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★カフェDJのスローライフ★コミュの● にほんの歌 ●

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にほんの歌 〜dj610の民謡お国めぐり〜

リリース記念。

民謡特設コーナー

さてさて、いよいよ本日解禁の「にほんの歌」ですが
みなさんに曲を聴いていただく前に、ひと解説。

これだけは言わせてください。

日本人の誇れる音楽。そして美しい旋律。

それは「にほんの歌」です。

■全曲解説■

●日本国国歌「君ヶ代マーチ」 消防庁音楽隊(内藤清五:指揮)

【英訳】

May Thy peaceful reign last long!
May it last for thousands of years!
Until this tiny stone will grow
into a massive rock
And the moss will cover it all
deep and thick.

【歌詞】

君が代は
千代に八千代に
さざれ石の
巌となりて
苔のむすまで

【解説】

明治2年(1869年)に当時薩摩藩兵の将校だった大山巌(後の日本陸軍元帥)により、国歌あるいは儀礼音楽を設けるべきと言うイギリス歩兵隊の軍楽長ジョン・ウィリアム・フェントンの進言をいれて、大山の愛唱歌の歌詞の中から採用された。当時日本の近代化のほとんどは当時世界一の大帝国だったイギリスを模範に行っていたため、歌詞もイギリスの国歌を手本に選んだとも言われている。

ただし、この話には異論がある。佐佐木信綱が記した『竹柏漫筆』によると明治天皇が関西へ行幸する際、フランス軍から天皇行幸に際して演奏すべき日本の国歌を教えてほしいという申し出が日本海軍へあった。
そのため、当初、海軍兵学校へ出仕していた蘭学者である近藤真琴へ歌詞を書かせたが、海軍内で異論があり、海軍海補であった川村純義が郷里で祝言歌として馴染みのあった歌詞を採用したというものである。

 なお、この説は明治当初に海軍が陸軍に対抗して自ら国歌の必要性を理解した上で発起したということを知らしめるために利用されていた節があり、現在の国歌研究においては「大山発案説」が事実であると見られている。
当初フェントンによって作曲がなされたが、あまりに洋風すぎる曲であったため普及せず、後により日本人の音感に馴染みやすい曲に置き換えようということで、明治13年(1880年)に宮内省雅樂課の奥好義のつけた旋律を雅楽奏者の林廣守が曲に起こし、それにドイツ人音楽家フランツ・エッケルトによって西洋風和声がつけられた。以来、『君が代』は国歌として慣例的に用いられてきたものである。


●日本古謡「さくら」 CATERINA VALENTE 

弥生の空に見渡す限り さくらさくら花ざかり いざやいざや見に行かん

『さくらさくら』は、作者不詳の日本古謡。幕末に江戸で子供用の箏(そう/こと)の手ほどきのために作曲されたとされている。歌詞は時代によって若干のバリエーションが存在する。

 古来、日本人にとって最も馴染みの深い花である桜は、歌の題材や百円硬貨の表のデザイン、駅名、町名、人名、企業名に商品名など、花見の季節以外にも私達の生活に様々な形で関わりを持っている。

・客寄せ「サクラ」の由来は?
 客を装って店が賑わっているように見せかける役割を「サクラ」というが、この語源も「桜が咲くと人が集まる」、「桜のようにパッと現われてパッと消える」など、やはり桜との関連性が指摘されているようだ。なお、この語源については、演劇・芝居などの内通者をタダで入場させることから、タダで見られる桜と掛けて「サクラ」となったとする解釈もあるようだ。

・桜の王様ソメイヨシノ(染井吉野)とは?
 観賞用の桜として最もメジャーな品種と言えば、やはり「ソメイヨシノ(染井吉野)」だろう。ソメイヨシノは、エドヒガン系のコマツオトメとオオシマザクラの交配で生まれたサクラの園芸品種だ。例年3月に気象庁が発表する「さくらの開花予想」(桜前線)も本種の開花状況が基準となっている。

 江戸末期から明治初期に、江戸の染井村に集落を作っていた造園師や植木職人達によって育成され、「吉野桜(ヤマザクラの意)」として売り出されていた。後に藤野寄命の調査によってヤマザクラとは異なる種の桜であることが分かり、1900年(明治33年)「日本園芸雑誌」において「染井吉野」と命名されたという。

 ちなみに、「江戸の染井村」とは現在の豊島区駒込付近にあった村で、現在、巣鴨駅付近の染井霊園にその名を残している。


●日本古謡「さくらさくら」 Ricardo Santos

●石川「勧進帳」 有馬徹とノーチェ・クバーナ

歌舞伎の中でも、最もよく知られている演目の一つです。
兄源頼朝【みなもとのよりとも】との仲が悪くなった源義経【みなもとのよしつね】は、武蔵坊弁慶【むさしぼうべんけい】らわずかな家来とともに、京都から平泉(岩手県)にいる藤原氏のもとへと向かいます。頼朝は平泉までの道すじに多くの関所を作らせ、義経をとらえようとします。『勧進帳』は、義経たちが加賀国【かがのくに】の安宅【あたか】の関所(石川県)を通過する時の様子を歌舞伎にしたものです。
 義経一行は山伏【やまぶし】に変装して関所を通過しようとします。ところが関所を守る富樫左衛門【とがしさえもん】は、義経たちが山伏に変装しているという情報を知っていたので、一行を怪しんで通しません。そこで弁慶は、何も書いていない巻物を勧進帳と見せかけて読み上げます。勧進帳とは、お寺に寄付を募るお願いが書いてある巻物です。
いったんは本物の山伏だと信じて通した富樫ですが、「山伏たち、待て」と呼び止めます。
変装している山伏の中に義経に似た者がいる、と家来が訴えたからです。
変装がばれないようにするため、弁慶は持っていたつえで義経を激しく叩きます。
それを見た富樫は、その弁慶の痛切な思いに共感して関所を通すのでした。
 初代市川團十郎【いちかわだんじゅうろう】が元禄【げんろく】時代にこの場面を演じました。
しかしその時の台本が残っていなかったこともあり、7代目團十郎が新しく作り直しました。
1840年(天保【てんぽう】11年)のことです。7代目團十郎は、衣裳や舞台装置などを新しくするために能を参考にしました。背景は能の舞台をまねて松羽目【まつばめ】にし、衣裳も能に近づけました。
その後9代目團十郎が得意とし、現在に受け継がれています。
 弁慶の演技には、最後の飛び六方【とびろっぽう】に代表される荒事の豪快さだけでなく、はっきりしたセリフ回しや舞踊【ぶよう】の技術が必要で、座頭【ざがしら】の役として特に大事にされています。
 また伴奏の長唄【ながうた】は、三味線【しゃみせん】音楽の中でも代表的なものの一つとして知られています。


●大阪「かっぽれ」 フランキー堺とシティ・スリッカーズ

 大道芸のひとつ。江戸末期、住吉踊りの影響を受けて願人坊主(がんにんぼうず)がはじめたもの。
願人坊主とは伊勢神宮へお参りした後、そのお札を配って歩いたお坊さん。この人たちが伊勢音頭とともに、かっぽれのバリエーションを作って広めた、とも。

<かっぽれ という踊りは?>

いわゆる「かっぽれ」という単独の曲がありますが、かっぽれ踊りは
?伊勢音頭からはじまり、?深川?大津絵?奴さん?かっぽれ、の5曲の組踊りをセットで「かっぽれ」といっています。これを全部習って、一人前、といって良いでしょう。

<ところで、かっぽれ という語源は?>

いろいろな説がありますが、定説は「おかぼれ」−あなたに命がけで惚れました、という意味。 
 天保年間(1830−43)に流行った鳥羽節のはやし言葉「わたしゃ おまえにかっ惚れた」から出た名称。

その他の珍説?をご紹介します

○韓国語説

「かっぽれ」の歌詞を照らし、紀伊国屋文左衛門(みかんで儲けた人)となんらかのつながりがあるというのです。
「カッポレ(;帰りなさい)、カッポレ(帰りなさい)、アマチャデ(アマ;女、;ふさがっている=もう女はいないよ)カッポレ(帰りなさい)」という韓国慶尚道方言会話体だと、言うのが韓国人 李寧煕(イヨンヒ)著「フシギな日本語」の説。

○古代ギリシア語説

 “かっぽれ”の語源はギリシア語のカルポーレ(収穫)であり、かっぽれ踊りは収穫祭の踊りであった、と主張するのは新渡戸稲造〈!〉

○「かっ掘れ」−労働歌説

 江戸初期に江戸城周辺のお堀をつくる工事の際に、集められた人足が「かっ掘れ、かっ掘れ」といって景気づけのためはやしたとのこと、休憩には甘茶が振舞われたであろう、と司馬遼太郎が 随筆で書いています。


●軍歌「軍艦行進曲」 寺内タケシとブルー・ジーンズ

軍艦行進曲(ぐんかんこうしんきょく)は瀬戸口藤吉作曲の行進曲。一般に『軍艦マーチ』として広く知られる。
明治30年(1897年)鳥山啓作詞の「此の城(のち、軍艦)」に曲を付けて軍歌とし、その後、1897年(明治30年)頃に、准士官の軍楽士だった瀬戸口藤吉が新たに作曲し、1900年(明治33年)に「軍艦行進曲」として誕生した。
初演は、同年4月、戦艦富士乗組の軍楽隊によって行われた。アジア太平洋戦争中に盛んに演奏され、昭和16年12月8日の日米開戦時にも繰り返しラジオから流された。旧日本海軍及び現在の海上自衛隊の公式行進曲で、進水式などで演奏される。
戦後はパチンコ店などで使用されていたが、最近は街ではほとんど聴かれなくなった。

●熊本「おてもやん」 ジミー竹内とエキサイダーズ

数ある熊本民謡中でも全国的にもよく知られた歌で、陽気なリズムとユーモアにあふれる歌詞で知られている。
歌ができたのは幕末頃といわれ、当時は「熊本甚句」といって花柳界のお座敷歌として歌われていたとか。
 一説によると、三味線と踊りの師匠・永田イネのもとに稽古に通っていた女性をモデルとし、彼女の結婚に際して永田イネがつくったものといわれています。
 この外に、幕末の肥後勤王党が孝明天皇に捧げたしのび歌ではないかとの説もありますが、真偽のほどは定かではないようです。
しかし、幕末のしのび唄というのも面白いと思いませんか。以前、しのび歌としての歌詞の解釈を聞いたことがあるのですが、「なるほど!」と相づちを打ちたくなる部分もあり、詳しく調べれば興味深いかも知れませんね。

●群馬「八木節」 中島安則とラテン・リズム・キングス

栃木、群馬、埼玉3県の境が寄り合ったあたりで唄われる盆踊唄である。かつては、馬子たちが宿場での休憩時に空だる
の蓋を叩いて唄ったと言われている。

●古謡「SAKURA」 EDMUNDO ROS

●群馬「八木節」 江利チエミ

●東京「東京音頭」 原信夫&シャープ&フラッツ

もともとは「丸の内音頭」という曲名で1932年(昭和7年)に制作され、日比谷公園での盆踊り大会で披露された。
「丸の内音頭」のレコードはビクターから発売され、A面が藤本二三吉、B面は三島一声で、二三吉はこの曲を最後にコロムビアに移籍した。

