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聖書が教える結婚講座コミュの第22回 夫婦八戒

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こんばんは!安藤修一です。

 疲れと体調不良のため、三週間ほど夫婦十戒の第八戒の準備
が出来ずにおりました。申し訳ありません。ようやく体調が整
いましたので、早速学びに入らせて頂きたいと思います。
モーセの十戒の第八戒は、

 「あなたは隣人について偽証してはならない。」

 これだけの短い戒めです。私はこの戒めを、夫婦十戒の第八
戒として、

 「夫婦の間に偽りがあってはならない。常に真実を語るよう
に心がけなければならない。それは、夫婦の間で信じ合うこと
が出来ない事ほど、辛く苦しいことはないからである。」

というようにしました。

序論
 嘘か本当か?ある時、世界嘘つき大会がありました。その大
会で一等を取った人の嘘は、『私は産まれてから一度も嘘をつ
いたことがありません。』というものだったということです。
 つまり、嘘をつかない人は何処にもいない。全人類が、大な
り小なりの嘘をついている。ということです。何故、人は嘘を
つくのでしょう?何故、嘘をつかなければ生きていけないので
しょう?嘘はどんな結果を招くのでしょう?ご一緒に考えて参
りましょう。

本論1 嘘や偽りとはどのようなものか?(嘘の本質)
 (1)広辞苑から
  「嘘」=「(心が)真実でないこと。真実でない心から出
て来る言葉のこと。」であることが分かる。また 、「偽り。
正しくないこと。」とある。

 (2)世界最初の嘘から(創世記4章9節)
  アダムとエバの子供である長男カインは、自分よりも神に
喜ばれる献げ物をした弟アベルを野原に誘い出して殺してしま
いました。神は全てをご覧になっておられ知っておられたが、
敢えて、カインの心の正直さをテストするために『あなたの弟
アベルは、どこにいるのか?』と尋ねました。するとカインは
、『知りません。私は、自分の弟の番人なのでしょうか。』と
白々しく答えたのです。
   
 これが世界最初の嘘です。この事から嘘とは「自分の悪い行
ないを隠す為の偽装行為であった」ことが分かります。逆から
言えば、「本当のことを正直に言おうとしない悪い心から出た
偽証罪」でありました。心に天使が働かないで、悪魔が心を支
配していたのです。これが嘘であり、偽りの正体なのです。

 (3)イエス.キリストの言葉から
 「あなたがたは、あなたがたの父である悪魔から出た者であ
って、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと願っているので
す。悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいません。
彼のうちには真理がないからです。彼が偽りを言うときは、自
分にふさわしい話し方をしているのです。なぜなら彼は偽り者
であり、また偽りの父であるからです。」(ヨハネ 8章44節)

 イエス様は、妬みから自分を殺そうとする律法学者の国会議
員たちに対して上記のような言葉を投げかけました。イエス様
によれば、「偽り」とは、《自分の欲望を成し遂げたいと思う
心に潜む邪心》だと教えています。また、偽りを言う人は、《
その場その場にふさわしい適当な言葉を言っているに過ぎない
》のであり、真理に立ってはいない。何故なら、嘘をつく人は
《無意識の内に悪魔を父としている》のだからである。自分の
欲望を叶える為には、最終的には殺人も犯すのである。「悪魔
は最初から殺人者であるからだ。」偽りを言う人は、早くその
事実に気付き悔い改めるくべきである。
 嘘と偽りについて少し分かって頂いたところで、次は、夫婦
の問題について考えてみましょう。

本論2 結婚前の男女の偽りに関して
 結婚前の男女はどんな嘘をつくのでしょう?既婚者の方々は
、身に覚えがあるかもしれませんが…。

 (1)病歴を偽って結婚しようとするケース
 私も若い頃から、教会の中の多くの男女を紹介し、カップル
を結びつけた経験がありますので色々な体験をしてきました。

 ある時、本当は病歴があるのに履歴書の健康覧に「良好」と
書いて提出した男性がおられました。私は、その内容を信じて
自分の教会の女性信者を紹介しました。ところが、結婚後数年
で彼の病気が再発し手術になって、自分が誰かも分からない状
態になってしまいました。結果として、沢山の苦しみを彼女に
味わわせてしまう羽目になりました。牧師として責任を痛感し
ています。
 しかし、もし、あの履歴書に「一度、手術の経験あり。」と
正直に書いてくだされば、私は彼女を紹介することはなかった
かも知れません。もし、正直に書いてくださったならば、結婚
したとしても、その事を覚悟で結婚するわけですから、彼女も
裏切られたような思いをせずに済んだでしょうし、紹介した私
の責任もなかったわけです。ですから、断られるかも知れませ
んが、結婚前の男女は、病歴を絶対に隠さないで欲しいと思い
ます。悪く考えれば、詐欺のようなものだと私は思います。

 (2)自分の過去を隠して結婚しようとするケース
 結婚する男女は、何処まで正直に本当のことを相手に話すべ
きなのでしょうか?どんな生まれ育ちの良い人であっても、人
間は所詮《叩けばホコリの出る身》ではないでしょうか?生ま
れながらにして、全ての人間は堕落しているのですから。

 結婚は相手の良い所ばかりでなく、悪い所も、相手の過去も
全て受けいれることです。ですから、自分の過去の過ちや罪に
関しても出来るだけ本当のことを話すべきだと思います。相手
の方も、それだけの覚悟で結婚することが可能だからです。も
し、結婚してから、続々と
傷だらけの過去を聞かされるのでは、たまったものではありま
せん。相手から裏切られたと思ったり、信じられなくなるかも
知れません。

 皆さんの中には『もし、本当のことを話して、断られたらど
うするんだ!』と言われる方もいるかもしれませんが、しかし
、もし真実を知らされたことによって結婚を断るような人なら
、たとえ隠して結婚できたとしても、夫婦の間ではいつまでも
過去を隠せるものではなく、必ずと言って良いほど、あとでバ
レるものですから、その時に離婚されることになるでしょう。
結婚前から相手の心を欺き、相手の人を裏切って結婚しようと
するような人が、いつまでも幻滅されないで済む訳がないと私
は思います。
 それなら、初めから勇気を持って、一生を共にする相手を信
じて話すべきだと思います。それこそ愛です。

「あからさまに責めるのは、ひそかに愛するのにまさる。憎む
者がくちづけしてもてなすよりは、愛する者が傷つけるほうが
真実である。」(箴言 27章5〜6節)
 
(3)家柄を偽って結婚しようとするケース
 自分が貧しい家庭や、悪い環境に生まれた人は、自分の氏素
性を隠そうとする傾向がある。それは、コンプレックスから来
る心理であり、相手に対して恥ずかしく思うからだろう。しか
し、《貧しさ》は、決して悪でも恥ずかしいことでもない。《
悪い環境》も、その人のせいではない。しかし、そうは思って
もやっぱり隠して済まそうとする悪魔の誘惑を受けることにな
るだろう。しかし、その思いに打ち勝って欲しいと思う。むし
ろ、本当に恥ずかしいのは、貧しさや悪い環境などではなく、
その人の《隠そうとする心》そのものである事。その《隠す心
》の方が、金のないことよりも遙かに貧しいのである事を。

 また中には、逆に金持ちであることや良い家柄であることを
隠そうとする人たちもいるのです。つまり、世的な言い方をす
れば、自慢すべき事なのに、敢えて自分自身の良い条件を隠し
て相手と交際しようとする人たちの事である。それは、相手が
玉の輿に乗ろうとして《自分の財産》等を愛しているのか 、
それとも、本当に相手が《自分そのもの》を愛しているのか確
かめようとするからである。愛しているのは、本人ではなく本
人の莫大な財産や家柄であることがよくある事だからである。
この事は 、金持ちならではの悩みであり、お金持ちが本当の
意味で幸せになることの難しさをかいま見せてくれるケースで
ある。金の切れ目が縁の切れ目になることが、大部分だからで
あろう。
 多くの人たちが「幸せになるための絶対的条件」のように思
われている《お金持ちの人たち》のことを、イエス様は皮肉を
込めて次のように言いました。

「まことに、あなたがたにもう一度、告げます。金持ちが神の
国にはいるよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさし
い。」
                     (マタイ 19章24
節)

 このイエス様の言葉の意味するところは、「お金持ちが天国
に入るのは限りなく難しいことだ。」ということですから、つ
まり、「お金持ちの人たちは、お金への際限ない執着心の故に
、そのお金よりももっと大切な天国から自分自身を閉め出して
いることに気付いていない。」ということをイエス様は言いた
かったのでしょう。

 お金がないことも嘘をつく原因になるし、お金がありすぎて
も嘘をつかなければならなくなるようです。このことは、お金
のあるなしの問題ではなく、人間の心から不信の思いを取り除
くことの難しさを物語っているのかも知れません。

