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小学校の先生コミュの酷いはなしです

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コミュに参加承認ありがとうございます。ちょっと不快な内容かもしれませんがどうか子供のため、読んでいただきたくおねがいします。

「酷いはなしです・・・」というタイトルのメールが父兄から届きました。私は学校教師ではありません。町のピアノレスナーです。メールの内容は、卒業式のピアノ伴奏のことです。子供は小学6年生A子。

【今日、A子の卒業式で弾く伴奏のオーディションでしたが落ちてしまったみたいです。五人受けて一番上手に弾いた様ですが父兄からいつも同じ子が弾いているとクレームが出ていたそうで落とされました。小学生最後だったのに残念で…しかもそんな内容なら楽譜を渡さなければ良いのにと思っていたらムカムカしてきてメールしてしまいました。そんなに練習しませんでしたが一応毎日弾いていたので時間ももったいなかったです。】

以上です。その後状況詳細を聞きましたら、A子がオーディションで落とされて明らかに「何故あの子が?」という結果だったので自分の何がいけなかったのか聞きに行ったそうです。そこで「いつも同じ子が弾いている・・・というクレームがあるので」と先生が言ったそうです。

私はこう返信しました。

私なら黙ってはいられません。『どこに出ましょうか』という話しです。

子供はそういう場で弾かせて貰うことは良い経験になるし、晴れ舞台でもありますから良しとしましょう。けれど子供たちは学校でピアノを習っている訳でもないし、仮に卒業式の曲だけでも
学校の先生が面倒を見てくれているでしょうか?
ピアノを習っているのは子供の全く個人的な事です。しかも“お金を払って”習っています。
子供が個人的にお金を支払い習っていることを、“ただで”利用しているくせに『オーディション』!?

私は先生たちにこう言いたい。

その子たちにピアノを教えたのはあなたたちではなくそれぞれのピアノの先生です。あなた方のような教師に“オーディション”という形で評価されることは屈辱です。しかもその結果は子供の努力や実力ではなく“クレーム”対応とは情けない!しかもそれを落ちた子供本人に伝えるとは、先生が子供に甘えてどうする!

自分たちで教えてもいないのだから落ちた子、受かった子の心の傷の責任からは逃れられるでしょう?受かった子ですら傷を負うことをご存知でしょうか。

子供たち(親や、ピアノの先生)を踏みつけておきながら『いつも同じ子が弾いている』と言う親のクレームに媚びる。そしてその言葉に動かされて結果を歪めるなら、過去の全てのオーディションが無意味だし、クレームの父兄にはまるで今まで“ひいき”していたと言わんばかりという結果にならないでしょうか?
クレームに対応するなら始めから順番性にするべきだった。オーディションで一番上手な子を選出した結果、それで楽をしたのも高い評価を受けておいしい思いをしたのもあなたたち先生でしょ!

卒業式に当たり、卒業生数人の子供たちにそんな泥沼な想いをさせてあんたらそれでも教師か!
いい加減にしろ。。このメールが公になっても自分の名前が出てもちっとも怖くないくらい腹立たしい私です。

という返信をしました。

いかがでしょうか。こんなことが行われているのはこの小学校だけでしょうか。少なくとも近辺の私の知る限りでは、小学校4校、中学校3校で当たり前のように学芸会、文化祭、卒業式、入学式、その他の式典の伴奏者を“オーディション”で選出しています。
“受かった”“落ちた”と子供達はなんの疑問も持たずに泣いたり笑ったりしていますが、こんなことおかしい!!

付随してこんなこともありました。

* オーディションを子供達にさせる。全員が後ろを向いて誰が一番上手か挙手で決める。

* 歌の伴奏譜がないのでピアノの先生に書いてもらって練習して。(やりますよ!子供の為に!でも直接電話、せめて手紙ででも「お願いします」の一言が何故言えないのでしょう)

* まだ弾けないの?責任もって練習してちょうだい。みんなに迷惑でしょ。
* この程度弾けるだろ?出来ない?しょうがないなぁ。片手だけでも弾け!
 
あげればきりがありません。「いい加減にしろ」と思う気持ちわかっていただけるでしょうか。
こんなに子供達ピアノを習っていることである意味利用され、踏みにじられているのに、ある時、
課外授業のさかんな小学校では、ピアノのレッスンがあるので週に一度練習に参加できない、と言うと体育会系教師に「ピアノ?そんなものやめてしまえ!」と言われるのです。

ありえない話とお思いでしょう。でも先生たち・・こういう類の事を日々簡単に言ってます。
私の住む街でのこういう辞退には、勇気を奮って、事実を文書に書いて学校長に提出しています。
でも、何も変わりません。毎年毎年、同じようなことを何度も何度も子供達から聞きます。
せめてこちらでこの事実を読んで考えていただけたらと思いました。

コメント(54)

A子さんの担任の先生はまだ若い方なのでしょうか?教師は自身の教育方針に、確固たる信念、根拠をもつ必要があると常日頃肝に命じております。
授業、生活指導、特別活動、子どもに対する言動全てにおいて、「何のために」「何を願って」を説明できなければ、子どもも保護者も地域も納得してくれません。
信念は誰でももつことができます。根拠は自分で学んだり、経験したりして積み重なります。
A子さんの担任は、恐らく何の信念も根拠もなく、ただなんとなく他の学年や先生に倣って、オーディションをしたのではないでしょうか?
「同じ子が弾いている」というクレームは告知してから入ったんでしょう。A子さんには技術的に及ばない子が、親にそのようなことを漏らして、自分の子可愛さに担任に話したのでしょう。
そこで、これまでの選出について、どのような基準で決めてきたか、このオーディションの基準は何か、がはっきりしていれば、その保護者の申し出に真摯に対応できたのではないでしょうか。
しかし、学校は1年2年で担任は変わります。それまでの方針は様々です。6年間での一貫した基準はもてません。子どもたちも変わりますしね。
「利用」「踏みにじる」といった表現がありましたが、子どもは自分の得意なことを見せたいんです。子どもにやりたい意思があるのなら、無条件で応援するのが、親であり地域であり教育者の義務です。
理不尽なことは、生きていたら必ず巡ってきます。どうやって乗り越え、プラスに変えるかを教えられるのは、経験を積んできた大人たちにしかできないことです。
大人同士で腹をたてるのはいいです。納得いかないことに説明を求めることは、私たち教師と保護者との信頼を築くために必要なことです。ただ、それを子どもの前で見せてはいけませんよね。A子さんに、大人の事情を伝えてしまった担任は言語道断です。ですが、教師は視野の狭い方も多いですからね。普段見えなければ、やってもらえるのが当たり前のようになってる人も多いです。

