ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

牧の羊(OB)コミュの大人の礼拝(12月10日)

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
2006年12月10日の礼拝
岡崎さんの説教を聞いて秀村が書きました。

<まず聖書を読む>
聖書箇所:ルカによる福音書4章14〜21節

イエスは、自分が生まれ育った故郷であるナザレに帰って、説教をしていた。そこで旧約聖書であるイザヤ書をある預言者から渡された。イエスが目を通すと、目に留まった箇所があった。

「主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。」

イエスはこの部分を読み上げた。みんなイエスに注目している。イエスは言った。

「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」


<聖書を解釈する>

普通のドラマには起承転結がある。恋愛ドラマなら、結婚がハッピーエンド。アクション映画なら、危機を脱して、今までいた場所が爆発してハッピーエンド。

聖書もドラマの1つとして見ることができるかもしれない。ハッピーエンドだし。

実際、ドラマであれば「結婚の後、あの二人はどうなったんだろ??」とか「危機を脱したのはいいとして、その後どうなったんだろ??」とかいうことは普通考えない。著明な作品『氷点』では混同してしまった人がいたようだけど、普通は考えない。ドラマはドラマで、現実世界とは関係がないからだ。

しかし、聖書を書いた人は、これが単なるドラマで、自分の生活とは関係がない・・・とは思うことができなかった。「この福音書の中に、自分の生活がある」と思ったのだ。

実際、この書き手は、厳しい現実を知っている。先週の聖書箇所、ルカによる福音書に出てくる無惨なユダヤ戦争の実態を知っている。そんな辛い現実の中、イエスは何と言ったのか?

「私が来たのは、このイザヤ書に書かれているように、捕らわれている人を解放して、目が見えない人を回復して、主の恵みの年を告げるためだ。・・・そして、それは今実現した!」

いや、現実は本当に厳しい。ちなみにこのイザヤ書の著者も、この箇所を書いたときは失望していた。バビロニア捕囚で故郷に帰ってみると、町は無惨に破壊されていたからだ。

ルカの著者も、「イエスはこう言っているけど、現実は全然違うじゃないか!」と思うのが自然なのではないだろうか。なんたって、あのユダヤ戦争の後だ。

それでも、ルカの著者は書いた。イエスが「今日、実現した。」と言った、ということをわざわざ書いた。

なんで書いたのか?そこに希望を見出そうとしているからだ。なんで希望が持てるのか??

・・・それは神の愛を思い出すことができるからだ!
辛い現実の中でも、神の愛を思い出して、希望を見出しましょう。

by岡崎牧師

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

牧の羊(OB) 更新情報

牧の羊(OB)のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング