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freedom farmerコミュの10

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10

**Q1

レレレトレスの意味とバンド名にしたその心を教えてください。


**A1

<takeo>ブラジルにいる時に、いろいろな人と仲良くなって一緒にバーやレストラン、ライブハウスで演奏しました。その時の仲間の一人、 Inacio と優と僕との三人のグループに付けた名前が”lelele tres"です。”tres”というのはポルトガル語で”トリオ”という意味です。日本に帰ってきてからも、ブラジルで演奏していたときの雰囲気を大切にしたかったので、今もこのバンドの名前を使っています。

名前を考える時には、三人でいろいろ悩んだのだけど、ポルトガル語の冠詞"os"を三つ付けて”ososos tres”にしてみました。でもちょっと響きが良くないなあと思ったんです。それでフランス語の冠詞"le"を三つ付けて”lelele tres”という名前にしました。



<yuu>

ほんとはブラジル人にも日本人にもイギリス人にもみんなに分かる名前にしようと思ってたのに、結局誰にも意味の分からない名前になってしまったんです。でもこの名前はみんなにすぐ覚えてもらえるみたいだから、よかったのかもしれません。





**Q2.

大学生の時出会ったと聞いたのですが、お互いの印象はどうでした?



**A2

<takeo>

僕と彼女は大学のジャズ研究所のメンバーだったんです。出会ったときは僕は23歳で彼女は18歳でした。僕は大学に5年遅れて入ったから、同級生だったんです。それで一緒に音楽をやるようになったんですね。

第一印象はとてもよく覚えています。彼女に初めて会ったのは大学に入学したばかりの時で、研究所の新入生歓迎のパーティーでした。そのパーティーでは、僕は研究所のメンバーと意気投合して、わきあいあいと、あれこれ音楽やギターの話をしたのだけど、隅っこのテーブルでひっそりと先輩に口説かれてる、かわいそうな女の子がいたんですよ。それが彼女でした。おかげで彼女は最初の日には音楽の話もできないし、友達もぜんぜんできなかったみたいです。もちろんその後すぐに、友達も音楽の話もたくさんできたみたいですけどね。

あれからだいぶ時間が経って、みんな就職したり、結婚したり、子供ができたりしましたが、その当時の仲間とは今でもよくみんなで音楽を演奏したり、パーティーを開いたり、お互いの相談をしあったり、いい関係が続いています。



彼女はそのころからとても明るくて、エネルギッシュで、みんなの人気者、そんな女の子でした。それからトロンボーンがとっても上手でしたね。



<yuu>

たけおくんは入学前の数年間をロンドンで音楽をやりながら放浪していたそうなので、新入生のみんなより年が5歳上で、大人な感じでしたね(笑)。

いつもしゃれた服をきていて、髪も長くて、周囲とはちょっと違った存在感がありました。人柄も優しいので、友達がいつもたくさんいるみたいで、私は最初は気後れしてしまってなかなか話しかけられなかったです。



**Q3.

たまにプロのアーティストのインタビューで、「今の自分がこれを仕事にするとは思わなかったです」とよく見ますが、 二人はどうですか。いつの間にかなっていた?

それともある時、音楽を仕事にしたいと思いました?



**A3

<takeo>

音楽を始めた頃は楽器も下手だったし、僕は今でもそうですが、あまり人前で演奏するのが好きではなかったんです。

でも音楽のことをずっと考えていたし、楽器に触るのが大好きだったから、音楽家には憧れていました。

でもジャズやボサノヴァを演奏することになるとは思いもしなかったです。



もっと小さい頃は、江戸川乱歩という作家の、子供向けの探偵小説が大好きで、将来は探偵になりたいと思っていました。



<yuu>

私の場合、音楽を仕事にしたいと思い始めたのは卒業して就職してしばらく経ってからでした。

卒業後も音楽をやり続けている仲間たちがとても魅力的に見えて、私もそっちに行きたい!と思うようになり、それから今に至っています。

小さい頃は花屋になりたかったんです。大好きな花に囲まれて毎日過ごせたらすごく素敵だなと思っていました。

今は大好きな音楽に囲まれて毎日過ごしています。



**Q4.

10代の時、好きだった音楽はなんですか?