一番傷ついてるのは子どもです。大人があれこれ言っても、彼女の心は晴れないでしょう。

前向きな気持ち、新しい気持ちをもって、更に素敵なA子さんになってほしいですね。

長文失礼致しました。
私もたかおさんの意見に同感です。
その先生のやり方は間違ってないと思います。
私も普段、オーディションをして、うまいへたはもちろん、曲にあった弾き方や雰囲気の出し方をしてる子を選出してます。
ただ、毎回同じ子にならないように配慮はしてます。オーディション以前に、何回か伴奏をやった子には遠慮するように話をすることもあります。
トピ主さんの意見の逆を言えば、何回か伴奏をやったことがあるのに、また同じ子がやったら、いつもやれない子はいつもいつも今回トピ主さんが抱いている気持ちになっていると思いますよ。
ただ、卒業式は他の音楽会などの行事での伴奏とは別格ですから、思い入れは強いですよね。その辺の気持ちはお察しします。
コメントくださったみなさんへ。
みなさんコメントありがとうございます。やはり はじめに書いたように不快に思われた方は沢山いらっしゃったようですね。怒りが収まっていない勢いで父兄に送ったメール文をそのままコピペしましたから当然過激ですよね。
感情的で大変失礼だったと反省しました。
一通り皆さんのご意見を伺ってそれに返事を書かせていたら、退会しますので〜というお約束でこのコミュに一時参加させていただきました。この後もみなさんのご意見がでてくるかもしれませんので拝見してからにしようと思います。

はじめに・・・
「どこかに出ましょう」というつもりは全くありません。ご父兄に返信したメールに確かに「私ならどこに出ましょうかという話です」と書きました。
“私なら”わかりませんが直接は私の問題ではないので、私が出て行く筋のものではありません。本人やご父兄を差し置いて私が出て行く筋のものではありません。

みなさんのご意見にこたえるつもりで
始めにコメントを頂いたgetさんの文章に沿って思うことを書いてみます。

1 ほとんどの方の “身近な知る限り”ではなく“たいていの学校”でオーディションが行われている・・・ということに驚きました。正直“えっ?そんなことがその地域では行われているの?それは酷い!”と言うことの方が多いのでは、と思っていました。

2 私の分かっている情報でもそうだということは知っています。(希望者をつのってのオーディション)

3 あくまでもわたしの近辺の話ですが・・
希望者がいなくて先生が困って「お願い」されたことは生徒から聞いたことがありますが、先生が弾いた、という話は私の認識にはありませんでした。
  中学校の音楽専科の先生がそうされているのは聞いたことがあります。私の認識の範囲では小学校に音楽専科の先生がいらっしゃらなかったのかもしれません。(あくまでも、私の身の回りの事です。)吹奏楽の盛んな地域で、必然的に管楽器奏者の集まる、つまりピアノをあまり得意としない方が多いというのが事実上の地域だと思います。
  しかしgetさんの書かれているように生徒に弾く状況がなければ先生が演奏されるのは、当然で、その当然のことが行われていない地域なのかもしれません。
  
  そして・・
  もちろん誰も“利用”するつもりなど無いと思います。
色々な経緯があって結果的にそういうことではないでしょうか?と思うのです。利用・・印象的には良くない響きの言葉ですが必ずしもそれを、悪しきこととは思わないのですが。。


4 伴奏者の出来は全体の仕上がりに影響します。こういう話もあります。
「例年、高い評価をうけて演奏曲のレベルをどんどん上げていくので伴奏も難しい、でも先生は上手く出来て“先生の鼻も高いよ”と言ってくれた」という話を聞きます。それを批判するつもりありません。生徒にとっては嬉しいことです。

そして仰るようにその子が高い評価を受けるのも事実です。
でも・・高い評価を受けることにはちょっぴり裏があると思われませんか?個人的に習っていることだからこそ生じるものです。
  少しズレましたが・・

5 選ばれた子が一番上手な子ではなかったから、腹が立つということとは違います。子供の言う事、その子の親の言う事ですから、本人はそう思っていても、もしかしたら選ばれた子供の方が上手だったのかもしれない・・とも思いました。(あとで実際そうではなかったことがわかりましたから)問題としているのは先生の対応です。でもこの部分はあまりにも個人的ですね。反省します。
それにみなさんが仰るようにそんな先生ばかりではないでしょう。
  実際、ここにコメントしてくださった多くの皆さんがとても注意深く事を運ばれているのはよくわかります。

つづきます
すみません。
字数制限でまず3分の1入力して書き込みを終えて、続きを入力している途中でパソコンの電源が落ちました (汗)今あわてて携帯です。

続きは一時間ほど置いてあらためてパソコンから入力します。出来れば間にコメントが入らないことを望みますが。。

続けて読んでいただきたく思いますので。それでは。またあらためまして。
つづき〜その2です。

6 「ひとり一回ずつね」という「オーディション」はつまり結局、順番ですね。
そういう前提なら問題も“少ない”のだと思います。でもオーディションをするのならオーディションの意味があるほうがすっきりします。ひとり一回なら、曲のレベルに関係なく最後にどんどん“弾けない子”が残っていくわけですね。(極論ですが・・。)最後、つまり6年生なら卒業式に弾く伴奏が、その子にとって難しい曲だったらどうするのだろう・・と思いました。
いえ、そんな風にならないように計らっていることとは思います。あげあしとりのようになっちゃいますね。オーディション、順番を上手く組み合わせて行っている先生が多いとお見受けしました。
  
