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ぐだぐだ文章空間コミュの一、二話目更新〜

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  雪桜

 旅順は堕ちない。
 斉藤道助は数人の日本兵とともに、自軍の死体を収拾していた。同僚の大半はロシア軍による機関銃のために命を落としていた。脳天を打ちぬかれたもの、腹部をやられたもの、また即死にいたらず、極寒の中徐々に衰弱して死んでいったもの、あらゆる死に方がここにはあった。
(狂ってやがる)
 斉藤はここ連日に及ぶこの作業のたびに、司令部の無能さを呪った。旅順が強硬な要塞であることは、数度にわたる突撃とそれに伴う数千単位の死体、そして旅順の無傷さを見れば、最早誰の目にも明らかだった。それにも関わらず、相変わらず司令部は勇敢にも、というよりも無謀にも、馬鹿の一つ覚えのように正面突破を命じた。
 その結果が、この死体の数だ。彼らはこの作戦の無謀さと、おそらくはやって来る死、それも報われない死との葛藤の間に、何を思い、死んでいったのか。斉藤はいつわが身にくるかもしれない運命を思うと、人事にはなれなかった。
 死者は語らない。
 何も語らない。そこに物質としてあるだけだ。しかし、斉藤にはそのことが何よりも恐ろしく感じた。ここに横たわる物体のひとつひとつにも名前があり、それぞれの人生が、命があった。家族があったもの、恋人があったもの、また独身のもの、さまざまな個が存在していたのだ。しかし、その個が数百、数千単位で動員され、集団で死んでいく。斉藤はここにある物体のどれ一つとして知らない。彼にとってはどれも均一な死体でしかないのだ。そのことが彼には恐ろしく感じた。
日本が帝政ロシアに宣戦してから、ここ旅順には乃木希典第三軍が兵力六万であたっていた。七月に旅順包囲作戦が始まり、八月には包囲を完了させた。戦死者千人であった。
もともと大本営は旅順を甘く見ていた。ここの攻略は十年さかのぼることの、日清戦争の際にも行われ、日本軍はわずか一日で、当時の旅順要塞を陥落させた実績があった。そのことが日本軍の認識を甘くした。日露戦争における旅順は、最早日清戦争のときのそれではなく、三国干渉によって遼東半島を得たロシアによって、世界有数の、近代要塞へと生まれ変わっていたのだ。
旅順を包囲した日本軍がまず認識したことは、旅順の強固さと自国の認識の甘さであった。包囲を完了したところで、この幾重にも重層された化け物をどう攻略するかに乃木司令部は頭を悩まされた。
旅順攻略は陸軍というよりも、海軍の要請によって必要とされた。日本海軍は世界最大級のロシア・バルチック艦隊が、大西洋から日本海に到着し、当時極東を担っていたロシア旅順艦隊と合流されることを、恐れた。戦力が分散されているうちにたたく。これが戦略上、日本が要求された作戦であった。
旅順作戦について述べる前に、まず、当時の日本の状況と日露戦争についての説明をすべきであろう。そうでなければ、この作戦についての理解は不可能だからだ。
幕末、鎖国状態にあった日本を開国させたのはアメリカ・ペリーであったが、ロシアのプチャーチンもまたその大きな要因の一つであった。当時の日本の認識としては、地理的に遠く、また国内の統一が達成されていないアメリカよりも、ロシアの存在を恐れた。いや、恐れた、という叙述では誤謬があるだろう、絶望的に恐怖した、というほうがむしろ正しい。
帝政ロシアの南下政策はこの当時から、国策として不動の位置を占めていた。ロシアは海外拡張政策のための拠点として、不凍結港を渇望していた。そのため、江戸後期には樺太、蝦夷周辺で頻繁に圧力をかけてきたし、また、日本の生命線(と日本は認識していた)である朝鮮半島に隣する満州においては暴挙ともいえる事実上の占領を行っていた。満州での占領が終われば当然、朝鮮半島、対馬半島へとその欲望の矛先が移行すると考えられ、日本の独立を守るためには日露戦争とその勝利が絶対であった。
日露戦争での勝利。日本はこれを絶対的な国策とし、明治維新以降の全ての政策はこのためにあったと言ってもよい。そのために日本は急ぎ軍事を整え、曲りなりにもなんとかロシアと同じ土俵に立てるほど、にはした。
しかし、日露戦争当時においてでさえ、その軍事力には隔絶されるほどの差があった。純粋に日露双方の軍事力だけを見れば、日本の勝利は万に一つもない。そのような状況下において、唯一勝機となる要因は、日本はロシア一国に全力を持ってあたればいいのに対し、ロシアはヨーロッパにおけるパワーバランス、そしてロシア革命前夜の国内における不穏分子にも同時に対処しなければいけないということだ。
むしろ、ロシアは極東での一事件などはじめから軽視していた。つまり、日露戦争に対する、日本側とロシア側の認識の違い、これが日本に有利する最大の要因であった。あまり長い叙述にすることは避けるが、戦争が局地戦から総力戦に移行したのは第一次世界大戦とされているが、総力戦にたいする定義によるが、これを軍部だけでなく、国家全部を総動員した戦争と定義するのであれば、日本はすでに日露戦争において総力戦を余儀なくされていた。

コメント(1)

コメント・とまあ、とりあえず一、二話分更新!!時代背景は8月7日の日記に書いているので、参考にしてね☆二、三日ごとに更新していき、全部で二十ページぐらいで終わるようにします。題名の雪桜というのは、去年ぐらいに戦争体験者の方からお話をお聞きしたときに、出兵のときに「雪桜が舞っていた」という言葉が印象に残ったので、題名に決定しました。雪と桜。どちらも儚いものです。どちらも触れてしまうと壊れてしまいそうなものです。しかし、どちらも一瞬の生を燃やし、そして静かに消えゆくものです。それが出兵する兵士たちを見送ったという情景は僕の心の中に深く刻み込まれました。んで、戦争物ということで、これにしよう!と!まあ、とりあえずこれからばんばん更新していくので、初めて完結できる(予定)拙い小説ですが、どうぞ最後までお付き合いください。。
なんか、最後は歴史的事実の陳列で堅苦しいですが、これも歴史小説の宿命・・・がんばります!!

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