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ALASKA会コミュの 今アラスカで悲しいことが・・・

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5月12日の日記、ご協力お願いします。今月中にお願い!を読んで頂いた仲間からたくさんの岩崎さんの事について多数の質問がありましたので岩崎さん本人からの状況説明を記載させて頂きます。



岩崎さん本人からの状況説明なのです。長文ですが気になる方は読んでみてください。

*****前置き*****

 領事館に勤めることになったのは偶然のことでしたが、以後18年間、本当にたくさんの方々に支えられこれまで何とか続けてくることができました。自分に何が求められ、そして自分をどのように用いることがより多くの貢献につながるかを、独学で模索しながらの年月でした。領事館の窓口はどちらかというと「受け身」の存在ですが、海外にある日本の「顔」のひとつとして、いつどのようなことが起きるかわかりませんので、かなり緊張の連続でした。小さい事務所で先輩と呼んで頼れる人もなかなかおらず、実のところこれまで余裕を感じたことは少ないのです。ちょうど水鳥が水面下では足を一生懸命ばたつかせているのにも似た心境でした。しかし前述の通り、私にとって、その窓口を通じて本当にたくさんの方々と接するチャンスがあったことが、この仕事を続けてくることができた最大の理由です。

 領事館での仕事を通じて数え切れない程の思い出がありますが、その中でとても印象的で少し変わった出来事がありました。どう変わっているかというと、実は私は最後まで何も知らずに、実際には何もしなかった出来事だからです。

 随分前のある日、日本人の方がご来館され、領事館へ感謝の気持ちをお伝えになりたいとおっしゃいました。お話を伺ってみると、その方は、「昨年、自分の手に負えないようなことが起きてしまい、大変つらい思いをしました。何度も、領事館に駆け込んで助けてもらおうかと考えたのですが、その都度、もう少しだけ、あと少しだけ、自分の力で頑張ってみようと、踏みとどまりました。それを何度も繰り返しているうちに、最後には何とか自力でその問題を解決することができたのです。いまこのことを思い返すと、つくづく領事館が近くにあってくれて有り難く、見えないところで、精神的に助けてもらっていたことを感じます。なぜなら、自分が最後まで頑張ることができたのは、もし本当に自分だけではだめになってしまったら、きっと、領事館が助けてくれるだろうと信じていたからなんです。もし、そういう安心感や心の支えがなかったらならば、一人では絶対心細くて乗り切れなかったと思います。」と、ご事情を説明してくださいました。

 私はこの方によって、私の仕事の本質を教えていただいたような気持ちでした。役所として建物や事務所が存在し、必要な手続きを行うだけであれば、いずれ将来優秀な自動販売機のようなものができれば済んでしまうようになるでしょう。しかし領事館の真の存在意義は、領事館がそこにあること、そこにあってよかったと感じていただくことなのだと思いました。たとえ普段は忘れていて何だか漠然としたものであっても、領事館の存在がほんの少しでも安心感の役に立つことができるならば、そこから思いも寄らぬ力が生じる可能性があることを知りました。

そして私はこの方からそこまで信じていただいていたということを忘れまいと思うとともに、改めて自分の責任の重大さを感じました。信じていただくということはなかなか短い時間でできあがるものではなく、ひとつひとつの積み重ね以外に近道はないこともわかっていました。領事館には、何だかんだと堅いルールがたくさんありますが、究極的には全てが人と人とにかかわることですから、常に「至誠」の心を最重要に考えるよう心がけました。

「至誠」という言葉は領事館の仕事を通じて学んだ言葉です。あるときある方より、戦前戦中旧日本海軍兵学校で拝誦・黙唱されていた「海軍五省」についてのお問い合わせがありました。調べてみるとこれは、一日の終わりにその日を反省し自問する言葉であったことがわかりました。全部で5つあるのですがその一番目の言葉が、「至誠(シセイ)に悖(モト)るなかりしか」というものでした。私なりに意味を読みとると、「(自分の)誠実な心に背くことが無かったか?」という自問です。

それまで心で感じていたことがくっきりとした言葉になったような気がしました。それ以後、一人一人、一つ一つの出来事の最初と最後に、自分の「至誠」の心に正直であったかどうかを自然に自問するようになりました。そして「至誠」の心にいちいち大小強弱の順位をつけたりせず、その数や量を考えたりせず、ただ単に「至誠」の心に背いていないとわかればそれで良く、それを一つずつずっと続けていけば良いのだと言い聞かせていました。