“落ちて泣いた子”もいらっしゃったのですね。
子供は「つらい想い」をあまりひきずりません。おそらくその時の感情が大人よりずっと大きい。だから泣く事があっても少し時間がたてば、どこ吹く風です。大人は逆でその時「仕方がない」と丸く治めても、どこか変だぞ・・・やっぱりおかしい・・・と考え、気がつくので、根っこに不快感が残るのです。

逆に・・。
落ちて泣いた子がいれば、受かって笑う子もいます。私の生徒では、受かったことで「いじめ」を受け続けた子供がいます。4、に書いた【高い評価を受けることにはちょっぴり裏がある】と通じることです。
授業で行われていることなら、出来なくても、過程で「努力しなかった」子供を叱咤激励できてもピアノに関しては先生には見えないところで子供がどれだけ努力しているかはわからない。
子供の状況によって、大きな差がある実力。
こんな簡単な曲・・・と思っても泣きながら練習する子だっている。でも、先生からみて「これは相当難しいかな・・」と思っても初見同然に弾いてしまう子だっているでしょう。
見えないところで子供達がどれだけ苦労しているのか、また逆にしていないのか。
どんなに苦労して泣きながら努力した子も学校で演奏する時には見栄を張ってさわやかに弾くでしょう。
  
クラスの授業でみんな揃って学んだことを、評価されるのは当然でしょうし、友人達の前で先生にしかられても日常の学級の風景かもしれませんが、ピアノは別です。特別なことではないでしょうか。
その子がいつからピアノを習っているのか、日々どの程度練習しているのか、どんな先生についているのか、音楽的にどういう環境にいるのか、どういう意識で習っているのか、それは子供によって違います。雲泥の差です。
ピアノを弾く。。という特別なことに向けられる目を子供自身は感じていますから、普段の練習曲よりも、更には発表会より力が入ったりします。
それはその子の勝手・・とも思われがちで実際そうなのですが、
通っている教室でピアノの先生に練習が出来ていない!と注意されるより、【学校で“恥をかく”事の方が子供にとってよほどつらいこと】ですから。集団と仲間の力ですね。
ピアノを習っていない子はピアノを習っている子を ある種“あこがれ”の眼差しで見ていたり、時にはねたましく見ていたりします。だから子供達はオーディションに受かりたいと思うし、みんなの前で立派に演奏したいと思っています。
弾けなくても聴けばおおよその事がわかる同級生が評価を下します。それは残酷です。

  また・・ズレています。


7、私は「オーディション」そのものが問題だと考えています。「方法」がうまくいっていたら「オーディション」が問題だとは考えなかったかもしれません。長い間子供達の話しを聞いていて方法が良くない為に多くの問題を感じて「オーディション」って?と疑問に思うようになりました。  
  
皆さんのなかでも オーディションそのものが問題、とされている先生もいらっしゃるようですからきっと、だからこそ注意深く、父兄に電話を入れたり、地域との連携を保っつ努力をされたりしていらっしゃるのでしょう。

次へつづきます。
7、私は「オーディション」そのものが問題だと考えています。「方法」がうまくいっていたら「オーディション」が問題だとは考えなかったかもしれません。長い間子供達の話しを聞いていて方法が良くない為に多くの問題を感じて「オーディション」って?と疑問に思うようになりました。  
  
  皆さんのなかでも オーディションそのものが問題、とされている先生もいらっしゃるようですからきっと、だからこそ注意深く、父兄に電話を入れたり、地域との連携を保っつ努力をされたりしていらっしゃるのでしょう。
  

8、オーディション以外のどんな方法がいいか。それは私にはわかりません。
  全ての先生がそうではないのはもちろんわかっていますが、クレームに対応したりという事実がありえるなら、順番でいいのではないかとも思います。その際“そこまでする必要は無い”と仰られるかもしれませんが、親御さんを通してピアノの先生との連携(えんぼうさんが仰っていました)があったほうが良いと思います。
ただ、ピアノの先生も様々で、そこを「時間外有料レッスン」とされる先生もいるでしょうし、学校でのことは関係ないのでお断り、という先生もいるでしょう。
  
9、については初めに書いたとおりです。


子供はその時の感情は激しい表現にはなりますが、帰宅後にあっさりと「あの子卒業式でちゃんと弾け
るように私は応援するよ」と言っていたそうです。
子供は何て優しく逞しいのだろうと思います。だから余計に腹立たしかったのは事実です。
子供が理不尽なことにも沢山出会うこれからの人生、どう対処していったらいいかを導くのも・・という助言もいくつか頂きました。そうですね、しかし直後からすでに子供は子供の力で学んでいます。

なんだかまとまりませんが、焦点がはっきりしない、鉾先があちこちに。。まさにご指摘の通りですが。
支離滅裂ですみません。みなさん読んでいただきありがとうございました。

真剣に向き合ってくださる先生方がいらっしゃって嬉しく思います。地元で何度か学校にに電話をいれたり、手紙を書いたり、校長室でお話させていただいたり、それでも変わらない・・という半ば投げやりな気持ちになっていましたが、みなさんのおかげで、また地元で先生たちと向き合おう・・という前向きな気持ちにさせていただきました。
たんなる父兄ですが、一言、言いたい気持ちがあります。

娘が小学校低学年のとき「ピアノを習いたい」とせがまれたことがありました。
しかし、当時私は大病をして、夫婦共稼ぎでやっていたので経済的打撃が激しく、
「ごめんね」と言ってあきらめさせていました。
娘の中には「ピアノを習っている子はお金持ち」という意識があります。

中学では吹奏楽部に入っていましたが、いまさらながらに音楽が好きだったんだなと思います。
それでも、吹奏楽部の中には、部活以外にレッスン料を支払って部活外で練習している子もいます。
下級生のその子に見下げられて悔し涙を流した回数は数知れません。

