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仏陀の世界(総合仏教)コミュの法華経

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法華経を最初に読んだとき、冗漫な文章や中身の乏しさから、下らない読み物だと思いました しかし最近読み返してみて心の強さ、信仰の強さ、不思議な生命力の強さを感じて魅せられています 私はとくに天台教学に興味をもつものではありません 法華経の成立過程に興味を感じています そこで詳しい方いらっしゃったら教えてください

疑問点
1 法華経はテーラワーダなどの釈迦仏教とはちがう別の仏教の一部をルーツにしていないか ある説によれば、釈迦は仏教の教祖ではなく改革者であったといわれています デーバダッタを中心とした過去仏崇拝の保守的な仏教がすでに存在しててその流れの一部を受け継いでいるのではないか
  ・釈迦一番の高弟サーリプトラを軽んじている
  ・デーバダッタが悪者になっていない
  ・仏の数がやたらと多い(テーラワーダの発想とは違う)
  
2 如来寿量品などはまるで一神教的な感じがしますが、ヘブライの影響を受けているのではないでしょうか

3 そもそも法華経とはなんですか?中身が書いてありません 白い蓮とはなにを意味するのでしょうか 泥中の蓮とかそういうことではなく バラモン教のなにかの象徴でしょうか 

コメント(39)

デーバダッタ(ダイバダッタ)の一部の修行僧達と、交流のあった 一部の教団・・・というのを聞いたことがあります。

外来の神々の信仰に押され、仏陀の信仰の存在が危ぶまれる時、 私たちこそは 正統なブッダの教えを行ずる者達であると現れたのが、法華経信者のルーツなのだと思います。

ところで、ココに興味深い記事を見つけましたので、参考までにどうぞ。

http://ngp-mac.com/~kumarin/website/modules/news/article.php?storyid=25


このサイト、無断で引用します(管理人さんごめんなさい)
ba-bu将軍さん ありがとう
法華経を肯定的に見られていらっしゃるんだろうと思います
ぼくも同感で、法華経に異質性を感じるんですが、肯定的にみています
ただヒュマン的かどうかはちょっと疑問があります 法師品なんかはセンダラや女性差別がでてきます 仏教的というよりインド的な感じがします
月影さん ありがとう
紹介していただいたサイト読ませていただきました 説一切有部からでてきたとは面白いですね 勉強になりました 
思うに釈尊は悟りを得て仏陀になられたのだから、仏陀という言葉は以前からあったわけですよね ストーパ崇拝も大乗仏教からといわれてますが、釈尊以前からあったとは考えられないでしょうか
法華経は長いあいだ正統な経典だと考えられてきましたが月影さんのサイトからもわかるように否定的な意見が多いですね

しかし何とか法華経を応援してその正当性をとりもとしてあげたいと思うので独断と偏見により以下のように仮説を考えます

釈尊以前に仏教はあった ちょうどユダヤ教からキリストがでてメシアとなったように仏教から釈尊がでて仏陀となった 仏陀という言葉は釈尊が悟りを得る以前からあった 釈尊の前に何人も仏陀がいるように仏陀信仰があった ストゥーパ崇拝もすでにあった 釈尊は仏教の改革者であり、仏教の教えの多くはここからでているが、仏陀信仰の従来の仏教もデーバダッタを中心として信者を集めたり、また小乗仏教のなかにも混ざったりしていき続けた 大乗仏教は釈尊の直接の教えであるテーラワーダと従来の仏陀信仰の仏教の両方を受け継いでおり、法華経に好く表れている 法華経には無数の仏がでてくるがこれは仏陀信仰を引き継いだものである デーバダッタが善智識なのは仏陀信仰を引き継いだからである

