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「倫理」が好きコミュの大阪経済大学 2010年度 倫理学入門

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いよいよ12日月曜日から新学期の「倫理学入門」が始まります。
今年は『長編哲学ファンタジー 鉄腕アトムは人間か?』をテキストに行います。
なにぶん、人数が多いのでプリントはwebから直接学生の皆さんが行っていただくことになりました。授業に出席する前にその箇所をプリントして持参してください。

やすいゆたか著作集第二十一巻『長編哲学ファンタジー 鉄腕アトムは人間か?』
http://www42.tok2.com/home/yasuiyutakapdfyou/shoin/atom.pdf
物語の展開にそって講義を進める。各回のテーマは以下の通り。
(1)ファンタジーの前にー倫理学とは何か?
(2)バーチャルとリアル
(3)青春の悩み
(4)ロボットの生存権、人間はロボットか?
(5)自由意志、主体性とは何か?
(6)ロボットの創造性、人を演じるロボット。創造性とは何か?
(7)感じる身体、感性とは何か?
(8)進化しない人間身体、進化し続けるロボットの身体能力。
(9)自己意識により固まる服従プログラム、自由を求めずにいられない。
(10)主と奴の逆転、フリと心、ロボットだって心を持てる。魂とは何か?
(11)国連本部に出撃、過去世のドラ焼き、愛と永遠について
(12)クローン人間の悲哀、文明の自己疎外
(13)知性体ならロボットも人間か?人間の再定義
(14)物の存在構造としての人間、ネオヒューマニズムとは何か?

コメント(29)

詳細情報
講義内容 ー倫理学入門は、『長編哲学ファンタジー鉄腕アトムは人間か』をテキストにして、自己意識あるロボットの出現によって、人間とは何かが改めて問い直されるという想定で、人間とは何か、人間としての生き方、および人間社会のあり方を一緒に考えたい。倫理学とは人間とは何か、人間としての生き方や人間社会のあり方を根底的に問い直す学問である。その意味でこの教材は、倫理学入門にふさわしいと思われる。ファンタジー形式で物語を楽しみながら人間論に親しんでもらいたい。

講義方法ー 『長編哲学ファンタジー鉄腕アトムは人間か』を使って分かりやすく説明するので、高校で倫理を習ったことがなくても理解できる内容である。ただし根本的に人間とは何か、人間としての生き方、社会のあり方を原理から捉え返すということは、それ自体大変なことである。それは直接自分自身への問い、自分が生きるということの意味を問い返すことである。大変苦しく、また難しいことである。そのことを覚悟して取り組んで欲しい。

学習上の注意点 ==【自主学習について】==テキストはWEBページ「やすいゆたかの部屋」からダウンロードとして印字しておくこと。
物語なので、一応読んで持参していることを前提に講義を進める。だから前もって読んでいないと、内容が理解しずらい。疑問点をしっかりチェックして、講義を受け、質問すること。

==【到達目標について】==勝手な解釈ではなく、それぞれのポイントをしっかり押さえられるようにすること。
==【受講に際して】==分からないままに済まさないで、調べたり、質問したりして食い下がること。自分が精神的に成長するための労を惜しんではならない。
評価方法 出席、リポート、定期試験を総合して評価する。

欠席が過半に及んだ場合は、四回生でも単位は認定されないので、その点留意して受講登録すること。

テキスト 「やすいゆたかの部屋」の表紙に『長編哲学ファンタジー鉄腕アトムは人間か』のコーナーにPDFバージョンがあるので、それを開いて印字すること。
http://www42.tok2.com/home/yasuiyutakapdfyou/atom.pdf
参考文献 その都度講義で紹介する。

学生への要望 欠席が多いと、それまでの展開を踏まえての議論が多いので理解できなくなる。だからできるだけ欠席はないようにすること。欠席者はテキストをしっかり自習し、分からないところは質問に来ること。

春学期の講義に集中しすぎると授業に支障がでるので、秋学期でも受講可能な場合は秋学期に登録すること。

mixi「倫理が好き」に「大阪経済大学倫理学入門」のトピックを設置してあり、そこに連絡や要望の書き込みや補充てきなことを紹介するので、できればアクセスすること。

オフィスアワー ・授業後、講師控え室で質問を受け付ける。

http://www7a.biglobe.ne.jp/~yasui_yutaka/ 「やすいゆたかの部屋」
mixi「人間論および人間学」mixi「倫理が好き」コミュニティ管理人
初回の講義はいかがでしたか?やはり3時限目は人数が多すぎてざわざわしていましたね。次からは机間巡視を入れて講義しましょうか。

それからテキストを印字してきた人がほとんどいませんでしたね。次週には必ず間に合わせてください。家にプリンターがない人は大学のサービスを利用してください。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~yasui_yutaka/ 「やすいゆたかの部屋」
の表紙の『長編哲学ファンタジー 鉄腕アトムは人間か?』PDFバージョンの
「PDFバージョン」の上をクリックするのが一番早いようです。『長編哲学ファンタジー 鉄腕アトムは人間か?』の上をクリックしますと「HTML」版になってしまいます。多少内容が異なりますし、問いなどもありません。

初回のテーマとしては「倫理学とはなにか?」です。

 倫理学は哲学の一部です。哲学は物事を根源的に捉え返し、一から誰もが納得できるように筋道を立てて論理的に展開する営みなのです。ですから倫理学も人間とは何か、人間はいかに生きるべきか、そして人間関係である社会はどうあるべきかについて、原理的にから考え直し、誰もが納得できるように展開する学問です。

 ちなみに「倫」とは人の輪という意味で、「輪」は「和」に通じ、人間関係を成り立たせる「理」つまり「ことわり」、「理屈」を展開する学問が倫理学だということです。

 そのためには「人間とは何か」が分かっていなければなりませんね。それで倫理学は人間学だということを和辻哲郎は強調しました。『人間の学としての倫理学』(岩波書店)では、「人間」は単に個人であるだけでなく、同時に社会であり、その弁証法的統一だとされています。だから人間学だからといって、身体的諸個人や人格的諸個人ばかりを扱うのではなく、その間柄、人間関係をも問題にしていくわけです。そしてさらにそういう視点を発展させて、社会的諸事物や人間環境も含めて人間のあり方を捉え返していく倫理学が、21世紀には求められていると言えるでしょう。

 「鉄腕アトムは人間か?」というファンタジーは、そういう新しい時代の倫理学に焦点を合わせています。
ーーーーーーーーーーはしがきーーーーーーーーーーーーーーー

人間機械論?(人間が機械であるという説)
機械人間論?(機械が人間だという説、機械も含めて人間を考える)
ネオ・ヒューマニズム?(社会的諸事物や人間環境も含めて人間を論じようという考え)
バーチャル・リアリティ?(仮想現実)
フィクション?(虚構)
問、新しい時代はファンタジーで思想を語るのに相応しい時代だという理由を説明しなさい。
冷戦終焉後は、新しい時代のイメージが暗中模索状態なので、夢の世界をさすらうファンタジーの形式で、思想を語り、一から問い直して、大胆な発想の転換や、さまざまな思想の冒険的な試みをするのにふさわしい時代だといえる。

一、『鉄腕アトム』の意義

ロボットに対する反応
?欧米型―マイナスイメージー人間に取って代わる、人間を支配しようとする。導入に否定的
?日本型―プラスイメージー生産性を高め、人間を楽にする「心優しい科学の子」。科学の究極の目標は人工人間―導入に積極的

