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◆心理主義と現代コミュの心理主義について

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初めまして。
大学時代に実験心理学/学習心理学を土台とした心理学科で
学問を学び、現在は児童相談所にてCWとして、
心理学を土台とした助言業務を行っている者です。

タイトルに惹かれてこのコミュニティを見たり登録したのですが
・・

何か、古典心理学(ジェームズ、ヴントなど)の流れを汲んで
いるところがなくて、フロイト・ユングといった現在流行りの
ポップな心理学が中心になっているコミュニティなのかな?と
いう印象があります。

個人的に、行動心理学(ワトソン・スキナー・ハル)から
ゲシュタルト心理学(ケーラーなど)を外さないで欲しいと
思っております。この学派は、認知/行動面で現代心理学が
発達するまでに大きく貢献しているからです。
(パブロフ・ヘッブ・ラザラス・セリエといった生理学者・
 心理学者も取り上げて欲しいです)


マイ日記にて、細々とこれら心理学研究者を取り上げたり、
基礎専門知識と私が日々想う事を重ねて記述もしております。
よろしければ、一度見に来てくださいね。
(足跡が少なすぎるので(苦笑)

今後こちらのコミュニティにも想うことがあれば投稿しようと
想います。よろしくです。

コメント(22)

オルトンさんようこそ!

そうですね、やはり一般的な波及力で言うと、フロイト的、ユング的(河合隼雄!)なものは無視できないという意識は私にもあります。

「人間の心理のことをやると思って心理学科に入ったら、やっていたのはネズミの実験だった」なんて話もありますし、多くの人が必要としているものは、「科学的な検証」などではなく「人生論」なんですよね〜。もっとも、この「話」は、実験系と分析系の差異を表すための寓話、神話だと私は思っていますが。

もちろん、実験系の話もどうぞ! 私、あまり知らないので、是非いろいろ教えてください。

日記に多重人格の話が出てきてましたね。
町沢静夫の朝カル講習会に出ていたら、一度自分の多重人格の症例の患者を連れてきて「実演」して見せていました。ちょっと医者として、そういうやり方はどうかなあと感じましたが(笑)。

多重人格は北米の医療の「創作」ではないかと言われ、
斎藤学なども最初は「日本に多重人格の症例はない」と言っていましたが、今や日本でも症例が出てきているようですね。
サイコパスのグローバリゼーションなのでしょうか。
らひいむさん。

☆心理主義と心理学は異なるものと考えておられますか?
 言い方が微妙に違うので他の方のカキコを見てるのですが
 どうも「何かが違う」みたいですね。



ネズミを用いて心理学実験を行う事、被検体が人間でない事に
問題はありませんよ。何故なら外部環境操作による結果生じる
行動/生理機能の変化(目に見える結果)に着目し、それによって
内面における変容の分析に迫って行く事が目的だからです。

そういった意味では、独立変数(操作される外部環境)以外である
嗜好性・価値観といった、実験阻害要因が多い人間よりは、行動が
制限されている/環境・食事管理の容易なネズミのほうが、心理学実験の仮説を検証するうえで効果的であるといえるでしょう。

実際、私が教授からネズミの実験結果をもって得られた教養・
意義は大きいものであったと自負しております。
(今度、私の日記で、ネズミの実験を行った心理学者を
 とりあげてみましょう。いい機会ですし(^−^。)

フロイトの、イド/エス論、無意識論はおおいに参考になる面が
大きく、私も心理学派を代表する学者だと思っています。
それは科学的実証心理学の中にあって、彼の推測によって
掲げられた「理論」は、破棄されるどころか、現代心理学の発展に
大きく寄与している面があるからです。

ただ、ユングについては、個人的には認めていません。
(日本では河合隼雄がもてはやされていますが、それは彼の
 人格的なシャープさに由来するのであるのかな?と思います。 
 実際、私も彼とお会いしたり話を聞いた事がありますよ
 (^−^
 

実験心理学は、心理学諸派の基礎です。
多重人格、不登校の問題は、人生訓でもって接していい問題とは
想ってはいません。何故なら、土台がないと、被験者のその都度の
行動に左右されてしまい、明確な指針が持てないからです。
(不登校については、機会をみて私の日記にて記述してみよう
 かな、と思います)

