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現代史家・秦 郁彦コミュのヒストリーとクロニクル

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ヒストリーとは、His storyを語源にする。聖書のその後をきちんと書き記したかっただろうとは、想像に難くない。西洋人にとって実証主義的歴史学とは、元々ある「正史」を吟味することにある。
しからば、日本における歴史学は何を「正史」とするのか。田母神問題をはじめとする所謂「歴史認識」の問題は、戦後の日本に於いて「正史喪失」した事がその根本なのではないか。

実証主義も科学的手法も客観的立場も、相対主義とひとくくりにして間違いないと考える。相対化の限界は、量子論・ゲーデルですでに科学的に実証されている。故に実証主義的史実解明は「完全」たり得ない。それは究極、何が正しいのか・正しくないのかの証明不可能を意味する。

 だからと言って、なんでもありと言うのではない。今の日本に於いて「歴史」と言う訳語を使用するのであれば、歴史学を「年代表記学」と言い換えるとか、特に歴史教育、外交問題の「歴史」からは一線を画すべきと考える。田母神論文の趣旨とは、まさにそこにあり、部下の幹部自衛官ですら戦後の歴史教育(GHQの意図通りの)の呪縛から抜け出せない。(いわんや外交官、官僚、政治家・・・)
いくら閣下と呼ばれていても、一人の軍人の論文の枝葉末節に権威が、プロが採点を加え、教育問題・外交問題に触れずとは、嘆きの極みである。

(*秦先生、南京事件の死傷者は4万人ですか?しかし、「ナンキンジケン」とは、「ダイギャクサツ」として日本に止まらず世界的に流布されていて、外交問題教育問題に大きく影響しているのです。実証主義と言いながら、「中間を取れ」とは、いかにも論理矛盾。ノーコメントを貫くべきでは?虐殺者数とは言わず、死傷者数と言い換えた、それが学者の正義でしょうか。)

コメント(28)

田母神論文の問題については置いておきまして、南京事件についてですが、秦先生が今から40年以上前に上梓された『日中戦争史』という著作がありますけれども、同書によれば中国側史料の数はかなりの加算が認められ、市民の被害は1万2千乃至4万2千程度ではないか、とされていました。当時はマルクス主義史観全盛のころでありますから、この記述だけでも南京事件論争に一石を投じたものとわたくしは考えています。

さて、南京事件の死傷者4万人ということですが、これは南京事件で被害にあった死傷者すなわち不法殺害・傷を負ったものの総数ということでありましょうか。秦先生の説によれば、南京守備軍の総数を台湾公刊戦史が10万人としていることから、これを採用し、戦死者3万人、不法殺害3万人、生存捕虜1万5百人、脱出成功3万人、不法殺害された市民1万人となっています。

不法殺害4万人となりますが、これは上限であって、実際はこれを下回るであろうと先生は言っています。先生の本をお読みになれば分かるとは思いますが、むやみやたらに中間を取っているわけではなく、戦闘詳報だとかを、それなりに分析した上でとりあえず4万人とされているようです。
>1
返信恐縮です。秦先生に抱いていた人物像は自己紹介トピックに書いたとおりで間違いありませんが、論稿(諸君;最終号)を拝読するのは初めてです。数回のアサナマにご出演での情報しかありませんでした。ここで貴方の恩師を貶めるような申し訳なさもありますが、秦先生を第一人者と見込んで、現在の歴史認識問題についての議論をさせていただければ、と思う所存です。

歴史学の現在の在り方で言えば、南京事件・陰謀史観などに意見を求められれば、客観的乃至否定的な見解になる事は理解できます。しかし、論争相手の京大;中西教授は政治学畑ですから、国際政治学・国際関係学的見解を述べられているのでしょう。政治・軍事学で言えば諜報活動は各国当たり前の事です。諜報活動があれば、工作員と工作活動があります。これらを歴史に加える事は、一次資料が出てきてから、と言うのが歴史学的立場なのでしょうか。そうであれば、100年以内には、歴史学はノータッチとすべきでは?現在の国際関係を政治的分析を加えて行けば、コミンテルンの諜報工作活動は考えないなどとは、口が裂けても言えません。コミンテルンと言えば実体は曖昧ですが、はっきりソ連と言い直せば、よりリアルなのでしょうか。
政治学からこれらの要素を取り除いては、存在意義を失ってしまいます。故に歴史学は、現在の政治的問題には触れるべきではないのではないでしょうか。

 更に、歴史学は歴史教育からも一線を画すべきです。完全な実証済みの歴史などあり得ないのですから、いつまで経っても日本正史は出来上がらない。そう言っている間に子供たちは成長して行きます。どうしましょう。
 田母神論文を「軽すぎる」とのご見解でしたが、字数制限のある論文で子供たちに言って聞かせるべき素晴らしい歴史物語である、と私は思います。戦前の「現人神天皇」には無理があり、反対の立場にいる私ですが、平泉澄氏の「物語日本史」も同様に素晴らしい、と常々思っています。

