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前オリックス球団代表・井箟 重慶さん


 震災が起きて、被災した人たちのために何か手伝えないか、選手たちと討議した。でも、できることはなかった。結論は、本職の野球を頑張るしかない。それを見てもらおう、と。勝つことで、市民と一体になれた。「神戸は冷めている」と言われるが、神戸市民を熱くすることはできる。だから、もう一回、強くなってもらわんと。

 

 被災者励ました野球/市民と一体となっての優勝

 プロ野球「オリックス・ブルーウェーブ」が西宮から神戸へ本拠地を移したのが一九九〇年。前年から球団代表を務め、神戸での歩みをともにしてきた。二度のパ・リーグ制覇、巨人を破っての日本一、イチロー選手の七年連続首位打者…。「一番うれしかったことは」との問いに、震災の年、仮設住宅の女性から届いた手紙を挙げた

 それまで野球のヤの字も知らなかったという女性からの手紙だった。震災で家がつぶれてぼう然とした毎日を過ごしていたけれど、孫に連れられて初めて行った球場の雰囲気に感激した、と。
 手紙をいただいて、神戸で野球をやって本当によかったと思えた。仮設住宅があるのに野球をしてる場合か、という声も当初はあったから。

 震災が起きて、まずどう感じた

 当時は神戸ハーバーランドのマンションに住んでいた。建物こそ大丈夫だったが、部屋はがちゃがちゃ。周辺の道も波打っていた。今年は野球できんな、と思った。
 まず選手、職員への連絡を指示した。家が被災した者はいたが、犠牲者はなく、ひと安心した。
 たとえ野球をできても、間近に迫ったキャンプをできるのかどうか。成績はあきらめた。どこか他都市の球場を借りることも考えた。

 でも、神戸を離れなかった

 グリーンスタジアムが無事だったことが大きい。視察に来た宮内義彦オーナーが「絶対やれ。たとえ観客が一人も来なくとも、地元で試合をすることで市民を勇気づけられる」と。沖縄でのキャンプは「来られる者だけ集まるように」と伝えたが、みんな集まった。

 ユニホームの袖に「がんばろうKOBE」のワッペンをつけた

 実は経緯をよく知らない。営業担当から話がきた。当時は被災者のため何かできることがないか球団全体で考えていた。
 選手会の役員数人を交えても討議した。選手ががれきを片付けるとか、支援物資を運ぶとか、そういう話も出た。しかし、素人は邪魔になるだけじゃないかということになった。結論は、野球を頑張ろう。負ければ、被災した市民をがっかりさせることになる。

 野球が打ちひしがれた人を励ました

 六、七月ごろになり、被災者の生活が悪いなりに落ち着いて、野球に目が向いてきた気がする。球団代表は全試合に同行するのだが、聞いたことのない声援の大きさだった。街で会う人が声をかけてくれるし、タクシーに乗っても「勇気づけられる」と言われた。選手がムードに乗せられた。
 病気の子にホームランを約束したベーブ・ルースの逸話のように、選手個人が人を励ました話はある。だけど、チームが励ましたというのは、ほかに聞いた印象がない。
 市民と一体となっての優勝だった。市民球団の役割を果たせたと思う。

 震災の年にリーグ優勝をし、翌九六年にはついに日本一に。うれしかったのでは

 九五年の方が、ずっとうれしかった。思ってもいなかった優勝だったから。九六年はシーズン前から勝つ自信があった。オフの契約更改で主力選手が金の話をしないんだもの。九五年の日本シリーズはヤクルトに簡単にひねられたでしょ。契約のとき、みんなが「とにかく来年、頑張りましょう」って。この雰囲気なら勝てると確信した。

 残念だが、その雰囲気を私たちは忘れてしまった。今の球団をどう見る

 イチローに代わるスタッフを準備しないまま、メジャーに出してしまった。プロ野球のチームにそんなに大きな力の差はないと思っている。三位までに入っていれば、優勝のチャンスはある。でも、差がない分、ちょっとしたことが影響する。(主力の)田口やアリアスまで出しては無理。

 市民も冷めてしまった

 本拠地移転のときに千葉や札幌など五都市から誘いがあった。で、「神戸は冷めてるよ」とよく注意された。確かに、常に向いてもらうのは大変だと実感した。
 優勝の時、応援してくれていたのも実は阪神ファンかもしれない。ただし、それはそれでいい。野球ファンに変わりはない。まず野球ファンを増やすことを考えてきた。
 強くなれば関心を持ってもらえる。だって、あの年、地下鉄の三宮駅で「満員札止め」の案内を何度も出したんだから。神戸市民を熱くすることはできる。



 

 いのう・しげよし 1935年、岐阜県瑞浪市生まれ。上智大外国語学部卒。丸善石油(当時)に入社。ニューヨーク支社長から公募されたオリックス球団代表に転進。90年から2000年まで務める。02年から関西国際大教授。芦屋市在住。

 

    たかが、されど
震災の年、地下鉄沿線の仮設住宅に取材に通った。ふれあいセンターでお茶をすすりながら、おばちゃんたちがブルーウェーブを話題にした。イチロー選手の連続試合安打からナイターの夜空を彩る花火まで。証拠の示しようもないけれど、被災程度が大きな人たちこそ熱心だった気がする。ブルーウェーブは「うちらのチーム」だった。
 たかが野球、されど野球。言い古された言い回し通りの状況があった。いや、あの年は野球だけでなく、あらゆる職業、仕事で「たかが」「されど」と実感できたように思う。一人ひとりが本職の責を果たすことが、「うちらの町」の再生につながる。そんな手応えを感じられたのではなかったか。
 「あのころは」と、感傷的な質問と答えに終始するインタビューになった。八年。リストラを重ねてチームの輝きはあせた。チケット・ショップで試合の入場券が数百円で売られる始末。
 今年は神戸に帰ってきたマック鈴木投手がマウンドに立つ。再起の年、野球チームに思いを託せられる幸せを思い出したい。 (宮沢之祐)



コメント(2)

また1.17がやってきますね。
僕もマネして大学の硬式野球部の練習着の袖に「がんばろう神戸」つけて九州の田舎でやってました。

来期も神戸開催継続ですが、勝ってほしいですね。そしてスター選手の誕生を期待します。
「頑張ろう神戸」を久しぶりに見かけました。カラオケでリトルネプチューンをBGMがわりに選曲したのですが…
あの頃の映像が流れもちろん頑張ろう神戸も映り懐かしい気がしました。
日本一の胴上げのシーンとかもあるのでオススメですよ☆☆

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