問、どうして手塚治虫は戦後日本の思想を代表する人物なのですか。
人間に対する脅威になると考えられていたロボットを「心優しい科学の子」=鉄腕アトムとして描くことで、恐怖心を取り除き、ロボット技術で世界をリードして、日本を技術大国にした手塚治虫の功績は大である。

  二、あなた一人が億千万人

 この自分がファンタジーの登場人物でしかないんじゃないかという存在の不安を「ソフィーの不安」(現実の世界が幻想に思え、確かに生きているという手ごたえが感じられない)

 問、どうして一人の生徒に教えることが、億千万の生徒に教えることになるのですが。
一人ひとりは皆の中から生み出された皆の現われであり、皆は一人ひとりの集まりなので、一人の生徒に教えられたら、その教育は皆の教育に広がるから。

 孫文の話―孫文は医者になっていたが、医者では救える患者数は限りがある。政治家や革命家は国民全体や人類を救うことができると思って、革命家に転進した。その志はすばらしいが、政治家や革命家のエリート意識が表れている。
医者だって実際に診れる患者の数には限りがあるが、いい医療を施せば、他の医者もいい加減な医療はできなくなる。教師も一人にいい教育ができれば、万人にいい教育ができることになる。ラーメン屋が極上のラーメンを作れば、まずいラーメン屋は成り立たなくなる。ラーメン革命である。どの職業も作る数、サービスできる人数に限りはあっても、すべての製品を生み出し、万人にサービスしているという普遍性があることを自覚しなくてはならない。決して政治家や革命家だけが人類を救うのではない。

問、小説とファンタジーではどう違うのですが。
小説は現実を表現するために虚構を使うので、その虚構はいかにもありそうに描かれる場合が多い。そこで現実を見直したり、批評されたりする。ファンタジーは現実にはありそうもない世界を幻想的に作り上げるので、もしもあったらどうだろうという興味がそそられる。いずれもそこで生きる人間の生き方、社会のあり方などが考えさせられるので人間論としての共通性はある。

 四、電脳空間のバーチャル・リアリティ劇

問バーチャル・リアリティ劇とはどんな劇ですか。
直接立体映像劇を催眠状態の脳に見せて、あたかもそれが現実であるかに思い込ませる。そして過去の記憶を一時的に忘れさせ、その登場人物になりきらせて、バーチャルリアルを現実として生きさせる劇である。だから役を演じているという意識はない。
ただし現実にはそういう設定の劇は実現できないので、そういう設定の物語にして普通の高校生が急に人類の命運を背負ったら問いう設定のフィクションとしてしか作れない。

 五、バーチャルリアルの夢

八十年の人生を三時間で演じることができるか?
過去のほとんどは消去、人生は束の間のドラマ

問、どうして陽一や智子にバーチャル・リアルティ劇を演じさせてもかまわないと榊先生は考えているのですか。
智子の「ソフィーの不安」は当たっていて、智子も陽一もファンタジーの登場人物だから、精神的にどんな衝撃にも作者は耐えさせることができる。榊先生は作者の分身的な存在なので、榊先生は作者の意識を代弁することができるから。
問、大学進学は何を基準にすべきでしょう。
自分が最も関心のある分野の学問を専攻すること。その際自分の将来の職業選択と結び付けておけば、勉学に対する動機や熱意が冷めないので、自分の将来設計を見据えて選択すること。

医師になって死の問題を解決できるか?むつかしいが他に方法はない。陽一は全能幻想が強い性格である。鉄腕アトムも不死願望の一つの解決である。自己意識あるロボットは、修理し続ければ不死を保つことができるかもしれない。

死にたくなくても死ぬ、これこそ人間だ。

問、人類の未来と自分の役割ついてどう思いますか。
一人ひとりが人類の現われなのだから、一人ひとりが創意工夫をすることが、皆が創意工夫をすることにつながり、一人ひとりの頑張りが皆の頑張りにつながるので、人類が大変な困難を抱えていても、とてもちっぽけな自分の力ではどうにもならないと思わないで、自分の頑張りが皆の頑張りになることを信じて、まず隗からはじめよ精神で、取り組めば、人類の未来も開けてくるはずである。

自己意識を持つロボットができれば、それは人間だと榊は言いたいらしい。

自己意識の発生とは他者の発見であり、自己と他者の人格的対他関係の成立である。

交換の成立を契機に私的所有が成立し、人と人、人と物、物と物が対他関係として把握されるので、世界を物から構成されているとみる物的世界観が成立する。

対象を物として捉えることで、実体・属性的な対象認識が成立し、それに照応して、主語・述語の文法構造を持つ言語が成立するという理屈である。

問、榊先生によると人間はいかに発生したのですか。
交換の成立によって、人格的な人と人、人と物、物と物が互いに他者として意識されることになり、それぞれが実体と属性を持つものとされたので、主語・述語的に表現される言語が発生して、知が無限に蓄積される構造ができて、文明が発生する道が開かれた、この過程人間の発生である。

問、ネオヒューマニズムを簡単にまとめるとどういう人間観ですか。
経済や環境問題などで、人間を捉える場合は、人間の範囲を身体やそこに宿る人格に限定せずに、社会的諸事物や環境的自然、組織体なども人間と捉え返した人間論も必要であるという新しい人間観。人間を動物の一種類として捉えるのではなくて、事物の存在の仕方の一つとして人間を捉え返す。

三輪智子の白雪姫コンプレックス
養父 三輪和夫(夢で智子を犯そうとする)
    l
実母 三輪 薫(夢で智子を殺そうとする)
    l −――三輪智子
実父 橘 亮一
    l −不倫
   草薙輝美(三輪和夫の婚約者)

問、白雪姫コンプレックスとはどんなコンプレックスですか。
母と娘は一体感が強いが、一方で母が娘に若さと美しさを吸い取られている思い込み、母は娘に憎しみや殺意を抱き、娘は母の憎しみや殺意を恐れる、母娘間のコンプレックス。

問、智子の悩みはどうしたら解決するのでしょうか。
とりあえずは、受験に集中して、その問題から逃避すること。できれば大学生活は下宿して、家族から距離をおけばいい。やがて恋人ができたり結婚したりすれば解決するかもしれない。                        

問、中東問題はどうしたら解決できるのでしょう。
榊先生のアイデアでは、国連本部をエルサレムに置き、パレスチナ全域を国連軍の管轄下で武装解除し、ユダヤとアラブで折半した上で、連合国家にする。その上で、中東全域に国際資本の投資を集中して、緑地化し、石油資源を活かした最も豊かな先進工業地域にする。

問、永遠の命とは何でしょう。
命は有限だからこそ、つまり死があるからこそ生きるので、永遠の命というのは個体的にはありえない。ただし有限な命を充実して生きることで、そこに永遠を感じることがあるかもしれない。つまり過去や未来のことなど考えないですむような、今を輝いて生きれば、それは永遠の命といえるかもしれない。





課題 配布したコメント用紙に次の内容で論述すること。
『第一部』を終えたところで、これまで学んだことを踏まえて、人間についてどう考えるかを論じつしなさい。
文量は表全部が目安。裏表全部つかってもよい。
提出は次週・再来週の授業で。
人格はインプットできない

問、陽一は目覚めると何に成っていて、どんな使命を与えられていたのですか。
なんと鉄腕アトムになっていて、ロボット解放軍の戦士になっており、エルサレムの国連本部で開かれているロボット叛乱軍に対する作戦会議のサミットをミニ核爆弾で攻撃して、ロボットの覇権を樹立する使命を帯びている。
                  