(加筆)
正直、いわゆる一般波汲としての心理学には「それは根拠な   いのでは」などと時折思う所があり、特に色や食べ物への嗜好性で
「ずばりこの人はこんな性格だ」などという、ポップ系心理学本
には反発を感じる所がありますね。
何故かというと、前者はまだしも、後者ははっきり言っちゃうと
「誤った心理学」のイメージを世間に定着させている所が
あるからです(心理学系教授がよく言われることなんですが)。
その学界からすると「誤った心理学」の本が売れて世間に浸透
したために、例えば「ネズミを用いた実験をやる(むしろこちらが
古くからあるものなんですけど)」と聞いたときに、そんなの
イメージと違う・・とがっかりする方々が出てくるんじゃない
でしょうか。

抵抗があると言ったのですが、
もう少し私自身の「受容性」というか間合いを
広める意味合いでこのコミュニティではどういった事が
話し合われているのかを見てみようと思います。


☆☆☆

ふと思ったのですが、心理学と心理主義は以下の点において
違いがあるように感じます。

心理学=学問である以上、科学的検証が要素として必要。
    実験による再現性があり、誰でも追認が出来る事。

心理主義=上にひとまず定義を設けた「心理学」ではなく(あるい     はそれに加えて?)、店頭に立ち並ぶポップ系の
     心理学本、「それいけXココロジー」などにより
     人々の内面に「心理学ってこんなもの」とつくられ
     一人歩きしてる一面があるのかな?と思います。

らひいむさんはこの「何かが微妙に違う」っていう感じ
ありますか? それがあるとしたらどこから来るものだと
思いますか?(その境界線)
 



ではまた(^−^
>らひいむさんはこの「何かが微妙に違う」っていう感じ ありますか?

あります。私なら、アカデミック心理学とポップ心理学と呼ぶことが多いです。それらも含めた総体が心理主義、というイメージを私は持っていますが、このコミュとして何か統一見解とか定説を打ち立てようという趣旨はありません。

私もむしろ実験系の知見がもうちょっと広まればいいのになと思っているほうです。
他にも、特定の哲学的テイストにまみれた社会学などよりも(笑)、実験やデータに基づいた社会心理学などの命題のほうが、遙かに実用的だと思っています。
 どうも、始めまして。

 心理学の事は何にも知りません。定義にも興味ありません。
精神科医とカウンセラーの大半は敵だと思ってます。
 ただ、随分揉まれてきました。経験だけは随分しました。
 心理学者そのものに興味は、あまりありません。

 でも、少しでも自分の肥やしになる事はしたい。
 と思うわけで、このコミュニティに参加しました。
 実験系の話は聞いたことがあまりないので、是非お願いしたい所。楽しみにしています。
というか、こちらのコミュは心理学の過剰適用(心理主義)に関する問題を社会問題として、本来のアカデミックな心理学の立場を守りつつ、その心理学を援用しながら、社会問題に現実的コミットメントをする方法を模索するための実用性について、ですよね?
なんというか、広い意味での社会科学として、心理学が実用性を広げられると良いですね。
私は哲学でも、科学哲学以外は意味がないと思っています。
私は出身が社会学なものですから、どうしてもその立場から考えてしまうというのはありますが、
趣旨としては、思想としての、流行としての、文化としての心理学についてのあれこれを語れる場にしたいなーということで。
心理学を支持する/しないで分けるつもりもありません。コミュ紹介文にあるようなあれこれを気軽に話せれば良いなと思っております。

管理人
 それぞれが育った畑によって主観が違って面白いですねw

 なるほど、確かに発見しても、公に認められない限り、世間
では効力を発揮しませんね。
 一つの発見と、研究の末出した結論を他人に認めさせるには
「証拠」が必要って事ですね。子供の頃、よくいじめっ子が突
っかかってくる子に「じゃあ証拠は?」と返していたあれと、
次元は同じようなもんですか。
 まあ、いじめっ子は証拠を提示されたからって認めるとも限
りませんが。あ、それは学問も同じですかねw宗教の教えに逆説的な学問は、いつの時代も弾圧されてしまうもの…。

 今の時代は、その「証拠」とやらで作られた学問にさえ、その宗教に似た力を持つのですから、恐ろしい事です。
 知識は知識に過ぎず、学問は結果の羅列によって構成され、
その過程は年代を経る毎に忘れ去られていく。