秦先生は、「学問的」「理論的」「実証」とお使いになり、それはもちろん「科学的」と言う事でもありましょう。故に客観的であり論理的でなければならない。そこで、近代国家:ネーションステートである日本の政府は国家運営の実権を担います。政府の実権は国民の総意でもあります(建前だとしても、論理的に)。日本国を継続的に存続維持するために、義務教育が施され、税金を納めます。民主主義国家ですから、国民の合意を得られなければ運営不能ならずとも、生産性低下は必至です。その為の方策としての国民教育に於いて、現在に歴史学は、歴史教育は必要であるとの見解かあるいは不要との見解かどちらなのでしょう。もし必要であれば、どのような歴史教育がなされるべきとお考えなのか。
 日本には徴兵制がありませんが、国民国家である以上国民皆兵は基本原則です、何故なら国家の意志とは国民の総意だからです。
 日本には不戦平和イデオロギーが強くあります。それを国民の総意と捉えるなら、たとえ侵略を受け凌辱されようとも座して死を待て、との教育も必要であると、考えられますがいかがでしょう。
秦先生は歴史家ですが、歴史教育の専門家ではありませんので、如何なる教育が「正しい」のかという議論はほとんど述べられることはないと思いますが、歴史家の視点から見て、史実の間違いについてはかねてから色々と指摘されています。如何なる歴史教育が妥当なのか、議論があるところでしょうが、1つ間違いなく言えることは、合理的な論拠が無い説は教えるべきではないということでしょう。お話に出てきたコミンテルンの話は、張作霖爆殺事件の事でありましょうけれども、河本大作が張作霖爆殺事件の犯人であることを示す論拠はたくさんあるのに、一方のコミンテルン犯行説の論拠となるべきGRUやGPUなどの諜報機関の一次資料の裏付けはなく、今までの経緯から考えてもコミンテルン犯行説というものは成り立たないと先生は指摘していますし、わたくしもそう思います。かような説が教科書に史実として書かれるのであれば、それには反対しなければなりません。

田母神論文については、確かに「軽すぎる」と書きましたし、今でもそう思いますけれども、ここは、当コミュに参加されています他の方の意見なども拝聴したいところです。
>3

張作霖暗殺に関してと、特化したのでは無かったのです。秦先生も反・陰謀史観と言明していらっしゃいますので、あのように申し上げたのです。実際のところ、当時の先進国、日本も含め列強国に於いては、コミュニズムシンパに非ずんば知識人に非ず、といった風潮が御座いました。これは具体例を提示するまでも無くソ連崩壊まで続いたことですね。
 元・外交官の佐藤優氏の著書に詳しく在りますが、ソ連におけるユダヤ的思考とユダヤ系の存在。そして彼らの諜報活動及びその戦略的工作を知れば、当時の混沌とした中国大陸に在って、張作霖事件に限らずソ連(コミンテルン)の影響を捨象するなどとは、大きなミステイクと言わざるを得ません。
 日本にとって、明治維新以来の最大の脅威はロシアであり、列強から非難轟々の満州国建設も対露戦略のためですね。
 一方のロシア・ソ連から見ましても、最も避けなければならないシナリオは、独日の二方面作戦決行にあります。ナチスドイツと闘いながら、背後を日本に突かれたくない。もちろん日本にはソ連を取るなどとの意志は皆無と言って好いでしょうが、「ユダヤ」はそうは考えません。ご存じのように流浪の民の必死の処世術であり哲学ですね。
 軍事学的セオリーから言っても、仮想敵国の軍事プレゼンスを自国に向けさせない事はごくごく当たり前の話です。八路軍そして蒋介石を支援する米国に、その工作の重きを置いた事は、一次資料としても十分にあるのでは無いのですか?
 ルーズベルトの明らかな関与、その証拠が挙がったとは私も知りません。がしかし、ハル長官の側近、ハルノート作成担当者2名はレッドパージによって、ソ連へ強制送還されている事は、ご存じでしょう。

こういう事から、歴史の正史を持たないお国柄で、外交問題歴史認識問題に「実証主義的歴史学」が関与する事は、論点のずれを来たし、混乱した不毛の議論となります。

因みに「軽くない」数千と言う字数制限の日本近代史は現存しますか?
話がかなりの広がりを見せておりますので、気になるところだけ。歴史学というものは実証主義が当然のものだと考えておりますから、コミンテルンの大謀略であろうがなんであろうが、それが合理的な論拠で以って主張できるのであれば大いに結構な話だと思います。田母神論文を読むと、コミンテルンに動かされていた蒋介石によって戦争に引きずり込まれ、その上、コミンテルンの工作を受けたルーズベルトの罠にはまって日米戦争が始まるというのですから、確かに話は面白いのですが、一体全体、如何なる資料でこれを論証できるのか、註が無いのでどうすることもできませんが、わたくしが読む限り、失礼な言い方だけれども、これは田母神氏が「そうであって欲しい」という願望をただ連ねただけではないかとまで思ってしまいます。いずれにしても、出所のない主張こそ、水掛け論、それこそ不毛の論議となりましょう。

田母神論文が「軽い」かどうかですが、旧軍出身の自衛隊幹部が著した戦史モノと比較するとそのレベルの違いに唖然とするのはわたくしだけではないはずと勝手に思っていますが、もちろん「子供たちに言って聞かせるべき素晴らしい歴史物語」との見解もあるということで、それはそれで尊重したいと思います。

田母神論文への秦先生の批判は『WILL』2009年2月号をご覧ください。
http://web-will.jp/backnum/index.html#page_top
>5
>旧軍出身の自衛隊幹部が著した戦史モノ

実証主義者としては、経験者の話と比べて戦後の軍人の話は軽いと感じられたのでしたら、当然のことと思います。貴方も秦先生も田母神論文の趣旨をまるで理解されていないという事でしょうね。
 秦先生は、歴史学講座の学生を確保するためにあえて「歴史学の効用」を紹介すると述べておられます。(諸君;最終号)歴史学に限らず、物事の本質を知ろうとすればそのものの歴史を知ることは必須です。政治史、経済史、科学史とそれぞれあります。しかし、単純に「歴史学」が存在などしないのですよ。必ず「枠組み」があり、或る命題に特化した「歴史」しか存在しないんです。科学学問とは「枠組み」の中に存在します。

実証主義者としては、井沢元彦氏の「逆説の日本史」を否定されるでしょうか。論理学的に言って、実証的研究も井沢手法も論理的手法である、と言って好いのです。どちらも帰納的推論に則っておりますよ。
本当に申し訳ないのですけれども、田母神論文の趣旨がいかなるものであるのか、もはやわたくしにはあまり興味がない話なので、これ以上深く掘り下げることは打ち止めと致しまして、歴史は政治史、経済史、科学史とそれぞれ枠組みの中に存在するということですけれども、カーを引き合いに出すまでも無く何を「歴史」と称するかという話ですが、これも私は御免こうむりたいお話です。1つ言えるのは、ランケ以降の近代歴史学の基本は「史料批判」であって、政治史だろうが、外交史だろうが軍事史だろうが、原史料の外的、内的批判の上に成り立ちうるということでしょう。

田母神論文が「軽い」ということを明らかにするために、例として旧軍出身の自衛官の話を出しましたが、それでは如何でしょうか、著名なところでいえば、旧軍出身の人たちが編纂した『戦史叢書』が一番良い例でしょうか。土門周平氏(55期)は先輩の原四郎氏(44期)が著した戦史叢書の『大本営陸軍部 大東亜戦争開戦経緯』を下敷きにして書いた『参謀の戦争』を教科書として、陸自幹部学校で『大東亜戦争開戦経緯』を長年講義してきた方です。こういった方々が幹部学校で軍事史を教育されていたということであれば、まだ納得がいきますが、田母神氏が統幕学校で氏の論文に書いてあるような軍事史教育をしていたとすれば、それは問題であろうと考えます。

戦史叢書をどれか1冊でも読まれたことがおありでしょうか。ちょいと、目を通すだけでそのレベルが分かるというものです。これは字数制限という問題ではありません。

『逆説の日本史』はタイトルだけは知っているけれども、読んだことはありませんのでコメント不可です。
このトピックの論旨にも興味がなさそうですね。

決定的な「史実」認定もされていない事柄による”政治的問題”に、歴史学の学者が「実証主義」をもって批判する事の無意味さ、非論理を指摘しているのです。
論理厳密性の高い自然科学に於いても、法則すら「仮説」です。社会科学分野は実験が出来ませんから、実証は無理でしょう。実証的に、つまり極力「科学的」にやって行こうという訳です。張作霖爆殺事件に関しても、「謎」が存在します。秦先生が主張している説も「今のところ、当学界における最も妥当性の高い有力な仮説」と言う事ですね。真珠湾攻撃の前の米国政府、ペンタゴンにも「謎」が存在します。その「謎解き」に対して、アブダクションと言う手法を用いて妥当性・整合性を満たす仮説構築する。これは「科学的手法」です。まさに、井沢氏の歴史へのアプローチ。

