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半可通のための経済学講座コミュの経済学の基本思想について教えてください

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はじめまして。最近経済学を勉強し始めた者です。

大学では法学が専攻なので経済学には苦戦しつつも楽しく勉強しています。しかし学ぶにつれて経済学という存在がよく分からなくなったのでトピックを立てました。

例えば法学なら法の適用範囲内の国や地域のルールや規律を規定していて社会生活に必要不可欠です。
会計学なら企業の業績を数字で表すためのビジネス言語として実社会で機能しています。

そこで経済学は何のために存在し、世の中にどういった貢献をしているのか分からなくなりました。限界費用イコール限界収入などの規定はいまいち実用的ではないように思えるのです。単に僕の勉強不足が原因とは思いますが、経済学の存在理由が分からなくなりモチベーションが落ちていると感じます。

経済学は何のために存在し、世の中にどういった貢献をしているのか。もっと経済学を好きになりたいので教えて下さい。よろしくお願いします。

コメント(31)

経済学が何のために、と言われると、人それぞれの価値があると思いますが、実用的には、
・人を動かす動機を理解する。
・ある政策目的を達成するのに、もっとも社会的費用の安い手段を調べる。
あたりは、法学とも関連が深いのではないでしょうか。

たとえば、家賃を安くしようとして、家賃の上限規制をすると、多くの場合、借り手が苦しむ事になるとか、輸入を規制すると、国内の消費者が苦しむ事になるとかは、法律家としても知っておいて損はないんじゃないでしょうか。

あとは、独占の害とは何か。電力会社やバス会社など、独占禁止法の例外はなぜあるのか等も、経済学を知らずには理解が難しいのでは。

また、租税の効果とか、損害賠償の算定の際の考え方(特に、逸失利益とか金利の算定法)なんかも、基本的ですが重要な気がします。
経済学、というか学問は一義的に好奇心を満たすための行為で、
何の役にたつ、というのは二の次の話ではある。

という大前提を確認したらまえGさんみたいにいろいろ挙げられると思うよ。
つまらないと感じるものを役に立つからといって追うなかれw
せっかく法学をやってるんだから、法と経済学を中心に攻めてるんだよね?
それならモチベーションも保ちやすいと思うのですが。
> まえGさん

お返事ありがとうございます。
政策を達成するのに最も社会的費用の低い選択ができるという点で経済学の重要性に気付きました。価格制限をすると基本的に借り手が苦しむ結果になるという具体例もすごく分かりやすかったです。

今回の説明を受けて僕は経済学は基本的な市場原理とビジネスの本質をつかむものと感じました。限界利益を上げて生産の回転を高めるだけではなく、原因と結果の関係をつかむことが大事なのですね。

早いお返事本当にありがとうございます。あしたからまた勉強頑張ります。
> あけみさん

お返事ありがとうございます。
今回の質問で気づくことがたくさんありました。
今まで経済学は硬い感じの学問かなと思っていたのですが、そうではなくむしろ実務から積み上げられた比較的フレキシブルな内容のように感じました。

経済学の基本思想は市場という国境を取っ払った範囲の中での原理と、原因と結果を表すことだと思いました。なんとなく何かを掴めた気がします。ありがとうございました。
法学をやってるなら、経済学の考え方には馴染み難いかもしれない。

例えば、ある法律があって、その法律を破ったら罰金を払わなければならないとする。
経済学的には、法律を遵守した場合と、法律を破った場合の超過利益+損失(罰金)を比較考量して自分の行動を決めると考える。
その際に、法律を破った事による良心の痛み的なものは基本的には考慮に入れない。
法律破った方が儲かるんだったらそんな法律守らねーよ、みたいなスタンスを正当化してしまう。

その辺の前提が受け入れられるなら、考え方自体は役に立つと思う。
あまり明示的ではないかもしれないですが、(古典派の)経済学にも善とされる価値観があると思います。
それは「資源の効率的配分」です。

現代の経済学は主にこれ(どうすればより効率的な資源配分が可能か)を追及していると思います。

「資源」とは、土地、モノ、労働力などです。
「効率的」とは、ある資源などの制約条件のもとで、最大の生産(の総和)、人々の最大の効用(の総和)、最大の利益(の総和)が達成された状態と考えています。

なので、単純なシナリオを考えると、生産性が上がって→経済が豊かになって→経済的には人間はハッピーになる を追求するのが経済学であり、「人間を経済的に豊かにする」ことに存在意義があり、貢献していると考えます。

ただ、これはちょっと単純過ぎる考え方とも言えます。
重要なのは総和が大きくなっても、個々人では恩恵を受けられない人もいるということです。例えば2人の労働者と1つの仕事があり、2人業務処理能力の差が大変大きい場合、1つの業務を分けて実施するよりも、1人で全部やった方が生産性が良い場合があります。その場合、もう1人は仕事にありつけず、無給(失業)になります。(経済的格差の拡大)

ここで、政府が登場して、市場から徴税を行い、再分配を行うことが求められます。ただ、ここ30年ぐらい(?)の経済学では、政府は効率的な資源分配を損ねるため、政府の活動は小さめが良いということになってきました。
しかしごく最近、ご存知のように色々な問題が出てきて、それはどうなの?という疑問符をもつ考え方が少し強くなっているような気がします。


ご覧になって間違いなどあれば訂正意見を宜しくお願い致します。
ぐちゃさんも書いているように、
法と経済学のさらにサブカテ?として犯罪経済学とかあります。

もうちょっと進めると、
法を破った場合の利益+損失(仮に金銭的得失に限定)
を比較考量して自分の行動を決める…
はずなのにそれでは説明できない部分がある、
と良心の痛みとかタブーを破る快感とか非金銭的動機が出てきます。
経済学の体系は非金銭的動機も織り込んでいるので、
この説明の仕方はまずいけどw

>(古典派の)経済学の善とされる価値観=「資源の効率的配分」

ベンサムの「(最大多数の)最大幸福」だけ取り出すとそうかな。
ミルたんが多数の暴虐を唱えたりハンパに噛み付いたアレです。

資源の効率的配分は大事だけど、別に絶対善
(そんなものがあるなら見せて下さいw)じゃないし。
ただ、あたかも絶対善であるかのように振る舞う人もいるのは問題かもね。
私は経営をしていますが、経済の素養のお陰で、社会・国際情勢などが解るので非常に重宝しています。

巨視的な視点で社会を見通すという点では、経済の知識は非常に重要だと思います。

政治や行政の世界でも、経済のベースの有る人と無い人では差が出ると思います。

あまり詳細にやる必要ないかもしれませんが、教科書の基本的な理論位はやっておいて損は無いと思います。
(広義の)経済学の基本思想、というか原理は、

「人間は極大に欲求(効用)を満たそうと行動している」

に窮まるけど、これってほとんどトートロジーなんだよね…
トートロジーじゃなくなるともっとマズイよなとは思いますが。
さらに基本にくる(かもしれない)のは万能酸としての進化論くらいじゃ?
「極大」はちとまずいか。
「認識の地平内で最大」の方が危なげはなす。
専門知識の習得と正確な理解は欠かせませんが 大方の経済理論の把握と大局観http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%AF%E7%9E%B0%E7%9A%84 がなければ、他人の意見に振り回されるだけだと思います。
 法学の場合は、巨大な木の幹にたとえられる基本理念や倫理観が必要でしょうが、経済学でそれをやらかしてしまうと、単なる狂信者や「固有の価値観や、経済学者」の熱心な信奉者を生むだけのような気がしてます。
 本来、そのような狭量な学問ではないと感じています。
 人間のあくなき欲望追及を、社会科学的な点から解明して、予測を立てていくのが本来の目的ではないかと、そのように思います。
 あくまでオレの主観です。

 経済学が、国家レベルで人の洗脳の道具に使われてしまった(現在進行形)不幸な過去もありますしね。
 暗愚な人が、目先の利益にとらわれて 経済学の理論を”自論の裏付け”に持ち出すのも噴飯ものだと思ってます。

 極端な話、ノーベル経済学賞にしたって 特定の人々の利益を優先するためだけに「政治的に利用され」「一つの価値観」だけが暴走してしまう節があります。
 偏った人間の営みに、ゆり戻しを行うことができる 唯一の学問が経済学だと感じています。
 合理性のない観念論的な話ですみません。
経済学は「近代資本主義」しか研究しません。

「近代資本主義」は僅か百年ぐらいで、過去人類が創り出した富の合算よりも遥かに多くの富を創出し、世界をも一つにしてしまいました。
反面、世界恐慌を引き起し、多くの人の命を奪い、国家の存亡までを左右し、コントロール不可能な天災のような災禍を巻き起こしてきました。

