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大好き世界遺産!!コミュの世界遺産を知りたい ?

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せっかくの世界遺産なんですから学びたいと思いませんか?
学校の授業とは違って好きな事は興味ある人って多いと思いますが・・・・。
こんな機会ですから、このトピで少しずつのせていこうと思います(✪ฺܫ✪ฺ)


興味あったら覘いてみてください♪♪

まずは基本で・・・・・。

『世界遺産の種類』
【文化遺産】
すぐれた普遍的価値をもつ建築物や遺跡など。
【自然遺産】
すぐれた価値をもつ地形や生物、景観などをもつ地域。
【複合遺産】
文化と自然の両方を兼ね備えるもの。
【危機遺産】
後世に残すことが難しくなっているもの。





『世界遺産リスト登録までの流れ』


登録を求める地域の担当政府機関が候補地推薦・暫定リスト提出
           ↓
    ユネスコ世界遺産委員会が評価依頼
    ↓                 ↓
文化遺産候補は          自然遺産候補は
国際記念物遺跡会議        国際自然保護連合
(ICOMOS)が現地調査し報告    (IUCN)が現地調査し報告

    ↓                 ↓
    ユネスコ世界遺産委員会が登録推薦を判定
              ↓
        世界遺産委員会で最終審議
              ↓
            正式登録



『世界遺産の登録基準』

【文化遺産】
(1) 人類の創造的才能を表現する傑作。
(2) ある期間を通じて、または、ある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
(3) 現存する、または、消滅した文化的伝統、または、文明の、唯一の、または少なくとも稀な証拠。
(4) 人類の歴史上重要な時代を例証する、建築様式、建築物群、技術の集積、または景観の優れた例。
(5) 特に、不可逆的な変化の中で存続が危ぶまれている、ある文化(または、複数の文化)を代表する伝統的集落、または、土地利用の際立った例。
(6) 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰、または、芸術的、文学的作品と、直接に、または、明白に関連するもの。(この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいと世界遺産委員会は考えている。)

【自然遺産】
(7) ひときわすぐれた自然美及び美的な重要性をもつ、最高の自然現象、または、地域を含むもの。
(8)地球の歴史上の主要な段階を示す顕著な見本であるもの。これには、生物の記録、地形の発達における重要な地学的進行過程、重要な地形的特性、自然地理的特性などが含まれる。
(9)陸上、淡水、沿岸、および、海洋生態系と動植物群集の進化と発達において、進行しつつある重要な生態学的、生物学的プロセスを示す顕著な見本であるもの。
(10)生物多様性の本来的保全にとって、もっとも重要かつ意義深い自然生息地を含んでいるもの。これには、科学上、または、保全上の観点から、すぐれて普遍的価値を持つ絶滅の恐れのある種の生息地などが含まれる。

【複合遺産】
自然遺産と文化遺産の登録基準。

【負の世界遺産】
戦争や人種差別など人類の犯した罪を証明するような物件も世界遺産に登録されている。明確な定義付けがされているわけではないが、これらは別名負の世界遺産と呼ばれている。アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所、原爆ドーム、トリニダード、奴隷貿易の拠点であったゴレ島、マンデラ大統領が幽閉された島ロベン島などである。また、タリバン政権によって破壊されたバーミヤン遺跡も負の遺産と見なされている。

なお、古代から近代にかけて建造された巨大な宮殿や陵墓は普通は負の世界遺産とは言わないが、それらの建造物は優れた建造技術などに人類の叡智を垣間見せる一方で、君主の威力を国民に誇示するためや、君主の自己満足のために、庶民や奴隷などに過酷な徴税や強制労働などの非人道的行為を課すことによって建設されたものもある。このように、正の世界遺産にも負の要素を含むことがある。


基本的に順番に、日本からいきたいと思います。
少しずつ。ヾ(♥ó㉨ò)ノ♡

いつになったら終わるやら〜

まあ気長に行きます♪

いっぱいになりそうならまた新しくトピを作るので、?にしました。

参考、利用サイトは『ウィキペディア(Wikipedia)』です!

コメント(29)

【北海道】

   1、知床
(英名) Shiretoko
(仏名) Shiretoko
面積 56,100 ha
登録区分 自然遺産
登録基準 自然遺産(9),(10)
登録年 2005年7月17日

http://www.shiretoko.or.jp/

北海道の東端にあるオホーツク海に面した知床半島と、その沿岸海域が登録の対象となっています。
半島中央部は、千島火山帯が貫き、海岸線は荒く海に削られた地域です。
冬には世界で最も南端に接岸する流氷が訪れます。この流氷により大量のプランクトンが知床半島付近にもたらされ、サケなどの豊富な魚介類が生息しています。
サケは秋に知床の河川を遡上し、ヒグマやオジロワシなどに捕食されています。
これらの動物の排泄物および死骸は、植物の栄養素として陸地に還元されています。
このような、海と陸との食物連鎖を見ることのできる貴重な自然環境が残る点が国際自然保護連合(IUCN)に評価され、2005年に世界自然遺産の登録物件となりました。

日本では、自然遺産として3件目の登録。また、海岸線から約3km沖まで登録地域となり、日本で初めて海洋を含む自然遺産登録物件となりました。


難しいところは、登録されてからも地域の人の反対派がいるということですかね〜><
観光業は湧いている反面、漁業関係者は世界遺産の登録を不要と考えているようですね・・・・。人間と自然と生活の共存は大変ですね・・・・。でも、地球の衰えを防ぐには必要な事だと思いました^^;
【青森県〜秋田県】

  2、白神山地
(英名) Shirakami-Sanchi
(仏名) Shirakami-Sanchi
面積 169.71km²
登録区分 自然遺産
登録基準 自然遺産(9)
登録年 1993年12月11日

http://www.pref.aomori.jp/sirakami/index.html

白神山地(しらかみさんち)は、青森県の南西部から秋田県北西部にかけて広がる山地で、人の手が加えられていないブナの原生林からなる地域で、昭和29年発行国土地理院地勢図には白神山地の名称が使われているが、世界遺産登録以前には弘西山地(こうせいさんち)とも呼ばれていました。

全体の面積は13万haでそのうち約1万7千ha(169.7km²)がユネスコの世界遺産(自然遺産)に登録されています。
青森県側の面積はそのうち74%の126.3km²を占め、残る43.4km²は秋田県北西部にあたります。
なお、白神山地は法隆寺地域の仏教建造物、姫路城、屋久島とともに、1993年、日本で最初に世界遺産に登録されました。
白神山地は、世界遺産登録地域の外側にも広大な山林をもち、通常は、登録地域外をも含んで呼ばれる事が多いみたいです。その中でも特に林道などの整備が全く行われなかった中心地域が世界遺産に登録されています。

世界遺産地域は、中央部の核心地域と、周辺の緩衝地域に分かれ、これらの地域は世界遺産登録時より開発を行わず、現状のまま保護される事になっています。従って、これらの地域には遺産登録以前からあった登山道以外には道はなく、今後も恒久的に整備されない予定のようです。特に核心地域には道らしい道はなく、又、青森県側の核心地域に入るには、事前、あるいは当日までに森林管理署長に報告をする必要があります。
秋田県側の核心地区は原則的に入山禁止です。核心地区は林道すらないので、そこを踏破するには極めて高度な技術を必要としてます。
世界遺産に登録されてから、核心地区での遭難事故もあり死亡者も出ています。
世界遺産登録地域は、登録前後に禁猟区に指定されています。漁を行うには漁業協同組合と森林管理所長の許可が必要です。なお、漁業組合はここを通年禁漁としています。



<見どころ>
ブナの原生林、暗門の滝、岳岱風景林、津軽峠、津軽国定公園十二湖、白神岳


迷ったら帰れなくなりそうですね・・・・。
道が開発されてないから、自然のまんま!
すっごく勉強になります!!
世界遺産というと、文化遺産を思い浮かべる場合が多いけれど、自然遺産や複合遺産もどんどん知っていきたいです。
これからも宜しくお願いしまーす。
【栃木県】

 3、日光の社寺
(英名) Shrines and Temples of Nikko
(仏名) Sanctuaires et temples de Nikko
登録区分 文化遺産
登録基準 文化遺産(1),(4),(6)
登録年 1999年

日光の社寺(にっこうのしゃじ)は、栃木県日光市に存在する寺院等の総称。1999年12月2日にモロッコのマラケッシュで開催されたユネスコ世界遺産委員会で世界遺産(文化遺産)として登録された。地元では「二社一寺」と呼ばれている。

103棟(国宝9棟、重要文化財94棟)の「建造物群」
他に、これらの建造物群を取り巻く「遺跡(文化的景観)」


<日光二荒山神社の文化財>
『建造物』
「本殿」「唐門」「掖門及び透塀」2棟 「拝殿」「鳥居」「神輿舎」「大国殿」
「末社朋友神社本殿」 「末社日枝神社本殿」 「神橋」
「別宮滝尾神社本殿」 「別宮滝尾神社唐門」「別宮滝尾神社拝殿」
「別宮滝尾神社楼門」「別宮滝尾神社鳥居」(社殿正面)
「別宮滝尾神社鳥居」(神木三本杉前)「別宮滝尾神社鳥居」(霊石子種石前)
(附)「参道」(楼門より三本杉に至る)(附)「石橋及び石柵」(附)「石燈籠」 5基
「別宮本宮神社本殿」「別宮本宮神社唐門及び透塀」2棟
「別宮本宮神社拝殿」「別宮本宮神社鳥居」「中宮祠本殿」
「中宮祠拝殿」「中宮祠中門」「中宮祠掖門及び透塀」2棟
「中宮祠鳥居」「中宮祠鳥居」(附)「銅燈籠」2基

『美術工芸品』
「小太刀 銘来国俊 黒漆蛭巻太刀拵」「大太刀 銘備州長船倫光 貞治五年二月日」
「金銅装神輿 3基、金銅装唐鞍 3具」「金銅蛭巻兵庫鎖太刀拵」「金銅沃懸地太刀 中身無銘」「三鈷柄剣」
「山金造黒漆蛭巻大太刀 中身無銘(号柏太刀)」
「山金造波文蛭巻大太刀 中身無銘(号祢々切丸太刀)」
「太刀 銘遠近 附黒漆太刀鞘」「太刀 銘吉平」
「太刀 銘備州住兼重作」「太刀 銘備州長船康光応永廿二二年二月日」
「太刀 銘豊後国行平作 附黒漆太刀拵」「太刀 銘来国光」
「大太刀 無銘(号瀬登太刀)」「銅燈籠」「後撰和歌集」「下野国男体山頂出土品」

<その他の文化財>

『建造物(輪王寺)』
「本堂(三仏堂)」(附 銅燈籠2基)「護法天堂 相輪橖(銅製)」「本坊表門 開山堂」
(附 石燈籠1基)「常行堂」「法華堂」 「常行堂法華堂渡廊」 「慈眼堂廟塔」(石造五輪塔)
(附 石柵、石造六天像、石几、石華瓶)
「慈眼堂拝殿」 「慈眼堂経蔵」 「慈眼堂鐘楼」 「慈眼堂阿弥陀堂」(附 石燈籠15基、石多宝塔1基)
「観音堂※貞享2(1685)年建造」「三重塔」「児玉堂」(附 石燈籠1基)
栃木県指定文化財 
「観音堂(香車堂) ※正徳3(1713)年建造」「行者堂」

『建造物(大猷院霊廟)』
国宝
「大猷院霊廟本殿、相の間、拝殿 1棟(附厨子1基)」
「唐門」「瑞垣」「掖門」「御供所」「御供所渡廊」「夜叉門」(附 左右袖塀)
「夜叉門左右回廊 2棟(附 潜門)」「鐘楼」「鼓楼」 「二天門」(附 左右袖塀)「西浄」「水屋」

宝庫
「仁王門」(附 左右袖塀)「皇嘉門」(附 左右袖塀)
「銅包宝蔵」「奥院宝塔(銅製)」(附 銅製華瓶・燭台・香炉、石玉垣)
「奥院鋳抜門(銅製)」「奥院拝殿」「大猷院霊廟別当所竜光院」(附 玄関)

(以下は「附」(つけたり)指定物件)
「参道」(仁王門以内)
「石柵」(仁王門前、二天門前、二天門夜叉門間両側、奥院参道脇、奥院宝塔・拝殿周囲)「銅燈籠66基」「石燈籠249基」

美術工芸品(国宝)
「大般涅槃経集解(だいはつねはんきょうしゅうげ)59巻」

美術工芸品(重要文化財)
(絵画)
「紙本著色東照権現像 8幅(附蒔絵箱入守袋 7箇)」
「板絵著色勝道上人像 2面(文保二年銘、正中二年銘)」
「板絵著色日光三所権現像 6面(正和二年銘ほか)」
「板絵著色役行者八大童子像 2面(うち1面元徳三年銘)」
(彫刻)
「木造千手観音立像(立木観音堂安置)」
「木造阿弥陀如来及四菩薩坐像(常行堂安置)」
(工芸品)
「菊花双雀鏡」「瑞花孔雀鏡」「金銅小形密教法具」一具
「金銅大火舎香炉」 「金銅鰐口永正二二年(四年)銘」
行事壇皆具 一括 「線刻阿弥陀三尊十二光仏鏡像」
「鋳銅半肉千手観音像」 「鉄多宝塔」「鉄錫杖」「錫杖願主秀海の銘あり」「銅錫杖頭 正応元年銘 銅錫杖頭(雲文飾)」 
「銅錫杖頭(鳳首飾)銅磐 建保五年銘斧」「蒔絵手筥 安貞二年平助永施入」
「住ノ江蒔絵硯筥 (伝天海所持)」「舞楽所用具 一括」「刺繍種子阿弥陀三尊掛幅」
「刺繍不動明王二童子像掛幅」「太刀 無銘伝行平」 
(書跡典籍)
「阿弥陀経(装飾経)」「金字阿弥陀経」「紺紙金字法華経 8巻 」「紺紙金泥阿弥陀経」「桜町天皇宸翰」「紺紙金泥般若心経」 「足利満兼筆」「紙本金字一字宝塔法華経不軽品神力品残巻」
「般若心経疏・般若心経疏詒謀鈔」「金剛般若集験記 上中下」「四種相違略私記 巻上」「大日経疏 自巻第一至第廿 20巻」「定宗論」 「唐梵文字」
「破邪弁正記上下 2帖」「法花玄義釈籤 10巻」「常行堂声明譜」「法華経化城喩品」
「刊本成唯識論述記 13巻」「高麗版一切経 614冊 」
「日光山滝尾建立草創日記」「東照権現祝詞(伝春日局筆)」
(考古資料)
「銅鋺 延元元年銘」



いっぱいありすぎて頭がいたくなりそう><
でも、全部見てみてみたい・・・・・・。
【岐阜県・富山県】
 
4、白川郷・五箇山の合掌造り集落
(英名) Historic Villages of Shirakawa-go and Gokayama
(仏名) Villages historiques de Shirakawa-go et Gokayama
登録区分 文化遺産
登録基準 文化遺産(4)(5)
登録年 1995年


合掌造りは、江戸時代から始められた蚕産のため、屋根裏に棚を設置したのが始まりといわれている。豪雪による雪下ろしの作業軽減と屋根裏の床面積拡大のため、急な角度を持つユニークな茅葺屋根になったと考えられている。又、屋根はどの家屋も東西を向いている。これは屋根に満遍なく日が当たるようにするため、集落が南北に細長い谷にあり、南北それぞれの方向から強い風が吹くので、風を受ける面積を少なくするためといわれている。
合掌造りを守る地域住民の連携形式の結(ゆい)により、補修や茅葺の葺き替えが行われている。
白川郷・五箇山の集落地帯は、有数の豪雪地帯のため、周囲との交通路整備が遅れた。このため、奇跡的に合掌造りの住居構造が残った。しかし、過疎化・住民の高齢化により、結の活動による、合掌造りの維持活動も限界となっている。

世界遺産登録後、急激に観光客が増加。近くを走る高速道路(東海北陸自動車道)の全面開通も迫っており、地域社会の生活と観光地化の狭間で、様々な諸問題も発生している。


白川郷(しらかわごう)は岐阜県(飛騨国)内の庄川流域の呼称である。大野郡白川村および旧荘川村(現高山市荘川町)に相当し、前者を下白川郷、後者を上白川郷と呼ぶ。今日では白川村のみを指すことが多い。
白川郷は合掌造り集落で知られる。五箇山と主に独特の景観をなす集落が評価され、白川郷・五箇山の合掌造り集落として、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。世界遺産白川郷合掌造り保存財団などがその保存にあたる。


五箇山(ごかやま)は富山県の南西端にある南砺市の旧平村、上平村、利賀村を合わせた地域を指す。赤尾谷、上梨谷、下梨谷、小谷、利賀谷の5つの谷からなるので五箇谷間、これが転じ五箇山の地名となった。 平家の落人が住み着いたと伝えられている。江戸時代には、加賀藩の流刑地とされ、加賀騒動の大槻伝蔵もこの地へ流された。
この地域は世界的にみても有数の豪雪地帯であり、そのような風土から傾斜の急な大きな屋根を持つ合掌造りの家屋が生まれた。現在も平村の相倉地区や上平村の菅沼地区には合掌造りの集落が残っており、隣接する岐阜県白川村の白川郷とともに「白川郷・五箇山の合掌造り集落」として世界遺産に登録されている。

また、民謡「こきりこ節」の地としても知られる。

                            by Wikipedia


数年前に1000ピースのパズルをやりました。
それが白川郷の風景ですが・・・・。和みますね〜。

住んでみたいです。でも、家々を守るのは大変みたいですが・・・・・。屋根の部分なんか特に!
木造建築は年々朽ちていくのはしょうがないことなんですが、日本の文化がなくなっていくのは悲しいです。
【奈良県】

 5、法隆寺地域の仏教建造物
法隆寺
(英名) Buddhist Monuments in the Horyu-ji Area
(仏名) Monuments bouddhiques de la région d'Horyu-ji
登録区分 文化遺産
登録基準 文化遺産(1) (2) (4) (6)
登録年 1993年

法隆寺地域の仏教建造物(ほうりゅうじちいきのぶっきょうけんぞうぶつ)はユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている、奈良県生駒郡斑鳩町所在の法隆寺および法起寺の建造物の総称である。

法隆寺をはじめとするこの地域の仏教建築物は聖徳太子と縁が深く、中国の六朝時代の建築の影響を多大に受けている。特に、法隆寺の西院伽藍は、建築年代に諸説あるが世界最古の木造建築として国際的にも著名である。

法隆寺をはじめとする一連の寺院は明治時代初期の廃仏毀釈により打撃を受けたが、後にこの政策は翻され、法隆寺金堂・五重塔をはじめとする建造物は1897年の古社寺保存法制定により、国指定の文化財として保護される事になった。これらの建造物は、第二次世界大戦後は、1950年に制定された文化財保護法により国宝および重要文化財に指定されている。時は下って世界遺産への登録は1993年になされた。




法隆寺(ほうりゅうじ) は、奈良県生駒郡斑鳩町にある、聖徳宗の総本山。別名:斑鳩寺(いかるがでら)。聖徳太子ゆかりの寺院であり、創建は同じく聖徳太子が創建に関わった大阪の四天王寺より約20年後の607年とされるが、確証はない。金堂、五重塔などがある西院と、夢殿などのある東院に分かれる。西院伽藍は現存する世界最古の木造建築物群である。法隆寺の建築物群は法起寺と共に、1993年に「法隆寺地域の仏教建造物」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。1950年に法相宗から独立。




法起寺(ほうきじ、ほっきじ)は、奈良県生駒郡斑鳩町岡本にある聖徳宗の寺院。古くは岡本寺、池後尼寺(いけじりにじ)とも呼ばれた。

山号は「岡本山」(ただし、奈良時代以前創建の寺院にはもともと山号はなく、後世付したものである)。本尊は十一面観音。聖徳太子建立七大寺の一つに数えられることもあるが、寺の完成は太子が没して数十年後のことである。「法隆寺地域の仏教建造物」の一部として世界遺産に登録されている。寺名は元来「ほっきじ」と読んだと思われるが、20世紀末頃から「ほうきじ」と読むことが多くなっている。




ここは行ったことあります!中学の修学旅行でいった事ある方も多いと思いますが・・・・・。鹿がいっぱいいたのしか覚えがない・・・・・。なんてもったいない事したんでしょうか><
【兵庫県】

 6、姫路城
(英名) Himeji-jo
(仏名) Himeji-jo
登録区分 文化遺産
登録基準 文化遺産(1) (4)
登録年 1993年
姫路城天守。南西方面(西の丸)より
通称 白鷺城


城郭構造 梯郭式平山城
天守構造 連立式望楼型5重6階
築城主 赤松貞範
築城年 1346年
主な改修者 黒田孝高,池田輝政
主な城主 池田氏,本多氏,酒井氏
廃城年 1871年
遺構 現存天守・櫓・門・塀
石垣、堀、土塁、庭園

姫路城(ひめじじょう)は、兵庫県姫路市(播磨国飾東郡姫路)にある城。白漆喰の城壁の美しさから白鷺城(しらさぎじょう、はくろじょう)とも呼ばれる、日本における近世城郭の代表的な遺構である。

築城以来廃城や戦火の危機を免れてきた事から天守をはじめ多くの建造物が現存し、うち大天守、小天守、渡櫓等8棟が国宝、74棟の各種建造物(櫓・渡櫓27棟、門15棟、塀32棟)が重要文化財に指定されている。また1993年、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録される。
三大国宝城の一つに数えられ、築城以来の姿をよく残している事もあって時に「天下の名城」あるいは「日本一の名城」とも言われる。
白壁の美しい城であり、時代劇を始めとして映画などのロケが行われる事も多い。しばしば江戸城など他の城の代わりとして撮影されている。
なお、姫路城の所在地「姫路市本町68番地」は、日本の番地では皇居の位置する「千代田区千代田1番地」に次ぐ面積を誇る。近代には陸軍歩兵第十連隊が駐屯していた。



国際記念物遺跡会議(ICOMOS)により、1992年9月と1993年4月、登録後の1993年8月に調査が行われた。登録にあたり、以下の点が優れていると判断された。