専門家は井沢氏の研究を認めないのでしょうか。その訳を聞かずとも推察するに十分ですが。実証主義と言うからには、その手法の意味を良くお考えください。このままでは、歴史学など存在理由を失い、考古学だけで良いという話になりましょう。
歴史学は自然科学とは違い、普遍的法則を求めるものではないのは当然の話ですが、これまた申し訳ありませんが、あまり価値のある話だとは思いません。話が続けば続くほど混乱するばかりです。「決定的な史実認定」とはでにあんさんにとっては、如何なる人物が行うこととなるのか聞きたいところですが、かような抽象論はおいておいて、具体論で申し上げます。田母神論文が、でにあんさんの言われるとおり「子供達に言って聞かせるべき」レベルのものだとするのであれば、今までの通説を飛ばして張作霖爆殺事件がコミンテルンの陰謀という言い出すのであれば、それを示す論拠を教えていただけますか。田母神論文には「日本は相手国の了承を得ずに軍を進めたことはない」など本当なのですか。

井沢氏についてはまったく分かりません。
>10

そろそろ潮時でしょうね。科学哲学的素養が皆無でいらっしゃる。普遍性を求めない学問など何の価値がありましょうや。真実・真理・本質、これらを求めて止まないのが、有史以来人間が継続してきた営為ではありませんか。

科学理論とは、「抽象・捨象」された説明原理を言います。ですから、秦先生はじめ歴史学の方々が、「科学的手法」としての実証主義を採用するのであれば、それを否定するものではりません。しかし、科学的手法は他にもあるという事です。そうであれば自ずと、実証主義以外の科学的歴史学が存在しても何ら問題ないのです。
巷間良く言われた、「軍部の暴走」「軍部独裁」「西洋的帝国主義と植民地経営」「覇権主義」、これらのタームを用いて日本の近現代史を観れば、所謂「通説的日本史」は宗教学・政治思想史・倫理学的立場から見ると矛盾が多いのです。整合性を持たない。故に、ルーズヴェルト個人の意志・事実はともあれ、国益重視・覇権主義の当時の米国政府は、何としても対独参戦したい状況があったとするのが、政治学的な合理的判断でありましょう。もちろん、ルーズヴェルトの指示書などは発見されていません。実証されていませんね。しかし「状況証拠」としては、十分ですね。それを、近代法的に「逮捕(決定)」は出来ないがゆえに「捨象」される事はいかがなものでしょう。政治学的には、「ルーズヴェルトの陰謀」は蓋然性・妥当性を広く認められています。

科学的と言うのは、論理的でなければなりません。論理矛盾や大きな論理飛躍はご法度です。論理的と言うのは、数式の解法のごとくあるという事です。
私が「田母神史観は正しい」(命題A)と支持した時、反論するなーる☆日本甘味党さんは・・・・・・、

>「日本は相手国の了承を得ずに軍を進めたことはない」→これは明らかに間違いだ。(命題B)

と仰る。
科学理論法則とは真理・本質を言う訳ですから、すべての現象について「全称命題」化する事です。その法則を否定する時は、たった一つのと特称命題を示せば良い事になります。
故に命題Bで命題Aを論理的に否定する事になります。

しかし、ここで私は引き下がれません(笑)。
命題Aは正しく言えば「近代国家日本国に於いて、義務教育として採用される近代日本史としてかくあるべき。」としての主張です。
それに対して命題Bは、日本人・日本政府・日本軍などを特定しない抽象的な「日本」と言う語句を使っている事、そして「了承」との表現は国際法に則った「宣戦布告」を言うのか、外交的現場レヴェルまでも入るのかは曖昧です。この命題は特称命題とは呼べません。
更に、そもそも命題の主旨が違います。養老先生の言う「壁」がありますね。
議論続行は私も難しいと思います。今後、歴史学界が科学哲学的素養を加えて、大きな成果をもたらしてくれる事を、門外漢として期待します。


私はこのトピックをROMっていましたけど、私の感想としては、なーる☆日本甘味党さんの意見に全面的に同意します。
私もなーる☆日本甘味党さんのご意見に同意です。
冷静なレスポンスに感服いたします。

こちらのコミュがトピ主の方に合っているのでは
http://mixi.jp/view_community.pl?id=3798792
本当に悲しいことではありますが、わたくしも、でにあんさんとはつくづく「壁」を感じます。歴史認識の問題でも、通常は何らかの史料が提示されて、それを基礎に話されるべきところ、でにあんさんは一次資料の1つも提示されずにあなたの都合のよい解釈で以って歴史を語られているのですもの。わたくしは日本にとって都合が良かろうが悪かろうが、合理的に史実として認められるのであれば、それは素直に受け入れるように訓練されていますけれども、どうしてもそれが出来ない方がいるようです。根拠が薄弱でも、日本に都合が良ければそれを検証することなく採用するなどといった態度の方です。申し上げたくはありませんが、わたくしから言わせて頂けば、田母神氏であって、でにあんさんなのです。秦先生の言われる「見たくないものは見ない」方々なのです。

