前FSB幹部Aleksandr Litvinenkoの最近の毒殺事件に関する最も驚くべきことの一つは、彼の文字通り死ぬ間際のイスラムへの改宗だ。最初は、このあり得ない展開を信ずるに足る理由が無かったが、徐々に確認にされてきたこの話はLitvinenkoのチェチェン抵抗勢力、もっと衝撃的な進み行きとして、Osama bin Ladenのテロ組織アルカイダとの協力関係に関する幾つもの疑問が浮かんでくる。
静かな改宗 Litvinenkoのイスラムへの改宗の第一報は、この前スパイの死の後、チェチェン大統領府からのプレスリリースからであった:「Aleksandr Litvinenkoは、イマワの際に自発的にそして忠心よりイスラムへ改宗していたことがわかった。それゆえ、彼は‘戦いの同士’であるだけでなく、‘信仰の兄弟‘となったのである。」(Chechenpress, November 26)。この予期せぬ展開の発信元がわからなかったが、このニュースがロンドンにいるチェチェンの代表でありLitvinenkoの個人的友人・隣人でもあったAkhmed Zakayevからでていることが明らかにされた。改宗のニュースは、明らかにLitvinenkoの何人もの友人を驚かせた。
この奇妙な話を信ずる理由は何も見当たらなかったが、最後にスパイの父親Walter Litvinenkoによって確認された。彼は、息子の深まっていたロシア正教会との仲たがいについて話した。彼の死の2日前、Litvinenkoは父親にイスラムへ改宗する決心をしたこと、モスリムとして埋葬されたいと望んでいることを話した(Kommersant, December 4)。Zakayevは、Litvinenkoが病気になった直後に改宗の話題を切り出し、Zakayevから促すわけでもないのに繰り返しその話題に戻って行った、と言っている。最後には、Litvinenkoは、朗読する者のイスラムへの改宗の意志を示すshahadahを朗読した。ZakayevはLitvinenkoの強い要請により、スパイの死の前日に適切なコーランの祈りをささげる導師の用意をした (RFE/RL, December 5)。
Zakayevは最近のあるインタビューで、poloniumによる毒殺はLecha Ismailovを含む何人かの重要なチェチェン人の囚人に対し既に実施されていると主張している(Frankfurter Allgemeine Sonntagszeitung, December 3)。参考にされているのは、軍人Ruslan (Hamzat) Gelayev 将軍に近かった退役野戦司令官Lechi (‘The Beard’) Islamov のことに違いない。両者ともチェチェン南部の Komsomolskoye出身である。“Shaykh Mansur の特任部隊”の司令官ととして Islamov は、2000年グロズヌイ包囲の後に捕らえられ、人質を取ったこと‘武装グループを組織した’罪により9年の懲役を言い渡された。ロシア法務局には、Islamovは2004年心臓と腎臓の病気と、‘いくつかの皮膚アレルギー’の合併症により死亡したと記録されている(Grani.ru, April 26, 2004)。しかしながらIslamovは、数人の正体不明の男達と刑務所内で会った際に毒を盛られたと信じられている。その男達はIslamovと「生と死」について話し合っていたようで、その間、茶とサンドイッチの山を彼に強く勧めていたようだ。会合後の数分のうちにIslamovは深刻な病状になったが、数日もの間治療を受けられず、代わりに、他の刑務所に移されて行った。 Islamovの弁護士によると、司令官は臓器不全に見舞われた。最後の日々のIsmalovのいくつかの症状は、Litvinenkoの症状と似ていた。彼の弁護士がその状態を表現する。「彼は話が出来ず、頭髪や髭まつげまで失いまったくの無毛になり、頭や手から皮膚が粉々に剥けていた」(Kommersant, April 4, 2004)。医者達はIslamovを急速に蝕んでいくこの病気を診断することも何らかの治療を施すことも出来なかった。Zakayevは、Litvinenkoのまれな健康があったからこそ核汚染が発見されるに十分な時間生き延びることが出来たのだと主張している。過去の健康でなかった核汚染による被害者は、10日以内に死んでいた。polonium-210の痕跡はZakayevの車からも発見された。
ロンドンにおけるチェチェン共和国代表でるZakayevは、殺人、誘拐、拷問の容疑でモスクワによるいくつかの犯人引渡し活動の対象である。ロシアの主張はたいへん疑わしかったので英国の判事により無視された。例えば、Zakayevが殺したとされる正教神父は彼自身の殺害の異議申し立てに現れた。今では、ロシアがLitvinenkoの死の調査への協力の見返りにZakayevと亡命しているロシア新興財閥Boris Berezovskyの引渡しを要求するというレポートがある(The Times, December 6)。
汚い爆弾とスーツケース核 改宗のニュースが広まった後、多くのメディアが過去に遡り、Litvinenkoをロシア同様西側諸国をも脅かす「イスラム過激派」へ押し上げた。英国のSunday Expressタブロイド紙は、警察当局と対テロ専門家がLitvinenkoが「汚い爆弾」の製作でアルカイダに協力していたと疑っていると報じた (Sunday Express, December 3)。テレビ放映されたロシア人「核専門家」の発言者は、Litvinenkoがロンドンの地下研究所で働いており、チェチェン過激派の為に「汚い爆弾」を準備していたと主張した(NTV, December 3)。ある通信社は、Litvinenkoは実際に、「汚い爆弾」を爆破するのに必要な最後の材料であるpolonium-210を扱っていて被爆してしまったと示唆した(RIA Novosti, December 5)。もうひとつのロシアの機関は、この「汚い爆弾」説を繰り返しながら、「アングロ−アメリカ」の治安部隊がLitvinenkoの死にロシアを巻き込む為に、ロンドン周辺の核汚染の跡をつけたと非難している(Isvestiya, December 5)。The Washington Timesは、「単にもうひとつのAllahの名による復習殺人ではないか?」と問いかける(Washington Times, December 5)。もっと信用できない、インターネットの情報源では、Osama bin Laden がアメリカに対して使う為にチェチェン武装組織から「スーツケース核」を購入したという前から信じられなくなっていた疑いを復活させている。これらの物語は、Litvinenkoがこれらの武器に使うpoloniumを基調とする起爆装置を取り扱っていて、昼飯のスシに出かける前に指先からpoloniumの跡を消し忘れたと広めている。