・木造建築物として建物の容積と配置が絶妙にバランスが取られ、漆喰の城壁を持つ優れた美をもっていること。
・明治以前の封建制度の象徴であること。
・日本の木造建造物として最高のものであること。

典型的な平山城。天守のある姫山を中心として、その周囲の平地まで含めた縄張となっている。全体としては、姫山の北方を起点に左回りに三重の螺旋を描くような構造であり、梯郭式縄張を成す。
一周目を「内曲輪(くるわ)」、二周目を「中曲輪」、三周目を「外曲輪」と称する。曲輪とは区画の事である。現在では内曲輪の範囲が姫路城の範囲として認識されている。中曲輪・外曲輪は周囲の地形を利用し城下町を内包した「総構え」である。
内曲輪の内部においても、さらに本丸・二の丸・三の丸・西の丸・出丸(御作事所)の五重構造になっている。内曲輪には他に水曲輪・腰曲輪・帯曲輪などがある。これらはいの門・ろの門などいろは順に名付けられた門によって細かく区切られている。現在は三の丸は広場に、出丸は姫路動物園の一部になっている。内曲輪における櫓や門の位置関係については右の画像の説明文を参照のこと。
輝政による築城はちょうど関ヶ原の戦いと大坂の役の間であり、ゆえに極めて実戦本意の縄張となっている。同時に優美さと豪壮さとを兼ね備えた威容は、「西国将軍」輝政の威を示すものでもある。姫路城以降は元和元年(1615年)の徳川幕府による一国一城令によって幕府の許可なく新たな築城や城の改修・補修が出来なくなったこともあり、江戸城や名古屋城といった徳川氏による築城を除いては姫路城に続くほどの規模の城は現れていない。
姫山北部は「姫山原生林」という築城以前の姿のままで残されている。原生林の中に本丸からの隠し通路の出口があるという噂があるが、今のところその存在は確認されていない。三の丸からは西の丸の石垣下にある鷺山口門が内堀に通じていた。
姫山の西を流れる船場川は、内堀に寄り添う形で流れており、堀同様の役割を果たしている。かつてはその名の通り水運のために利用されていた。


別名「白鷺城」素敵です。ここは、一度行って中の構造とか詳しく見学したいです。
日本の昔の文化や城の意味がもっとよくわかりたいです!
【京都府】

 7、古都京都の文化財
(英名) Historic Monuments of Ancient Kyoto
(仏名) Monuments historiques de l'ancienne Kyoto
登録区分 文化遺産
登録基準 文化遺産(2),(4)
登録年 1994年

古都京都の文化財(こときょうとのぶんかざい)は、京都府京都市・宇治市、滋賀県大津市に存在する寺院等の総称。1994年にユネスコの世界遺産(文化遺産)として登録された。

【賀茂別雷神社 (上賀茂神社)】
京都市北区にある神社である。通称上賀茂神社(かみがもじんじゃ)。式内社、山城国一宮、二十二社の一社で、旧社格は官幣大社。
 
【賀茂御祖神社 (下鴨神社)】
京都市左京区にある神社である。通称下鴨神社(しもがもじんじゃ)。式内社、山城国一宮、二十二社の一社で、旧社格は官幣大社。

【教王護国寺 (東寺)】
京都市南区九条町にある、空海ゆかりの寺院である。東寺真言宗・総本山。

【清水寺】
京都府京都市東山区清水にある寺院。山号を音羽山と称する。本尊は千手観音、開基(創立者)は延鎮上人である。

【延暦寺】
滋賀県大津市坂本本町にあり、比叡山全域を境内とする寺院で、最澄により開かれた天台宗の本山寺院である

【醍醐寺】
京都府京都市伏見区醍醐東大路町にある真言宗醍醐派総本山の寺院。山号を醍醐山(深雪山とも)と称する。

【仁和寺】
京都府京都市右京区御室(おむろ)にある真言宗御室派総本山の寺院である。山号を大内山と称する。

【平等院】
京都府宇治市にある藤原氏ゆかりの寺院。平安時代後期・11世紀の建築、仏像、絵画、庭園などを今日に伝え、「古都京都の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。

【宇治上神社】
京都府宇治市にある神社。世界文化遺産「古都京都の文化財」の構成要素。

【高山寺】
京都市右京区梅ヶ畑栂尾(とがのお)町にある寺院。栂尾は京都市街北西の山中に位置する。高山寺は山号を栂尾山と称し、宗派は真言宗御室派系の単立である。

【西芳寺 (苔寺)】
京都市西京区松尾にある臨済宗の寺院。一般には通称の苔寺で知られる。山号を洪隠山と称する。

【天龍寺】
京都府京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町(すすきのばばちょう)にある、臨済宗天龍寺派大本山の寺院。

【鹿苑寺 (金閣寺)】
京都市北区にある臨済宗相国寺派の寺院。寺名は足利義満の法名にちなむ。

【慈照寺 (銀閣寺)】
京都府京都市左京区にあり、東山文化を代表する臨済宗相国寺派の寺院。

【龍安寺】
京都府京都市右京区にある臨済宗妙心寺派の寺院。石庭で知られる。山号を大雲山と称する。

【西本願寺】
京都市下京区にある浄土真宗の寺院。浄土真宗本願寺派の本山。「西本願寺」は通称で正式名称は本願寺である。

【二条城】
京都市中京区二条城町にある江戸時代の城。京都市街の中にある平城で、京都観光の定番となっている。


京都についてはせっかくなので一つずつのせていこうと思います〜。17の寺院、神社があるので紹介していきます!
せっかくイベントで行くんですからね(✪ฺܫ✪ฺ)

写真は庭や参道、京都内の風景です。
寺院などの写真は、それぞれの時にのせます。
【京都府】
 7,1賀茂別雷神社
賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)は、京都市北区にある神社である。通称上賀茂神社(かみがもじんじゃ)。式内社、山城国一宮、二十二社の一社で、旧社格は官幣大社。

賀茂御祖神社(下鴨神社)とともに古代の賀茂氏の氏神を祀る神社であり、賀茂神社(賀茂社)と総称される。賀茂神社両社の祭事である葵祭で有名である。

賀茂氏の祖神である賀茂別雷命(かもわけみかづちのみこと)を祀る。「別雷」は「若雷」の意味で、若々しい力に満ちた雷(神鳴り)の神という意味である。

創建については諸説ある。社伝では、神武天皇の御代に賀茂山の麓の御阿礼所に賀茂別雷命が降臨したと伝える。『山城国風土記』逸文では、玉依日売(たまよりひめ)が加茂川の川上から流れてきた丹塗矢を床に置いたところ懐妊し、それで生まれたのが賀茂別雷命で、兄玉依日古(あにたまよりひこ)の子孫である賀茂県主の一族がこれを奉斎したと伝える。丹塗矢の正体は、乙訓神社の火雷神とも大山咋神ともいう。玉依日売とその父の賀茂建角身命は下鴨神社に祀られている。

国史では、文武天皇2年(698年)3月21日、賀茂祭の日の騎射を禁じたという記事が初出で、他にも天平勝宝2年(750年)に御戸代田一町が寄進されるなど、朝廷からの崇敬を受けてきたことがわかる。794年の平安遷都の後は王城鎮護の神社としてより一層の崇敬を受け、大同2年(807年)には最高位である正一位の神階を受け、賀茂祭は勅祭とされた。『延喜式』では名神大社に列し、名神・月次・相嘗・新嘗の各祭の幣帛に預ると記載されている。弘仁元年(810年)以降約400年にわたって、伊勢神宮の斎宮にならった斎院が置かれ、皇女が斎王として奉仕した。

明治の社格制度でも、官幣大社の筆頭という、伊勢神宮の次位の神社とされ、明治16年には勅祭社に定められた。

<摂社>
片山御子神社(式内社。玉依比賣命) 大田神社(式内社。天鈿女命)
賀茂山口神社(式内社。御歳神) 奈良神社(奈良刀自神)

<末社>
山森神社(式内社「鴨岡太神社」。素盞嗚神、稲田姫命、田心姫命)
土師尾社(式内社「賀茂波爾神社」建玉依比古命)
須波神社(式内社。阿須波神、波比祇神、生井神、福井神、綱長井神)
梶田社(瀬織津姫神) 岩本社(住吉三神) 橋本社(衣通姫神)
川尾社(罔象女神) 棚尾社(豊石窓神、櫛石窓神) 藤木社
二葉姫稲荷社  天之斑駒神社  金毘羅社  八嶋龍神社

<建造物>
国宝「賀茂別雷神社 本殿」(1863年建造)
国宝「賀茂別雷神社 権殿」(1863年建造)
重要文化財「賀茂別雷神社 本殿権殿取合廊」(1863年頃建造)
重要文化財「賀茂別雷神社 本殿東渡廊取合廊」(1863年頃建造)
重要文化財「賀茂別雷神社 西渡廊」(1628年建造)
重要文化財「賀茂別雷神社 透廊」(1628年建造)
重要文化財「賀茂別雷神社 渡廊」(1628年建造)
重要文化財「賀茂別雷神社 祝詞舎」(1628年建造)
重要文化財「賀茂別雷神社 塀中門」(1628年頃建造)
重要文化財「賀茂別雷神社 摂社若宮神社本殿」(1628年建造)
重要文化財「賀茂別雷神社 東渡廊」(1628年建造)
重要文化財「賀茂別雷神社 四脚中門」(1628年建造)
重要文化財「賀茂別雷神社 御籍屋」(1628年建造)
重要文化財「賀茂別雷神社 神宝庫」(1628年建造)
重要文化財「賀茂別雷神社 唐門」(1628年頃建造)
重要文化財「賀茂別雷神社 東御供所」(1628年頃建造)
重要文化財「賀茂別雷神社 直会所」(1628年頃建造)
重要文化財「賀茂別雷神社 楽所及び西御供所」(1628年頃建造)
重要文化財「賀茂別雷神社 幣殿」(1628年建造)
重要文化財「賀茂別雷神社 忌子殿」(1628年頃建造)
重要文化財「賀茂別雷神社 幣殿忌子殿取合廊」(1628年頃建造)
重要文化財「賀茂別雷神社 高倉殿」(1628年頃建造)
重要文化財「賀茂別雷神社 楼門」(1628年建造)
重要文化財「賀茂別雷神社 廻廊」(2棟)(1628年頃建造)
重要文化財「賀茂別雷神社 摂社新宮神社本殿及び拝殿」(2棟)(1628年建造)
重要文化財「賀茂別雷神社 摂社片岡神社本殿及び拝殿」(2棟)(1628年建造)
重要文化財「賀茂別雷神社 片岡橋」(明治初年建造「谷重雄」)
重要文化財「賀茂別雷神社 拝殿(細殿)」(1628年建造)
重要文化財「賀茂別雷神社 舞殿(橋殿)」(1863年建造)
重要文化財「賀茂別雷神社 土屋(到着殿)」(1628年建造)
重要文化財「賀茂別雷神社 楽屋」(1628年建造)
重要文化財「賀茂別雷神社 外幣殿」(1628年建造)
重要文化財「賀茂別雷神社 北神饌所(庁屋)」(奈良神社拝殿付属)(1628年建造)
(以下は「附(つけたり)」指定物件)