(4)多額の債務を隠して結婚しようとするケース
 本人の借金であることもあるし、家族の借金を背負っている
ケースもあるようです。一番困るのは、サラリーマン金融から
の借財であろう。金そのものよりも精神的に追い込まれるから
である。「愛は金ではない。」とは言うものの、お金のない夫
婦生活は実際に実に辛いものです。《たかが金、されど金なの
です。》軽く見てはいけません。お金で苦労しようと「二人に
愛があれば乗り切れる。」と簡単に言えるほど甘いものではあ
りません。二人とも肉体的にも精神的にもボロボロになってし
まう怖いものなのです。家庭崩壊の大きな理由になりますので
、そんな人との結婚を考える人は、よくよく注意と覚悟を決め
てからにすべきでしょう。もちろん、知恵と努力で乗り越えた
カップルも沢山いるでしょうが。

 (5) 暴力性のあることを隠して結婚するケース
 最近ふえてきているのがこのケースかも知れません。今、日
本で、夫のDV(暴力)で苦しんでいる女性の数が増えています
。現代の駆け込み寺であるシャルターなど追いつかない勢いで
駆け込んで来る女性が急増していると言われているのです。
 私の教会にも、過去に二回ほど私の高校時代の同級生の県職
員から紹介されて来られた女性があったが、そのたった二回ば
かりではあるが、その時に経験した私の印象では、暴力をふる
う夫が悪いのは決まっているが、妻の側にも沢山の問題がある
ように思えた。私もたいして歓迎をした訳でもないが、一週間
ぐらい食べさせ、子供の世話を師、温泉にも連れて行ったのだ
から、少なくとも「あの時は有り難うございました。」という
ようなハガキの一枚くらい来ても良さそうなものだが、一度も
来なかった。今の私の心を正直に言えば、「自分のポケットマ
ネーまで削って世話をしてあげたのに、もう二度と喜んで
したいと思わない。」と思う。むしろ、《そんな女性だからDV
にあうのだろう。自業自得さ。》とさえ思われるのです。
 そうは言っても、出された飯と頼まれた奉仕は断ったことが
ない私なので、頼まれれば、再度引き受けてしまうことは間違
いないのであるが…。

 この問題の陰には、現代は「恵まれた時代」と言えるのだろ
うが、働かなくても 親のスネをかじって生きていけるような
恵まれた時代そのものに問題があると思う。自分の息子を見て
も、今の若者たちはあらゆる面で経験不足だと思う。特に、他
人に仕える《辛い経験》がほとんどないので、他人の下で働き
、忍耐することを知らないのだ。耐える事、我慢すること、甘
んじて苦労するという経験を全くと言ってよいほどしてないよ
うに感じる。「我慢することの尊さ」など米粒ほどにも理解で
きない子供が溢れている。

 家庭に於いて、家族の一員として分担する自分の仕事がない
。責任感もない。仮に、働く気持ちがあっても、手軽にやれる
ような仕事しか選ぼうとしない。親や周りから愛や金や保護を
受けてばかりで、与えることを知らないのである。だから人の
痛みも解らない世代の子供たちになってしまったのだろう。人
間としての尊い生き方が解らないのである。これは子供の問題
ではない。家庭の問題 、しいては親である私たち夫婦の子育
ての問題である。

 親から受けることばかりしか経験していない今の若者たちは
、いっけん恵まれた時代に生まれた子供のように見えるかも知
れないが、実際はそうではない。人間として味わうべき苦労を
していないので、自分自身が問題なのか?それとも相手が問題
なのかさえも分からなくなっているように感じることがある。

 一つの例を紹介しよう。
何度お見合いをさせても色々な理由を付けて縁談を断る男性が
いた。それまで紹介された女性の条件が悪い訳ではないのだが
、何故か、うまくいかなかった。ところが幸いなことに、ある
日、その男性は文句の付け所のないほど理想的な女性と出会い
交際を始めた。
 彼は『今までに出会ったことのない最高の女性を見つけた。
』と私に言った。彼のお母さんも、「お前には、この女性以外
に結婚相手はいない。私は神を信じてはいないが、神様が息子
であるお前の為に用意してくれていた運命の人であるとしか思
えない。」と、母親も太鼓判を押すほどの惚れ込みようであっ
た。人格的にも性格的にも信仰面でも文句の付け所がなかった

 それなのに、ところがある日、彼から「俺にはやっぱり、別
の人が良いように思えるので断ろうかと思っている。」という
相談を受けた。
 私は「嫌いになったのか?」と尋ねた。彼は「いいえ。」と
答えた。「では、何が問題なの?」と、更に私が質問すると、
『問題は何もないし、状況が変わった訳でもないが、出来れば
、自分の性格が暗いのでもう少し彼女の性格が明るいと助かる
な!と思っただけです。』という返事が返ってき来た。
 この彼の答えに、いささかカチンと来た私は、彼にこう言っ
た。

 「誰々君、冗談じゃないよ!十数年もあなたの牧師さんをさ
せてもらっているが、あなたにとって現在の彼女以上に素晴ら
しい結婚相手がこれから出現するとは思えない…。」
 「何故あなたがいつまでも結婚を決めれないかと言うと、あ
なたは、《自分は彼女から何をして貰えるだろうか?》と、相
手から《してもらうことだけ》数えている。それは間違いだ!
そんな考え方をしていたら永遠に結婚相手なんか決めれる訳が
ない。そうではなく、逆に《私は、彼女に何をしてあげれるの
だろか?》と考えなければならないんです。これが正しい考え
方なんだよ。君が真剣にこのように考えるまで、永遠に結婚に
関して悩み続けることになるよ!正しい考え方をしていないか
らだよ。

 あなたは、自分自身の人格と性格の不足な分を彼女からおぎ
なってもらおうと考えて、一所懸命に彼女の採点票をつけてい
るが、問題は彼女の側にあるのではなく、あなたの側にあるこ
とに気がつかなければならない。あなたは自分の不足を自分で
おぎなおうとせず、彼女からおぎなってもらおうとしている。
あなたの無限大の不足をおぎなえるような、そんな完璧な女性
などこの世にいる訳がない。相手からしてもらうことだけ考え
て、相手に対して《してあげること》を考えないようでは、結
婚する資格はないよ。君は彼女に何か要求できるほど、彼女よ
り優れていると言うのかい?…。
 「だから今度彼女と会ったなら、土下座してでも『僕と結婚
してください。』と頼みなさい。私から考えると、彼女がそん
なあなたとの結婚を考えてくれているだけでも奇跡だと思いな
さい。」と、厳しく彼に言ったのでした。

 本当の愛とは《受けること》ではありません。貰って喜んで
いるのは、子供のレベルの愛です。本当の愛、人格的に大人の
愛は、受けるよりも与えることです。惜しみなく、与え続ける
ことです。相手から受けることを期待しないで、一方的に与え
ることです。自分の気持ちが分かって貰えなくても、自分の期
待が裏切られ、踏みにじられても愛を与え続けることです。愛
しているなら出来るはずです。本当の愛は与えることの中ある
からです。
 今まで、あなたのお母さんが子供であるあなたに向かって何
か要求した事がありますか?あなたのお母さんは、あなたから
裏切られたからと言って、あなたを愛することを止めると思い
ますか?
 真実な夫婦愛の家庭を作ることを望んでいるのなら、どうし
て相手から受けることだけを数えるのですか?どうして相手に
愛を与えることを喜ばないのですか。聖パウロは、こう教えて
います。

「主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである
。』と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事に
つけ、あなたがたに示して来たのです。」(使徒 20章35節 )

 今の時代は、女性も未熟だが、男性がもっと未熟なのである
。未熟な者同士が結婚するのだから、問題が起こるのは、当然
と言えば当然と言えるでしょう。
 問題は人間同士が不完全な事ではありません。《自分の不完
全をおぎなおう》として、《相手の中に完全さを要求すること
》が、《真の問題》なのです。もし夫婦間で、お互いの足りな
さを認め合うことが出来るなら、何が不足していても何も問題
にならないのです。そういう意味では、「理想的な夫婦」より
も「ぐうたらママとダメおやじ」の方がうまくいく場合もある
のです。
 それにしても《あばたもえくぼ》と言いますので、結婚する
時は、その交際時の《天にも昇るような気分》を楽しみながら
も、敢えて冷静になって相手の中に、《DV性があるかないか?
》を、よく調べてからにしたほうが安全と思われますよね。

 (6)相手を恐れる思いがあることを話せないケース
 一つの例であるが、今から20年ほど前、ギリシャ彫刻のよう
な顔をした秋田美人が私から洗礼を受けてクリスチャンになっ
た。彼女には、高校時代から付き合っていた彼氏がいた。彼女
も彼との結婚を望んでいたので、「彼にもクリスチャンになっ
て欲しい!」と願っていた。ところが彼には、そんな気は全く
なかったのである。

 そんなある日、彼は私に、『俺はクリスチャンになる考えは
ないが、来年には彼女と結婚します。』と宣言した。私は困惑
しながらも、彼に一つのチャレンジをしてみたくなったのでこ
う言った。『もし、君が私にあらゆる質問を投げかけて、それ
に対して私が全部納得のいく解答を出したとしたら、クリスチ
ャンになる気はないかい?』彼は、『いいよ!』と答えた。そ
れで私は《しめた。これで何とかなるぞ。》と思った。…こう
して、質問の一年が過ぎた。