従来の仏教の特質は無条件の信仰である テーラワーダにはそのような概念はない 正しい信仰という言葉はあるがそれは言ってみれば正しければ信じるという条件付信仰であり、信仰というより合理的な信念である 真の信仰は無条件の信仰でなければならないが、法華経は従来の仏教のこの信仰を受け継いでいる 法華経はかず多くの釈迦仏教の教義を引き継ぎながら、かつこの信仰の要素をも強調した 法華経の出自がいかに俗っぽいものだったにせよ、結果としてみればこの普遍的な信仰を敷衍する形になった たとえば歎異抄のなかで親鸞は信徒たちから「念仏を唱えれば地獄にいくという話を聞いたが本当か」と質問されてこのように言っている 「念仏を唱えたら地獄に行くかどうか知りたければ天台にえらい学者がいっぱいいるからそちらで聞いたらどうか 私は法然上人から念仏を唱えることで往生できると聞いたまでで別に仔細はない たとえ法然上人にだまされたとしても他に及びがたき自分であるから、念仏をとなえて地獄に言ったとしても悔いることはない」
このような信仰はテーラワーダの信仰とは異質である 親鸞の信心に合理的根拠などなくただひたすら念仏を信じているだけである このような信心は法華経などの大乗仏典にしかみられないのではないか それは旧仏教をうけついでいるからである

したがって法華経は旧仏教と釈迦仏教の両方を受け継ぐという意味で仏教のもっとも代表的な経典といえる 
お邪魔いたします。
デーバダッタ派というのは、興味深く読ませていただいていますが、逆に、今伝わっている全ての仏教について一応の基盤ともいえる”釈尊の仏教”と言われているものが、乱暴な言い方かもしれませんが、実は”マハーカーシャパ派”だったと言う事は考えられないのでしょうか?
ba-bu将軍さん、コメントありがとう
しかしこれはあくまでぼくの希望的仮説です 法華経に対する風当たりが厳しいので法華経をかばってあげたい気持ちなのですね

デーバダッタの仏教は厳しかったみたいですね 魚をたべではいけない 木の下に座していなければいけない 糞憎衣を着なければいけない 乳製品をたべてはいけない などあったらしいですね 釈尊は全部否定して中道を唱えました だから釈尊が悟りの前にスジャータから乳粥をもらって食べますが当時の仏教では禁止されていたらしいですね

デーバダッタの流れと直接むすびつくかどうかはわかりませんけど何らかの関係があったんじゃないでしょうか 月影さんの紹介されたサイトでは説一切有部と法華経が関係しているとありましたから小乗仏教の中にも旧仏教が混ざっていたんでしょうけど。釈尊の仏教は無神論に近いですからね 法華経のようにあんなに仏が多い経典は別のルーツからきたとおもうんですよね それとサーリプトラにしても釈尊の高弟の一人ですよ 釈尊より先に死んだという難点はありますが キリスト教でいえばペテロに相当する人物ですからね ペテロが死後最も高い評価を受けたのに比べ法華経ではサーリプトラの待遇は低いですよね 別の仏教の評価もはいっているんだと思うんですね

薬王菩薩もおっしゃるとおり、言われてみればテーラワーダの精神とは違いますよね 苦行と関係あるのかもしれませんね  

 
あなんさん すみません マハーカーシャバ派というのをぼくは知りません 教えてください
>あるる さん
すみません、仮にと言う話です。
大迦葉が主になって釈尊の滅後に結集をおこなって、釈尊の教えを集めたと言う事になっていますが、呼びかけに応じなかった者も多くいたと何かで読んだものですから、この最初の結集で集められた教え(経律)自体、釈尊の実際に説かれた教えに大迦葉と中の良かったグループのものとは考えられないかと言う事です。
あくまでも仮の話ですが、時間的地理的に有り得ないエピソードはともかく、法華経等、多くの経典郡は大迦葉による結集の呼びかけに応じなかった、或いは遠くに散っていた釈尊の弟子の系統が持っていた、釈尊の教えが後に再合流統合されたものではないかと言う事です。
マハーカーシャバの呼びかけに応じなかったというのは地理的に離れていけなかったというのではなくて、あえて行かなかったという意味ですよね そんなことがあったんですか ということは釈尊の生存中から分裂していたということですよね 釈尊の教団内部の分裂というのは戒律を中心とした分裂ですよね
釈尊の統制はあまりうまくいってなかったんでしょうか?釈迦の教団は釈迦の方針からいわゆる総本山のようなものはなかったらしいですから根本分裂というのも地域ごとに分裂したらしいですね ぼくにはよくわかりません