「末社棚尾社本殿」 「摂社須波神社本殿」 「玉橋」 「末社杉尾社本殿」 「末社土師尾社本殿」

<美術工芸品>
重要文化財「賀茂神主経久記」
重要文化財「賀茂別雷神社文書 13,639通」
重要文化財「賀茂祢宜神主系図(凡例並目録共)」((財)賀茂県主同族会所有)

<その他>
立砂 - 細殿前の円錐状の二つの砂の山は御神体である神山を模したものであり立砂(たてずな)という。鬼門にまく清めの砂の起源とされる。
【京都府】
 7,2賀茂御祖神社
賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)は、京都市左京区にある神社である。通称下鴨神社(しもがもじんじゃ)。式内社、山城国一宮、二十二社の一社で、旧社格は官幣大社。
賀茂別雷神社(上賀茂神社)とともに古代の賀茂氏の氏神を祀る神社であり、賀茂神社(賀茂社)と総称され、両社をもって一社のような扱いをされてきた。賀茂神社両社の祭事である葵祭で有名である。

上賀茂神社の祭神である賀茂別雷命の母の玉依姫命および玉依姫命の父の賀茂建角身命を祀ることから「賀茂御祖神社」と呼ばれる。八咫烏は賀茂建角身命の化身である。
社伝では、神武天皇の御代に御蔭山に祭神が降臨したと伝える。一説には、天平のころに上賀茂神社から分置されたとされる。上賀茂神社とともに奈良時代以前から朝廷の崇敬を受けた。平安遷都の後はより一層の崇敬を受けるようになり、大同2年(807年)には最高位である正一位の神階を受け、賀茂祭は勅祭とされた。『延喜式』では名神大社に列し、名神・月次・相嘗・新嘗の各祭の幣帛に預ると記載されている。弘仁元年(810年)以降約400年にわたり、斎院が置かれ皇女が斎王として賀茂社に奉仕した。

<摂社>
河合神社(式内社(名神大)「鴨川合坐小社宅神社」。鴨長明ゆかりの社)
六社 任部社 三井社 出雲井於神社(式内社) 岩本社  橋本社 三井神社(式内社(名神大))
諏訪社 小杜社 白鬚社 賀茂波爾神社 稲荷社 御蔭神社 日吉神社 貴布祢神社

<末社>
印璽社 言社 井上社 相生社 愛宕社 稲荷社 祓社 印納社 沢田社 河崎社 賀茂斎院歴代斎王神霊社

<建築物>
国宝「賀茂御祖神社 東本殿」
国宝「賀茂御祖神社 西本殿」
重要文化財「賀茂御祖神社 祝詞舎」
重要文化財「賀茂御祖神社 幣殿」
重要文化財「賀茂御祖神社 東西廊」(2棟)
重要文化財「賀茂御祖神社 東西御料屋」(2棟)
重要文化財「賀茂御祖神社 叉蔵」
重要文化財「賀茂御祖神社 四脚中門」
重要文化財「賀茂御祖神社 東西楽屋」(2棟)
重要文化財「賀茂御祖神社 中門東西廻廊」(2棟)
重要文化財「賀茂御祖神社 預り屋」
重要文化財「賀茂御祖神社 西唐門」
重要文化財「賀茂御祖神社 舞殿」
重要文化財「賀茂御祖神社 神服殿」
重要文化財「賀茂御祖神社 橋殿」
重要文化財「賀茂御祖神社 細殿」
重要文化財「賀茂御祖神社 供御所」
重要文化財「賀茂御祖神社 大炊所」
重要文化財「賀茂御祖神社 楼門」
重要文化財「賀茂御祖神社 楼門東西廻廊」(2棟)
重要文化財「賀茂御祖神社 摂社出雲井於神社本殿」
重要文化財「賀茂御祖神社 摂社三井神社本殿」(3棟)
重要文化財「賀茂御祖神社 摂社三井神社拝殿」
重要文化財「賀茂御祖神社 摂社三井神社棟門」
重要文化財「賀茂御祖神社 摂社三井神社東西廊下」(2棟)
(以下は「附(つけたり)」指定物件)

(本社の附)
「末社印璽社本殿」 「末社一言社本殿」 「末社二言社本殿」(2棟) 「末社三言社本殿」(3棟)
「透塀」
(摂社出雲井於神社の附)
「岩本社本殿」 「橋本社本殿」 (摂社三井神社の附)
「三井神社末社本殿」(諏訪社、小杜社、白鬚社)(3棟)


<その他>
「鴨社御本宮之絵図」「鴨社古図」
【京都府】

7,3教王護国寺
別名東寺(とうじ)は、京都市南区九条町にある、空海ゆかりの寺院である。東寺真言宗・総本山。山号は八幡山、本尊は薬師如来。「古都京都の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。
この寺には「東寺」および「教王護国寺」という2つの名称がある。「教王」とは「王を教化する」との意味であり、「教王護国寺」という名称には、国家鎮護の密教寺院という意味合いが込められている。宗教法人としての正式名称は「教王護国寺」であり、たとえば、五重塔の国宝指定官報告示の際の指定名称は「教王護国寺五重塔」となっている。しかし、平安時代から21世紀に至るまで、この寺はもっぱら「東寺」と称され、「教王護国寺」という名称は実際にはほとんど使われてこなかったことも事実である。「教王護国寺」という名称は平安時代の記録類には一切見えず、この寺号の文献上の初出は仁治元年(1240年)である。後宇多天皇直筆の国宝「東寺興隆条々事書」(延慶8年=1308年)や、南北朝時代に成立した東寺の正式の記録書である「東宝記」にも明確に「東寺」と表記されている。


<国宝>
東寺太子堂 観智院金堂 五重塔 大師堂 蓮花門 観智院客殿−慶長11年(1606年)の建立。
木造五大菩薩坐像(中尊像を除く4躯)−講堂安置 木造五大明王像−講堂安置
木造梵天・帝釈天像−講堂安置 木造四天王立像−講堂安置
木造不動明王坐像・天蓋−大師堂(御影堂)安置 木造弘法大師坐像−大師堂(御影堂)安置
木造兜跋毘沙門天立像−もと平安京の羅城門楼上に安置されていた像。唐時代。宝物館に安置。
木造僧形八幡神坐像1躯、女神坐像2躯、附・武内宿禰坐像−鎮守八幡宮安置。平安初期の作。日本の神像の最古作の1つ。
真言七祖像(絵画)−真言宗の祖師7人の肖像画。7幅のうち5幅は空海が唐から持ち帰ったもので、損傷甚大とはいえ、唐時代絵画の数少ない遺品としてきわめて貴重。
五大尊像−宮中で正月の8日から14日までの間行われた後七日御修法(ごしちにちのみしほ:天皇の健康を祈る密教の修法)の際に道場に掛けられた仏画。平安後期の作。
両界曼荼羅(伝・真言院曼荼羅)−日本に伝わる両界曼荼羅のうち、もっとも著名なもの。鮮烈な色彩とインド風の濃い諸仏の官能的な肢体のが特色。「西院曼荼羅」とも称する。平安初期、9世紀の作。
十二天屏風−鎌倉時代の作。
密教法具−唐時代制作の仏具一式。空海の請来品。
犍陀穀糸袈裟・横被(けんだこくし けさ・おうひ)−唐時代の染織工芸品。空海の請来品。
海賦蒔絵袈裟箱(かいぶまきえ けさばこ)−平安初期の漆工芸品。上記袈裟を収納するためのもの。
紫檀塗螺鈿金銅荘舎利輦(したんぬりらでんこんどうそう  しゃりれん)−舎利会(しゃりえ:仏陀の遺骨をたたえる年中行事)で用いるもので、神社の神輿に似ている。「紫檀塗螺鈿金銅荘」とは、黒漆塗に朱漆で木目を描き(紫檀塗)、螺鈿(貝殻を用いた装飾)と金銅(銅に金メッキしたもの)で飾ったという意味である。
弘法大師筆尺牘(こうぼうだいしひつ  せきとく)−「尺牘」とは漢文体の手紙のこと。空海自筆の手紙3通を巻物に仕立てたもので、日本書道史上きわめて貴重な作品である。1通目の手紙(最澄あて)の冒頭の「風信雲書」という句にちなんで「風信帖」と通称される。
弘法大師請来目録−空海が唐から持ち帰った品の目録で、筆者は最澄である。
後宇多天皇宸翰東寺興隆条々事書御添状(ごうだてんのうしんかん とうじこうりゅうじょうじょうことがき おんそえじょう)−「宸翰」は「天皇の自筆」の意。弘法大師に帰依した後宇多天皇が、出家の翌年に東寺の発展を願って書き記したもの。
東宝記−南北朝から室町時代に成立した、東寺の公式記録書。

<重要文化財>
(建造物)
講堂 慶賀門 東大門 南大門 北大門 北総門 宝蔵 灌頂院、同北門、同東門 五重小塔
(絵画)
絹本著色十一面観音像 絹本著色不空羂索観音像 絹本著色両界曼荼羅図(甲本)・(乙本)・(永仁本)・(元禄本)
絹本著色両界曼荼羅図(敷曼荼羅) 紙本著色弘法大師行状絵詞 12巻
紙本墨画蘇悉地儀軌契印図(伝宗叡請来) 紙本墨画胎蔵曼荼羅略記
密教図像10点(火羅図 1幅、仁王経法本尊像 5幅、聖天像 1幅、大元帥明王像(六面八臀像)1幅、大元帥明王像(六面八臀像)1幅、大元帥明王像(四面八臀像)1幅、 大元帥曼荼羅図(十八面三十六臀像)1幅、大元帥曼荼羅図(四面八臀像)1幅、請雨経曼荼羅図 1幅、六大黒天像 1幅)
(彫刻)
木造薬師如来及両脇侍像(金堂安置) 木造大日如来坐像、附・金剛界四仏坐像(講堂安置)
木造千手観音立像(旧食堂本尊) 木造聖僧文殊(しょうそうもんじゅ)坐像
木造地蔵菩薩立像 木造観音菩薩・梵天・帝釈天立像(二間観音) 木造五大虚空蔵菩薩像(伝恵運将来)(所在観智院)
(工芸品)
鈸子(ばっし)一対 金銅大鋺2口・金銅鋺7口・金銅皿5枚・金銅鋺蓋8枚 金銅舎利塔 金銅鉢 5口
金銅羯磨 4口 刻文脇息 漆皮箱 水精念珠
法会所用具類(ほうえ しょようぐるい) 39点(舞楽水引 6枚、蛮絵袍 2枚、舎利会装束(衣二領、袴二腰)2組、舎利会装束衣 2領、舎利会装束大口 2腰、舎利会散花机前垂(赤蓮華文錦) 1枚、奚婁(けいろ)1口、鼗(ふりつづみ)1口、羯鼓(台付)1口、 鼓胴(皮各二枚付)2口、鉦鼓 1口、木履 5両、十二天持物 13本)
木造彩色大壇
(書籍典籍・古文書)
絹本著色弘法大師像 画賛(伝後宇多院宸翰)あり(談義本尊) 悉曇蔵巻三、巻八 
宋版一切経(うち和刻本7帖、補写本18帖)6,087帖 宋版大般若経(うち補写本9帖)642帖
大般若経 597巻 大般若経(神泉苑寄進経)587帖 大仏頂陀羅尼
仏説灌頂経 12帖 本朝明匠略伝 下  東寺観智院聖教類(しょうぎょうるい) 15,402件
弘法大師遺告(絹本) 後醍醐天皇塔供養御願文 舎利奉請文 後光厳院宸翰
舎利奉請誡文 後醍醐院宸翰 庄園敷地施入状 後宇多院宸翰 2巻 東寺文書(六芸之部) 91巻
(考古資料)
平安京古瓦 3箇

<東寺旧蔵の国宝・重要文化財>
※以下は諸般の事情で第二次大戦後に寺の所有を離れたもの。

(国宝)
十二天像(京都国立博物館蔵)−平安後期の色彩華麗な仏画。
山水屏風(せんずいびょうぶ)(京都国立博物館蔵)−密教の儀式の際、道場に立てられた屏風。平安後期。
牛皮華鬘(ごひけまん)(奈良国立博物館蔵)後宇多院宸記(国立歴史民俗博物館蔵)
三宝絵詞(東京国立博物館蔵) 入唐求法巡礼行記(にっとうぐほうじゅんれいこうき)(岐阜県・法人蔵)
類聚名義抄(天理大学蔵・天理図書館保管)
(重要文化財)
(京都国立博物館蔵)木造十二天面 7面 (奈良国立博物館蔵)七大寺日記
(国立歴史民俗博物館蔵)後醍醐院消息
(MOA美術館蔵)絹本著色求聞持曼荼羅図、絹本著色童子経曼荼羅図、諸尊図像、伝法正宗定祖図、九曜星図像、仁王経法図像、太元明王図像、白描曼荼羅集、星曼荼羅図残欠、白銅水瓶、彩絵曲物笥、黒漆螺鈿礼盤、雑伎彩絵唐櫃
(天理大学附属天理図書館蔵)古文尚書巻第十一、世俗諺文上巻、類聚三代格巻第三、作文大躰、古文孝経、蒙求 康永四年書写、蒙求 建永元年及建保六年奥書、文選巻第廿六
(岐阜・法人蔵)絹本著色閻魔天像、絹本著色愛染明王像、絹本著色宝楼閣曼荼羅図、雲龍図 円山応挙筆、銅造菩薩立像
(個人蔵)絹本著色仏眼曼荼羅図、絹本著色普賢延命像
【京都府】

 7,4清水寺
清水寺(きよみずでら)は、京都府京都市東山区清水にある寺院。山号を音羽山と称する。本尊は千手観音、開基(創立者)は延鎮上人である。宗派はもと法相宗に属したが現在は独立して北法相宗大本山を名乗る。
西国三十三箇所観音霊場の第16番札所であり、古都京都の文化財の一部として世界遺産にも登録されている。

文化財
<国宝>
本堂
重要文化財(建造物)

仁王門 馬駐(うまとどめ) 西門 三重塔 鐘楼 経堂 田村堂(開山堂) 朝倉堂 鎮守堂 北総門 轟門 釈迦堂 阿弥陀堂 奥の院 子安塔 地主神社本殿・拝殿・総門
重要文化財(美術工芸品)

木造千手観音坐像(奥の院本尊) 木造十一面観音立像 木造伝・観音勢至菩薩立像 木造大日如来坐像 木造毘沙門天立像(塔頭慈心院所有) 渡海船額(末吉船図・角倉船図) 板絵朝比奈草摺曳図(伝・長谷川久蔵筆) 鉄鰐口 梵鐘
重要文化財の仏像のうち、千手観音坐像は秘仏、その他の像は宝蔵殿に収蔵され非公開である。朝比奈草摺曳図(絵馬)は、京都市内の社寺に残る大絵馬のうち最古のものとして著名で、寛永6年(1629年)の旧本堂炎上の際、これ1点のみ焼け残ったもの。天正20年(1592年)の奉納銘があり、筆者は長谷川等伯の子・久蔵とされている。

広隆寺、鞍馬寺とともに、平安京遷都以前からの歴史をもつ、京都では数少ない寺院の1つである。清水寺の縁起はさまざまな伝本があり、『今昔物語集』『扶桑略記』などにも清水寺草創伝承が載せられている。これらによれば、草創縁起は大略次のとおりである。宝亀9年(778年)、大和国子島寺(奈良県高市郡高取町に現存)の僧・延鎮上人が、夢のお告げで霊泉を訪ねてたどりついたのが、今、清水寺の建つ音羽山であった。そこにはこの山に篭って数百年も修行を続けているという行叡居士(ぎょうえいこじ)という修行者(観音の化身ともいう)がいた。行叡は「自分はこれから東国へ旅立つので、後を頼む」と言い残し、去っていった。延鎮は、行叡居士が残していった霊木に観音像を刻み、草庵に安置した。これが清水寺のはじまりという。

延暦24年(805年)に坂上田村麻呂が寺地を賜り、弘仁元年(810年)、嵯峨天皇の勅許を得て公認の寺院となったことは史実とされ、この頃に本格的な寺観が整ったようである。

清水寺は『源氏物語』、『枕草子』、『更級日記』、『梁塵秘抄』などの古典文学に言及されている。『枕草子』は、「さはがしきもの」の例として清水寺の縁日の日を挙げており、平安時代、既に多くの参詣者を集めていたことが伺われる。近世には浄瑠璃、歌舞伎などにも清水寺が登場する。

清水寺は、京都では珍しい法相宗(南都六宗の1つ)寺院で、長らく興福寺の支配下にあった。本堂をはじめとする伽藍はたびたび火災にあっており、現在の本堂は寛永10年(1633年)、徳川家光の寄進による再建である。他の諸堂も多くはこの年に再建されている。
【京都府】

 7,5延暦寺
延暦寺(えんりゃくじ)は、滋賀県大津市坂本本町にあり、比叡山全域を境内とする寺院で、最澄により開かれた天台宗の本山寺院である。「延暦寺」とは比叡山の山上から東麓にかけた境内に点在する東塔(とうどう)、西塔(さいとう)など、三塔十六谷の堂塔の総称である。延暦7年(788年)に最澄が一乗止観院という草庵を建てたのが始まりである。開創時の年号をとった延暦寺という寺号が許されるのは、最澄没後の弘仁14年(824年)のことであった。延暦寺は数々の名僧を輩出し、融通念仏の開祖良忍、浄土宗の開祖法然、浄土真宗の開祖親鸞、臨済宗の開祖栄西、曹洞宗の開祖道元、日蓮宗の開祖日蓮など、新仏教の開祖や、日本仏教史上著名な僧の多くが若い日に比叡山で修行していることから、「日本仏教の母山」とも称されている。比叡山は文学作品にも数多く登場する。また、天台の思想に基づいた「12年籠山行」「千日回峯行」などの厳しい修行が現代まで続けられており、日本仏教の代表的な聖地として、世界遺産にも登録されている。

<国宝>
根本中堂
金銅経箱−平安時代後期の金属工芸。横川から発掘された。
宝相華蒔絵経箱−平安時代後期の漆工芸品
七条刺納袈裟、刺納衣−最澄が持ち帰った、唐時代の染織遺品
伝教大師将来目録−唐の越州から最澄が将来した経典類の自筆目録
羯磨金剛目録−最澄自筆の将来品目録
天台法華宗年分縁起−最澄筆
六祖恵能伝−最澄が持ち帰った、唐時代の写本
伝教大師入唐牒−最澄の唐での通行許可書
光定戒牒(こうじょうかいちょう)−「三筆」の一人嵯峨天皇の筆

<重要文化財>
(建造物)
根本中堂回廊 転法輪堂(釈迦堂) 大乗戒壇院堂 瑠璃堂 相輪橖(そうりんとう) 常行堂及び法華堂
(絵画)
絹本著色天台大師像 絹本著色天台大師像 有賛 絹本著色相応和尚像
絹本著色不動明王三大童子五部使者像 絹本著色文殊菩薩像
絹本著色山王本地仏像(注) 紙本著色山王霊験記
(注)本作品は滋賀県草津市の観音寺(芦浦観音寺)旧蔵で、個人所有を経て後に延暦寺に寄進されたもの。

(彫刻)
木造釈迦如来立像(釈迦堂安置) 木造聖観音立像(横川中堂安置)
木造光定大師立像(旧所在山麓大師堂) 木造不動明王二童子像(旧所在無動寺明王堂)
木造降三世明王立像(旧所在無動寺明王堂)木造軍荼利夜叉明王立像(旧所在無動寺明王堂)
木造大威徳明王像(旧所在無動寺明王堂) 木造金剛夜叉明王立像(旧所在無動寺明王堂)
木造四天王立像(旧所在根本中堂) 木造四天王立像 2躯(旧所在釈迦堂)
木造千手観音立像(旧所在山王院) 木造不動明王立像(旧所在飯室不動堂)
木造維摩居士坐像(青龍寺旧蔵) 木造慈恵大師坐像(青龍寺旧蔵)
木造慈恵大師坐像(本覚院旧蔵) 木造阿弥陀如来立像(滋賀院旧蔵)
木造吉祥天立像(滋賀院旧蔵) 木造大黒天立像(律院旧蔵)
木造薬師如来坐像(注) (注)本像は1944年、兵庫県の個人所有として重文(旧国宝)に指定され、後に延暦寺に寄進されたもの。

(工芸品)
尾長鳥繍縁花文錦打敷 (書跡典籍、古文書、歴史資料)
紺紙金銀交書法華経 8巻 紺紙銀字法華経 8巻
華厳要義問答 行福筆 
悉曇蔵 8帖 伝述一心戒文 上中下 3帖 延暦寺楞厳三昧院解 天禄三年正月十五日 
山門再興文書 道邃和尚伝道文 宗存版木活字(付属品共)
(子院所有分)
恵光院 絹本著色不動二童子像 実蔵坊 絹本著色毘沙門天像 水晶舎利塔 大林院 絹本著色不動明王二童子像 木造不動明王坐像 寿量院 木造阿弥陀如来坐像
乗実院 木造阿弥陀如来立像 恵日院 木造慈眼大師坐像
求法寺 木造慈恵大師坐像 明徳院 絹本著色地蔵菩薩像
妙行院 木造地蔵菩薩立像 玉蓮院 木造不動明王二童子立像
弘法寺 金銀鍍水瓶 法華経(装飾経)
上記のほか、以下の重要文化財についても、延暦寺が「管理団体」(文化財保護法第32条の2の規定に基づく)に指定されており、比叡山国宝殿に保管されている。

明王院(大津市葛川坊村町)所有 紙本著色光明真言功徳絵詞
絹本着色不動明王二童子像 
木造千手観音・不動明王・毘沙門天立像 葛川明王院文書
葛川与伊香立庄相論絵図
葛川明王院参籠札 蓮台寺(滋賀県栗東市)所有
木造薬師如来両脇侍像

<滋賀県指定文化財>
(建造物)
阿弥陀堂鐘楼 四季講堂
なお、境内は国の史跡に指定され、「比叡山鳥類繁殖地」として天然記念物に指定されている。 また、1994年12月、「古都京都の文化財」の一つとして世界遺産に登録された。
【京都府】