 私は東京に行った際に彼と上野駅で会うことにした。そして
、喫茶店の席で彼に、『もう質問はないかい?ないのなら約束
どうりクリスチャンになって彼女と結婚してくれるかい?』と
尋ねた。彼は『質問は、もうないけどやっぱり嫌だ。クリスチ
ャンにはならないで結婚する。』と答えた。
 私は失望する彼女の顔を想像し、普段よりも力を込めて『男
と男の約束を破るのは卑怯だ!』と、彼に詰め寄った。彼は『
それでも嫌なものは嫌だ。』と言い放った。こうして無力感と
悔しい思いで喫茶店を出た。
 話し合いを終わったあとで、私は秋田で《事の成り行き》を
待っていた彼女に電話をかけて次第を説明した。彼女は電話口
でしばし泣いていたが、『今から東京に行って彼に自分の気持
ちを思い切って話します。それでも解ってくれないなら結婚は
諦めます。』と言った。私は『イスラエルの空から日本に向け
て祈っているから、やるだけやってごらん!』と言って電話を
切って機上の人となった。

 帰国後に聞いたところによると、彼女は彼に会った時、正直
にこう言ったんだそうだ。『私は、あなたと結婚できなくなる
と思うと怖いので《自分の気持ちを話せなかった》が、もうい
い。』と言って自分の本当の気持ちを全て話したのだそうです

 そうしたら、彼は、『そうか。お前は俺が怖かったのか。そ
うか。俺が怖かったのか……。』そう言って数分間、沈黙が続
いたあとで、『解った。俺もクリスチャンになる!』と言って
くれたそうです。  こうして彼と彼女は、私が預言した通り
の日取りの時に結婚式を挙げたのでした。実名はあげませんが
、すべて本当のことです。彼女がこの講座を見たら、きっと自
分のことだと分かって照れて恥ずかしく思うことでしょう。

 このように、色々な偽りや嘘には、良い嘘も悪い嘘もあるだ
ろう。自分の恥ずかしさを隠す悪い嘘もあるが、相手の気持ち
を思いやる良い嘘もあることだろう。仏様が「嘘も方便」と言
った通りだ。しかし、あらゆる嘘、偽りの陰には、自分の恥ず
かしいことを相手から知られることを恐れる、弱さや罪深さが
隠れていることを理解して欲しい。
 私は、どちらにしても相手に対して真実に自分の事を話せな
いのは良いこ事だとは思えない。いつでも誰に対しても、出来
るだけ真実を話すように心がけるべきだと思う。何故なら、

「恐れる者の愛は、まったき愛ではない。」

と聖書は教えているからです。言い換えれば、秋田美人の彼女
ではないが、もし全き愛があるなら、愛の思いは心から恐れを
閉め出し、勇気をもって相手に真実を告げることが出来るので
す。特に夫婦の間では、隠し事がない関係が求められると思い
ます。つまり、結婚講座で学んだように、

「そのとき、人とその妻は、ふたりとも裸であったが、互いに
恥ずかしいと思わなかった。」(創世記 2章25節)

と理想的な結婚をした二人には、隠し事もなかったし、相手を
恐れる思いもなかったので、全てを相手にさらけ出しても恥ず
かしいと思わなかったのです。

 物事を隠し真実を伝えないことの裏には《相手への不信の思
い》と、《自分への裏切りの思い》がある、と言わなければな
りません。また、やましい心があると言わなければなりません
。本当にないのなら隠す必要はないはずだからからです。
 信頼する相手から真実を伝えてもらえないことも悲しいこと
ですが、相手から信じてもらえないことは、特に辛く寂しいこ
とです。愛する人から隠されると信じ合っている夫婦であって
も孤独を感じることがあります。 一心同体の夫婦だからこそ
感じるのかも知れません。真実を言ってもらえず、嘘をつかれ
ていた人の気持ちになって考えてみたらよいでしょう。言葉に
表せないほど、悔しく悲しく赦せない気持ちになるのではない
でしょうか?人にもよりますが中には、『この人と一緒にやっ
ていけないのではないだろうか?』と深く考え込み、落ち込ん
でしまうかもれません。真実を語らない。偽り嘘をつくことは
、人間関係を壊す最初の第一歩だと言えるでしょう。

本論3 結婚後の夫婦の偽りに関して
 (1)へそくりを隠す夫婦のケース。
 先日、テレビで大物男優がこんなことを言っていました。『
地震が来るたびに、妻がある一定方向の場所に駆け寄るのを発
見した。それで、《これは何かある。》と考えて探してみたと
ころ、妻のへそくりを発見した。』というのです。こんな法則
があるのかも?

