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在日一世の介護施設問題

私が東京時代親しくさせていただいていた在日2世の呉文子さんの民団新聞への寄稿文です。
車椅子にのったお母様とも挨拶申しあげたこともあり他人事と思えなく・・・・
全文紹介することにしました。




<寄稿>母をホームに託して 呉文子 2006-10-04

在日独自の介護施設 関東にも

 母は今年卒寿(90)を迎えた在日1世である。一人暮らしをしていた母が、喜寿(77)を境に長男(私の弟)の住む山梨に引っ越してきたのは今から13年前である。茶飲み友達もでき、ようやく田舎暮らしにもなれほっとした矢先に、第一腰椎破裂骨折で不自由な体となってしまった。

 その後も加齢による老化は防ぎようもなく、左右の大腿骨を次々と骨折し、ついに介助なしではベッドから起き上がることさえもできなくなってしまった。弟と私は逡巡しながらも昨年の12月、最後のセーフティーネットとして母を老人介護施設へ入所させることにした。

 施設入所までの1年半、母を我が家に迎えて一緒に暮らした。母が米寿(88)を迎える半年程前のことである。寂しい一人暮らしをしていた母が、娘との生活に過大な夢と期待をもつのは当然だろう。孤独な母の期待に応えようと、孝行娘はかなり頑張った。毎日のように車椅子を押して散歩や買い物や病院通い、歯の悪い母に合わせた3度の食事づくりと、1日のほとんどが母に合わせたスケジュールとなり、私自身の時間はほとんどなくなっていった。

 そんな生活がつづくうちに、私の精神は日を追ってバランスを崩していくようだった。自分に余裕がないばかりに、もっと優しくと思いながらも、ついきつい言葉が口をついて出てしまう。

 その後には、母を傷つけたことへの悔いで、自己嫌悪感が津波のように襲い、つらく先のみえない介護の日々を送っていた。そんな折、またも不運が重なり、母は前述したような重い障害を持つ身となり、施設での生活となったのである。

 私は毎月ホームを訪ね、3日ほど母と一緒に過ごしている。ホームを訪ねるには、高速バスと身延線を乗り継いで4時間以上もかかるのだが、個室なので気兼ねなく下の世話もでき、愚痴もしっかり聞いてあげられる。ベッドから車椅子への移動やおむつ交換はかなり手慣れてきたが、古希を1年後に控えた身には、正直夜中のおむつ交換はつらい。それにも増してつらいのは、「もっと泊まっていって欲しい、連れて帰って」と涙を浮かべて哀願されることである。

 しかし、この施設が在日のための施設だったら「連れて帰ってほしい」と、無理は言わないだろう。大阪や神戸にある「故郷の家」のような民族的介護施設が近くにあれば安心して母を託すことができ、母も気兼ねなく過ごせるはずだ。

 施設がどんなに立派で介護士たちの手厚い介護があっても、歴史や民族性や識字のことを考えると、母のような在日1世にとっては、同じ同胞のいる民族的な施設で暮らしたいのが本音だろう。 母は若い頃から韓国の歌が好きで、とりわけ民謡は得意だった。そんな母がみんなの輪に入れなくて、一人ベッドで「あかとんぼ」や「どんぐりころころ」のメロディーに聴き入る孤独な姿を見るにつけ、連れて帰れるものなら、と何度思ったことだろう。

 母はやっと仮名が読める程度で文盲に近い。他の在日1世高齢者も母と似たり寄ったりの識字で日本人とのコミュニケーションがとりづらいうえに生活習慣なども違い、不自由を強いられることが多いのではないだろうか。

 同じ歴史や文化を共有する同胞同士が、誰はばかることなくのびのびと、懐かしい昔話に花を咲かせたり、歌や踊りにと気を紛らわすことのできる在日独自の介護施設が一刻も早く望まれてならない。

 大阪に次ぐ在日の多住地域である東京はもちろんだが、関東地方にもぜひ誕生してほしいものだ。願わくば、母が生きている間に実現できたらと祈るばかりである。

 その日もエレベーターのドアが開くと、車椅子に乗った母が目の前にいた。いつものように朝からエレベーターの側に張り付いていたのだろう。「遅いねぇ」。開口一番、すねたようなひと言に、朝からどれほど待ちわびていたのか、母の孤独がひたひたと伝わってくる。この1年間にすっかり小さくなってしまった母の肩にそっと手を添えながら、ごめんなさい、と心で詫びていた。

(2006.10.4 民団新聞)







コメント(9)

このトピでは、在日コリアンの抱える問題、在日外国人が抱える問題、日本社会に突きつけられた問題など、国や地方自治体、また、私たち日本人が何を問われているのか?何をなすべきなのか?という「大人の宿題」をご紹介していきます。

他文化共生・国際交流といいながら、島国根性を引きずっている私たちの問題でもあります。在日外国人の問題など、多角的な社会問題を拾ってご紹介します。

日本は人身売買受け入れ大国だと国際社会から指摘されていることをどれだけの日本人が知っているでしょうか?