 7,6醍醐寺
醍醐寺(だいごじ)は、京都府京都市伏見区醍醐東大路町にある真言宗醍醐派総本山の寺院。山号を醍醐山(深雪山とも)と称する。本尊は薬師如来、開基(創立者)は理源大師聖宝(しょうぼう)である。古都京都の文化財の一部として世界遺産に登録されている。伏見区東方に広がる醍醐山(笠取山)に200万坪以上の広大な境内をもつ寺院である。豊臣秀吉による「醍醐の花見」の行われた地としても知られる。

<国宝>
金堂 - 現在の建物は豊臣秀吉の発願により紀州湯浅の(12世紀後半に建立された後白河法皇の御願寺)本堂を慶長4年(1599年)に移築・再建
五重塔 - 天暦5年(951年)に醍醐天皇の冥福を祈るために朱雀天皇が建立したもので、醍醐寺のなかでも唯一の創建当時からの建物
清滝宮拝殿(上醍醐) - 永享6年(1434年)に再建、清滝宮は弘法大師(空海)が唐・長安の青龍寺から勧請した密教の守護神を祀った醍醐寺の鎮守社
薬師堂(上醍醐) - 保安2年(1121年)から5年をかけて再建、醍醐天皇の御願により延喜7年(907年)頃に理源大師(聖宝)により建立
三宝院唐門 - 1599年建立 三宝院表書院 絹本著色五大尊像
絹本著色文殊渡海図
絹本著色訶梨帝母像 絹本著色閻魔天像 五重塔初重壁画(板絵著色)18面 紙本著色絵因果経
木造薬師如来及両脇侍像(旧上醍醐薬師堂安置) 大日経開題 弘法大師筆 
後宇多天皇宸翰当流紹隆教誡(三通) 後醍醐天皇宸翰天長印信(蝋牋) 狸毛筆奉献表 伝弘法大師筆  理源大師筆処分状

<重要文化財>
(建造物)
清滝宮本殿
如意輪堂(上醍醐) - 慶長11年(1606年)に豊臣秀頼により再建、理源大師(聖宝)により准胝堂とともに建立されたと伝わる
開山堂(上醍醐) - 如意輪堂ともに慶長11年(1606年)に豊臣秀頼により再建、内陣の厨子には理源大師(聖宝)坐像など安置
三宝院殿堂(玄関、勅使の間・秋草の間・葵の間、庫裏、宸殿、純浄観、護摩堂)
三宝院宝篋印塔
(絵画)
絹本著色阿弥陀三尊像
絹本著色大日金輪像(1902年重文指定、98.2×60.9cm)
絹本著色大日金輪像(1941年重文指定、96.4×83.3cm)
絹本著色虚空蔵菩薩像 絹本著色地蔵菩薩像
絹本著色普賢延命像 絹本著色弥勒菩薩像
大元帥法本尊像(絹本著色大元帥明王像(卅六臂、八臂、四臂)3幅・毘沙門天像・伝釈迦曼荼羅図・虚空蔵曼荼羅図)
絹本著色愛染明王像 絹本著色金剛夜叉明王像
絹本著色大威徳明王像 絹本著色五秘密像
紙本墨画不動明王像 5幅 紙本墨画密教図像 39点
絹本著色山水屏風 六曲屏風 絹本著色仁王経曼荼羅図
絹本著色般若菩薩曼荼羅図 絹本著色弥勒曼荼羅図
絹本著色両界曼荼羅図 絹本著色六字経曼荼羅図
紺絹金泥六字経曼荼羅図 紙本著色十巻抄(第十巻補写)
金地著色扇面散図 伝俵屋宗達筆 二曲屏 金地著色舞楽図 俵屋宗達筆 二曲屏
紙本著色調馬図 六曲屏 紙本墨画芦鴨図 俵屋宗達筆(二面衝立)
(彫刻)
木造薬師如来及両脇侍像(金堂安置) 銅造阿弥陀如来坐像
木造阿弥陀如来坐像
木造聖観音立像 木造千手観音立像 木造如意輪観音坐像 木造地蔵菩薩立像
木造弥勒菩薩坐像 快慶作(三宝院本堂安置) 木造閻魔天像
木造吉祥天立像
木造金剛力士立像(所在西大門) - 1134年造立 木造帝釈天騎象像
木造五大明王像 木造不動明王坐像 快慶作 木造不動明王坐像
木造大威徳明王像(上醍醐五大堂安置)附・木造不動明王・降三世明王、軍荼利明王、金剛夜叉明王像 木造理源大師坐像(開山堂安置)
(工芸品)
金銅仏具(如意、九鈷杵、五鈷鈴、金剛盤)金銅両界曼荼羅
石燈籠
線刻阿弥陀五仏鏡像 線刻如意輪観音等鏡像 鍍金輪宝羯磨紋戒体筥
沃懸地螺鈿説相箱(いかけじらでんせっそうばこ) 一双 螺鈿如意
(書籍典籍、古文書)
浄名経集註 巻第九 紺紙金泥般若心経 後奈良天皇宸翰
孔雀経音義 真寂法親王撰 3帖
江談抄 諸寺縁起 18帖 多羅葉記 心覚撰 3帖 大唐西域記巻第十一、巻第十二
仏制比丘六物図 法華経釈文 仲算撰 3帖 理趣経 足利尊氏筆 
中阿含経 巻第十四残巻論語 巻第七 悉曇字母(飛雲紙金銀箔散料紙) 随仏念誦要訣 淳祐筆 
性霊集 法助准后跋 10帖 菩提荘厳陀羅尼・無垢浄光根本陀羅尼・一切如来心秘密全身宝篋陀羅尼・千手千眼陀羅尼・阿弥陀大真言 1巻
宋版一切経 6,096帖 醍醐花見短籍 豊臣秀吉及一座各筆 百三十一葉
醍醐雑事記 巻第七 醍醐雑事記 慶延記 15帖 醍醐根本僧正略伝
醍醐寺新要録 義演自筆本 22帖 醍醐寺聖教類 16,441点
東大寺要録巻第一、二 本朝文粋 巻第六残巻 遊仙窟
弘法大師廿五箇条遺告 義演准后日記 62冊 賢俊日記 2冊
満済准后日記 38帖
後宇多天皇宸翰御灌頂御諷誦 僧綱牒(延喜八年二月廿一日 聖宝、観賢等署判 )
東南院院主房起請(延喜七年二月十三日)醍醐寺文書 16,403通
(その他の文化財)
弁天堂 − 昭和5年(1930年)に林泉の北東岸に建立された建物
醍醐水(上醍醐) − 理源大師(聖宝)が感得し、醍醐寺の名前の由来となったといわれる霊泉
准胝堂(上醍醐) − 理源大師(聖宝)が如意輪堂とともに建立,西国三十三所観音霊場第十一番札所
五大堂(上醍醐) − 理源大師(聖宝)が開いた国家鎮護の祈願道場
【京都府】

 7.7仁和寺
仁和寺(にんなじ)は、京都府京都市右京区御室(おむろ)にある真言宗御室派総本山の寺院である。山号を大内山と称する。本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は宇多天皇である。皇室とゆかりの深い寺で、出家後の宇多法皇が住したことから「御室御所」(おむろごしょ)の別名がある。御室は桜の名所としても知られ、春の桜と秋の紅葉の時期は多くの参拝者でにぎわう。また、徒然草に登場する「仁和寺にある法師」の話は著名である。古都京都の文化財の一部として、世界遺産に登録されている。

<国宝>
金堂
木造阿弥陀三尊像−もと金堂に安置され、現在は寺内の霊宝館に移されている。仁和4年(888年)創建時の本尊とするのが通説だが、和様化の進んだ作風等から見て、仁和寺創建当時のものではなく、10世紀頃の作とする見方もある。
木造薬師如来坐像−本坊北側にある霊明殿(仁和寺の歴代門跡の位牌をまつる堂)の秘仏本尊。1986年、京都国立博物館の調査で初めて概要が明らかになり、1990年、国宝に指定された。康和5年(1103年)、白河天皇の皇子・覚行法親王の発願により仏師円勢と長円が造像したものである。本体の像高11センチ、光背と台座を含めても24センチほどのビャクダン(白檀)材の小像で、光背には七仏薬師像と日光・月光菩薩、台座には前後左右各面に3体ずつの十二神将を表わす入念な作である。
孔雀明王像(絵画)−中国北宋時代の仏画。
宝相華蒔絵宝珠箱(ほうそうげ まきえ ほうじゅばこ)−平安時代前期の漆工芸品。蒔絵の初期の遺品として貴重。
三十帖冊子・宝相華迦陵頻伽蒔絵ソク冊子箱(ソク=土へんに「塞」)(ほうそうげ かりょうびんが まきえ そく さっしばこ)−「三十帖冊子」は、空海が唐から持ち帰った写経の小冊子(サイズは縦横とも十数センチ)30冊で、一部に空海自筆を含む。古来、真言宗の重宝として尊重されている。付属の箱は朝廷から下賜されたもので、平安時代の漆工芸品として貴重である。
御室相承記−仁和寺の歴代法親王の記録。鎌倉時代。
高倉天皇宸翰消息−「宸翰」(しんかん)は天皇の直筆、「消息」は手紙の意。若くして死去した高倉天皇の18歳の筆で、同天皇の現存唯一の遺筆。
後嵯峨天皇宸翰消息−後嵯峨天皇の確証ある遺筆としては唯一のもの。
黄帝内経明堂2巻・黄帝内経太素24巻−中国の医学書『黄帝内経』(こうていないけい)の注釈書。「明堂」は鎌倉〜南北朝時代、「太素」は平安時代の写本。
医心方−日本最古の医学書『医心方』の平安時代後期の写本。
新修本草−唐時代の薬草に関する本『新修本草』の鎌倉時代の写本。

<重要文化財>
中門(建造物)
「仁和寺」14棟(五重塔、観音堂、中門、二王門、鐘楼、経蔵、御影堂、御影堂中門、九所明神社本殿3棟、本坊表門、遼廓亭、飛濤亭)
(絵画)
絹本著色聖徳太子像 絹本著色僧形八幡神影向図 紙本白描及著色密教図像 17点
紙本墨画高僧像 1巻 紙本墨画四天王図像 1巻 紙本墨画弥勒菩薩画像集 1帖
紙本墨画薬師十二神将像 1巻 紙本墨画別尊雑記(図像入)57巻 
(彫刻)
厨子入木造愛染明王坐像 木造吉祥天立像 木造悉達太子坐像(注)木造増長天・多聞天立像
木造文殊菩薩坐像
(注)当初「木造聖徳太子坐像」として指定。1991年に現名称に変更。
(工芸品)
住吉蒔絵机 色絵瓔珞文花生 仁清作 銅製舎利塔・五鈷鈴・三鈷鈴・九頭竜鈴・五鈷杵
日月蒔絵硯箱 宝珠羯磨文錦横被
(書跡典籍)
絹本墨書尊勝陀羅尼梵字経(伝不空三蔵筆)紺紙金泥薬師経 光格天皇宸翰、済仁親王書継 
孔雀経 巻中下 十地経並十力経・廻向輪経 草書法華玄義 巻第二、第八 
如意輪儀軌 般若経理趣品 理趣釈 淳祐筆 
仁和寺黒塗手箱聖教 65巻、3冊、138帖、32通、16鋪、28枚
淡紫紙金泥般若心経 桜町天皇宸翰 秘密曼荼羅十住心論(巻第六補写)10帖 
摧邪輪 2帖1冊 万葉集注釈 9冊 後鳥羽天皇作無常講式
後宇多天皇宸翰消息(五月十一日 御法号 )
後宇多天皇宸翰消息(徳治二年九月廿日)
後醍醐天皇宸翰消息(何事候哉云々)
後醍醐天皇宸翰消息(去夜心閑云々)
孔雀明王同経壇具等相承起請文
承久三、四年日次記残闕 
消息(高野御室消息 1通、華蔵院宮法印消息 1通、返事案 2通)
貞観寺根本目録(貞観十四年三月九日)法勝院領田地公験紛失状(安和二年七月八日) 
(考古資料、歴史資料)
仁和寺境内出土品 一括 日本図
【京都府】

 7.8平等院
平等院(びょうどういん)は、京都府宇治市にある藤原氏ゆかりの寺院。平安時代後期・11世紀の建築、仏像、絵画、庭園などを今日に伝え、「古都京都の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。山号を朝日山と称する。宗派は17世紀以来浄土宗と天台宗を兼ね、現在は特定の宗派に属さない単立の仏教寺院となっている。本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は藤原頼通、開山(初代住職)は明尊である。

ちなみに日本の10円硬貨には平等院鳳凰堂が、10000円紙幣には鳳凰堂の屋根上に飾られている鳳凰がデザインされている。

鳳凰堂
木造阿弥陀如来坐像−仏師定朝の確証ある唯一の遺作。定朝は和様彫刻様式の大成者、また寄木造技法の完成者として日本彫刻史上名高い仏師である。彼の都風の優美な作風は、「仏の本様」と言われて、平安時代の貴族にもてはやされ、以後の仏師はもっぱら定朝様(よう)の模倣に走った。しかし、定朝が制作した法成寺(藤原道長が建てた寺)などの仏像はことごとく失われ、晩年の作品である平等院像は、彼の作風を具体的に知ることのできる唯一の遺品として、きわめて貴重なものである。
雲中供養菩薩像51躯−鳳凰堂中堂の長押上の壁を飾る浮き彫りの菩薩像。飛雲に乗り、阿弥陀如来とともに来迎する菩薩像を表わしたもので、琴、笛、琵琶、太鼓などの楽器を奏する像が多い。全部で52体あるが、うち51体が国宝に指定されている(指定外の1体は、国宝指定後に堂外から発見されたものと言われている)。本尊阿弥陀如来像と同様、天喜元年(1053年)の作とされるが、補修はかなり多く、頭部が明治時代の修理で補作されているもの、像全体が鎌倉時代の補作であるものが各数体ある。当初全部で何体あったのかは定かでない。
鳳凰堂壁扉画(へきひが)14面−中堂の扉10面、壁4面は、国宝建造物の一部であるとともに、そこに描かれた絵は絵画部門の国宝にも指定されている。主な主題は九品来迎図である。これらの絵は剥落がはげしく、画面には江戸時代末期の落書きも目立つが、堂、本尊とともに、平安時代後期の貴重な遺品である。なお、堂正面と側面のオリジナルの扉は取り外して宝物館に収められており、代わりに復元模写の扉がはめられている。また、東側正面中央の2面の扉は、もっとも消耗が激しかったためか、江戸時代の寛文10年(1670年)の修理の際に取りかえた新しい扉になっており、国宝の14面には含まれない「附(つけたり)指定」となっている。
木造天蓋−本尊阿弥陀如来像の頭上に吊られた木造透かし彫りの天蓋で、像とは別個に、彫刻部門の国宝に指定されている。
金銅鳳凰1対−もと鳳凰堂の屋根上にあったもので、宝物館に収蔵されている(現在、屋根上にある鳳凰は複製)。高さ約2.3メートルもあり、くちばしから尾羽に至るまで精巧に作られている。工芸品部門の国宝に指定されている。
梵鐘−鳳凰堂と同じ11世紀頃の制作と推定される。全面に天人、獅子、唐草文様などの繊細な浮き彫りを施した、他に例を見ない鐘である。「音の三井寺」、「銘の神護寺」、「姿、形の平等院」と謳われ、神護寺、園城寺(三井寺)の鐘とともに、「天下の三名鐘」に数えられている。また、1980年11月25日発行の60円普通切手のデザインにも採用されている(2006年現在も利用可能だが、販売は2002年に停止)。



十円のモデルなんですよね〜♪
鳳凰堂が前の10000札のモデルにもなってたなんて知らなかったです^^;
【京都府】

 7.9宇治上神社
宇治上神社 (うじがみじんじゃ)は、京都府宇治市にある神社。世界文化遺産「古都京都の文化財」の構成要素。
菟道稚郎子命(うじのわきのいらつこのみこと)・応神天皇・仁徳天皇を祀る。宇治神社と対をなす。

境内
現存最古とされる平安時代後期の本殿が残っている(外から見えるのは覆屋で、中に本殿が3つ並んでいる)。拝殿は鎌倉時代前期の宇治離宮を移築したものといわれ、寝殿造の趣きを伝えている。境内にある湧き水は「桐原水」と呼ばれ、宇治七名水の一つとされている。

「国宝」
本殿
拝殿

「重要文化財」
摂社春日神社本殿
本殿扉絵 4面
【京都府】

 7.10高山寺
高山寺(こうざんじ)は、京都市右京区梅ヶ畑栂尾(とがのお)町にある寺院。栂尾は京都市街北西の山中に位置する。高山寺は山号を栂尾山と称し、宗派は真言宗御室派系の単立である。創建は奈良時代と伝えるが、実質的な開基(創立者)は、鎌倉時代の明恵である。「鳥獣人物戯画」をはじめ、絵画、典籍、文書など、多くの文化財を伝える寺院として知られる。古都京都の文化財の一部として世界遺産に登録されている。

「国宝」
石水院
鳥獣人物戯画−甲乙丙丁の4巻からなる絵巻。すべて墨画で彩色はない。また、普通の絵巻のように絵と詞(ことば)が交互に現われる形式ではなく、絵のみで構成される。甲巻は兎、蛙、猿などの動物を擬人化したもので、4巻の中でもっともよく知られる。乙巻は写生風の動物絵、丙巻は前半が各種の競技やゲームに興じる人物の戯画で、後半は動物戯画、丁巻は荒々しいタッチの人物戯画である。制作年代は甲・乙巻が平安末期、丙・丁巻は鎌倉時代と推定される。制作事情、主題等については諸説あるが、特に甲巻のユーモラスな動物戯画は秀逸で、現代日本の漫画文化のルーツとも見なされる。本絵巻は東京国立博物館に寄託されており、寺で見られるのは模本である。
華厳宗祖師絵伝−鎌倉時代の作。新羅の華厳宗の祖とされる義湘と元暁の伝記絵巻である。
明恵上人像(絵画)−「樹上座禅像」と称される。通例の祖師像と異なり、明恵の姿は山中の自然景の中に小さく表現されている。鎌倉時代の作。
仏眼仏母像(絵画)−鎌倉時代初期、12世紀末の作。明恵の念持仏であり、図中には明恵自身による書き込みがある。
玉篇(ぎょくへん)巻第廿七−中国梁代成立の漢字辞書「玉篇」の、唐時代の写本。本書の写本は中国では早くに失われて日本にしか残っていない点で貴重。
篆隷万象名義(てんれいばんしょうめいぎ)−空海の編さんとされる漢字辞書の唯一の古写本として貴重。永久2年(1114年)の写本。
冥報記−唐代成立の仏教説話集の写本で、成立から2世紀ほど後の唐代末期の写本とされる。本書は中国では早くに失われており、現存最古写本として貴重。

「重要文化財」
乾漆薬師如来坐像−奈良時代末期の作。元来は薬師三尊像の中尊であった。両脇侍像は明治時代に寺外に流出し、日光菩薩像は東京国立博物館、月光(がっこう)菩薩像は東京藝術大学大学美術館に所蔵されている。
木造明恵上人坐像−開山堂に安置。鎌倉時代の作。
木造鹿1対−鎌倉時代。雌雄の鹿を狛犬風に作ったもので、他に例を見ない。鹿は春日明神の使いとされ、高山寺鎮守の春日明神の神前に置かれたものと思われる。
木造白光神(びゃっこうしん)立像−鎌倉時代初期。白光神は、インドの神とされ、善妙神(中国の神)、春日明神(日本の神)とともに高山寺の鎮守神として祭られた。名前の通り、着衣から台座まで真っ白に塗られているが、これはヒマラヤの雪を象徴するものという。
木造善妙神立像−鎌倉時代初期。鮮やかな彩色がよく残る。白光神像とともに、仏師湛慶の作と推定されている。
高山寺典籍文書(もんじょ)類9,293点−高山寺に伝来する平安時代から近世に至る仏典、記録等を一括指定したもの。
高弁夢記(こうべんゆめのき)17点−「高弁」は明恵のこと。明恵が自分の見た夢を記録した日記であり、夢の中での宗教的経験が彼の思想に大きく影響していることがわかる。建久7年(1196年、23歳)から貞応2年(1223年、51歳)までのものが残っている。
以下は高山寺所有の重要文化財の一覧である(上に略説したものも重出している)。

(建造物)
宝篋印塔
如法経塔(石造一重塔)
(絵画)
絹本著色華厳海会諸聖衆曼荼羅図 絹本著色五聖曼荼羅図
絹本著色熊野曼荼羅図 絹本著色不空三蔵像
絹本著色文殊菩薩像 絹本著色菩薩像(寺伝弥勒菩薩像)
絹本著色明恵上人像 紙本淡彩藤原兼経像
紙本墨画高僧像 紙本墨画将軍塚絵巻 紙本墨画達磨宗六祖師像
(彫刻)
乾漆薬師如来坐像 木造狛犬 一対 木造狛犬 三対
木造鹿 一対、木造馬 1躯、木造犬 1躯(注:「馬」と「犬」は2001年度追加指定) 
木造善妙神立像 木造白光神立像 木造明恵上人坐像(開山堂安置)
(工芸品)
阿字螺鈿蒔絵月輪形厨子 弥勒菩薩像納置 黒漆机 木製彩絵転法輪筒 輪宝羯磨蒔絵舎利厨子 
(書跡典籍)
華厳宗一乗開心論 巻下  華厳孔目章 巻第一、第二、第三、第四  華厳伝音義
義天録 巻第一、第二・第三 2巻  金剛頂瑜伽経 巻第一、第二、第三  倶舎論中不染無知断位料簡
古華厳経
(黒漆函入)54帖  釈迦五百大願経 上下 
新訳華厳経音義 貞元華厳経 38巻 貞元華厳経音義
梵天火羅図 1帖 明恵上人詠草 華厳信種義 明恵上人筆
大唐天竺里程書 明恵上人筆 入解脱門義 上下 明恵上人筆
大法炬陀羅尼経要文集 明恵上人筆 弥勒上生経 石川年足筆 
史記 巻第三、第四 論語 巻第四、第八 論語 巻第七、第八 荘子 7巻
宋刊本斉民要術 巻第五、第八 宋版華厳三昧章 法蔵述 
宋版金光明文句護国記 如湛述 4帖 宋版金剛記外別解 笑庵観復述 4帖  宋版法蔵和尚伝 崔致遠結 
高弁夢記 1巻、9通、2帖、2冊、3幅 高山寺典籍文書類 9,290点  神尾一切経蔵領古図 2幅
【京都府】