ただデーバダッタの教団というのは玄奘の大唐西域記に記述があるらしいですね 玄奘がインドに行ったときデーバダッタの教団があったことを記しています
 このトピ終わっていますが、コメント書こうかな。

 どうせ終わっているので、読む人もいないだろうから、ちょっと長く書いてしまおう。


・・・・・・・

大乗仏教の起源について

 私もどこかのサイトで、ブッダの入滅後、弟子達の派閥争いや主導権争いがあって、その主流派説が原始経典として残り、非主流派の教えが後に大乗仏典として成立したという仮説を見ましたが、仏滅直後には、弟子達の間に、瑣末な律について以上の見解の相違があったと考えるのは無理がありそうです。

 マハ−カッサパ尊者を座主として行われた第1回仏典結集では、ウパーリ尊者を律の誦出者、アーナンダ尊者を経の誦出者として、五百人の阿羅漢の同意を得たものをサンガのスタンダードとして確定したと伝えられています。

 その際、唯一問題になったのは、ブッダが最晩年、細かい律については廃止しても良いとアーナンダに伝えたという一件です。そのときアーナンダは細かい律とは何か、内容をブッダに確認しなかった。

 後になって、そのことをマハーカッサパに伝えたとき、アーナンダは厳しく叱責されたといいます。なぜ確認しなかったのかと。

 結果、すべての律がスタンダードとして確定された。

 それともう一つ、ブッダの生前に、すでに廃止された律があったらしいのですが、第1回の結集で旧に復し、律として確定された項目があったらしい。

 仏典結集のとき、遠方の地に伝道の旅に出ていたフルナ尊者は、後日マハーカッサパ尊者にそのことを確認したらしい。どうして旧に復したのかと。結局、それぞれが理解するところに従うという決着だったようです。これも結局、パーリ経典に記述があるらしいですが(なかったらごめんなさい)・・・。

 いずれにしても、原始仏教教団で見解が一致しなかったのは、もっぱら瑣末な律の条項に関してであって、上座部と大乗の相違のような、経に関するものは具体的には確認できないようです。

 仏滅後100年に起こったとされる根本分裂での見解の相違も、スリランカ伝では、瑣末な律の問題だったと伝えられています。

 一方、説一切有部伝では、マハ−デーヴァという比丘が、阿羅漢の完全性に疑義をはさんだことが原因とされているそうです。これは大乗仏教成立の遠因の一つかもしれませんが、よくわかっておりません。

 仏滅百年後以降になると、20もの部派が並び立つようになりましたが、この時代には主としてアビダルマとか論蔵の部分で大きく分裂していったようです。瑣末な経や律の違いもあったようですが、このような分裂から大乗仏教が直接生まれた訳でもない。

 結局、仏滅後400〜500年、紀元前後以降、ヘレニズム文化や西方のさまざまな文化・宗教の影響を受けて大胆に変容した仏教が大乗仏教だと考えるのが自然でしょう。

 物理的証拠として、この時期、明らかにヘレニズム文化の影響を受けたガンダーラ仏が誕生しています。

 ヘレニズム文化の特徴は、文化融合です。ギリシア、シリア、エジプト、ペルシア、インドなどの諸文化がモザイク状に入り混じるというのが特徴で、宗教学的にはシンクレティズム(混交宗教)といわれています。

 幾人もの学者が、大乗仏教にゾロアスター教、ミトラ教などのペルシア宗教の影響が見られると指摘しています。また、ヒンドゥー教の梵我一如思想やバガバット・ギーターの影響を見る学者もいます。