 その学問に沿って、教わる学生達は実践していく事になるん
ですが…。自分が発見したわけでもない割には、「これはこう
いうものだ!」とよく豪語できるものだなあと思います。
 現在の学問を受けて、一体何割がそれに固執せずにいられるでしょうか?学問とは恐ろしい。新しい発見は、既存の学問を
否定する事がある故に潰される事がある。

 心理学も年々進められているが、一度精神課医になった人間
の内何人が、新しい心理学の書を読み解きますかね?心理学を
学び、年々新しい症状が発見、あるいは「創作」されていく中
で、「俺は心理学を学んで、ちゃんと修了したんだ。だから、
俺は心理学を解ってる」と思い上がっている人間が、果たして
新しい心理学の書を進んで読むでしょうか?

 その思い上がった連中が、自分の中のマニュアルに乗っ取っ
て患者に接し、時代遅れの心理学を患者に押し付けてくる。
 こういうケースは、少なくない。
 年々何人の人が、心理学の学び舎から卒業してるでしょう?
その内何人が、この思い上がった連中になっていくでしょう?
そして、その人達が診る患者の中で何人が救われるのでしょう?
 数学や物理学を基調にした、この時代の学問思想は、
「仮説」→「実証」→「理論」という構造を確立しており、そ
れが全てに適応されがちである。
 故に人間の思考パターンもそうなり易い。「実証」の段階が
ある故に、自分の学んだ事は間違いないと思い込んでしまう。
固執してしまう。

 だが本来、世の中は無形だ。自分が全ての理を知っているの
ならまだしも、人は嘘をつくし、心は不確定要素の塊だ。
 一体、日本の心理学者の何人が解離性人格症状、分裂症を見
破れますかね?それぞれの人格は、記憶もバラバラな事があ
る。その中の一つしか、精神科医、カウンセラーの前で出さな
かったとしたら?
 精神科医は、その人格の一つを診断しているに過ぎず、また
仕事は次々に待っているという心理からも、その人格を自分の
マニュアルに当てはめ、判断してしまいがちでしょう。
 そして、適切な処理はされず、彼らは医者に対する信用を無
くし、医者を変え、カウンセラーを変え、病院毎に違う薬を飲
まされては、自分の原因を把握できずに、苦しみ続ける。

 正直な話、この思い上がった連中による被害は多大であり、
その連中によって心理学への歪んだ認識が生まれる。
 一般人は、お医者様だから大丈夫と学問を頼りにして精神科
に連れ込み、責任を精神科医に押し付ける。
 そして「最善は尽くしましたが」と、言われて突然突き放さ
れたような感覚を覚える。
 いやいや、学問とは恐ろしい物です。特にこの国では。

 学問とは、その知識の上に実践では臨機応変さを持って当た
らなければならない。

 学問は一つの参考であり、それが心理だと決め付ける事はで
きない。そういう事を、教育界は教えていない。
 経験を積んだ人が、セミナーや人づてに言うのがせいぜい。
 誤った認識はこの国に、収拾がつかない程に広がり、被害は
拡大する。
 
 そういう犠牲者を、私は現実に何人も知っているのです。

 心理学自体の研究は良いことだと思います。
 ただし、学ぶ者にはいずれ自分が診る患者の人生を大きく左
右するという事を、肝に銘じてから学んで欲しいものです。
 まあ、この社会でそれを望むのは…ちと難しいような気はし
ますけどね。
 だって、学ぶ人間の多くは、患者の苦しみを知らずに過程を
修了していくのでしょうから。


 あれですね。一本の心理学じゃなく、精神科に来た患者とい
う特定の環境に特化した心理学、参考書なども欲しいですね。
私は知りませんが、臨床心理ではそういう事も学ぶんでしょう
か?

 長文失礼します。
当然学びますよ。そういうことを。
大学院での話ですが、実習などの時間は病院などで学びます。

臨床心理学は医学とは違いますから、実験的な授業はほとんど
ありませんが、学ぶ内容は、症状の詳細などを学ぶということ
が多いですから、患者の苦しみを知らずに過程を終了すること
はほとんど無いと思います。
特に事例研究は、苦しみの過程を研究することですし。

というかこのコミュはやはり心理学の過剰適応への批判が主だ
と思ってました。
上記の基礎心理などをまぜてトークをするのはそれこそ「心理学」
じゃないでしょうか?そんなコミュありました?

