特に60年代に吹き込まれたバディの作品は特筆すべきものが多く残っており、74年に発表された編集盤I Was Walking Through The Woodsは60年〜64年にかけてのチェスでの録音を集めたもので、バディの破天荒なプレイかがたっぷりと味わえる最高の一枚。R&B調のナンバーからスロー・ブルース、ジュニア・ウェルズとのシカゴ的なナンバー、熱いヴォーカル・ナンバー…と様々なスタイルを披露しつつも一本ビシッとスジの通った豪快さがいつまでも色あせない!
1 I've Got My Eyes on You (04:10)
2 Sweet Little Angel (07:49)
3 Talk to Me Baby (03:57)
4 My Time After Awhile (07:41)
5 I've Got News for You
6 Damn Right, I've Got the Blues (07:42)
7 First Time I Met the Blues (06:59)
8 Ain't That Loving You (05:48)
9 Let Me Love You Baby (05:48)
バディ・ガイ(本名 ジョージ・ガイ)。1936年7月30日、ルイジアナ州バトン・ルージュ近辺のレッツ・ワースに生まれる。バトン・ルージュで見たブルースが、その後の将来を決定づけた。ギター・スリムである。彼が「The Things That I Used To Do」をヒットさせた後というのだから、当然50年代中期に入っている。既にギターにのめり込んでいたバディはさらにのめり込んでいく。
Buddy 「あの頃よくやったのは、ギター・スリムの「The Things That I Used To Do」、B.B.キングの「Sweet Little Angel」、ボビー・ブランドの「Futher On Up The Road」、それにリトル・リチャードの「Lucille」だった。」
1957年9月27日、バディは約100ドル片手にシカゴへと旅立つ。早速、名門チェス・レコードへデモテープを持って向かう。この時、バディはギター・スリムを気取って真紅のズボンにグリーンの上着という今思うと???な服装で行ったそうだ。しかし、この時期チェスではチャック・ベイリー、ボー・ディドリーなどのロックン・ロールに力を入れていて、マディ・ウォーターズ、ハウリン・ウルフなどの看板ブルース・ミュージシャンの人気は峠を越していた。この時期、エルヴィス・プレスリーも自分のルーツであるブルースを捨て「Love Me Tender」などのポップ・バラードを歌いはじめていた。 当然、田舎から出てきた時代遅れのバディは相手にもされずに失意の内にただフラフラしていた。そんな折に、ある白人男性に道端で出会い意気投合し、サウスサイドで当時1番有名であった「708クラブ」に行く。ここでオーティス・ラッシュと出会うことになる。ここでバディはちょっとだけ有名になる。店では『あのルイジアナ出身のギターは誰だい?』と皆知りたがるようになっていった。ここでシカゴ・ブルーズ界一の大物、マディ・ウォーターズと運命的な出会いをする。ちなみにサラミ・サンドイッチをご馳走してもらったそうだ。
マディとの出会いの後、一晩25ドルのギャラで708クラブで週3回演奏するようになり、他の仕事も舞い込むようになり、憧れのプロの世界に飛び込むこととなった。ある晩、King Of Bluesでお馴染みのB.B.キングが現われ、バディの演奏を食い入るように見つめ、何とB.B.の初シカゴ公演の前座に抜擢される。そしてバディは最大のレコード会社チェスとは反対の最少のレコード会社コブラと契約する。このコブラとはオーティス・ラッシュ、マジック・サムも契約を交わしていた。しかし、バディはコブラとは姉妹レーベルのアーティステックにシングル1枚をレコーディングしただけだった。このレコードは見事空振りに終わり、コブラも次第に勢いがなくなる。そしてバディの初契約は倒産という形で幕を閉じる。また708での活動に戻り、そして遂にチェス・レコードと契約を交わす日が訪れる。1960年3月2日、記念すべきチェスでの初レコーディングが行なわれる。この時期がバディにとっての最重要期となる。この日レコーディングされた「First Time I Met The Blues」を初め、翌61年12月にレコーディングされた自作曲「Stone Crazy」など、数々の代表曲をこの時期にレコーディングした。しかし発表できたのは8年間でシングル10枚のみだった。
Buddy 「コブラやチェスはいいブルースの曲を作っても認めちゃくれないんだ。」
1967年、バディはチェスからヴァンガード・レコードに移籍することになる。その際の契約金は1400ドルで、最新型キャデラックを即購入している。翌68年、自身初のレコード「A Man And The Blues」をリリース。同年2枚目のライヴ・アルバム「This Is Buddy Guy」をリリース。翌69年、ようやくチェスから「Left My Blues In San Francisco」、70年に「I Was Walkihg Through The Woods」、72年にヴァンガード最後となる「Hold That Plane!」をリリースする。ここからバディ不遇の時代が始まる。
1979年まで、レコード会社との契約はなく、ライブとセッション活動に明け暮れる。この間に不遇とはいえ、ジュニア・ウェルズとのセッション・アルバムは何枚か発表されている。しかしアメリカでは全く相手にされず、ヨーロッパのJSPレーベルと79年に契約を交わす。79年、シカゴにバディが開いたチェッカー・ボードという名のクラブでライヴ録音された「Live At The Checkerboard Lounge」、翌80年「Breaking Out」、81年「D.J.Play My Blues」と3作をリリースする。同年アリゲーター・レーベルから79年録音の「Stone Crazy」がリリースされる。
またもや契約がなくなり、音楽シーンから姿を消したバディはまた、ライブとセッション活動に明け暮れる日々を送ることになる。そして約10年ぶりにシルヴァートーンというレーベルと契約を交わすことになる。そして91年、バディ復活作「Damn Right , I've Got The Blues」をリリースする。このアルバムにはジェフ・ベック、エリック・クラプトン、マーク・ノップラーなどが参加し、全世界で60万枚のセールとなった。この年、グラミー賞を受賞しバディは復活を遂げる。93年シルヴァートーン2作目となる「Feels Like Rain」をリリース。ボニー・レイット、ポール・ロジャース、ジョン・メイオールなどが参加する。94年、3作目となる「Slippin' In」を発表。バックバンドは故スティーヴィー・レイ・ヴォーンでお馴染みのダブル・トラブルが務める。96年、バディ自身が経営するクラブ・レジェンズでのライブを録音した「Live The Real Deal」を発表。98年、ジョニー・ラングが参加した「Heavy Love」を発表。そして01年に新鋭ファット・ポッサム・レーベルに呼ばれ、ミシシッピで録音した「Sweet Tea」を発表する。