マルクス主義史家ではありませんが、歴史の普遍的法則を求めたいという試みをされているのであれば、わたくしは議論したいとは思いません。そういった試みを尊重したいと思います。
>14
>一次資料の1つも提示されずにあなたの都合のよい解釈で以って歴史を語られている。

張作霖事件の歴史学の通説は知っています。しかし「謎」がありますね。資料が出て来ない以上どうしようも無いという訳です。しかし、政治的社会的諸問題に於いてそれでは整合性が取れないのです。歴史学の通説に新たな二次資料三次資料も含めて、より整合性の高い歴史を構築しようとする事の何がいけないのでしょう。極めて偏狭なセクト主義と批判します。


>わたくしは日本にとって都合が良かろうが悪かろうが、合理的に史実として認められるのであれば、それは素直に受け入れるように訓練されていますけれども、どうしてもそれが出来ない方がいるようです。根拠が薄弱でも、日本に都合が良ければそれを検証することなく採用するなどといった態度の方です。申し上げたくはありませんが、わたくしから言わせて頂けば、田母神氏であって、でにあんさんなのです。秦先生の言われる「見たくないものは見ない」方々なのです。

張作霖事件など無かった、などと申し上げたでしょうか。私が述べた事に反論や批判をする事ではなく、「態度」批判とは。さらに「都合よく」も失礼な物言いです。トピックからここまで私の論理に間違いでもありましたか。歴史とは大事なもので、自然科学、社会科学などあらゆる知識を総動員して為すべきものと認識しています。科学哲学の「素養」すらない貴方がたにこそ、「見たくないものは見ない」態度と言うべきでしょう。

>マルクス主義史家ではありませんが、歴史の普遍的法則を求めたいという試みをされているのであれば、わたくしは議論したいとは思いません。そういった試みを尊重したいと思います。

決定的に勘違いされていますよ。マルクス主義的進歩史観はレヴィ・ストロースによって反証されています。
「普遍性」の意味も誤解されている。普遍と言うのは、あまねくどこにでも在る、と言う事。歴史の普遍性と言えば、日本史にも米国史にも、およそ文明の歴史には「在る」ものを指します。それこそが人間の人類の本質、真理です。その為のアプローチがいろいろある。そのいろいろが各学問分野と言う事です。ですから学問の到達点は「真理法則」。是非ご認識くださいますように。
秦先生と田母神論文の件で討論した西尾幹二氏は、歴史について「地球上のどこにおいても妥当する客観的な法則で貫かれているわけではない。」と自著で書いていますが、これはわたくしもそうだろうと思います。自然科学ならばまだしも、歴史についても普遍的法則を探求するというなどという試みは、昔の発展段階説というものは聞いたような気がしますが、現在の歴史学界でもかような試みが主流なのかまったく分かりません。ただ、わたくしが学生時代に読んだ論文などで、普遍的法則を発見しようなどという大それた論文は皆無だった気がします。これは別に歴史学に限らず、例えばわたくしが学生時代に勉強した法律学についても、「法についての普遍的な法則」を求めようとすることが到達点なのか、わたくしにはどうも理解が出来ません。いずれにしても、「歴史の客観的法則」についての論議は、これ以上続ける気はありませんので、これで打ち止めと致したいと思いますので、ご了承ください。

その他の見解については、後で申し上げます。
ちょうど、先ほど思い出しました。昨年11月の「続・言いたい放題」で西部邁氏が田母神論文に論評を加えておりますが、でにあんさんと西部邁氏とは「近い」ということですけれども、如何。このトピックをROMされている方も一度ご覧ください。

http://www.mxtv.co.jp/nishibe/youtube/detail/20081122_KM0000208276.html
>18
>なーる☆日本甘味党さん

西部氏の話を26分も聞くのも億劫なので、私は遠慮しておきますw
でにあんさんと西部氏の相違にも関心はありませんし。

>15 科学哲学の「素養」すらない貴方がた・・

その中には当然私も入っているのでしょうな。
確かに、でにあんさんと真っ向にやりあえるほどの「科学哲学の「素養」」など、私にはないですな。
というか、でにあんさんは議論を仕掛ける場を間違っていると思いますよ。
この秦氏のコミュやいわゆる歴史系コミュではなく、哲学系、科学系、論理学系、あるいは政治・外交系のコミュでやるべきなのではないでしょうか。

