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建築家 村野藤吾コミュの八幡市民会館付属美術展示館・美術展

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村野藤吾さんの名作:八幡市民会館付属美術展示館にて開催されている美術展に行ってきました。

八幡市民会館(福岡県北九州市八幡東区)。
とても好きな建築です。

しっかりと力強く一直線に伸びた基壇のバルコニー。
豊かなレンガタイルの中壇。
セクシーな上壇部の優しい屋根。(無機質な建築で、生き物のみが持てるセクシーさを表現できる建築家は僅かです。死ぬまでに表現したい事のひとつです。)

メリハリの効かせとしてのリボンウィンドウ

バウハウスを彷彿とさせる
控えめでありながら、大切なポイントになる美術展示館

表面だけを着飾った張り物建築が多い中
このような背骨がどしょっ骨が通った建築をみると
力がよみがえる思いです。

しばし、豊かな時間を送る事ができました。
村野藤吾さん。ありがとう。 (笑)

コメント(12)

おおっ!羨ましいです。読んでて感動がビンビンに伝わってきましよぴかぴか(新しい)
『表面だけを着飾った張り物建築が多い中
このような背骨がどしょっ骨が通った建築をみると
力がよみがえる思いです。』
まったく同感です。また写真など撮ってられたら載せてください。
あっ!

写真撮るの忘れてました!!(笑)

他のブログ、ホームページの写真を見ても、全然、良さが表現しきれていません。

大地に向かって、空に向かって放っている力線が回りの空間を支配しています。

写真という限られた枠の中の勝負は 張り物建築が勝つと思います。

という僕自身。未だに張り物建築士。

村野藤吾さんの言葉が座右の銘です。

「20代で方向性を定め
 30、40代で基礎を学び
 50、60代で研鑽し
 70、80代で自分自身を納得させる作品を生み出せたら
 建築家としての人生は成功だと思う。」
八幡市民会館の資料を見つけました。

ホールの採光窓・構成図です。

打ち放し仕上げのPCコンクリートブロックと
T型鋼を組み合わせ、

着色型ガラスをはさみこんでいます。

ミース・ファンデル・ローエの言葉
「神はディテールに宿る」を彷彿とさせてくれます。

初めまして
この市民会館のすぐそばに住んでいます。
あと隣の図書館も彼の設計ですよね。

奇はてらわず町に溶け込んで、しかし壁面のデザインなど、細かいところにこだわりがあって村野氏らしさを感じます。

建築大好きですが、詳しく勉強したことはありません。
でも彼の作品を身近に暮らせることに喜びを感じます。
日々の生活に見事に溶け合った空間、こんな空間を作り出せるのも名建築家ならではですね。
乙女座ピノコさん

アッチョンブリケ)・◎・(るんるん(挨拶です・笑)

村野藤吾は北九州市にあります小倉工業高校・機械科を卒業しています。
ミースの言葉「神はディテールに宿る」を実践できる数少ない建築家の土壌は
ここで培われたのでしょうか?
卒業後、彼は当時、日本経済の牽引車だった八幡製鐵所に入社します。

北九州市・八幡(やはた)にとって幸いだったのは、その後、大建築家となる村野藤吾との地縁がつながった事でした。

十数年前、村野藤吾・誕生100年記念会が彼を慕う人々によって、北九州市で開催されました。

当時まだ一部に人が住んでいた八幡製鐵所職員宿舎(彼の処女作とも言われ、ほとんど知られざる作品でした。)courtyardと言うには狭い坪庭的な空間を持ったコンクリート打ち放しの「ざらついた原石の魅力」を持つ作品でした。

天上材に、ローコストのためか木合板がそのまま張られていました。しかし、その合板の上を25mm角の角材が300mmピッチに部屋に対しバイヤラス(45度)に流れていました。

ただの木合板と角材が村野藤吾の手にかかると、こんなにも素晴らしい表情を見せるのか!と感動しました。

今は地域開発のため、どこにでもあるような地域性の全く無い
商業施設が建っています。

戦後の日本復興を支えた八幡製鐵所。その八幡の地域のシンボルとして建てられた旧八幡信用金庫(現・ひびき信用金庫)も村野藤吾の作品です。

100年記念会の時は、銀行ホールに村野藤吾の製図・原図が展示されていました。
その中でとても印象深かったのは

保存運動、空しく壊され、市民公園になってしまった小倉市民会館の内部の流れるような階段の図面でした。

図面にはこのように書かれていました。

絵としては点線で丸くその位置を示しているだけ
そこに線を引き出し、言葉が書いてある。

『この階段は重要。建てながら考える。工事費は○○円位みておくように』

僕のような凡人と彼の違う所は、
最後まで「これで良し!」とはしなかったところだと思います。

「せっかく、みんなで決めたから・・・」
「こういう風にするようにしたから・・・」
「もう、予算取りしたのだから・・・」

彼は絶対にそうしなかった。言わなかった。

いつも、いつまでも、最後まで、可能性をつめていった。

ものすごい精神力。
作品の完成度を追求する胆の力。

だからこそ、天国まで製図台と鉛筆を持っていくような凄まじい生き方が
出来たのだと思います。

先に書いた村野藤吾の言葉を繰り返します。

「20代で方向性を定め
 30、40代で基礎を学び
 50、60代で研鑽し
 70、80代で自分自身を納得させる作品を生み出せたら
 建築家としての人生は成功だと思う。」

人を納得させる?
人に認めてもらう?
そんな事、空しい見栄。

自分自身の事は、自分がよく知っている。
自分に正直に・あるがままに・等身大に生き
自分を誤魔化す事無く、自分を納得させる生きざまを

村野藤吾に学びたいと思います。
強き胆の力を持って!
浪人時代に八幡図書館に通い詰めていました。
とても気持ちの良い空間でした。
終演後の市民会館の観客動線も感心していました。
レーモンドの大谷体育館も取り壊されましたね。
小倉市民会館は音響がとても良かったそうです。
機能と形態が同居した建築ですね。

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