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半可通のための経済学講座コミュの全ての借金を返済したら残るのは日本銀行の資本金だけなのではないか?

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複雑に入り組んだお金のやり取りについて考えているうちに、最も基本的な部分、つまり通貨発行の仕組みから整理することが重要だと考えるようになりました。

問題を単純化するために、ここでは円の取引が日本国内で閉じているとします。言い換えると外国との貿易はないものとします。また、融資や国債など、世の中の借金が棒引きされることは一切ないとします。

通貨には日銀が発行する紙幣と政府が発行する硬貨と市中銀行が創造する預金通貨があります。問題を単純化するために定期預金も預金通貨と考えれば他にはないですよね?

日本国内に存在する通貨は現金が約100兆円、預金が1000兆円以上あります。経済成長と共にこれら通貨の総額は増加してきました。日本銀行の資本金は1億円です。簡単に言うと最初一億円しかなかったのに、何故今は1000兆円以上に増加したのでしょうか?

日銀が通貨を新たに発行する際は、発行する金額に見合う担保を必要とします。例えば100万円の価値のある国債を担保として預かり、日銀券を100万円発行するという具合です。バランスシート上は預かった国債が資産の部に計上され、発行した100万円分の日銀券が負債の部に計上されます。
発行した日銀券は国債を確かに預かりましたという預かり証書の一面がありますが、その一面はここでは重要ではありませんのでこれ以上は述べません。
ちなみに日銀のバランスシートは以下で確認することができます。
http://www.boj.or.jp/type/stat/boj_stat/ac07/index.htm

ここで言いたいのは、この例の場合、国債を担保に日銀から100万円を借りたと見る一面です。
借りた100万円を返済すると日銀のバランスシートから現金通貨発行高が100万円分減少します。
日銀は経済成長に伴い紙幣を増刷してきましたが、それは決して打出の小槌のようにただ印刷して市場に供給してきたわけではなく、担保と引き換えにその価値と同額を貸し出しているということです。


次に政府が発行する硬貨について説明します。500円玉などのことです。
500円玉一枚の発行に要する費用を仮に10円とした時、政府は残りの490円を利益としているのでしょうか?
そうではありません。
政府も国庫の預金を引き当てた上(裏づけとして)で発行しています。


次に市中銀行を考えます。
市中銀行は信用創造機能により預金通貨を創造します。
市中銀行は預金を元手に融資していると私たちは単純に考えてしまいがちなので、預金通貨を創造していると言われてもその意味を理解するのは難しいのではないでしょうか?

市中銀行は預金通貨を無から創造します。
バランスシートの資産の部が融資した債権、負債の部が融資した預金になるからです。
融資の際に担保が必要ですが、それは預かっているだけでバランスシート上の資産でない点が日銀の通貨発行の仕組みと大きく異なっています。

例えばある銀行の普通預金の合計が1000億円あるとして、その銀行はいくらまで貸し出せるでしょうか?
1000億円しかないのだから1000億円以下であると考えるのは間違いです。
これは日銀の設定する預金準備率の逆数倍になります。
預金準備率は預金種別や預金金額により異なり、この場合は0.1%なのでその逆数は1000倍、つまり100兆円まで融資できることになります。仮に100兆円を融資すれば、それは預金通貨をその額だけ新たに創造したことになります。

私たち個人が銀行に預けている預金は多くの場合において直接銀行から借りたお金ではないですよね。
会社から給与が振込まれて預金が増えたり。だからこれは負債ではないと考えています。だからわかりにくいのですが、預金通貨は融資によってのみ創造されるのですから、会社が銀行から預金通貨の融資を受け、それを活用して事業を拡大し、さらなる借り入れを受け、一部を給与として支払っていると考えれば少しわかりやすいのではないでしょうか。

市中銀行による融資が全て返済されると1000兆円以上ある預金通貨は0になってしまいます。
元々無から創造しているのですから、全て返済されれば無に戻ることになります。

市中銀行の信用創造機能はウィキペディアで比較的わかりやすく説明されています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%A1%E7%94%A8%E5%89%B5%E9%80%A0

脱線しますが、預金通貨は無から創造した通貨であるにもかかわらず、担保を必要とする理由は、融資した預金通貨を他の銀行に振り込んだり、日銀券に交換した後に返済不能に陥る可能性を考慮してのことです。その場合には担保物件を売却して損失を補填します。もし融資した預金通貨が同一銀行内の他人名義の口座に振り込まれるのであれば、取引が通貨を創造した銀行内で閉じているので担保は本来不要なはずです。