ゼロポストに田母神論文のことが書かれてあるので、でにあんさんの言う「科学哲学」の方法でその検証でもするのかと思っていましたが、むしろ、田母神論文を題材に歴史理論の方法(でにあんさんは違うと言うかもしれないが)を滔々と語っているように思えます。
議論しようとする方向が全然一致していないので、なーる☆日本甘味党さんとの会話も食い違ったまま互いがイライラしているように見受けますが。

「「諸君!」の秦郁彦論文はここがおかしい! 具体的には・・・、科学哲学的には・・・」といった流れならわかるんですがね。

しかるべきコミュに行けば、でにあんさんの歯ごたえのある論者も多々いると思いまし、そうしたコミュを探した方がいいのでは。でにあんさんも秦氏の著書などをほとんど読まれていないようですし、ここでいつまでも不毛な議論を繰り返すより、よほど有意義だと思います。
>18

かの論文に関してここ半年の論争をある程度踏まえて新たな「視点」からの問題提起として、このトピックを立てた心算なのですが。
西部先生と私が「近い」事とこのトピックの議論とどのような関連があるのでしょうか。引用のMXTV番組の西部先生の発言はかの論文に批判的ですね。私とは違います。その辺を詳しく述べろと言われればやぶさかでは御座いませんけれども。

>16

たとえば、「人間は必ず戦争をする」・・・・。これ「歴史学的法則」と言っても良いのではありませんか。どこの国の歴史にも戦争が色濃くあります。こういう事を普遍性と呼びます。西尾先生とも近い歴史観を共有すると私は感じておりますが、いかんせん、近代政治哲学の専門家ですから、科学哲学・論理学に通じていらっしゃいません。(西部先生にも同様の疑問を持ちますが)その上、議論下手ですね、西尾先生は。いつも感情的になり教条的です(笑)。

西尾先生の仰る歴史学における「客観的法則」という表現自体がまずい。近代の学問に於いて「法則」とは客観的なのは当たり前の事。私は、資料の検証を否定している訳ではありません。「実証主義」自体を批判しています。検証されなければ、何の科学、客観、論理が在りましょう。張作霖爆殺事件の実証→侵略行為→侵略国家・・・・これでは「歴史」では無いのですね。なぜやったのかどうやったのか、資料がない以上より整合性を高めるために、宗教学・倫理学・心理学なども用いて推察する。そこで論理矛盾のない妥当性の高い立論が出来れば、なんら非科学などでは無く、論理学に則った正しい方法論です。

歴史学は個人の歴史ではなく、民族や国家などの共同体がどのように生きて来たかを知る学問と認識します。その中で権力を持っていた者の個人の歴史は深く知る必要はあります。しかし一般人一人の歴史は捨象しますね。話は少しそれますが、平泉澄先生のお弟子さんが、「農民の歴史をやりたい」と先生に申し出て「豚に歴史は在りますか?」と答えたと言うエピソードがあります。戦前の皇国史観を断罪する時に持ちだされ、当時の歴史の大家の非人道性を指摘しています。しかし平泉先生の著書に目を通せば、その非難は誹謗中傷である事が判ります。確かに「豚」と言う語句は誤解を招きやすいとは思いますが。

話を戻します。要するに歴史とは人間がやってきた事を知る事ですね。ヒトゲノム解析が済んで、人種差別の論拠など生物学的に発見されなかった、こういう認識は重要だと思います。進歩史観でもなく唯物史観でも無い、歴史学の到達地点は在る、と信じなければ何の学問か、と思います。人間が物理学的で生物学的で化学的で心理学的で政治学的で経済学的なのではありません。その学問自体、人間が生んだものです。これらの学問すべてが歴史学に関わる事でしょう。

子供が成長するには親・先祖の歴史は必要ですね。人格形成・アイデンティティ構築、社会性の獲得のために。たとえ自分の親が悪辣非道と世間からの鼻つまみ者との誹りを受けていても、子供には「でもお父さんはこういう人だった」と肯定的な教育が必要です。或いは取るに足らないと思しき父を持ったと感じても、「父は父なりに頑張ってきたんだ」と。
過去の否定を教育すれば、革命家が育つでしょう、あるいはアナキストが。私は西部先生同様「保守派」ですから(笑)、革命は否定いたします。
更に今の日本は、近代国家です。近代国家の国民として肯定的な歴史を教わっているでしょうか。私はそう思いません。肯定的で在りながら、一部にはこういう事もやってしまった、と言うのなら受容します。しかし、公的機関の持つ歴史認識は、東京裁判〜サンフランシスコ条約〜村山談話です。日本の公式見解として受容出来ません。いまだにくすぶる他国からの賠償請求とそれに迎合的な外交政策、これも許容できませんね。
張作霖、南京、731、真珠湾、原爆・・・・。これらのタームの繋ぎ合せの判で押したようなマスコミ主導の歴史観では、到底永続的な「近代国家日本」が在るはずもなく、一般国民だけでなく幹部自衛官ですら戦後の誤った公的歴史観に毒されている、と田母神閣下はお嘆きなのだ、と私は思います。それこそがかの論文の主旨である、と。

