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9.11陰謀説が嫌いコミュのユナイテッド航空93便について

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ユナイテッド航空93便
「United Airlines Flight 93」
http://en.wikipedia.org/wiki/United_Airlines_Flight_93
の墜落に関しても、ペンタゴンに突入したアメリカン航空77便と同様、墜落時の画像がほとんどないため、同機はミサイルにより撃墜されたなどと陰謀論者は主張している。しかし、撃墜を目撃した者などいない。

乗客が地上の家族とGTE airphoneや携帯電話などで連絡を取ったことも、陰謀論者は捏造だとしている。しかし、93便のボイスレコーダーとフライトレコーダーは回収されており、ハイジャック時に同機内で起こったことはかなり詳しくわかっている。乗客らの電話の会話内容とボイスレコーダーの内容にも矛盾はない。

乗客37人を乗せてユナイテッド航空93便は、ニュージャージー州のニューアーク国際空港を朝8時に出発予定だった。(離陸はその約15分後の予定) しかし、滑走路の混雑のため出発が25分以上遅れて8時42分に離陸したが、これはユナイテッド航空11便がWTCのノースタワーに突入するわずか4分前のことであった。離陸から46分後の9時28分ごろに93便はハイジャックされたが、他の3機は、離陸後30分以内にハイジャックされている。こうした遅延のせいで、乗客は電話連絡により同時多発テロの発生を知る機会を得た。さらにテロリストも4人しかいなかったことが、乗客に反撃を決断させた要因だと考えられている。

ハイジャックが始まった9時28分ごろ、93便は高度約1万メートルを飛行中だったが、200メートル以上急降下した。その直後にコクピットからの「メーデー」(国際救難信号)の送信があり、争う音も聞こえた。35秒後にはキャプテンもしくは副操縦士が「ここから出て行け!」と叫んでいるのが聞こえた。

このころ、すでに乗客のトーマス・バーネット・ジュニア(Thomas Edward Burnett Jr.)
http://en.wikipedia.org/wiki/Tom_Burnett
は家族に電話をかけている。その中でバーネット氏は男性乗客が一人ナイフで刺されたと証言している。おそらく、この刺された男性とはマーク・ローゼンバーグ
Mark Rothenberg
http://www.flight93memorialsfb.com/Heros-Of-Flight-93/pages/Mark-Rothenberg_jpg.htm
だったと考えられている。ファーストクラスの乗客で電話をかけてこなかったのは彼だけだった。

9時32分には、テロリストの一人が「みなさん、こちらはキャプテンです。座ったままでいてください。我々は爆弾を所持しています。だから座っていろ」といったことを機内放送しようとした。しかし、無線とインターコムの使い方がよくわからなかったようで、この発言は機内放送されずに無線で送信されてしまっている。

コクピット内にはおそらくフライトアテンダントと思われる女性が人質に取られており、テロリストの一人と争っている様子がボイスレコーダーに残っている。「私を傷つけないで」「死にたくない」といった声が録音されているが、その後、彼女は静かになり、テロリストに殺された可能性がある。

乗客はGTE airphoneや携帯電話を使って家族や友人と連絡を取り合った。その結果、2機の旅客機がWTCに突入したことを知り、93便も自爆攻撃に利用される可能性があることを知る。また、乗客からの情報としては、テロリストは赤いバンダナを巻き、ナイフで武装していた。乗客は機体のうしろに集められていた。キャプテンと副操縦士と思われる2人の人物がナイフでさされ、床の上に倒れていた。フライトアテンダントが殺されたという情報もあった。

乗客らは、旅客機を取り戻すためにテロリストに対して反撃するかどうか多数決を取ったようだ。乗客のジェレミー・グリック
Jeremy Glick
http://en.wikipedia.org/wiki/Jeremy_Glick_(Flight_93)
は妻のリズベスへの電話で、みんなで決を採っていると述べている。その結果、彼らは反撃を決断する。9時57分に乗客らの反撃が始まった。客室乗務員のサンドラ・ブラッドショー
Sandra Bradshaw
http://www.sep11memories.org/wiki/Sandra_Bradshaw
から夫への最後の連絡は、「みんなファーストクラスに向かって走ってる。私も行くわ、バイ」であった。

