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今日のニュースコミュの2005年5月24日(火)-東京-晴~曇

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★心臓移植の春輝君、帰国の途に
ボランティアや日本人医師に囲まれる中、空港まで送ってくれた救急隊員と握手する石原春輝君(右から2人目)。右端は母の省子さん。心臓移植手術後、2カ月の入院生活終え帰国の途に就いた(23日、ベルリン)

★<レッサーパンダ>二本足で立つのは不思議じゃない!!
└専門家が指摘

★一ノ瀬泰造氏の映画“最終版”披露
└ 戦場を駆けたひたむきな夢

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★加害少年から献花の申し出
└土師淳君殺害から8年

 神戸市で1997年に起きた連続児童殺傷事件で、小学6年の土師淳君=当時(11)=が殺害されてから24日で丸8年。父親の守さん(49)は弁護士を通じ「私たちの心に開いた大きな穴は一生ふさがらない」などとするコメントと報道各社の質問に対する回答を文書で発表した。
 その中で守さんは、今年1月、医療少年院を本退院した加害男性(22)から「命日に献花をしたい」との打診があったが、「まだその申し出を受け入れる状況にない」と断ったことを明らかにした。
 加害男性の本退院について「彼が本当に更生しているのかということが重要だと考えているので、彼の現在の状況を知ることにより、ある程度の判断の基準になるのではないか」とし、男性のケアに当たる有志のサポートチームに情報開示を求めていく考えを示した。







★SAYAKA-復帰へ強い意志示す

 松田聖子(43)の長女で、芸能活動休止を発表したSAYAKA(18)が23日夜、レコード会社のホームページで「芸能活動を一旦停止します」とファンにかさねて報告した。その中で「納得できる作品をいつかお届けすることが何よりの証明で、それをかなえます」と復帰への強い意思も表明。ファンクラブ会員への報告に続く2度目のメッセージとなったが、母・聖子はこの日も沈黙を続けた。

 電撃的な活動休止発表からわずか3日で、SAYAKAは2度目のメッセージをファンに届けた。沈黙を続ける聖子と、対照的な母娘の姿が浮かび上がった。母親の個人事務所で自身も先月末まで所属していた「ファンティック」のホームページではなく、所属していたレコード会社のHPでコメントを発表。今回の活動休止は、あくまで「向上するための前向きな結論」であることを強調した。

 その理由を「音楽活動に打ち込む気持ちが固まり、そのために今の何の引き出しもない状態ではなく、時間をかけて勉強して実力の伴う状態になって作品を届けたいと思うようになった」と説明。事務所を離れなければならない理由については「親元を離れ、自分自身をゼロからたたき直したいという結論」とし“偉大な母親”である聖子との確執については触れなかった。ただ、休止発表でありながら、早期復帰への強い意思も示している。「言葉で何を言うよりも、自分が納得できる素晴らしい作品をいつかまた届けることが、何よりの証明だと思うので、それを叶(かな)えます」と誓った。

 一方の聖子はこの日、来月から始まる25周年記念ツアーの準備に取り掛かっていた模様。多忙なためか、愛娘の一大事にもコメントはなく、事務所は「発表した内容以上、お答えするものはありません」。親子間の確執については「こちらでは分かりかねます」との説明にとどめ、否定もしなかった。

 一方、2人の共演CMを放送するマンション分譲最大手の大京は「予定通り今月いっぱいオンエアします」(広報部)。2ショットで出演しているパンフレットなどは来年3月まで使用するという。



 ◇SAYAKAコメント全文

 私SAYAKAは、この度所属事務所(株)ファンティックから離れ、芸能活動を一旦停止することになりました。先日、先に公の場へ発表する結果になってしまい、オフィシャルホームページでの報告が遅れたことをお詫びいたします。更なる向上を目指すための、とても前向きな結論だということをご理解頂けたら幸いです。昨年から、音楽活動に打ち込んでやっていきたいという気持ちがしっかりと固まり、そのために今の何の引き出しも知識もない状態ではなく、時間をかけて色々なことを勉強して、実力の伴う状態になって作品をお届けしたいと自然に思う様になり、身勝手ではありますが、その自分自身の信念を通させていただきました。

 自分の残してきたものにも、そのつど何も恥じることのない想いを注いできました。過去を否定する訳では決して無く、関わってくださったすべての方には変わらず感謝の気持ちを持ち続けています。ただ恵まれた現状に甘えてやっていくのではなく、親元を離れ、自分自身をゼロからたたき直したいという結論に達しました。これは自分自身で決めた事で、仕事や立場以前に、18歳として他でもない自分の親と相談して決めた結論です。私が生きているのは私の人生であり、判断は自分自身でする物であると思っています。様々な報道がなされ、関係のない色々な所にご迷惑をかけている現状を、この場を借りてお詫びします。

 今回に限らず、色々な憶測や言葉が飛び交っても、本当の事はいつも必ずひとつであることを信じ、選んできました。これからもその想いは変わりません。どこにいても筋を通して生きていこうと思っています。言葉で何を言うよりも、自分が納得できる素晴らしい作品をいつかまたお届けすることが、何よりの証明だと思うので、それを叶えます。今まで暖かく支えてくださったすべての方々に、心からの感謝の気持ちを申し上げます。本当にありがとうございました。

SAYAKA(原文まま)










★<レッサーパンダ>二本足で立つのは不思議じゃない!!
└専門家が指摘

 動物アイドルは数多いが、今の一番人気は千葉市動物公園の風太クン(雄、2歳)。レッサーパンダが二本足で立つなんて――と人気は高い。もっとも生物学的には不思議ではないとの専門家の指摘もある。