以上まとめると、日本に存在する借金以外のお金は日銀の資本金である1億円しかなく、残りは全て借金であると考えられます。借金を元手に借金を重ねていくこと、それが可能なことが経済成長であると考えられます。

私のこの思考に対する誤りや不備の指摘、質問などをお願いできればと思います。
「なるほど〜」的な書き込みも嬉しいです。

もしこの考えが基本的に正しいとするならば、国債を始めとする政府の借金を、借金という単語の持つイメージに反応して、返済しなければならないと考えるのはちょっと短絡的ということになります。
市中銀行だって私たちの預金総額を遥かに超える融資をしてしまっていますから、私たちに全額を払い戻すことなどできないのです。健全な銀行であってもそうです。そういう仕組みなのですから。市中銀行は私たち預金者に借金をしているとみれる一面がありますが、取り付け騒ぎを起こさないような銀行運営をしながら更に貸出を増やしてもらうことが経済成長に直結することになります。
同じように国債も返済するのではなく、デフォルトを起こさないように注意しながら、更に増額していくことが経済成長への道であると考えることもできるのではないでしょうか?

コメント(6)

浅知恵ですが書いてみます。


>1000億円しかないのだから1000億円以下であると考えるのは間違いです。
>これは日銀の設定する預金準備率の逆数倍になります。
>預金準備率は預金種別や預金金額により異なり、この場合は0.1%なのでその逆数は1000倍、
>つまり100兆円まで融資できることになります。仮に100兆円を融資すれば、
>それは預金通貨をその額だけ新たに創造したことになります。

これはちょっと違うような?
預金準備率と言うのは、日銀がマネーサプライをコントロールする場合に調整されるもので、売りオペや買いオペと同じような効果のものだと思います。準備率を上げれば民間銀行の貸出し余力が減ります。下げれば増えます。
なおかつ、家計や企業がより多くの額を民間銀行に預け、日銀が預金準備率を下げれば乗数効果が高くなります。あと、ウィキの数字だと乗数効果は4.37だと思うのですが?。間違ってたらすみません。
最近のデータは分からないのですが、実際の貨幣乗数は10倍ぐらいだと聞いた事があります。

この乗数効果によって取引が増え経済が増幅していく訳ですよね。だとすれば無から預金通貨が創造されているというのはちょっと違うと思います。もし通貨が無い状態から経済が始まっているとするなら、やはり最初の通貨の元になっている物は国債です。今でこそ日本の場合そのほとんどが国内で応札されていますが、終戦直後や明治政府の頃は海外の市場で調達されていたと聞いています。担保は成長期待と言う事になると思います。銀行がお金を貸すのも相手企業の成長期待です。返せなくなればそれは成長を削ぐ事と同じです。乗数効果を高くしようとしても各経済主体(国全体と同義)が付加価値を高めていかなければ、当然その通貨の価値は下がって行くはずです。

>市中銀行による融資が全て返済されると1000兆円以上ある預金通貨は0に
>なってしまいます。
>元々無から創造しているのですから、全て返済されれば無に戻ることになります。

実際の民間銀行全体の貸出残高は約400兆程度だったと思います。銀行が無から創造し1000兆の預金があるならば、おそらく家計や企業が自分で保有している現金とその1000兆を足したものから、400兆を差し引いた額が経済成長による付加価値分と考えてもいいのではないでしょうか。なおかつ大量に発行され続けている国債というのは、成長過程においてそれら民間資産も含め、その他の国有資産に変わっているはずです。
日銀が銀行にお金を貸すのも、銀行が企業や家計に貸すのも同じだと思います。
一旦ストックされた通過が循環し、取引が増幅され、成長し、やはりその乗数効果のもとに増幅された通貨で返済されるという構図になるはずです。

>デフォルトを起こさないように注意しながら、更に増額していくことが経済成
>への道であると考えることもできるのではないでしょうか?

一理あるとも思いますが、成長期待度よりも先行して国債や通貨を増やすのは意味がないと思いますし、政策としても反対です。プライマリーバランスがゼロと仮定し経済取引の増加に合わせて通貨の量をコントロールするならば、公開市場操作や準備率操作などの日銀の調整と、それに応じた通貨発行だけでいのではないでしょうか。
これは最近の大きな問題を見れば明らかだと思います。債権下落による信用不安というのは、実物経済取引による成長に対して過剰流動性が行き過ぎていると考えざるを得ません。
国債発行に際しては、市場の信認を得ることが極めて重要であり、財政の持続可能性を根拠に発行される銀行券に対する信認も表裏一体ですよ。以下参考です