ボイスレコーダーにもコクピットのドアの外で争う音が録音されており、93便を操縦していたテロリストのジアド・ジャラ
Ziad Jarrah
http://en.wikipedia.org/wiki/Ziad_Jarrah
は、乗客をなぎ倒すために、飛行機を左右に揺さぶりはじめる。9時58分57秒にJarrahはもう一人のテロリストにドアを抑えるよう指示する。しかし、乗客の反撃を止めることはできず、9時59分52秒に今度はJarrahは飛行機を上下に揺さぶりはじめる。

このころ、ペンシルベニア州ボズウェル(Boswell)の小さな町で、Rodney PetersonとBrandon Leventry
http://www.historycommons.org/entity.jsp?entity=rodney_peterson
は、高度約600メートルの低空を飛ぶ旅客機を目撃している。その旅客機は翼を左右に大きく傾ける不審な動きをしたのち、南に向って飛んでいった。「乗客たちがハイジャック犯と戦っていたとしたら、まさにここの上空で蜂起したと明言できるね」とPeterson氏はのちに語っている。

10時0分8秒にJarrahは「これで終わりか?ここで終わりにするか?」といったようなことを言う。もう一人のテロリストがこれに応えて「いや、まだだ。やつらが全員で来たら、終わりにしよう」と言う。争う音はさらに続き、Jarrahはさらに機体を上下に揺する。10時0分26秒には乗客の一人が「コクピットに入れ!でなければ、みんな死ぬぞ!」と叫ぶのが聞こえる。その16秒後に乗客が「Roll it!」と叫ぶのが聞こえ、10時1分0秒にJarrahが「アラーは偉大なり!」と唱えはじめる。そしてJarrahはまた「これで終わりか?落とすか?」と言い、別のテロリストが「そうだ、落とせ、落としちまえ」と応えている。

テロリストが「アラーは偉大なり!」と叫び、乗客の反撃の音が続く中、10時03分ごろ、時速約930キロで、93便はペンシルバニア州南西部のシャンクスヴィル
Shanksville
http://en.wikipedia.org/wiki/Shanksville,_Pennsylvania
に墜落してしまった。

YouTubeの「Flight 93 Witnesses」

で、93便の墜落を目撃した人たちの証言を見ることができる。ミサイルに撃墜されたと証言している人はいない。一人目の女性は、エンジンの音を聞いたと言っている。そして80〜90°の角度で飛行機が落ちていくのを見た。その次に見たのは巨大な火の玉と煙だった。3人目のヘルメットをかぶった髭の男性は、空から音がしたので見上げると、完全にさかさまになった飛行機が丘の上を飛んでいくのを見たと証言している。垂直尾翼が下を向いており、45°以上、ほとんど90°近くの角度で急降下していくのを見た。そして次の瞬間、地平線から巨大な火の玉が40〜50フィートの高さに上がった。

目撃者の証言については
「United Airlines Flight 93 - Witnesses」
http://www.debunk911myths.org/topics/United_Airlines_Flight_93_-_Witnesses
も参照。93便が地面に激突する瞬間を目撃したのは、
Lee Purbaugh
http://www.historycommons.org/entity.jsp?entity=lee_purbaugh
だけだったそうだ。崖の上にあるスクラップ処理会社で作業をしていると、彼の上空9〜15メートルのところを93便は飛んでいった。あまりに地面に近かったため、下に広がる小麦畑が機体に写って、小麦色に見えた。

93便の墜落現場には現在一時的なメモリアル
Flight 93 National Memorial
http://en.wikipedia.org/wiki/Flight_93_National_Memorial
が建っている。恒久的なメモリアルは2011年に完成の予定。

コメント(2)