 7.11西芳寺
西芳寺 (さいほうじ)は、京都市西京区松尾にある臨済宗の寺院。一般には通称の苔寺で知られる。山号を洪隠山と称する。本尊は阿弥陀如来、開山は行基、中興開山は夢窓疎石である。「古都京都の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。

本堂(西来堂)- 1969年の建築で、本尊阿弥陀如来を安置する。襖絵は堂本印象の筆である。
三重納経塔 - 1978年建立の三重塔で、信者の写経を納めている。本尊は薬師如来である。
湘南亭(重文)- 夢窓疎石の時代に建てられ、その後荒廃していたが、千利休の次男・千少庵によって再興されたと伝えられる茶室。板貼りの露台(バルコニー)をもつ。杮葺、L字形の間取りで、池に面して広縁を設ける。四畳台目の主室は、亭主床、客座の中央に火灯窓、躙口はなく貴人口のみ、北側は広縁に連なり林泉を見渡すことができ、明るく開放的な茶室である。幕末には岩倉具視がここにかくまわれていたことで知られる。
少庵堂 - 千少庵の木像を祀る。1920年の建築。
潭北亭-1928年、陶芸家の真清水蔵六(ましみずぞうろく)から寄進された茶室である。「湘南亭」「潭北亭」などの建物の名勝は中国の禅書『碧巌録』に出てくる句にちなむものである。

西芳寺庭園(特別名勝・史跡)-夢窓疎石の作庭で、上段の枯山水と、下段の池泉回遊式庭園の2つから成っていた。境内北方には上段の枯山水庭園の石組みが残り、この部分には夢窓疎石当時の面影が残っていると想われる。今日、西芳寺庭園としてよく知られるのは苔の庭で、木立の中にある黄金池と呼ぶ池を中心とした回遊式庭園である。池には朝日島、夕日島、霧島と呼ぶ3つの島があり、池の周囲は100種類以上といわれる苔で埋め尽されている。苔は夢窓疎石の時代からあったものではなく、今のような苔庭になったのは江戸時代も末期のことといわれる。

有形文化財としては夢窓疎石の画像(重文)がある。
【京都府】

 7.12天龍寺
天龍寺(てんりゅうじ)は、京都府京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町(すすきのばばちょう)にある、臨済宗天龍寺派大本山の寺院。山号は霊亀山(れいぎざん)。寺号は詳しくは天龍資聖禅寺(てんりゅうしせいぜんじ)と称する。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は足利尊氏、開山(初代住職)は夢窓疎石である。足利将軍家と後醍醐天皇ゆかりの禅寺として壮大な規模と高い格式を誇り、京都五山の第一位とされてきた。「古都京都の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。

特別名勝・史跡
庭園−曹源池(そうげんち)を中心とした池泉回遊式庭園で、夢窓疎石の作庭。

「重要文化財」
絹本著色夢窓国師像 徳済の賛あり
絹本著色夢窓国師像 暦応庚辰仲秋の自賛あり
絹本著色夢窓国師像 木訥叟(夢窓)自題あり
絹本著色観世音菩薩像 
絹本著色清涼法眼禅師像・雲門大師像
木造釈迦如来坐像
遮那院御領絵図
往古諸郷館地之絵図 
応永鈞命絵図 
東陵永璵墨蹟(「璵」は「王扁」に「與」) 
北畠親房消息
>20
は入るのに3000円だそうで…………
今回は見送りです(^_^;)
残念(-_☆)
>20
しかも予約制です。
往復はがきで予約。
めんどくさいです。
【京都府】

7.13慈照寺
慈照寺(じしょうじ)は、京都府京都市左京区にあり、東山文化を代表する臨済宗相国寺派の寺院(相国寺の境外塔頭)。通称銀閣寺(ぎんかくじ)、山号は東山(とうざん)。開基(創立者)は、室町幕府8代将軍の足利義政、開山は夢窓疎石とされている。(夢窓疎石は実際には当寺創建より1世紀ほど前の人物であり、このような例を勧請開山という。)

足利義政が造営した楼閣建築である観音殿を「銀閣」と通称することから、観音殿を含めた寺院全体を「銀閣寺」と通称している。この通称名は近世の名所案内記などですでに使用されている。

尚、金閣寺と通称される鹿苑寺が金箔が貼り付けられているのに対し、銀閣寺と通称される慈照寺は銀箔は使用されていない。

国宝
東求堂銀閣
東求堂
重要文化財

絹本著色春屋妙葩(しゅんおくみょうは)像(2003年度指定)
特別名勝・特別史跡

慈照寺庭園
【京都府】

7.14龍安寺
龍安寺(りょうあんじ)は、京都府京都市右京区にある臨済宗妙心寺派の寺院。石庭で知られる。山号を大雲山と称する。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は細川勝元、開山(初代住職)は義天玄承である。「古都京都の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。

寺の南側には広大な鏡容池(きょうようち)があり、周囲は回遊式庭園になっている。境内北側には方丈(本堂ともいう)、仏殿、茶室蔵六庵などが建ち、これらの西側には非公開の「西の庭」がある。西の庭には開基細川勝元の木像を祀る細川廟などがある。著名な石庭は方丈南側の土塀で囲まれた中にある。なお、寺の背後には第66代一条天皇を含め5人の天皇の陵墓がある。
【京都府】

7.15西本願寺
本願寺(ほんがんじ)と呼ばれる寺は全国至る所に存在するが、通常は京都にある浄土真宗の本山、西本願寺と東本願寺を指すことが多い。この二寺院の内、特に西本願寺の正式名称が「本願寺」であることから、この項では西本願寺について記す。東本願寺については真宗本廟を参照。

本願寺(西本願寺)は、京都府京都市下京区にある浄土真宗の寺院。浄土真宗本願寺派の本山。通称「西本願寺」

境内には桃山文化を代表する建造物や庭園が多く残されており、平成6年(1994年)12月には、古都京都の文化財の一部としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。建物の配置と構造は真宗建築の典型で、親鸞聖人像が安置されている御影堂(ごえいどう)が本堂よりも大きく造られている。寛永13年(1636年)に建立された御影堂は、現在「寛政の大修復」寛政12年(1800年)以来2回目の「平成大修復」を行っている。


「国宝」
書院(対面所及び白書院)北能舞台 黒書院及び伝廊2棟
飛雲閣 唐門 紙本墨画親鸞聖人像(鏡御影) 附絹本著色親鸞聖人像(安城御影)・ 絹本著色親鸞聖人像(安城御影副本)
観無量寿経註 - 親鸞筆 
阿弥陀経註 - 親鸞筆 熊野懐紙(後鳥羽天皇宸翰以下十一通)附伏見宮貞敦親王御添状1巻、飛鳥井雅章添状1巻
三十六人家集37帖、附後奈良天皇宸翰女房奉書1幅

「 重要文化財」
建造物
総御堂(本堂または阿弥陀堂)大師堂(御影堂)
玄関・浪之間・虎之間・太鼓之間 1棟
能舞台 附橋掛 浴室(黄鶴台)附廻廊
鐘楼
「美術工芸品」
 絹本著色聖徳太子像 紙本著色親鸞・如信・覚如三上人像
紙本著色善信上人絵(琳阿本) 2巻
紙本著色慕帰絵詞 画隆章、隆昌、久信筆 10巻
絹本著色雪中柳鷺図(伝趙仲穆筆) 
銅鐘(梵鐘) 歎異抄 2巻 蓮如書写奥書
教行信証 6冊 唯信抄 親鸞筆 
浄土三経住生文類 自筆本(略本)
尊円親王詩歌書巻 自筆本(鷹手本)
版本浄土論註 上下 2帖 建長八年親鸞加点奥書
伏見天皇宸翰歌集(九十九首)
栄花物語 15帖
恵信尼自筆書状類 覚信尼宛 (十通)
証如上人極官関係文書 3幅、2巻
親鸞自筆書状類(四通) 2巻
天文日記(光教日記)自筆本  56冊、11巻
本願寺御影堂留守職歴代譲状(十八通)12巻
【京都府】

7.16二条城
二条城(にじょうじょう)は、京都市中京区二条城町にある江戸時代の城。京都市街の中にある平城で、京都観光の定番となっている。城全体が国の史跡に指定されている他、二の丸御殿が国宝に、22棟の建造物と二の丸御殿にある計954点の障壁画が重要文化財に、二の丸御殿庭園が特別名勝に指定されている。さらに、1994年にはユネスコの世界文化遺産に「古都京都の文化財」の1つとして登録された。

「史跡」
二条城の外堀を囲む道路も含めて、二条城全域が、1939年(昭和14年)11月30日に、「旧二条離宮(二条城)」の名で史跡に指定された。

「国宝」
二の丸御殿 : 1952年(昭和27年)3月29日、国宝に指定。
遠侍及び車寄
式台
大広間
蘇鉄之間
黒書院(小広間)
白書院(御座の間)

「重要文化財」
建造物 : 1939年(昭和14年)10月28日に、上記二の丸御殿の6棟とあわせて全28棟が「国宝」(旧国宝)に指定された。その後、1950年(昭和25年)の文化財保護法施行に伴い、旧国宝はすべて重要文化財として指定されたものとみなされることとなった。

本丸御殿(旧桂宮邸)玄関 御書院 御常御殿 台所及び雁之間
二の丸御殿 唐門 築地 台所 御清所 城門 東大手門 北大手門
西門 櫓門 鳴子門 桃山門 北中仕切門 南中仕切門 隅櫓
東南隅櫓 西南隅櫓 土蔵(米蔵)土蔵(二の丸御殿台所北)
北西土蔵 南西土蔵 東南隅櫓北方多門塀
二条城二之丸御殿障壁画 : 1982年(昭和57年)6月5日指定。954面。
【京都府】

7.17鹿苑寺(金閣寺)
鹿苑寺(ろくおんじ)は、京都市北区にある臨済宗相国寺派の寺院。寺名は足利義満の法名にちなむ。通称金閣寺(きんかくじ)、山号は北山(ほくざん)。1994年に古都京都の文化財として世界遺産に登録された。中心となる建築物である舎利殿を「金閣」、寺院全体を「金閣寺」と通称する。

重要文化財

絹本著色足利義満像(応永十五年六月足利義持賛)・絹本著色足利義満像(義満の和歌三首あり)
絹本著色達磨図
大書院障壁画 伊藤若冲筆 宝暦九年の年記がある
紙本墨画葡萄図(葡萄之間)(一之間)15面
紙本墨画松鶴図(松鶴之間)(二之間)8面
紙本墨画芭蕉図(芭蕉之間)(三之間)12面
紙本墨画鶏及秋海棠図(四之間)11面
紙本墨画竹図(狭屋之間)4面
木造不動明王立像(不動堂安置)(西園寺護摩堂旧本尊)
子元祖元高峰顕日問答語 
慈聖院并寿寧院遺誡
伊藤若冲の障壁画をはじめ、大部分の指定文化財は本山である相国寺が管理しており、承天閣美術館で保管されている。

鹿苑寺は世界遺産(古都京都の文化財)に登録されており、庭園は国の特別史跡、特別名勝に指定されている。

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