ヒットは1933年(昭和8年)、当時の東京市民すべてが歌えるように改題・改詞され、小唄勝太郎と三島一声の歌唱でレコード化され、爆発的に流行した。勝太郎の一連のヒット曲に多いハァー(ハー小唄)の歌いだしの、勝太郎の力強い、
景気のよい歌声は日本中に響き渡った。レコードの売り上げは当時、120万枚に達したという。勝太郎にとって、「島の娘」「明日はお立ちか」「さくら音頭」「大島おけさ」「勝太郎子守唄」などと並ぶ代表曲となった。
後年、勝太郎がテイチクに移籍してからは、かつて勝太郎と犬猿の仲といわれた市丸、喜久丸、鈴木正夫によって再吹き込みされた。日本中が何かに憑かれたように踊り狂ったこの曲は、映画作品などにおいて、日本が昭和恐慌から日中戦争へ突入する暗い時代に重なってイメージされることが多い。

●鹿児島「鹿児島おはら節」 村岡実 バーブル・ポップス

”オハラ節”とも言い、作業唄とも地搗唄とも言われている。
発祥地は伊敷村原良で、”原良節”の曲名で鹿児島全域で唄われ、あとになって頭に「小」がついて”小原良節”となった。昭和8年頃レコードが出て、南国らしい明るい唄詞が全国的に流行した。

●長唄「元禄花見踊り」 有馬徹とノーチェ・クバーナ

明治十一年(一八七八)六月七、八日新富座開場式に初演された曲で、作詞 竹紫瓢助  作曲 三世杵屋正治郎。
元禄風俗の花見踊として明治11年6月新富座。新築落成開場式に余興として演ぜらたもので上野の山の花盛りに集う人々の湯女、武士、共奴、町人、皆々元禄風俗の派手な物踊りをする趣向となって居ります。

作曲は三世杵屋正治郎で、全曲二上りの派手な曲です。上野の山の元禄期の花見の状景を描写してあります。
曲は随所に独創的な旋律があり前弾の旋律は元禄時代に流行した江戸説経の手をアレンジして使用、渡り拍子で男女の踊手が並び、この弾出しの手は「行列三重」を巧みに利用しています。この当時としては珍らしい三拍子や追廻しの手法を使っているが、作曲者は前年横浜で外国軍楽隊の演奏を聞きヒントを得たとの事です。
長唄は江戸の歌舞伎に使った舞踊音楽として発達したものです。昔は「江戸長唄」と呼びましたが、それは上方かみがたの「地唄」の中に「長唄」という一つの種類がありますので、それと区別するためでした。然し、上方では「長唄」という名前を段々使わなくなりましたので、単に「長唄」と言えば「江戸長唄」のことを指すようになりました。

●熊本「おてもやん」 ピンキーとキラーズ

●群馬「八木節」 STANLEY BLACK

●香川「クンビーラ大権現」 デューク・エイセス

別名、「金毘羅船々」 琴平町地方を中心に幕末から明治初年(1868年)
にかけて、全国的に流行した。琴平町にある金刀比羅宮は、漁師や船乗りか
ら海上守護の神として信仰され、全国に親しまれている。この唄は、神社に
お参りのときの道中に唄われた。

●長崎「さのさ」 山本邦山

「さのさ」の源流は長崎であるといいます。鎖国時代の日本にあって、唯一国外の出入りの許されていた出島のあった長崎では、中国からの音楽を楽しんでいました。特に月琴を伴奏の中心にして演奏されてきた歌われてきた「明清楽」は、長崎で流行した異国風な音楽です。時代的には、文化・文政といいますので、
1804〜1829年の頃、清の金琴江が伝えたものといいます。

中でも「九連環(くれんかん)」という曲があり、これが日本語で「ホーカイ節」として歌われるように、それが大流行して「さのさ」になったといいます。
各地に流行した「さのさ」が民謡として位置付いたのが、長崎では「五島さのさ」、鹿児島では「串木野さのさ」として現在でも歌われています。

●福島「会津磐梯山」 原孝太郎と東京六重奏団

明治の初年頃に新潟県から来た油をしぼる仕事をする人が、会津若松市のお寺の境内で唄い踊っていたのが起こりである。
昭和22年から会津の盆踊りの手を入れ、現在も唄い踊り継がれている。