私は領事館へ3月末日付けの辞表を提出しました。この辞表提出は予定していたわけではありませんでした。しかし私は、仕事を通じ自分の「至誠」の心を貫くことができなくなれば、いつでも領事館を去る覚悟を持ち続けるよう自分に言い聞かせてきましたので、これまで十数年の領事館勤務では、常に辞表を持ち歩いているような気持ちで過ごしてきました。振り返ってみると、役所としての一種の常識(実社会では往々にして非常識)のようなものと、自分の「至誠」の心とがかみ合わずにずれを生じたときがこの仕事を続ける上で最もつらかったことかもしれません。(勿論全体ではつらい経験よりもポジティブな経験のほうが圧倒的に多くありました。)

そして今回、非常に残念ことに、領事館ではどうしても自分の「至誠」が貫けない状況が発生し、このように突然辞表を提出せざるを得なくなりました。ここに至るまで数ヶ月の間に、考えられる限りのあらゆる手を尽くしてきたつもりだったのですが、力が及びませんでした。これから先のことは全くわかりませんが、これまでたくさんの励ましのお声をいただき、とても親身にご心配いただいている方々へ、その経緯をお知らせする責任を感じ、以下概要をお送り致します。

辞表提出の理由は、「外務省員である領事の不適切な行為と、その行為を放置し、もみ消しを図ろうとしている外務省の一部に対する強い抗議」です。外務省の「一部」としたのは、私がいまだに外務省のどこかに「良心」が残っていて欲しいと願っているからです。この抗議は、今表現したとおり「良心の存在への願い」ですが、「外務省の一部」があくまでも「保身のためのもみ消し」のため、全くの嘘を宣伝するなど更に低俗な行為を続けるならば、私は断固として真正面から抗議を続けます。

アンカレジの領事館は、領事をリーダーに、補佐役の副領事2名、現地職員5名というメンバーです。私を含む現地職員は外務省の職員ではありません。領事館との雇用契約があるだけですので、外務省からみると外部の人間になります。

職場の上司・部下といった関係は単に仕事上のものであり、これをもとに人間的上下関係が決まる訳ではありません。そして仕事上の関係の中には絶対に守らなければならない最低限の原則があります。原則があるということは、何が正当で、何が不当であるか、その区別があるということです。例えば、上司が、根拠が無いのにかかわらず、部下に「(仕事を)辞めてもらう。」と言えば、それば明らかな不当行為です。またその「脅し」をすることも当然に不当です。根拠のない理由を作って人格攻撃を行い、部下自身が自ら「辞める」ように誘導することも不当なことです。そんなことをして許されるなら、上司が気に入らないだけで何をしても良いことになってしまいます。気に入る・気に入らない、相性の善し悪しは、職場という環境では皆「我慢」しなくてはならないものです。「我慢」をするのは大変なので、どの職場でも人間関係は難しい問題です。

 私は、領事館職員の本当の雇用主は日本の「納税者」であることを常に忘れていません。領事自身も「納税者」に雇われている公僕です。一領事も、一職員も、全体の中でそれぞれの地位・立場を与えられ本来の役割を果たすことが期待されています。外務省という組織から海外の大使館・領事館へ多くの館長が赴任します。願わくば、外務省を出る前に、最低限規則を身につけて欲しいと思いますが、悲しいことに、一定の役職や地位に就いたり、ある環境に慣れてしまうと、それらの基本原則を重視しない領事が少なくありません。領事館という組織の長になると、まるで全て自分の思うままにならないと気が済まない自分中心の振る舞いをしてしまう人もいます。上司の方が部下よりも「我慢」できない人々が外務省には多いような気がします。(私は実社会ではその逆であるべきだと思うのですが。) 
私達職員は、領事を選ぶことはできませんので、どのような領事が赴任しても、基本的にその領事を支え、私達のミッションの遂行を目指そうと努力します。そしてそのために一人一人の我慢忍耐が、館内の協調を維持するのです。

*****本  題*****

 前置きが大変長くなりましたが、昨年から今年にかけての状況をご説明致します。私がこれを書くことは、恥ずかしい気持ちを伴います。税金を使ってこのようなことが起きていた、そこに私もいたのに、結果的に防ぎきることができなかったということが恥ずかしいのです。