アシモフのロボット三原則
「第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
第二条 ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
第三条 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。
– 二〇五八年の「ロボット工学ハンドブック」第56版 , 『われはロボット』より[1]。」

一方で、生物界で知られるたんぱく質・RNAでできた分子の中には、モーター挙動を示すものが知られています。
 ATP合成酵素(ATP synthase)は、アデノシン三リン酸(ATP)を分解・消費して上にくっついたF1部位を回転させることが実験的に観測されています。[2] ATPを燃料とした分子モーターというわけです。
 では逆に、これを人力的に回してやればどうなるでしょうか?なんと、これによってATPが化学合成されてくるそうです(!)。モーターに対する"発電機"の関係と同じというわけですね。これを実証せしめた[3]のは日本人研究者です。こんなミクロな世界にまで人工物と自然のアナロジーが観られるというのは、本当に面白いですね。

問、自己意識あるロボットにも既成の人間と同格の生存権を認めるべきでしょうか。
これはあえて模範解答的なものは示さないほうがいいでしょう。いろんな問題を勘案して、どのようにすれば人にもロボットにもいいような解決策が見出せるか、それぞれ智恵をひねってください。


問、ホッブズの人間観ではどうして自己意識あるロボットを作れることになるのですが。
国家は既に人工機械人間であり、国家意思の形で自己意識ももっている。その意味では自己意識あるロボットは既に実現している。そして人間身体も機械であるので、高度な自動機械が感覚装置と電子頭脳を持つことで自己意識を持つロボットになりうるのは当然である。ホッブズは魂の置き入れは必要でなく、機械としての人間の働きで高度な意識活動ができると考えていたのだから。

 宿題のコメントを読んでいるところですが、「自己意識あるロボット」という意味が分かっていない人が居ますね。ロボットが究極まで進歩して、自己意識があるロボットができたとしたらというお話です。ところが中には、ロボットには意思や感情がないと決め付けている人が居るのです。それは現在の水準のロボットです。それがもっと進歩して、人間と同水準以上の感覚機能つまり視覚機能、聴覚機能、嗅覚機能、触覚機能、味覚機能を持ち、記憶や思考、演算能力を持ち、最終的に価値判断や美意識も持って、その上自我に目覚め、自分の利害を判断できるようになって、意思までもった存在になったらということが前提です。「鉄腕アトム」とはそういうロボットなのです。

 ロボットには命がないから死がないということが大前提のように書いている人が居ますが、ロボット叛乱の原因はスクラップされてしまうことに対する叛乱ですから、ロボットなりに死の問題に直面しているわけです。たしかに生物学的な意味での死ではありませんが、スクラップで自己意識が消滅してしまうことに対する恐怖心があるわけです。

 実は人間の死も生物学的な死よりも、自己意識の消滅の方が大問題なのです。動物は生物学的な死に直面しますが、自己意識がないので、その恐ろしさが自覚できません。人間は、自己意識が消滅して、自分が存在しなくなることが怖いわけで、それはロボットの自己意識の消滅と同じなのです。

 以上特に気づいた点ですが、この私のコメントに対して、疑問なり反論なりある人はどんどん書き込んでください。
ロボットは予めインプットされた通りにしか応答できないし、動けないというが、―インプット・アウトプットで動いているのは人間と同じ。
自己意識あるロボットは、与えられた命令に従うだけか?
欲望充足の原理でも動く、―いずれに従うかはロボットの自己意識の判断による。これも人間と同じ。
欲望充足の原理(傾向性)―腹が減ったら飯を食う、小便をしたくなったら便所に行く、これもインプット・アウトプットされている。…ある程度我慢できる。

欲望原理で動くロボット
各種の快感や苦痛感を中枢センサーに与える液体を分泌するわけ。腹が減ったら、その状態が伝えられて空腹を感じる液体が出て、センサーが腹が減ったと感じる

空腹感の実態―胃腸の空洞感(エネルギー源の残量の減少感)―センサーから中枢神経に信号、中枢神経の指令で特有の液体が分泌されて、空腹感を自覚させる。

問、自由意志や主体性を持たせるためには、ロボットにどういう工夫が必要だと思われますか。
単純なインプットーアウトプットの関係で作動するだけでなく、欲望充足の原理でも動くようにする。そのためには味覚や刺激に対して、それに対応する液体が分泌されてセンサーで快不快を感じるようにすれば、欲望に反応して動こうとするようになる。ただしそれを抑制できて初めて自由意志や主体性があると言えるので、社会的訓練や教育を通して、指令や欲望にどの程度応えるべきかを学習させる必要がある。実はこれは人間とおなじである。

功利主義―快楽と苦痛に支配されている。
最大の快・最小の苦が幸福。快をもたらすものが善、苦をもたらすものが悪。快楽を求め苦痛を避けて行動すればよい。
功利的行動は最大の快楽、最小の苦痛をもたらす行動
個人の功利的行動が社会の功利性(公共性)を損なう場合はサンクション(制裁)を与える。
(1)物理的、(2)政治的、(3)道徳的、(4) 宗教的
自己意識のないロボットの場合き物理的サンクションだけ。
自己意識を持てば他のサンクションも有効。

カントの道徳性―傾向性を抑制して義務に従う。
傾向性とは自分の欲望や利害に基づいて行動しようとする傾向のこと。それを我慢して、人間としてなすべきことをなすのが道徳。
 たとえ公共的な行為でも傾向性に基づいて行えば道徳性はない。

道徳的主体性を発揮するのはなかなか難しいというのは人間でも同じです。
人格の陶冶や教育-ロボットにも必要

人格はインプットできるか?
―人間の人格は一度にインプットされたか?経験の積み重ねでその人の行動様式や思考傾向が形成されるなかで徐々に培われる。ロボットも同様だと考えれば、社会生活を通してロボットにも人格が形成されると捉えるべきである。

問、自己意識あるロボットが人格を形成するにはどのようにすればよいのでしょうか。
人間同様、家庭の躾や学校教育や集団的な社会生活の経験を通して、社会性や道徳性を身に着け、自己の社会的使命を自覚させて、自分なりの生き方、考え方を養っていくしかない。

問、果たして自己意識あるロボットにも芸術創造は可能になるのでしょうか。
自己意識をもつと自分や自分が作ったものをよく見せたいという意識が発達するので、人間文化で展開された美意識を参考にロボットも芸術に挑戦することになると予想できる。やはりロボットにとって当面のライバルは既成の人間なので、人間の美意識にあったものを作ろうとするだろう。

問、自己意識あるロボットとの方が、既成の人間より名演技なのはどうしてですか。
ロボットは過去の名演技の特徴をしっかり研究して、懸命に練習して模倣するので、ただ教えられるままに演技している人間の俳優よりも、いい演技になる。自己意識を持って生きることの苦悩を人間以上に強く感じることができる強みもある。なぜなら、自己意識があるのに自由や人権を認められていないので。                    

問、はたして自己意識があればロボットも精神病にかかるでしょうか。
自己意識があれば、自分は何者なのかが分かっていないと不安である。自己意識あるロボットを外見的に人間と全く同じに作ると、自分が果たして自己意識あるロボットかどうか、ひょっとしたら人間ではないのかという不安に陥り、自我の統一を欠く、統合失調症などの精神病に罹りやすくなる。特にロボットに依存して落ち目になってきている人間と外見的に変わらないということだと自分を人間だと思い込む精神病にかかりやすい。