●北海道「そうらん節」 CHIEMI ERI&THE DELTA RHYTHM BOYS

北海道西北部沿海のにしん漁の際、沖で唄われる労作唄である。
大きい船で獲った魚を、陸へ運搬する船にすくい上げる作業中に唄う。
大変激しい労働なので、力強く、しかも威勢良く唄うのである。

●千葉「証城寺の狸ばやし」 東京キューバンボーイズ

作詞:野口雨情 作曲:中山晋平 

「証城寺の狸ばやし」の証城寺とは、木更津市にある<浄土真宗 本願寺派 護念山 證誠寺>のこととされています。木更津には昔から<狸ばやし伝説>があって、大体歌詞のようですが、この伝説の最後は『・・・和尚さんとポンポコ踊りを競っていた狸たちが、ある晩突然来なくなった。
心配した和尚さんが翌日探し回って見ると、庫裡の床下にリーダーの大狸がお腹の皮が破れた姿で死んでいた。
憐れに思った和尚さんは手厚く葬った』というものです。それを、木更津に来た野口雨情が聞いて、「証城寺の狸ばやし」として童話誌「金の船」に掲載し、中山晋平が曲をつけました。これは童謡から出たものとしては、世界に最も知られた歌でしょう。<證誠寺>が<証城寺>となった経緯には諸説あって、
?雨情が参考にした書籍が間違っていた、?我が旦那寺の和尚さんが狸と踊ったなんて、とクレームがついた、?最初から<證誠寺>と特定されないよう雨情自身が配慮した、というものです。

●千葉「ショー・ジョー・ジ」 アーサ・キットとジョー・ライスマン楽団

【参照HP】

世界の国歌
http://www.worldfolksong.com/anthem/index.html

歌舞伎辞典
http://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/edc_dic/dictionary/dic_ka/dic_ka_22.html

日本民謡協会
http://www.nichimin.or.jp/

日本童謡協会
http://www.douyou.jp/doyo/utage.html

世界の民謡・童謡
http://www.worldfolksong.com/index.html

ウィキペディア(軍艦行進曲)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%8D%E8%89%A6%E8%A1%8C%E9%80%B2%E6%9B%B2#.E5.8F.82.E8.80.83.E6.96.87.E7.8D.BB

多加賀流 かっぽれ
http://tagaya.jp/kappore_toha.html

「熊本の歌」参考資料2(おてもやん関係)
http://www.kumamotokokufu-h.ed.jp/kumamoto/shoukai/k_uta_r2.html

ウィキペディア(東京音頭)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%9F%B3%E9%A0%AD

長唄のあらまし
http://homepage2.nifty.com/song/haruka/arama.htm

長唄聞書
http://www.kine-ie.com/kikigaki/index.htm

線翔庵
http://senshohamada.hp.infoseek.co.jp/index.html

細道のMIDI倶楽部
http://www13.big.or.jp/~sparrow/MIDI-index.html


さてお待たせいたしました。

それでは早速お聞きください。

下記URLより、ファイルをダウンロードください。
https://www.webfile.jp/dl.php?i=311082&s=1c2350f8f150e6918b96

期限は3日です★



コメント(16)

?RICARDO SSANTOS and his Orchestra
「Holiday in Nippon」

SIDE-A

八木節
ひえつき節
よさこい節
黒田節
伊那節
馬子節

SIDE-B

おてもやん
鹿児島小原節
串本節
会津磐梯山
佐渡おけさ
真室川音頭

リカルド・サントスは外国向けの芸名でドイツでは「ヴェルナー・ミューラー」という本名で楽団の指揮をとっている彼は、日本の民謡の美しい旋律にほれてうまく料理されています。
なかでもB面の「おてもやん」はロックなアレンジでハンドクラッピンな盛り上げナンバー。
?山本邦山
「銀界」