しかしです。みなさんおっしゃっているように、現代の心理学の
過剰適応の多くは臨床心理のジャンルであり、それへの反発のよ
うに思うのですが?で、臨床心理は基礎心理の応用だから、基礎
なしにはありえないことなんです。
そう考えると、基礎心理を含めた大風呂敷を広げる必要があると
も思うんです。でもそれをこのサイトで…?

でもう結構前から言われてる、ココロジー的なものを期待して、
あら違ったと落胆するようなバカをいちいち考慮する必要がある
のかということです。学問てそんな単純なものじゃないし(そも
そもそんなもん大学や大学院で教えると思うか?)あたりまえ
ですが。
で臨床心理学を勉強してる人々はそんなに無勉強や、興味本意のみ
の学生ばかりじゃないということを是非言っておきたい。
一部のバカに全体が左右されるのは悲しい事ですが、よくあること
ですね。それはどのジャンルにもあてはまることです(というと逃
げみたいで嫌ですけど)。

それから診断する側は常に情報はアップデートしてるものですし、
(学会などで)一生勉強です。同時に、診断される側も覚醒(勉
強)する必要があることもかなり前から叫ばれてることです。

臨床心理はまだ歴史の浅い学問ですから、そういったものに対す
るこの国の対応はやはり厳しいです。成果が一般の目に見えてこ
ないとやはり理解度は低いのは当然です。また今の過剰適応と
いう反動はある意味理解できなくもないです。これが次第にケース
バイケースという風に振り分けて考えられるには(今のアメリカ
など)やはりまだまだ時間がかかるでしょう。別にアメリカの様に
なって欲しいとは思ってるわけではありませんが。
医師免許も更新試験のようなものを導入すべしという見解もありますよね。
真理は社会的に構築される・・・1970年代以降の人文社会の中心的テーマですらありますね。
社会学は「近代化を批判的に検証する」という「バイアス」をもつので、確かに過剰な臨床心理ブームへは批判が大きいとは思います。
個人的にはコーチングだのビジネス自己啓発だのは、現象としてだけでも関心はあります。
「近代化を批判的に検証する」これは大いにありがたいことでも
ありますよね。
あるジャンルの近代化はそのジャンル内においては無批判になる
危険性が大いにあるからです。

その意味で今の心理学の過剰適応という反動はアリなわけです。

実際、スクールカウンセラー制度は良く考えたら無茶な話です。
モデルが外にあるからってことで一斉に輸入してしまう。
これは本来なら恐ろしいことです。
で本当に日本にあったものを産み出すには、例えば、実験地区
を作って、試す、そして成果を見て全国化させる、というのが
本当でしょう。それにはまさに臨床心理だけでなく基礎心理など
の手法、または社会学等の手法が大いに利用されるわけです。

しかし実際にそんなことはできるわけがない(実はやってたり)
だから、とりあえずやってみて、現場で修正などをするしか
ないのだと思います。で本当になじまなくてダメならやめれば
いいわけで。でそれとカウンセラーの実力は別問題でしょう。

医者の更新試験が無いのは本当に意味がわかりませんw
その辺も無批判過ぎですよね。ちなみに臨床心理士はあります。
そこらへんを本当に変えたいなら投票ですw
日本医師会と自民党の癒着をどうにかしないと始まらないですw
>>でもう結構前から言われてる、ココロジー的なものを期待して、
あら違ったと落胆するようなバカをいちいち考慮する必要がある
のかということです。

 このバカが誰を指してるのか、ちょっと理解できませなんだ。できたら、正確に教えて下さると助かります。

 診断される側が勉強すべきっていう所は、同感です。
 でも非現実的ですから、私は半分以上諦めてます。
 それで勉強するような親達であるなら、患者の多くはいませ
んし、親の勉強不足はかなり昔っから叫ばれているにも関わら
ず、「まさか自分の周りには…」と思ってる平和な頭の人が主流ですからこの国は。

 ただまあ、できないできないと諦めてかかっても仕方ないの
で、生産的な思考に変えますと…。

 思うに、精神科医、カウンセラーは一人じゃやっぱり無力だ
と思うんですよね。例えどんなに勉強してたとしても。
 患者が100%医師を信頼し、全てを打ち明けて、相談するなら効果的でしょうが、医者の話なんて半分流して、とにかく
薬だけ貰えばいい。
 で、情緒不安定になってOD……まあ、医者を妄信しても困
るんですけど。

