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「茶道の心を味わう研究会」mixiコミュの自我の塊か、暴力団か・・・?? 団塊の世代は今・・・!!

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【その1】
言葉の暴力団か、混んだ通勤電車で身に覚えがないのに若い娘に、「痴漢だ・・」と叫ばれ、最高裁判所まで戦って無実を勝ち取った男性、長年月裁判闘争に明け暮れた犠牲は大人しい高齢者の負担に・・・このような無実の罪は日常茶飯のできごとです。

【その2】
KY・・・「空気が読めない」という意味で若い娘に盛んに使われています。 「茶道の心が読めてない、空気が読めてないのは、『茶道の心』を指導している先生だけですよ」と言われてしまいました。

この場合の「読めていない空気」とは、?自分の意識にあっていない中高年の考え や、 ?形式や慇懃無礼を『茶道の心』と勘違いしている本人の意識に対して、「本当の茶道の心」なんて言っている気に食わない先生の意識 を指しています。

あくまで自分中心で、自分の意識に対して、気に食わないものはすべて「空気が読めていない」と考えるのです。

【その3】
茶道教室はお客さんである生徒あってのもの、今の時代お客様が神様だから、生徒の気に入るように茶道を指導するのが当然! 「そうね、そのくらいなら上出来ね・・・!」「楽しく遊びながら茶道の稽古をしましょうね・・・!」のような、生徒におもねたりすることのない、真剣で本物の茶道教授は、『いじめ先生』として嫌われます。

茶道を教えながら、まだ日夜鍛錬と、一方では習っています。昨夜の「丸盆台子点前」は1cm、畳の目半分の違いも注意され、1点前の練習に1時間かかりました。「点前は順序ではなく、湧き出るようにしっとりするもの・・」それを実践するのが茶道稽古と、毎回が真剣ないじめです。

今楽しく褒められるのが本物の茶道稽古ではなく、将来「あの先生の教え方で本物が身についた」と思えるのが、本来の茶道稽古ではと思われます。

コメント(3)

うちの先生は、高校の茶道クラブを指導なさっていて、その延長でずっと卒業後も来ている生徒さんたちは、確かに先生に甘えているふしがありますね。先日、就職してから忙しくて、ずっとお稽古に来れなかった人が復帰して、すっかりお点前を忘れているので、先生に特訓を受けています。その特訓のあとで、思わず「ぼろくそに言われちゃった。」と言ったので、先生に聞きとがめられて、ひどく叱られていました。わたしも驚いたのですが、「ぼろくそ・・」って。「あなたのためを思うから厳しく言うのであって、言われないほうがいいなら、もう言いませんよ。」というような内容を、ふだんあまり口調のきつくない先生が、きつくおっしゃったので、本人もいたく反省したようです。

主婦でお稽古に来ている年長の方は、さすがに違います。

若い方が多い社中は、明るくて楽しくてよい面も多いのですが、たまに、「あれ」というようなことがあります。先生も「学生気分の抜けない生徒」相手に苦労なさっているようです。わたしも気を引き締めて、お稽古に望みたいと思っています。

いくらなんでも、濃茶のときは、私語は禁止です。薄茶のときは、お点前が身についてきたら、お客からいろいろ尋ねてごらんなさい、と言われます。お茶碗の作者やら、拝見で伺えないことを、お聞きします。亭主役は、それでうろうろしてはいけないんです。薄茶のときはお客様から話しかけられても大丈夫になっておきなさい、と言われています。でも、雑談ではありません。ちゃんとお手前に沿った内容です。

わたしはお稽古を楽しくさせていただいていますが、本来は「楽しく遊びながら」できるものではありませんよね。わたしの楽しい、は自分のお点前が先生のご指導によって、だんだんきれいになっていくことがわかるのが楽しい、という楽しいです。「遊びながら」ではありません。

でも心の中には、「遊び」というか「ゆとり」のようなものがほしいと思っています。真剣に臨む中でのゆとりです。難しいですね。
アンさん・・・
茶道の個人稽古は、学校や文化教室と違って、先生の奉仕と実践的なノウハウの提供で、学問と同じ教授と考えたら本意は会得できないですね。

料理人やパティシェリ育成の「包丁研ぎ3年」と同じです。それに耐えた人だけが本物になり、真髄を会得できるんでしょうね。

本物の先生に出会えてよかったですね。

なるさん・・・
茶道会得の世界では、定義された勉強を記憶していくのと違うので、生徒の意識で大きく差がでますね。20年習っても会得できない人もいます。

亭主はなにを聞かれてもうろたえない・・・これも自分作りの要素が大きいですね。

新聞でサライの広告、茶事で懐石料理、道具、茶室建築、それらを鑑賞しながら主客が対話するのが茶道の真髄・・ということを「売り」に編集されているのが分ります。

前に連載した「宗旦伝授聞書」にもそんなことは書かれていません。この広告の趣旨は、一時代前の財界茶人が追及したもの。今は不況といわれてもまだまだ茶道の世界では豪華なもの信奉は消えていないようです。

おっしゃるように、「遊び」は遊芸ではなくて、「ゆとり」ですね。時代のなせることとはいえ、「悦楽」が今後も茶道の目標になるんでしょうね。

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