

それから武器にするためにピアノを習うと言うような考えも最近よく聞きますよね。
そらも本心はいくらか抵抗を持っている自分に改めて気付きました。

私には難しくてともみ先生の文章が分からなかった所もありましたが、自分なりの感想を書かせて頂きました(^^)



>>[2]

>それから武器にするためにピアノを習うと言うような考えも最近よく聞きますよね。

コメントありがとうございます。この著者の人、『「音大卒」は武器になる』という本も書いているんですよ。この場合でも、私としては「武器を獲得するために音大に行くのか?」という疑問を感じます。この場合の「武器」とは、ビジネス市場で戦う武器のようなものを想定していると思うんですが、もしビジネス市場で戦う武器を身に付けたいなら、経営学とか会計学とか、ビジネスに直結する学部学科に進学すればいいんですよ。私としては、「音楽を学びたいから音大へ行く」という純粋な気持ちを大切にしてほしいですね。
>>[3]
ビジネス市場で音大卒は武器なる、、
私には内容はよく分からないのですが
それも言い過ぎ、のように感じました^^

音楽を学びたいから音大に行く、
ピアノが好きだからピアノ教室に行く、
を大切にして欲しいですね♪♪
海外住まいのため、アマゾンから購入する本は厳選して慎重に選んでいるつもりですが、この本は読んで「無駄だった」と思いました。
あらゆることが根拠に乏しいんです。そしてなぜピアノなのか? 他の楽器ではダメなのか? ということの説明もこじつけという印象でした。他の楽器をバカにしているというという感じすらしました。

がっかりしたので、本代はともかくとしてアマゾンに支払った海外向け送料分くらいは返してよね、と本気で思いましたよ。
この著者の方が勤務していたと書いていた気がする音大のピアノ専攻を中退して理系卒のデータサイエンティストですけど、統計学はこういう曖昧な仮説を検証することができます、個人的には

・音大に行く人は一般大学と張れるくらい地頭のスペックは良い
・ピアノは処理しなければならない情報が段違いで多いので、特に良くないとダメな気はするwww
・音大卒の人材はスキル的には文系っぽいことを目指す
・しかしそもそも昭和の文系人財的な経済価値は落ちていくと思うので、音大系がハイスペックであるポテンシャルがあったとしても、経済価値を出すのは難しい

みたいな予想ですかね。個人的には超高度に発展した社会では並大抵の能力では大した「価値」は出せなく、ベーシックインカムが必須で、無理矢理労働と結び付けなくてもその中で自由気ままに音楽をやる未来が普通になる気がします。


>>[5]

>あらゆることが根拠に乏しいんです。

興味深いレス、ありがとうございます。結局、この本の著者は、ピアノ教師でもなく、教育心理学や発達心理学などの専門家でもなく、銀行で融資ビジネスみたいなことをやってきたただのサラリーマンで、趣味でピアノを弾いているというだけの人だという点に限界があると思うんです。つまり、専門家としての矜持に欠けるといいますか、学問的に信頼できることを言おうという良心に欠けるといいますか、そういうことだと思います。

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