 勉強も、偏った勉強されたら逆効果ですよね〜。
 心理学「系」の本はいくつもありますし、それぞれ言ってる
事は違いますし。余計治療がやりにくくなるケースもある。
 といって無勉強すぎると、医者の言う事の重要性が理解でき
ない。

 1日限られた時間で患者を把握し、適切な処置をするのだっ
て無理があるし、無理しまくりですよね。今の状況。

 多分、患者と丸一日一緒に生活したら大分色々と分かると思
うんですけどね〜。病院のベッドだけじゃなく、専用の施設
で、人間ドックと同じように、精神健康面の集中診断をする場
が必要じゃないかと。

 様々な状況に患者を置いて、その反応を記述する。

 催眠治療が一般化すると、大分原因が掴み易くなると思うん
ですが…。長い目で見れば、いつかは落ち着くものなんでしょ
うか?

 皆さんの展望を聞いてみたい所です。
うわ、思わぬ反応…

バカとはここに問題提起をしようなどとは全く思わないバカ
のことですので…あまりそこ注目されても…

それから決してここに書き込んでおられる方々の誰も批判する
つもりは全くなかったというか…。

ポップ心理についてはよくわかりませんが、特にうきょさんの
宗教との関連性は全くおっしゃる通りで、
例えば、「心」なんて実際どこにもありません(話でかいっすか)
で、フロイトのいうここが自我、でここが超自我なんて構図
も実際ありません。でも精神分析はそれを信じて行います。
こうなるとこれはフロイト教というかですよねw
でも個人的には(ケースバイケースが本当に必要)それを信じて
診断して診断されて病理が改善されれば全く問題ない(言い過ぎ
かも…)とも思ってます。

あと歴史が浅い⇒国の対応が厳しい⇒
成果が一般の目にみえてこない⇒理解度が低い
これも僕の言葉足らずというかなんというか…
歴史が浅いと実態が一般に伝わりにくい、あやしい、みんなに
認知されないといった単純なことを言いたかったというか。
成果も、臨床の実績についてで、実績(証拠ってやつですか)を
上げればもっと理解されるのかなと…。


それと内院天さんの、
>思うに、精神科医、カウンセラーは一人じゃやっぱり無力だ
と思うんですよね。例えどんなに勉強してたとしても。
 患者が100%医師を信頼し、全てを打ち明けて、相談するなら効果的でしょうが、医者の話なんて半分流して、とにかく
薬だけ貰えばいい。
というのもすごくわかります。
「治療同盟」という用語がありまして、これはお互い同盟を結ぶ
ことで、いまある障害、病理と対決するといったものですが、
ようは協力しなければ治らないってことだと思います。
カウンセリングの中にはこちらは話を聞くのみ(告白という行為
が治療を促進させる)というのもあります。
しかし、特に精神科医は薬物投与のみで本来のメンタルのケアを
おろそかにしがちな現状は確かにあります。
しかしこれもケースバイケースで薬物が一番効果的(しか効果が
ない)というものもあります。でもメンタルのケアを忘れては
いけないという批判はしなくてはいけないと思います。

というか、初めの問題提起は、このコミュに基礎心理も含めて
トークした方がいいのでは?といった感じでしたねw
それは心理学の現代社会への過剰適応といった時の心理学は
基礎も含まるのかということでしょうか。
それを受けてのうきょさんの
>ただ、実験心理を含めたトピックがこのコミュに含められてしまいますと、
こういった心理学の基礎から議論を始めないとなりません。
となりますと、小難しいことを、
あたかも「私は知ってんやぞぉ」との
知識のさらけ出し合いにもなりかねません。
ですよね?
なんか色々すっとばして申し訳ないです。

いやうきょさんのおっしゃる通りだと思います。
その意味でポップにとどめておいた方が良いと。

でも、基礎も含めた方がというのは、ポップに限定
した場合、これが心理学と勘違いされるのではという懸念
からではないのでしょうか?
そう思って、そんな勘違いするやつは放っておこうとwいった
こと言おうとしたわけです。

ただこのコミュのテーマをトークする場合やはり深く突っ込ま
ないとまずい部分がやはりでてきてしまうのでは?とも思って
ます。心理批判の本の多くは、もっと勉強してから書いて下さい
的なものも多いですからね。

