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東京古地図探訪コミュの渋谷のいまむかし

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渋谷ほど姿が変わるのが速い街も
そうないと思います。

渋谷に渋谷城という城があった話、
山下さんが書いていた春の小川の話、
西武A館とB館の間の話、
加えて言えば、かつて渋谷にロープウェイがあった話、
AXの場所が池だった話、
Qフロント前でどじょうを捕っていた話、などなど
現在の姿とあまりに違うがゆえに
渋谷郷土史は最高にロマンティック!

コメント(80)

あ、渋谷写真展終わっちゃってたんですか……。

しまった……。
うちにもかなりの量の古地図があります。
特に渋谷周辺は10種類以上あるかも。
面白いのは、昭和38年くらいの地図が
市場でやたらめったら高いこと。
ある人にきいたところによると、
その頃のはまだ歴史的価値もないので
神保町などの古地図屋には置いてなく、
かといって家に残っているほど新しくもなく、
要するに一番出回りにくいらしい。
ヤフオクでは10万円くらいで売ってたりもします。
昭和38年といえば東京オリンピック前年で、
特に渋谷は劇的に変わるところなので、
非常に欲しいところなんですが。
それはしりませんでした>昭和38年くらいの地図
びっくり。
そういえば何年製かはわからないけど(書いてないのです)
東京タワーはあるけど代々木の体育館はまだない年の
観光客向け東京案内図を持ってます。その頃かなあ。
繁華街の詳細図が裏面についてて、
そこにのってるお店の名前を見てると発見多いです。
IN THE ROOMのとこって昔は「丸井家具」だったんだなあ。
東急本店のとこって小学校だったんだなあ。
VGAサイズに圧縮したので詳細はつぶれてますが。。。
でかい画像はいずれ。
はじめまして。いつもたのしく読ませていただいております。
知人から渋谷のロープウェイについての記事を教わったので、こちらにも貼っておきます。
http://portal.nifty.com/koneta04/11/09/01/
omo*8さん、ありがとうございます。
ロープウェイの写真を3つ並べてみます。

左:東急東横店東館の発着場
中:ひばり号
右:玉電ビル折り返し地点

ひばり号って子供しか乗れないはずなのに、
映画「東京のえくぼ」では
上原謙と高峰秀子が乗るシーンがあるんですよね。
初めまして。

このロープウエイの全貌がやっとわかりました!
ありがとうございます♪
はじめまして。

19、20番で円山町ホテル街の由来が語られていますが、
佐野眞一さんの『東電OL殺人事件』(新潮社)に。御母衣ダム建設による水没村民の立ち退きに始まる円山町への転出の経緯が、かなり詳しく記述されていますよ。
第一章からですので、本屋さんで立ち読みされても概略が掴めると思います(本屋さんごめんなさい)
ほん魔さん、すっごーーい!!
わざわざありがとうございます!

そういえば
このあいだ都立図書館で見た文献の中で、

その日はデパートが混んでいたので
私は区役所の辺りから、
遠くで行き来するロープウェイを
眺めるだけだった。

という文章がありました。
ご存知の方もいらっしゃると思いますが、
当時の渋谷区役所は、
今の電力館のところにあって、
角度的にはロープウェイを見るのは
難しいような気もするんですが、
要するに、電力館の場所から駅前まで
高い建物がなかったってことなんでしょうね。
「東京の笑顔」未見ですが、子供しかのれないものに大人が二人、さらにキャメラまでのるなんて考えられないのでいわゆるスクリーンプロセスでスタジオで撮影したのでしょうか?背景ははめこみ合成みたいな感じでしたか?
そういや、山手通り沿いに
新宿の裏の方も
渋谷区が入り込んでいるところがあったりするんですよね。
駅で言うと中野坂上とかかな。

http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=35.41.16.207&el=139.41.11.866&la=1&fi=1&sc=3
この辺りでしょうか

この辺りは渋谷区らしいのですが
渋谷区らしさが全然無いですね。
なんか開発らしい開発もそれほどされていないで
古い建物残っているところが多い気がします。
 初めまして。

 国土地理院が公開している米軍が1947年に撮影した航空写真です。明治通りが宮益坂のところで繋がっていないのに驚きます。当然、六本木通りに首都高速3号線はありません。ワシントンはいつがしっかり写っています。
http://qrl.jp/?161626

 写真の解説をしているページです。記事では南北逆となっていますが、今はちゃんと北が上になっています。
http://qrl.jp/?157231
>55さん
この航空写真を見させていただいてありがとうございます。

青山、渋谷、麻布界隈は1945年5月の空襲で灰燼と化したわけですが、
1947年といえばその2年後、まだ焼け跡が復旧されずにあちこちにありますね。
建物らしい建物の影があまりにも少ないです。
今の姿と重ねると、まさに往時茫々……。
(まあ焼け跡を見たことはありませんが……(^_^;))

米軍の施設、ワシントンハイツだけはしっかりと建造されています。
>ハテナマンさん

持ってるので、今度貸します。
銀座もまだ柳がそよそよしてていい感じです。
yuduamiさんのblogで渋谷の裏を流れていた
河骨川(こうほねがわ)が紹介されていますねー
ここの源流の辺り自転車通勤で結構走ったり
迷いこんでいたりしたので興味深いです


http://blog.livedoor.jp/tokyowater/
あの川跡は河骨川って言うんですね!
今更ながら知りました。
あと渋谷川の初台へ抜けるほうの川跡の名前。
「原宿村分水」というのも初めて知りました。
もともと川だったものを上水からの引き込みに使ったのでしょうか?
いろいろ勉強になりますね〜^^
渋谷川の源流である新宿御苑の裏手に住み、
暗渠の上を歩きながら、6年間神宮前小学校まで通っていた者です。
(越境入学してたので.....結構な距離を歩いてました)
こへだと申します、はじめまして。
渋谷川ネタが出てきてちょとうずうずしてました(笑)

