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藤子・F・不二雄ワールド☆コミュの藤子不二雄 〜コンビ解消の事実〜

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藤子不二雄が2人存在する事は、みなさんご存知でしょうか?
一方は、ドラえもん・キテレツ大百科・パーマンなどで知られる、藤子・F・不二雄。もう一方は、忍者ハットリ君・怪物君・笑ウせぇるすまんなどで知られる、藤子不二雄A。

もとは、同じ藤子不二雄だった。なぜ、コンビ解消にいたったのか…その真実に迫りたいと思う。

1987年(昭和62年)、コンビを解消する。コンビ解消の理由については藤本が「実際一緒に作品を描いたのは最初の頃だけで、以降はお互いが別々に作品を描いては藤子不二雄の名前で発表していたものですから、もうここらへんで、お互いに藤子不二雄のネーム・バリューに頼らず一本立ちしていってもいいんじゃないか、と話し合い解消しました」等と共同で発表した。

解消後も2人の間には密な交流があった。ちなみに自宅は隣同士で、当時の互いの事務所(藤本は「藤子プロ」を立ち上げ、安孫子は「藤子スタジオ」に残る形がとられた)も隣同士のビルであった。

コンビ解消の理由について2人が詳しく語らなかったためか、コンビ解消の真相としていろいろ憶測されることがある。例えば、【共同名義の作品の中で「ドラえもん」の人気が圧倒的に高いにもかかわらず、収入は折半という約束をかたくなに守り続ける藤本への安孫子の配慮】という噂がある。

もっともよく言われることが【安孫子が「笑ゥせぇるすまん」などの大人向けの作品を多く執筆するようになり、これらの作品は夢を壊すシーンが多く、夢を与える「ドラえもん」のような作品と作者が一緒だと不都合だから】という噂もある。

「笑ゥせぇるすまん」の元となった「黒ィせぇるすまん」はコンビ解消から20年近く前(昭和40年代)に執筆された作品であり、その時期既に安孫子は「黒ベエ」や「ブラック商会変奇郎」「夢魔子」「仮面」シリーズ、昭和50年代には傑作と名高い「魔太郎がくる!!」などダークな作品群を多く発表していたことから、時系列的に矛盾しており信憑性に欠ける。

(藤子F氏の死後、藤子A氏は、「藤本君(F氏)はドラえもんのように夢のある作品を好むのに対して、僕は笑ウせぇるすまんのようにブラックな話ばかりで、趣味が違っていた」と話されている。)

又、コンビ解消当初は喧嘩別れという説も非常に多かったが、これは完全に憶測に過ぎず証拠は一切ない。

しかし、元チーフアシスタント(藤本側)の談によると両人親族がコンビ解消を勧めたとの事。

一部の理由かもしれないが、ドラえもんのヒットでテレビに出演する事が多くなり、メインとして語っていたのが安孫子だった(「私も無口だったが、藤本はもっと無口だったので、やもなく外交的になった」と安孫子の談もある)そんななか、テレビでの出演料が多額になり、安孫子の「独立」が進む。

事実、解散後すぐにレギュラー番組を持ち、「笑ゥせぇるすまん」のヒットとなり成功を収めるが、その後の小学館の対応は敵対的で単行本の絶版、連載の打ち切りと何らかのトラブルがあったのは明らかである。

また、その他に作品を別々に執筆しているにも関わらず、共同でペンネームを使用しているため様々な所で詳細な確認や混乱が起きると、税金の問題から税務署からクレームがついた、という怪説も存在する。

コンビ解消後安孫子は藤子不二雄(A)(正確には〇の中にA)に、藤本は藤子不二雄(F)としたが、1年後に藤子不二雄(F)は「あのね、藤子不二雄Fじゃちょっと語呂が悪いよ。Fを真ん中に持ってきたらどうだ?ミドルネームみたいでかっこいいじゃないか」という石ノ森章太郎の薦めにより藤子・F・不二雄へと変えた。(安孫子は現在も藤子不二雄(A)(藤本と違い藤子・A・不二雄ではない)として執筆活動を続けている)


…次回は、『ドラえもん誕生秘話』について書こうと思う。どうぞ、お楽しみに!!

コメント(3)

コンビ解消は絵のタッチの違いがはっきりしてきたからというのも理由の1つでしたよ。確か
はじめまして。

私の知っているのは、自分の家族親族の遺産のために・・・
遺産分割・・・。っていうような話を聞いたことありますが。
どうでしょうか。

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