少し長くなりました。申し訳ありません。

>19

議論参加、恐縮です。私の名前の間違いなど取るに足らない事です。許容します。貴方だけではありませんし(笑)。
しかしながら、書かれた事はすべて主観です。どれも返答のしようの無い事です。不毛、との形容ですがいささか無礼な物言いです。同時に私の表現力の限界、と反省も致しますが。
少々の私の理性を使って、終息させようとしましたが、なーる☆日本甘味党さんが、なんとか持ち直せないか、と知識人の気概を見せて頂いています。そのあたり敬意を表しています。有意義な議論になればいいのですが。
「歴史の客観的法則」については、これは平行線ということで、わたくしとしてはこれ以上申し上げることはありません。

わたくしなどの史実へのアプローチの方法と、でにあんさんの「科学哲学」によるアプローチの方法とは異なっていることはよく分かりましたが、申し訳ないけれども、わたくしは特定の政治目的の為に歴史を勉強したわけでもありませんし、何度レスを読み返しても承服できません。でにあんさんは田母神論文や平泉澄氏の主張の如き特定の歴史観を学生に教え込んで、ある種の目的を達成(生産性の向上など)したい、余計なことを言い出す歴史家は黙ってノーコメントを貫け、ということなのでしょうけれども、どうやらこれも平行線になりそうです。

何度か話に出た平泉澄氏の『物語日本史』はわたくしもだいぶ前に読みました。小堀桂一郎氏が『物語日本史』を教科書代わりに使ってはどうかなどという話を書いていたと記憶していますが、それでどんな本なのかと気になったのです。皇国史観の大御所が書いた本だけあって、読み物としては面白かったけれども、専門家の批判に耐え得る本なのか、本当に教科書として採用できるのか疑問が残った気がします。もっとも、中世史の専門家が古代から近代まで一人で書いているのですから、意地の悪いことは言えませんが。


>nagao_eijiさん
この番組、結構好きなんです(w
>21 でにやんさん

大変失礼しました。貴方のお名前を間違って記載しました。
心よりお詫びいたします。
わたくしも今気が付きました。お詫びいたします。>HN
>22
>わたくしなどの史実へのアプローチの方法と、でにあんさんの「科学哲学」によるアプローチの方法とは異なっていることはよく分かりましたが、

そのような相対化は誤りです。私は「科学的手法」を認める立場です。もちろん実証主義的歴史観も肯定します。一次資料が必要十分に揃っている史実に何の文句もありません。しかし「謎」に対してアブダクション(帰納法の一つ)によって整合性があり、妥当性の高い矛盾の無い仮説構築(井沢史観など)がなされるのなら、それも認めます。秦先生も科学的・客観的・論理的な歴史を望んでおられる事はほぼ間違い無いでしょう。その秦先生が、実証主義以外の歴史仮説を否定する事は、論理矛盾なのだと申し上げています。ここへの書き込みの動機もまさにそこにあります。

>申し訳ないけれども、わたくしは特定の政治目的の為に歴史を勉強したわけでもありませんし、何度レスを読み返しても承服できません。

私に最初に「イデオロギー」が在ったわけではありません。また対立的にどちらかの味方と言うような偏狭な視野に固執しているつもりもありません。極めてロジカルにどうあるべきか、と常日頃考えております。ですから、議論である以上、ロジカルな判断をして頂きたく思います。「承服出来ない」の意味は、ロジカルな理解なのか、感情的なご意見なのか判別できません。ロジカルな意味であれば、ご指摘ください。

>でにあんさんは田母神論文や平泉澄氏の主張の如き特定の歴史観を学生に教え込んで、ある種の目的を達成(生産性の向上など)したい、余計なことを言い出す歴史家は黙ってノーコメントを貫け、ということなのでしょうけれども、どうやらこれも平行線になりそうです。

伝統保守、民主主義肯定の立場から外交問題・教育問題を命題にする時、悲惨な社会問題への処方箋をも考え合わせますと、今まで述べて来たような結論に達する、と言う事です。
敬意を抱いて来た秦先生にはせめて「ノーコメント」を貫いて欲しかった、と言う事です。昨日ネット検索していましたら、秦先生も「教科書をつくる会」に参加しているではありませんか。そうであるならば、秦先生にもかくあるべき歴史観を提示する責任が発生すると思います、日本的倫理観から言えば。

