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常磐高等学校/常磐学園同窓会コミュのあゝ誇るべき我が先輩

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旧制常磐中学校と新制常磐高等学校の先輩方をご紹介します。

コメント(3)


 私学の雄として、北九州に巍然とその威容を誇る常磐高等学校(旧制常磐中学校)。学園創立者の林徳一先生は、「教育の主義方針は教育に関する勅語及び軍人に賜りたる勅諭の御聖旨を奉戴し、これを日常生活に拡充し、以て日本国民たるの本分を自覚せしむるにあり」との教育理念を掲げ、知育・体育・徳育により、国家有為の人材育成に力を注いだ。創立以来、今日までに社会へ送り出した卒業生は、二万四千人に及ぶ。そして、その多くが国家有為の人材として活躍している。第1期生の【岸本正夫氏】は、福岡職業安定所所長として活躍。昭和21年の同窓会発足とともに初代会長に就任。後に勲五等瑞宝章に叙せられた。同じく、第1期生の【新川幸生氏】は、東京帝国大学を卒業。いわゆる「東大現役合格」の第一号である。後に福岡県立高校の校長として活躍した。第4期生の【花木功氏】は、官立明治専門学校を卒業し、官営八幡製鐵所に奉職。後に会社重役を経て、同窓会第二代会長となった。第5期生の【樋上静雄氏】は、北九州市議として市政の発展に尽力した。第6期生の【和田辰司氏】は、北九州市小倉北区長として手腕をふるった。第8期生
の【大塚金蔵氏】は、北九州市病院局長として活躍。後に医療法人理事や学校法人理事長を務めた。同じく、第8期生の【松尾正義氏】は、北九州市子ども会連合会会長として活躍。地域社会活動で多大の功績を残している。同窓会第三代会長でもある。足立山麓に圓通寺を再興し、後に黄檗宗管長となった【林文照氏】も第8期生である。
 第9期生の【影山信雄氏】は、在校中に相撲部で活躍。明治大学に進学し、第二十五代学生横綱となった。後に日本相撲連盟理事、日本実業団相撲連盟理事長などを歴任した。同じく、第9期生の【吉田譲氏】は、福岡歯科大学教授として、【佐藤信正氏】は、九州歯科大学教授として活躍した。第10期生の【大石雅也氏】は、北九州市高速鉄道建設部長として、北九州モノレールの基盤づくりをした。同じく、第10期生の【田村光圀氏】は、陸軍士官学校第60期生。陸士時代の同期には、農林水産大臣を務めた加藤六月氏やアサヒビール株式会社名誉顧問の中條高徳氏がいる。戦後、国鉄を経て母校に奉職。特進クラスの基盤づくりに尽力し、後に教頭として辣腕をふるった。
 第11期生の【権堂義幸氏】は、在校中に相撲部の選手として日本国中に勇名を馳せ、全国大会で準優勝した。その後、実業家として活躍する一方、小倉市議、北九州市議として市政の発展に寄与。昭和44年に母校の理事長となり、経営難に陥っていた学園を再建。全国の私学に先駆けて、特進クラスを創設するなど、学園経営者として手腕をふるっている。同じく、第11期生の【内藤武敏氏】は、劇団民芸出身の俳優として、舞台やテレビなどで活躍。その演技力には、定評がある。戦後、韓国へ戻り、ソウル大学物理学主任教授となった【杉山哲男氏】、ジャーナリストで、知性コミュニケーションズ代表の【小石原昭氏】、北九州市議として活躍した【山中三敏氏】、北九州市獣医師会会長を務めた【村上徹氏】、林徳一先生の甥であり同窓会第四代会長の【大坂聰氏】、北九州中央海産市場株式会社の常務取締役を務め、後に同窓会第五代会長となった【多田羅澄雄氏】も第11期生である。
 第12期生の【アルバート・ハジメ・ミヤサト氏】は、昭和15年に米国から旧制常磐中学校に留学。昭和22年に米国へ戻り、ハワイ大学教育学部卒業。日本語アナウンサーを経て、ハワイ州教育局長、同州知事行政補佐官、サウジアラビア王国教育顧問、ハワイ日系人連合会会長などの要職を歴任。後に在外邦人として勲四等瑞宝章に叙せられた。同じく、第12期生の【石原滋明氏】は、戦時中に予科練となり、三重海軍航空隊奈良分遣隊に入隊。戦後、警視庁に奉職。参事官兼通信指令本部長として有終の美を飾った。