「財政政策は決して打ち出の小槌ではなく、その原資である国債は、最終的には一国の経済活動の中から生まれる付加価値によって返済しなければならないものです。このため、財政の維持可能性に対する信認は非常に重要であり、これが崩れてしまうと、金融市場の急速な変化を通じて経済活動に大きな打撃を与える惧れがあります。」


日本経済とイノベーション
www.boj.or.jp/type/press/koen07/data/ko1005b.pdf




「物価安定の下での持続的な成長を実現していくためにも、潜在成長率を引き上げていくことが、極めて重要な課題と言えます。金利に低下余地が限られる中で、即効性の高い財政支出を躊躇すべきでないとの意見も聞かれます。しかし、安易な財政支出の拡大は、既に巨額の公的債務残高を抱えるわが国では、財政政策に対する信認を低下させてしまう可能性があります。また、ギリシャ問題をきっかけに、財政の持続可能性に対する関心が高まる中、将来の税負担増や、年金の受け取りなどに対する不安感に繋がれば、かえって消費を抑制させることにもなりかねません。そうなれば、マクロ的な需給バランスの悪化を通じて、デフレ圧力を高めてしまうことにもなります。さらに、財政政策に対する信認が低下すれば、金利が上昇することによって利払い費が増加するほか (注9) 、国債を保有する金融機関のバランスシートにも悪影響を及ぼし、金融面から景気の下押しに繋がるリスクも高まります。信認が重要である点は、中央銀行も同様です。ファイナンス面から財政支出の拡大余地が乏しくなったからといって、中央銀行がファイナンスをする、或いはそうした疑念が生じると、中央銀行が独立して物価安定のために金融政策を運営していくという信認は失われ、金利が上昇することになります(注10) 。政府の予算制約に照らして考えてみましょう。政府の予算を考えますと、財政赤字はその分国債の発行増加に繋がりますので、それを実質化した上で将来にわたって積み上げますと、政府の異時点間の予算制約式が得られます。

国債発行残高/物価水準=財政余剰の割引現在価値(実質ベース)

上式から、政府が財政支出を拡大させると、その分だけ財政余剰の割引現在価値が低下します。そのとき、金利水準を所与としますと、国債発行残高の実質価値の低下、つまり物価の上昇が生じなければ辻褄が合いません。ただし、仮にこうした手法によってデフレ状態を脱却出来たとしても、政府が財政赤字を積み上げ、それをインフレによって消化を図るのではないか、という不安が残るため、今後、中央銀行がいくら物価安定にコミットしても、信認を保つことは難しくなります。そして、結局は経済・物価の不安定化に繋がってしまいます。過去の教訓からも、中央銀行の信認は一度失われてしまうと、取り戻すことは容易でないということを、改めて肝に銘じておく必要があります。」



注9 なお、財務省の試算によると、インフレ率が 1%上昇したことに伴って名目成長率と金利が双方とも 1%上振れた場合、税収の増加額が 0.4 兆円であるのに対し、国債費の増加額は 1.1兆円と、金利上昇による影響が大きいことがわかります(平成 22 年 2 月「平成 22 年度予算の後年度歳出・歳入への影響試算」<財務省>)。

注10 Ben S. Bernanke, “Central Bank Independence, Transparency, and Accountability”, 25 May 2010,Institute for monetary and Economics Studies International Conference, Bank of Japan.




日本経済の現状・先行きと金融政策
www.boj.or.jp/type/press/koen07/data/ko1006a.pdf
ちなみに、よくインフレで政府債務残高を逓減できるなどというアドホックな意見もありますが、国内金融機関がその引き受け先である以上その代償も覚悟しなければならないでしょう。また、仮に財政の持続可能性に対する国債市場の信認が崩壊している状況でインフレが「マイルド」に収まるかどうかも不確実です。以下は参考資料です




「財政状況の悪化がインフレの進行と相まって国債市況の悪化をまねき、財政危機が現実のものとなる可能性も皆無ではない。たとえば、日本の金融機関による金利リスクテイク余地が狭まってきている可能性も考慮に入れておく必要があるだろう。また、齊藤[2002]が指摘しているように、物価・金利の低位安定期待のもとで、大量発行された国債がシ団引受等を通じて金融機関によって吸収され、潜在的な金利リスクが金融セクターに偏在してしまったことから、経済がインフレに対して脆弱な構造になっていることにも注意が必要である。」

