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萩尾望都コミュの残酷な神が支配するを語る

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遅ればせながら、先日残酷な神が支配するを完読しました。

こんな凄い作品があるとは…萩尾さんはやはり天才です!!
心の奥底をえぐるようなあの凄まじいまでの描写、
絡み合う人間関係、魅力的で複雑な人物設定、
物語の構築力、愛にあふれた視点…
沢山あるこの作品の魅力を存分に語り合いませんか?

コメント(341)

>289 まろやか大将さん

私も新参者です。
よろしくお願いします。

しかし、連載終わって10年(開始時からだと約20年)たった漫画の話が
こうして現在進行形で続くことに、感動です。
萩尾作品は時代を越えますね。

今、二度目を読み始めています。

一度目を読んだ時は、なんというか、すごく混乱してて、
こわくて、感想にも解釈にもならなかったんですが、
このトピックはじめ多くの方の解釈や議論を拝見するうちに、
だんだん整理できてきました。

だから、もっと時間を置こうと思っていたのですが、
思い切って一巻を開いてみたら、今度は絵が絵として、文字が文字として見えました。

なんというか、最初は漫画を読んでるなんて感じじゃなくて、
まるで体験しているような…
落ち着いて二度目を読んでみてはじめて気づきましたが、
かなりジェルミになりきって体験してたようで…
そりゃ、こわいわ。。。
もちろん彼の痛みは共有できませんが、かなり移入してしまってたようです。

でも、3巻(文庫版で)に入って、また止まっちゃいました。
この巻が一番つらい…
>kubotaさん
>しろくまさん

はっきり書かれてはいますね。
でも… そこに注目するかどうかは、読み手次第でいいのかな とも思います。

>しろくまさん
読むのがつらい作品ですよね。
そして、前の書き込みが、浅はかなんてことないと思います。
「残酷な神」を狭く解釈するか、広げて解釈するかのちがいだけで、
より広げて解釈すれば、やはりしろくまさんのそれになると、私も思います。
> nodokaさん

「記念日」って、「危険日」?

わたしも、11月から3月頃までにはいっぱい「記念日」があって……

通読は、無理なさらないようご注意くださいね。
わたしコミックで1〜16巻まで読んで1週間寝込んでしまったことありますから。
文庫版3巻、ですか…
しばらくお休みしてからの方がいいかも?
むしろ今みたいに興味ががっつり向いてる時よりも、「まあ読んでみるか」程度の時に読んだ方がつらくないかも。

> 家朗さん

そういえば、そうでした。
わたしも、すっかり忘れていました。
(今は作品のシーンを一つ一つ細かに思い出すのはちょっと無理なんです。というか、今は忘れていたい、というか……)

「いろいろ解釈はあるけれど事実はこう」ともいえるし
「事実はそうだけどさらにいろいろ解釈できる」ともいえるし

この話題もそうですが

このトピックで、ほとんど同じ話題が何度も出てきてはその都度(前を見ればわかることも多いはずなのに、それを見ても見なくても)議論を繰り返す、という現象は、この作品が一部の読者にとって「途中冗長だ」と言われるほど「繰り返し」をやっていたのと、どこか似ているような気がします……

心の傷は、ちょうどレコード盤についた傷と似たところがあって、傷のところで引っかかると同じところを何度も何度も繰り返してしまうんですよね。

いえ、出てくる話題そのものがトラウマティックとかそういうことじゃなくて、核心に触れる部分については、いくら「前を読めばわかる」ことになっていても、自分自身で、あるいはその時に対話している相手と、あえて思考過程そのものをなぞっていきたい、という感情があるのかもしれません。


わたしは、最近の状態では、作品を読み返すことはできません。
まあ、もう少し良くなったらまた向き合ってみたい、とは思いますが。
家朗さんがずばりご指摘くださった「神=親」ということは、今のわたしは「自分は向き合いたくないこと」のようです。
たとえそれが萩尾先生がいちばん書きたかった主題だったとしても。
自分自身に起きている事実ではなくてあくまで読み物、物語なので、読み手の主観によってどこを捉えるかは大きく違ってくることもあるのでしょうね。