Side1


銀界
竜安寺の石庭

Side2

驟雨
沢之瀬


尺八とJAZZ。日本の伝統楽器を用いての演奏。一見結び付きそうもないように現代の人は考えるかもしれない。でもその中身を全部聞くとクラシックの交響楽章を存分に味わったかのような恍惚感。ジャズとは和楽器をときに神秘的な楽曲として生まれ変わらせてくれる。
?PEREZ PRADO
「Prado in japan」

第1面

プラードの挨拶
セレソ・ローサ
サクラ・サクラ
浜千鳥
ある恋の物語
斗牛士マンボ
マンボ・ハボネ

第2面

テキーラ
マンボ第5番
マンボ第8番
プリンセス・スガ
ララバイ・オブ・バードランド

「ミナサン、コンイチワ!トウキョウ、ステキ!ニッポンダイスキ!ミンナ、イイヒト!」と片言の日本語で愛嬌たっぷりではじまるリサイタル盤。親日家の彼は生涯でライブ盤というのを残していないらしく、このアルバムは日本のファンだけにおいていってくれた、日本へのお土産なのである。演奏で行われている「サクラ・サクラ」は彼自身、その美しいメロディーを用いて「マンボ・サクラ」として当時発表して大ヒットしていたというほど。日本を愛してくれた彼の音楽を日本人なら聴いて欲しいですね。
?有馬 徹とノーチェ・クバーナ
「有馬徹の日本の旋律」

第1面

勧進帳
越後獅子
元禄花見踊り
吾妻八景

第2面

明の鐘
春雨
梅は咲いたか
三十三間堂

?で紹介したリカルド・サントスに「美しい日本の民謡」をラテンタッチのハイカラなアレンジされて、日本人が黙っているわけが無い。日本人にも元来持って生まれた日本の心がある。外国の音楽家が表現した、「新しい日本の民謡」よりも日本人の方がその心をさらに美しく、繊細かつ新しく表現できるはずだ。そこでいち早く日本人として有馬徹が動いた。日本に真の民謡として伝わっている有名な楽曲を、サントスの技法を自分たちで消化しつつ、それ以上にすばらしく表現している。昔も今も、マネをする日本人、そしてオリジナルを超える日本人の表現方法はかわらない。
?RICARDO SSANTOS and his Orchestra
「BEST ARTIST SERIES」

Side1

真珠飾り
カミニート
ラ・クンパルシータ
オレ・グァッパ
さらば草原よ
ベサメ・ムーチョ

Side2

荒城の月

お江戸日本橋
五ツ木の子守唄
赤とんぼ
宵待草
さくら さくら

と言ってもやっぱりリカルド・サントスもマニアック。民謡をさらに詳しく掘ってきます。「荒城の月」や「赤とんぼ」はすでにオーケストラの交響楽と化しています。でもなんといっても「さくら さくら」の力強いラテンテイクはやみつきです。
?EDMUNDO ROS & HIS ORCHESTRA
「ROS IN JAPAN」

第1面


城ヶ島の雨
浜辺の歌
お江戸日本橋
さくら
出船

第2面

恋のヴァカンス
おかあさん
冬の夜
こんにちわ赤ちゃん
木曽節
夏の思い出

DJ610 一番のお気に入りと言えば、エドムンドロス楽団。エドさんも、それはたいそうな親日家でこのアルバムもそんな日本の民謡、当時のポピュラーヒットを取り上げてカバーしたラテンアルバム。なかでもエドさん本人がボーカルで歌う「さくら」はカフェでもフロアでもキラーな一曲。「恋のヴァカンス」はピーナッツで有名ですが、エドさんのインストサンバもかなりインパクト大で最高です。
?STANLEY BLACK
「TOUCH IN JAPAN」