なんだか色々誤解を産んでしまって申し訳なかったです。
 いやいや面白いw
 これこそ主観の相違というやつですね。
 自分が「こう受け取って欲しい」と思ってても、中々上手く
相手に伝わらない。
 素晴らしい事だ。伝わらなかったが故に誤解を招き、誤解を
解くために言葉を紡ぎ、誤解が解かれるという流れは美しい。

 心理学に興味を持っている我々でさえこうですよ?
 人間って面白いですよね〜。ホント。

 私は、心はある派なんです。見えないものも、まず信じて掛
かるという事を心情にしています。生物学的には、電気信号な
んでしょうが、それはあくまで状況証拠でしかなく、心が無い
魂が無いという決定打にはなりえません。
 まあ、「○○は無い!」という理論は、基本的に無理がある
んですが。

 まあそれとは別にして、患者の主観に「心」の存在を利用で
きるなら、それもいいというのは同感です。
 それは別に心に限った事じゃありません。その人が信じてる物は利用できるだけ利用すればいいと思います。

 あと、お気軽に薬を出しやがる精神科医をどうにかして欲し
いですね。ODの危険性もあるし、依存しきった時にどう責任
を取るのかと。
 私は、薬に依存し続けなければ生活できないというようになってしまう事に一番恐怖を覚えます。常用すれば、麻薬と何が
違うのだろう。
 自分で治そうとする力がどんどん弱まっていく…。薬に頼り過ぎると免疫力が低下するのと同じで。
 怖いですね〜。自分でコントロールできなくなる人が増えたら…。

 うきょさんの、
「心理学の結果は、個人的には日の目を見てはならんと思うのです。」
 にも同感です。悪用の用途があまりに多く、それによる被害
も計り知れない。詐欺師みたいなもんですからね、ある意味。
 いや、彼らの方が実践力がありそうですがw

 まあ、本当に立派な心理学者はきっと心の大きな人ですか
ら、我々のような未熟者に食って掛かるような方はいないでし
ょう。うん。
オルトンです。
久しぶりに足を運んでみたらこれだけの会話(論戦?)が
展開されてて、驚きました。

私自身にも心理学を専修した者の端くれとして、
心理学を土台に児童相談所でCW業務してますが、
ご指摘にあるように新しい知識や情報を取り込む事
への渇望が生じる日々です
(なので土日には大学図書館に足を運んだり・・)。

<結局、主張する論は学者や学会に受け入れられるかで左右
 づけられる>というご指摘が大変興味深いです。

学者の人間性といった、「実証」的な所とは違う、
もっと原始的というかドロくさいところでの「好き嫌い感覚」
によってもその人の主張が日の目を見るかが左右されることも
あるのでしょうか・・。
関連情報です。

「心理主義 」の流行とカウンセリング : 心理療法の是非をめぐる問題(島崎隆)|季報『唯物論研究』100|一橋大学機関リポジトリ
https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/bitstream/10086/26909/1/0101402101.pdf


〈心理主義〉という言葉の意味がいまいち、よくわからないのですが、何でもかんでも本人の心の問題に還元してしまう考え方のことを言っているのでしょうか。まるで心のありよう、認識などが変わったら、きっと生活上の一切の問題が好転するよと言う考え方のことでしょうか。
心理主義の危険

精神分析を素人がやってはいけない。人は誰も心に物置を持っている。ちょっと入るだけで、いろいろなものが出てくる。それを扱えるのは経験を積んだ専門家だけだ。物置からいろいろなものを引っ張り出すのは簡単だ。 しかし、どれが本質かなど分かったものではない。目にするどれもが本質だと思えてしまう。記憶は無限にある。どんどんいろいろなものが引き出される。そし て収拾がつかなくなり、状態は悪化する。これはよくある話だ。専門家だけが引き出された記憶のガラクタを整理できる。スキルも経験もない素人には不可能なのである。

ゲシュタルト療法の祖である、F.パールズは「今、ここ」だけに注目せよと言った。それが一番確実で、手っ取り早いからだ。臨床としてこの姿勢は正しいのだろう。

いまは、ネットで2万5千円で心理資格が手に入りますという広告が出され、20時間程度の勉強で心理療法家を促成栽培する民間資格がいくらでもある。私も実際に知っているが、カール・ロジャースの名前すら知らない自称専門家すらいたのには呆れるしかなかった。

