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Art Bulletinコミュのイサム・ノグチ展

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今ちょうどフジサンケイグループの内幕について書いた『メディアの支配者』という本を読んでいるのですが、1980年代、初めてお台場へのフジサンケイグループの拠点移動が計画されたとき美術館の併設も予定されており、その入口にはガウディのサグラダファミリアを彷彿とさせるような巨大タワーを作る構想があったそうです。そのタワーをイサム・ノグチが設計するはずで、ノグチも「僕が日本にしてやれる最後の大仕事だ」と言ってたほどだったのですが、ノグチが1988年に死去、そのタワーも美術館も幻になってしまったそうです。もし完成していたらノグチが終生希望した空からでも見える作品になっていたかもしれないですね。

というわけでもなく、先週東京都現代美術館で開催されている「イサム・ノグチ展」へ行ってきました。
http://www.ntv.co.jp/isamu/#
出品作品が少ないという前評判でしたが、自分的にはすごく見やすい数だったし、ゆっくり見れてよかったです。ブランクーシの弟子になった頃の初期の作品は面白かったです、ブランクーシのああいう作風を、言葉が悪いですが、真似できたのって本来的にノグチは「作品のバランス感覚に優れた人」(このコミュに参加していただいている金子さんの言葉)だったからなんでしょうね。ただその作品に対してノグチ自身は「純粋な抽象表現の域にまで達しておらず、幾何学的に造形したに過ぎなかった」と言い放ち、ここからが出発点となって、自己の芸術と闘い続けて、最終的にそれがエナジー・ヴォイドのような作品へと結実する辺りは見ていて感動です。
その過程で有名なところでは岐阜提灯との出会いや、この展覧会ではあまり触れられていませんでしたが、北大路魯山人、金重陶陽、八木一夫への一方的な影響ではなく、彼らとノグチの相互影響も彼の作品をさらに研ぎ澄まされた作風にしていったに違いないと思います。今回初めて知った作品に「グレゴリー(偶像)」という作品がありました。このグレゴリーはカフカの『変身』の主人公(虫になっちゃう主人公)グレゴリー・ザムザのこと。ノグチが「グリゴリー(偶像)」で、八木一夫が「ザムザ氏の散歩」という作品でカフカの『変身』をそれぞれ解釈したあたりはなんとも微笑ましいい。
http://www.cpm-gifu.jp/museum/tenraninfo/03_1main.html

この日本人芸術家との交流で面白い話しがあって、日経の「私の履歴書」で女優山口淑子が書いたものですが、ノグチが彼女と結婚して、魯山人の家の離れに住んでいた時、ノグチがこの家には草履が似合うと勝手に決めて、ワラジでこしらえた草履を彼女に履かせたそうです。でも鼻緒が痛くて、とうとう出血してしまったので、山口はピンクのビーチサンダルを買ってきたところ(ピンクもどうかと思うけど)、ノグチは怒り狂ってサンダルを叩き捨てたそうです。また魯山人について山口は「櫓山人はお風呂から上がって十何秒だかの決ったタイミングで冷たいビールがでないと雷を落とす人だった」と述懐しています。山口淑子はその後ノグチと離婚し、この家を去り、外交官の大鷹弘と再婚、自身も政治家になり今のマドンナ議員には及びもつかない艶やかさで活躍したのをご記憶の方も多いと思います。この文章の最後で山口淑子は夫ノグチや魯山人について「間近にみる芸術家たちのとぎすまされた日常。私は尊敬し感動しながらも、どこかで息苦しさを感じていた。」とつつしまやかに感慨深く〆ています。たぶんこれが白洲正子だったら手際よくこなして生活していったのかもしれないけれど、歴史に翻弄され売国奴呼ばわりまでされたまさしく人生を耐えぬいた李香蘭が、家庭生活の辛さだけには耐えられなかったという事実に妙に共感を覚えてしまいます。今回ノグチ展を見て、抽象彫刻の「とぎすまされた」感覚に感動すると同時に、あくまでも私見ですが、ノグチのあまりに純化された芸術に何となく妙な感じを覚えたのは、それってもしかして山口の言うところの「息苦しさ」なのかもしれないと思いました。まあこれはあくまでも個人的な感想。

あとノグチ展と同時に「東京府美術館の時代」展をいうのが開催されていましたが、これがまたよかった。東京府美術館は現在の東京都美術館の前進。赤瀬川原平の千円札事件でも有名な読売アンデパンダン展なども開催された場所です(今回赤瀬川の千円札事件の「復習の形態学」も出品されています)。 ただこの東京府美術館で開催されたもので一番興味深いのがちょうど第二次世界大戦中の国家高揚美術展「紀元二千六百年奉祝美術展覧会」かも。その展覧会の出品作品を見ると、横山大観「日出処日本」、安田靫彦「義経参着」、小林古径「不動」、前田青邨「阿修羅」、竹内栖鳳「雄風」(今回出品)と明らかに闘いをイメージしてしまうような作品が目立ってしまうのですが、そんな中、宇田荻邨「新秋」、そして濱田観「罌栗」(今回出品)など上質な花鳥画があったのは印象的でした。それにしても今回出品されていた濱田の「罌栗」は素晴らしかった。濱田という画家については濱田昇児先生のお父さんだぐらいにしか意識したこともなかったのですが、「罌栗」は吸い込まれるような幻想的な作品で、背筋がゾクゾクしてしまいました。ああいった時勢にこういう作品を出品するのは世相に疎いのか世相に左右されないのかそこらへんはよく分かりませんが、方や横山大観の富士山と真っ赤な太陽という分かりやすい戦意図像とあまりに反するのでビックリです。とはいっても今回出品の竹内栖鳳の「雄風」もかなり見事で唖然としてしまいましたが。

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