(>22,23・・・・・名前に付いてはお忘れください。ご丁寧にありがとうございます。)
いくら話し合いを続けても、振り出しに戻るばかりかもしれません。そういったわけで、抽象論は止めにして、当初から話に出ている張作霖爆殺事件を例に取りますけれども、でにやんさんの「科学的手法」なるものでは、いかなる論拠で以ってコミンテルン犯行説が推論できるのか、わたくしには理解に苦しむところです。歴史を語るには少なくとも文書、ヒアリング等の材料がなければならないところ、そういったものが提示されず、「方法論」が延々と語られ、そして「謎」が残ると。

かつて日本軍による慰安婦の組織的強制連行問題が騒がれたときに、それを裏付ける公的史料が1つも見当たらなかったことから(逆の史料は見つかっている)、そういった事実はなかったと力説しても、文書は敗戦時に処分された、あるいは政府が隠しているという人たちが一部にいて、時の河野洋平氏も「強制連行の命令書は日本軍が処分したと推定もできる」と言っているそうですが、その人たちにとっては「謎」が残るのでしょう。秦先生曰く、こういった方々には「どんなことを言っても駄目」ということですから、ある程度で見切りをつけて諦めなければならないようです。

でにやんさんの立場では、田母神論文は教科書に記載できるということだけれども、秦先生はノーコメントを貫けということ。わたくしは歴史小説や、でにやんさんがいう「歴史仮説」を否定するものではありません。ですが、今回について言えば、それはあくまでも所詮、読み物というかそのレベルの話で、教科書に記載して学生に教示するなどといったレベルのものではないと考えます。もちろん「仮説」でもそれなりの論拠がある場合は1つの説として教科書に併記することが歴史家からも認められるでしょうが、先に挙げたコミンテルン犯行説など、いかなる論拠で持ち出せるのか分かりません。まさか、「当時のコミンテルンの状況から忖度するとコミンテルン犯行説が有力」等といった風が吹けば式の「歴史仮説」であれば、御免こうむります。

『物語日本史』についても、先ほど読み返したら相当問題があると見受けられます。例えば満州事変の項。これでは日本がまるで被害者ではありませんか。張作霖爆殺事件についても、「奉天で爆死し云々」、柳条湖事件についても「鉄道爆破があり云々」と、歴史的重大事件について、ふと自然に湧いたような記述。誰がやったのかわけがわからない。この項だけ見た学生は、両事件とも中国側の仕組んだものだと勘違いするかもしれません。とにかく、日本の都合の悪いことは記載しないという「方法論」なのでしょうから、そういった読み物として読めば面白いことは事実です。ただ、学生にこの歴史観を注入せよとなれば、それはどうなのか。

「新しい歴史教科書をつくる会」についてですが、現在は分裂してどうなっているのか、わたくしには分かりません。この会が出来た当時、秦先生が会員にはなっていないけれども、賛同人になっていたのは事実です。ただ、賛同人だからといって、歴史観を開陳しなければならないということはないし、「ノーコメント」でも大いに構わないと思います。逆に、中国側が主張する南京虐殺30万人説などいろいろあるわけですから、秦先生など、大いに持論を展開してもらった方がよいと考えます。私見ですが。
>26

とてもとても開かれたコミュニティとは呼べませんね(笑)。
コミュ主は貴方でも、トピ主は私のはず。私の問題提起に興味が無いのなら捨て置いて頂ければよろしいのに。
民主的で論理的な議論であれば、私の論理矛盾を突く、或いはより有力な理論を展開する、これしかないと思います。

河本大佐の思想背景及びその処分については、「謎」とされています。そこを掘り下げたいのであれば、謎の無い貴方の歴史観を是非ご披露ください。そうすれば、立証責任は貴方に移動します。私は私の言い分を、私なりにいろいろな表現で説明しているつもりです。

抽象論を無視した「科学」など無い事を是非ご認識を。
実はわたくしもこのトピックにレスをするかどうか迷ったのですけれども、当コミュは停滞状態が続いておりますし、多少は管理人としての「責務」もあると思いコメントをしました。わたくしも分かりやすく自分の考えを述べているつもりですが、話し合いもどうもかみ合いません。

ただ、「とてもとても開かれたコミュニティとは呼べない」とは大いに心外です。今のところ当コミュは参加者を制限しているわけでもありませんし、公序良俗に反しない限り、基本的にはいかなる書き込みも歓迎致します。わたくしがでにやんさんの見解と異なる書き込みをしているからといって、でにやんさんを当コミュから排除しようという意図でしているわけでもありませんし、それは当コミュニティの性格とは無関係です。南京虐殺100万人説というものが東大の某教授によって紹介されたことがありましたが、かような説を唱える書き込みでも、基本的に歓迎いたします。但し、かような書き込みがあれば、わたくしを含めて当コミュに参加されている方々から質疑が出ることが予想されます。そういった質疑や反応は困るという方々は、やはり別のコミュを探していただくことにはなろうかとは思いますが。

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