病気が重かったので、貧困は長く続き、塾にさえ行かせられず、本当にかわいそうな思いをさせました。

今は部活を引退して、塾も最低限しか行かせられませんでしたが、見事公立の志望校に合格しました。
娘はトランペットでしたので、家での練習は無理があり、自分でギターをタダでくれる人を探して、指の皮を剥きながら、ギターの独学に励んでいます。

本当に音楽が好きなんです。

小学校の頃はピアノを習っている子が伴奏しているのをとてもうらやましそうにしていました。

こちらの学校は希望者でオーディション形式にはなってはいますが、
発表会ではできるだけ曲目を増やして、一度の発表会で、できるだけ多くの子どもに伴奏させています。
正直、全く上手ではない子も伴奏しています。

私たち低所得者からみれば、主様の主張は強者の論、としか思えません。

学校の先生は、そういう子も全部見た上で指導しているのです。
主様のように、教室に通える裕福な子どもだけを相手にしている訳ではないのですよ。
かしこさま。

コメントありがとうございます。もちろんかしこさんのような方もたくさんいらっしゃると思います。

普段、ピアノを習っているわけではないけれど、学校の伴奏を弾きたい…と短期で習いに来る子もいました。

私は習っている子、習っていない子を特に区別して書いたつもりはありませんでした。
ただ、私の関わる子供は短期であれ私に習いに来る子供なので当然、私の体験は“ピアノを習っている子”にはなってしまいますが。
私自身小学校ではピアノはまだ習っておらず、お金持ちのお嬢様的な友人を羨んで、時には妬ましく、過ごしておりました。

ただ、かしこさんが私の文章に感じたものが そうであるならば やはりそういう物言いになってしまっているのでしょうね。すみません。

決して習っていない子を区別したり、置き去りに書いたわけではないのです。

そして学校によって、担当する先生によって様々でピアノを習っていない子はその対象にならないことはあり得るかもしれません。子供に聞いた話しによると、まず“ピアノを習っている人”と言われて手を挙げる、と聞いたことがあります。ただ先生によっては“弾きたい人”と希望者を募り、その時に短期で習いに来た子がいました。

様々ですね。全ての先生をつかまえて批判はできません。

とにかく不快な思いをされたようで申し訳ありませんでした。
皆様 お騒がせしました。今日の私のコメントの後、かしこさんから一件のレスがあったのみでこの時間になりましたので、管理人の方に申し出た通り退会させていただきます。

長くなった文章を読んで下さった方々ありがとうございました。
また、こちらにではなく直接メッセージもいくつかいただきました。お礼申し上げます。

最後に感情を露にし、不快な思いをさせたお詫びをしと失礼致します。
トピ主さんが閉じてしまった後になりますが、少しだけ私見を。

ピアノ伴奏ですが私の地域では小学校では6年生を送るかいなど児童集会以外の行事で児童が弾くことはありません。音楽に堪能な教員が弾いています。

逆に中学校では合唱祭などがほとんどの学校であり、ピアノ伴奏もこどもがやっていることも多いようです。


ただ、学校で習っている内容外のことで、学校代表として選ばれることになる。
というのはピアノ伴奏に限りません。

絵画、陸上競技、サッカー、バスケットボール、水泳、書道、ダンス、読書感想文などなど。
学校以外で習い努力しているからこそ、選ばれることになる場面ってよくあることだと思います。


つまり、学校は子ともどもたちを学習させる場でもあり、学習の成果を発表する場でもあるだと思うのです。

選ぶ基準がはっきりせず、児童や保護者に不満を感じさせたのは担当教師の不手際だと思いますが、オーディションそのものや、巧い子を代表に選ぶという仕組み自体は変えられないものだと思います。

習字の特選に惜しくも選ばれなかった子がどれだけ血のにじむような努力で書道をやっていたとしても、字のでき具合が悪ければ当然選ばれない。
陸上を習って頑張っていても、記録が遅ければ学校代表のリレー選手にはなれないわけです。

ピアノを教えている立場からすれば、いいたいことがあるかと思いますが、
教師は教師なりに子どもたちのためになるよう代表を選んでいるんだ、という考えも知っていてください。
【酷い話しのもっと酷い続き】
一旦、退会しましたが、管理人さんに再度お願いして参加承認いただきました。「酷い話のその後」を読んで頂き、しつこいようですが再び整理して(出来ないかもしれませんが)“オーディション”について書かせてください。決して敵意など持っていません。歩み寄って読んで頂きたいのです。
願わくは「オーディションそれ自体どうなのだろう?」という疑問を持って考えて頂ければありがたいです。

さて、いちばん最初に書いた「酷い話」には「もっと酷い続き」がありました。
A子はオーディションの数日後から、廊下であるグループの子達に「きもい」「馬鹿」と言ってイジメられる
ようになりました。担任の先生が子供達に色々話を聞くと原因は伴奏の事でした。A子が落ちてB子が選ばれたのはオカシイ・・と子供達の間で囁かれるようになり、不安になったB子が「A子が自分に悪口を言ってきて困る」と自分のグループの友だちに言いふらしたとのこと。B子は泣いてA子に謝りました。
また、音楽の先生はB子には2〜3ヶ月も早く楽譜を渡していて、他の子供達には直前に渡したという不正も発覚したそうです。この問題の対処については「B子がA子に泣いて謝った」以外は何もないそうです。
この問題、誰もがお分かりだと思うのですが、A子もB子も被害者です。すべての原因を作ったのは先生なのに先生はB子を諭し謝らせました。この先生は他の学年でも同様の行為をしていました。

先に申し述べて置きます。A子もA子の母親も「選ばれなかった」ことを問題にしているのではなく「騙されたこと」「不正があったこと」を問題にしています。そして私は先生個人を批判もしますが、ここで云いたいのは、この事を例にあげて“オーディション”することに関連する問題と“オーディション”そのものについて・・・・です。