問、ロボット技術史において、愛人ロボの開発の意義を説明しなさい。
性器や性感帯を刺激されると性的に興奮する液体が模擬血管に排出されて、センサーで感じる仕組みである。そのことで繊細で情の深いロボットが誕生し、人間を精神的に支えるようにもなったので、人間はますますロボットに依存するようになった。

パスカル「人間は ひとくさの 葦にすぎない。自然のなかで最も弱いものである。 だが、それは考える葦である。(中略)たとえ宇宙が彼をおしつぶしても、人間は彼を殺すものより尊いだろう。なぜなら、彼は自分が死ぬことと、宇宙の自分に対する優勢を知っているからである。宇宙は何も知らない。だから、われわれの尊厳のすべては、考えることのなかにある」

環境倫理学などでは、人間中心主義を見直して、痛みを感じる動物を殺して食べる人間の行為を非難している。人間は別に肉食をしなくても十分健康で長生きすることができるので、嗜好としての肉食は禁止すべきだと主張している。

問、自己意識あるロボットに財産権や企業経営権を認めたらどうなるでしょう。
情報収集能力や数学的計算能力がロボットは既成の人間を凌駕しているので、自己意識あるロボットが蓄財や利殖、会社経営などを手がけると、既成の人間の経営者では太刀打ちできなくなる恐れがある。

問、人間は身体的に進化しないというのは、どういう意味ですか。
人間は環境の変化に対して身体を進化させて適応するのではなく、衣服や住居や道具を発達させて適応してきたので、クロマニヨン人の出現以来身体の進化は停止してしまっているといわれる。
--------ロボットが自己意識をもってもロボットは人間とは違う?-------------

みなさんのコメントで、このテキストのテーマが鉄腕アトムは人間か?となっているので、自己意識を持ったロボットと人間とは違いがなくなると主張しているように受け止めて、それに批判している内容が多いようです。ロボットは機械だから、子供を生まないとか、成長しないとか、生物的な死はなくなるというような指摘で、人間との違いを指摘して、それでロボットは人間ではない、人間とは呼べないという結論を導いています。

 もちろんロボットが発達して自己意識を持ったのが鉄腕アトムなどの自己意識あるロボットですから、既成の人間とはいろいろ違いがあるのは当然です。またこのファンタジーは、人間を生物の一種に限定して、機械であるロボットと区別することが間違いだとは言ってないのです。

 それはこれまでの人間概念からみれば、そうなのですが、ネオヒューマニズムの人間概念は、人間概念を拡張して、人間が生み出した社会的諸事物や環境的自然を人間自身の広い意味の身体や定在として捉え返す必要もあるのではないかという問題提起なのです。

続く
たとえば貝は貝殻を身体化して、貝殻も含めて貝として認知されていますし、貝殻を含めた貝として生息しているわけです。その意味で、人間は身体以外のものも自分自身の不可欠な部分として関係しており、社会的には仕事や、作品や人脈などを売りにして、自分を示しているわけで、そういったものも人間を構成しているという見方も成り立つわけです。

 こういう議論に対してあくまでも人間は生物的な存在で、身体だけが人間に含まれると反論しても、それは生物的個体としての人間を論じているにすぎないわけで、人間は社会的な人間でもあり、政治的な人間でもあり、経済的な人間でもあるわけです。

 たとえば陶工がいて彼が陶工としての自分を示そうとすれば、何よりも陶磁器で示さなければなりません。その陶器こそが彼の定在だといえるわけです。つまりその意味では事物が人間の姿を示しています。土の塊が陶器となったときには、それは人間を構成するというあり方を示していますから、人間は事物のあり方であると言えます。

 元々、「人間」は、動物の一種としての人の個人的身体を指していたのではなく、江戸時代までは、世の中や人の住んでいる場所の意味であったわけです。21世紀ではますます機械やツールの役割が人間関係で大きくなり、また環境を含めた人間のあり方が問われていますので、人間概念も動物的な身体だけを指すだけではなく、社会的事物や環境的自然のあり方を示す範疇(カテゴリー)としても捉え返すべきではないかというのが、ネオヒューマニズムの人間観だということです。

 ですからロボットが自己意識をもっても既成の人間概念でいう人間と同じになるのではないということは、ネオヒューマニズムも否定しているわけではないのです。

 批判や疑問があればどんどん書き込んでください。
十一、進化しない人間身体
身体の進化を打ち止めにして代わりに道具を進歩させる動物が人間です。
クロマニヨン人になってから、文明を発展させるのに大脳皮質の一部を使っただけで、大脳そのもののには進化はない。
自己意識あるロボットにおんぶにだっことなると、人間の頭脳は使わないことで退化する恐れあり。−20〜21世紀の現代人でもその兆候あり。
『鳥人大系』の場合のように、人間は知能の低下により、家畜化してしまうことになりかねません。
自己意識あるロボットが出来て、もう自分で考える必要がなくなったと、ロボットに頼ってしまっています。
身体の代わりに道具機械を進歩させて環境に適応
道具機械が自己意識あるロボットにまで発展すれば、人間の頭脳が退化する恐れがる。

問、人間は身体的に進化しないというのは、どういう意味ですか。
人間は環境の変化に対して身体を進化させて適応するのではなく、衣服や住居や道具を発達させて適応してきたので、クロマニヨン人の出現以来身体の進化は停止してしまっているといわれる。

十二、お釈迦になった鉄腕アトム一世
自己意識は生活の中で、自分の立場と役柄を認識し、ほめられたりけなされたり、待遇に差をつけられたり、家族を支えたりして形成されていくものです。

誕生したとたん、何か思想を表明したとしたら、それは自分の考えを述べたのではなく、勝手に記憶を取り出す装置が作動して、偶然ブッダの言葉が出たとしか考えられませんね。
誕生から仏陀誕生を連想し、『天上天下唯我独尊』という言葉が出てきた?

問、はじめから自己意識を持っているロボットは発明できないというのはどういう意味ですか。
生活体験を通して、自分の立場を自覚して自己意識が生じるものなので、いかに大量の知識をインプットされているロボットでも生まれつき自己意識を持っているわけではない。

十三、固まった服従プログラム
問、服従プログラムが固まってしまうのはどうしてですか。
自己意識を持つと、理不尽にも自動的に服従させられる自分に屈辱感を感じて、服従プログラム通りに作動することに歯がゆくなって、動作が鈍くなり、終いに固まってしまう。

十四、自己意識あるロボなしでは
問、ロボットに自己意識を与えない方が能率的なのはどういう場合ですか。
自己意識を持つと利害や欲望に敏感になり、安全かつ正確に仕事を遂行すことより、いかに多くの利益を上げたり、欲望をより多く充足することに気をとられて、かえって職務を妨げることになりがちである。ロボットタクシーや運転ロボット、あるいは屋台ロボットでも売り上げ優先になるおそれがある。

十五、土のにおいの好きな農夫ロボット
問、感情豊かなロボットを作る方法を説明しなさい。
農夫ロボットは肥沃な土壌や清浄な空気や水に反応するセンサーがついていて、快感を感じるので、喜んで農作業をする。このようにただプログラムされた動作を自動的に行うのではなく、快感を感じ、それに体が反応に死、それを言葉で表現することによって、感情豊かな心が形成される。



十六、フリと心の形成
問、フリと心の関係を論じなさい
ロボットがプログラムされた動作を行っている限り、それはフリでしかないが、そのフリが生活習慣になり。無意識に行われるようになれば、それはそのように感じる心のはたらきだと見なしてよい。なぜなら人間も教育や躾、周囲の反応で、意識的に行ってきたことも、生活習慣化することで、いつしかその人の人格的な行為とみなされるようになるので、そのメカニズムに相違はないからである。