私はいろいろな心理学を知識として知っているが、どうしても斜めから見る癖がある。マインドを変えれば状況が変わるなどというのは、とんでもない理屈だ。主流派の臨床心理学は社会通念を押し付ける。異端は検証が無い。本当の自分をありのままに受け入れる、あるいは手放す。どれもこれも実に怪しい。そしてい、いたるところで怪しいセッションが行われ、時は流れ、お金が動く。今、カウンセリングを受けたいと考える人が増えるのと同じく、カウンセラーになりたいという人も増えている。カウンセラーなら私にでもなれる。そういう勘違いをしている人が山のようにいる。

巷には、幸福になれる、などといったコピーに飛びつく人が多い。しかし、常に幸福だということなどあり得るだろうか。共感もそうだ。それは稀だから喜びなのであって、いつでも誰とでも共感できるならば、そこに喜びはない。

ここまで、私はかなり現実的なことを言っていると思う。さらに言えば、私は脳科学についても斜めに構えている。特に、世俗の脳科学は安っぽい人生論のようだ。また、脳科学が倫理的な問題の基準になるなど怖いことを言う人もいる。脳科学は科学の玉座を目指しているかのようだ。

バートランド・ラッセルは、幸福は内界ではなく外界に求めるのが健 全だと言った。その理屈は私にはよくわかる。それでいながら、私は内面への興味から離れられない。心の物置の隅を見たいという欲望に逆らうのは実に難しい。そして、これは現代に特有の誘惑なのだとも思う。

問題は、一般人が心の問題を抱えている人から逃げて、それを専門家に押しつけようとしていることにある。悩みや落ち込みには鬱というレッテルが貼られ、専門家と称する人々のいる業界に委ねる。「鬱は心の風邪」「早期に病院へ」などのキャンペーンの影響で、多くの人が簡単に「病人」にされる。

精神科医療やカウンセリングは必要だ。しかし、安易な心理主義や自己啓発は思考停止を招く。心が変われば世界が変わるという人もいる。どう変わるのかは知らないが、それはとても恐ろしいことなのではないだろうか。

(中略)

このような状況になったのは、家族や地域社会、友人関係といった利害ではなく結ばれた信頼のおける第一次集団が崩れたという社会的背景がある。家族も親友も、深い悩みの話し相手ではなくなってしまった。そこに、心理の専門家というビジネスが生まれ「トンデモ心理学」が数多く生まれたのだ。もちろん、マトモな専門家もいるが、間違いなくその比率は低い。確率的に言って、マトモな専門家に出会う前に、トンデモナイ自称専門家にお金を貢ぐ可能性の方が高い。直裁に言えば、カウンセリングを受けることで状況は悪化する可能性が高いと言える。

解決策は以下の二つだ。家族や友人の悩みから逃げずに話をすること。また、当事者は主体性を放棄して結論を第三者に委ねないこと。これが肝要だ。相談相手がなく、主体性が崩壊したならば、多くの場合「心理ビジネスの餌食」になる。日本はこの分野で世界の最先端にあるという。もちろん、悲しむべきことに。

(2012年10月)

http://j-robert.hatenablog.com/entry/20130807/1384013633
果たして「昔の」家族やご近所さんや友達がどれぐらい人々を迷宮から救うのに役立っていたのかはよく知らないけれど、本当にかつての日本人の庶民レベルの救済能力って、そんなに高かったのだろうか。
それとも社会全体が今ほど複雑化していなかったり、情報化も進んでいなかったり、さまざまな欲望が絶えず煽られるということもなかったせいで、個人を悪化させる動因も弱かったから救い易かったのだろうか。

いずれにせよ、これだけ個々人に植え付けられる経験や情報が分化している状況の中では、十把一絡げに画一的な対処法であたるなんてゆうやり方は、本当に個々人の複雑にいりくんだ心の重荷を解決することはできないだろう。
カウンセラーをおざなりに大量生産したなら、クライアントもおざなりに画一的方法で対処されるだけになる。
要は心というものの複雑さに対応するだけの繊細な理解力と力量を一人一人のカウンセラーがいかに、あたかも自分の心を癒し救うような真剣さをもって発揮できるか否かにかかっているのでしょうか。

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