 キリスト教の三位一体思想と、法華経の如来寿量品の影響関係を論じたものもどこかで見ました。三位一体思想は、もともとミトラ教起源らしいとも聞きました。

http://matsuda.lolipop.jp/item/43

http://www.e-butsudan.com/02_butsuzou_2.html

 そもそも、部派仏教のアビダルマの発達に、ギリシア哲学の影響を見る学者もいるようです。

 さらに中国では道教、儒教などと混交し、日本では神道とか土着信仰と混交したことは容易に考えられます。

・・・・・・

 大乗仏教にブッダの仏教が大きなファクターとして、強く影響していることは誰が見ても疑う余地はありません。ただ、モザイク状に入り混じった作品から、原形を復元することが困難なように、大乗仏教のみからブッダの仏教を完全に復元することは、大変困難な作業であるとは言えるように思います。

 そのような意味で、他宗教の影響が格段に少ない原始経典やテーラワーダ仏教は非常に参考になります。
 法華経に関しても、西方宗教やヒンドゥー教との影響関係を論じた論文が結構あるようです。

 一方、法華経には、現代のテーラワーダ仏教が実践するヴィパッサナー瞑想についても肯定的に記述されています。


 「又菩薩の諸々の戯笑 及び痴なる眷属を離れ 智者に親近し 一心に乱を除き 念を山林におさめ 億千萬歳 以って仏道を求むるを見る」  −妙法蓮華経 序品第一−


 この一文だけから正念の修行を復元することは不可能ですが、テーラワーダ仏教の実践を学ぶと、この一文の意味するところが正確に理解できます。

 また、法華三部経の一つ、無量義経の説法品第二には、次のような記述があります。

「一切の諸法は念念に住せず新新に生滅つと観じ、復即時に生・住・異・滅すと観ぜよ。」

 これまた、この文章からそのように観じてくださいと言われても、到底実践不可能ですが、テーラワーダ仏教の実践をすると、何を言っているのか、これまた、正確に理解できます。

 このように、法華経には原始仏教の実践がモザイク状にちりばめられています。と、同時に、様々な宗教の思想が、仏教的にアレンジされて、これまたモザイク状にちりばめられているようです。

 原始仏教やテーラワーダを学んでから、再び大乗経典を読んでみると、新鮮な発見があるかもしれません。 
 ブッダはブッダ以前の仏教の改革者だったというのは、半分賛成です。

 瞑想の伝統は、アーリア人がインドに侵入する以前、インダス文明にまで溯ることができるそうです。

 インダス文明の遺跡から、足を坐禅の形に組んで座る人の絵像(印章)が出土しています。

 インダス文字は解読されていませんが、これが解読されると、かなりわかってくるかもしれません。もしかすると、インダス文明にはブッダがいたのかもしれません(妄想ですが・・・)。

 ただし、ブッダ以前の仏教が無条件の信仰だったというのには、賛成できません。おそらく、瞑想をして悟りを開くという伝統だったと推測します。

 ブッダの時代には、そのような非アーリアの文化がアーリア人にも流行し、サマナと呼ばれる自由思想家だとか、仙人と呼ばれる瞑想家だとか、遍歴の修行者だとかが多数現れたのだと考えています。

 その中で、非アーリアの古い伝統でブッダと呼ばれる存在になったのがブッダだったのではないかと・・・。つまり、ブッダは改革者ではなくて復興者だと言えるかもしれません。
 デーヴァダッタに関しては、ブッダに苦行主義的なルールを認めさせようとして拒絶され、分派したということらしいですね。

 苦行のルーツがよくわかりませんので、なんとも言えませんが、法華経の提婆達多品第十二の成立は結構遅いらしいですね。取って付けたように挿入されているように見えます。

 実際、12番を飛ばして読んだ方が、ストーリーの流れがスムーズです。あっても、なくても別に差し支えないような品です。

 ダイバダッタ教団関係者が、すでにほぼ出来あがっている法華経に、ちゃっかり挿入しただけなんじゃないでしょうかね。
 補足ですが、最も早く成立した大乗仏典は、般若経典群ですが、般若経の説く空は、明らかに、説一切有部の思想に対するアンチテーゼのようです。勢いあまって、四諦など原始仏教の教説もことごとく空に還元してしまっていて、個人的には、チョットやり過ぎではないかと思いますが・・・。