 現在の領事は、根拠が無いのにかかわらず、部下に「(仕事を)辞めてもらう。」と言い、またその「脅し」をし、そして根拠のない理由を作って人格攻撃を行い、部下自身が自ら「辞める」ように誘導するという、全ての基本的な原則違反、不当行為を短期間内に繰り返し、領事館の機能を止めてしまうほどの混乱が生じ、その都度(昨年11月及び本年3月)、外務省から同領事の上役に当たる職員の派遣を受けなければならない事態を引き起こしました。

 領事の上役に当たる職員の派遣を外務省へ求めることは、私達現地職員としては簡単なことではありません。私達には外務省のコンタクト先が無いのです。外務省へのコンタクトは、当の領事本人(及びその部下の副領事)が行っているのです。密室での出来事を領事本人が隠してしまおうと思えば容易に可能です。また領事が事実と異なる報告を行うことへの防止策もありません。

 昨年11月末、領事の度重なる不手際によって職員に大きく負担がかかる出来事があり、直接巻き込まれたA職員が、心の中で退職を考えてしまう程悲嘆を感じる事案がありました。(しかしA職員は後に自ら思い留まり退職しませんでした。) そして翌日、A職員の悲嘆の心情ががB職員へ伝わったところ、B職員は意を決し、前日の領事の不手際とA職員に対する領事の不適切な対応を直接領事に抗議しました。すると領事は激高し、いきなりB職員に対し「文句があるなら辞めてもらう。」と言い出したのです。一職員からの抗議を受け立腹しただけの理由で事実上の「解雇」を持ち出したのです。この領事の職権乱用を知った私が、領事に対し、B職員の退職撤回を求めましたが、領事は、「B職員には辞めてもらう。」と頑として拒否し聞く耳を持たないため、私は、「このようなことは絶対あってはならないことで到底容認できない。自分の職を賭けても阻止する。B職員が戻らない限り自分も戻ることはできない。」と強く抗議しました。すると領事は、「岩崎君も辞めたいならどうぞ辞めてください。」と言い出す始末で、とりつく島もない状態でした。全く意味のないことで現地(採用)職員は5名の総意として、A職員、B職員そして私に対する領事の暴挙により、このままでは領事館が成り立たないことを、シアトル総領事館の助けを得て外務省へ急報したところ、外務省から領事の上役がアンカレジへ派遣されることになりました。

 領事はA職員に対する不手際を謝罪し、B職員の退職を撤回しました。この派遣者は関係者全員より事情を聴き、領事には不適切な行為があったことを認識した上で、今後このようなことが発生しないように措置を講ずると説明し、、現地職員の我々もその裁定に納得しました。また、領事が館内の融和を図っていく姿勢を見せたため、積極的な協力を行うように努め、領事の改心を一旦は歓迎しました。

 しかし1月以降領事の様子が徐々に悪化し始め、あからさまにB職員に対する陰口・悪口、人格・尊厳攻撃が始まったのです。(11月以降館の融和のポーズが取られる中、B職員のみは領事から完全に無視される扱いを受けていました。) B職員は常に領事館の中心的存在で非常に優秀なかけがえのない職員です、領事館として、同僚(友人)として、コミュニティーとして全てに必要とされている貴重な人材です。B職員のいない領事館を想像することは不可能でした。領事に非難される理由などどこにも無いのです。他の職員が、領事館の融和努力に逆行する領事の行為に対し、多くの忠告・進言を行ったのですが、一向に改善される様子はありませんでした。その後、B職員に対する領事の不当な攻撃は、11月の混乱の原因がB職員であると勝手に決めつけていることが理由であるとわかりました。領事は、B職員の抗議から始まった混乱が、シアトル経由で外務省に伝わり、上役の来訪を受けるに至ったことが許せない、と報復の気持ちを自ら言明していました。またその際関与したシアトル関係者に対する非難も公然と続けていました。

 B職員に対する根拠のない異常な個人攻撃は日に日に益々エスカレートし、他の職員はあらゆる知恵を出し合い、領事の不当な嫌がらせ・ハラスメントをいさめ続け、B職員への攻撃を阻止し、B職員への援護・励ましを最大限尽くしたのですが、3月中旬まで領事による嫌がらせや再度の解雇の「脅し」等個人攻撃を受け続け、領事館での将来を悲観したB職員が、遂に辞表を提出してしまいました。不当な攻撃の苦痛に耐えながら働かなければならないというのはとても馬鹿げた話で、明白ないじめや嫌がらせをする人物が存在するのは組織全体の問題です。そしてその張本人が組織の長・領事なのです。組織内の地位が他より高いということだけで、その地位・権力を利用し、根拠が無いにも拘わらず、地位的立場の弱い者へ、嫌がらせや不当な攻撃でいじめ続ける行為は、相性や喧嘩とは全く次元の異なる卑怯な醜い行為であって、決して放置してはいけないことです。このようなケースでは攻撃を受けた者が自ら反撃することは非常に困難なのです。

 いま日本では「いじめ」が大きな社会問題になっています。主として子供の「いじめ」が注目されていますが、大人の職場環境でも「職場いじめ、パワーハラスメント」などとして認知が高まってきています。パワーハラスメントは和製英語だそうですが、これは、地位・権力を利用し、本来の業務の範囲を超え、特定の職員へ継続的に嫌がらせの攻撃・いじめなどを行うもので、職場環境を破壊してしまうほど深刻・悪質なものです。また、いじめがあった場合、それを見て見ぬ振りをすることがいかに卑怯で勇気の無い者のすることかについても、多方面で強調されています。

 私は、「このようなことは絶対あってはならないことで到底容認できない。自分の職を賭けても阻止する。B職員が戻らない限り自分も戻ることはできない。」と啖呵を切ったのは前述の通りです。その後領事は改心する振りを見せたものの、あっさり再発しました。外務省は再発防止の措置を講ずるはずであったのです。B職員を無意味なことで去らせてはいけないと思いつつ、領事に自覚・反省が生じない限りその望みがないこともわかっていました。しかし悪いニュースとして、領事には別の領事館で同様の前歴があったことがわかりました。

 縁があって一つの組織に人が集まり、各々の人生の大切な時間がそこで使われていきます。その組織の長が何故繰り返し自ら悪意をまき散らしているのか、私には全く理解ができませんでした。私は友人B職員に対する自分の至誠の心を最優先としつつ、この領事にも積極的に近づきその疑問の鍵を解こうと試みましたが、それも叶わず時間切れになってしまいました。

 私にこの領事の全人格を判断する資格はありません。この領事に対する好悪の感情を語るつもりもありません。この領事が「領事であるという地位・立場を不当に利用し、部下に対する攻撃・嫌がらせ・いじめを行った行為」がまずかったと主張し続けているのです。

 私は、私達がこの領事の行為を今ストップさせなければ、また再発し犠牲者が生まれる、この領事が組織のリーダーである限り、B職員の復帰説得はおろか、職場環境の維持が不可能であると確信しました。私はこの確信を副領事に伝えたのですが、その後どの程度外務省へ伝わっているのかを確かめる手段がありません。

 その間この領事は、何とB職員の辞表提出後も、引き続きB職員への攻撃を止める気配がなく、周囲の全ての忠告・進言・抗議を完全に無視し、反省はおろか、自覚のひとかけらも見せないため、この領事のあまりにも冷酷非道な姿勢にたまりかねたC職員が堪忍袋の緒を切らし、抗議の辞表を提出するに至ってしまいました。

 BC両職員の辞職予定日付は3月31日です。副領事経由の外務省への報告のみで埒が開くのかどうかの見込みが一向に明らかにならないため、3月中の「領事の自覚・反省」又は「領事の転出手続の開始」、「外務省から上役の再派遣」を要請し、これが聞き入れられない場合、私は、領事の不当行為を絶対認めることはできない、また、BC両職員の退職をそのまま見過ごすことはできないという理由で、私の分(3人目)の辞表(退職予定日3月末日付)を提出しました。

 しかし領事本人は、困るそぶりなど見せず、「三人に辞めてもらっても全く構わない。代わりなどいくらでもいる。」という反応だったそうです。副領事達は困った顔はしていましたが、期限がどんどん差し迫り、そのままの時間切れを覚悟しました。しかし3月29日、外務省派遣者(11月とは別人)が突然来訪し、期限到来間際の事情聴取が始まりました。