あ、くれぐれも、わたしは家朗さんのご指摘が間違っているだとかそういうことが言いたいのではありません。
だって、作品にちゃんと書いてあることなのに、今更何を?
ただただ、自分の主観の問題として、です。


ただ、そのことについて一言だけ……いいのかな。
誰かに対して「親のような立場」になることも、もしかしたら狂気にも似た「愛と暴力または支配」、つまり「神になること」と紙一重になってしまうことが、あるのかもしれません。

グレッグがジェルミに対してあのような仕打ちをしたことの原因の一つに、彼が抱いていた「理想的な、又は典型的な家族の姿」にジェルミの存在が含まれていなかったからかもしれない、と、ちょっと怖くて無残な想像をしてしまいます。
ふつう、自分が想像していたことと違った事柄が出てきたからって、それを暴力的に支配しようなんて思うことはないでしょう。
ところが、グレッグはその人格や境遇、そうして「家族」というカテゴリーについてはそういうふうにしか反応できなかったのではないでしょうか。

程度や実際の関係性は違っても、ちょっと他人事ではなかったりします……
>じゃっきーさん

>「記念日」って、「危険日」?

まさに。
言い得て妙です。

>11月から3月頃までにはいっぱい「記念日」があって……

そうですか…
じゃっきーさんとはちがうと思いますが、
私にも冬は危険な季節です。
冬期鬱症気味で、自傷がちになります。
この作品に怯えながらも読んでしまうのは、季節のせいもあるかもしれません。

>文庫版3巻、ですか…

二度目だし、平静なはずと言い聞かせて、1/3まできましたが
喉が詰まって息苦しいのに気づいて、中断しました。
頭より身体が先に気づく感情がありますね。

ここは飛ばすという手もあるかもしれませんねぇ。
飛ばすのって、作者や作品に失礼な気がして…
あぁ。
って、なんでそうまでして。
無理せずに、ほかの本とか読もうよ、って、思う自分と
やっぱりひかれる自分がいます。
> しろくまさん

反省する事はないと思います。しろくまさんの解釈も間違っていないと思います。この作品には非常に色々な意味が込められていると思います。ひとつの意味しか無い様なそんなに単純な作品ではないですよね?

しろくまさんが感じた事もこの作品の大きなテーマのひとつです。人はトラウマを抱えたら、多分一生そのトラウマの支配から抜け出す事は出来ないだろうと思います。そういう事もこの作品は描いていると思います。

そして、人にとって神となり得る存在は親だけとも限りません。nodokaさんも仰っている様に、伴侶や恋人も神の様な存在になり得ると思います。あるいは教師とか師匠もなり得るでしょうし、人によって様々な神がいると思います。

その人によってその人の「残酷な神」は異なる筈で、人によって様々な解釈があって当然だと思います。
▼「暴力と聖性: Essais d'herméneutique」
http://thomas-aquinas.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_671b.html

『…萩尾「最近は、愛と暴力の表裏一体性に興味を持っています。ポーランド系ユダヤ人のレヴィナスという哲学者がいて、彼は強制収容所からの生還者なんです。

彼は要するに、「世界自体は今既に崩壊している、この世界をもう一度呼び戻すには、愛しかないんだ」というんです。もっと複雑な言葉を使っていますが、わたしに理解できる言葉の範疇で言えば、そういうことです。

 さらに、「わたしたちには他の人に対する有責性がある」というんです。自分の知っている人に対してもあるし、知らない人にもある。自分が今ここで何かすることによってどこかの誰かが影響を受ける、それにも責任があるんですね。そう考えると、わたしたちには神の英知が必要になるじゃないですか。

それで、レヴィナスに話を聞いていたインタヴュアーが、

「みんなを公平に愛するのはとてもたいへんじゃありませんか? ある人をたくさん、この人はちょっとしか愛せない、ということがあるんじゃないですか?」

と聞いたら、

レヴィナスは、

「そうです、愛には順列がある、そこに暴力性が存在します」

と答えるんです。

溜息をつきたくなりますね。愛があればうまくいくなんていうのは、夢なんだなぁと思うんです。そういうことをずっと考えているのが今の『残酷な神が支配する』です。

――立花隆+東京大学教養学部立花隆ゼミ「萩尾望都にきく」、
『二十歳のころ II 1960-2001』(新潮文庫、平成十四年)。」…』
▼「暴力と聖性: Essais d'herméneutique」
http://thomas-aquinas.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_671b.html

『…萩尾さんが、レヴィナスの思想を語っているだろう部分の原本を以下に掲載します。…』

『…ポワリエ◆他人はみなそれぞれかけがえのないものですけれども、私たちは全員をひとしく愛することができません……

レヴィナス★まさしく、それゆえに、私たちは、私が倫理的秩序あるいは聖性の秩序あるいは慈悲の秩序あるいは愛の秩序あるいは慈愛の秩序と呼ぶものから出てゆかねばならないのです。

いま言ったような秩序のうちにあるとき、他の人間は、彼がおおぜいの人間たちの間で占めている位置とはいったん切れて、私とかかわっています。私たちが個人として人類全体に帰属しているということをとりあえずわきにおいて、かかわっています。彼は隣人として、最初に来た人として、私にかかわっています。彼はまさにかけがえのない人であるわけです。

彼の顔のうちに、彼がゆだねた内容にもかかわらず、私は私あてに向けられた呼びかけを読みとりました。彼を放置してはならない、という神の命令です。他なるもののために、他なるものの身代わりとして存在すること、という無償性の、あるいは聖性のうちにおける人間同士の関係がそれです!

ポワリエ◆質問を繰り返すことになりますが、私たちは全員をひとしく愛することができません。私たちは優先順位をつけ、判別します……

レヴィナス★というのも「全員」(Tout le monde)という言葉が口にされたとたんにすべてが変わってしまうからです。その場合には、他人(l'autre)はもうかけがえのないものではなくなります。

この聖性の価値−−そしてこの慈悲の高まり−−は、全員が同時に出現するという事態になれば、他の人たち(les autres)との関係を排除することも、無視することもできなくなります。ここで選択という問題が出てきます。

私は「内存在性からの超脱」(des-interessement)を果たしながら、今度はいったい誰が際立って他なるもの(autre par excellence)であるのかを特定することを迫られるのではないでしょうか?

評価(ratio)という問題が出てきます。裁きの要請が出てきます。そのときまさしく、「かけがえのないものたち」(uniques)のあいだで比較を行うという要請が、彼らを共通の種属に還元するという要請が出てくるわけです。

これが始原的暴力(premiere violence)です。かけがえのない唯一性(unicite)に対する異議申し立てです。

――エマニュエル・レヴィナス、フランソワ・ポワリエ(内田樹訳)『暴力と聖性−−レヴィナスは語る』国文社、1991年。…』
萩尾望都の話は本の表現とはすこしかわっていますが、整理された要約ですね。

「愛には順列がある、そこに暴力性が存在します」

こっちの表現のほうがわかりやすいかも。
良太郎さん、ご紹介ありがとうございます。
年始に考えてみたいテーマです
20代になってはじめて改めて読んで、やっとそこに描かれていることを少し理解した作品。

ジェルミとイアンのその後なんかを想像してみたら、ジェルミはきっとしばらくイアンとあの関係が続くけど、やっぱり大人になったらアメリカに帰ってイアンとは物理的に距離を置いて、ニューヨークなんかでちょっと不安定な芸術家連中達と混じりながら創作活動して、イアンはケンブリッジ出たらローランド商会継いでバリバリやりながら内心ではジェルミが自分のもとに帰ってくるのを待ってるんだけど、40歳手前あたりでああもうあいつ帰ってこないんだ、とあきらめというか心の整理がついたところでふと出会った女と結婚して、リン・フォレストでピンクでも青でもないカーテンを揃えた家で妻と子供と幸せに暮らしそうだなーとおもった。

そんでジェルミはイアンの子供なんかにはわりとまめにクリスマスカードとかプレゼントを贈ってくれる「アメリカの叔父さん」みたいなポジションでローランド家と関わる感じで。生涯独身で子供も持たず。

たぶんマットがいちばん早くに幸せになりそう。


とか思った。
四年と少しぶりに、ここを開きました。
ここに来るのは、リアルが辛くなった時だけだから。

mixi自体とは、地味にずっと関わり続けているんですけどね。
萩尾コミュ、中でも、このトピはすごく特別な場所ですね。
…今は誰もいない?
でも、過去の対話を読み返すだけでも構わないです。

今の自分にとっての「残酷な神」って、誰だろう…
そして自分も、誰かの残酷な神になってしまっているんだろうか。
(たぶん、なってる)

50歳近くになっても、人生は切ないです。
はぁ。
>>[321]
一年以上前のカキコミに反応して、すみません。

しかも、疑問へのアンサーもないんです。。。

私はあの作品への解釈を、ジェルミの一人称の立場からしかできてなくて、
ほかのキャラが、なぜそう行動したのかはわからないというか、
わからなくていいんだぐらいに思っています。

現実でも、
自分以外の人がなぜそう行動したのか、
発言の裏にある真意は何かって、決してわからないですよね?
(問いただした所で、それが真実かどうかわからないですし)
それに近い感覚を持っております。

恋って理屈じゃないですし
自分が誰かを好きになっても、その人のどこがどういいのか
うまく説明できなかったりします。
グレッグとイアンは親子ですし、似てないようで似てる所もあり
二人ともジェルミを求めた点は同じ。
単純に、好みのタイプだったという…そういう解釈も、できなくは…ないのかな。。。とか。
>>[324]
この作品と波長が合うんですねぇ。堪能されていて、羨ましいです。
私は古くからの萩尾ファンで、各作品、何回も読み返すのですが、残神は通しては一度しか読めていません。傑作だと思うのですが、読むとしんどいんです。読むというよりは、体験するに近い感じを受けてしまって、平静でいられなくなってしまいます。
別に被虐経験があるわけではないんですけどね…
いつか落ち着いて読める日が来るかも…と思って、保存してあります。
昨日、10年近く空き家になっていた実家を取り壊すので、整理をしていたら、(僕が推薦して)母が好きで新刊が出るたびに買ってあげて(母の後に僕も読んで)いた「残酷な神が支配する」が出てきました。

母は 2000年末に亡くなったので、15巻までしか買ってあげられず、僕も母の思い出とのつながりが強すぎるのでその後読みませんでしたが、せっかくなので、先ほど Amazon で「非常によい」状態となっていた16, 17巻を注文しました。(コミックス版の新刊は流石に絶版でした。)

僕にとっては、15年ぶりに物語が完結することになり、少々ワクワクしています。
>>[327]

私は新刊が出る度に1度読み、でもグレッグがイヤ過ぎたので読み返すことはあまりせず、そのまま実家に置いていました。
数年前実家に帰った時に読み直して、「傑作だぴかぴか(新しい)」。
その後実家は取り潰したので、単行本はそのままどこかへもらわれて行ったらしいのですが、自分で文庫本サイズで揃えました。
「豪華版で出ないかな…」と秘かに願っております。
全巻そろえましたが、自分の年を考え、整理中。今日ブックオフに持っていきます。少し、身を切られる思いですが、もう読み返すことはないでしょう。
十代後半で出会って早十数年。アラサーになった今、また無性に読み返したくなって5巻まで入手。人生三度目の残酷な神です。
何故読み返したくなったって、この6月にひどく暴力的な恋をしたからです。自分の中にグレッグに共感するほどの一方的な「おまえが欲しい」という凶暴な思いがあることを知り、無性にグレッグが懐かしくなってこの物語を読み返したくなったのです。