A子には「友だちと友だちのお母さんを恨んではいけない。できれば学校で顔をあわせて話せたら、あなたが謝る事はなかったと言って欲しい」と話した上で、問題の根底は何か、そして私達同じ大人として許せないこと、おかあさんがちゃんと学校とは話をつけてくれる、あなたのもう良いんだと言う気持ちもわかるけれど、今回こういう仕打ちを受けたことを忘れないで欲しい。大人はこんなもの、大人の世界はこんなもの、と決して思わないで欲しい、そうでなければ貴女自身がそういう大人になっていく。だからお母さんは学校とのやりとりをきちんとする。貴女は真実をちゃんと見てお友達との関係を取り戻すようにしてほしい。」等の話をしました。

私が“ピアノは特別”という意味がここで少し理解してもらえるでしょうか。(ピアノを習っている子を特別扱いして欲しいという事とはまったく違います)
同じことを繰り返し書きますが
たとえばどなたかがコメントに書いていた「バスケットを習っている子には他の子にも教えてあげてね」「習字を習っていても血のにじむような努力をしていても落ちる子はいる」等と全く違うのが「ピアノ」です。
他の色々なことは皆で学習する場でのお手本になったりもします。他の子供との関わり、学校内の学習との関わりがあります。

つづきます
ところがピアノ伴奏の「オーディション」はピアノを習っている子同士の問題にしかなりません(オーディションという形をとれば大抵の場合ピアノを習っている子が対象となりましょうから)。

オーディションを落ちて泣く子。落ち続けて自信を失う子。もう人前では弾きたくないと言う子。こう書くと“落ちた事が気に入らないのね”と思われそうですがそれは違います。

いつも受かる子が良い思いだけをしているかと思えばそうではありません。今回のようにいじめられる事も多々あります。それに有頂天になりいつも自分が一番!と思いあがってしまう子もいます。

頑張った事を誉めてあげることは出来ても「有頂天になるな」とピアノを指導してもいない教師が、有頂天になっている子を諌めることが出来ますか。
落ち続ける子に「残念だったね」と慰めることは出来ても「練習が足りないからだ。もっと練習して次は頑張りなさい。」と言えますか。言えたとしたら無責任すぎます。

ピアノ演奏者を決める「オーディション」には、様々な危険性が含まれています。
なぜ「オーディション」が普通に行われていることに疑問を持たれないのか不思議でなりません。
そういう体制をどうすることも出来ない、仕方がないとしたら、「本来オーディションはおかしい」という見地にたっていつも注意していただかなければならないと思います。

それから「ピアノの先生」は“関係ない”という認識も少し違うのでは、と思います。
学校に問い合わせて何度も言われたことです「関係ない」と。
それは実は私達のセリフなのです。「オーディション」(ピアノを習っている子を対象にした場合)という形をとることによって関係を作っているのは学校側です。

私が退会した後にレスを下さった「カジさん」の学校は素晴らしい〜と思います。
卒業式などの式典には先生がピアノを弾く。学習発表会などでは子供も演奏する。ピアノを習っている子が個人の力を発揮できる場所です。また習っていない子だってピアノを弾きたいと言えば習っている子に「教えてあげて」というステキな発表の場がうまれるでしょう(学習発表会としての場に高レベルなピアノ演奏を求めなければ)。上手くあわせられなくってズレてしまう。ならばそうならないように「焦らないで落ち着いてみんなの音を聴いて」「きっかけにこの音を聴いて合わせよう」「歌はここで少し遅くなるから一緒に指揮を見て合わせて」という事が先生も含め子供達同士ででも出来たら本当にステキな事です。
発表の場で失敗しても、そういう練習の過程があったなら失敗した子を誰も責めてはいけない、という指導が出来る。そして結果は失敗もあったけれど、よくみんなで頑張ったよね、という満足感も得られる。
でも、失敗のあってはならない卒業式の式典は、だから先生がピアノ演奏する。

カジさんの学校の理想的な在り方がとっても美しく想像されます。

ただそこに希望者が多いとしたら・・・・!じゃあ「オーディション」で決めましょう、となった時にそこに潜むものは何でしょう。
【一番上手な子に弾かせる】です。

つづきます
【いちばん上手な子にひかせる】

それなら徹底すればいい。一番上手な子を学校の責任において選び続けるならいい。10回オーディションをやって同じ子が10回受かってもその子が弾き続けるべきです。それがオーディションの意味です。

しかし、教育上よろしいですか?(いえ、私はオーディションをするのならばそうするべきだと思っています)
どこかに「よろしくない」という気持ちも潜んではいませんか?

オーディションするならオーディションに徹する方がすっきりするのに、『いつも同じ子が弾くのは問題』『ピアノを習っていない子だって』『普段おとなしい子に』と言うところに“教育的意味”という言葉を持ってきて、「他の子にも弾かせてあげて」とか「遠慮しなさい」という言葉で物事をゆがめる。

教育的意味を唱えるなら、それなら「オーディション」をやめたらいい。

実力主義である「オーディション」というシステムをとりながら、状況によって変わる。一貫性が無いことに子供達は混乱するのではないでしょうか。
実力主義を持ち込んだのは先生(学校?)なのに、そこに“それは教育的ではない”という意識も潜んでいる。

「オーディション」というシステムに原因の発端はあるのに、問題がなければ気がつかない・・・それならわかります。でも問題が見えているのにまだその過程の何がいけなかったかだけが問われていて、過程は確かに良くないけれど「オーディション」そのこと自体がおかしいと何故思えないのだろう、と不思議でならないのです。

私はもう10年以上前になりますが一番はじめに生徒から「伴奏者を選出するオーディションがある」と聴いたときにはそれはそれは、学校の先生たち一体どうしてしまったの!?と驚きました。それを人に話した時には「ありえないでしょ」と他の学校の先生たちだってその事実を批判しました。

「学校で伴奏をたのまれた。ピアノを習っている子が二人いるから二人に楽譜が渡され来週先生の前で弾いて上手だった人に決めるって。」じゃあ落ちた子はどうなるの?「簡単な方を弾いてもらうって」愕然としました。これが私の一番初めに体験した “オーディション”の始まりです。落ちた子の一曲多く練習する作業を無駄と言わず何といいましょう。