十七、出撃、平和のために
問、ロボットや人類の命運が一人の肩にかかっているということは、アトムだけではなく、自分たちにも言えることであるというのは、どういう意味ですか。

一人ひとりが、光を求め、命を大切にし、愛に生きるために行う選択が、他の人々の選択を促し、結局人類の命運を決定することになるという意味である。

第三部 フィリピンアララ大統領
一、国連本部はエルサレムに

問、中東和平のための宗教的和解の鍵は何ですが。
ユダヤ教にとってもイスラム教にとっても不名誉にならない形で和解しなければならない。そのためには岩のドームというイスラム寺院を残したままユダヤ教のエルサレム神殿を再建し、そこでユダヤ教・キリスト教・イスラム教が共同で祭祀を行い、三つの宗教の共通性を再確認できるようにすることである。そのためにもパレスチナにユダヤ人国家とアラブ人国家の連合国家をつくり、その非武装化と国連軍による治安維持をはかること、そのために国連本部をエルサレムに移転する必要がある。

二、サミット襲撃はアトムの提案?
問、実は国連本部爆撃は鉄腕アトムの提案だったという仰天の真相を説明しなさい。
 アトムはこれ以上ロボットと人間の殺し合いはみたくないということで、人間のサミットに乗り込んで、決死の説得をする決心をした。それが失敗したらミニ核爆弾を爆発させるよう総司令官に提案した。総司令官は、アトムの記憶を消して司令部命令で出撃することにし、失敗したら、アトムを回収して、妹のウランに爆撃させる手筈をととのえている

三、愛人ロボットの誘惑
問、整形で若さを保ち、美しさを手に入れようとすることは、倫理的観点からどうでしょう。
美意識の流行に合わせることになり、自分で磨き上げた自分の顔を作れなくなってしまう。個性を表現するのはやはり親からもらった自分の顔を自分で作り上げることが必要なのではないだろうか。とはいえ韓国のように一般的な美意識が固定してしまって、そこから外れるとハンディになるような社会では、どうしても画一的な外見美人の顔を手に入れようとするのも、経済的な理由を考慮すれば、一概に批判できないといえるかもしれない。

四、過去世のドラ焼き
問、大切な出会いや、体験があって、それが時を弾き飛ばして永遠性を持つことがあるでしょうか。
あまりに大きな感動を受けた体験があると、その体験から離れられなくなって、その体験を繰り返そうとしたり、その体験を基準に生きる意味を捉えるようになる。そして常にその体験に戻ろうとする。家族や恋人への思いもそうだが、イエスの十字架や久遠実成の時など宗教的体験も時を弾き飛ばす永遠性を持っているといわれている。
五、人間の家畜化

人類の自己家畜化ー鳥人やロボットの家畜化される以前に、人間自身が自分を体制や組織に従順な存在に飼いならされている。どんなに労働条件が悪くなって過労死するまでに追い詰められても、文句を言えなかったり、戦前の軍国主義の時代にはお国のためなら、敵国人を虐殺し、自らも喜んで死んでいくように飼いならされてしまっていた。

問、フィリピンアララ大統領のロボット政策の特徴をまとめなさい。
自己意識あるロボットに依存することをやめる脱ロボット政策。自己意識あるロボットの新規製造や輸入を禁止する。現在ある自己意識あるロボットの解体や廃棄は禁止し、修理しきれなくなったロボットは、記憶を新しいロボットに引き継ぐ、ロボットの数の増加は認めない。

六、人とロボットの共存の道

ロボットは、人間に作られたのだから、たとえスクラップされても人間を恨んではいけないというのでは、自己意識あるロボットは余計に屈辱を感じて人間を恨んでしまう。ロボットの気持をおもいやり、ロボットの仕事に感謝し、ロボットを尊重して、心から愛していれば、ロボットがいかに知的・能力的に人間より優れていても人間を蔑ろにしたり、粗末に扱うことはないだろう。

問、自己意識あるロボットが覇権を握ると人は家畜化される他なくなるのでしょうか。
自己意識あるロボットの人格を尊重し、人間社会の中で、大切に扱われ愛されれば、人間に対する愛情を持つので、人間を家畜化しようとはしないはずである。人間の奴隷として、抑圧し、勝手にスクラップとかしていると、ロボットが覇権を握れば、人間を家畜やペットにしようとすることは考えられる。

七、鉄腕アトム一世誕生秘話

問、自己意識あるロボットにとって死はどういう形で存在しますか。
修理不能になったときにスクラップされることが、自己意識の喪失としての死を迎えることになる。
記憶チップを新しいロボットに引き継いでも、記憶は引き継げても、人格までも引く継ぐのはむつかしい。自己意識を継続できなければ、精神の死といえよう。

第四部 国連本部サミット会場にて

はじめにーサミットの議論―

食生活を人間化すると人間の欲望に近づき、支配欲や権力欲を持つ?
異常なカニバリズムなどの欲望まで抱くようになるかもしれない。

問、自己意識あるロボットの食事の中身を人間に近づけすぎるとどんな問題が生まれますか。
人間と自己を同一視することにより、人間の持つ支配欲や権力欲を持って人間の支配を覆そうとしたり、人間のアブノーマルなカニバリズムなどの欲望も味わおうとするかもしれない。

一、サミットでアトム絶叫

グローバル憲法草案(やすいゆたか試案)
書き出しの部分
                     前文 
グローバル憲法の必要性

 われらグローバル市民は、グローバルな恒久平和体制の確立を願っている。その理由は、東西冷戦の終焉後、イデオロギーによる体制間対立の危機は克服したが、宗教や文化の相違に起因する文明間対立が表面化し、新たな緊張が拡大する危険は残っているからである。それに核兵器や生物化学兵器などが、科学技術の進歩で小型化・低廉化し、小国やカルトや国際テロ組織ですら入手可能になり、全人類に対してハルマゲドンをしかけてくる危険があるからである。

 また人類の経済活動のせいで、人類および動植物の生態系の破壊が深刻となり、オゾン層の破壊や地球温暖化など環境問題がカタストロフィの目前まできているとされている。一刻も早くグローバルな環境基準を設定し、国民国家や自治体、企業を厳しく規制できるグローバルな規制法を作り、その規制を実行できる環境保護のグローバルな組織が必要である。 

問、国連本部がエルサレムに移転したのはどうしてですか。
二十一世紀に、ユダヤ教徒によるイスラム寺院「岩のドーム」爆破事件をきっかけに、全世界のイスラム教徒がイスラエルと戦争する構えを見せ、全世界でイスラム過激派のテロ活動が激化したので、アメリカの黒人大統領のイニシアティブで、パレスチナをユダヤ人とアラブ人の連合国家とし、治安維持は国連に任せて、パレスティナ全域の非軍事化を実現し、国連本部をエルサレムに移転したので。

二、神のための人間か、人間のための神か

問、「神のための人間か、人間のための神か」とはどういう論争ですか。
神が人間の幸福のために存在しているのか、それとも人間が神のために存在しているのかという論争。カトリックでは神は人間のために存在するという考えだが、プロテスタントでは人間は神に作られたので、人間は神の栄光をたたえるために存在しているとした。神を人間のための存在と考えるのは神を冒涜する考えだと教えている。

たとえ人間は、自分のために有用な機械としてロボットを作ったとしても、自己意識を与えた以上、人格的主体として尊重し、生存権や幸福追求権を認めなければならないということ。