渋谷川に注ぐ源流ともなっている明治神宮の池の
奥地(?)にある菖蒲田がそろそろ見ごろになるようです。
http://www.meijijingu.or.jp/whatsnew/syoubu/syoubu.htm

入園料取られちゃいますけど、時節柄いかがでしょう?
源流である清正の井戸も見られると思いますよ!
はじめまして。
>>4563さん
私のサイトの紹介ありがとうございました。河骨川の紹介は完結し、引き続き
宇田川の支流を取り上げていきます。その後は渋谷川上流域を紹介していく
予定ですので、渋谷からやや離れてしまう部分もありますが、よろしければ
またご覧下さい。

渋谷川流域が面白いのは、下流はコンクリートで固められているし上流は
暗渠になってしまっているのだけど、水源地だけは無事残っているところが
多いという点です。新宿御苑の湧水や渋谷川の開始地点(ここには明治
時代につくられた橋が現存しています)、明治神宮北池の小川、南池菖蒲田の
清正の井、根津美術館の池、松濤公園、西原の東京国際センター内の池、
などなど。。。
渋谷といえば、東急線下の店舗がほとんど撤去されてしまいました。地下化に向けての工事が着々と進められているようです。
 yuduamiさんのブログからやってきました。原宿村分水のすぐそばに住んでいます。とくに渋谷で不可解なのは、宮益坂ビルヂングが建築当時としてはかなりの高層建築だったことです。なにか、法制上の特例でもあったのかなどと、考えています。
 最近のトピックでは、東急文化会館改築のあおりか、銀座線ガード下のびっくり寿司がなくなったのが残念です。陸橋からの抜け道は残るのでしょうか、あるいは古地図に残るのみとなるのか・・・・。
 今後ともよろしくお願いします。

 いきなりのコメントで失礼します。31の国電の色の話ですが、茶色のあと、いったん今の総武中央各駅停車の黄色の101系が走り、その後黄緑色の103系に置き換わったはずです。しかし、あの写真は時代が出ていてすばらしいですね。
 >>ひろみ様

 渋谷区の小学生は二年か三年生のとき、社会科で「渋谷区の歴史」について学びます。
 私が授業で教えられたのは、むかし渋谷あたりにいたある豪族に「渋谷」という姓が与えられたため、それが地名になったということでしたが、いろいろ説があるようです。
 くわしくは以下のページをご覧ください。

http://www.city.shibuya.tokyo.jp/shibuya/profile/uraig.html
いまの松濤あたりがそうです。
「松濤」とはもともと茶釜の湯がたぎる音ですから。
肥前鍋島藩の藩主だった鍋島家が明治になってからここで茶園を経営し「渋谷茶」として一時は大変に売れたそうです。
明治時代に入ってから放棄された大名屋敷跡が荒れ放題になり、当時の東京府がそこに産業振興の為に桑畑や茶畑を作る「桑茶政策」進めたのですが、殆どが失敗して松濤の茶が有名になったそうです。
当時の地図を見ると、都内の至る所「クワチャ」の文字だらけです。
面白いトピですね、僕も渋谷の変貌ぶりにはとても興味があるんですけど、渋谷って土地は常に日本人の信仰対象だったのかな?なんて仮説をたててみました。

?元々はただの農村地帯だったのが、
?江戸時代には大名屋敷が現れます。
?その後、幕府の衰退と共に桑畑になり
?明治天皇の死後は、その御霊が祭られる地となります。
 明治神宮には植林が進み、その南の土地は神南(かんなみ)とよばれ、
?更に軍国主義が進むと軍の錬兵場となり
?日本が負ければそこで進駐軍が憧れの生活を送ります(ワシントンハイツ)。
?自由の象徴とも言うべき緑地(代々木公園)が出来、
?報道の中心が移転し(NHK)
?今度は百貨店同士が戦争をし(東急vs西武)
?セレクトショップなどの個性豊かなショップが立ち並ぶ(BEAMS,SHIPS,UA等)。

ちゃんと調べてないので怪しいけど、すごくないです?
?自然崇拝⇒?江戸幕府⇒?倒幕と民衆文化⇒?文明開化と明治天皇⇒?軍国主義⇒?欧米文化への憧れ(三種の神器)⇒?自然回帰⇒?情報の神格化⇒?消費社会⇒?ファッション等嗜好の細分化と若者文化

て感じで、ちょっと強引な部分もあるけど…、日本人の崇拝対象(象徴)が常に渋谷にはあったんですよね。
★ハチ公物語にも登場しますが、昭和初期の路面電車は東横線側だけでなく、ガードくぐってハチ公側(大和田口?)に終点があったんです。
今の東急電車の5000系の展示場所の前の道路あたりです。
ですから市電と帝都電車と玉川電車とはほんのわずかの距離で乗換ができたということになりますね。

恋文横丁も再開発ですっかり跡形もなくなりました。

渋谷宮益坂の渋谷郵便局ウラに酉の市が開かれる神社がありますよ、三の酉は過ぎたかな? まだなら行ってみて。
おぎくぼけいさんがこのコミュにいらしていたとは知りませんでした。

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