ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

PWL音楽論コミュのリミキサー達のPWLワークデビューについて

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
SAWやPWLのマニアであれば、リミキサー達がPWLワークであるかどうかは当然として拘りたいもの。

「いや、私はPHIL HARDINGが好きなんで...。」と言う人もそれはそれでいいのかも
知れないが、本当にPWLから魅力を感じSAW作品から彼らの存在を知ったのであれば、当然PWLワークかそうでないかの切り分けに拘ることは当然であろう。

そこで今回は、PWLリミキサー達のデビューワークとそれ以外のワーキングについて
語りたいと思います。
PWL専属リミキサーといえば、ご存知の4者。

まず一人目はPHIL HARIDNG。
彼については、PWLとの出会いが後の大きな飛躍に繋がったことは言うまでもありませんが、それだけ元々持っているMIXセンスは勿論のこと、その様々な音色をどのアレンジに適用するかについてのセンスをも備え持った数少ない才能の持ち主だと思います。
それは彼のPWL以前からの経歴が物語っている。

あのMATT BIANCOの元メンバーでもあり、またPWL以前から独自によるHI−ENERGYサウンドのプロデュースも手掛けてきた。やはり幅の広さはUK−SOULを得意分野としているところもそうでしょう。そんな彼がPWLの専属として加入したのはデータを確認してみると、1985年3月リリースのU−BAHNXということになる。

しかし、PHIL HARDINGとPETE HAMMONDの場合は、PWLプロダクション以前にも既に
PETE WATERMANと活動を共にしていたのだ。
両者は、PETE氏が以前からPETER COLINSと共に立ち上げた
「LOOSE END PRODUCTION」のスタッフとして参加していた。
作品としてはBELLE STARSという女性グループ(1983年)や、ROMAN HOLIDAY、
NIK KERSHAW、MUSICAL YOUTHといったアーティストだ。

この流れをみると、PWL以前からPETE WATERMANの下で技術等について修行を重ねていたということである。
そして、PWLプロダクション(A PETE WATERMAN PRODUCTION)設立とともに
PETE氏が独自のスタイルを彼らに植え付けたのである。なので、PWLリミキサーはPETE氏の
方針に沿った忠実なMIXを担当してきたということである。

更にPHIL HARDINGは「BLUE AUGUST PRODUCTION」や、
「CREEP MUSIC PRODUCTION」等にも籍を掛け持ちながら、1985年以降も
同プロダクション名義であっても、PWLワークとして引き続きMIX−MASTERとして技術を発揮してきた。
そんなキャリアを重ねてきた人なので、時には当然SAW作品のなかにおいても
「良きエンジニア」として活躍したのだろう。
そして彼の最後となったPWLワークは、1992年11月リリースの
KYLIE MINOGUE/CALEBRATION。その後は、1994年にDEUCE等のプロデュースを
手掛けた。

そして二人目はPETE HAMMOND。彼もまたPWL以前からのWATERMANとの付き合いともあり、キャリアあるエンジニアの一人なのだ。
しかしPHIL HARDINGと比較してしまうと、過去のPWLワーク実績を確認していただくと判るように、PETE氏に起用された比率は圧倒的にPHILの方が多い。
それがPHILとの実力差の全てであることは証明されている。しかし、SAWワークのなかで
POP−IDOL全盛を支えた功績は大きいが、あくまでSAWの存在あってのことであり、
1990年あたりには彼もPWLワークに磨きが掛かったモノは感じるが、その頃には既に
PWLとの契約も終結に近づいていたというのが彼の実力ということだろう。

では、彼がPWLデビューした作品はというと、1986年11月にMONDO KANE/
AN EVERLASTING LOVE〜を担当したのが最初のようだ。
しかしこの頃はあまりPETE氏に起用されることが少なく、実際には1987年以降の
POP−IDOL全盛期に入ってからだ。そのタイミングもPETE氏の絶妙な判断だと思う。
彼の最後となったPWLワークは、1991年3月リリースとなった1 ON ONE/WHO‘S GONNA LOVE ME。その後は、1996年にNEWTON(S&Aワークの後)のMIX等を手掛けた。

三人目は、DAVE FORD。彼はPWLに加入する1987年以前から、
PAUL HARDCASTLEやBILLY OCEAN、IMAGINATION等、数々の
MIX−ENGINEERワークを経て、前者2大MIX−MASTERの下においても修行を重ね、PETE氏に起用されるまでの実力を身に付けた。そのキャリアが後の一時期の
PWL−RECORDSを支えるプロデューサーにまで昇格した一人となったのです。
そんな彼のPWLデビューワークは、意外にもSAW作品のKYLIE MINOGUE/
THE LOCO−MOTIONだった。(PETE HAMMONDとの協同作業)
やはり、以前の活躍実績がPETE氏に買われたのでしょうか?

彼の最後となったPWLワークは、1996年11月リリースのJOHNNA/
LET THE SPIRIT MOVE YOU。その後はご存知のとおり、日本のAVEXでの様々なMIXを手掛けたのは個人的にはちょっと残念な終わり方。

そして最後はTONY KING。彼については前回のトピでも紹介したとおり、
彼がPWLに送ったMIXテープがPETE氏に認められたというのがきっかけ。
PETEの新たな戦略である、本格ダンスビートを駆使した従来にない試みの立役者となった。そんな彼のPWLデビューはこれも意外にも1988年12月リリースのSAW作品であるS.S.PAPARAZZIを担当。彼も後のPWL−RECORDを支えるプロデューサーに昇格した一人でもある。
彼の最後となったPWLワークは、1994年12月リリースの
FKW/LAURA PALMER‘S THEME。その後はあの「SANTA MARIA」をリメイクした
SAMANTHA FOXのプロデュース等を手掛けた。

このように「PWL−MIX」の核は何処にあるのかを考えてみれば、必然的にこのリミキサー4者の魅力範囲は定まってしまうのではないでしょうか?

しかし、PETE WATERMANの良き右腕や左腕として、膨大な作業をこなしたその
団結力が、SAWの長年実績を支えた「助っ人」であったことは明らかである。

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

PWL音楽論 更新情報

PWL音楽論のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング