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東京の名所旧跡再発見コミュの09 品川区

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品川区

1 旧中原街道供養塔群? 品川区荏原1-15-10 元文元年(1736)馬頭観音菩薩立像・貞享年間(1684〜88)聖観世音菩薩立像
2 旧中原街道供養塔群? 品川区荏原2-9-17 寛文6年(1666)造立の笠塔婆型庚申供養塔
3 戸越公園 品川区豊町2−1 細川家の下屋敷跡
4 戸越八幡神社 品川区戸越2-6-23 社殿は安政4(1857)年に建立
5 小山台お猿橋庚申堂 品川区小山台1-21-17 延宝2(1674)の銘のある江戸初期の庚申塔
6 小山朝日地蔵堂 品川区小山2-7-14 寛文7(1667)年に戸越村念仏講中16人により建立
7 小山朗惺寺 品川区小山3-21-6 梵鐘貞享元(1684)年
8 上大崎戒法寺 品川区上大崎1-9-11 水鉢は享保14(1729)年
9 上大崎降崇院 品川区上大崎1-9-24  貞享元(1684)年の石地蔵
10 上大崎高福院 品川区上大崎2-13-36 本堂の建立年代は不明ですが天保15(1844)年に現在地に移築
11 上大崎清岸寺 品川区上大崎1−5−5     天保12(1841)年の山門
12 上大崎本願寺 品川区上大崎1-10-32 寛文4(1664)年の銘のある石仏
13-15 西五反田安楽寺 品川区西五反田5-6-8 区指定文化財「安楽寺供養塔群
16 西五反田安養院 品川区西五反田4-12-1  観音堂は栃木市の定願寺から移築したもので江戸初期の建築物
17 西五反田子別れ地蔵 品川区西五反田6-22-3
18 西五反田徳蔵寺 品川区西五反田3-5-15 元文3(1738)年の地蔵
19-20 西五反田氷川神社 品川区西五反田5-6-3 狛犬:安政6(1859)年 鉄砲石
21 西品川貴船神社 品川区西品川3-16-31 文政11(1828)年の道標
22 大井光福寺 品川区大井6-9-17 井戸は大井と名づけられ大井の地名の由来
23 大崎居木神社 品川区大崎3-8-20 手水鉢寛政4(1792)年
24 東五反田宝塔寺 品川区東五反田1-2-29 寛文8(1668)年、寛文12(1672)年庚申塔
25 梶原稲荷神社 品川区東大井3-9-15 梶原景時が建立
26 東大井来福寺 品川区東大井3-13-1 貞享2(1685)年庚申塔
27 東品川寄木神社 品川区東品川1-35-8 本殿:房総石の石造で江戸時代の防火建築
28 南品川海蔵寺 品川区南品川4-4-2 品川宿の投げ込み寺
29 南品川本覚寺 品川区南品川1-10-11  寛文8(1668)庚申塔
30 南品川妙蓮寺 品川区南品川1-1-1 丸橋忠弥の首塚
31 二葉鬼門除け地蔵 品川区二葉2-1-12 寛政4(1792)年
32 二葉東光寺 品川区二葉1-14-16 寛文3(1663)年庚申塔
33 品川歴史館 品川区大井6-11-1
34-35 豊町大原不動堂 品川区豊町5-1-15 天和元(1681)年、同2年、元禄元(1688)年庚申塔
36 北品川荏原神社 品川区北品川2-30-28
37 北品川稼穡稲荷神社 品川区北品川2-32-16 社殿は小さいものの江戸後期の建造物
38-39 北品川善福寺 品川区北品川1-28-9 品川宿草創期万治元(1658)年笠塔婆型念仏供養塔

40 潮風公園 品川区東八潮1・2番




日記の目次
願行寺 品川区南品川2-1-12 2006 3 23 しばり地蔵
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=106015020&owner_id=300389

品川寺 品川区南品川3‐5‐17 2006 3 24 江戸六地蔵
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=106514375&owner_id=300389