 それやこれや、複雑な影響関係が入り乱れて成立したのが大乗経典なのではないでしょうか。法華経には、先行して成立した般若経の影響もあり、これまた、法華経各所に、モザイク状に空思想が散りばめられています。

 あと、サーリプッタ尊者をはじめとするブッダの弟子達が、さまざまな架空の菩薩たちの下に位置付けられているのは、大乗仏典に共通した特色です。

 菩薩たちの原形は、いろいろな宗教の神々だという学者たちの指摘があり、もしかすると、大乗仏典を創作した人々は、これら西方宗教や、ヒンドゥー教出身の比丘・仏教徒たちだったのかもしれません。

 一つ言えることは、この時代の宗教の出会い方は、とても平和的だったということでしょうか。いろいろな葛藤があったかもしれませんが、宗教戦争を起こして、血みどろの殺し合いをしたのではなく、せいぜい議論、論争、思想的な対決と融合という形だったと言うことが出来そうです。

 なぜ、そうなったか。一つはヘレニズムの文化融合主義があり、もう一つには仏教やヒンドゥー教の非暴力があったと考えられます。
>大乗仏教にブッダの仏教が大きなファクターとして、強く影響していることは誰が見ても疑う余地はありません。ただ、モザイク状に入り混じった作品から、原形を復元することが困難なように、大乗仏教のみからブッダの仏教を完全に復元することは、大変困難な作業であるとは言えるように思います。

>法華経には原始仏教の実践がモザイク状にちりばめられています。と、同時に、様々な宗教の思想が、仏教的にアレンジされて、これまたモザイク状にちりばめられているようです。

いつも勉強になります。
目が覚めるようです。

仏教がキリスト教に与えた影響についても、
詳しく原典をあたりながら研究した資料を
以前もらったことがありますので探して読んでみます。
仏教ではないですが・・・。

イエス のいた頃、イエスの周りにはイエスのような新思想と不思議な力を持った聖人(神の子)と呼ばれる人が多く居たといわれます。

その当時、イエスの勢力は小さく、その他の新思想と救いを説く宗教が大勢を占めていたとされています。

では何故、イエスの教えを支持する人を獲得しにていったか・・・。

そこには・・・

サビヤさんの指摘する

>一つ言えることは、この時代の宗教の出会い方は、とても平和的だったということでしょうか。いろいろな葛藤があったかもしれませんが、宗教戦争を起こして、血みどろの殺し合いをしたのではなく、せいぜい議論、論争、思想的な対決と融合という形だったと言うことが出来そうです。

>一つはヘレニズムの”文化融合”主義があり、

この融合という手段でした。

キリスト教の 秘儀は ミトラ教の影響を また地母神や女神信仰(エジプトのイシス信仰)は、マリア信仰として、キリスト教の中に、その名残を残す事となる。

仏教も同じく 阿弥陀如来等は他国の国土の仏(イラン?イラク?ペルシャ辺り?)

また法華経には、異国の菩薩が多く出てくるのは、法華経成立の過程が グローバル化を視野に入れた布教のスタイルが反映されているからなのかも知れません。

考えすぎですかね?
>koyoiさん、
 過分なコメントを頂き、恐縮です。詳しい文献をお持ちとのこと、いつか内容をお分けいただける日を楽しみにしております。

>月影さん
 法華経など、初期大乗が成立したのは、クシャナ朝時代の西北インド〜アフガニスタン〜中央アジアあたりと推測されています。

 当時のこの地域は、さまざまな人種・文化・宗教が入り乱れて、極めて国際色豊かな状況だったといいます。ものすごいグローバルな状況だったというか・・・。そのなかで一番有力だった宗教が仏教だったようです。

