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NHK大河ドラマ 篤姫コミュの『幾島』その後

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島津斉彬の命により篤姫の教育指南役となった老女幾島。彼女は薩摩から江戸へ篤姫に同道し、大奥にも入りますが、安政の大獄前に斉彬の逝去、将軍継嗣問題で水戸派の慶喜でなく、大奥や彦根の井伊直弼らが推す紀州派の慶福が14代将軍家茂となったため、その失意で、落胆のあまり使命を果たしたとして、身を退いたとされますが、その後の足取りはどうなったか知りたいものです。
最終の地は京都か薩摩か…はたまた江戸の地か?

あれだけの逸材の人物は、やはり篤姫とは疎遠の仲だったのでしょうか。

みなさまからの情報をお待ちしております。

コメント(46)

本編の感想ならば、放送より先の話は避けたほうがいいと思いますが、
個々のトピ、ここは「幾島のその後」となっているので、放送より先の史実が語られるのはいたし方ないでしょう。

先の話をまったく知らないでドラマを見たいならば、このトピを避けるしかないかと思います。

また史実をしっていても、ドラマではどう幾島を描くのかという見方・楽しみ方もありますね。
史実の幾島は、大奥では「つほね」という女中名で知られています。
大奥研究家の畑尚子さんの著書に寄れば、この「つほね」という女中名は吉宗のころより代々使われている名前なのだそうです。

原作で幾島が大奥を退去したとされる年以降もこの「つほね」なる老女が大奥にいたことが確認できる史料があり『江戸の女の底力』という本に詳細が載っています。
この本に寄れば、元治二年四月二十五日、一般の町人が特別の許可を得て大奥の中にまで見学に行き、「つほね」という老女の部屋にあいさつに上がったという本人の日記(『東武日記』)が紹介されています。
少なくとも、この日記が書かれた時点までは「つほね=幾島」は大奥にいたと考えられています。

その後、官軍が江戸にのぼってきた時に、天璋院の使いで「つほね」という老女が西郷に直接面談に行き、天璋院の手紙を渡したという記録があります(明治元年三月十三日)。
前掲の畑尚子さんの著書『江戸奥女中物語』では、こちらの「つほね」は幾島ではない別の女中ではないか?としていましたが、江戸東京博物館の篤姫展で展示されていた『天璋院院様御履歴』という記録では、この「つほね」も幾島のことであるとはっきり明記されていました。
ただし、このころの大奥の女中名簿には「つほね」が出ておらずく、城内には居住していなかったらしいのです。

以上の記録は原作が書かれてから再発見された史実なので、今度の大河ドラマで描かれるかどうかはわかりませんが、参考まで。
よりんさん!凄いです…年号まで記入されてるなんて!自分も江戸博物館で拝見しました。お年も取られて大変だったんだろうと思います。ましてや事は重要ですし…ところで、幾島さんと西郷さんは、やはり面識が有ったのでしょうか?(白)同じ水戸派ですし、幾島さんも水戸工作の一人として大奥入りしますから…どうなんでしょう?(白)個人としては西郷さんは、天障院様も幾島様も、面識が有るために、心が動き無血開城が成立したのだと思いたいですね
いよいよ幾島に尻を叩かれた篤姫が、決断を示します。どんな結末になるか…。
幾島の退出どーなっちゃうのかなぁ…?
将軍家定や薩摩では、島津斉彬の死去で、いよいよ幾島の去就が注目されます。文献資料では、篤姫が落飾し天璋院と号してからも暫く大奥に止まり、天璋院付きの御年寄として働き、病を持って宿下がりした記述が残されていましたが、ドラマではどんな展開になるのでしょうか?
私の希望としては、「私の一命にかけても」という天璋院からの和睦の嘆願書を西郷に授ける際、輿入れ道具を用意させた時と同様に幾島の威勢の良いドヤシカタで、大柄な西郷がびびるような演出になれば上出来かなぁと思いました。やはりある程度脚色が進んでいるのだから、史実に沿いつつも、史実から多少飛躍脱線しても良いのではないかと思いました。
特に幾島の存在は、ただ島津斉彬の命だけに生きず、やはり最後は、篤姫である天璋院の良き理解人だったのだという印象を与えて、明治を迎えながらスーッと終えるような幾島のクライマックスを望んでいます。
皆さんの熱き思いが届きますように。
やはり、松坂・幾島にはもう一花咲かせてもらわなないと、収まりがつきませんよね。
「老兵は消え行く」のみという言葉を覆すような幾島の再登場を見ないと気が済まない。
とは言うものの、あと2、3回は登場するので、まずは見届けてからでしたね(^o^)/

だけど、幾島の再登場は、なにがなんでも嘆願していきたいですね。
嘆願書の差し出し役は、やはり幾島の登場無くして始まらないということをしっかりとNHKに訴えるしかないですね。
いよいよ来週の登場でラストになる松坂の「幾島」。
見逃せませんな!