これが普通にあっておかしくないことでしょうか。
若い先生方が教職に就かれた時にはすでに「オーディション」が当たり前という体制の中に居て、何の疑問も持たずにスムーズに事が運んでいたとしたら、私の書いていることが理解できないかもしれません。“何がおかしいの?”と実際コメントに書かれた先生もいらっしゃいました。
でも、もし今後「オーディション」というものに直面する機会がありましたら、是非注意深くすすめてください。私の書いてきたことのほんの一部でも、否定的にでも、何か思い出していただけたら幸いだと思います。

理不尽な大人の行動で子供が傷ついていたら同じ大人として理不尽を放っておいてはいけないと思います。
大人なら、大人として、大人同士、という言葉を何人もの方がしめくくりに書いていらっしゃいました。
そうしたいと思っています。子供を守る為に。

結局、整理できずあちこち飛びながら〜になっていましました。読みづらくてすみません。

読んで頂きありがとうございました。


ただの親ですが、

読んでいて思ったこと。

中学になれば否が応でも実力勝負になります。
定期試験もありますし、受験もそう。部活は明らかに実力勝負です。

小学校は勉強だけではなく、友達と友情を深める場。
競争社会に取り込まれる前の、最後の楽しい場所。
そんなところで、そんな醜いことに巻き込まれるなら、
娘にピアノを学ばせなくてよかったなと、
主さんの文章を読んで、思いました。

結局子どもを煽っているのは主さんも親御さんも同じでしょう。
主さんと親御さんが納得されない気持ちが子どもに伝わっていると思います。
子どもは大人の鏡ですから。
主さんの生徒さんの学校のやり方(先に楽譜を渡していたなど)がおかしいというのには賛成です。

ただ学校でいう「オーディション」は社会一般のオーディションとは少し意味合いが違うと思うのです。

学校は何でもかんでも1番できる子がやるわけじゃありません。クラス委員、部長、委員長、劇の主役、班長・・・。それこそ1番できる子ばかりやっていたら現実には同じ子ばかりがやって、2番手以降はずーっと役無しのまま。これで何が成長できますか?
代表として活躍する場、その他大勢として支えあう場、どちらも大切な役割ですし学びを得る場でもあります。

オーディションの意図は「できれば色々な子にやらせてあげたい。でも人前で引く実力がなければその子自身も恥をかくことになるし、演奏自体成立しない。だからオーディションという形で舞台でできるかどうか判断する」というのが少なくとも学校側の考えなのではないでしょうか?そこが主さんの言う「オーディション」と考え方が違っているのだと思います。

>落ちた子の一曲多く練習する作業を無駄と言わず何といいましょう。

とおっしゃってますが、曲を練習するのが無駄ですか?本番で弾けないから?
受かろうと思って頑張って練習したこと、努力したことはその子にとって全部無駄なのですか?結果だけがすべてでしょうか?
コンクール前などで1曲多く練習する時間が取れないなら申し出てオーディションに参加しなければいいだけの話です。
主さんがレッスン時間にみる時間がなければ学校の先生にお任せしてみてもらえばいいだけです。学校では式典などで歌を歌いますからある程度ピアノを弾ける先生は1人はいるはずですから最低限のことはしてくれるでしょう。私は伴奏を任せた以上は学校でも見てますよ。

主さんのおっしゃられた学校の先生のやり方には確かに不手際があったと思います。落ちた方が不満を持ち(お子さんは不満はなかったのでしたっけ。それはそれでお子さんがえらいと思います。腑に落ちないのは主さんと保護者ですよね)、その後も子どもの間でわだかまりがあったのですから。
でも色々な学校でやっているオーディションと今回の件を一度区別して考えませんか?
* オーディションを子供達にさせる。全員が後ろを向いて誰が一番上手か挙手で決める。

学級の子供らが納得した上でなら教師が決めても別にかまわんと思いますよ。

* 歌の伴奏譜がないのでピアノの先生に書いてもらって練習して。(やりますよ!子供の為に!でも直接電話、せめて手紙ででも「お願いします」の一言が何故言えないのでしょう)

これは必要ないな。伴奏をやりたいから立候補しているんだろうから「お願いします」は子供が言うこと。伴奏手が見つからなければ音楽担当の教師が弾けばいいことですから。ピアノ教室に挨拶まですることはありません。
(しかし、伴奏譜など教材屋に頼めばいくらでも手に入りそうなものだがなぁ)


* まだ弾けないの?責任もって練習してちょうだい。みんなに迷惑でしょ。
* この程度弾けるだろ?出来ない?しょうがないなぁ。片手だけでも弾け!

この文面だけ見ればひどい話だが、そのときの状況が分からんから何ともいえないですね。


質問者の文面を見ると、その教師は父兄からのクレームに折れたのが問題かな。
子供が伴奏したがっている場合に、伴奏手をオーディションで選ぶのは普通ですし、上に書いたとおり教師が選んでも問題はないでしょう。まぁ何度も同じ子供を選ぶなら、その程度のクレームは当然予測の範囲内で、そんなものは突っぱねる覚悟がないといけませんね。

まぁそれ以前に“一番上手い”ってのは誰がどう判断しているのか疑問ですが、式典などで引かせるなら上手い子に弾かせるのは当然のことで、チャンスだとか頑張っている子云々は別の場を与えればいいのではないかと思います。
失礼します。

私はまだ、教師を目指しているただの大学生なので、こんなことを言って申し訳ありませんが…


どんなことも、自分の主観が入ってしまうので、文章では真実を知ることはできないと思っています。

きっと、先生も、児童も、親も、トピ主さんも主観や感情が入ってしまっているので、本当に伝えたかった事や真実がどこかで変わってしまっている可能性があるんじゃないかと…。

もちろん、それは社会の一般論で言えば「そう思われたら負け」「いくら自分はこうゆう性格と主張しても、まわりがこうゆう性格と思ってしまったらその性格」
なんでしょうけど、そこはまだ、社会の第一歩、教育機関としては、まず
事実を確認すること
背景を確認すること
対応策を確認すること
フィードバックを行うこと

