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・・・コミュの◎700人参加記念の作家紹介その3小松左京

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その3

ma2 さん リクエスト

○小松左京

これは難しいリクエストでした。誰でも知ってるし、知られざる面は若いときのことだけですが、これまた研究家がいて色々と掘り起こされてますので、あまり面白いことは出てきませんが載せてみましょう。そしてここでLDが載せるのは少しおこがましいのですが日本のSF小説の巨匠といえるのは筒井康隆、豊田有恒とこの作家小松左京氏なんだろうなあと改めて認識させられます。後年の映画化されたスケールの大きな作品よりも日本アパッチ族とかおよね平吉時穴の道行きのような初期の作品やSFマガジンにのせた短編の方が印象に残っています。というわけで小松左京氏です。


小松 左京(こまつ さきょう、1931年1月28日 - )は、大阪市西区生まれ、兵庫県神戸市育ちの小説家。本名は小松 実。星新一・筒井康隆と共に「御三家」と呼ばれる日本SF界を代表するSF作家。宇宙開発に関心を持ちその振興を目的とした啓蒙活動にも力を入れており、宇宙作家クラブの提唱者で顧問でもある。

旧制兵庫県立第一神戸中学校(神戸一中、現兵庫県立神戸高等学校)、第三高等学校を経て京都大学文学部イタリア文学科に進学。中学時代には同級生の高島忠夫とバンドを組んでいた事もある。大学在学中に同人誌『京大作家集団』の活動に参加。高橋和巳や大島渚と交流を持つ。筆名の左京は大学時代住んでいた京都市左京区からとったものである。日本共産党に入党して、山村工作隊など政治活動を行なっていたのもこの頃である(後に共産党からは脱退)。又、この時期に「小松みのる」「モリミノル」名義で『イワンの馬鹿』、『大地底海』等の漫画作品を発表しており、直前に手塚治虫がデビューしていたことの影響が窺える。また、SF漫画家松本零士とも親交があり、『銀河鉄道999』の文庫版の解説も小松が記している。

1954年に大学を卒業した後は、経済誌『アトム』の記者・父親の工場の手伝い・ラジオのニュース漫才の台本執筆等の職を経験する。この頃早川書房が創刊した『SFマガジン』創刊号と出会う。

1961年、早川書房主催の第1回空想科学小説コンテス(SFコンテストの前身)に応募した『地には平和を』が努力賞に入選、翌年の第2回SFコンテストで『お茶漬けの味』が第三席となったが、それを待つ事なく『SFマガジン』(1962年10月号)に掲載された『易仙逃里記』でデビューし、常連に加わる。

『日本沈没』、『復活の日』、『エスパイ』、『首都消失』などが映画化されており、特に1984年公開の『さよならジュピター』は単に原作提供にとどまらず、新たに株式会社イオを設立して映画製作に出資。小松自身も総監督として現場の指揮を執る力の入れようだった。テレビにも映像化作品は多く、中にはテレビオリジナル作品もある。2006年には、『日本沈没』が、現代にあわせてリメイク化され、映画として公開された。

1970年の日本万国博覧会ではサブ・テーマ委員、テーマ館サブ・プロデューサーを務め、1990年から5回にわたり「大阪咲かそ」シンポジウムのプロデュースを担当するなど執筆以外の活動も多岐にわたっている。

☆小松左京年譜

1931(昭和6)
1月28日、大阪市西区京町堀に生まれる。父は理化学機械商を営む五男一女の次男
1937(昭和12)
兵庫県西宮市立安井小学校入学(6歳)
1943(昭和18)
兵庫県立神戸第一中学入学(12歳)
1945(昭和20)
敗戦。神戸の潜水艦工場から大阪に行き、焼け跡を見る(14歳)
1948(昭和23)
旧制第三高校入学。文科甲類(英語)(17歳)
1949(昭和24)
3月、三高卒業。7月、新制京都大学受験。9月、一回生として文学部入学
「京大作家集団」に参加。高橋和巳、三浦浩らと知り合う(18歳)
1951(昭和26)
イタリア文学科に進学。
この前年頃から、モリミノルのペンネームで漫画を描く(20歳)
1953(昭和28)
単位不足で留年(一般教養の数学と体育理論)
「慈悲」(京大文学研究会機関誌〈ARUKU〉8号)(22歳)
1954(昭和29)
京都大学文学部イタリア文学科卒。卒論はピランデルロ
経済誌〈アトム〉創刊に参加(23歳)
1956(昭和31)
高橋和巳らと同人誌〈対話〉創刊。「溶けゆくもの」(〈対話〉創刊号)(25歳)
1957(昭和32)
結婚。父親の経営する鉄工場場長を勤める。「失敗」(〈対話〉2・3号)(26歳)
1959(昭和34)
12月、ラジオ大阪で漫才台本執筆(28歳)
1961(昭和36)
「地には平和を」〈SFマガジン〉コンテスト努力賞(30歳)
1962(昭和37)
「易仙逃里記」でデビュー〈SFマガジン〉10月号(31歳)
1964(昭和39)
『日本アパッチ族』光文社『復活の日』早川書房(33歳)
1965(昭和40)
『エスパイ』早川書房『地図の思想』講談社(34歳)
1966(昭和41)
『果てしなき流れの果に』早川書房『探検の思想』講談社(35歳)
1967(昭和42)
『未来の思想』中公新書(36歳)
1970(昭和45)
大阪万博でサブ・テーマ委員、テーマ館サブプロデューサーをつとめる(1967より)
国際SFシンポジウム開催。『継ぐのは誰か?』早川書房〈世界SF全集〉(39歳)
1972(昭和47)
『怨霊の国』角川書店『待つ女』新潮社『地球を考える』新潮社(41歳)
1973(昭和48)
『日本沈没』光文社『歴史と文明の旅』文藝春秋(42歳)
1974(昭和49)
『日本沈没』で推理作家協会賞受賞(43歳)
1975(昭和50)
『やぶれかぶれ青春記』旺文社(44歳)
1977(昭和52)
『こちらニッポン……』朝日新聞社『ゴルディアスの結び目』角川書店(46歳)
1979(昭和54)
『生命をあずける』朝日出版社(渡辺格と共著)(48歳)
1980(昭和55)
『華やかな兵器』文藝春秋『はみだし生物学』平凡社(49歳)
1982(昭和57)
『さよならジュピター』サンケイ出版。株式会社イオ創立(51歳)
1984(昭和59)
映画「さよならジュピター」公開。池袋西武にて「小松左京の世界」展(53歳)
1985(昭和60)
『首都消失』徳間書店
『首都消失』で第6回日本SF大賞受賞(54歳)
1987(昭和62)
『虚無回廊〈I・II〉』徳間書店
花博国際シンポジウム総合プロデューサーに就任(56歳)
1990(平成2)
国際花と緑の博覧会(59歳)
1991(平成3)
『地には平和を』阿部出版(60歳)
1994(平成6)
『こちら関西』文藝春秋(63歳)
1995(平成7)
 『ユートピアの終焉』(DHC)〈小松左京小説選集〉全5巻・ジャストシステム(64歳)
1996(平成8)
『小松左京の大震災 '95』毎日新聞社(65歳)