◆木登りは苦手
 「もともと好奇心の強い子だった。人間たちを観察しているのでしょうか」。風太クンが生まれ、昨年3月まで暮らした日本平動物園(静岡市)の海野隆至獣医は推測する。同園では十数年ぶりのレッサーパンダの新生児で、「かわいがったせいか、人には慣れていた」と振り返った。
 同園でもエサをもらう時などには二本立ちしたという。しっぽが普通のレッサーパンダよりも10センチ以上短く、直立する際に邪魔にならなかったことも影響したらしい。
 その半面、木登りは苦手。しばしば地面に落ちていた。海野獣医は「レッサーパンダは驚いた時や警戒する時に木に登る習性がある。木登りが苦手な風太は、少しでも周囲が見られるように背伸びしているのでは」とみている。

◆かかと型
 動物の機能形態に詳しい帯広畜産大獣医学科の佐々木基樹助教授(解剖学)によると、動物の立ち方には(1)ひづめ型(馬など)(2)つま先型(犬、猫など)(3)かかと型(人、サルなど)――の3種類がある。レッサーパンダはクマ、ジャイアントパンダ、リス、ウサギなどと「かかと型」に分類される。(1)(2)に比べ足裏全体を使うためバランスをとりやすく、荷重も分散できる。佐々木助教授は「風太クンの立ち時間はすごいが、立つこと自体は驚くことではない」と話す。
 一方で、「クマが二本立ちするのは威嚇するため。人間に近いゴリラでさえ四本足の方が楽」と強調する。歩行する犬や猿などは「倒れないために『進んでいる』に等しい。鍛えれば別だが、それではサーカスの動物です」。風太クン自身、骨格や筋肉への負担は大きいはずと指摘する。

◆52施設246匹
 レッサーパンダは夜行性で、ヒマラヤから中国南部にかけた高地に生息する。ジャイアントパンダと共に「アライグマ科」に分類されてきたが、「クマ科」にすべきだとの論争があった。近年は「レッサーパンダ科」とする分類もある。
 日本平動物園によると、記録に残る国内最初の飼育例は75年の釧路市動物園。ワシントン条約で商業取引が禁止され、現在は52施設246匹が血統登録されている。
 風太クン人気で、千葉市動物公園の入園者は先週末の21日に6791人、22日には7929人と例年の3割増を記録した。風太クン以外にも福岡市動物園のパンパン(雄、12歳)も十数秒二本立ちすることが判明。長野市茶臼山動物園では流星(雌、7歳)らがエサをもらう際などに立ち上がる。よこはま動物園ズーラシアのデール(雌、3歳)は十数歩立ち歩きする。
 日本平動物園には来日第4世代に当たる風太君の「家系図」を求める問い合わせが数十件あった。風太クンの母親ナラ(4歳)も立つ時がある。風太クンには初めての弟か妹が生まれる可能性もあり、「ブーム」はまだ続きそうだ。










★豪カンガルー島でコアラ大繁殖
└政府が不妊手術対策

 オーストラリア南部カンガルー島でコアラが大繁殖し、ユーカリを食い荒らす被害が悪化しているとして、南オーストラリア州政府は23日、同島のコアラ8000匹に不妊手術を行う対策を発表した。

 今後4年間で400万豪ドル(約3億3000万円)をかける。マイク・ラン州首相は「繁殖を放置していたら、5年以内に島の自然環境は再生不能なダメージを受ける」と語った。同島のコアラは1920年代に南東部のビクトリア州から持ち込まれた18匹が祖先。天敵がいないため大繁殖し、現在は約2万7000匹が生息するとみられる。島北東部のユーカリ原野で、コアラが食べ尽くして立ち枯れする被害が深刻化している。州政府はこれまでにも、年間数百匹単位で不妊手術や移住を行う対策を取ってきたが、繁殖のスピードに追いつけない状態だ。









★橋梁談合 凋落した「花形」 再編遅れ業界閉塞
└3500億円市場、競争なく病巣

 過去最大級の談合事件は二十三日、東京高検の強制捜査に発展した。国内市場三千五百億円といわれる鋼鉄製橋梁(きょうりょう)業界。市場規模が伸び悩む中、自由競争にさらされず、業界再編がほかに比べて遅れたことが、談合体質が温存された理由の一つといえる。談合組織には戦後の国内経済を牽引(けんいん)してきた大手鉄鋼メーカーの多くが加盟しており、重厚長大の花形事業をめぐる談合事件は、日本の病巣を象徴している。

 鋼鉄製橋梁は、橋脚などを除いた上部構造に鋼鉄を使った橋。素材の強度や軽さに加え、工期の短さや補強、改造の容易さなどが特徴だ。瀬戸大橋や横浜ベイブリッジにみられるように、地域経済への貢献や景観の美しさなどから、鋼鉄製橋梁は重厚長大企業の花形といわれている。需要の最盛期は平成七年度で鋼鉄の使用量は九十万トン。その後、後発の強度コンクリート製が橋梁工事全体をほぼ二分するほどまでにシェアを拡大したほか、八年度からは国土交通省が橋梁の長さを最短距離に設定するなどのコスト削減対策を実施。公共事業の減少もあり、十五年度には、五十万トンまで落ち込んだ。業界大手の三菱重工業関係者は「社内には『大きな橋を造りたい』という入社希望が多かった。かつての日本では大きな橋を造るのは技術者の夢だった」と振り返る。業界内では十年四月完成の世界最長のつり橋・明石海峡大橋が最後の大型橋梁で、市場は低迷するとの見方が有力だ。海外進出は現地企業との競争で受注が厳しい。

 談合組織に加盟していた中小メーカーには民事再生法の適用を受けた会社も複数あり、ある鉄鋼メーカーは「経費節減努力も限界にきている。橋梁専業メーカーならなおさら厳しいのでは」と嘆いた。談合組織の「K会(旧紅葉会)」と「A会(旧東会)」は平成三年、談合資料を入手した元総会屋らによる恐喝未遂事件をきっかけに解散したが、約二年後に復活していた。組織加盟社の関係者は「他の建築工事と異なり新規参入業者が少なく、業界の再編が進まなかった」と談合が温存された背景を説明した。公取委関係者は「市場が小さくなったとはいえ橋梁工事は利益が確実に取れる。談合をやめることができなかったのだろう」と指摘している。

                  

≪公取委、実態解明へ3ルート≫

 ■国交省「割り付け型」告発

 公取委が昨年十月、橋梁メーカー約七十社や設計コンサルタント会社などを立ち入り検査した結果、二つの談合組織「K会」「A会」の四十七社が発注機関ごとにそれぞれ基本的ルールを決めていた疑いが浮上した。公取委では(1)各社順番に工事を受注できる「割り付け型」の国土交通省(2)日本道路公団OB「かずら会」の意向を反映する道路公団(3)設計コンサルタントへの営業努力を考慮する「汗かきルール」の東京都−の三ルートに絞り、大型事件を担当する特別審査部三班のうち二班をあてて実態解明を進めてきた。その結果、談合二組織が年度末に総会を開き、幹事社やルールを了承した事実を独占禁止法で禁止する「相互の事業活動の拘束」にあたると判断。一部の営業担当者からも談合を認める供述を引き出し、国交省ルートでの告発に踏み切った。










★『靖国批判は内政干渉』
└北京で会談時中国側が激怒

 中国共産党の王家瑞・対外連絡部長が二十一日に自民党の武部勤幹事長と北京で行った会談で、小泉純一郎首相の靖国神社参拝問題について武部氏が「中国の内政干渉」との見方を示したことに強く反発、発言を事実上撤回させていたことが明らかになった。複数の日中関係筋が明らかにした。

 王氏は武部氏に、このやりとりを口外しないよう要求。武部氏は記者会見でこの会話に関する言及を避けた。首相参拝の「内政問題化」を認めないとする中国側の強硬姿勢が浮き彫りになった。王氏は中国共産党の外交部門のトップで党・政府内では閣僚級。関係筋によると、武部氏は王氏との会談で、一九七八年に締結された日中平和友好条約を取り上げて「条約には、内政に対する相互不干渉の原則が明記されている」と述べ、中国側をけん制。これに対し、王氏は顔色を変えて「一般の日本人ならいざ知らず、あなたは与党幹事長だ。信じられない発言だ」と激怒。最終的に、武部氏から「誤解があったとすれば撤回する」との言葉を引き出した。









★フジがライブドアに1110億円払い込む

 フジテレビは23日、ライブドアに計1110億円を払い込んだ、と発表した。ニッポン放送株争奪戦の和解に基づき、第三者割当増資の引き受けや同放送株の32・4%を持つライブドア子会社「ライブドア・パートナーズ」買収を実行した。同放送株の保有比率はフジが68・9%、ライブドアが17・6%となり、フジが目指す同放送の完全子会社化が前進。今後もライブドアや一般株主が保有する同放送株を買い集め、最終的にフジはライブドアに約1470億円支払う。









★藍ちゃんが廣済堂レディス欠場
└初の“3週連続V”お預け

 女子ゴルフが現行のツアー制度になって初めての3週連続優勝が期待されていた宮里藍(19)が、27日開幕の「廣済堂レディス」(千葉・千葉廣済堂CC)を欠場することが23日、確定的になった。

 宮里に近い関係者によると、腰に張りを感じており、大事をとって欠場するもの。当初の予定では22日に終了した「中京テレビ・ブリヂストンレディス」の直後に東京へ移動するスケジュールだったが、これを変更して沖縄に帰省している。

 すでに日本女子プロゴルフ協会には今週欠場の意思を伝えており、24日にも医師の診断書を同協会に提出し、受理される見込み。

 6月23日に開幕する女子メジャー第2戦「全米女子オープン」(コロラド州、チェリーヒルズCC)に万全の状態で臨むためにも、今週は治療に専念する。ツアー復帰は次週の「リゾートトラストレディス」(6月3−5日、福島・グランディ那須白河)になる予定だ。宮里は、昨年10月の「SANKYOレディースオープン」を腰痛で欠場している。









★一ノ瀬泰造氏の映画“最終版”披露
└ 戦場を駆けたひたむきな夢

 26歳の若さでカンボジアで死亡した戦場カメラマン、一ノ瀬泰造氏の生涯をつづったドキュメンタリー映画「TAIZO」が23日、東京・有楽町の外国人記者クラブで上映された。TAIZOは昨年から公開されているが、歌手の森山良子さんが主題歌を担当し再編集。この日は“最終版”が披露された。一ノ瀬氏は佐賀県武雄市生まれ。カンボジア内戦に何度も足を運び、反政府軍クメール・ルージュの本拠地、アンコールワットを目指した。昭和48年11月、周囲の反対を押し切り、アンコールワットに潜入。捕まって処刑された。捕虜になってもカメラを持つことが許され、最後まで地元の住民を撮り続けた。「うまく撮れたら持って帰ります。地雷を踏んだらサヨウナラ」「命を懸けて取り組みたい」。情熱がみなぎっていた。遺骨の一部は今もアンコールワットを望む木の下に。両親も了解してのことだ。

 平成10年に映画プロデューサー、奥山和由氏が「地雷を踏んだらサヨウナラ」のタイトルで映画化。TAIZOで初めて映画に取り組んだ中島多圭子監督(34)は仕事に行き詰まりを感じていたころ、この映画で一ノ瀬氏を知り、夢をひたすらに追いかける姿にひかれた。全国紙の元カンボジア特派員や友人の証言、遺品となった2万コマの写真、母の信子さん(83)が悲しみを乗り越える様子…。一ノ瀬氏の人生を丁寧に再現した。TAIZO“最終版”は6月に東京・有楽町、7月には渋谷で一般公開される。

公式web
http://www.teamokuyama.com/taizo/









★NHK「プロジェクトX」に“やらせ”
└主役教師もNHKに反論

 NHKの看板ドキュメンタリー番組「プロジェクトX 挑戦者たち」(火曜・後9時15分)の放送内容が事実と異なるとして、取材を受けた大阪府立淀川工業高校(大阪市旭区)が、NHKに再放送をしないよう申し入れを行っていたことが23日、分かった。