が必要なんじゃないでしょうか。


自分はミニバスのコーチをしていて、小学校の先生にも仲良くしてもらっていますが。


今、教師はかなり大変というか割に合わない(表現が悪くてスミマセン)と思います。
なぜなら、一昔前なら、大学にいった教師という仕事は立派=聖職者とイメージがありました。経済的な理由もあるでしょうが塾やお稽古にいく児童はまれで、親も先生に全てお任せしますという感じでした。

しかし今は、大学に行くのは当たり前。教師よりも有名大学に通っていた親が増加し、あの先生じゃダメだから、塾に行きなさい、学校の音楽で物足りないならピアノ習いにいきましょなど、かなり学校の教育に割り込むようになってきました。
もちろんお稽古が悪いことではなく、むしろいいことには間違いないです。


そしてトピ主さんが、学校が利用しているというコメントはきっと、親も児童も教師も
学校とお稽古を切り離していないんですよ。

よくも悪くも。


学校とお稽古の連絡をとるなどの相互関係が必要なのかもしれませんね。
オーディションで決めること自体は悪くないと思います。やっぱり、ある程度できる子が選ばれないと、選ばれなかった子が納得できませんし。もちろん、選んだあとも指導します。


ただ、わーい!さんの生徒さんの学校側は配慮が足らないと思います。B子さんに弾かせる機会を持たせたいのなら、ずるはよくないですし、私なら、A子さんにいろいろな子に機会をあげたいから、ごめんねって事前に説明します。オーディションする前から、学校の先生はB子さんに決めてたみたいですし。

わーい!さんの地域では音楽専科がいないのでしょうか?卒業式という大舞台で今回のことは配慮がないです。子供が恥をかくと大変です。

どんな機会でも、指導する先生がその子の成長を考え、ねらいを持って指導すべきだと思います。
そのねらいを持たずに、やみくもにやってしまったがために、今回のようなことが起きたとしか思えません。


私も中学時代に伴奏を弾きたくて、独学でいっぱい練習して合唱コンクールの伴奏を希望したことあります。ピアノ経験はほとんどないです。私は声量があるから、歌ってほしいと音楽の先生に促されました。が、他のクラスの伴奏者が右手の和音を簡単にして弾いていたことに、私ならもっと弾けるのにって思ったことを思い出しました。
二度目です。
自分なりに中立になったつもりで双方の立場のコメントをもう一度読ませていただきました。
思ったのは、
主さんが一番問題にしている
「オーディション」
という言葉を一般の辞書で調べた時と、
教員界の辞書で調べた時の違いということでしょうか。

多くの方が書いてみえるように、
教員界のオーディションは「一番」を選ぶものではないと思います。
では、なぜオーディションという形を取るのか。

私は業界がそこそこ長いためか、
途中地区を異動しているためかわかりませんが、
若い頃にはそういったものがなかった気がします。
でも最近の学校では耳にします。
最初違和感があったのも思い出します。
そのあたりは主さんが感じるものに通じると思います。
ではなぜ…

それは、思うに時代の流れの中での教員界なりの説明責任ではないかと思います。
それまでは職員室で教員の話し合い等で決まっていたことが、
「どうして○○は選ばれないのか…」
(ピアノに限らず絵画作品、運動選手等々…)
という保護者からの声が表出してくる時代となり、
(細かいツッコミですが今の時代「父兄」ではありません。私たちの地域だけかな?)
機会は平等にということから公募することになったケースかと思います。

したがって、
公募して希望する子どもを集めてオーディションをするのは、
例えばAさんとBさんとCさんはなんとかひけそうで、
DさんとEさんはちょっと苦しいかも…
という程度のもので、
言ってみれば希望はしたけれども曲のレベルや練習期間などからして苦しい…
という子(その背後の保護者)に他の子演奏を聞かせることで納得させるための説明責任の場ではないかということです。

そして、
なんとかなりそうかな…と思われた複数の子のうち、
他の方が書いてみえるような多くの観点からの教育的配慮をして決めていく…
というのが私の周りで見られるオーディションではないかと思います。

そのことを、
日々この業界で生活していて感じているから、
子どもはある程度納得できるのではないかとも感じますが、
このあたりは文面だけからはなんとも言い切れません。

ただ、
この形式がベストだとは思いませんし、
形式以外の問題点もあると思いますが、
オーディションに絞って考えるとこんなことを感じました。

双方の主張だけでなく、
問題を感じたらよりよい代案を考え出していけたらと思います。
オーディション事態は悪くないと思います。
音楽会の楽器もそうですし、図工の作品展や書き初めにしても限られた人数を決める時には仕方ありません。
ただ学校側はオーディションをする際ある一人の子に片寄らない配慮は必要だと思います。
子どもは選ばれると自信がつくし次の取り組みへの活性剤になります。
たくさんの子にそんな機会を与えていくことが大切だと思います。

今回の件は毎回同じ子が伴奏してるというクレームがくること自体が学校側に大きな問題がある気がしました。
そしてそのようなクレームがあったから今回はまだやったことない子に決めるという指導のぶれ。
そして初めから受からせる気がないのであればあらかじめその子に伝えておくべきではないかと感じました。
オーディションを受けた後に伝えるのはやはりかわいそうな気がしました。

ただ学校は1対1ではなく1対何十人の対応になるので本当に先生は大変な思いをしています。
一番上手い子を選べばクレームがきて、一番上手い子ではない子を選んでもクレームがきて…
自分の子を一番に考える保護者(トピ主さんのような方も含め)全員が納得するという答えは難しいです。

教師一年目の未熟者の考えでした(´―`;)
 オーディションが駄目ならば、
 やはりどんな方法でやってほしいのか教えてほしいです。

 私は、小学校の時学芸会などの行事の他にも、普通の音楽の伴奏もさせられていました。先生が「今回も頼むね!」と楽譜を持ってくるのです。その時の私の気持ちは、頼られているという優越でした。
 でも、やっぱり周りの子たちは良く思ってなかったし、親たちもどうしていつもあの子ばっかり・・・。と思っていたみたいですよ。
 はっきり言って被害者です。
 他にもピアノを弾ける子はたくさんいたのに・・・。
 だからみんなが納得する選び方は大事だと思います。

