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明治・大正・昭和史コミュの明治に来たメッケル

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やはり、武器を持つものは、高い教育と知識をもたなければなりませんね。

大正以降、軍がいったん官僚腐敗を起こし出すと、もともと
中学でしか、一般の教育を受けていない、いわば無学な連中が
力を誇示するようになります。これが、昭和の悲劇の主因ですね。


明治までは指導的力をもつものが、まだ、サムライの人格教育をかろうじて、うけていたと考えられますが、大正時代以降は、欧州大戦景気による贅沢と、日清・日露連勝からくる傲慢さと、そして、この無学さ、が台頭してきます。

そうなると、聡明な論理より、脅し・場の勢い・自己の出世が幅をきかせるようになり何を言っても、言うことを聞かなくなりますね。なにか理性的に非交戦を主張しても、「きさま、腰抜けか?」「和平など唱えおって!たたき斬るぞ!」「精神力だ」なんてことが、論理をおさえてしまったんでしょうね。

やはり軍の指導者たる人は、諸葛孔明、戦国の軍師らのようにきっちりした、人間教育と高い知識と見識をもっていなくてはいけないと思います。

明治の初期に日本にきたプロシャの軍アドバイザーのメッケルが、ひたすら精神力を唱える、古い人物であったことは、日本にとって非情な悲劇でしたね。

たしかに日露戦争までは、精神力が戦闘においては大切
でしたが、その後、兵器の機械化によって、これは
まったく意味を成さなくなってくるのです。


しかも、このときプロシャは普仏、普墺戦争に勝利したのは、やはり工業力と後込め銃という新兵器だったにもかかわらず、そういう人物が来てしまったんですね。

日本は当時ちゃんと、優秀なモルトケ???という人を指定して、要求したんですがビスマルクは日本など重要と考えず、ろくでもないどうでもいい人物をよこすことになったそうです。

これに、参謀次長 川上操六、陸軍大学校長 児玉源太郎
桂陸軍次官らが大きく影響をうけたようです。メッケルがいたのは1885-1888年の3年間でしたが、その弊害がではじめるのが、20数年経た大正のころからでしょう。 


余談:こないだもNHKでマリアナ海戦のことやっていましたが、ゼロ戦は開発当時から技術者のあいだで、まだ問題がいろいろあったらしいですね。急降下するとき軽量化で胴体がひ弱でもたなかったらしいですね。そういうもろもろの問題を
しばしば、技術者らは軍首脳に訴えて改良しようとしたらしいんですが源田少佐のような人物が、「どうも君たちの、意見聞いてると、情けない!日本には大和魂というものがある・・・・・・徹底した軽量化による格闘性能が重要だ」などと笑い話のような主張を繰りかえすばかりでついに操縦士の防弾化とか航続距離とか、

諸問題の解決はなされなかったらしいですね。それで、もう、マリアナ海戦(昭和19年6月)では、グラマンはレーダーで日本飛行編隊をとらえて、高高度から急降下して、ゼロ戦の防弾の弱いとこを集中的に攻撃してじつに出撃日本ゼロ戦飛行部隊の80%を打ち落とすという惨状になったわけです。





コメント(3)

>ホンダさん
これは、主に講談社現代新書の「参謀本部と陸軍大学」756円
から読んだことがメインなんですが、日本は参謀を教育する
のに、戦術参謀と戦略参謀をきちっと分けて教育しないで
ひたすら戦術ばかりに力を入れてしまったんで、大局的な
視野で指揮する戦略家が育たなかったそうですよ。

だからのちに、大きな行動ミスすることになってくるんですね。

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