品川神社 品川区北品川3−7−15 2006 3 25 富士塚
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=107001150&owner_id=300389

鈴ヶ森刑場跡 品川区南大井2-5-6 2006 3 26 はりつけ台石・火あぶり台石
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=107462667&owner_id=300389

東海寺 品川区北品川3-11-9 2006 3 27 沢庵和尚
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=107982794&owner_id=300389

澤庵 宗彭 品川区北品川3丁目東海寺大山墓地 2006 3 28
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=108518872&owner_id=300389

賀茂真淵 品川区北品川3丁目東海寺大山墓地 2006 3 29
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=109038534&owner_id=300389




コメント(40)

「旧中原街道供養塔群?」

 旧中原街道沿いにある石造物の1つです。4基の供養塔が小さなお堂に残されています。民家の入り口の横にあり見つけにくいかもしれません。
 地蔵菩薩立像2基、馬頭観世音・聖観音立像各1基があります。
 元文元年(1736)造立の舟型半肉彫りの馬頭観音菩薩立像、延享3年(1746)造立の地蔵菩薩立像、それとほぼ同時期に造立と思われる地蔵菩薩立像、貞享年間(1684〜88)に造立の聖観世音菩薩立像です。
 
 所在地:品川区荏原1-15-10

写真
 左  元文元年(1736)馬頭観音菩薩立像・貞享年間(1684〜88)聖観世音菩薩立像
 中央 地蔵菩薩立像
 右  延享3年(1746)地蔵菩薩立像
「旧中原街道供養塔群?」

 旧中原街道沿いのお堂に石造物が並べてあります。寛文6年(1666)造立の笠塔婆型、延宝元年(1673)造立の板碑型、宝暦4年(1754)造立の長方形板型の庚申供養塔、江戸時代(1603〜1868)中期以降に造立の笠塔婆型供養塔や地蔵菩薩立像、大正3年(1914)造立の碑などがあります。

 所在地:品川区荏原2-9-17
「戸越公園」


 肥後熊本藩54万石の大大名細川家の下屋敷跡を公園として開放したものです。細川家は寛文2(1662)年幕府よりこの土地拝領し下屋敷の造営に着手しました。
 庭は東海道の風景を模したものでした。拝領地は約7200坪でしたが細川家は周囲の土地を取得し33,000坪の敷地に屋敷と庭園を作りました。造営は実に10年の歳月を要し寛文11(1671)年に完成させました。ところが、7年後の延宝6(1678)年に焼失してしまいます。天明4(1784)年以降いくつかの大名の手を経て明治23年三井が入手しました。昭和7年敷地の一部が荏原町に寄付され戸越公園と戸越小学校の用地となり現在に至ります。
 現在の戸越公園は旧細川屋敷の東庭園(池を中心とした廻遊式庭園)を利用したもので大名庭園の面影を今に伝えるものです。

 所在地:品川区豊町2−1
「戸越八幡神社」

 大永6(1526)の創建で旧戸越村の鎮守です。社殿は安政4(1857)年に建立されたものです。参道にある狛犬は延享3(1746)年の銘があり品川区最古の年代の銘のある狛犬です。台石には207人に及ぶ寄進名がびっしり記されていて当時の戸越村の全戸にわたると推定されています。

 所在地:品川区戸越2-6-23
「小山台お猿橋庚申堂」

 かつて品川用水にかかるお猿橋という橋があり、その橋のたもとに旧戸越村の槍ケ崎という集落の人たちが立てた庚申塔がありました。そのためこの庚申塔はお猿橋庚申塔と呼ばれていました。延宝2(1674)の銘のある江戸初期の庚申塔です。
 民家の軒先にあるので見つけにくいです。

