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米国、南NJ州クリスチャン教会コミュの御言葉による判断力 創世記のメッセージ

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題目:御言葉による判断力
創世記のメッセージ
生ける神の言葉である創世記は、時代を越え民族を越えて神のメッセージを告げる。 それと同時に、「この時代に生きる日本人」としての私達にもメッセージを語っている
「何のために強く生きなければならないのか」と、ある女子高校生が新聞に投書した。
彼女は、友人が自殺した時に周囲の人たちが、「どうしてもっと強く生きてくれなかったのか」と語ったことに疑問を感じたのである。
これに対して多くの反響が寄せられたが満足の答えは得られず、彼女は再び、 「何のために強く生きなければならないのか」と投書した。
なぜなのか。それは、彼女が問うのが「人生の意味」であったのに、寄せられた
回答は、「いかにして」という方法論にしかすぎなかったからである。
彼女の質問は別な言い方をすれば、自分自身の「アイデンテイテイー」(自己同一性)を求めていると言うことができる。
自己同一性とは、「自分が自分であることの意味」とも、「なぜ私でなければならないのか」という「自分の存在の根拠」とも言うことができる。
現代のような大衆化され機械化された社会の中で、自分が生きている意味があるのだろうかという疑問は深刻である。
そしてその疑問は、人間一個の価値は一体どこにあるのかという問題へと発展する。 これに対して創世記は明確な回答を示している。
(1) アイデンテイテイーの基盤
創世記は、神が私達にアイデンテイテイーの基盤を与えられたと語っている。
人類の使命は何か。一人の人間の存在価値は何か。結婚とは何か。労働とは何か。
その他、人生の根本的な意味について創世記に私たちは答を見出すことができる。
(2) アイデンテイテイーの喪失
人間は自分の存在の意味や、結婚、家庭、労働、民族の意味を見失って迷っている。それはなぜか。それは、人間の存在に意味を与える創造者なる神に背いたことに原因がある。                            人は神に立ち返ることなしに自分の存在の意味を回復しようとして罪の文化を 形成し、神から離れた性や家庭、民族、財産、技術、美術などに自分の    アイデンテイテイーを求めようとした。                  しかし、神は、そのような人間の企てを打ち砕かれるために、人をエデンの園から追放し、人に死を与え、また洪水をもってさばき、バベルの塔の出来事に見られるように人々を散らされたのである。                  それは、彼らが偽りのアイデンテイテイーに満足せずに、神における真の   アイデンテイテイーを求めるようになるためであった。
(3) アイデンテイテイーの回復
神は、このように存在の意味を失ってしまった人間に対して、回復の道を備えられた。 それはすでに人間の堕落直後において、原福音(又は原始福音)というかたちで語られ(3:15)、また、エノク、ノアへの祝福と言う形で約束された。 しかし本格的な意味で回復の道が備えられたのは、アブラハムを通してであった。                                 神はアブラハムと、彼の子孫及び約束の土地についての契約を結ばれた。
アブラハムが神の前に義と認められたのは、この契約を信じることによってである。そしてこの契約はイサク、ヤコブ、ヨセフと受け継がれ、主は一つ一つその契約を實行された。                           彼らはその過程において、目に見えるものによってではなく、神の約束を信じる信仰によるアイデンテイテイーを回復して行ったのである。
ここにおいて、それは神の約束を信じる信仰によって一人の人間の存在の意味、結婚の意味、家庭の意味、人類の意味が回復され、信仰によって救われた者を通して神のご計画が実現し、神の栄光が現されることを知るようになる。私達日本人は、 創世記を通して、真の神とはどのようなお方か、神が人間を創造された目的は 何か、結婚とは何か、親からの自立とは何か、そして日本民族の   アイデンテイテイーは何か、善悪の基準は何か、信仰者のとって試練の意味は 何かなど、根本的な問題について神からのメッセージを聞くことができるのではないだろうか?。
キリスト者はみ言葉によって養われます。み言葉による十分な養いは、キリスト者にとってそれ以上は望めないほどの恵みです。              どのようなところに立たされ、又どのような経験を通されたとしても、これは 変わることのない真実であると思います。                 教会にとっても、聖徒がみ言葉によって養われていることは、教会のあらゆる働きの基盤となる恵みであることは確かです。人の目にどのように映ったとしても、その教会は主の栄光の為に、主のみ心の最も敏感な働きを読けると信じます。 反面、もしみ言葉によって養われていないなら、キリスト者としての生き方に 、おいても教会としてのあり方においても、他の何ものによっても補われ得ない 重大な欠陥を抱え込むことになります。
それは、受け取らず生かされることのない恵みの悲劇です。この悲劇は、自らの信仰に誠実であろうとする者にとってもあり得ないことではありません。
その原因は、忙しさのためである以上に、み言葉の深さを探る方法に疎いたためではないでしょうか。
養われるのは一度の美食によってではなく、日々の恵みの積み重ねによります。
み言葉に触れ、み言葉に生きることは、聖霊のみわざであり、信じる者の心に 深く伝えられるみ言葉のメッセージによるのです。              聖書とは本来、信じる者の為のこのメッセージを伝えることではないかと思うのです。

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