◎要旨:エドウィン・ライシャワーは1960年代以降の日米関係に重要な変化を与えたアメリカの日本研究者で且つ駐日大使でもあった。彼の活動については、彼が打ち出した近代化論とともに多様な評価を受けてきている。本研究の意図は、当時の新聞や大衆雑誌、週刊誌に加えてこれまで使用されなかった第一次資料であるPapers of Edwin O. Reischauerを活用し、彼の対話路線の意義と限界を明確に示すことである。大使就任後のライシャワーはまず日本のマスコミや知識人との友好関係構築に力を尽くした。地方を訪問しそこでの対話を行なうことも怠らなかった。対話の相手のなかには総評や全労といった労働組合の地方幹部も含まれていた。社会主義政党にも対話の輪を広げた。彼は対話の中で、日本を非西洋国家で唯一近代化に成功した開発途上国の近代化の模範ケースと位置づけたが、日本の知識人の反応は複雑だった。しかしそうした努力は、日本の現実主義者の賛同を得て、マスコミに乗って広がっていった。1965年以降ヴェトナム戦争が激化する中で日本の反米感情が急速に高まるが、ライシャワーの努力にもかかわらず「対話」路線は成功せず、反米感情の高揚は加速度化された。これまでライシャワーに協力してきた現実主義者たちもヴェトナム戦争をめぐってはアメリカの政策の批判者となっていった。 (以上)