 所在地:品川区小山台1-21-17
「小山朝日地蔵堂」
 
 後地交差点のスーパーのライフの右手にあります。寛文7(1667)年に戸越村念仏講中16人により建立されたもので、江戸初期の地蔵として貴重です。安産、子育て、厄除けにご利益があると信じられています。朝日地蔵の名前は、九品仏の浄真寺(世田谷区奥沢)の珂磧上人が修行のため毎日芝増上寺に参内するにあたりこの地蔵堂で丁度日の出となるのでこの名前が付いたとのことです。朝もやにけぶる田園風景の中にこの地蔵があったと想像されます。
 地蔵堂の前には「寛政元年銘石造道標」があります。高さ1mの道標で、寛政元年(1789)に江戸市中の職人や商人が造立したものです。碑文谷道と目黒道の交差点に建てられていたのですが、道路の拡張で現在は道の反対側のお堂の前に移されたため、指す方向が逆になっています。
 道標正面には「右不動尊」「左仁王尊」と彫られています。
 他に摩耶寺の道を示す道標も置かれていますがこれは明治34年に建てられたものと考えられています。

 所在地:品川区小山2-7-14
「小山朗惺寺(ろうせいじ)」

 日蓮宗のお寺で興栄山といいます。文禄2(1593)年の創建です。池上本門寺11世の 日惺上人が家康から江戸市中に1万坪の土地を拝領したことにより、この土地に5箇所寺を開きました。この5箇所寺の筆頭が朗惺寺でした。当初丸の内付近に建立されたのですが移転くりかえし、明治42年現在地に落ち着きました。
 本堂右手の隅に梵鐘が無造作に置かれています。この梵鐘には貞享元(1684)年の鋳造の銘があります。また境内には小山各地から集められた庚申塔等を見ることできます。お寺は商店街の近くになります。

 所在地:品川区小山3-21-6
「上大崎戒法寺」

 浄土宗のお寺で東照山といいます。
 上大崎の子院群は初め芝にありました。江戸市街の大改造のきっかけにもなった明暦3(1657)年の明暦の大火(振袖火事)後、現在の麻布狸穴に移されました。その後さらに狸穴の地が三代将軍家光の二男で時の将軍四代家綱の弟、後の甲府宰相綱重の屋敷地になるため、子院はそれぞれ現在地に移転させられました。寛文元(1661)年のことで、当時はこの子院群を「増上寺下屋敷」と言いました。
 移転した寺は戒法寺、本願寺、最上寺、光取寺、清岸寺、正福寺、善長寺、了福寺の八か寺でした。しかし、明治の後年、正福寺はここに移ってきた常光寺と合併して常光寺に、善長寺も同じように隆崇院と合併して隆崇院となります。さらに了福寺は江戸時代後期に廃寺となり、明治24年にその跡に、増上寺の子院ではない宝蔵寺が芝高輪から移ってきました。これで、増上寺の子院群は七か寺になったんですが、昭和6年増上寺山内にあった子院の月窓院が移転してきて増上寺の子院群は八か寺になりました。
本堂右手の水鉢は享保14(1729)年の銘があります。

 所在地:品川区上大崎1-9-11
「上大崎降崇院」 


 浄土宗のお寺で善長山と言います。寛文9(1669)年増上寺山内の山下谷に創建され
明治37年 伊皿子の長善寺と合併し現在地に移転してきました。鉄筋コンクリートの本堂の屋根の青が目を引きます。入り口に露出の延命地蔵尊が安置されています。
門前には貞享元(1684)年の石地蔵があります。
 所在地:品川区上大崎1-9-24 
  
「上大崎高福院」            

 目黒駅の近くにある真言宗のお寺です。慶安元(1648)年に高松藩主松平讃岐守が開創されました。本堂の建立年代は不明ですが天保15(1844)年に現在地に移築されたことは判明しているので、それ以前の建物であることは確かです。大戦で焼け残ったお堂の1つです。本堂前の大きな灯篭が目を引きます。

 所在地:品川区上大崎2-13-36
「上大崎清岸寺」

 浄土宗のお寺で、寛永7(1630)年に八丁堀に創建されました。寛文元年ここに移転
してきました。奇跡的に戦災を免れた天保12(1841)年の建造された山門が残ります。
 山門入るとすぐ目に付く桜の古木は樹齢300年と伝えられます。
             