また、私たちが食べているチョコレートが原産地の子どもの「児童労働」「強制労働」によって運ばれてきているとどれだけの人が知っているでしょうか?

社会的責任とは、企業だけに責任を押しつけることではありませんね。そこに働く労働者の問題であり、企業が不当な児童の搾取をしている製造業者から仕入れ、販売しているとしたら?

よく外国では不買運動があっておりますが、ここでは客観的な事実のみをご紹介してまいりたいと思います。それをご覧になて社会を構成している自分自身の問題に発展して考えてくださったら幸いです。
−記事−

●第56回関西吹奏楽コンクール 尼崎初中が優秀賞

 第56回関西吹奏楽コンクールが8月21日、京都会館第1ホールで行われ、初出場した尼崎朝鮮初中級学校吹奏楽部が中学校小編成部門の自由曲で「アリラン」を演奏し、優秀賞に輝いた。

 同部門には近畿地方から246校が参加。関西大会初出場で優秀賞受賞の快挙に、部員や学校関係者たちは喜びを隠しきれないようすだった。

 同校は7月28日の兵庫県東阪神地区予選でグランプリ、8月7日の兵庫県大会で金賞を受賞し、今コンクール出場を果たしている。【尼崎初中吹奏楽部】

[朝鮮新報 2006.9.16]


●「少年の主張」中播磨大会と続く兵庫県大会で最優秀賞

 「国際交流の輪を広げよう」−これはわが校の屋上に掲げられたスローガンです。私たちの学校は今年創立60周年を迎えました。今私は在日朝鮮人として、国際交流の輪を広げる人になろうと思っています。しかし私がこんなふうに考えるようになったのは最近のことです。

 それは今年の4月のことでした。今年も姫路市からのセンリョウの苗木をうけとる新入生たちに、ある先生がおっしゃった言葉を私は偶然耳にしました。

 「あなたたちがこのセンリョウの苗木を受け取るのはとても意義のあることです。あなたたちは最近の報道に心を痛めることが多いでしょう。このセンリョウの苗木は姫路市が、今年中学に入学する人たちに送ってくれたものです。在日朝鮮人であるあなたたちにも同じく、入学を祝して送ってくれたのです。朝鮮と日本の悲しい歴史の中でも在日朝鮮人と交流を深め、力を合わせてくれる人たちがいることを忘れてはいけません」

 でも私は今までセンリョウの苗木を受け取ることについてそのように考えたことがなかったし、在日朝鮮人と力を合わせてくれる日本の人々について考えたことがなかったので、とても驚きました。今まで私は、日本と朝鮮の悲しい歴史に心を痛めながらも、自分が在日朝鮮人であることを誇りに思いながら暮らしていました。テレビから流れてくる朝鮮へのバッシングに悲しい思いで目をそむけてきました。そのせいか私たち在日朝鮮人と力を合わせてくれる日本の人々に気づいていませんでした。

 このときから私はわが校の60年の歩みと日本の人々のことについて調べて考えました。そこには一言では言いあらわせない歴史があります。日本に渡ってきた私たちの曾祖父母たちが自分たちの子どもや孫に母国語を教えようと日本に朝鮮学校を建ててくれたのです。しかしその歴史には心無い人々の圧力もあり、存続が危ぶまれた時期もありました。

 また、国の援助もなく、すべてが曾祖父母たちの手作りで、教科書、机、椅子−そのようなものを作ることから始まったそうです。そんななか一番の悩みは校舎、教室を確保することでした。そんな時、ある日本の方が自分の建物を教室にと貸してくださったそうです。そこからわが校の歴史が始まりました。

 その心は現在にも引き継がれ、今年創立60周年を祝した運動会には姫路の「西播朝鮮初中級学校を支援する市民の会」のみなさんがくださったテントが設置されました。思えば中体連の公式試合に朝鮮人である私たちが出場できるのも今では当たり前のように思われがちですが、私たちの父母の時代には考えることもできなかったことでした。