「奪うことを 愛というんだ」

愛ではないんですけどね。
恋は終わって物語の中でグレッグは死にました。

アラサーになった今は分かるけれど、グレッグって弱い人間だったのだなぁと。

「強い」というのは拳の固さではなく心の強さなのだ、本当に強い人間はくじけないんだ、
自分の中の憎しみに負けないんだ、ということを知る今は、かつてあれほど恐ろしかったグレッグさえも「この人は自分の中の憎しみに負けたのだな」としか思えず、彼の目が憎しみに真っ赤に染まる様をただ憐れに感じたり。

私も自分の中にあるグレッグと仲良くやっていかねばなぁ。
ただジェルミが壊れてゆく様はこれ以上にないほど見事な表現で改めて絶句。
人間の心が体から引き裂かれて解離してゆく様をここまで凄まじく絵で表現出来るなんて、やっぱり萩尾望都は天才だと思う。
>>[320]
はじめまして。
3年前のコメントに返信してます。
あ、上も読みましたよ。

私も、今週、久しぶりに読み返しをしました。
私は、もうすぐ50才ですが、いまだに、この作品、難しいし、グレッグの凶暴ぶりも理解できてません。

初めて目にしたのは、20代前半の雑誌でしたが、やっぱり、まとめてじゃないと読めない作品で、
(しんどいので)
連載が終わって、単行本になってから、まとめて読んだのが30代後半でした。
初めて読んだ時は、話の凄さよりも絵の凄さに感動していた記憶です。

今回は、4回目くらいかなあ。
萩尾さんの作品の中でも、もっとも長いし、ディープなので、読み返し度は超少ないです。

時々、萩尾さんの作品を一気読みしたい時期が来て、今回は、SF原画展と「ポーの一族」がキッカケでした。

ごんぶとうどんさんが書かれている通り、本当、萩尾さんの画力が凄いですよね。
話は、辛くて読みたくないところが多いんですが、絵や構図が素晴らしくて、ページに引き込まれてしまう・・・。

昨日、完読して、こちらのトピで、みなさんの感想をいろいろ読んで、自分なりに
内容を補完してましたが、未来派思考のコメントに、すごく救われたんですよ。

ベタですが、「ハリポタ」みたいに、その何十年後、というのを想像すると、
そんな時代もあったよねという感覚になれますね。

体調が、あまり良くないのに、頑張って読んだせいか、鬱モード全開になってしまったので・・・。
次に読み返す時は、もう少し体調の良い時に読もうと思いました。(苦笑)

ちなみに、私は、この作品の中では、リンドンさんが、すごく中立的で好きなキャラです。
>>[334]
このイメージポスターは、やっさもっさ氏の作ではありませんか?
他にも萩尾先生の作品のイメージポスターを作っておられ、いつも素敵だなあと。
『残酷な神が支配する』は、初めて拝見しました。ご紹介ありがとうございました。
>>[336]
お返事ありがとうございます。
「氏」は男女ともに使える敬称のつもりでした。やっさもっさ氏の性別は存じ上げません。ややこしい書き方をして申し訳ありませんでしたあせあせ(飛び散る汗)
モー様作品の中で最も辛く苦しくて、連載時と白い全集が出た時の2度しか読んでいません。

また読むのは勇気がいるのですが、何か違う感じ方をするかしら。
1度いつか、トライしてみようかしら。
「神は愛なり」てヨハネの福音書にありましたね。この作品には、「愛ゆえに」苦しみもがく人々が描かれています。ジェルミはもとより、ヴァレンタインも、マージョリーのママも、ナターシャも、そして加害者側?のグレッグやサンドラも。
私も最初は二巻くらいでしんどくて挫折したのですが、5年前かな?再トライして、読み耽りました。重い深い作品なので読み返しますが、気力使うので年に一回くらいが限界です。
誰かを愛して、ラブラブハッピーハートなんて、嘘とは言わないまでも、あくまでも愛の一側面なのだなあと思いしらされます。

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