 問題が起こったのは5月10日放送の「ファイト! 町工場に捧げる日本一の歌」。淀川工業を舞台に、新人教師が合唱部を作って荒れた生徒たちを成長させ、コンクールで日本一を獲得するまでを描いたストーリー。視聴率は10・1%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)だった。NHKには放送直後から電話やメールで「感動した」などという反響がある一方、同校OBなどからは「事実と違う」などと批判が複数寄せられているという。ストーリーの主役として描かれた同校合唱部顧問は、大阪・朝日放送がこの日放送したインタビューで「(パトカーの話は)冗談で話したら、(NHKの)ディレクターが(番組に)入れたというから『うそやから、入れんといて』と言った」「合唱部は学校側から作ってほしいと言われた」などと反論。NHKには削除を申し入れたが「編集が間に合わない」と断られたという。番組内では触れられなかったが、淀工には当時から全国レベルの吹奏楽部があり、当時を知る関係者は「ワルの生徒たちの集まりのような“問題校”ではなかった」と指摘している。

◆番組で放送されたのは次のようなストーリー。

 《1979年、淀工の生徒たちは授業をさぼり、ゲームセンターに入り浸りバイクで暴走など問題を起こす生徒が続出し、年に80人の退学者が出た。そこに赴任した合唱経験のある23歳の新人教師が「歌を通して、生徒たちを変えられないか」と、やる気のない生徒たちを集めて3年後に合唱部を作った。関西合唱コンクールに初出場した時には、主催者がパトカーを呼ぶなどしたが銀賞。のちに全国大会に出場し、金賞を獲得した》

◆NHK「表現に行きすぎ」

 NHKでは「番組終了後、学校側から当時学校が荒れていたことの表現や退学者の数などが事実と異なるという指摘がありました。表現に一部行きすぎがあった」ことは認めたうえで、「誠意を持って、学校側と話し合っているところです」とコメント。同局によれば、一部で報じられた番組の制作過程で教師側から「番組をやめてほしい」との申し入れはなかったという。番組については昭和50年代の淀川工業高校の合唱部生徒と教師の奮闘と心の交流を、教育現場の応援歌として作ったものと説明。

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★20歩も歩ける横浜のレッサーパンダ

 千葉市動物公園などで直立するレッサーパンダが人気を集めているが、横浜市旭区の「よこはま動物園ズーラシア」では、2本足で20歩ほど歩くことができるレッサーパンダが飼育されている。このレッサーパンダは「デール」(3歳11か月、雌)。母親が育児放棄したため、飼育員の田村理恵さん(31)が母親の代わりを務めてきた。生後半年のころから田村さんに飛びつくしぐさを見せ始め、その後、田村さんのまねをしたのか、後ろ足で立ち上がり、さらにトコトコと歩くようになったという。

 デールは常時公開されているわけではなく、平均台渡りなどを披露する週1回のイベントに登場してきたが、レッサーパンダは暑さが苦手なため、イベントは5月15日でいったん終了。同園では「今後、デールをお見せできる日は決まっていない」としている。
★20歳ガングロ社長の“ギャル革命”
└「Blogがすべてだった」

「ITメディアNEWS」-ITは今、個人論-

 
 Blogを始めるまでは、1人きりで戦ってきた。Blogは、仲間と勇気と力をくれた。

 「バカっぽいとかだらしないとか、ギャルに対する偏ったイメージに革命を起こしたい」――sifowの名で歌手・モデル活動を行うガングロギャル社長・藤田志穂さん(20)がつづるBlog「ギャル革命」。ギャル文字の入り混じった文章には、出会った人、学んだと、そして夢――“ギャル革命”への強い思いがあふれている。素直で真しな姿勢とその行動力がネットユーザーを引き付け、「人気Blogランキング」の起業・独立カテゴリで1位をとったことも。ネットで限定販売したデビューCDは、受注開始後8分で500枚売れた。

 「自分で起業した会社で成功して、ギャルでもデッカイことができると証明したい」――志穂さんは語る。「汚い、うるさい、適当、だらしない――確かにそんなギャルがいることは否定しません。でもそんな“悪い”ギャルばかりじゃない。ギャルでも頑張れば報われるんだって証明して、みんなの背中押しできる存在になりたい」

 志穂さんがギャルへの偏見と戦い始めたのは5年前。高校1年生のころだった。


●「志穂ちゃんに仕事、ないって」

 高校1年生のころ、知り合いの紹介で運送会社のバイトを始めたが、初日から仕事が全くもらえなかった。「ガングロ、ピアス、茶髪のギャルに、できる仕事なんかない」――運送会社のスタッフはそう決め付けた。「志穂ちゃんに仕事ある人は?」――当時の所長はわざわざ、スタッフ全員にこう聞いて回った後、勝ち誇ったように言った。「仕事、ないって」

 「むかつくけど、まあ、いいやと思って」。志穂さんは黙って、自分ができそうなことを探した。散らばっていた伝票を重ねたり、封筒にハンコを押したり――「小さい仕事をずっとやってたら、だんだんみんな、教えてくれるようになって。仲良くなれました」。バイトは3年半続き、その縁はギャル革命にも生きている。志穂さんのデビューCDを今、格安で発送してくれているのは、この運送会社だ。

 高校でも、ギャルのイメージを変えようと頑張った。ギャルメイクで、毎日遅れず学校に行った。3年間、1日も休まなかった。それを教師が認めてくれた。卒業式で答辞を任されたのだ。「頭よくないし、ギャルだし、なんで私が?」と聞いた志穂さんに、教師は言った。「志穂みたいな子でも、皆勤賞できちんと卒業できるってこと、みんなに知ってほしいから」

 大学には行かなかった。推薦で入れる大学もあった。親も大学に行ってほしいと願っていた。「でも大学入って卒業したら22歳じゃん。その間に何ができるの? みたいな」。高校卒業後は、運送会社のバイト、3年生から始めたモデルの仕事、ティッシュ配りの日雇いバイト――色々なバイトをこなしながら、何をしようか考えた。

