ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

ラデュレLADUREEコミュのラデュレの歴史

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
大変長くなるので、時間のあるときにお読みください。
↓↓↓↓↓

【パリのサロン・ド・テの歴史】は、
ラデュレ家の歴史と密接に結びついています。
すべての始まりは1862年(今から146年前)フランス南西部で製粉業を営んでいた
ルイ・エルネスト・ラデュレ氏がパリのロワイヤル通り16番地にブランジェリー(パン屋)を開いたことからです。
当時、マドレーヌ界隅は新興ビジネス街として栄え、
既にフランスで屈指の高級職人たちがここを拠点とするようになっていました。
1871年、オスマン男爵が都市開発計画を行い、パリが大きく変わりつつあった時代、
そのとき起きた火災によって、ブランジェリーラデュレはパティスリーラデュレへと生まれ変わることになります。

新しいパティスリーの内装は、19世紀末の有名なポスター画家、
ジュール・シュレ氏に託されました。彼は、システィーナ礼拝堂やオペラガルニエの天井画に使われた浮き彫りの技法から着想を得て、
ふっくらとした頬の天使たちで飾られた奥行きと立体感のある天井に仕上げました。
中でも、”パティシエ天使”はLADUREEを象徴するあらゆるデザインに影響を与えることになります。
ナポレオン三世の治世のころ、パリではカフェが発達し、よりいっそうリュクスなものになりました。
パリの上流階級の人々は熱心に通いつめ、マドレーヌ界隅のシックなレストランと共に
カフェはパリで最も名高い待ち合わせ場所となりました。
 
ルイ・エルネスト・ラデュレ氏の妻でルーアンの有名なホテルの経営者の娘、
ジャンヌ・スシャール婦人は、パリのカフェとパティスリーという
二つの異なるジャンルをミックスさせることを思いつきました。
こうしてパリに初めてのサロン・ド・テが誕生しました。
サロン・ド・テはカフェよりも明らかに優れた利点があったのです。
それは、マダムたちがまったく自由に訪れる事ができる場であるということでした。
1930年、ルイ・エルネスト・ラデュレ氏の従弟、ピエール・デフォンテーヌ氏によって
二階のサロンがオープンしました。
その数十年後、ダヴィッド・オルデー氏とオルデーグループの創設者である父、
フランシス・オルデー氏はこの由緒ある洗練されたお店に強く魅了されました。
1993年、彼らはこの名高い老舗を買収し、経営を促進させ、
メゾンをさらに大きく育てていくことを決意します。

1997年9月、シャンゼリゼ大通り75番地にラデュレ・シャンゼリゼ店をオープン。
最高に贅沢であったナポレオン3世様式の特徴である古い時代の大理石や浮き彫り装飾、
また、2階にある高価な調度品で飾られた一続きの小さなサロンなど、
シャンゼリゼ店はフランス流の美しい生活を象徴するパリ随一の場所となりました。その後、6区のボナパルト通り店、9区のプランタンデパート内など、
パリ市内に次々と新たなラデュレのサロン・ド・テをオープンしていきます。

【ラデュレのマカロンの歴史】は、
ラデュレ氏の従弟、ピエール・デフォンテーヌ氏の名案から始まりました。
彼は20世紀半ばに、二つのマカロンの間に美しいガナッシュを挟むことを考えつきました。
以来、当時の作り方がそのまま守り続けられ、
外がさくっとしていて、中がとろけるような食感を持つ、
この丸くてやわらかい小さなお菓子は、すべてラデュレの独自の工場で作られています。
ラデュレのパティシエたちは、アーモンドプードル、卵、砂糖の量を厳密に量り
そこにマカロンというデリケートな製造には絶対不可欠な ラデュレが誇る、
世界唯一のノウハウが加えられるのです。
そして、焼きあがった後にクリームをはさみ、48時間寝かせてから出荷します。
こうした工程を経ることによって、マカロンの口当たりのバランスが
完璧なレベルに達するのです。

【ラデュレの日本進出の歩み】は、
パリ、ロンドン、モナコ、ジュネーブ、ローザンヌに続き、
ラデュレの世界周遊の旅は、
2008年、ついに東京の最も美しい街のひとつ、銀座へ到着します。
東京にサロン・ド・テをオープンすることを決意したダヴィッド・オルデー氏は
銀座三越二階スペースからの、伝説的な銀座の交差点を一望する見事な眺めに心を奪われました。
そこは大きなガラス窓が連なる空間で、光がさんさんと降り注ぎ、
窓越しに広がる街の光景が巨大な規模で目の前に迫ってきます。
そこは、映画のワンシーンを連想させ、さらにさまざまな可能性を秘めていました。

この眺望にすっかり魅了されたダヴィッド・オルデー氏は
オートクチュールのドレスのように、すべて手作業で作られるオーダーメイドによるインテリアの制作を
インテリア デザイナーのロクサーヌ・ロドリゲスに委任しました。
こうして、日本の老舗百貨店の一角に、ラデュレならではの高貴で洗練された装飾を取り入れ、
東京のモダンな街に時を越えた殿堂が誕生しました。

【東京のラデュレ銀座店のサロン・ド・テ】は
マリーアントワネットの跡をたどって・・・・・
ルイ16世時代から着想を得た一続きの小さなサロンからなり、
パリ・サンジャルマンデプレのボナパルト店や
マドレーヌロワイヤル通り店と同じエスプリで作られています。

サロン最初の一室「サロン・マリー・アントワネット」はブルーグレーを基調に
プラチナカラーが効果的に加えられています。
壁にはジャンセンの木張り装飾が施され、ルイ16世様式のテーブルとショフーズ
と呼ばれる、座部の低い椅子が美しく並んでいます。

その次の空間「サロン・アルストゥラ」(組み合わせ模様)は
エメラルドグリーン、ブルー、パープルの色使いの中に、
4つのスワロフスキーのミニ・シャンデリアが飾られ、こちらもまた
ルイ16世様式の小さな円卓に小型の長椅子やショフーズが並べられています。
そして、組み合わせ模様をモチーフにした床のじゅうたんは
このサロンのために特別に作られたものであります。

続く、パール模様をちりばめた「サロン・オ・ペール」は
オールドピンクとライラックの色調でまとめられています。
こちらも優雅な家具が並び、特別なじゅうたんが敷かれています。
さらに窓辺には、小さな円卓とベルベットの椅子が置かれ、
外の景色を目の前にプライベートな空間を楽しめます。

ラデュレ銀座のエントランスから入って最初に目にするブティックは
白い大理石とクリスタルのシャンデリアで美しく装飾されています。
そこには、マカロン、パティスリー、スクレ・ラデュレ(ギフトシリーズ)が
美しく並べられています。
「スクレ・ラデュレ」は今日、世界中で増えつつあるラデュレを愛する人のために
作られています。ラデュレの小さな種が世界中のさまざまな地に蒔かれ、
それぞれの場所で美しい思い出を語り、また、パリらしいものを望む気持ちを
掻き立てるのです。
このシリーズは、シーズンを通してメゾンの中だけでなく、
愛好家の要望に沿って開発されます。
フランス語で”秘密”を意味するこの「スクレ・ラデュレ」は、
新しいブランドではなく、ラデュレのパティスリーに見事に調和したシリーズなのです。

マカロンのボックスもまた、有名なデザイナーの手によって作られ、
気品のある手触りのよい高級なボックスに、デリケートなマカロンを詰めています。大きな化粧箱にはシルクの光沢あるリボンもかけられています。
(ボックスは美しい化粧箱と折りたたみの簡易箱があります)

2008年7月26日、ラデュレジャパン銀座店オープン。
ここから、新しい日本の歴史が刻まれていくことでしょう。

コメント(11)

ラデュレ@シャンゼリゼやその周辺をPCで誰でも見れる様にしようと思いまして、googleマップのストリートビューで住所入れて探したのですが、ちょっと見つかりませんでした。

凱旋門から歩いて何メートルくらいだったでしょうか。3分以内だった様な・・・?
>chieさん
写真位置ありがとうございました。前は表に誰でも座れるベンチがあった気がし、更にテラスを見たことなかったので見そびれてました(´▽`)




ラデュレの歴史について
もっと知りたいことなどございましたら、
ぜひ、質問してくださいね。

由緒ある老舗のラデュレを
ブランド名だけの輸入にしないよう
皆様に古い歴史を知ってもらいたいと思っています。

非現代的なシステムのラデュレについて
まずは、その歴史に触れてみてください。

管理人

ゆきっくすさんへ。

はじめまして。
ラデュレの歴史に関連して、ちょっとお伺いしたいことがあります。
ラデュレのイスパハンやプレジュール・シュクレはピエール・エルメさんが考案したものでしょうか?
店員さんにお伺いしたのですが、わからないとの答えでした(丁寧にですが)。
ピエールエルメ氏は
1997年にラデュレ・シャンゼリゼ店ができた時に
パティシエのシェフとして抜擢され
(当時は「フォション」のシェフ・パティシエ
兼コンサルタントとして名声の高かった)
それ以降、のちに独立して今のピエール・エルメ店ができるまで
ラデュレのブランドとして、いろいろなお菓子を考案されました。
その中に、
イスパハン・プレジールシュクレ・ミルフォイユプラリネなども
あったと思われます。
今は先に日本に進出したピエールエルメ氏の名前で
商品登録があると思われます。(すみませんが、確実ではありません)
今でも、ラデュレのお菓子とピエールエルメ氏のお店のお菓子に
似た感じのがあるのはそのためです。

現在、日本にあるピエールエルメ氏のお店の生菓子や
マカロンは、すべて日本で製造されていますが、
ラデュレのものは、生菓子とマドレーヌなどの焼き菓子が
日本のラデュレで製造され、マカロンは100%空輸です。

ピエール・エルメ氏の後に後任となった
フィリップ・アンドリュー氏が現在のシェフ・パティシエです。



ゆきっくすさん
丁寧なお返事ありがとうございます。参考になりました。
これからもよろしくお願いします。
ゆきっくすさん

ピエール・エルメ氏が着任される前は、マカロンの色が原色系だったと
聞いたことがあるのですが、本当なのでしょうか?
今のラデュレの柔らかい色合いからはイメージできないのですが。。。
そうなんですか?私も初耳です。
昔の(今もそうだけど)フランスのお菓子の色って
一般的には
かなりの着色で毒々しい気がしませんか?
だから、ラデュレのマカロンも
原色に近い様な派手派手だったのかもしれませんね。
その時代のモードだったのかしら?
(ごめんなさい。定かではありません)

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

ラデュレLADUREE 更新情報

ラデュレLADUREEのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。