[編集] 受賞歴
1971年 -『継ぐのは誰か?』により第2回星雲賞(日本長編部門)受賞。
1973年 -『結晶星団』により第4回星雲賞(日本短編部門)受賞。
1974年 -『日本沈没』により第27回日本推理作家協会賞・第5回星雲賞(日本長編部門)受賞。
1976年 -『ヴォミーサ』により第7回星雲賞(日本短編部門)受賞。
1978年 -『ゴルディアスの結び目』により第9回星雲賞(日本短編部門)受賞。
1983年 -『さよならジュピター』により第14回星雲賞(日本長編部門)受賞。
1985年 -『首都消失』により第6回日本SF大賞受賞。

● 小説

日本アパッチ族 (光文社文庫)
復活の日 (ハルキ文庫、1998年)
エスパイ (早川書房、2000年)
果しなき流れの果に (早川書房、2000年)
日本沈没      光文社文庫1995年
さよならジュピター ハルキ文庫1995年

首都消失
(トクマノベルズ、1985年)
虚無回廊
(徳間書店、1987年)
(徳間書店、1987年ハルキ文庫、2000年)
(角川春樹事務所、2000年)
くだんのはは (ハルキ文庫、1999年)
空中都市008 アオゾラ市のものがたり (講談社青い鳥文庫、2003年)
青い宇宙の冒険 (講談社、1985年)
(講談社青い鳥文庫、2004年)
宇宙人のしゅくだい (講談社青い鳥文庫、2004年)

作品集をより詳しい事を知りたい方は小松左京ホームページにいかれたら如何でしょう。
http://www.nacos.com/komatsu/skwork.htm

おまけ・・・・?
●小惑星「小松左京」について

 群馬県のアマチュア天文家が1993年に発見した小惑星に「小松左京」の名前がつけられました。小惑星の名前は発見者に提案権がありますが、大阪市立科学館の学芸員との相談の結果、「小松左京」の名があがったとのことです。人名がまだ本人の存命中に星の名としてつけられることは珍しく、「小松左京」は名実ともに生きる古典となったわけです。

 この小惑星は、現在(2002.9.26)地球から約5億キロ離れていて明るさは17等級ほどで、肉眼では見えません。

小惑星の位置や、距離などは、ハーバードスミソニアン天文台のWEBのサービスで知ることができます。
http://cfa-www.harvard.edu/iau/MPEph/MPEph.html

コメント(5)

僕も惑星は知りませんでした。
小松左京と高橋和巳の交友はエッセイとかで見るたびになんか微笑ましくて好きです。

さり気なく豊田有恒の名前が出ていて、嬉しいと同時に眉村卓とか星新一とか平井和正とか半村良とか山田正紀とか、他にも巨匠と呼べそうな人はいっぱいいるじゃないですか、
とちょっと不満です。
小松左京、好きです。星のことは知らなかったので、うれしいです。中学生の頃、米朝・左京のコンビで、リクエストやハガキを受け付けて読むラジオトークやっていたのが、面白くてよく聞いていました。いま思うと豪華なふたりですね。近畿放送なので関東のひとはどうでしょう。投稿は知恵をしぼったパロディが多く、左京はスタジオでよくカレー食べていました。
「左京、カレーの上に涙落としてほとびにけり」と言われたことも。(残念ながらはじめのほうは忘れてしまいました)

豊田有恒、非常に好きですが、じぶんではなんとなくちょっと一般的じゃないと思っていました。巨匠の中に入るんですね。なんかうれしいですね。
わ!最初に書き込みしなければいかなかったのに!
ありがとうございます!小松左京さん大好きです!
一番好きなのは「復活の日」です。

小学生の時に「青い宇宙の冒険」を読んでから、読みたい小説を自分で探すようになりました。
この人がいなければ、本好きになるのはもっと後だったでしょう。
SFが好きになったのも、最初に小松左京さんを読んだからなのでしょう。
天文にも興味を持ち始めたり、いろいろな事に興味を持ったりしたのも、この頃からなので、私の趣味は、根っこは全て小松左京さんに繋がっているのかもしれません(笑)


惑星の話は聞いてましたが、スミソニアン天文台にこんなサービスがあったとは!
大変、嬉しいです!
本当にありがとうございます!

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