 “ひとりギャル革命”は、続いていた。「どうしても」と頼まれて、飲食店でバイトした時。志穂さんのネイルアートが飲食店にふさわしくないと、店長に言われた。爪のことは知っていながら雇ったのに、後になって文句を言い始めた。

 「確かに、爪に嫌なイメージがある人もいるとは思う」と志穂さんは認める。「でも『爪カワイイね』と褒めてくれたり『青い爪の子でしょ』って覚えてくれるお客さんもいました」。人見知りしないフレンドリーな接客で人気者になった志穂さん。お客さんが、店長の前で爪をほめてくれることもあった。やがて、店長も爪を認めてくれるようになった。

 ここまでは、1人で、自分のまわりだけで戦い、ギャルへの意識を変えさせてきた。でも、世間のギャルのイメージは、なかなか変わらない。

 象徴的な事件があった。

●「ふざけんなクソアマっ!」

 ある日の電車の中。日サロで焼いた肌にミニスカート、ギャルメイクという格好で友達とケータイメールを見ていたら、座っていたおじさんから「ふざけんな!クソアマっ!」といきなり怒鳴られた。「ケータイで写メ見てただけなのに」。しかし逆らうと面倒と思い、ケータイをしまっておとなしくしていた。

 次の駅。まじめそうな女子高生が乗り込んできて、おじさんの前に立った。おもむろにケータイを取り出し、通話を始めた。「今度はなんて怒られるんだろうってドキドキした」。でもおじさんは、ガングロでもミニスカートでもギャルメイクでもない彼女には、何も言わなかった。見た目だけで判断された」――悔しかった。

 似たようなことは何度もあった。自転車に乗っていたら「その自転車、盗んだんだろ」と警察に止められたり、友人のモデルが、事務所のスタッフに少し意見したら「お前らバカギャルは、言うことを聞いていればいいんだよ!」と言われたり……。

 「ギャルだからってバカにすんなコラっ!。何かデッカイことをやって、ギャルもやればできるんだって証明してやる」――昨年10月。“ギャル革命”を思い立った。世の中の意識を、変えてやりたかった。

 デッカイ仕事をしようにも、ギャルは就職すらままならない。「ギャルって、ちゃんと働けなさそうと思われる。見た目だけで判断されて面接落ちることもあるし」。それなら、自分が働ける場所を自分で作っちゃった方が早いんじゃないか――そう考えた。「ギャルが会社作って、それで夢を叶えて社会に認められたらスゴくねぇ? みたいな」。歌手になるのが夢の志穂さん。自分の会社でCDを出そうと思い立った。

 その日から、走り出した。起業のハウツー本を読んだり、起業家社長を紹介してもらって話を聞いたり――会社設立の準備に駆け回った。バイトで貯めた150万円と、親や支援者から借りたお金、合計300万円を資本金に、4月3日、「シホ有限会社G-Revo」を設立。起業を決めてから半年の早業だった。

 「ギャル革命」をできるだけたくさんの人に広めたい――Blogを始めたのはそんな思いからだった。ちょうどネットが“流行ってる”と感じていたころ。「電車男とかもインターネットじゃないですか。ヤッベー、すげぇなインターネットって。私も書いたら流行るんじゃねぇ? って」

 実は以前、Webサイトを作ろうとして、挫折したことがあった。高校時代、Gacktが持っていたPowerBookにあこがれ、バイト代を貯めてPowerBookを買った。友人のサイトを見て、サイト作りを試してみたが「ぜんぜん、ワケわからず」ギブアップした。「ホームページだと色々更新しなきゃいけないのが難しくて。でもBlogってただの日記みたいな感じ? これだったら私でもできそう」

 文章を書くのは苦手。記事1つ書くのに、1時間はかかる。「言葉、ぜんぜん知らないし」。キーボードを叩くのも遅いから、余計に時間を食う。長い爪のせいで、違うキー叩いてしまったり、キーの隙間に爪がハマってしまうことも。

 だから記事の下書きはケータイでする。指の腹で打てるから、ミスタイプがないという。

 試行錯誤した文章を、やっとの思いでBlogにアップ。「ギャルのイメージ改革、したいんです」「今日はこんな人に会って、こんなことを教えてもらった。すっごく勉強になった」「こんなことに感動した、泣いてしまった」――飾らない言葉と行動力、走り続け、転んでもすぐに起き上がる若さがたくさんの人の心を打ち、コメントに形を変えて志穂さんを励ます。「すごいね」「頑張って」「応援してます」「元気をもらいました」――志穂さんはその1つ1つに、時間をかけてレスを返す。「元気をもらったっていうコメントに、私自身が一番元気をもらってます」

 他のBlogへのリンクの張り方や、文字の大きさの変え方、Blogランキングに参加の仕方も、コメントを通じて知った。プレーンテキストだけだった志穂さんのBlogは、次第に太字や大文字、色つき文字、リンクが入るようになる。ランキングは常に上位。ギャル革命Blogは、志穂さんと一緒に進化し、成長を続ける。

●渋谷でギャルに声をかけまくり、1000人のメアドをゲット

 Blogを読まないギャル達にもギャル革命を伝えたい――そう考えた志穂さんは、メルマガ発行を思い立った。

 しかしどうすればメルマガを発行できるか分からない。「とりあえずメアドを集めればいいんじゃね? ってコトになって」、応援してくれるギャル集団「黒団」と一緒に、1月ごろから渋谷の街でメアド収集を始めた。

 「ねぇねぇ、私、会社起こそうと思って。メアド教えて!」――そんな調子で、ギャルに声をかけまくる。「多分、みんな訳も分からず教えてくれた」――勇気を出して声をかけると、8割がメアドを教えてくれた。教えてくれるだけでなく、メアド集めを手伝いたいと言ってくれるギャルもいた。

 2カ月あまりで1000のアドレスが集まった。Blog経由で知ったり、いろんな場所で配ったチラシを見て興味を持った人が登録してくれ、会員数は獲得目標の1万人に近づきつつあるという。