 ジョークはそのくらいにして、妻のへそくりに関しては、私
も嫌な経験したことがあります。
 私がノイローゼになって二年余り 、それまでの教会を辞任
し、秋田市でヘロヘロの精神状態で療養生活をしていた時の事
です。家内も私からの精神的影響を受けて、私たち夫婦は二人
とも弱気になり、《このままノイローゼが一生、治らなかった
らどうしよう?》と考え、今、借りている家を大家さんから安
く売っていただくという話しが持ち上がりました。妻の実家の
酒田の義兄からも応援していただいて購入することも考えたの
で、秋田まで来ていただいたりもしましたが、最終的には、妻
の『貯金はありません。』という《ひとこと》で決着してしま
いました。

 しかし、妻はへそくりを実際にはある程度は持っていたので
す。私もある程度持っていることは知ってはいましたが、家内
は私に『貯金はありません。』と嘘をついた訳です。あの時の
私にとって 、「家 」「家庭」というものは、単なる《建物》
ではなく、《逃げ場》であり、数少ない《癒しの場》であった
のです。クリスチャンの良い大家さんであることは分かってい
たことですが、ノイローゼの私にとっては、《いつ出て行かな
ければ分からないような借家》ではなく、ゆっくり落ち着いて
休める空間が欲しかったのです。何でも良い、どうでもいいか
ら、癒されるきっかけをつかみたかったのかも知れません。妻
に裏切られた、あの時の私の挫折感と失望は、今考えても大き
なものでした。
 
 ところが、その私の心の傷をもっと大きくする事件が起きま
した。それは、私がある病院から夜逃げして、《S精神科神経
科クリニック》に行き始めた時の事でした。最終的に私をノイ
ローゼから救ってくださった尊敬するS医師に、『私は、妻の
へそくりの嘘が赦せない!』と言って妻への不満を告げたので
す。そうしたら、S医師は笑って、
『君には耐えられないように思われるかも知れないが、それを
女の裁量と言うんだよ!』とあっけらかんと言われてしまった
のでした。

 ここで皆さんに私の方から質問してみたいと思います。妻が
夫にへそくりを隠し嘘をつくことは《女の裁量》として許され
る事なのでしょうか?しかも、何事もない平穏な時のへそくり
の嘘ではなく、夫が生きるか死ぬかの思いで苦しい療養生活を
過ごしている最中でも、あのような私の妻の嘘は『女の裁量』
で片付けられる事なのでしょうか?私には、あの時でも、今思
い返しても、私への偽り行為にしか思えないのです。もし良け
れば、夫婦で話し合って答えを教えていただきたいと思います

 妻にとっては、何でもない『女の裁量』だったのかも知れま
せんが、私にとっては裏切り行為に思えたのです。一心同体の
夫婦だと信じていたからです。もちろん、今は病気も治ったの
で、妻がいくらへそくりを隠していても気にもなりません。『
どうぞ、せいぜいお励み下さい。』と申し上げます。それでも
何故か、妻から隠されているということは、あまり気持ちのい
いものではありませんな。

 (2)浮気を隠している夫婦のケース
 昔は遊郭というものがありました。いわば公営の売春宿です
。全国的に有名な吉原ばかりでなく、私の故郷の酒田や鶴岡に
も、ほとんどの町にあったのです。ところが、幸いなことに救
世軍や多くのクリスチャンたちの反対運度運動の結果、売春宿
がなくなり、不幸な少女たちが売られるようなことがなくなり
ましたが、逆に日本国民全体が売春国民になりさがってしまっ
た感があります。

 「姦淫」とか、「淫売」とか言うと悪い事だと感じますが、
「不倫」とかに言葉を換えますと、格好良い男の代名詞か、何
か男のステイタスのように感じている男性もいるかも知れませ
ん。「援助交際」という言葉も何故か、高校生たちから見ると
「罪を犯す行為」には聞こえず、「簡単に金を稼げる方法」の
ようにしか考えられていないように感じるのは私ひとりでしょ
うか?