 わが校の60年の歩み−そこには在日朝鮮人のがんばりだけでなく私たちを暖かく見守り、力を合わせてくれた日本の方々がいたということを私は知りました。今まで知ろうともせず、ただ目を背けていた自分が恥ずかしくなり、これからは真の国際人として自分の民族を誇りに思いながらも、ほかの国の人々と共に力をあわせていこうと思うようになりました。

 まだお互いわからないことも多く、心の行き違いから悲しい思いをすることもあると思います。しかし私はわが校が歩んできた60年の歴史は、在日朝鮮人と日本の人々との友好の歩みであることを確信し、国際交流の輪を広げるためこれからも努力していこうと思います。(8月18日の「少年の主張中播磨大会」で最優秀賞を受賞)

[朝鮮新報 2006.9.7]
http://www.imadr.org/japan/jc/icerd.project/Diene%27s%20ReportatHRC.html

国連人権理事会第2会期における、


ドゥドゥ・ディエン人種主義・人種差別に関する国連特別報告者による日本訪問報告書に関する討議
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9月18日から、国連人権理事会第2会期がスイス、ジュネーブにて開かれています。会期初日の18日午後、ディエン特別報告者によって日本公式訪問報告書を含むいくつかの報告書が取り上げられました。それに対し日本政府は、ディエン報告書が特別報告者としての任務を超えているとし、また報告書の誤りを指摘する発言を行ないました。NGOにも、制限はあったものの発言機会が設けられ、IMADRがディエン報告書についての発言をしました。以下、ジュネーブから届いた情報をもとにした速報をお届けします。

1. ディエン特別報告者によるプレゼンテーション
 ディエン特別報告者はプレゼンテーションのなかで、日本公式訪問について2分ほど触れた。主な内容は以下のとおり。

・ 日本には人種主義・人種差別が実在する。
・ 近隣諸国から文化的に孤立している。
・ 人種主義・人種差別の対象;

 1) 部落の人びと、アイヌ民族および沖縄の人びとのようなナショナル・マイノリティ
 2) 朝鮮半島出身者・中国人を含む旧日本植民地出身者およびその子孫
 3) その他のアジア諸国および世界各地からやってきた外国人・移住者

・ 人種差別をなくすための法制度の必要性
・ 歴史の記述と教育が問題を深刻にしている。(アジア)地域の歴史概観をともに起草することを勧める。それがナショナリズム的な発想を克服する手助けになる。
・ 沖縄について:沖縄に訪問できたことを(IMADRに)感謝。米軍基地が沖縄で問題を生み出している。

2. 日本政府による反応と「反論文書」の提出

日本政府は、ディエン報告書に対するコメント「在ジュネーブ国際機関日本政府代表部より人権委員会事務局に宛てた口上書」を提出している。(文書インデックス:A/HRC/1/G/3、2006年6月26日付、同文書は国連人権高等弁務官事務所のウェブサイト内から取得することができます。(http://ap.ohchr.org/documents/dpage_e.aspx?s=99))

・ ディエンさんの発表を受けて、日本政府は、同文書にもとづき、ディエン報告書への誤りなどを以下のポイントに絞って発言した。

1) 特別報告者は「現代的形態の人種主義・人種差別…」を任務としているのに、報告書は沖縄の基地問題や第二次世界大戦下での「強制労働」や「従軍慰安婦」等に触れており、その任務を超えている部分がある。
2) 法制度について:日本国憲法は法の下の平等を明記し、憲法・条約で差別は禁止されている。人種差別の被害者は、民法とその他の法律にもとづいて、損害賠償を求めることができる。人種差別的な動機による傷害行為は、刑法のもとで罰せられる。
3) 同和地区における差別について:1969年以降、経済的な状況は改善している。
4) アイヌ、沖縄について:アイヌや沖縄の人びとが、誇りを持って日本の文化に貢献できるような社会を目標にしている。
5) 外国籍住民:憲法は外国人にも権利を与えている。外国人も平等に権利を保障することは相互理解を促進する。たとえば、外国籍住民は日本人と同様に教育を受けることができ、特別な費用を支払わなくてもいい。

3.NGOによる口頭での発言

限られた時間ではあったが、NGOにも発言機会が設けられ、日本公式訪問についてはIMADRからのみが発言した。ディエン報告書を受けて発表したNGO共同声明をもとに、1)報告書とその後のフォローアップへの特別報告者の関与を歓迎、2)日本政府による消極的な姿勢について遺憾の意を表明、3)特別報告者との今後も協力して活動し、国内でのネットワークを強化していくこと、をうったえました。

