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巨人の星コミュの「巨人の星」年譜 〜昭和42年の謎〜

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子供の頃「巨人の星」が大好きで、年表を作って現実の出来事と対比をしていました。

高校入学の年などから推察すると、星飛雄馬は、早生まれではないものとして1950年(昭和25年)または1951年(昭和26年)の生まれということになります。
健在であれば、今57歳か58歳ということですね。

生まれ年が、1950年または1951年と二つの可能性がある理由は、後述する“昭和42年の謎”があるからです。

では、以下に「巨人の星」の年譜を簡単に記します。
ここでは、まずは飛雄馬の生まれ年が1950年(昭和25年)であるとして、途中で“昭和42年の謎”に触れながらご説明致します。


1950年(昭和25年)
星飛雄馬、もと巨人軍プロ野球選手・星一徹の第二子、長男として誕生。

1957年(昭和32年)
飛雄馬、7歳。
この年の秋、立教大・長嶋茂雄が巨人に入団。(長嶋のプロ野球出場は、翌年1958年のシーズンから。)

1958年(昭和33年)
飛雄馬、8歳。この年の4月から小学校2年生(!)。
「巨人の星」では、実際には1957年の秋におこなわれた長嶋の入団記者会見が、翌年の1958年(昭和33年)の春におこなわれたことになっている。その記者会見場で、飛雄馬が長嶋に魔送球を投げつけるという騒動を起こす。

同年、星飛雄馬と花形満(ブラックシャドウズ)初対決。後年、高校野球で飛雄馬と花形は高校1年生と3年生で対決するので、花形が正規の年齢で高校に在籍していたのであれば、ブラックシャドウズ時代の花形は満10歳である。(語り尽くされた話だが、このとき既に彼は車の運転をしている。しかも、後年、花形が明子に語った話で、ブラックシャドウズ以前にイギリスに留学、現地において乗馬、フェンシング、サッカー、ヴァイオリン、弁論大会で右に出るものがいないほどの腕を身に付け、エリザベス女王にも謁見した、と、自らの過去を告白している。花形は、10歳になるまでに20年ぐらいの時を過ごした?のであろう。)

1966年(昭和41年)
飛雄馬、16歳。東京都の私立高校、星雲高等学校を受験し入学。
星雲高校は、第48回 全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園)に出場、準優勝。優勝は、花形満の神奈川県代表紅洋高等学校。(現実の世の中では、優勝は愛知県・中京商業、準優勝は愛媛県・松山商業。)
甲子園終了後、飛雄馬は星雲高校を自主退学。読売ジャイアンツの新人公募テストに合格し、念願の巨人軍入団を果たす。(つまり、高校入学・退学、巨人入団が全て同じ年の出来事なのである。)

ここで、“昭和42年”の謎、登場。

このころ、巨人は既にV9時代に突入しており、飛雄馬が入団した年、「巨人の星」の中で巨人は日本シリーズ3連覇を果たしている。3連覇を果たした年は、1967年(昭和42年)であり、「巨人の星」の中では1966年が途中から1967年に変わってしまったことになる。
以降の物語の中でも、巨人3連覇の年(1967年)が飛雄馬が入団した年との設定を崩していないため、遡って、高校入学・甲子園出場の年を1967年(昭和42年)に修正すると、飛雄馬の生まれ年は1951年(昭和26年)となるわけである。(その場合、現実の世界で、1967年の第49回全国高等学校野球選手権大会の優勝校は千葉県・習志野、準優勝は広島県・広陵。)

というわけで、ここからあとは、飛雄馬は1951年生まれということで年齢を表記することとする。

1968年(昭和43年)。
飛雄馬、17歳。
台湾キャンプに参加。
球質が軽いという欠点が露呈し、シーズン開幕第一戦の対太洋ホエールズ戦で左門豊作が飛雄馬からスリーランホームラン。
大リーグボール1号開発。
花形満が鉄球鉄バットによる特訓により、大リーグボールをホームラン。
日本シリーズで、花形式の特訓を積んだ阪急ブレーブスのスペンサーを、改良した大リーグボールで倒す。巨人は、日本シリーズ4連覇。
シーズン終了後、日米野球の対セントルイス・カージナルス戦でオズマと初対決。

1969年(昭和44年)。
飛雄馬、18歳。
キャンプ地宮崎で日高美奈と会う。美奈の死のショックで自滅、二軍落ち。
星一徹とオズマ、中日ドラゴンズに入団。
飛雄馬は一軍復活するも、オズマにより大リーグボールをホームランされる。
オールスターゲームの出場選手に初めて選ばれるも、大リーグボール敗北のショックで出場を辞退。
大リーグボール2号の開発に着手、完成。巨人の優勝に貢献。
巨人、3年連続の対阪急の日本シリーズを制し5年連続日本一に。
シーズン終了後、日米野球の対サンフランシスコ・ジャイアンツ戦で大リーグボール2号でメジャーリーガーをなで斬りに。

1970年(昭和45年)。
飛雄馬、19歳。
大リーグボール2号・消える魔球を花形満がホームラン。
飛雄馬は、失意の中で不良少女の京子に出会う。
オールスターゲームに初出場。パ・リーグの選手相手に大リーグボール2号を投げるも、南海の野村克也、ロッテのアルトマンに打たれる。大リーグボール1号も、失敗。
オールスター第二戦で、大リーグボール3号を投げる。
レギュラーシーズンの対中日ドラゴンズ最終戦で左腕筋肉を損傷。球界から失踪する。
巨人は、日本シリーズを制し6年連続日本一に。
左門豊作と京子が結婚。

というわけで、飛雄馬は、僅か3シーズンとちょっとしかプロ野球に在籍していなかったわけですね。選手生命短い・・。というより、大リーグボールの開発期間と打たれるまでの期間が短すぎるんですね。

(「新巨人の星」は、とりあえずここでは考慮しておりません。)

コメント(3)

飛雄馬は19歳で野球をやめたんですね。
3年しか巨人にいなかったなんて以外です。
しかし、濃ゆすぎる3年ですわーい(嬉しい顔)

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