人は人類の歴史に大転換をもたらした「近代資本主義」を何とかコントロールできないかと研究しました。

そして、古典派は、供給が需要を作るという公理(セイの法則)で「市場は自由放任にしておくことがベストである。」と説き、
ケインズは、需要が供給を作るという公理(有効需要の原理)で「需要が不足した場合、公共投資が必要である。」と説きました。
この二つの学派の戦いより、経済学は長足の進歩を遂げ、何とか使える学問となりました。

しかし、産業構造の変化により過去有効だった経済政策が全く効果を発揮しなくなる場合もあり、有効な経済政策を実施するのは至難のことです。
もし、誤った処方箋を経済に与えたならば、人々を塗炭の苦しみに落としいれ、再び世界大戦や冷戦の時代を作り出してしまうかも知れません。

このように経済学は人類の未来を左右する非常に恐るべき学問です。
> ちょんまげくんさん

わたしは経済学は、人類を豊かにして幸福にすることが目的だと認識しています。

調査対象は近代だけに限定されるものではなく、人類の歴史全部が対象じゃないでしょうか。
江戸時代の米先物取引や古代ローマの帝国運営など学ぶべき先人の遺産はいくらでもあるとおもいます。

もうちょっと広い視野でみてもいいとおもいますね。
人類は幾多の困難をのりこえて成長していることをもうちょっと前向きに評価していいと思いますね
たとえば「ヤバい経済学」とかを読んで
「経済学ってこういうこともできるんだ!」っていうことを知ると
学ぶモチベーション(経済学的にはインセンティブ?w)がつくかもしれません。
なにより本としておもしろいです
>YUKI_M さん

>わたしは経済学は、人類を豊かにして幸福にすることが目的だと認識しています。


それは私も同意です。

「近代資本主義」は膨大な富を作り出し人口爆発を可能にしました、これは光の部分です。
「近代資本主義」を人類が制御できなかった為に、
世界恐慌で失業者を溢れさせ、急激な社会変化を興し変革できない人間をふるい落としてきました、これは闇の部分です。

私は緩やかな安定した成長経済が人類には幸福だと考えています。
その為に、経済学が「近代資本主義」という怪物をより良く制御できるようがんばって欲しいです。


>調査対象は近代だけに限定されるものではなく、人類の歴史全部が対象じゃないでしょうか。
江戸時代の米先物取引や古代ローマの帝国運営など学ぶべき先人の遺産はいくらでもあるとおもいます。


過去、エジプト、メソポタミア、古代ローマ、宋代の中国、ets 巨大な商業と資本が存在した経済がありました。
しかし、そこからは資本主義は生まれませんでした。
何故か、その時代の人々は伝統主義、封建主義の思想の中で生きていました、
その思想は「贅沢は禁物、利子は罪、個人が利潤を追求することは悪」という価値観でした。
それは資本主義に必要な合理的精神とは真逆の考えです。

近代資本主義は、過去の経済と比べ全く異質な経済制度です、現在の経済の処方箋を考える参考にはなりません。

もちろん過去の経済を扱う「経済史」はありますが、これは本来、歴史学の範疇になります。
経済学は国家が作った学問ですよね。もともと戦争に勝つための国力の増加や経済恐慌の回避などのためで、基本的には国家の富の最大化を求める。

幸福のためという方もいましたが、福祉や富の配分は、「国力は資源よりも労働力による」という認識が広まった結果、「優良な労働力を確保」するために生まれた考え方です。
どこまでもヒューマニズムとは重なることのないものかと。
最低限の優良な労働力が発揮できるならそれ以上の富や福祉を与える必要はないわけです。

国家そのものが巨大な利権システムとして発生している、また、現在でもそうなわけですから、国家に作られた経済学がどのような性質であるか想像に難くないかと。

そこにどのようなヒューマニズムを重ねるのも自由ですが、認識を鈍くする原因になります。

ちなみに今の経済学は世界恐慌の後にアメリカで政策として研究、創造されたものです。
経済学とてイデオロギーから自由じゃない…
のは確かだけど、ぜひ愛のある批判をw

ちなみに経済史が好みなら
経済人類学 vs 新経済史 マジオススメ。
歴史学派、唯物史観もチェックしておけ!
ちょんまげくんさん:

>もちろん過去の経済を扱う「経済史」はありますが、これは本来、歴史学の範疇になります。

本当ですか。アメリカの経済諮問委員会(CEA)のローマー委員長の専門は経済史ですが、過去の経済の教訓を現代の経済に応用する権威とされていると思います。

ふき@65%リーマンさん:

