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兵庫県のご当地小説 コミュの高橋輝次の古書往来

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既出でありましたら申し訳ないのですが・・・。

戦前の「阪急美術」について調べておりましたら、高橋輝次さんの「古書往来」というページhttp://www.sogensha.co.jp/page03/a_rensai/kosho/kosho_top.htmlに行き当たりました。

高橋輝次さんは創元社の元編集者で、そのビブリオフィルぶりは多少なりとも聞き及んでいたものの、こういったホームページがあることは寡聞にして存じませんでした。

沢山ある文章の中で、兵庫に関係のあるものは

8.「ぐろりあ・そさえて」余話
9. 淡路島の女性歌人の話
12.小坂多喜子と「人物評論」の編集者と
18.詩を書く二人の映画人
26.戦前の神戸の古本屋群像
27.竹中郁と神戸・海港詩人倶楽部
30.足立巻一と戦前の神戸の古本屋
33.文化の器(うつわ)としての建物
─ 富士映劇と朝日会館と ─
35.天野隆一(大虹)と関西の詩人たち
36.神戸の農民詩人、坂本遼 ─ その生涯と作品
43.PR誌の黄金時代を振り返る
─ 『嗜好』『真珠』から『放送朝日』『エナジー』まで
46.澁川驍展の図録と文明社の本と
47.神戸の詩人同士の友情を読む
─ 林喜芳と板倉栄三の詩集 ─


といったところでありましょうけれども、その他兵庫に直接関係のない文章であっても、興味深いことこの上ないです。このペースで関西の文藝史がつづられていけば、まさに関西版『内田魯庵山脈』となりそうな勢いさえ感じます。

特に、林喜芳(はやし きよし)の『神戸文芸雑兵物語』(昭和61、冬鵲房(とうじゃくぼう))は、岡本唐貴や浅野孟府などが登場する「カフェ・ガスあたり」や神戸探偵作家クラブ、神戸大衆文芸クラブの面々の動きが回想される「大衆文芸の季節」といった文章を含んでいるようで、是非とも落掌したいところです。

あるいは、芦屋と花隈に居住していた村上華岳。「華岳はオディロン・ルドンを知っていたのではないか」と言ったのは武満徹だけれど、愛していたのはブレークとジョットオだったのか!というようなことを第8回の話で知ることができたり・・・。

ともかくも、小坂多喜子、天野隆一(大虹)、坂本遼 といった、これまでの関西文学史ではなかなか耳にすることのなかった人物が生き生きと紹介されており、このコミュに参加されているほどの方であれば一度は眼を通されるべきかと思われます。たとえば天野隆一を紹介する第35回の文章は、こんな感じ・・・。



「氏は奥付他によると、明治38年(1905年)西宮市に生れ、京都の美術工芸学校に入るまでそこで育ったようだ。私がとくに興味深かったのは「元町通五彩」で、「その頃の元町通りは/国際色豊かで/神戸唯一の商店繁華街であった/」という詩句で始まる。七頁にわたる詩なので、全部の引用は控えるが、詩によれば、氏の伯母の家が元町通りの中程にあり、時計と貴金属商を営んでいた。それで、母に連れられてよくその元町の家へ行った。次の節には「ある日/真紅のマントを着て/西洋人の様な顔の日本人が悠然と歩いていた/─ あれは五丁目の今井さんの息子さんです/店番の店員が教えてくれた/(中略)/本人の今井朝路さんは/油絵を描いてぶらぶらしているそうです/本人はオスカーワイルドを気どっているのか/赤いマントが 元町通りによく似合った」とある。
これは、私も連載で書いた足立巻一の『評伝竹中郁』や林喜芳『神戸文芸雑兵物語』中にも登場した奇人画家、今井朝路の強烈な印象を伝えている。

次の節では「少しくたびれた鼠色のトンビを無造作に掛けた/初老の男が ふらふらと」元町通りを歩いているのを見かける。彼が、かの国画創作協会の孤高の画家、村上華岳先生だった。華岳は当時、花隈の住人で、元町、穴門通にあった出版社、ぐろりあ・そさえてにも出入りしたことをこの連載でも紹介した。その往きか帰りだったのかもしれないなどと想像が広がる。
そのあとも、氏が元町で待ち合わせ時間かっきりに現れた竹中郁の頭髪が紫色にピカピカ光っていたことや、外国の婦人と腕を組んで舶来らしい匂いのする服装をして歩いている、ヨーロッパから帰国早々の南画家、水越松南が描かれる。この画家は初めて知る人だ。」





・・・・いや、素敵に愉快ですね(笑)。




コメント(6)

水越松南展、知ったときはすでに終了していましたので、何とか図録のみ手に入れました。「ヨーロッパから帰国早々の南画家」という時点ですでに面白いですね(笑)。江南山水画の特徴である点景・辺角に対する執着は見えますが、どうも富岡鉄斎と並んで山水画家としては異端中の異端(どちらも兵庫とは少なからぬ縁ですが)のように見えます。松岡正剛の言葉を借りれば「胸中の山水」といいますか・・・。
洋画の勢いにどうしても押されがちに見える兵庫の美術も、それとは全く違うルートから表現の近代化や日本独自のモードが模索されていたことは興味深いです。

とはいえ私のような素人の推察には限度がありますので、もっと詳しい分析を黒川古文化研究所の竹浪遠さんなどに伺ってみたいところです。
洋画と違うルートからの模索された日本独自のモード、ということで言えば、吉原治良が禅画(とりわけ西宮・海清寺の禅僧、南天棒)から受けた影響も気になるところです。あの有名な円相のシリーズですね。2ヶ月ほど前にNHKの「迷宮美術館」という番組で、具体や小磯含めそのあたりのことを面白く紹介していました。録画してますので興味のある方にはDVDお送りします。

ちなみに海清寺の南天棒は当時全国的に有名な禅僧だったらしく、乃木希典や歌人の吉井勇もしばしば西宮に参禅していたそうです。祇園のイメージの強い吉井勇ですが、意外なところに兵庫との繋がりがあるようでした。
cさん

貴重なお話ありがとうございます。
林喜芳、坂本遼、浅田修一氏の作品をリストアップさせていただきました。

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