中里 透 副島 豊 柴田(中川)裕希子 粕谷宗久「財政のサステナビリティと長期金利の動向」
www.boj.or.jp/type/ronbun/ron/wps/data/wp03j07.pdf
日本が仮にまだ通貨の存在しない農業国だとします。
通貨が存在しないので物々交換で国民は取引をしています。
そこに、Aさんが現金1億円を資本金として中央銀行を始めたとします。
この一億円の裏づけは何かという問題はここでは重要でないので無視します。

貨幣経済を流通させるために、Aさんは預金通貨銀行(市中銀行)の設立を進めます。

Aさんは各預金通貨銀行にそれぞれ独自に通貨を発行する権限を与えます。これが預金通貨です。
但し、各銀行が各々発行するこの預金通貨には、中央銀行の通貨(現金)との兌換性を持たせます。
つまり預金者が預金通貨を現金と交換することを要求した際は要求に応じること。これを設立認可条件にします。

預金通貨銀行としてB銀行が設立されたとします。
問題を単純化するために、ここでは中央銀行は1億円の資本金からB銀行に1000万円を贈与し、B銀行の資本金とします。また預金通貨銀行はB銀行のみとします。

B銀行はまず最初の取引として成長の期待される会社Cに500万円の融資をします。融資は、中央銀行の通貨でなく、預金通貨で行われたとします。
中央銀行の通貨で融資することは資本金の1000万円を取り崩して貸し出すことを意味し、預金通貨で融資することは預金通帳に融資金額を1行印刷して渡すことを意味します。

B銀行は他社にも預金通貨による融資を行い、この預金通貨が流通し始めます。
B銀行の融資先企業の従業員はB銀行に預金口座を作り、給与の支払いを現金ではなく振込みで、つまりB銀行の預金通貨で受けたとします。

B銀行の預金通貨は流通し、融資総額が10億円になったとします。
融資先企業の従業員のB銀行の預金総額(貯金)も5億円になったとします。

この状態で預金通貨の一部が現金として引き出されることを考えてみます。
B銀行にはこの時点でも現金は資本金の1000万円しかないとすると、対応できるのは1000万円までになります。
預金通貨に現金との兌換性を持たせることが預金通貨銀行設立認可条件ではありましたが、現実にはB銀行の預金通貨の全額が現金化されることは通常起こり得ません。
ではB銀行の発行する預金通貨は、保有する現金の何倍までなら現金引き出しに対応できるでしょうか?
対応できなくなるとB銀行は現金との兌換性に対する信用を失い、取立て騒ぎが発生してしまいます。
Aさんはこれを100倍までと決め、その現金をB銀行に管理させず、中央銀行に預けさせることで管理することにし、これを準備預金制度と名づけました。


さて、会社Cの従業員が言い出します。「もっとみんな頑張って働いて、銀行融資を全額返済して、無借金経営になって、利益ももっと出して、給与をアップしてもらって貯金を増やそう!」
これについて考えてみたいと思います。
会社Cにとってこれは可能なことです。
しかし、B銀行から見たらどうでしょうか?
B銀行から融資された企業の全てがこの状態になることは可能でしょうか?
それは不可能です。
流通しているのはB銀行の発行した預金通貨であり、融資が全額返済されたら預金通貨発行前の状態に戻ることになります。その状態では貯金も0になります。

B銀行の発行する預金通貨に関し、借金と預金には金額においてどのような関係があるのでしょうか?
ただし問題を単純化するために利息はないものとします。
また一般に言う不良債権処理もないものとします。
答えは簡単です。借金総額=預金総額になります。
これは貸借対照表(バランスシート)の言葉を使用して表現するなら、総負債=総資産と言い換えることができます。
負債と資産はいわば同じものを別の方向から見ただけに過ぎません。
負債が増えれば資産も増え、負債がなくなると資産もなくなってしまいます。


以上、問題を単純化し、信用創造を別の見方から説明し、預金通貨による借金を全額返済すると貯金も同時に消滅することの説明を試みました。

通貨発行の仕組みとその周辺について整理することは大変意味のあることだと思っています。
一緒に考えてくれる人を募集しています。
整理したいことは山ほどあります。
えーと、ちょっと関心を引かれたので書き込みします。

まるもさんの仰ることを要約すると、「我々の使用している「通貨」とは、究極的には日銀の借金(負債)なんだ。だから我々の経済は借金を媒介にして成立しているんだ。だとすれば借金を否定して国債を否定するのは間違いじゃないか?」ということですよね。

>日銀が通貨を新たに発行する際は、発行する金額に見合う担保を必要としま
>す。例えば100万円の価値のある国債を担保として預かり、日銀券を100
>万円発行するという具合です。バランスシート上は預かった国債が資産の部に
>計上され、発行した100万円分の日銀券が負債の部に計上されます。