4.ディエン特別報告者による返答

日本政府の発言に関して、比較的多くの時間を割いて以下のような発言があった。

・ 歴史を扱うことを「現代的形態…」に関する報告者の任務外だとして任務を制限すれば、氷山の見えない部分が触れられないままになる。見える部分だけに対応していても、差別はなくならない。
・ 差別は長い時間をかけて形成され、その形成過程を発見することが必要。歴史は差別の発現する場であり、人種主義・人種差別の深い根にあるものに焦点をあてる必要がある。
・ 在日中国人・コリアンは最も苦しんでいるが、これも日本の歴史の一部である。日本の子どもたちは「日本は美しい国だ」と教わるが、中国と韓国はその日本の父と母と言える。歴史を見直すことは、差別の解決策の一つである。難しいが、差別と闘う上で必ず助けになるはずだ。
以上
吉見義明氏(中央大学教授)の従軍慰安婦問題とは何か?

http://www.zephyr.dti.ne.jp/~kj8899/houtei.html
在日の介護施設問題について、貴重な情報をありがとうございます。介護の問題は、人事と思えないですが、在日の場合、さらに自分の同胞と過ごせる空間を望むという気持ちもとても共感します。娘さんにも余裕がないと、いっぱいいっぱいになってしまって、自分が精神的に苦しくなってしまったり、お母さんにもきつくあたってしまったりということが出てくるということもあるでしょう。しんどくなったら自分も吐き出す、負担がひとところに集中しないよう、施設の人、家族、親戚、医者、ソーシャルワーカー、いろんな人が関われる仕組みがあったらいいと思います。

正しい歴史認識、相手の立場に寄り添い共感すること、マイノリティどおしが集まれる場所づくり、などなど日本社会で取り組んでいくことはたくさんあると思います。
YUKIさん、コメントありがとうございます。

介護問題は日本人も先行き不安ですが、やはり異国で年老いていくということは、私たち日本人には想像できない辛さがあるんじゃないかと思います。

>しんどくなったら自分も吐き出す、負担がひとところに集中しないよう、施設の人、家族、親戚、医者、ソーシャルワーカー、いろんな人が関われる仕組みがあったらいいと思います。

そうですね。一人で抱え込まないでよい社会福祉保障の充実を望みます。それは、人種や国籍を問わずに保障することでしょう。

>正しい歴史認識、相手の立場に寄り添い共感すること、マイノリティどおしが集まれる場所づくり、などなど日本社会で取り組んでいくことはたくさんあると思います。

最近は、歴史を修正したり、歪曲したりしている方々がいますが、歴史は消せないと思いますし、歴史事実と向き合うことの重要性を感じます。以下のディエン氏の報告は深刻な問題を孕んでいると指摘しています。

>・ 日本には人種主義・人種差別が実在する。
>・ 近隣諸国から文化的に孤立している。
>・ 人種主義・人種差別の対象;


>・ 人種差別をなくすための法制度の必要性
>・ 歴史の記述と教育が問題を深刻にしている。(アジア)地域の歴史概観をともに起草することを勧める。それがナショナリズム的な発想を克服する手助けになる。
>・ 沖縄について:沖縄に訪問できたことを(IMADRに)感謝。米軍基地が沖縄で問題を生み出している。
次は沖縄からの情報です。

http://henoko.jp/info/20061031graham.html

フランクリン・グラハム国際大会への反対声明
大会実行委員会 殿 

 11月3〜5日、フランクリン・グラハム氏を招聘し沖縄で国際大会が開かれるとのことですが、私たちはこの集会開催に以下の理由により反対せざるをえません。

 戦後61年を経た今日でも米軍の軍事基地の重圧にあえいでいる沖縄県民、国土のたった0.6%の面積の中に在日米軍専用基地の75%がひしめき、県民の生命・財産を脅かしている現状、また今、沖縄の米軍基地からイラク戦争に参加している事実に鑑みるに、このようなブッシュ政権の政策を支持している人物を招いて行なわれる集会が、どのような影響と結果を沖縄にある教会に与えるか深く憂慮するものです。
沖縄に米軍基地があるのは有名ですが、わたしも米軍基地がある佐世保市で生まれ育ちました。被爆地長崎出身というより、米軍基地佐世保出身という感情のほうが強いです。

佐世保も沖縄と同じく、佐世保で食料を補給し、米兵がベトナムに飛び立っていきました。米兵の犯罪が多く、治安はよくありませんでした。米軍基地のある沖縄に、宗教者が戦争賛美に来るとは信じがたい事実です。宗教に詳しくないので、まさきさん、サイト運営者のかなかなさんに、ちょっとお伺いしたいと思います。

かなかなさん、まさきさん、同じキリスト者なのに、どうしてこのような見解の違いが出てくるのでしょうか?

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