 所在地:品川区上大崎1−5−5             
             
「上大崎本願寺」

 浄土宗のお寺で選択山と言います。慶弔11(1606)年創建と伝えられています。天和4(1684)年に現在地に移転してきました。本堂及び庫裏は鉄筋コンクリート製です。山門は唯一戦災を免れた木造建築です。建築年代は不明です。
 道の反対側の墓地には寛文4(1664)年の銘のある石仏があります。

                             
 この地には9つのお寺があります。これらは徳川家菩提寺芝増上寺の子院です。はじめ芝にあったものが明暦の大火で麻布狸穴(まみあな)に移されたのですが、後に家光の息子である綱重の屋敷地になることが決まって、幕府の命令で、この品川区上大崎に移ってきました。当時の公的な記録には「増上寺下屋敷」と記されてます。移転してきたのは、戒法寺、本願寺、最上寺、光取寺、清岸寺、正福寺、善長寺、了福寺の8つでした。その後、合併したり廃寺になったりがあり、明治24年に宝蔵寺、さらに昭和6年に月窓院が移転してきて現在は9つになっています。このうち宝蔵寺だけが増上寺の子院ではなく、頼朝が開山したと伝えられています。


 所在地:品川区上大崎1-10-32
「西五反田安楽寺」(その1)

 天台宗のお寺で松園山と言います。弘治2(1556)年に創建されたと伝えられます。
境内には明治初期に廃寺となった下目黒明王院の平井権八・小柴ゆかりの「連理塚」
が移設されています。また塩かけ地蔵と呼ばれる地蔵が本堂左にあり、足元に塩を供えて願いをかけると伝えられています。このためいまでもお塩の供え物が地蔵の足元にあります。
 また、区指定文化財「安楽寺供養塔群」と呼ばれる石造物8基があります。
寛文9年(1669)から寛政11年(1779)に造立の庚申供養塔5基、寛文10年造立の題目供養塔、廷宝年間(1673〜81)造立の馬頭観世音供養塔、大正年間(1912〜26)造立の馬頭観世音道標などで、周辺の村々の人が造立したものがここに集められています。



「平井権八・小柴」
 江戸の初め、鳥取藩士平井権八(?〜1679)は父の同僚を殺害し江戸に逃走しました。江戸では吉原三浦屋の遊女小紫と馴染となって金に困り、浅草日本堤で辻斬り強盗殺人を重ねていました。
 ある時、東昌寺の僧、随川(ずいせん)にかくまわれ、尺八を習いました。改心した権八は死ぬ前にもう一度両親に会いたいと思い、虚無僧となって郷里鳥取に帰りましたが、すでに両親とも他界していました。観念した権八は江戸に戻って自首し、鈴ヶ森で処刑されました。随川によって遺骸は東昌寺に葬られましたが、そこへ小紫が吉原から抜け出てきて権八の墓の前で後追い心中しました。後に脚色され歌舞伎の題材になりました。

 4世鶴屋南北の「浮世柄比翼稲妻」や「幡随長兵衛精進俎板」で「鈴ケ森」の出会いの場面があります。
 白井権八がその見事な剣さばきで、自分に言いがかりをつけようとした雲助ども十数人を切り捨てるのですが、それを籠の中からじっと見ていた幡随院長兵衛が、立ち去ろうとする白井権八を呼びとめるせりふは歌舞伎を見たことのない人でもよくご存知でしょう。幡随院長兵衛「お若えの、お待ちなせえやし」
白井権八「待てとお止めなされしは、拙者がことでござるかな」
 この場面の白井権八は、顔は白塗り、鶸色(黄色)の着付けに○に井の字の紋、鮮やかな紅絹の脚絆に前髪の鬘という典型的な若衆の扮装です。年の頃わずか14ー5の美剣士なのです。一方の幡随院長兵衛は、町奴の頭領としての貫禄十分な派手なこしらえで、これもまた典型的な座頭格の役どころです。この「鈴ケ森」は、筋書きとしては両者が出会い、この時すでにお尋ね者として指名手配になっていた白井権八を幡随院長兵衛が江戸で匿う約束をする、ただそれだけですが美貌の若手花形役者と一座の立役者の美しい絵姿を並べて見せるという、いかにも歌舞伎らしい場面として人気のあるところです。
しかし史実では両人の生きた時期が異なります(^_^;

 所在地:品川区西五反田5-6-8    

写真
 左   本堂
 中央  連理塚のお堂
 右   連理塚
               
「西五反田安楽寺」(その2)

写真
 左   安楽寺供養塔群
 中央  寛文9年(1669)の庚申塔
 右   延宝8(1680)の庚申塔
「西五反田安楽寺」(その3)

写真
 左   寛政11年(1799)の庚申塔
 中央  年代不詳の板碑
 右   塩かけ地蔵
「西五反田安養院」

 天台宗の瑞竜山と言います。平安時代に創建されました。目黒不動の子院になっています。一時衰退してましたが寛永元(1624)年唱嶽長者が再興しました。唱嶽は仏師として当時有名人でした。本尊の釈迦如来涅槃像は唱嶽の作でしたが焼失してしまいました。山門は戦災を免れ、貴重な江戸時代の建築物です。安養院の額は中国の帰化僧で書家の獨湛の手によります。
 山門右手の観音堂は栃木市の定願寺から移築したもので江戸初期の建築物です。
 墓所には広島の藩主、浅野家3代目の婦人称専院の墓があります。延宝7(1679)年造立の高さ2.6m五輪塔を取り囲む7基の観音像は侍女の墓と伝えられています。
 また山門左脇には「和蘭矮狗玄雋之霊:文政11(1828)」の碑があります。オランダ人が飼っていたチンの墓です。犬でそれも洋犬のもので江戸期のものは珍しいです。

 所在地:品川区西五反田4-12-1 
「西五反田子別れ地蔵」

 享保12(1727)年に建てられた地蔵菩薩像です。子別れ地蔵と呼ばれるのは、この地蔵が立っていたのが桐ケ谷の火葬場への道筋だったためです。
 子供に先立たれた親がそのなきがらを見送った場所がこの地蔵のあった付近とされ、このように呼ばれています。

 所在地:品川区西五反田6-22-3
「西五反田徳蔵寺」

 天台宗のお寺で天正年間(1573-1591)の開創と伝えられています。鉄筋の本堂左手に5基庚申供養塔が並んで立っています。そのうちの1つは寛永12(1635)年に造立のもので品川区最古の庚申塔です。保存状態が良いものです。
 残り4基は旧上大崎村の庚申講中が造立したもので目黒川に架かる谷山橋のたもとに置かれていた伝えられています。

 庚申塔の左に坐像と立像の地蔵菩薩像があります。坐像は「三輪地蔵」と呼ばれ元文3(1738)年の銘があります。この地蔵は下谷長者町の医師吉川栄順が造立したもので拝むと虫歯の痛みが治ると伝えられています。
 立像は高さ1.6mもある大きなものです。塩地蔵と呼ばれていて眼病に霊験が高く、
お礼に塩を奉納すると伝えられています。

 所在地:品川区西五反田3-5-15
「西五反田氷川神社」(その1)
 
 旧桐ケ谷村の総鎮守です。創立は不明ですが元禄年間(1688-1704)いはすでに創建されていた記録が残されています。
 高台にあり、社殿の真下は湧き水が豊だったようです。現在も本殿右下氷川の滝とよばれる滝があり、わずかですが湧き水も見ることができます。
 またこの滝の横には品川宿の料亭「観桜館」の庭で勤皇の志士鉄砲の標的にした鉄砲石があります。現在も石の表面に弾痕を見ることができます。


 所在地:品川区西五反田5-6-3

写真
 左   入口
 中央  鉄砲石
 右   湧き水
「西五反田氷川神社」(その2)