ちょっと調べてみたのですが、紙幣発行に担保を要求するのは、廃止された旧日銀法で、現行の日銀法は担保を要求していないようです。この趣旨としては私は2点あると思います。まず「紙幣発行は通貨供給量の調節に関係し、経済政策が担保という条件に制約されることは好ましくない」ということ。

2番目がこの議論では重要ではないかと思います。それは日銀の発行する紙幣(円)の究極的な担保は、通貨(円)が担っている経済システムそのものである、ということではないかと。

まるもさんの仰る「通貨とは究極的には負債である」というのは、私としても大変面白い発想で、一部共感するのですが、私としてはちょっと正確ではなくて、「通貨とは究極的には日銀に対する債権なのだ」ということだと思います。だとすると、一応形式的には我々は何を信用して円を使っているかというと、日銀が潰れても日銀の資本金によってその円の経済的価値が返還されるということになると思います。嘗ては紙幣の発行に担保を供していたのですが、それが今はないのでそういうことになると思います。

しかし、現実的には我々は日銀の資本金なんかを信用して円を使っているわけではありません。日常的には意識していませんが、我々は円が通用する経済システムそれ自体を信用して、円を使用していると言うことではないでしょうか?

つまり、現行日銀法が紙幣発行に際して担保を不要とした2つ目の理由は、「現実的には日銀券の信用は円の経済システムに向けられたもので、それが担保である。従って、形式的な担保は不要である。」ということだと思います。


ここまで考えて私の要約によるまるもさんの意見の後段部分「借金を否定して国債を否定するのは間違いじゃないか?」を考えると、誰も「借金」それ自体を否定しているわけではないんですよね。ただ経済はシステムなので、一部に極度に負荷がかかればシステムはダウンしたり、障害が発生します。負債が極度に政府に集中し、身動きが取れない状態を批判しているのであって、「借金」それ自体が悪であるとは誰も考えていない、と言うことだと思います。

借金とは「負債」であり、債務です。それは債権と表裏一体です。本来的にはそれは当事者間でちゃんと整理すれば済む話なのですが、それがシステム全体に影響を与える話になれば、単純な当事者間の利害調整とは違った観点からの調整も必要になってくると言うことでしょう。
追記させて敷衍させて下さい。

「信用される経済システム」とは?それは「債権が債権として評価され、債務者に履行させることができるシステム」でしょう。債権を取得しても、債務者が胡坐をかいて、何時までも債務を履行しないような債権は誰も取得しようとはしないでしょうから。

そういった意味で、経済システムを最も危機に陥れるのは、大規模なデフォルトです。そのデフォルトを救済するために政府がその肩代わりを行うのですが、債権者と債務者の双方からその分析をする必要があるように思えます。

何故なら債権の弁済を政府が肩代わりして、債権者は納得し、取り合えず「債権の信用」は確保されたわけですが、本来的には債務を履行すべきは債務者なので、当然その問題が残るわけです。通常は「求償」ということが必要になるわけですが、それが不十分だと政府が債務を肩代わりしっぱなしになる形になります。

そうなると、それ以外の普通の人々の間にも「政府に肩代わりしてもらえばいいや」という発想が蔓延することになります。つまり全ての債務を政府が担えと言う形になる。そうなると政府は規模が大きいし、日銀が通貨を供給していくれるので、一見「債権の信用」は確保されているのですけど、その裏では多くの人が債務を履行することを放棄して政府が肩代わりをしている形なので、履行されるべき債務が見えなくなっているだけなのです。その見えない債務が「国債残高」という形で積み上がる形になる。謂わば民間のデフォルトを先延ばしにして、政府にそのツケをまわす形になる。勿論それを放置している官僚も問題なわけだが、敢えて見てみぬ振りをする。

そうなるとデフォルトよりも性質が悪い形になるのではないでしょうか?個々人は債務を免れているので、その面ではさらにデフォルトを起こすことを避ける心理的インセンティブは無くなっているのです。だから歯止めがかからない。しかし、国債残高は積み増されていくので、どこかで溜まり溜まったものが噴出するでしょう。

原理的にはデフォルト処理においても、債務者の側の責任をきっちりと追及して、その見返りに救済をするという形にすべきだったんでしょうね。よく「債務者が居直って、自らの非を認めないと言う態度をとると、処理がすすまない」という批判があるのですけど、そういった「居直り」を許さないような制度設計なり、やり方を作っていかなければならないのだと思います。

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