>経済学は国家が作った学問ですよね。もともと戦争に勝つための国力の増加や経済恐慌の回避などのためで、基本的には国家の富の最大化を求める。

だいぶズレていると思います。「国家の富」なんてどうでもいいとほとんどの経済学者は考えていると思います。

16世紀頃の重金主義・重商主義あたりの話でしょうか。
>まえGさん

>>もちろん過去の経済を扱う「経済史」はありますが、これは本来、歴史学の範疇になります。

>本当ですか。アメリカの経済諮問委員会(CEA)のローマー委員長の専門は経済史ですが、過去の経済の教訓を現代の経済に応用する権威とされていると思います。


本当ですか?と尋ねられても少し解答に悩みます。
アメリカの経済諮問委員会(CEA)やローマー委員長のことも全く知りません。
これは私の主観的な意見ですので、嘘かもしれません。

経済学で公理や理論など分析に使える道具は、全て「近代資本主義の研究」から開発されました。
マルクス学派の社会主義でさえも、「近代資本主義の研究」に集中していました。
「近代資本主義の研究」だけが功績を残しています。

しかし、法律学や政治学は近代だけでなく、全ての時代が研究対象となりそれぞれ大きな業績を残しています。
それらの学問との比較において、経済学は「近代資本主義の研究」だけをする非常に特殊な学問であります。

そこで、大学に歴史学部があれば、経済史はそちらに分類されるべきだと考えます。
>ふき@65%リーマンさん

私にとって国家は、国民の幸福の追求の為に存在するという認識です。
国家の富の最大化≒国民の幸福 となります。
従って経済政策は、国力の増大の為に実行されるべきだと考えます。


ここから話は変わりますが。

戦争というものが昔ほど利益を生まなくなり、経済力が国家の利益を決めるようになりました。
軍事オペレーションより経済政策がより重大な国家安全保障を握る時代です。

しかし日本の経済学の状況はどうでしょう、ノーベル経済学者は殆どアメリカ人です。
日本は経済学後進国です。

世界はサブプライムローンで傷つき身動きが取れにずにいます。
しかし、日本は1500兆円の個人金融資産と100兆円とも言われる余剰生産力を持ちながら、
赤字国債は借金という大嘘に騙され、有効な経済政策が打ち出されずにいます。

もし有能で権威のある経済学者が要れば、日本が世界のトップになれる千載一遇のチャンスであるはずなのに!

経済学が国家の優劣を決める時代がやってきたのです。
> まえGさん
話が抽象的すぎましたか?
国家の富というのを、国家という経済圏の富と読み替えて下さい。
労働力が国力であるというくだりを読んで下さい。
> ちょんまげくんさん

僕は経済学の来歴と性質を言っているのであって、主義の話をしているわけではないです。まさにそういうことが無意味だと言っているだけです。経済学は道具でしかなく、その道具は国家に仕えていたという話です。
戦争というのは一つの政治的カードでしかありません。来歴の話です。福祉でさえ国力の、経済力のためにあるわけで。

資本主義はそもそもあらゆるものを市場に絡めとることで金を吸い上げる一種の侵略装置とみることも可能です。

あと、サブプライム問題はまさに経済学によって、ノーベル経済学賞によって引き起こされたといっても過言ではないと思います。
さらに、連邦準備局は国ではなくたかだか数人の大富豪によって作られているわけですが…
この意味がお分かりでしょうか。
>ふき@65%リーマンさん

>僕は経済学の来歴と性質を言っているのであって、主義の話をしているわけではないです。まさにそういうことが無意味だと言っているだけです。経済学は道具でしかなく、その道具は国家に仕えていたという話です。
戦争というのは一つの政治的カードでしかありません。来歴の話です。福祉でさえ国力の、経済力のためにあるわけで。

経済学とは国家戦略の道具として発展したきたと言う事でしょうか?
それならば、全ての学問と教育、あらゆる国家政策もまた、国家戦略の道具という意味においては同意です。

>資本主義はそもそもあらゆるものを市場に絡めとることで金を吸い上げる一種の侵略装置とみることも可能です。

まさしくその通りに機能してきました。

>あと、サブプライム問題はまさに経済学によって、ノーベル経済学賞によって引き起こされたといっても過言ではないと思います。
さらに、連邦準備局は国ではなくたかだか数人の大富豪によって作られているわけですが…
この意味がお分かりでしょうか。

この辺は大変興味深いところです。
国家戦略として有能な経済学者を米国は育成してきました。
しかし、ブッシュ政権において、彼らは国家経済を破壊する方向に誘導しました。
彼らは、国家利益よりも一部の資本家を優先したようです。

私が思うに、その遠因にあるのは、共産主義というライバルを失くした事にあるのではないかと想像します。
シュンペーターは「資本主義はその成功ゆえに瓦解するだろう。」と予言しました。
( マルクスの資本主義滅亡論は外れましたが。)
資本主義経済は競争原理により発展改革し健全に進歩していきます。
そして資本主義自体も又、競争を必要とするのではないかと考えます。
資本主義経済は、歴史的に非常に特殊な社会現象です。
人類の進歩の結果、当然に行き着けるゴールではないように感じます。


ならば、最強の社会主義国家である日本が、米国のライバルとして世界経済の為にがんばらねばならないかも?日本がとるべき何か良い進路は無いものか?
うーん…

いろいろ言いたいことはあるけど長文過ぎてマトモに読む気がしない。
情熱の過剰は悪徳だなw
う〜ん
それは、失礼。
半分は、ふき@65%リーマンさんの引用文ですが・・・。
それも込みでOUT?
>経済学は国家が作った学問ですよね。もともと戦争に勝つための国力の増加や経済恐慌の回避などの
>ためで、基本的には国家の富の最大化を求める。

うーん。その定義だと、霞が関には経済学を理解している人が一人も存在しないことになりますよ。(笑) 偉いお役人の皆様が人口を減少させGDPを減らすために一生懸命頑張っていらっしゃる努力を認めないことになっちゃいます。あとは、東京に一発核兵器落とされただけで国富の半分がふきとぶ、物理的な脆弱な国家を作っていることの説明になってない気がする。

中国政府とかみていると、国力を増やしたり軍備増強したりと、教科書どおりの国富の最大化をやってると思うのだけど、日本政府の謎の行動は説明できないですよね。

>20

ちょんまげさんは、アダム・スミスは経済学者ではないと豪語されるのでありましょうか?
もうちょっと勉強してください。
>YUKI_M さん
>29
何か誤解があるようですので、以下、私の認識です。

アダム・スミスは経済学の父(古典派の始祖とも)といわれます。
スミスが国富論を上梓したのは産業革命前夜の1776年です。

近代資本主義が一応の完成を見るのは産業革命後のことですが、
スミスが生きた英国にはすでにその始まりが見られましたが、
未だ古い慣習や規制に縛られていて、自由な市場ではありませんでした。
スミスは市場を開放せよ!慣習や規制を失くし自由市場経済を実現せよ、
ならば「最大多数の最大幸福」を達成できるぞ!と訴えました。
スミスの主張はまだまだ神学的なものでしたが、国富論は大ヒットしました。

ようやく近代資本主義が動き出した時、これを研究・考察する基点となったのが、
スミスの思想であり国富論でした。
その基本思想を理論的に完成させたのがリカードでした。

>30
確か、日銀総裁がほとんど東大法学部出身で、
経済学部出身が今の白河氏が初だったんじゃないでしょうか。
今まで、経済学用語でFRB議長と会話もできなかったとか。

今の官僚制度は全く科挙制度と同じですね、
清国の末期に似てきているのはないでしょうか。
真のエリートは育たず、試験秀才ばかりになってきています。
>30

過去20年間の日本の経済政策をみていると、日本独自のデフレ問題について自分の頭で考えて解決策を見つけようとせず、欧米のインフレ経済を前提とした教科書通りの政策ばかりを「馬鹿の一つ覚え」みたいに続けている気がしています。

・穴を掘って穴を埋める公共事業ばらまきでもなく、
・財政の縮小均衡を狙って賃下げを繰り返すデフレスパイラルでもなく、
国民の将来への具体的かつ確定的と思われている不安を解消する政策が求められていると思う。
おそらくそれは、他国での実績のない政策になるだろうけれども、日本の特殊事情に対処するには通常の政策ではもうダメだと思う。

小泉政権下では、経済学者の竹中氏がトップダウンで必要な政策を推し進めることで金融破たんを押しとどめることができました。でも、今の官僚の能力ではこういったことを実施するのは無理でしょう。政治の力で霞が関への在野の博士や民間企業の優秀な人材を大量に注入していって霞が関の知的水準を諸外国の水準に近づける努力が必要そうですね。

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