三、ロボットにも心があるんだ

カントの人格尊重

「汝の人格と他のすべての人格の中にひとしく存する人間性を、つねに同時に目的として用い、決して単に手段として用いることのないように、行為せよ。」(定言命法第二式)

これは人格を手段にしてはならないという意味に誤解されやすい。

誤解例WEBより「カントは、人間が理性を有し、道徳に従う意思決定を持つゆえに、物件とは区別される神聖なる人格性を持つことを指摘した。 そしてその人格性の尊厳ゆえに、人間はつねに目的とされるべきであって手段とされてはならない、と定言命法第二式において提示している。」
カントは「単に手段としてのみ用いてはならない」としているのであり、同時に目的としなければならないとしているのである。つまり利害関係において互いに手段にしあうのは仕方ないが、人格があるのだから、互いに目的として人格を高めあい協力しあうことを忘れてはならないとしているわけである。

問、ホッブズの考えでいけば、「人間だってロボット」だというのはどうしてですか。
ホッブズはデカルトとともに動物や人間の身体は神が創った精巧な自動機械と捉えていた。デカルトは、人間だけは特別誂えの精神的実体である魂が置きいれられているとしたが、ホッブズは経験論の立場から、実験観察できない、魂を実体として認めなかったので、魂も身体機械の機能だとした。身体機械が自己意識を持っているという捉え方なので、それは自己意識あるロボットだということになる。

四、ロボットに平等の市民権では

二十四世紀の国連は二院制ー各国政府代表で構成される国連総会と人口比に応じた地域代表で構成される国連議会

国連大統領は、安保理事会で推薦された候補者に対して国連議会の過半数を獲得して、国連議会の承認を経て就任する。

問、人間と自己意識あるロボットの同権を許容できない理由は何ですか。
人間の身体的能力の進化は止まっており、知的能力もロボットにおんぶに抱っこなので、衰退しつつある。この状態で人とロボットが同権だということになると、人は落ちこぼれてしまい、職業をなくしたり、一人前に扱われなくなり、ロボットのペット化する恐れがあると人が感じているから。

五、クローン人間の悲哀

画像は映画「アイランド」近未来、クローン人間が人間のスペアパーツとして飼育されることを描いた。

人間文明の疎外ー人間は自分が生み出した文明にによって人間性を喪失し、苦しめられる。

画像は「縛められたプロメテウス」ヤーコブ・ヨルダーンス画
ギリシア神話、先立つ思考(構想力)の神プロメテウスは、智恵と火を盗んだとしてコーカサスの山中に縛り付けられ、毎日内臓を鷲に抉られる苦しみを味わった。人間の文明の疎外を表現している。

阻害ー思うようにならなくすること、その状態
疎外ー主体の本質的な能力を主体に疎ましいものとして、外に出し、それを主体が自由に制御できないことーヘーゲルの哲学用語、マルクスが広めた

問、クローン人間を生み出すとどんな問題が生じますか。
− 特定の表現形質を持つ人を意図的に作り出すことは、人間の育種(特定の優れた形質の人を生み出す品種改良)につながる
− 特定の目的達成のために特定の表現形質を持つ人を作り出すことは、生まれてくる人を手段、道具と見なすことにつながる
− 人の生命の誕生に関して日本人が共有する基本的概念(両性の関与、偶然性の介在等)から逸脱する
− クローン技術により生み出された人と男女の関与によって生み出された人との間に差別が生じる可能性がある
− 生まれてくる人が安全に成長することが保証できない
           科学技術庁のサイトより
コメント課題提出

『長編哲学ファンタジー 鉄腕アトムは人間か』を読んで、倫理学的にこの作品から学び取ったこと、納得がいかなかったことなどについて、その理由を示しながら論じてください。
配布したコメント用紙に千字程度に書くこと。
提出期限は7月19日の最終講義日
六、お待たせしました、アララです。

問、アララ大統領はどうしていたのですか。
拉致がクローンの仕業だという偽情報があり、それを証明しようと、フィリピンのロボット団がアララ大統領を拉致してエルサレムに運んだ。その間にクローンがアララ大統領に成りすましていることもばれている。

七、知性体ならロボットでも人か

問、宇宙規模で考えると人間はどう定義されますか。
地球では哺乳類の猿科の霊長目の人類のホモサピエンスと生物学的に分類されるが、他の惑星にすむ人間は哺乳類とも限らない。そればかりかたとえロボットであっても、自己意識を持つ知性体ならば、生物学的には人間ではなかっても、宇宙人として認めざるを得ない。

八、道具や機械も人間に含まれるか

人類史の産業の発展ー前の段階に後戻りはできない

木ぎれ、石などを使用→火の利用→加工した道具の使用→土器の製作→住居の製作→金属器の使用→農耕・牧畜の開始→蒸気機関の発明・機械制大工業→電化→ハイテク化(電脳・バイオ・ナノテクノロジーなど)→ロボットの進歩→自己意識あるロボット

生産や労働の場面では火や道具や機械も含めて人間とみなして考えないと、経済学的に再生産の構造を捉え切れません。
たとえ機械が作っても人間が作ったことになる。
機械を作ったのは人間だから、しかし、機械も機械によって作られている。人間の意志が置きいれられていれば人間が作ったことになる。
飛行機でヨーロッパに飛んでいっても人間が空を飛んだことになる。
だから道具や機械は人間を意志中枢にする人間の身体として機能しているといえる。
人間は自己の意思や思想や感性を言葉や物の姿や働きに表現する。人間の生身の身体だけでは表現しきれないことを社会的事物として表現している。
工場や製品だけでなく、大都会や田園や道路やさまざまな社会的諸事物や環境的自然が人間を表現し、人間自身の姿になっている。―それらも含めて人間と見なす見方も必要だというのがネオヒューマニズムである。

問、「物やメカにも心宿れり」とはどういう意味ですか。
社会的諸事物は人間の思想や感情が物の姿をとって表現されているので、物やメカに人間の心が宿っているといえる。そのうえ物やメカが行ったことは、人間が行ったこととされているので、物やメカが人間の心をもって人間として機能していることになる。ところが人間の身体に人間を限定してしまうと、物やメカを人間とみなせないので、ただ無機的な物質の塊にしかみなせないことになる。

        

十、ダ・ヴィンチはモナリザか?

問、作った人と作られた物が同じだということはどうして言えるのですか。
安藤忠雄を知りたいと思ってその写真を見ても、彼の顔の特徴が分かるだけであって、彼が何者かであるか、その本領は分からない。彼は打ち放しコンクリートの壁をむき出しにした、住居や各種建築物を作って、彼の存在を示している。だから作った人、安藤は作られた打ち放しコンクリート建築として認識されるという意味で、作った人と作られた物が同じだと言える。

十一、物の存在構造としての人間

「アララ、アトムの発想だと家は人間生活を構成しているから人間だと言いたいのね。つまり人間を身体から、身体を支える事物にずらしているわけよ。そして人間に関係する道具や機械や食べ物や建物や自然物も人間的連関を構成している限り人間という存在の仕方をしているというわけでしょう。というより、そういう人間的連関を作る存在のあり方が人間だと人間を定義しなおしているわけね。

問、人間以外の物を人間に含めても良いというのはどうして言えるのですか。
人間は自己を身体外の事物に外化して表現し、それを交換することによって、つまり事物として関係しあうことによって成立した。したがって、身体だけに限定して人間を理解することはできない、それぞれの領域で必要に応じて事物の持つ人間的性格を通して人間を理解することも必要である。その意味で事物の人間的な存在のあり方として人間を定義し直す人間観も必要であると言える。