写真
 左   社殿
 中央  狛犬:安政6(1859)年
 右   狛犬:安政6(1859)年
「西品川貴船神社」

 創建年代不明です。三ツ木の鎮守で社殿左の植え込みの中に文政11(1828)年の道標があります。戸越銀座から妙光寺(西品川1-6-26)に至る古い道筋にあったものです。石の表面には
 正面「西めくろ」
 右側「右南品川」
 左面「左北品川」
 裏面「松原氏」
 建立者 松原 居木橋村名主
 と記されています。


 所在地:品川区西品川3-16-31
「大井光福寺」

 無宗派(単立)で大井山と言います。本堂左には樹高約40mの銀杏があります。樹齢800年と推定され品川区内では最大最古の樹です。
 寺は奈良時代の延暦元(782)年の創建と伝えられています。当初は天台宗のお寺で薬王院神宮寺と言いました。鎌倉時代の元久年間(1204-1206年)親鸞の弟子の了海により浄土真宗に改宗し光福寺となりました。
 本堂裏の墓地には大井と記した横穴式井戸があります。開基了海上人産湯井と刻まれた石碑があります。井戸は大井と名づけられ大井の地名の由来の1つとされています。

 所在地:品川区大井6-9-17
「大崎居木神社」

 居木橋村の鎮守で江戸草創期には雉子ノ宮と呼ばれていました。目黒川の居木橋の北西側に当初作られたのですが度々川が氾濫し被害にあったため、寛文年間(1661-1673)に水害避けて現在の高台に移転しました。
 鳥居には?
 境内にある手水鉢には寛政4(1792)年、道祖神には寛政9(1797)年の銘があります。


 所在地:品川区大崎3-8-20
「東五反田宝塔寺」

 天台宗のお寺です。元は法東寺と称し、室町時代の応永8(1401)年に創建されたと伝えられます。創建当時は品川の海岸沿いにあったようですが万治年間(1658-1661)にこの地に移転してきました。
 本堂は大正9年のものです。本堂右手の墓地入り口に2基の庚申供養塔があります。板碑型のものは寛文8(1668)年、笠塔婆型は寛文12(1672)年の江戸初期に造立されたものです。
 いずれも旧大崎村の村人により建てられたものです。

  所在地:品川区東五反田1-2-29
「梶原稲荷神社(梶原塚)」

 鎌倉時代の武将が梶原景時が建立したと伝えられてます。小さな稲荷で、住宅地の中にあるため見つけにくいと思います。かつて万福寺の境内に祀られていたものですが、このお寺は元応2(1320)年に焼失し、稲荷だけの残ったと言われてます。社殿の後方は1m程小高くなっています。こここは梶原塚とよばれ梶原一門の墳墓と伝えられています。梶原氏は関東平氏の一門で源頼朝挙兵で戦功を挙げ梶原の姓を名乗ることを許されたといわれてます。境内には文化元(1804)年の銘のある水鉢があります。

 所在地:品川区東大井3-9-15
「東大井来福寺」

 真言宗智山派のお寺で、平安中期の正暦元(990)年、智弁阿闍梨により創建された古刹です。本尊の延命地蔵は別名「経読地蔵」と呼ばれています。
 源頼朝の手による写経が埋めた経塚が現在の大井1-44-5にありました。通りがかりの僧が塚から読経が聞こえるため文亀元(1501)年掘ったところ現れたのがこの本尊だったとのことです。
 境内左手に貞享2(1685)年の比較的古い庚申塔があります。また宝筐印塔には享保19(1734)年の銘があります。

