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Brian Eno ブライアン・イーノ コミュのBrian Eno インタビュー

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アルジャジーラの英語版で、ニュースも終わりかと思ったら、「Brian Eno」のインタビューが始まった。お母さんがユダヤ系ベルギー人とか、シンセサイザーとかアラブ音楽とか、、ぼくの興味のある話題を話していたので、じっくり聞いてしまいました。

で、どんな曲を作っているのかYoutubeで検索、、4-5曲聴いてみました。またマイクロソフト、Windows95のオープニングの短い曲も彼が作ったとか、、インタビューのリンクです。

http://english.aljazeera.net/programmes/oneonone/2011/06/20116313403611848.html

面白かったのが、イタリアかどっかに旅をしてラジオで聞いたアラブ音楽が面白くて、その曲をカイロで買ったとか、、 友達が持ってきた18世紀のハープのレコードがつまらなくて、、でもそのとき雨が降っていて、ハープの曲をBGMに雨の音を聞いていたとか、、 面白い人ですね。ウインク

コメント(5)

ハープのレコードのくだりは確かEnoが交通事故かなんかで入院してる時のでしたよね?
そこからアンビエントの概念発展させていく感じだったような。
その雨のエピソードは良いですねぇ
ミッキーロークさん、はじめまして、、

ぼくはBrian Enoという人を知らなくて、、 Brian Enoが大好きとか、、じゃ、ぼくの幼稚な英語力でちょっと彼のインタビューの面白い点など書こうかなぁ、、 ちょっと英語が弱いので間違いがあるかも知れませんが、、

4:25 戦後英国の4,000人ほどの小さな村に住んでいたが回りには17,000人ほどの米兵がいたので米国の音楽の影響を受けた。

4:45 妹が米軍キャンプで働いていたのでレコードをいっぱい手に入れた。

5:00 手に入れた米軍からのレコードのほとんどが黒人音楽で驚いた。

5:30 父は音楽が好き。叔父さんはセミプロのミュージシャン、また二人の他おじさんの兄弟はクラリネットの先生と大きなブラスバンドクラブでドラムを叩いていた。 家族の音楽環境は非常によかった。

7:04 母はベルギーの片田舎に住んでいたころ、ユダヤ人なのドイツの労働キャンプに収容された。

7:20 戦後イギリスへ来た時、母も私も英語がまったく話せなかった。フラメッシュというベルギーの言葉だけ。いまはフラメッシュを話せませんが。

8:30 おじさんが音楽家でいろんな楽器を修理していて、特に大きな銅盤の自動演奏ピアノなどは1910-20年のシンセサイザーみたいだった。私はそのシンセサイザーとともに育った。

9:030 学校では絵画を勉強し絵の先生になろうと思っていた。

12:00 でも大学を去り、アンディとシンセサイザーに巡り会い、彼のバンドに入った。

14:11 ライブではシンセサイザーの操作のため目立たなかったので派手なコスチュームを着た。

16:07 ハープの音をバックに雨の音を聞いていた。これは面白かった。

18:30 地中海の町でアラビアの曲を聴き、最終的にカイロでそのレコードを見つけた。

19:30 アラビア音楽ではメロディをオーケストラ全員で奏でるのが興味深かった。

20:00 アフロビートからも影響を受けた。

21:00 イスラエルがぼくのレコード販売をボイコットした。

ぼくの英語力ではこんなもんかなぁ、、 
もっとうまい人が訳してくれたらうれしんですんが、、あせあせ
マゾホさん、こんにちは!

>ハープのレコードのくだりは確かEnoが交通事故かなんかで入院してる時のでしたよね?

15:15  ですねぇ、、この辺ですね。 車がぶつかってきて入院。で、友達が18世紀の静かなハープ曲のレコードをかけてくれたが、あまり面白くてなくて、、そのときの雨の音が非常に新鮮で、アンビエント音楽をおもいついたとか、、、

人間、何が幸いするかわからないですねぇ、、 人間万事塞翁が馬、、、あせあせ 

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