 今回の派遣者は最初、11月の派遣者以上に、領事の不当行為を強く認識し非難する姿勢を見せたため、我々は期待を膨らませました。しかしそれでもB職員は当初期限の3月末の退職の意志を変えることは無く、結局領事館を去ってしまいました。繰り返しますが、本来その時点で辞めなければならない理由などB職員には無かったのです。領事によって一方的にB職員の勤務環境が破壊されたため、B職員は領事館に見切りをつけたのです。無念でした。しかし、退職当日ではありましたが、期限内に派遣者からB職員に対し相応の慰労・ねぎらい・慰留の言葉があったことを聞き、その点についてのみは私は素直に嬉しく感じました。これだけでB職員の気持ちが報われる訳がないことは十分わかっていましたが、私の友人に対する「至誠」の心に、あたたかい空気が流れ込んだのは事実です。

 私はC職員とともに身の処し方を迷いました。期限が到来しました。そして派遣者及び外務省の反応を待つため、4月第1週の出勤を決めました。

 しかし結果は大きな失望に終わりました。4月6日の派遣者の言葉は以下の通りでした。

 「領事はまだ何もわかっていない。悪いことをしたという自覚が全くない。長年かかってあのような性格になったので今更変わりようがない。こちらも大変困っている。外務省は領事に対し何もできない。領事を転勤させたくとも転勤(受入)先が無い。従って外務省は、B職員、C職員及び岩崎君の3名の辞表を全て受理し、今後新たな現地職員を募集採用する方針に決まった。」

 これは11月の派遣者の裁定にも遙かに及ばない最低最悪の結果でした。この3月の派遣者は(B職員に対する言葉を除き)何のために当地へ来訪したのでしょうか。私はどうしても同僚の友人を無意味に失うことが諦めきれず、友人に領事館に何とか残ってもらうように説得できる方法を探し求めていたのでした。友人には全く非がないのです。辞めなければならない理由などないのです。我々の全力を尽くしわざわざ外務省から上役を呼んだ(2度目は辞表を使って)にも拘わらず、この結果です。友人の説得すらできず、領事が自分の行為に対する自覚を全く示していないことが放置され、外務省が個人攻撃・いじめ・ハラスメント行為を不問に付し黙認し、何ら再発防止策すら講じないことがわかりました。

 私はただただ失望感と徒労感の中、鍵を事務所に残し、振り返りもせずにその晩を最後に領事館を去りました。

 「友人」、「上司」、「自分」というそれぞれの「人」の間で、最善と思われる知恵を全て出し尽くしたにも拘わらず、上司を止められず、友人を救えなかったことは大きなショックでした。職場の他の友人達も皆同じ心境でした。これは相性問題や喧嘩ではなく、「パワー・ハラスメント」の確信的「犯行」と表現しても良い程悪質なものでした。

 私にはどうしてもまだわからないことがいくつも残っています。この領事は本当に今でも何も自覚していないのでしょうか?人はそこまで鈍感になれるものなのでしょうか?自覚するということは非を認めることにつながるため、保身のために自覚していないポーズを取っているのでしょうか?自覚があるのに人は2度も同じ過ちをあんなに簡単にするものでしょうか?外務省の派遣者は2名とも、領事の行為の不当性を認めました。しかし何もしてくれませんでした。これは外務省の「一部」の考えなのでしょうか?それとも外務省全体がそういうところなのでしょうか?これらの疑問の答えを聞いても今となってはもう遅いのかもしれませんが、それにしても、あまりにも不可思議なできごとの連続でした。

 私は勿論後になって気づいたこともいくつかありました。派遣者も領事も外務省の職員です。外務省が身内をかばおうとして、今回のことをできるだけ目立たずにもみ消そうとしていたのでしょう。去年の派遣も、今年の派遣もとりあえずのポーズで、現地職員の声を聞く場は設けたものの、外務省は真剣に解決策を模索することもなく、その場しのぎの繰り返しでした。派遣者は当地に到着するたびに、外務省に向かって、「騒動は沈静化した」という報告でもしているのでしょう。また、去年、領事への注意が行われたのだろうと思っていましたが、それも定かでは無くなりました。外務省の自浄能力に期待しましたが、無駄であったようです。