 所在地:品川区東大井3-13-1
「東品川寄木神社」

 御林猟師町の鎮守で江戸時代は寄木明神と呼ばれていました。元は南品川3丁目にあった猟師町の移転に伴いここに移されました。
 祭神は日本武尊で本殿は房総石の石造という珍しいものです。江戸時代の防火建築の面影を残す貴重なものです。本殿の扉の内側には名工伊豆長八のてによる漆喰鏝絵「鏝絵天鈿女命功績図」が施されています。レプリカが品川歴史館に展示されています。神社では、少々離遠目ですがガラス越しに見ることができます。
 社殿前に置かれている鉄製の天水桶は元治元(1864)年で北品川宿の旅籠屋の見世若者、八ツ山茶屋の芸者が寄進したものです。狛犬は文政11(1828)年のものです。

 所在地:品川区東品川1-35-8
「南品川海蔵寺」

 時宗のお寺で深広山と言います。永仁6(1298)年清浄寺の末寺として創建されました。品川宿の投げ込み寺とされていました。鈴が森の処刑場で処刑された人、品川宿の遊女の遺体、品川の溜牢で獄死した人などが埋葬されています。元禄4(1691)から明和2(1765)の75年間約7万が埋葬されたと言われてます。
 本堂右裏に観音像を祭った首塚があります。ここには鈴が森で処刑された罪人の首が埋葬されています。江戸時代からお参りすると頭痛な直るとされています。
 また本堂左手には慶応元(1865)年建立「津波溺死者供養塔」があります。    

 所在地:品川区南品川4-4-2

写真
 左  本堂
 中央 首塚
 右  津波溺死者供養塔
「南品川本覚寺」

 天台宗のお寺で元亀3(1572)年の創建と伝えられています。 鉄筋の本堂がそびえています。本堂左の奥に駒形の大型の庚申塔があります。寛文8(1668)の江戸初期の珍しいものです。正面に青面金剛像、三猿、邪鬼が彫られていて中央に本覚寺と刻まれています。このことからもとからこの寺にあったものと考えられます。              

 所在地:南品川1-10-11 
「南品川妙蓮寺」

 大田道灌が江戸城を完成させた長録元(1457)年4月8日の同じ日に開創されたと伝えられています。現在の本堂は昭和35年に建てられたものですがその内部に寛政年間(1789-1801)の旧本堂を組み込んでいます。
 墓地には新吉原の遊女で仙台藩主伊達綱宗の愛妾薄雲太夫の墓と丸橋忠弥の首塚
があります。忠弥は由井正雪の乱で幕府転覆を図り慶安4(1651)年鈴が森刑場で処刑
されました。刑場に近い大井村のこの寺檀徒の村民は、憐れに思い首をここに葬ったとのことです。なお忠弥の墓は豊島区の金乗院(目白不動)にあります。
 

 所在地:品川区南品川1-1-1

写真
 左  本堂
 中央 丸橋忠弥の首塚
 右  薄雲太夫の墓
「二葉鬼門除け地蔵」

 交番の隣の小さなお堂の中に石造の地蔵菩薩像があります。台石には寛政4(1792)年に下蛇窪村の男女講が寄進したとする銘文が残されています。像は新しく後に作られたものと考えられています。この地は東光寺(二葉1-14-16)に属し、この鬼門除けとしてこの地蔵が置かれたようです。実際の位置は寺の真北になっています。


 所在地:品川区二葉2-1-12
「二葉東光寺」

 天台宗のお寺で天文13(1544)年の創建と伝えられています。本堂は文化12(1815)年に建立されたものですが本堂の屋根はトタンで覆われいます。江戸時代の趣は残されていません。
 境内には寛文3(1663)年の江戸初期の庚申供養塔があります。もとは鬼門除けに鬼門除け地蔵のお堂の前にあったものです。

 所在地:品川区二葉1-14-16
「品川歴史館」

 昭和60年開館されました。1階常設展示場には品川宿にちなんだものが多く展示されています。また2階には大森貝塚とモース博士のコーナーがあります。
 開館時間AM9:00-PM5:00 月曜日が休館 但し月曜が祝祭日場合は翌日。


 所在地:品川区大井6-11-1
「豊町大原不動堂」(その1)