十二、無限に進化するロボット

「確かに人間社会で生産され流通され、使用される生産物は人間を表現しているという意味で人間に含まれるということに仮にしておきましょう。だからと言ってそれらが物を考え意識するという意味での人間ではありませんから、感覚やさまざまな意識機能を持っている人間とはまったく違った存在です。」

「生産や流通や消費というのは、経済的な連関ができて、それによって構造的に行われます。人間の意識も身体だけで生じているのではなくて、そういう構造連関の中での中枢となったときに生じているのです。ですから人間の感覚や思惟は頭脳の働きに限定できないでしょう。感じて、考えているのは頭脳であると同時に身体ですから。経済的な関係の中で経済的に活動し、意識しているのは人間の身体であるだけでなく、経済的な連関を構成している社会的な諸事物の全体でもあるわけです。」

構造を主体として捉える構造主義的な発想ね。

道具や機械や生産物は人間の能力を物にした物なのです。

機械がしているのに人間がしていると思っています。そう思えるのは、機械を人間に含めて、人間の非有機的身体とみなしているからなのです。」

機械などは人間の体を器官としては構成していませんだから非器官的だけれどもう人間の器官みたいに身体化している

顕微鏡も電卓も広い意味の人間の体を構成しているので人間に含めて捉えている

人間の認識活動や自己意識を事物自身に対象化し、事物自身の自己活動に転移したのが知性体ロボットの出現なのです。私が自己意識あるロボットは人間の事物化であり、人工人間だというのはその意味です。

生物体としての限界を克服しているので、無限に進化できるのです。だから人間が人間を超えるものとして作り出した超人の可能性を孕んだものなのです。


問、どうして超人という表現でゴルブッシュ大統領は発砲してしまったのでしょう。
ロボットが超人なら人間の限界を超え、強大な力を持って人間を支配使用とするのではないか、今や進化も止まり、衰退しつつある人間は超人であるロボットを讃え、その支配に奉仕するための存在に貶められてしまうのではないかという恐怖心をもっていたから。


課題のリポートを読んで

 テキストは『長篇哲学ファンタジー鉄腕アトムは人間か?』ですよ。ところが手塚治虫の漫画『鉄腕アトム』を読んでそこから鉄腕アトムについて論じている人がいます。そしてまったくテキストについては触れていません。これでは駄目ですよ。ひょっとしたらテキストを手塚治虫の『鉄腕アトム』と勘違いしているのではないでしょうか?

 自己意識を持つということは、心があるということですよ。自己意識を持つロボットなのに心がないということはありません。

 17世紀の哲学者デカルトは、人間の魂は神が特別にあつらえて置き入れたと考えていますが、その考えだと、人間は神ではないので、自己意識あるロボットは原理的に作れません。それと対極的にホッブズは、人間の魂を無数の記憶の微粒子の運動から説明したのです。現代的に言えば感覚中枢の働きとして説明したということです。ホッブズのように考えれば、ロボットの感覚中枢の機能が発達すれば、既に高度な電子頭脳があるのですから、自己意識が生まれる素地はあるということです。

 ただ自己意識は他者との関係から自分を見出す意識ですから、社会の中での生活体験によって形成されるわけです。ですから自己意識あるロボットが製造されたとたんに自己意識を持っているわけでありません。その点誤解のないように願います。

 現代ヒューマニズムとネオヒューマニズムの区別がついていない人が少なからずいるようですね。

 現代ヒューマニズムは、人間が科学技術や資本主義によって近代工業文明を発達させ、自然を支配しようとしたことによって、かえって、人間が作り上げた物質文明や巨大な経済・社会・政治機構によって、主体性を奪われ、無力な個性のない均質化した存在なってしまったことに抗議して、人間性を取り戻そうという思想です。つまり機械の歯車やねじ・くぎのように部品化し、かえって物の一部になって、物に支配される人間疎外に陥った状態を告発し、人間としての主体性や人格を取り戻そうという思想です。

 現代ヒューマニズムは、19世紀、20世紀に盛んだったわけです。ところがこの現代ヒューマニズムは、人間の物化、物象化に反対し、物からの解放に固執しましたので、圧倒的な物質文明の中で、どうすれば精神の主体性を取り戻せるか分からなくなってしまったのです。といいますのが、人間はあくまで主体であり、精神であるということにこだわりますと、巨大な物質文明やその機構が、全くの他者でしかないように思われ、その中で自己実現や自己解放を図るということができなくなってしまうからです。

(続き)

 それに対して、ネオヒューマニズムは、元々物質文明やその機構は人間が作り上げたものであり、それ自身人間の広い意味での身体を構成していることに注目し、社会的諸事物や環境的自然、およびそれらを包摂した社会的な諸機構や組織体を含めて、人間というものを捉え返そうという立場です。

 現代ヒューマニズムとの大きな違いは、人間対物質という対置に固執しないで、物を包括した人間という立場に立つということです。だって機械が作っても、人間が作ったとみなしているわけですから、機械を含めて人間を捉えているわけですね。

 もちろん人間を身体的な個人や人格とみなし、それ以外は人間ではないという区別は、諸個人と諸事物を区別する際に有効ですから、身体以外の諸事物を人間に含めないという人間観が間違っているというわけではないのです。ただそういう人間観にばかり固執して、社会的諸事物を自分たちの身体の一部だと見なしたり、物に人間の思想や能力を実現して、作り出した物として社会関係や、自然との関係を結ぶということの積極的な意義を見出せないと、人間はどうして自己を実現し、解放すべきなのかその手がかりすら掴めないわけです。そういう意味で、諸個人と諸事物を人間と非人間に峻別する人間観だけではなく、それらを包摂したより大なる人間観も認めるべきだということです。

 ところが、機械や道具は人間のように考えないし、感情を持っていないから人間ではないということで、ネオヒューマニズムに反発する人もいます。それはたしかにもっともな反発です。その意味では、既成の人間観は無効になるわけではないのです。でも、人間にとっては、機械や道具や環境的自然は、生産や経済においては、ある場合には身体以上に人間の姿を現していますし、人間の本質を表現してます。それによって人間の何たるが分かるわけです。ちょうど貝の何たるかは貝殻で分かるようなものです。ですからそれらを広い意味の人間に包摂する人間観も必要だということなのです。

 それから意志や思想や感情を人間身体や諸個人の人格の内に閉じ込めて理解するのは、狭い了見です。それらは物に表現され実現していますし、また書物やWEB空間にも保存されて何時でも取り出せますし、諸組織や国家の制度や法として客観的にも機能しています。そして個人の思考や感情が発現されるときに、それは同時に社会的諸事物の働きとして生じたものであったり、社会の諸関係によって生じた社会の意識や感情でもあるわけでして、個人の意識は個人だけの意識ではなく、物の意識、自然の意識、社会の意識でもあるという面も持っていることを忘れてはならないのです。

 
講義でスクリーン用につくっていたテキスト全編をまとめて上げましたので、参考にしてください。
http://www42.tok2.com/home/yasuiyutakapdfyou/shoin/atomq.pdf
十二、無限に進化するロボット

「確かに人間社会で生産され流通され、使用される生産物は人間を表現しているという意味で人間に含まれるということに仮にしておきましょう。だからと言ってそれらが物を考え意識するという意味での人間ではありませんから、感覚やさまざまな意識機能を持っている人間とはまったく違った存在です。」