 他宗教出身の有力な知識人が仏教の比丘になるといったケースも珍しくなかったでしょう。ゾロアスター教やミトラ教の教義を熟知した者が比丘となり、仏教の経典をも熟知し、独自の視点から仏教をベースとした混交宗教を作り出したのではないでしょうか。

 私は大乗仏典は漢訳法華経しか詳しく知りませんが、これを創作した人々は、西方宗教の知識と、原始仏典の知識と、両方に通じていた人々だったんじゃないかと考えます。

 ある学者は、新約聖書のヨハネ福音書の内容と、法華経のエピソードの流れが、完全にダブっていることを指摘しているそうです。そして、東方シリア教会に伝えられるトマス福音書には、イエスの死後、聖トマスがインドにキリスト教を伝えたと記録されているそうです。時期的にもピッタリです。

 いまでもインド西海岸には、聖トマスを祖とするカトリックでも、プロテスタントでもない古いキリスト教徒がいるのだそうです。

 法華経は、ある意味大変おおらかで、論理的整合性とか、首尾一貫した組み立てなどはあまり気にせず、矛盾は矛盾のまま平気でほっといて、とにかくいろいろな思想をはめ込んで出来あがっているように見えます。月影さんがおっしゃるように、いろいろな文化・風土に適応可能なスタイルを持っていると言えるのかもしれませんね。

 ただ、この時代の仏教は、インド北西部から中央アジアも含めて、長らく説一切有部が主流派として繁栄しており、同時に大乗仏教も行われていたという状況で、保守的な仏教と、シンクレティック(混交的)な仏教が同時に存在していたという形ですね。

 ある程度混交しないと、その土地に根付かないが、シンクレティズムが進みすぎると、その土地の文化・風土・土着宗教の中に埋没してしまう。

 インド本土では、ヒンドゥー教と混交しすぎて、仏教が弱体化してしまったと言われています。中国でも、朱子学の中に吸収合併されて弱体化してしまいました。

 ひるがえってキリスト教の場合、原始キリスト教への回帰運動として、修道会が機能してきたように見えます。

 結局、ある程度混交した仏教と、原型的な仏教が、よい意味での緊張関係を持ちつつ、並存する形が維持できれば、一番いいのではないでしょうか。この問題では個人的にずいぶん悩んできましたが、どうやら結論らしきものが見えてきたところです。

 二つの中心点を持つ楕円のイメージが浮かんできました・・。
こういう様々な見解を聞ける場というのは実に面白いですね。皆様見識豊かで面白く読ませて頂きました。
>サビヤ さん、
 文献を探し中ですが、まだ見つかりません。
出てきましたら必ずお送りします。

また類似の文献も、もし、見つかりましたら
お知らせしますが、
引越しを何度も何度も繰り返したため、
どこに何があるのかよく分かりません。
失ってしまっているかも分かりませんので、
あまりあてにはなりません。

そのときは許してくださいね。
koyoiさん、ありがとうございます。了解しました。

 私も引越しは数回経験致しましたが、私の場合、結構大変な作業量で、知らないうちに、膨大な量の品物を溜めこんでいたことに唖然としたりしました。
ごめんなさい 、まだ出てきません。

「百済 康義」という人の作成した資料だったような気がします。

以下検索してみました。


百済康義さんはトカラ語の研究に生涯を捧げた人のようです。






出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



トカラ語は、現在の中国新疆ウイグル自治区(東トルキスタン)のタリム盆地のオアシスで話され、書かれていた印欧語派の言語。


歴史

トカラ社会では仏教が奉じられていた。8世紀までに死語になっていった。トカラ語の話者(トカラ人)はウイグル語の話者(ウイグル人)に合流してしまったとみられる。

[編集]印欧語族として
1905年に文献が発見され、詳細が明らかになった。サンスクリット語のように、ブラーフミー文字で書かれた西暦500〜700年頃の文献で知られる。インド・ヨーロッパ語族に属し、ケントゥム語群に入るが、独自の特徴をそなえていて一つの独立した語派をなすとみられている。印欧語族の諸言語のなかでは、最も東の一言語だった。またほぼ同時期に発見されたトルコの死語、ヒッタイト語も、トカラ語と共に印欧語族の中で特異な位置をしめ、印欧語族の研究が再度複雑化した。