 学校は上手な子を必ずしも選ぶわけじゃありません。
 みなさんがおっしゃってるように、
 いろんなことを加味して選んでいます。

 そんな私も、オーディションをします。
 ピアノではありませんが、器楽でやりたい楽器を聞いて、
 多数いればオーディションです。
 そこで求めるのは、どれだけ上手にできるかじゃなく、それまでのがんばりを見るためです。そこで受かりたくがんばってくるなら、その後もがんばって練習に励むからです。
 どんなに下手でも、一生懸命がんばってきた部分が見られれば、その子を選ぶこともあります。
 オーディションをすることで、子どもは自分のパートに責任を持ちます。落ちた子の分までがんばろうとします。こっちもその後の指導もしやすいです。

 学校のオーディションは世間一般のオーディションとは同じとは思わない方がいいかもしれないですね。

 学校は・・・っとおっしゃられますが、学校として一貫してそのような形態をとっている訳じゃないし、先生個人に任されることが多いです。なので学校のやり方というより、その先生のやり方がまずいんですよ。
 オーディションが全て悪いとは思いません。
 悪いと思うのであれば、最初にも書きましたが、良いやり方の案を出してください。是非やってみたいです!!

 オーディションが悪いと言うだけで、代案がないということは、こちらにとってはただ文句を言いたいとしか、思えません。
 こちらに何か問いかけるのであれば、それに勝るようないいやり方を提案して、みなさんと一緒に考えていく方が、話も盛り上がるのでは?

 ・・・と、偉そうに書きましたが、トピ主さんの気持ちも先生方の気持ちも両方わかるので、みんなが納得いく方法が見つかればと思い書かせていただきました。

 とにかく一番大事なのは、子ども達なので、
 その子ども達がどうしたら、健やかに育っていくのかを考えて、日常指導にあたりたいなぁと思います。
 
初めまして。
私は、小学校の教員になって3年になります。
これまでにもった学年は専科の先生が音楽を教えていますが、 私が音楽の中・高の免許をもっていて専科の先生はピアノが苦手なこともあり、ピアノ伴奏についてはよくお話をします。私は、小学校時代にクラスの子の投票で決めるという方法を経験して落ちましたが、あまりよく覚えていないので、納得してしょうがないと思ったのかな、と思います。

「ピアノが習字やサッカーと違って特別」というのはよくわかりませんでしたが、この学校の行った「オーディション」には問題が多かったと思います。

オーディションの方法そのものを子どもが納得していないことが一番よくなかったのではないでしょうか。
保護者の意見に左右されることもそうですし、仮にうまい下手で判断したときに、どこがどうよかったのかを子どもが納得できるように話せる人が審査員になっているのかが気になります。
指揮者を見ながら演奏できる、リズムが正確である、強弱をつけて演奏できる…など、クラスの子には伝える必要はないと思いますが、受けた子本人が納得できないようであれば、行わずに順番やじゃんけんでいいのではないでしょうか。

もちろん、立候補した子がある程度弾けるのかどうかは確認しておく必要があるとは思いますが。
ちょうど地域の小学校の音楽会を聴いて感動した後なので、トピを読んで残念に思いました。
個人的にお金を払ってレッスンしていることを利用された〜という考えで、心を一つにする合唱や合奏を成功させられますか?
私は専科時代に子ども達に、技術があるからと自分だけ早く演奏したらどうなる?仲の良いチームは互いに合わせられ、いい味が出せるよ。

児童の拙い伴奏でも、ずっと一緒にいつも練習することで、専科の伴奏では表現できない自分達で成し遂げたという自信が歌に現れた音楽劇もありました。
様々な習い事や家族で行った旅行経験、みな一人一人の子供の個性として、協同の場に活かされてこそ、頑張った価値も輝くと思います。
オーディションについてはご指摘のように、願いが叶わないことに配慮し「普段の取り組みや過去の実績など様々なことを多くの先生と相談して決めるよ。」そんな声かけは大事ですよね。さまざまな行事では言葉が足りずギスギスすることも時にはありますので、教師は気をつけなければいけません。

しかし、決して地域のピアノの先生方を利用しようというのではなく、地域の教育の質を上げる存在として認めていますよ。娘のピアノの先生は、毎年の卒業式に招待されていたようですが、娘の卒業式で来賓席に姿をみかけ、親としての立場で感謝の気持ちでいっぱいでした。
感謝を言葉で表現されなくても、トピ主さんの音楽性を受け継いだ子供達の活躍や頑張りは勲章より輝いていると思いますよ。
話がトピとずれ、すいません。
仲がいい=合わせられる
技術がある=合わせられる

どちらでもいいんじゃないでしょうか
要は、音楽はみんなが一つになることが大事だということですよね。それってとっても大事なことだと思いますわーい(嬉しい顔)

子供たちにはどちらの表現でも伝わると思いますよexclamation ×2

最近の大人(親も先生もまわりの大人もひっくるめて)

は子供にどんな経験をさせたいのでしょうか?

楽しいこと、うれしいこと、成功体験ばっかが良い経験なのでしょうか?

負の経験は排除していきますか?

イチローが言ってました。

「負けた経験、失敗した経験が僕を成長させた」

負の経験を、子供の立場に立って一緒に理不尽だ!と言うのではなく

+に思えるように変えてあげるのが大人のつとめだと考えます。

私事ですが、中学時代部活内でいじめにあい、

母親に訴えたところ・・・・

「あんた、お金払ってもいじめてはもらえないよ!

良い経験してるじゃない!感謝してそのときの気持ちを忘れないことだよ。

そしたら、あんたはいじめっ子にならないだろ?どうよ?」

子供ながら、あんぐりでした。

完璧な−から+への転換でした。

大人は子供を導いてあげなくちゃ。そして、キレない子供を育てましょうよ。

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