私の場合は、美術塾に行くバスの中でよくSteve Wonderを聞いたりしました。

彼のsongに荒れていた私が何回、救われたか...(笑)



**A4

<takeo>

そうですね。僕も荒れてたなあ。部屋にこもってずっとベースギターを弾いたりしてました。週末は一晩中、一日20時間以上弾いてることもありました。(僕はギターを弾く前には、ベースギターを弾いてたんです。)

僕の10代の頃は80年代の終わりの頃で、U2 とか、 WHAM! とか、いわゆる80年代のポップミュージックを聞いてました。当時のガールフレンドが好きだった50年代のサーフ・ミュージックも聞いてたなあ。

楽器を始めてからは、それこそラジオにかじりついて、イギリスのアンダーグラウンドなパンクやレイヴを研究していました。それから1990年ごろにヒッピー・リバイバルの波が来るのですが、the beatles とか古いイギリスの音楽を聴くようになりました。どれも荒れた友達からの影響でした。(笑)

今でも John Lennon は、Wes Montgomery や Oscal Castro Neves らの音楽家と並んで僕のヒーローです。



<yuu>

私は中学生の頃は、父が買ってくれたクラシック名曲集のボックスセットがとても好きできいていました。あと、ピアノもやっていたので、ショパンやシューマンのピアノ曲集なども好きできいていました。高校になってオーストラリアに1年間留学したのですが、そこで Mariah Carey や Janet Jackson などのポップミュージックを聴くようになって、所属していたスクールバンドの仲間の影響でジャズにも興味を持つようになりました。大学ではジャズのクラブに入りジャズをたくさん聴くようになりましたが、トローンボーンでは、Bennie Green , J . J . Johnson , Slide Hampton , Steve Davis が大好きで、とても影響を受けました。





**Q7.

ここで、この曲を歌いたい、演奏したいという理想の場所がありますか。

どんな状況、雰囲気か具体的に妄想(描写)してください。

(私はある映画の影響だったのか、ある日、パリの地下道でバイオリンをひいている、妄想に近い夢を見たことがあります。気持ちよかったです。)



**A8

<takeo>

その映画見たことある!パリの地下道かあ。気持ちいいだろうなあ!!

僕はロンドンにいるときよく仲間と路上で演奏してました。多いときにはお客さんが100人ぐらい集まって、服を脱ぐ人、踊る人、鼻から変な薬を吸ってる人、いろんな人が喜んでくれて、すごい盛り上がりでした。僕らはみんな貧しくて、ガスも電気も無い家に住んでたし、服もボロボロ、食べ物にも不自由してて、みんな必死で演奏してました。その上、その頃からロンドンでは路上で演奏することが禁止されてたので、毎晩警察の目を盗んで演奏してたんです。すごくスリリングでしたけど、とっても楽しかったなあ。



その頃の楽しかった思い出は、今でも僕の音楽の原点になっています。場所はどこでも、音楽はなんでもいいのだけど、お客さんが幸せそうだったら、たとえ僕の演奏を聞いてくれてなくても、僕はハッピーです。

だからコンサート・ホールみたいな窮屈な場所での演奏は苦手なんですよ。バーでも、ライブハウスでも、お客さんが自宅にいる時みたいに、くつろいでくれているときが、演奏していて一番たのしいです。



妄想するとしたら、、、やっぱりまたロンドンに帰って演奏したいですね。警察も国境も無い街で、ひたすらギターを弾き続けたい。でもおなかはすくから食べ物はあったほうがいいかもね。



<yuu>

そうですね、、自分たちの音楽を聴いてくれる人がそこにいて、演奏している自分たちも聞いてくれてる人たちも、みんなが最高!って思える時間を共有できたら、それは本当に素晴らしいですよね!!場所はどこでもいいなあ!!





**Q8.

南米はどんなとこでした?行った国と感想を聞きたいです。(行くことになった理由や期間いろいろも含めて聞きたいです。)



**A8

<takeo>

2002年のワールドカップの決勝戦がブラジル対ドイツで、それを見になんとなく新横浜のスタジアムに行ったんです。チケットもなかったんだけど、スタジアムはうちの近所だし、世界中が注目してるし、何かが起こりそうな予感がしたんです。行ってみたらやっぱりブラジル人がたくさんいて、彼らが路上に置かれたテレビの前でサンバを演奏して、踊ってるのを見てとっても感動しました。ほんとに生きている音楽を目撃したんですね。

