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環境神様学事始コミュの五十猛命と丹生都比売の神社の位置関係

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きよこさんのHPからの 資料によると、イタケソのそばには、本当に丹生都比売もあったようです。
 丹生都姫は、神功皇后が朝鮮半島で勝利したお礼に、紀州・管川の上流、藤代の嶽と言うところにこの神を祀ったところからきているようです。紀一族(住吉の司祭)と有名な家来の武内宿根が、母方のイトコだった関係で、この土地選定は、紀氏、住吉の勢力範囲と大いに関係している。

それとは別に、有名な神武天皇神話で、丹敷戸畔という土着の女王が神武を苦しめたが、結局征伐された。ソノ根拠地がいまの丹敷浦で温泉のあるところ。
彼らの女首領そのものか、祀っていた女神が、丹生都比売だったかもしれないという説もある。神武は毒気でふらふらになるのだが、
コレが水銀中毒かも、と言うのである。

もしそうだとすれば、忌まれているということも考えられる。

 紀国一宮が日前社かイタケソかハッキリしないのも、勢力の交代、ヤマト朝廷の統一にからむ征服・被征服など、歴史の暗部を背負っているのかも知れない。

岡山県の丹生都比売は、江戸後期か明治かに「神捨て」にあっているのよ。いわゆる「消された神」なのね。

イタケソもソレに類似しているかも。此処が謎なんだが。

そうそう、先日九州で凄い発見した.
筑紫神社に行ったのだが、祭神はなんと五十猛命で、筑紫の語源は、とおる人とおる人が「命を尽くした」、道を遮るあらぶる神だったというのね。

コメント(12)

丹生都比売神社は和歌山県伊都郡かつらぎ町大字上天野230にある。(昭和54年からの引用なので、いまの地名は変わっているかもです)

御祭神:丹生都比売、高野御子大神、大食都比売大神(おおげつひめ=気比大神:敦賀より勧請)、市杵島比売(宮島の厳島神社より勧請)、この四神で天野四社明神とも呼ばれます。

紀州には、ほかのところにも丹生神社は一杯です。粉河寺の境内にも丹生神社が。

丹生川上神社は、タカオカミ、クラオカミ、ミズハノメの水の女神の社といいますが、水銀の女神・丹生都比売が、水銀掘りつくされた跡、水の女神に変わったのだという説を支持します。

丹生の丹土が古代に呪力があるとされ、甕棺、古墳ないの石棺などに塗られました。

もう一つ:水銀の女神から水の女神となった丹生都比売は、もっと有名な水の女神で、弁天とも習合された市杵島姫(厳島神社など)と共に祀られることが多いと分かってきました。天野四社明神もそうでした。

(きよこさん、少しヒントになったでしょうか)
更に詳細
 紀伊・管川の藤代の峯(つつかわのふじしろのたけ)とは、
和歌山県伊都郡富貴村上筒香(つつが)の東方、いまも藤代のタケという。丹生川の発現地である。
 先述の式内社・丹生都比売神社は西方20キロの見好村天野にある。藤代は、その神社の旧鎮座地であろう。(岩波書店日本古典文学体系「風土記」の説明から)

風土記と言うのは、「播磨国風土記逸文」で、神功皇后が
三韓との海戦に赴く前、爾保都比売(=丹生都比売)から、丹土(あかつち)を授けられ、これによる丹浪で戦勝した。そのお礼に、帰還後、管川の藤代の峯に・・・と続くわけです。
 その風土記にある神社が、丹生(にう)山田=現・神戸市北区山田町の丹生神社と比定されているという話が、ことの発端です。
丹敷戸畔という女族は、仙石線の中で神武天皇が毒気に当てられてふらふらになったことをお話しましたように、どう考えても 丹生都比売ですね。

「にしきとべ」と読めば全然関係ないけれど、「にゅうとべ」とするとニウツひめに近い。

しかも「敷」という字はきになります

遠敷(おにゅう)も水銀と関係のあるところですし。
そうなんです。敷の読み方なんです。「ふ」なんですよね。
丹敷(にふ)です。
 
 また、岡山のお菓子屋さん、丹生と書いて「にぶ」だとも言われてましたよね。⇒みぶ「壬生」(京都の壬生新撰組、壬生狂言) ⇒やんごとなき新生児に産湯をつかわせる湯部や折口信夫「水の女」まで話は広がるようですが、それは此処ではおいておいてと。

別の切り口から言うと、
 和歌山に名草郡があり、ここも神様一杯の土地柄なんですが、「名草戸畔」という女首領も大和朝廷に滅ぼされたと言うか、帰順したらしい。
 「戸畔」というのが、この地域特有の表現なのか、良く分かりませんが、「○○の部民」と言う意味なのか、
いつのころからの言葉か不明ですが「○○刀自」と言う言葉に近いような「とべ」で、女性の頭領を示す言葉なのか?
つづき(寝ればいいのに・・ともう一人の自分、でも)
福井県小浜の遠敷川(東大寺二月堂修二会のお水取りのお水
取りに関係)
   この点につき以下、HPいくつか引用。

( 近畿地方整備局福井河川国道事務所 北川-治水事業関連)
北川上流の支川遠敷川の中流域に位置する「鵜の瀬」は、奈良東大寺二月堂への「お水送り」神事で有名です。毎年3月2日、小浜市の遠敷明神を祀った神宮寺で「お水送り」
の神事は始まります。
この水は遠く若狭の遠敷川から大和まで送られていると言う。伝説によると天平の昔、東大寺二月堂で行われた修二会に各地の神々 ... そのお詫びとして遠敷川の神水を献じるようになったのがお水送りの始まり。
遠敷川 別名音無川、鵜瀬(うのせ)川とも。川筋をたどる道は、古来都と若狭を結ぶ道だった。(小浜市神宮寺). 朝鮮語にも由来? ... 和銅5年(712)までは「小丹生」
と書かれていたという「遠敷」は小浜湾に注ぐ北川の支流・遠敷川流域の地。
ーーーーーーーーーーー
  遠敷=小丹生 でしたね。しかも和銅5年に記載あり。

さて、次ぎは、遠敷明神が何の神様なのか。後で調べます。

また、ここの「鵜の瀬」じゃないかも知れないけれど、(佐賀県脊振山を上流とする城原川の時出たはなしではあるのだけど)、行基の治水施設の「鵜の瀬」の話は桑子先生達が詳しいはず。
続きの続き・・以下の通り。 


若狭姫神社の遠敷明神および若狭彦神社の祭りが、遠敷祭り。若狭彦・姫神社は、若狭一宮。
遠敷明神が養老 5年 2月10日に遠敷の地に鎮座されたので、3月10日にお祭りを行い、若狭彦神が霊亀元年 9月10日に鎮座されたので10月10日にお祭りを行っている。いずれも太陽暦になってから1ヶ月繰り下げて行われる。
 
さて、
 「遠敷明神の祭神は,豊玉姫命であり、彦神社の祭神は,彦火火出見尊といい神話「海幸・山幸」で名高い神々」とありました。

 豊玉姫とヒコホホデミの夫婦では、純粋「海」神社系のトヨタマヒメとウガヤフキアエズの母子でさえないですね。
行橋の蓑島神社と龍姫神社には対応しますが・・・。このセットは住吉系の潤色多し。
 いなみ野の入が池が、住吉集団の介入を示している状況とは似てきました。

そもそも若狭姫、若狭彦が ご当地の神でしょうに。だからこその一宮なのに。
 しかも、遠敷明神(おにゅう明神)は丹生都比売でしょうが・・・。私はめげずに追跡しますよ。

そうそう、和歌山のいくつかある丹生都比売神社のなかに、神々の集まりに遅れた姫が云々・・の、遠敷明神のお水送り起源にソックリの姫の失敗談にまつわる伝説があったような。
 これは、「笑い祭り」と言って姫が笑われるんではなかったか。これも明日確認しなきゃ。(もう寝なきゃ・・ですね)
おはようございます。

>「戸畔」というのが、「○○の部民」と言う意味なのか

戸 が「つ」と読まれる例があると「に・ふ・つ・べ」で
非常にハッピーなのですが、「戸」を「つ」」と読む例は今までまだ見つかっていないそうです。

でも「つ」が「〜の」をあらわすのでしたら、省略も可能でこんな解釈はどうですか?:

 「丹に・敷ふ[・つ]・戸へ」+畔 !
____________________________

●遠敷については「潮井取り」と「お水取り」との関連ということで、
先生お忘れかもしれませんが、上記5コメントにあることは、
行橋のシンポのパワポ発表で すべてお話させていただきました(^-^)。

明神というのは、地の神様の顕在化なので、水神と同じく、官製の記紀の神に比定してしまわない方がよいと思います。

●川辺町江川の丹生神社のはなしと遠敷明神のはなしについては、これでも説話学者なので、その折に調べて一応モチーフ比較していました:
     
        集会     遅刻の理由
遠敷明神  東大寺修二会   漁をしていた
丹生都姫命 出雲八百万神の集 寝すごした

昨日の書き込みの次に書くつもりでいたんです(笑)