恋のヴァカンス
木曽節
相馬盆唄
出船
さくら
祇園小唄
八木節



浜辺の歌
ウナ・セラ・ディ東京

城ヶ島の雨
お江戸日本橋
おかあさん
こんにちわ赤ちゃん

こちらはピアノ奏者のスタンリーブラックさんですが、ピアノの演奏が聞けば聞くほど事の演奏のように聞こえたり、スティールパンのように聞こえたり、いろいろな表現方法をスタンリーさんは見せてくれます。リズム隊もピアノに綺麗にのっかり、演奏を一段と引き立たせてくれる。「八木節」がキラーラテンテイクに変わっているところが本当にすばらしい。
?江利チエミ
「チエミの民謡ハイライツ」

第1面

木曽節
ちゃっきり節
八木節
黒田節
阿里屋ユンタ
深川くずし

第2面

五木の子守唄
そうらん節
新相馬ぶし
相馬盆唄
木遺くずし
奴さん

江利チエミ昭和30年代、美空ひばり、雪村いずみと共に3人娘として、一世を風靡した歌手で、美空ひばりのライバルとも言える。彼女は民謡を祖先からの遺産として、オーケストラやラテンパーカッションを交えて、時代の伝達者として新たに表現させて見せた。
第1集では東京キューバンボーイズの演奏がとても美しい「ちゃっきり節」ストリングス・クバーノの表現する「そうらん節」がとてもカッコイイ。


?江利チエミ
「チエミの民謡ハイライツ 第2集」

第1面

おてもやん
しののめ節
鹿児島おはら節
佐渡おけさ
田原坂
おこさ節

第2面

三階節
常磐炭坑節
斎太郎節
新室川音頭
ダンチョネ節
さのさ

こちらは同じく江利チエミの民謡第2集。
「おてもやん」と「さのさ」はフロアでも使える異色テイク。

今の現代人には民謡なんて、本当に縁のない音楽である。でも江利チエミが感じたように、祖先からの遺産として、DJ610は2007年の現代にカフェでその遺産をみなさまに伝えます。
敬愛なるモリオ>そなんだー。伝統は大事ですよ。ホント。音楽を聴くとしみじみ思います。モリオのイラストレータ技法も伝統文化を取り入れてさらに磨きをかけていただきたい。また一緒に仕事しましょう★
山本邦山/沢田駿吾クインテット 『尺八とボサ・ノヴァ』 

第1面

さのさ
木曾節
ひえつき節
小諸馬子唄
黒田節
山中節

第2面

佐渡おけさ
よさこい節
五ツ木の子守唄
関の五本松
さんさ時雨
刈千切唄

こちらは説明要らずのタイトルそのままの尺八でボッサボッサです。この時代の沢田駿吾クインテット演奏はすごいですね。コレゾ歌謡ボッサと言うようなオケに尺八がうまく絡み合って、日本の新しい音楽の形になっております。1度聞くと民謡だと絶対わからないくらいオサレな作品。「さのさ」の出だしの尺八にやられます。THINK!レコードから和ボッサシリーズでCDがでそうな予感です。
ピンキーとキラーズ「ピンキラの民謡お国めぐり」

第1面

おてもやん
安来節
佐渡おけさ
ソーラン節
江戸子守唄
新室川音頭
デカンショ節

第2面

八木節
五木の子守唄
黒田節
会津磐梯山
炭坑節
木曾節
安里屋ユンタ

前田憲男編曲の「おてもやん」がやっぱりたまらないですね。カフェでもバカウケ★
ピチカートファイブの「さ・え・らじゃぽん」のアルバムのジャケットイメージはこ
のピンキラのアルバムから来ているようです。
メッセ有難うございました♪
いただきました〜。
お洒落!
ぼくのレコ棚にはないレコード達です。
なんか高そうなレコばかりですね。

ほんとかっこいい曲が多いですね。
民謡meetsジャズ、素敵です♪

今日は1日これ聴いてましたよぉ〜
ホント月並みな言葉ですが、全曲キラー捨て曲無しの50分ですね!!
ゴメンナサイ、真似して買いたいのだらけです。
是非聴いてみたいのですが、もう聴けないですかね…?
出遅れました。
オレも是非聞きたいです。

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