●初めてのCD、8分で500枚売れる

 歌手になるという夢をかなえるべく、4月、自分の会社でCDを作った。「プレス代が安くなるから」と1000枚も作ってしまったCD。売れるかどうか不安だった。「手売りで無理やりでも売れば、何とか1000枚売り切れるかなって思ってました」

 発売日の4月17日朝。恐る恐る注文メールを受信した。1通、2通……10通……100通……400通……受付開始からわずか8分で、500枚も売れてしまった。1人で10枚買ってくれる人もいた。信じられない。しばらく動けなかった。注文は全国各地から来た。3日で1000枚、完売した。「すごい」――Blogの力、ネットの力に驚いた。

 もっと驚いたのは、ギャル革命の紹介記事が音楽サイト「BARKS」に掲載され、Yahoo!JAPANのトピックスに取り上げられた4月25日。Blogのアクセスがいきなり増え、それまで6〜7位を前後していたBlogランキングのトップに躍り出た。同時に応援や問い合わせのメールが殺到し、サーバがパンクした。

 「ヤフーは検索しか利用したことがなかったから、トピックスに載ってると聞いても今いちピンとこなかった。反響にびっくりした」

 たくさんの人に見てもらえるのは嬉しい反面、怖くなることもあるという。「見る人が増えるほど、ちゃんとしなきゃなって思う。ネットって一歩間違えたらすぐ広まっちゃうし」

 4月27日のBlogに、志穂さんはこう書いている。(以下原文ママ)

 「このブログが始まりでした。このブログをきっかけに色んな人にァドバイスもらったり、悩んだ時には励まされたり。実際に会ったりもして、自分の構想のギャル革命を形にしていくことができました」

 「最初は正直不安でした。ギャル革命で世の中のギャルの偏見のイメージを変えてゃるぅ〜!起業して自分の夢を自分の会社で叶えてゃるぅ〜!って。でもそれって世の中の人、ブログの人に受け入れてもらぇるのかな?? なに言ってんだこの小娘はって笑ゎれるんじゃないかな?? って」

 「だけど、ブログを見てくれてる人達はぁたしが思ってた不安を自信に変ぇてくれた。勇気もいっぱいもらった」

 「この場所で学んだ大事なことがぁります。『感謝の気持ちを忘れないこと』『素直になって向き合うこと』『夢を語って語りまくること』『人と人との繋がりの大切さ』『挑戦することを楽しむこと』『応援してくれる人達の言葉』一つ一つ学ぶことができました!本当に本当にぁりがとうござぃます(;_;)」

●「ネットなら、ギャルもオジサンも見てくれる」

 「Blogがあったからヤフーにも取り上げられたし、いろんな人と出会えた。今思うと、Blogがすべてだった」

 Blogを見た人が支援を名乗り出てくれたり、仕事を依頼してくれることも少なくない。「イベントに参加しませんか? とか、ギャル服のECサイトのカバーガールにやってもらえませんか? とか」

 ネットで志穂さんのことを知った海外在住のギャルから、「黒団に入りたい」とメールをもらったこともある。「ギャル革命、海外にまで広まっちゃったよ、ヤベェ! みたいな」――嬉しそうに話す。

 志穂さんは、ギャル革命の記事を雑誌にも連載中だ(ティーン誌「JELLY」、4月創刊、ぶんか社)。雑誌とネットでは、読者層が全く異なるという。

 「雑誌は若い子向けで、19〜22歳くらいか、それ以下がターゲット。読者は『一緒にギャル革命やりたい』とか『応援してます』って言ってくれる。ネットは間口が広くて、ギャルの子もオジサンも、興味持ったら見に来てくれる」

 「私の活動を見て、ギャルもおじさんもみんな頑張ってくれたらそれはもう、一種の社会現象。『ギャル革命』、流行語大賞も狙ってますからっ」

 今後は、ネットでの活動の幅を広げ、ギャル革命をさらに広めていきたいという。例えば、ECサイトのカバーガールを引き受け、隅っこにリンクを張ってもらうとか、Blogをもっと多くの人に読んでもらって、リンクやトラックバックで広めてもらうとか――。

 愛機PowerBookも、もっと使いこなしたいという。ここ半年で、キーボード操作はちょっぴりうまくなった。「黒団のギャルとかは、右手の指1本で打ってるけど、私は、ちょっとなら両手を使えるようになった。『ま』とか『や』とか、ピピって一気に打てる(笑)」

 「せっかくMacなんだから、Macなりな使い方をしたい。デザインやグラフィックに強いって聞いたから、黒団のTシャツをデザインするとか」

 今勉強しているのは、PowerPointの使い方。営業先でギャル革命を説明する資料を、1人で作れるようになりたいという。「ある営業先で、『ギャル革命を紙に落として』って言われて意味が分からなかった。何? 紙に落としたら落ちるよ、くらいのレベルだった」

 PowerPointは、人に聞きながらやっと使えるレベル。自分で作ったプレゼン資料を見せながら、「もっと使いこなしたい」と楽しそうに話す。

●「5年後には学校を」

 会社を作り、会社のレーベルでCDを出し、Blogもメルマガも始めた。Flashを駆使したWebサイトも、協力者に作ってもらった。でも、まだまだ助走段階。「あと3年は走り続けますよ。私、チャリラーなんです。チャリに乗ってる状態。止まると倒れちゃう」

 当面の目標は事務所を構えること。そのための資金を稼ぐべく、7月にもまたCDを出す予定だ。今度はネット直販だけでなく、お店で販売したいという。

 CDで資金を稼ぎ、ギャル革命をプロモーションしながら、会社を成長させていく。その先にあるのは「学校」だ。志穂さんの夢は、みんなが頑張れる学校を作ること。

 「ギャル革命で私が頑張れば、『あの子でもできたんだから私でもできるかも』と頑張ってくれる人が増えるかもしれない。そしたら、もっとリアルな感じで背中押しをしたい」

 「目標があって頑張ってる人には『もっと頑張ろう』とか、諦めている人には『もうちょっとやってみよう』とか、何も見つからない人には『とりあえず何かやってみよう』って思える学校を作りたい。でも、頑張ってる人には専門の学校がいるし、悩んでいる人には種類が必要。そう考えると超デッケー学校になっちゃうから悩んでて」

 「今一番ベストだと思ってるのが専門学校。歌の学校とかネイルの学校とか美容師の学校とか――専門的な内容をちゃんと教えられて、でも隅っこの方に相談所みたいな部屋があって。何をやっていいかわからない人が相談して、学校を紹介できるような」

――あなたにとってITとは?