Zacarias Moussaoui
http://en.wikipedia.org/wiki/Zacarias_Moussaoui
容疑者裁判の際、捜査当局により公開された記録によると、携帯電話からの通話は、全37本のうち2本Edward Felt
http://www.sep11memories.org/wiki/Edward_Felt
とCeeCee Lyles
http://www.sep11memories.org/wiki/CeeCee_Lyles
だけだった。「ビートたけしのこんなはずでは!!」では「通話記録は一切残っていない」とされているが、こうして裁判に提出された記録もあり、これが一番信頼性の高いものだと考えられる。

しかし、その他の文献では携帯からの電話はもっと多いとしているものもあり、これを根拠に陰謀説支持派は、FBIは意図的に携帯電話からの通話数を減らそうとしている、と主張している。携帯からの通話は13本もあったと主張する陰謀説肯定派サイトもある。映画にもなった「ユナイテッド93」
http://www.amazon.co.jp/dp/4334761720/
によると、トーマス・バーネット・ジュニア
Thomas Edward Burnett Jr.
http://en.wikipedia.org/wiki/Tom_Burnett
から家族にかかってきた電話は、二日前にスポーツショップでなくしかけた携帯からかかってきたものとされている。

バーネット氏については、911myths.comの「Tom Burnett」
http://www.911myths.com/index.php/Tom_Burnett
も参照。

バーネット氏の妻Deenaによると、電話は3〜5回ぐらいあり、最終的には4回あったことになっている。彼女によると、そのうち3回はCallerIDが表示されたので、携帯からの通話だったと思ったそうだ。彼女は911委員会とFBIに対しても、そのように証言している。ところが、FBIの最終的な結論では、航空機電話から3本の通話しか確認できなかった。よって、この矛盾も電話捏造の根拠とされている。しかし、911委員会の記録によると、バーネット氏からの通話は携帯の通話料金請求書には含まれていないとのこと。
バーネット氏の電話について補足。

バーネット氏については、911myths.comの「Tom Burnett」
http://www.911myths.com/index.php/Tom_Burnett
も参照。バーネット氏の妻Deenaによると、電話は3〜5回ぐらいあり、最終的には4回あったことになっている。その会話の内容は「Transcript of Tom’s last calls to Deena」
http://www.tomburnettfoundation.org/tomburnett_transcript.html
で読むことができる。彼女によると、そのうち3回はCallerIDが表示されたので、携帯からの通話だったと思ったそうだ。

彼女は911委員会とFBIに対しても、そのように証言している。FBIでの証言については
http://intelfiles.egoplex.com/2001-09-11-FBI-FD302-deena-lynne-burnett.pdf
を参照。
ところが、FBIの最終的な結論では、航空機電話から3本の通話しか確認できなかった。よって、この矛盾も電話捏造の根拠とされている。しかし、911委員会の記録「MEMORANDUM FOR THE RECORD」
http://media.nara.gov/9-11/MFR/t-0148-911MFR-00260.pdf
でも、バーネット氏からの通話は携帯の通話料金請求書には含まれていないとのこと。また、Moussaoui容疑者の裁判記録
http://www.911myths.com/index.php/Image:Moussaoui_Trial_Transcript_April_11_2006.pdf
によると、FBIのRay Guidetti刑事部長は「誰からの電話だったのか?」という質問に対して次のように答えている。

『はい、それはトーマス・バーネット氏についての記録です。エアフォンの記録によると、バーネット氏は24ABC列と25ABC列から3回電話をかけています。しかし、トーマスの妻ディーナは他にも彼女にかかって来た通話があったと報告しています』

つまり、FBIは携帯からの電話があった可能性を否定しているわけではない。旅客機からの通話は通常の携帯電話では想定されていない。高高度を高速で移動する飛行機から電話をかけると、たとえ通じたとしても、その中継局が飛行機の移動とともに頻繁に入れ替わるため、システムが混乱するか、すぐ切れる可能性もある。そのため、正しい記録が残らず料金請求書に通話が現れなかったとも考えられるのだ。

いずれにせよ、ディーナは夫トーマスからの電話をニセモノだったと証言したことはない。

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