方言

2つの変種(方言)が知られている。
▪ A方言(アグニ語、東トカラ語)
仏教関係の用語が多い(トカラ社会では仏教が奉じられた)トカラの名、はウイグル人がA方言をトフリ(Toxri)とよんだ事に由来する。このネーミングは、本来の意味とは少し違うのだが、現在ではこの名が定着している。
▪ B方言(クチャ語、西トカラ語)
医学・僧侶の出納簿・旅券等の用語が多い。フランスのレヴィ(S.Levy)が研究した他、

<<龍谷大学の百済康義>>により解明された。





「中央アジア出土イラン語資料」(図録編、研究編)全2冊
百済 康義
法蔵館
1997




「イラン語断片集成」

龍谷大学善本叢書17
百済康義/吉田豊編
A4
上製函入
360
38,000

 このような学者の方がいらっしゃったんですね。存じ上げませんでした。

 留意して見てみます。情報ありがとうございました。
>釈迦は仏教の教祖ではなく改革者であったといわれています。デーバダッタを中心とした過去仏崇拝の保守的な仏教がすでに存在しててその流れの一部を受け継いでいるのではないか 。


う〜ん。まったく考えたこともなかったので、とても面白い学説だと拝聴させていただきました。
>>[16] インダス文明にも仏陀はいたと思いますよ。
今まで分離宗教だったのは、9次元大霊(宇宙からの使者も)が分かれていたからですね。

で、今は統合されて新たな神宗教を作りましょう!とのことです。
>法華経を最初に読んだとき、冗漫な文章や中身の乏しさから、下らない読み物だと思いました しかし最近読み返してみて・・・

おっしゃるように初めて読むと法華経は終始、自己宣伝ばかりの大仰な経典のように感じられたりしますね。しかし仏教について深く知ってから、丁寧に読み直すと、さまざまに学ばされたり考えさせられるところも少なくないと思います。
>>[32]

そうした指摘を教えていただけることはとても尊いことです。
私たちは何となくモヤモヤした感じをいだきながらも、そのモヤモヤの正体をはっきりとした言葉にしてみないままにやり過ごしてしまうことが多い。
ああ、確かにそういう点に何だか私たちの心はモヤモヤしていたんだなあとサビアさんに教えられました。
>>[32]

違いますね
縁覚の悟りと仏の悟りは全く違います。
仏の悟りが唯一の悟りとするならば
縁覚はまだ悟ってません。

縁覚の悟りは例えで言えばニュートンの
万有引力です。
りんごが落ちるという縁によって
万有引力を悟ったです。

これは真理の一部かもしれませんが
真理そのものではありません。
真理そのものを悟るには仏の教えが
必要不可欠です。
逆に言えば、声聞縁覚は聞けば一分を
悟れるという意味では境涯が高いと言えますが
その分自分だけ高まれば良いとの思い
に囚われ菩薩のような他の人への
慈悲心が薄いため法華経以外では
仏にはなれないと説かれています。

なので、整合性はちゃんとありますよ。
サビヤさん
大変申し訳ありません、私は学問というか哲学というかそういう面でやり取りするつもりはありません。
私は仏教は正しい教えを正しく修行することで初めて得られる教えであり信仰で初めて真実が見える宗教だと思ってます。

凡夫の我々の限られた頭で理解し解釈して述べても仏法の真髄は到底理解できないでしょう。また詮無いことだと思ってます。
仏法は信から始まります、しかし、盲信というのもありますから、実際行じてみた結果が全てだと思ってます。
その上から私の習う教えは間違いないと確信しておりますし、生活でも考えられない結果を得ております。

ですので、申し訳ありませんが、サビヤさんの仰るような方面でやり取りするつもりはありませんのでご了承下さい。

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