と同時並行で、あるトピを画策しております。
昨日の「さらば幾島」のあとのゆかりの場所を紹介は幾島に関係する場所でなく、京都嵐山などの村岡に関係する場所でしたね。




ということは…。






幾島再登場は可能性ありということですね。

嬉しいうれしい顔!!
幾島に関しては大奥を去ってからの文献等は残っていないと聞いたことがあります。
NHKさんは今後の幾島をどのように描いてくださるのか非常に楽しみですねわーい(嬉しい顔)
> やっちゅんさま
唐湊にあるのは、お墓はお墓でも『招魂墓』です。
幾島に関する新たな記述が見つかったということで、地元の新聞でも話題になってました。

本来のお墓は、Shu-houさまも書かれている通り、江戸(東京)にあるようです。
同じく京都編で再登場があるような気がします。
篤姫からの書状などを薩摩の者たちに手渡すなどの徳川と薩摩の間に入って重要な役をするような・・・
この二人はツーカーの仲ですから。
再登場の希望をこめての願望です。わーい(嬉しい顔)
皆さまの力強いコメで、幾島再登場の日が来る期待が持てました。

天璋院の一命かけた嘆願書には、幾島が迫真込めた意気込みで、西郷に食ってかかる勇ましい姿というか、烈女的な場面を与えて欲しいものです。
ところで、ドラマの設定では、京都に上がり、村岡と共に余生をとなっておりますが、宮尾登美子さんが、「篤姫の生涯」(NHK出版刊)で、城から下がっても金品のやりとりがあったということを語っていたので、江戸に止まり、実は天璋院の情報通のために諜報活動をしていたのではと推察しました。
昨日で大奥から退場しましたね。でもまだ幾島について、サプライズの登場があるということです。
楽しみです!期待が高まります。

ところで、幾島は明治になってから亡くなり、島津家の菩提寺だった大圓寺内に葬られたそうですが、いまは杉並に移転する前、渋谷の藩の屋敷近くにあった大圓寺、いまのどこらへんでしょうか?
幾島は退場後、江戸に居住していて、病を圧して嘆願書を新政府軍の代表だった西郷に迫真の姿で渡したらしいですね。
幾島のお墓がみつかったわりには、そのお墓参りでもしてみたいけれど、江戸ツアーでもまわるかなぁ…。
しゅうほうさんありがとう!
渋谷の寺の跡地あたりにでも行けば、なんか郷愁感じられるかなぁ…。
けんちゃんさま
8月に再登場の期待を込めて書きましたが、ほんとに再登場があるみたいです。
>しいなさま
はいっ、幾島さまいよいよ再登場しますよ!

またあの貫禄が見えますねぇ〜。

とにかくきょうの「慶喜救出」のあとの予告でどう登場するか楽しみましょう!
予告篇見ただけで泣いてしまいましたー涙
来週の幾島登場楽しみですほっとした顔
そーよ、みんな見てね!
なんか来週見られるか微妙。土曜はバスツアーだし…。
本編の余韻に浸ろうと思っていたら、予告の幾島で一気に来週がまちどうしくなった!!!!
なんか来週の幾島の老けメイクが・・・
貫禄といえばよろしいのでしょうか・・・<唐橋風
「大奥の使者」が再放送される日、江戸ツアーなんざんすねぇ。
なんかサプライズで、幾島の嘆願書をめぐっての激しい口上をみたいですね。
大奥引退後の幾島様はアヒルさんと悠々自適に暮らしています。
夜はバーのママをしています。でも今宵は久々に大奥に参上されるそうです。
大奥に上がる前は彼女自身が姫様だったんです(雪姫/紫頭巾)。徳川斉昭公の娘なので、実は慶喜公の姉にあたります。

・・・時代劇「江戸を斬る」シリーズ2〜6での設定ですがw
正直幾島の登場もう少しアレンジして最終回も回想でなく出て欲しかったと思うのは私だけでしょうか…。

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