それがブラジルに行くきっかけになったと思います。ちょうどノブちゃんという友達もブラジルに行くことになってたから、彼にいろいろ教えてもらいました。



<yuu>

私はオーストラリアに住んでいたとき、ブラジル人や南米出身の友達にたくさん出会って、とても気が合ったんです。

だからいつかブラジルにいつか行きたいってなんとなく心のどこかで思い続けていました。

大学の時に友人の PEIXE というバンドにトロンボーンで参加したのですが、次第に何曲かボサノバを歌うようになりました。ちなみにそのバンドではたけおくんがギターを弾いていました。それからブラジルの歌を Wilma de Oliveira という歌手に習い始まったのですが、彼女が里帰りでブラジルに帰るときにサンパウロに一緒にいく?と誘ってもらったときは、ちょうど周囲とのタイミングもばっちりで、3ヶ月間行くことが決まりました。

最初の2週間はみんなで一緒に行動して、そのあとは、私とたけおくんはバイーア(赤道近くの場所で、かつての黒人の奴隷港があったところ。ミックスをいれると人口の9割近くが黒人の町)というところがとても気に入り、そこにアパートをかりて生活しました。

町中から打楽器の音が絶えず聞こえていて、みんな、よく歌い踊りリズムを刻み、そしてよく笑う。

田舎の町だったので、私たちを家族のように受け入れてくれて、後半は毎晩のようにどこかで一緒に演奏させてもらっていました。

帰ってくるときは別れがとても辛かったです。また必ず会いに行きたいと思っています!



<takeo>

行く前まではブラジルの海辺にはヤシの木があって、ジャングルみたいなところでバンガローに寝泊りするのかな、南国のフルーツを食べて生活するのかなと思ってたのだけど、実際行ってみたらサンパウロもリオも都会で、イメージとはだいぶ違ってました。事前にちゃんと調べておかなかったんですね。

そこで更に赤道近くのバイーヤという街に行ったのですが、そこには思い描いてたとおりのブラジルがありました。バイーヤはアフリカ系ブラジル人ばかりの街で、昼も夜も、打楽器が鳴り響き、人々は踊り、歌り、人生を楽しむ、そんな素晴らしい街でした。気温も高くて、毎日40度とか。肌が日に焼けるというよりは、ほんとに焦げましたね。

ブラジルの人はほんとフレンドリーで、その街でたくさんの音楽家と知り合って、昼は打楽器やギターを教わったり、海に行ったり、夜は演奏したりライブを見に行ったり、踊ったり、毎日とても楽しかったです。



**Q9.

音楽を職にして一番幸せを感じる瞬間はいつですか。



**A9

<takeo>

さっきの答とかぶるけど、僕が誰かの演奏を聞いて幸せになるように、誰かが僕らの演奏を聞いて幸せを感じてくれてるときです。音楽ってほんといいですよね。





<yuu>

聞いてくれた人が心からよろこんでくれているとき。

あと、グループがスイングして一体になった瞬間は、最高です!





**Q10.

ボサノバの魅力はなんでしょうか。

そして、絶対と言えるおすすめの曲を教えてください。



**A10

<takeo> 

例えばジャズは誕生した時はダンス音楽だったのだけど、次第に洗練されて聞くためだけの音楽になってしまいました。でもブラジルでは音楽は今も生きています。ボサノバは、そんなブラジルで生まれた、ジャズの洗練された和声と、サンバのしなやかなリズムを兼ね備えた音楽で、そこが魅力ですね。



CDを一枚というと、 astrud gilberto の the essential astrud gilbert でしょうか。これは僕が1992年にロンドンで初めて買ったボサノバのレコードなんですけど、ジャケットも歌もかっこよくて、曲も素敵だし、何よりも joao gilberto のギターが驚異的で、毎日毎日聞いてました。そんな僕にとってはバイブルみたいなレコードです。



最近ではジャズやボサノバ以外にも、最近の新しい人の新しい音楽も聞いています。感性は常に更新して磨いていないとだめになってしまいそうなので、いつもラジオで世界中の音楽をチェックしています。日本でも Giulietta Machine / shin araki / studio 75 などの素晴らしい音楽を作っている人がたくさんいますね。こちらもおすすめです。



<yuu>

私もボサノバの魅力はサンバのリズムとそれにのる美しいコードとメロディーだと思います。とても心地の良い音楽だと思います。

ジャズのようにパワフルには演奏しないけど、そこにつまっている世界はとても豊かで広いですよね。



絶対といえる曲は、、、1曲に絞るのは難しいですね!

でもバイーヤで出会った Palmyra e Levita のことは忘れられません。Palmyra の歌声、Levita のギター、彼らがアパートメントで話してくれた Joao Gilberto や Joao Donato とのエピソードは、今も音楽を演奏する時の糧になっています。







**Q追加1)

自分が持っている能力の中で一番感謝している(神様や、ご両親にどちでも)所はなんでしょうか。

ちなみに、私の場合は早食いができる...のは冗談で、目がいいことです。

視力じゃなくて目が物を見ると、正確にキャッチできるんです。ひろさ、たかさ、形、いろなど。観ることだけで、音楽が聞こえたりします。美しいなと思うと。もちろん、聞こえることへの感謝の気持ちもいつもありますが。



**A

<takeo>

僕はごはんを食べるのが遅いから、食べるのが速い人はうらやましいですよ!(笑)

そうですね、僕は中学生のときに弓道をやっていたんですが、そのとき禅を勉強したのが、今も役に立っていると思います。僕の所属していた弓道クラブは全国的にも有名な名門で、とにかく朝から晩まで練習、練習、夏休みなんて朝の3時からの練習でとてもきびしかったんです。そして夕方はみんなで黙想して一日を終えるという、そんなまさにお寺にいるような中学生活でした。

でもそのおかげで禅の思想が深くしみついて、今でも無欲でシンプルに生きるということをとても大切にしています。それが良くも悪くも僕に与えられた能力かな。このことは一緒にクラブの厳しい生活を耐え抜いた仲間に感謝しています。



それと若いときにイギリスで暮らして、いろんないかれた人々に出会い、ボーダーレスというか、より広い視野を持てるようになったこと。日本は狭い国だから、日本にいるとボーダーだらけで窮屈なんですよね。でも僕は自分を日本人だと思ってません。これは音楽を自由に演奏する上でも、生きる上でも役にたっていると思います。これにはイギリスに行かせてくれた両親に感謝です。



<yuu>

そうそう、たけおくんと初めてごはんを食べた時、こんなに食べるのが遅い人がいるなんてびっくりしたのを覚えています(笑)すごくゆっくり丁寧に食べるんです!

この前ニューヨークにトロンボーンの勉強で3週間ほど滞在してきたのですが、そこで何人かのアーティストに、私の演奏はひとつひとつの音をとても誠実に選んでいると言われました。とても嬉しかったのですが、それは小さい頃から母親に誠実に丁寧に生きなさいと言われてきたことが影響しているのかなあと思いました。あと、目標に向かって一歩一歩努力するところは父譲りかもしれないですね。





**Q追加2)

二人の(お互い)好きな所を教えてください。

私は今まで、誰かにあまり聞いた事がありませんね。ああ...

母が、以前、「ジョンナ、私はあなたのことを100パーセント理解していないけど、この世で一番すきだよ。」と。母に告白されました。ま、ベストフレンドだし。

ははは。



**A

<takeo>

それはいい話だね。僕にも子供ができたら、そんなふうな関係でいられたらなあ、と思います。

そうですね、彼女と僕は何から何まで正反対なんですけど、例えば僕は理屈っぽいので、大切なことはじっくり考えてから決定しますが、彼女は直感で勝負します。僕にはそんな危険なことは怖くてできないし、時にはもう少し考えてから行動して欲しいと思うこともありますが、でも世の中は理屈だけではつまらないですよね。むしろ直感とか、感情とか、そういったイレギュラーな力が世の中を面白くすると思っているので、彼女の持っている直感力はとてもリスペクトしています。よく意見が食い違ってけんかになることはあります。でもこれは仕方ないですよね。

それから彼女はとてもまじめですね。僕は基本的に自分がやりたいと思ったことしかやりません。でも彼女はトロンボーンの練習でも、歌うべき曲でもやるべきことはきちんとこなします。偉いなあと思います。僕には絶対できません。

あとは彼女の奔放なところ。例えば友達にチョコレートの詰め合わせの箱をもらったとすると、包み紙をびりびり破いて、一番おいしいところから食べるのは彼女。僕は一番おいしいところは最後にとっておくかな。それかチョコレートは食べないかもしれません。虫歯になるのが嫌なんですよ。(笑)



<yuu>

ほんと、素敵な言葉ですね!私もそんなこといってあげられる母親になりたいなあ。

彼と私は、やっぱり正反対なのが魅力になってるんだと思います。お互いに足りないものを補い合っている感じがするし、自分にないアイディアを与えてくれるのでとても新鮮な感じがします。

あと彼はこうだと思ったことに対し、目先のものにとらわれずに長いスパンでとらえられる強さがあると思います。それにときには勇気が必要だったり、辛抱強い愛情が必要だったりすると思うのですが、そういう芯がブレないところは、本当にすごいなといつも思います。

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