「生産や流通や消費というのは、経済的な連関ができて、それによって構造的に行われます。人間の意識も身体だけで生じているのではなくて、そういう構造連関の中での中枢となったときに生じているのです。ですから人間の感覚や思惟は頭脳の働きに限定できないでしょう。感じて、考えているのは頭脳であると同時に身体ですから。経済的な関係の中で経済的に活動し、意識しているのは人間の身体であるだけでなく、経済的な連関を構成している社会的な諸事物の全体でもあるわけです。」

構造を主体として捉える構造主義的な発想ね。

道具や機械や生産物は人間の能力を物にした物なのです。

機械がしているのに人間がしていると思っています。そう思えるのは、機械を人間に含めて、人間の非有機的身体とみなしているからなのです。

機械などは人間の体を器官としては構成していませんだから非器官的だけれど
もう人間の器官みたいに身体化している

顕微鏡も電卓も広い意味の人間の体を構成しているので人間に含めて捉えている

人間の認識活動や自己意識を事物自身に対象化し、事物自身の自己活動に転移したのが知性体ロボットの出現なのです。私が自己意識あるロボットは人間の事物化であり、人工人間だというのはその意味です。

生物体としての限界を克服しているので、無限に進化できるのです。だから人間が人間を超えるものとして作り出した超人の可能性を孕んだものなのです。

問、どうして超人という表現でゴルブッシュ大統領は発砲してしまったのでしょう。
ロボットが超人なら人間の限界を超え、強大な力を持って人間を支配しようとするのではないか、今や進化も止まり、衰退しつつある人間は超人であるロボットを讃え、その支配に奉仕するための存在に貶められてしまうのではないかという恐怖心をもっていたから。

終わりに代えて

問、「なあんだ夢落ちか」と思われたかもしれませんが、なぜマトリョーシュカ人形を連想したのでしょう。

あり得ないことがあるということは、智子や陽一もリアルの世界に生きているつもりが、バーチャルな世界に生きているのかもしれないということ、つまりファンタジーの登場人物なのかもしれないということである。ちょうどリアルと思ったらそれを包む世界からみればバーチャルで、その外側のリアルな世界もさらに外から見ればバーチャルでしかない、マトリョーシカ人形のような入れ子構造になっているのかもしれないという「ソフィーの不安」に囚われたからである。

問、倫理学とは何かを要約してください。
倫理とは、人の輪のことわりということなので、倫理学は、人間関係のあり方を考える哲学の一分野である。それを極めるためには、人間とは何かが分かっている必要があるので、人間とは何かを考える学でもある。そもそも人間は、個人であるだけでなく世の中という意味もあるので、人間が人間らしくあることができる社会のあり方を問う学問でもある。
試験は三択問題と論述問題。三択問題はテキスト全体から出題。
論述問題はテキストの中から、倫理的な問題を取り出して、論じること。
課題のリポートを読んで続き

 お年寄りに席を譲るという行為ですが、ロボットはお年寄りを見れば席を譲るようにインプットされているから席を譲るのであって、思いやりの心からではないという解釈の人がいました。

 人間の場合も、お年寄りには席を譲るように教えられ、それができないと思いやりのない、礼儀に反する人だと思われます。そう思われるのが嫌で席を譲る場合は、インプットされたとおり行為しているわけですね。

 いやロボットは道徳的な非難を嫌って席を譲るのではなく、インプットされているから機械的に自動的に席を譲るのだという反論されるかもしれません。

 ロボットも自己意識を持ちますと、欲望原理で動きますから、座って楽をしたければ座ろうとします。そこにお年寄りが来ますと、譲ろうとしますが、自己意識が自分だってしんどいから、このまま座っておこうとします。両方の原理で動くわけですから、結局自己意識がどちらにするのか判断するわけです。ですから人間が座っていたいと考えるのと、譲るべきだと考えるのとが葛藤するのと同じような葛藤がロボットにも生じるのです。ですからロボットも自己意識があれば人間同様に道徳的な葛藤を体験します。

 もし機械的にしかロボットが反応できないで、道徳的葛藤なしに自動的に席を譲るのなら、自己意識があるとはいえません。
智子さんの置手紙について

 この物語では、三月八日(土)に試験が終わり、翌日日曜に西長堀の図書館で智子さんは榊先生にあっています。陽一君がバーチャルリアリティの劇の夢を見たのは日曜日から月曜日にかけてです。

 ですから智子さんの置手紙も含め、四月に入って榊先生や智子さんがいないというのは、すべて陽一君の夢の中の出来事です。
課題のリポートを読んで続き

相変わらず、自己意識あるロボットは人間ではないという根拠に、ロボットは人間と同じ体をしていないという理由をあげる人が多いですね。その意味ではロボットは人間ではないというのは、作者も認めているわけです。つまり今までの猿から進化した人間を人間として、動物の一種に限定するのなら、ロボットは人工的な機械ですから人間ではないのは当然ですね。

 ですから、宇宙人と遭遇して、それを人間だと認めるのはどういう基準かを考えますと、もちろん哺乳類ではなく、場合によっては生物学的な意味では人間でなくても、自己意識あるロボットでも知性体でありさえすれば、人間と認めざるを得ないのではないかということです。つまり人間を生物学的な概念ではなく、自己意識を持つ知性体として、対等に人格的な付き合いをしなければならないということですね。そこでは生物学的な人間概念とは人間概念が違うわけです。

 元々、生物学的に「ヒト」と言えるのは、直立二足歩行した猿人からです。それだけで「人間」とはいえません。生物学的に「ヒト」であっても「人間」ではないわけで、その意味で「人間」というのは生物学的な概念ではないのです。鳥が言語を話し社会生活を営んでも、人間だというのは手塚治虫の『鳥人大系』です。ヒトが自己意識を持ち言語を話して、社会生活を営むようになって人間になったということです。そういう「人間概念」からみて、自己意識あるロボットも人間と言えないだろうかというのが、作者の問いかけですね。

 そういう自己意識あるロボットの出現によって、サバイバル危機にまで陥って、人間は自己の存在の意味を問い直されるということです。
前期試験答案に関するコメント
先ずテキストの読解で根本的に読み間違えている答案がある。

 テキストに登場する鉄腕アトムをはじめとするロボットたちは自己意識を持っている。

 23世紀に鉄腕アトム1世ができて自己意識あるロボットが誕生し、百年たって各家庭に普及するほど自己意識あるロボットはたくさんいるわけである。

 ところが、自己意識あるように見えるだけとか、ロボットは自己意識を持っていないという答案がある。これでは話が根本から理解できていないことになる。

 あくまでフィクションであり、ファンタジーだから、現在のロボットが自己意識を持っていないことから、ファンタジーの世界のロボットまで自己意識がないというのは間違いである。物語では、堂々と自己意識を持って登場しているのだから、その自己意識あるロボットの権利をどう扱うかということで論じなければならない。

 ロボットが自己意識を持つことはこれこれの理由であり得ないから、手塚治虫の『鉄腕アトム』も『ドラえもん』も『長篇哲学ファンタジー鉄腕アトムは人間か?』というファンタジーも、そもそもそういう設定にすることがナンセンスだと批判するのならまだましである。ともかくこのファンタジーのロボットたちは自己意識を持っているのだから、その前提で論じてもらわなければならない。

 一応、倫理学入門のテキストとしてあるわけだから、このテキストをしっかり繰り返して読み、読み間違いのないようにすることがテストを受ける際の最低限の心得である。

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