 「とりあえず、スゴイとしか言いようがない」

 「ネットはテレビに近いですよね。でもテレビよりも速く調べられるし、テレビよりも詳しい。一方通行じゃなくて、何か聞いたら反応が返ってくるのもすごい。ネットはテレビを越えると思う」

 「これからもっと進化してくんだろうな。ネットは今、ケータイからも見れるし。もっと便利になったら、みんなパソコン始めちゃいますよね。そしたらギャルもオタクになりますよ。ヤバイっすよ」

「ギャル=オタク」説

 オタクとギャルには共通点があると、志穂さんは言う。「ぶっちゃけギャルもオタク。好きなことしかやらないから。渋谷が好きだから渋谷に行く。クラブ好きだから毎日クラブに通う。ギャルメイクも好きだからやる」――そう言われると、そうかもしれない。周囲の白い目を気にせず、やりたいことをやる。一部の心無い人のイメージが増幅されて偏見を持たれ、犯罪が起きると目の敵にされる――そんな点も、似ている。

 オタクとギャル、共通点はあれども、仲良しになれないと志穂さんは言う。

 「オタクはギャルのこと嫌いみたい。ネットで見た情報では、オタクもギャルも、お互いに対して同じことを思ってる。臭そうとか汚いとか気持ち悪いとか」。

 「私はオタク、好きですよ。返答が予想外で面白いから。ギャルも結構ゲーム好きで、ひきこもってゲームするんで。高校にいたオタクに、攻略法教えてもらったりしました。向こうには嫌われちゃってたりするかもしれないけど、無理やり仲良くしてた(笑)」

「ギャル革命」
http://blog.livedoor.jp/sifow/

「ブログランキング」
http://blog.with2.net/rank1536-0.html
★<立教大生死亡>カジノ店員ら4人逮捕

 東京都新宿区の病院に運ばれた立教大生が死亡した事件で、警視庁捜査1課と新宿署は24日、立教大生を殴るなどして死なせたとして、練馬区中村北1、カジノ店従業員、米田信(33)ら4容疑者を傷害致死容疑で逮捕した。4人は23日夜、新宿署に出頭した。

 調べでは、米田容疑者らは22日午前3時過ぎから約2時間にわたり、新宿区歌舞伎町2のカジノ店で、北区浮間3、立教大生、鈴木恵太さん(21)の顔や頭を殴るなどし、硬膜下血腫で死亡させた疑い。米田容疑者ら3人は暴行後の同日早朝、新宿区内の病院に鈴木さんを運び込んだ。鈴木さんは同日夕、死亡した。鈴木さんはこのカジノ店で働いており、4人はこの店の同僚や元同僚。米田容疑者は「バカラ賭博でイカサマをしたため頭にきて1人で殴った。殺すつもりはなかった」と供述している。
★三つの会社で不必要リフォーム契約
└元社員、返金申し出

 埼玉県富士見市の認知症(痴呆(ちほう)症)の姉妹宅で、少なくとも16業者が不必要なリフォーム工事を繰り返していた問題で、約2590万円分の工事をしたリフォーム会社の元男性社員が富士見市役所を訪れ、退職後に別の2社で姉妹から新たに工事を請け負ったことを認め、約200万円の返還を申し出ていたことが分かった。

 富士見市などによると、この男性は東京都内の会社に02年9月〜03年3月まで契約社員として勤務し、姉妹宅を担当、床下調湿剤や耐震補強金具など計約2590万円の契約を結んだ。さらに退職して独立した後、二つの会社名で、姉妹宅の裏側に木造平屋建ての小屋を建築するなど約200万円分の契約を結んだという。

 男性は23日、富士見市に対し、東京都内の会社に勤務していた当時の工事見積書7枚を提出。「自分が起こした会社で契約したリフォーム10回の代金、計約200万円を返す」と話したという。

 市は、この男性に工事の総件数と代金を正確に示す資料を早急に出すよう求めている。
★かまやつ長男TARO歌手デビュー

 歌手かまやつひろし(64)の長男、TAROかまやつ(年齢非公表)が歌手デビューすることが23日、分かった。25日にデビューシングル「風のわだち」をビクターエンタテインメントから発売。作詞、作曲も手掛け、ピアノの弾き語りを武器にバラード系シンガー・ソングライターを目指す。

 TAROは現在、マスコミ関係で働く30代のサラリーマン。父ひろし、父のいとこに森山良子(57)がいる音楽一家で育ち、3歳でクラシック作曲家の故黛敏郎さんからピアノの英才教育を受けてきた。幼いころから音楽家を目指したが、母親の反対もあり、大学卒業後はサラリーマンとして生きる道を選んだ。

 しかし、一昨年、はとこの森山直太朗(29)が「さくら」でブレークしたことが転機となった。「直太朗に負けられない」という闘争心が生まれた。昨年、友人とつくったデモテープが音楽関係者に評価され、デビューにつながった。「風のわだち」は、旅に出る男のロマンを歌ったバラード。TAROは「前だけを向いて生きてきて、これからどうしようかと考えている人に聴いてほしい」と話す。