先生は遅参した遠敷明神を、彦ではなく姫と考えられましたが、遅刻したのが女神だったとは、今まで考えられていなかったことだと思いますよ。

遠敷明神が漁をしていて遅れた、というので人は「彦」を思うわけです。

遠敷、江川、どちらの話が古いのかこれからじっくり調べる必要があります。

菟狭津彦命・菟狭津姫命もそうですけれど、初めは菟狭津姫、若狭姫が明神で、のちに2神に整備されたと考えられる形跡がありますよね。

この伝説もそれをあらわしていて、もとは女神の遅刻話で、のちに「漁」云々が増広付加されたとも考えられます。

和歌山か若狭かどちらが古いかはこれから調べないとわかりません。あるいは若狭が古いかも。
_____________________

【おまけ】「鵜の瀬」といえば、「鵜」は「鵜の戸」(能登金剛/岡山では湧水)「鵜の子」(宮崎の滝/八女市の池)/そのほかやっぱりみんな水に関係ありますね。
確認しました。「笑いまつり」で笑われるのは丹生都比売。
 神社は丹生神社。丹生八幡神社というのもあるそうです。

観光案内からの引用です(地理的情報を得るために)
「これより約30分 で県の無形民俗芸能に指定されている奇祭「笑いまつり」(10月10日)で知られる「丹生神社」を訪れてみるのもよい。ここから和佐の町に入り、「天文公園」への案内板を見ながら「かわべ天文公園」へ。これより約15分で、日帰りの湯としてオープンしてまだ新しい「きさくの湯」があります。泉質は単純温泉で、ミネラルが多い。日高川の流れのすぐそばです。川辺ICにも近く、道成寺参拝や、釣、アウトドアや行楽帰りに立ち寄れる。」
 和歌山方面の方、いったことあります?
お祭りのたのしい写真が『紀伊民報』に
http://www.todays.jp/cgi-bin/matsuri/detail.cgi?matsuri_no=224

そのほかこんなのも
http://www.ja-kc.or.jp/kankou/kawabe/kawabe04.htm
わ。ありがとうございます〜〜〜。

 じつは、この祭りに気付いたのは、すくなくとも10年以上前で、女神の「わらい」と、猿田彦との関連で、アメノウズメ=猿女の君 に結び付けて考えていました。
さらに、バリ島のヒンドゥ儀礼とのからみで、興味をもったのが、そもそもの始まりなんです。
 邪視、笑い、猿田彦、猿、ケチャ・・・(ケチャの衣装と笑い祭りの男衆の衣装の一致に驚いたのです。伝統的衣装とは限らずその当時の思いつきの工夫かも知れないのですが)凄い飛躍でしょ。
丹生都比売にもまだ注目していなかったと思います。

上記の理由については、いずれまた。
一時 上田紀行さん(現 東京工大)がスリランカの笑いと神の研究をしてらっしゃいましたね

『スリランカの悪魔祓い―イメージと癒しのコスモロジー 』

ケチャはラーマーヤナの神猿ハヌマットたちの鳴き声を模したものといわれていますね。
川辺の丹生神社の丹生都比売を笑うのは、遅刻した姫を慰めるためと、現代の神社の紹介説明にはあるようですが、
 10年以上前に、私がこの祭りを知ったときには、
「寝過ごして慌てた姫の姿があられもなかったので、皆が笑った」という説明だったような・・・。

ここから、天岩戸神話のアメノウズメの踊りと、その後の、ニニギノミコトの天孫降臨への随神であったアメノウズメの活躍(つまり、下界にいた眼光鋭い猿田彦の「邪視」の呪力に対抗できる「笑い」という呪力を秘めたアラレモナイ踊りをする巫女なんですねえ、アメノウズメノミコトは)へと、連想が働いたわけです。

それから、祭りの男衆の衣装と言うのは、写真にあるすずを持った先導の男の「陰陽の五色の衣装」とは別の、白と黒のチェックの腰巻なんです。
これが、バリ島のケチャで、猿のコーラスを受け持つ男衆の衣装とおなじで驚いたのです。

しかし、バロン(善玉の獅子)対 ラング(悪玉の魔女)の戦いに登場するケチャの群舞というかコーラスは、植民地時代の
バリ島の儀礼文化・芸能のなかで、西欧人のアドバイスによってうまれた「創られた伝統」であることが分かってきました。

 だからといって、ケチャの意義が薄れるわけではけしてなく、ヒンドゥ文化における猿の位置は、ひよこ先生の仰られるとおり、ラーマーヤナの神猿ハヌマットの伝統を引き継ぐものです。

問題は、白黒のチェックなんですが、この布は、バリ島の霊峰グヌン・アグンのヒンドゥ寺院の階段横の石像にも巻いてあったりするので、まあ、日本のお地蔵さんの赤いエプロンみたいな、お約束事の神々の衣装かなあ・・・なんて、なんとも素朴な疑問でもあるわけなんでして。

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