 こんな昭和元禄と呼ばれるような世の風潮の中にあって、不
倫をすることは簡単なのかもしれませんが、それでも不倫は立
派な道徳的罪であり、犯罪であることは間違いありません。両
方の家庭を根底から破壊する行為であることは何千年前とちっ
とも変わっていないということを覚えるべきです。

 今日、私はここで不倫の良し悪しについて話す気はありませ
ん。ただ、夫婦の間において不倫を隠すということの危険性を
覚えていただきたいだけです。
 たとえじょうずに不倫を隠すことが出来たとしても、その夫
婦はもはや一心同体ではないということです。もし夫婦関係を
調整できたとしても、夫婦としてはすでに破綻しているという
ことです。夫婦は信じ合うことによって保たれているのです。
疑いを抱いただけで夫婦関係は《崩れ》、信じられなくなった
時には、《壊れ》ているのです。
 何故なら、結婚講座でも学んだかも知れませんが、夫婦が結
ばれる部屋は、ポーチでも玄関でも居間でも、寝室でもなく、
もっと心の奥に隠れている部屋、つまり誰にも見せることがで
きない、誰にも話すことができない、誰からも知られることを
望まない、他人から知られるなら死んだ方がよいと思えるほど
恥ずかしい「開かずの部屋」に於いてであるからです。誰にも
言えないが、自分のすべてを知っている神様と妻の二人だけに
は見せることが出来る「開かずの部屋」で結ばれた二人なので
す。その《隠し事のない部屋で》結ばれた相手に対して《隠し
事をする》という事自体が、一心同体の夫婦としての絆が壊れ
てしまったことを証明しているからです。その時点で《仮面夫
婦》になってしまったということです。夫婦の格好をしている
だけで、神の前では《夫婦を演じている役者》であり、《偽善
者夫婦》になっているということです。不倫を隠すことは、不
倫すること以上に悪い事だと言わなければなりません。

 (3)ガンなどの病名を隠す夫婦のケース
 今週の火曜日に私もガンのCTスキャン検査の為に秋田市に行
って来ましたが、主治医から「安藤さん。ようやく二年半きま
したね!この分だと大丈夫(再発しない)でしょう。」と言わ
れてホットして帰ってきたばかりです。ガンで死ぬ人は国民の
三分の一にのぼっています。それでも今は、だいぶ医療が進ん
だので「ガン=死」ではなくなった気もするのですが、それで
も配偶者に病名を告知をしない人は多くいるようです。

 最終的には、夫婦それぞれの考え方ですから、医者の宣告を
隠しても告知しても個人の自由でしょう。しかし、私は個人的
には、どんなにショックでも告げるべきだと考えます。それが
一心同体とされた者の義務であると考えるからです。夫婦とい
ものは、楽しい事だけ共有し、死の苦しみを分け合うのは夫婦
の努めでないと考えるなら告知しなくても良いでしょう。しか
し、私は夫婦というのは、この地上の喜びも悲しみも全てのこ
とを共有し分かち合うのが夫婦だと思うのです。何故なら、1
人では乗り越えれなくても、2人でなら乗り越えられる出来事
だと考えるからです。そして、心おきなく時間をかけてゆっく
りと残された最後の夫婦生活を楽しみ、思い出を語り合い、死
の備えをさせることが出来ると思うからです。

 本気で「人間、死んだら終わりだ!」と思っている人や、「
死んだら何処か永遠ほども遠くに行ってしまうのだ!」と考え
ている人ならば、恨まれようと憎まれようと配偶者に告知しな
いでいれるかも知れませんが、今、流行っている「千の風」の
歌詞ではありませんが、死んだ配偶者が死んだと言うよりは、
「爽やかな風となり、心地よい光となり、純白の雪となり、「
私は死んでなんかいません。ここにいるじゃありませんか!」
と、さえずる鳥となり、「あなたを見守っていますよ!」と、
きらめく星となって」私たちの周りで吹き渡っている!」と思
うのなら、最後まで偽り嘘をつき続けるのは逆効果ではないで
しょうか。私はバカ正直と言われるかも知れませんが、人間は
基本的に真実を語り合うという点で結ばれているのだと思いま
す。『あの人は私に嘘をつくような人ではない。』と、信じて
いるから夫婦をやっていけるのではないでしょうか。もし、「
あの人は私に嘘をついているのではないか?」と疑った時点で
、夫婦の関係が切れるのではないでしょうか?
 死の苦しみは、どんなに苦く苦しくてもこの世に生まれた以
上は、全ての人間が味わうべき体験だと私は確信しています。
また、死ぬことは、生きることの一部であると考えるからです
。生と死は別の問題ではありません。一枚の紙のうらおもてに
過ぎないのです。