 今後は、平日はサラリーマンとして勤務し、週末は全国各地でライブを行う。
★水漏れとだまし女性乱暴
└東京多摩地区で10件相次ぐ

 東京・多摩地区のマンションで4月から5月にかけ、女性宅に「あなたの部屋から水漏れしている」とだまして押し入り、女性に乱暴する手口の事件が約10件相次いでいることが24日、警視庁捜査1課の調べで分かった。
 捜査1課は同一犯による連続強姦(ごうかん)事件として捜査。付近の女子大などに容疑者の男の似顔絵入りチラシを配り「同様の来訪があってもドアチェーンをし、絶対開けないで」と注意を呼び掛けている。

 調べでは、事件は八王子市や立川市などのマンションで一人暮らしをする若い女性宅で連続して発生。男はインターホンなどで「下の部屋の者ですが、あなたの部屋から水漏れして困っています」などと話し掛け、動揺した女性がドアを開けると、刃物を突き付けて押し入り、犯行に及んでいた。男は25−30歳ぐらいで身長約170センチのがっちり形。髪は短めで、ニット帽をかぶることがあるという。
★F1予選は土曜1回に
└ヨーロッパGPから変更

 国際自動車連盟(FIA)は23日、F1世界選手権の予選方式を第7戦のヨーロッパグランプリ(ドイツ・ニュルブルクリンク、29日決勝)から、土曜に1回行う方式に変更すると発表した。今季から土曜、日曜に1回ずつ行い、合計タイムでスタート順位を決める方式に変更されていた。
★「銀行は気づくべきだ」と全額返還命令
└東京地方裁判所

 盗まれた通帳で預金495万円を引き出された宇都宮市の男性(34)が、東京三菱銀行に返還を求めた訴訟で、東京地裁は24日、全額の支払いを命じる判決を言い渡した。富田善範裁判長は「(犯人側が使った)払い戻し請求書の印影は届け出印と比べて不自然に太く、印鑑照合に習熟した銀行員なら気づくべきだった」と指摘した。判決によると、男性は03年3月、自宅に保管していた通帳を盗まれ、印鑑を偽造されて預金を引き出された。

 判決は併せて、同銀行を相手に提訴された、00年2月に通帳を盗まれ400万円を引き出された東京都千代田区の女性(40)の請求については「印影は本物と酷似しており、同一と判断しても銀行が注意を怠ったとは言えない」と退けた
★NTTデータ社員1万1835人分の個人情報紛失
└USBメモリが行方不明

 NTTデータは5月24日、同社の社員1万1835人分の個人情報を紛失したと発表した。情報を保存したUSBメモリを社員が紛失したという。社員以外の個人情報や顧客の機密情報は含まれていないとしている。

 個人情報は、4月1日時点で在籍している同社社員の氏名や採用年月日、役職、社内管理用コード番号など。住所やメールアドレス、給与口座、人事評価などは入っていなかったという。

 同社によると5月16日、同社社員がUSBメモリを入れたかばんを帰宅途中に紛失。翌17日に警察に届け出た上で、同社で事実関係を調べていた。USBメモリ、ファイルともパスワード制限や暗号化などのセキュリティ対策は施していなかった。

 事件を受け、同社は個人情報流出防止対策を抜本的に見直す。具体的には(1)情報漏えい防止ソフトの導入、(2)個人情報の社外持ち出し禁止の徹底、(3)セキュリティ対策をしていないUSBメモリの使用禁止──などで再発を防止する。
★佐々木が榎本加奈子と再婚

 横浜の佐々木主浩投手(37)とタレントの榎本加奈子(24)との再婚が明らかになった。24日発売の写真週刊誌「フラッシュ」が報じたもの。2人は代理人を通じ、既に婚姻届を都内の区役所に提出しているという。佐々木は前妻と3月17日に離婚、榎本と同居していることを認めていた。榎本の所属事務所によるとタレント活動は事実上休止状態で、野球選手の妻として家庭を支えることになる。現在、佐々木は右ひざのクリーニング手術を受け、リハビリを続けている。
★胃袋から大量の覚せい剤
└ナイジェリア人3人死傷

 山梨県富士吉田市の市立病院に駆け込んだナイジェリア人の男3人の胃から袋に入った覚せい剤が大量に見つかり、うち1人が死亡、2人が重体となっていることが24日、分かった。県警は遺体を司法解剖するとともに、覚せい剤の入手経路などを調べている。
★「アイビールック」石津謙介さん死去

 1960年代に一世を風靡(ふうび)した「VAN」ブランドの創始者で、高度成長期の男性ファッションに大きな影響を与えた服飾評論家の石津謙介(いしず・けんすけ)さんが24日午前2時02分、肺炎のため亡くなった。93歳だった。

 本人の希望により葬儀はせず、献体した。後日、別れの会を開催の予定。連絡先は、東京都港区南青山3の14の19、石津事務所。

 岡山市出身。明治大学商科専門部卒。家業の紙問屋を継いだが廃業し、中国に渡って洋品店で修業。戦後、大阪の服飾メーカー勤務を経て、大阪で紳士服メーカー「ヴァンヂャケット」を設立した。

 1955年に東京へ進出。ボタンダウンのシャツに細身のスラックスという米国東部の名門大学群「アイビーリーグ」の学生ファッションをヒントに提案した「アイビールック」が爆発的な人気を呼んだ。このスタイルで東京・銀座のみゆき通り周辺にたむろする若者が「みゆき族」と呼ばれ、社会現象にもなった。

 しかし78年、販売網の急速な拡大が裏目に出て、当時の既製服業界では史上最高といわれた約500億円の負債を抱えて倒産した。

 その後は、服飾評論家やファッションプロデューサーとして活躍。日本メンズファッション協会最高顧問を務めたほか、サラリーマンに脱スーツを勧める「カジュアルフライデー」を提唱したことでも知られる。

 「ファッションとは衣食住、ライフスタイル全般のこと」が持論。週末には台所に立って腕を振るう趣味人でもあった。

 仕事を始めたころから、「僕は流行は作らない、風俗を作りたい」とよく語っていた。入院中には、この言葉を全うできたと話していたという。

http://www.microkids.or.jp/ishizu/

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