つづく




※写真は、昭和4年の初代校舎上棟式。



 昭和20年3月―第12期生とともに第13期生も母校を巣立った。いわゆる戦時繰上卒業である。その中には、後に福岡県議として、県政にその人生を捧げた第13期生の【吉村範眞氏】、同じく、第13期生で、後に内科医として地域医療に貢献し、同窓会第六代会長を務めた【金子健太郎氏】の姿もあった。小学校教諭から北九州市議へと華麗なる転身を遂げた【白石照義氏】も第13期生である。第14期生の【末宗成二氏】は、薬剤師として、薬道を歩むこと半世紀。福岡県薬剤師会副会長の要職も務め、平成14年に勲五等瑞宝章に叙せられた。同じく、第14期生には、書家として活躍した【森士郷氏】、長年にわたり北九州市議として活躍した【木村証氏】もいる。第16期生の【川本源司郎氏】は、“丸源ビル”を全国に林立させ、実業家として活躍。第17期生の【今浪寅雄氏】は、国際興業グループの創業者。運輸業界に新しい風を巻き起こした。同じく、第17期生の【林顕照氏】は、福岡県立高校の教諭として、教鞭をとる傍ら、十年がかりで「歎異抄」の英訳を成し遂げ、大いに脚光を浴びた。第18
期生の【日高敏明氏】は、九州国際大学の法人本部長や事務局長を歴任し、同大学の発展に尽力した。第19期生の【渡辺譲治氏】は、北九州市議として多くの実績を残した。同じく、第19期生の【馬渡博親氏】は、地元を代表する郷土史家の一人。北九州市立大学や専門学校の教壇に立つとともに小倉郷土会会長として、講演活動を行っている。
 第21期生の【桑原和男氏】は、喜劇俳優として、吉本新喜劇で活躍している。同じく、第21期生の【田中脩嗣氏】は、航空自衛官として国防に従事。後に北海道千歳市議となった。第23期生の【城戸則文氏】は、プロ野球選手として、西鉄ライオンズやヤクルトスワローズで活躍した。同じく、第23期生の【田中綜二氏】は、大学と高校・中学校を擁する学校法人西南女学院の理事長として、学園経営に手腕をふるっている。第28期生の【川野一成氏】は、国士舘大学を卒業後、国士舘高校に奉職。後に校長となった。第31期生の【山下睦男氏】は、九州国際大学教授として活躍。同大学の国際関係学部長も務めた。同じく、第31期生の【砂田向壱氏】は、肉親の死をきっかけに銃廃絶運動を展開。九州大学特任教授も務めた。
 第41期生の【藤井祐二氏】は、筑波大学芸術専門学群を卒業。画家として活躍し、数多くの賞を受賞している。第47期生の【篠崎史紀氏】は、天賦の才能を発揮して、NHK交響楽団の第一コンサートマスターとして活躍。第53期生の【永江和之氏】は、カメラマンとして、松竹「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」など数多くの映画のスチール写真を手がけ活躍していたが、平成18年の大晦日に急逝した。同じく、第53期生の【小野一也氏】と第55期生の【千代丸亮彦氏】は、プロ野球選手として、ともに広島東洋カープで活躍した。第60期生の【原口あきまさ氏】は、伝統ある剣道部の出身。現在、テレビを中心に多芸多才のお笑いタレントとして、お茶の間を賑わしている。
 昭和4年春、三十一歳だった林徳一先生は、至誠の教えをかざして、旧制常磐中学校を創立した。その信念と理想は、八十一年を経過した現在でも、二万四千人の卒業生の心の中に連綿として受け継がれている。


おわり




※写真は、昭和53年の創立五十周年記念式典。


菊地 満様 

拝啓、
貴職の2010年11月11日 16:49記述、 「あゝ誇るべき我が先輩」の記事をたまたま偶然に拝読しました。
文中の『第31期生の【砂田向壱氏】は、肉親の死をきっかけに銃廃絶運動を展開。九州大学特任教授も務めた』。と記載のある本人・砂田です。驚きとともに、誠に光栄の至り。深く感謝申し上げ一筆するところです。九州大学大学院特任教授退任後、ほどなくして311・東日本大震災が発生。此れに伴い、提唱してきた海洋国日本に必要な病院船(災害時多目的船)の保有を目指し、検討会議が政府内に設置されたのを期に有識者として委員に就任。http://www.mobilehospital.org/現在に至っています。
この紙面で権堂理事長がお亡くなりになられたことも知りました。敬愛した大先輩に本紙借りて、心から哀悼の意を表させていただきます。帰福の折に機会を賜れば、お世話になった母校の学生諸君に講話をさせていただき、恩返しの一つとして権堂理事長に哀悼の誠を捧げられたら深甚の極みです。
縁尋機妙、その節は何かのお導きかと感謝申し上げます。
それでは小生を記載賜りましたことに、厚く御礼を申し上げ失礼致します。     敬具

       常磐男子高等学校 第31回卒業生 砂田向壱 博士(人間環境学),Koichi Sunada,Ph.D.拝上、
                    (現職:公益社団法人モバイル・ホスピタル・インターナショナル 理事長)
                      e-mail: sunada@mobilehospital.org,
gmail: koichito823@gmail.com

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