 (4)配偶者に内緒で品物を購入する夫婦のケース
 私は釣りキチですから、結構高い竿を〜本も持っています。
最初は30年前に大館市で妻にお願いして買ってもらった2,980
円の4.5?のグラス渓流竿で釣り人生が始まりましたが、いつの
間にか、妻に隠れて小遣いを利用して内緒で高価な竿を購入す
るようになってしまいました。妻から、「この竿、前からあっ
たけ?」と言われると、『2年前にどこどこで買ったじゃない
。』と言ってごまかすような日々を過ごしています。ですから
、妻のへそくりの嘘も許さなければならない。と納得できるよ
うになってしまいました。

 こんな他愛もない程度の買い物ですから、どうと言うことも
ないのですが、それでも、隠すということは、自分の思いを隠
し、相手に嘘をつくことですから残念だと思うのです。何故な
ら、夫婦で趣味を共有できていないということの現れだからで
す。私は、本来ならば、たとえ趣味であったとしても夫婦で共
有できることが望ましいと思います。共有できないまでも、理
解を示してくれているなら、隠す必要もないと思います。そし
て、高い物であったとしても、購入することが出来た喜びを共
に分かち合うのが本物の夫婦ではないかと示されています。

 奥さんの中には、桁違いに高いブランド品とか、高級洋服な
どを夫に隠れて購入しているちゃっかり者もいらっしゃるよう
ですが、それらも、出来れば夫に隠してではなく堂々と購入し
て欲しいものです。何故なら、自分の妻が綺麗になるのを望ま
ない夫がいるでしょうか?自分の妻が高級品を身に付けれるよ
うになったのを誇らしく思わない夫がこの世にいるのでしょう
か?
 隠れて購入する所にスリルもあるのでしょうが、購入時に夫
の好みも聞くぐらいの永遠の可愛らしさと、堂々たるふてぶて
しい態度とを兼ね備えていただきたいものだと、夫を代表して
お願いしておきたいと思います。

《おまけ》
 最近になって、クリスチャンの方々もこの講座を楽しみにし
ていることが分かりまして、特にクリスチャンの方々に対して
少しだけお話ししておきたいと思います。
 このように世の中の多くのカップルに対して、「嘘や偽りを
やめて真実を語ることを心がけましょう。」と勧めているのな
ら、私たちアーメンの神を信じるクリスチャンは、なおのこと
嘘や偽りはいけないのではないでしょうか?何故なら、「アー
メン」とは、《真実》という意味だからです。神が真実な方な
ら、その真実な神を信じる神の子たちも真実でなければならな
いと思うからです。

 私たちクリスチャンも、かつては平気で嘘をつき、偽りで固
めた人生を歩んでいた者ですが、イエス.キリストの真実な愛
の迫りを受け、そのような暗やみの生き方から足を洗い、お天
道さまのもとを堂々と胸を張って歩ける真実な生き方に立ち帰
らせて頂いたのではないでしょうか。そうならば 、クリスチ
ャンにはもはや嘘や偽りはふさわしくありません。

 たとえば、ガンの告知のような厳しい問題であったとしても
、クリスチャンには《祈り》という最高の武器があったことを
思い出し、迷ったりする中での決断の時の勘定に入れて欲しい
のです。祈りは、罪と戦う武器です。たとえ人間にとって死が
怪物であり、とても戦えないように思えるときでも、祈るなら
神とイエス様が苦しむ者と共にいてくださり、その人のキャパ
シティーを遙かに超えたようなことでもその苦しみを受けいれ
る力を戴くことが出来るからです。

 このような神の言葉もあります。
「彼らが苦しむときには、いつも主(神)も苦しみ、ご自身の
使いが彼らを救った。その愛とあわれみによって主は彼らを贖
い、昔からずっと、彼らを背負い、抱いて来られた。」(イザ
ヤ書 63章9節)

結論
 私たちの髪の毛の数さえも知っておられる神は、私たちの必
要をも知っておられて、多くの異性の中から私たちに一番ふさ
わしい唯一の結婚すべき相手を選んでくださったのではなかっ
たでしょうか。もちろん、あなたに判断する為の知恵と決断す
る力を与えることによってです。ですから、あなたの選んだ相
手は神の選んだ人なのです。あなたの選んだその人は、あなた
と苦しみを分かち合うことの出来るこの世に二人といないかけ
がいのない存在なのです。その神が与えた真実を分かち合うた
めのお相手にまで嘘や偽りをつかなければならない事があって
良いものでしょうか?

 受講者の皆様一人一人に、神様の祝福と守りがありますよう
に !
                    2007.3.20 AM3
:00
                        安藤 修

コメント(3)

とても勉強になります。ありがとうございます。
いつか夫婦になったとき、八戒思い出します芽

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