 不動明王を祀るお堂の横には天和元(1681)年、同2年、元禄元(1688)年の銘のある比較的初期の庚申塔があります。上蛇窪村の村民が建てたものです。
 他に太陽と月と三猿を彫った石造の庚申灯篭と道標があります。
 庚申灯篭は貞享4(1678)年に造立されたものです。 
 道標は享保17(1723)年のもので「六十六部廻国供養塔」兼ねたものです。現在は不動尊の台石になっています。
 元は上蛇窪村内に置かれていた
 右側「せんそくミち」「志なかわミち」
 左側「いけかミミち」と記されています。


 所在地:品川区豊町5-1-15

写真
 左  不動堂全景
 中央 不動
「豊町大原不動堂」(その2)

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 左  天和元(1681)年庚申塔
 中央 元禄元(1688)年庚申塔
「北品川荏原神社」

 和銅2(709)年藤原伊勢人という人が貴布禰明神を勧請したのがはじめと伝えられていて品川屈指の古社で、南品川の総鎮守になっています。


 所在地:品川区北品川2-30-28
「北品川稼穡(かいしょく)稲荷神社」


 大きな荏原神社の裏手にある小さな社です。このため忘れられがちな神社です。
かつては薩摩藩の抱屋敷にまつられていた稲荷で荏川稲荷とも呼ばれていました。
幕末、薩摩藩から地元の荏川町に抱屋敷が譲渡された際にこの稲荷も売り渡されたと伝えられています。その後荏川町と呼ばれたこの辺りの町稲荷として信仰されてきました。入母屋造りの社殿は小さいものの江戸後期の建造物で貴重なものです。
 また狭い敷地の社殿脇には高さ23メートルの銀杏がそびえています。また社殿左手の植え込みに隠れている水鉢は文化3(1806)年のものです。

 所在地:品川区北品川2-32-16
「北品川善福寺」(その1)

 時宗のお寺で音響山伝相院と言います。鎌倉時代の永仁2(1294)年に創建されたと伝えられる古刹です。
 本堂は傷みが激しいですが、江戸期の珍しい土蔵造りです。正面上部に漆喰鏝絵の龍が描かれているいましたが、剥落がはげしく右手の上の部分に僅かにみることができます。東品川の寄木神社の扉絵や橋場稲荷神社の狐などを手がけた江戸末期の左官職人 伊豆長八の手によるとされています。一説にはその弟子とも言われています。また本堂横の鉄製天水桶は嘉永7(1854)年のものです。

 本堂左の墓地入り口右手には品川宿の草創期の万治元(1658)年建立の笠塔婆型念仏供養塔があります。
 

 所在地:品川区北品川1-28-9

写真
 左  本堂
 中央 漆喰鏝絵の龍
「北品川善福寺」(その2)

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 左  万治元(1658)年建立の笠塔婆型念仏供養塔
 中央 向かって右元禄4(1691)年 左元禄5(1692)年
「潮風公園」

潮風公園の前身は、東京港改造計画に基づいて造成された13号埋立地の一画の「13号地公園」です。その後、この地域や周辺地域が臨海副都心として整備されるに伴い、平成4年から平成8年にかけて、全面改修工事が行われ「潮風公園」として生まれ変わりました。臨海副都心内では最大の公園で、海辺の公園ならではの施設を備え、お台場海浜公園と隣接しています。また、レインボーブリッジを背景とした東京湾の美しい景色を眺めることもできます。
 場所はゆりかもめ(新橋〜有明)「台場」または「船の科学館」下車 徒歩5分

 開園年月日 昭和49年6月1日
 開園面積 154,939.86m2
 樹木数 高木:12,800本
 低木:27,600株
 主な植物 アメリカデイゴ・オリーブ・クロマツ・サルスベリ・シラカシ・タブノキブラシノキ・マテバシイ・ヤマモモ・ワシントンヤシ
 施設 コーストデッキ、サニーテラス、太陽の広場
 水と緑のプロムナード、彫刻
 夕陽の塔、しおかぜ丸、バーベキュー広場

 在地:品川区東八潮1・2番

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