 派遣者は現在もアンカレジに滞在し、領事への「支援」を続けているようです。領事側に立って事態を沈静化し、新たな現地職員採用を急ぎ、あたかも何も起こらなかったかのような隠蔽にいそしんでいます。最近私は、この派遣者が、不祥事を隠すのみならず、今回の出来事は現地職員、特に私が首謀者となって企てた陰謀による騒動であったと外部へ説明に回っているということを耳にしました。領事の行為に対して無策無力な外務省にも失望しましたが、平然と嘘までついてそのような宣伝をすることに呆れて失笑を禁じ得ません。何のためにそんなことをする必要があるのでしょうか。今度は私に対する嫌がらせ・ハラスメントでも考えているのでしょうか。この派遣者は領事の上を行く不当な行為ができる「上役」なのでしょうか。このようなことを知る度に、私は若い副領事達の行く末を真剣に心配します。彼らは結果的に今回の出来事を傍観しました。

 私は領事館を舞台にして外部の大変多くの方々に育てていただきました。本来の領事館の職場環境が今も続いていたならば、このようなことにならなかったであろうと非常に残念な気持ちでいっぱいです。私は今回準備もほとんど無く、ある日突然領事館を離れることになってしまいました。仕事を中途半端に投げ出してしまうような結果となったことを思い、毎日非常に心が痛んでいます。このような事態をどうして防ぐことができなかったのかと悔やまれます。

 しかし領事による友人への全く的はずれな不当で理不尽な攻撃を見過ごすことは到底できませんでした。喧嘩ならば構いませんが、立場の弱い者への嫌がらせやいじめは絶対にいけません。このようなときに友として何もできないようでは、そもそも「至誠」の心もなにもあったものではなく、今回の私の決心と行動は、自分の拠って立つべき根幹に関わる絶対に一歩も引くことのできないできごとでした。「至誠」の心は一つずつ積み上げて行くしか方法はないのです。もし一つでもスキップしてしまえばその隙間の後悔は一生埋めることができません。たとえその結果その先へ進めなくなろうとも、そこまでの道が途切れず続いて埋まっているのならば、私はそれで良しとしようと、自分に対して覚悟を決めました。その先の一歩が出るかどうかは、これから後で一生懸命考えれば良いのです。そして一歩が出るとしたらどの方向に出るのか(いつか領事館に戻ることがあるのか、全く違う道を進んでいくのか)などについては、未だ見ぬ将来に到着してみて始めてわかることになるのでしょう。

 私は領事館を去るにあたり、誰一人としてご挨拶をするチャンスがありませんでした。アラスカ在留邦人の約650名の方々、数百名の日系人の方々、その他仕事を通じてお世話になった方々のお顔やお名前が走馬燈のように頭に浮かんでいます。私の心の中には、それらの方々に対する何百誠、何千誠もの気持も一緒に宿っているのです。私の勝手な行動で、大変多くの皆さんへ、ご不便、ご迷惑、ご心配をお掛けしてしまいました。どうぞお許しください。
岩崎久和


岩崎さんは、アンカレッジ領事館が今の状況から、いい方向へ向かうことを期待して、あったことの事実を公開されたようです。

こういう事は多くの企業である事だとと思います。そしてこのような状況にいる方々もたくさんいて我慢をして働いている方も多くいると僕自身思っています。

正直話すと僕自身にも苦手な上司やスタッフもいます。またいろんな雇用形体で働く多くの従業員がいる僕の会社では僕の知らないところでもいろんな事がおこっている事でしょう。

アンカレッジの領事館でおこったような事は絶対にあってはいけないと僕は思っています。
またアンカレッジの領事館でおこった事は考えられない事です。ましてや我々の税金で運営され、海外旅行、親の仕事のためや、職場の海外支店で多くの方が日本を離れ世界中で生活をされている現在、ハードルにぶつかった時には領事館に駆け込む方は多いと思います。しかし助けを求めて駆け込んだ領事館がこんな感じでは駆け込んだ方々は救われるのでしょうか?

署名のフォームにサインをしアラスカ馬鹿のお友達、舟津圭三氏までファックスにて送信願います。

舟津圭三氏ファックス番号:907−488−8387
(アメリカ合衆国アラスカ州アンカレッジ)

一般のご家庭のファックス番号なので、深夜の送信はご遠慮願います。

岩崎さんの再雇用請願署名用紙
http://www.dawgbreeds.com/portals/3/iwasaki/iwasaki_petition_form4.pdf

外務省のホームページの意見箱への書き込みも可能です。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/comment/index.html

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