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中島知久平コミュの中島知久平とは

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航空機時代の到来を予見し、海軍を退役して民間人となり飛行機製作に打ち込む。名機と謳われた九七戦、隼、疾風を生み出した中島飛行機株式会社を興し、日本航空界の発展に大きく寄与。その後、政界に進出し、政友会総裁となる。

渡部一英著『日本の飛行機王 中島知久平』より

コメント(12)

はじめまして、
中島知久平氏については以前、光人社文庫か何かで読んだ事が
あります。

飛行機研究所時代は「飛ばない飛行機...中島飛行機」と、
住民に陰口を言われるくらい初期の機体設計から実用化まで
苦労されたそうですね。

一時、川西とも提携していたそうですが、結局喧嘩別れ...。

とても、存在感のある巨人として記憶しております。

終戦間際、中島の社運を掛けたB-29を凌駕する...超超大型機
『富岳』を敗戦、鹵獲後でもいいから完成を見たかったのは
私だけでしょうか?

先日、群馬県の太田市に遊びに行ってきましたが、
駅前のスバルの看板は、やはり象徴的ですね。
>しんのすけさん
コミュ参加ありがとうございます。僕が読んだのも同じものだと思います。僕も太田市には行ったのですが、ついでに新田郡尾島町の押切という所にも行きました。中島家の邸宅跡があるのですが、ものすごい迫力に驚き、感動を覚えました。
どうもです!
大戦中、自社の航空機に加え、零式艦戦の総生産数の6割以上
をも生産し... 懸案であった栄型発動機の供給元であった中島は、
実質的にメーカーである三菱よりも、後方支援に寄与したと
いっても良いのではなかろうか...と思うのです。
しんのすけさん、詳しいですね〜。心強いです。

1917年に立ち上がったベンチャー企業が、たった20数年で大財閥の三菱を凌駕するまでになるというのは常識では考えられないことだと思います。その秘訣はどこにあったのでしょうか?
いえいえ、
虫食い的な好奇心でして...深く探求している訳では(汗)

う〜ん、これは平時起業ではなく、事業目的が大きく国策遂行
の根幹を担うという意味で、政治的な料亭会談や有形無形での
優遇措置があったのではないですかねぇ...。
群馬のみやま文庫から中島知久平の伝記的研究書が出ていますね。
中島は再評価が為されていい政治家だと思います。
てづーさん、ご参加ありがとうございます。
歴史の教科書に載せるべきとすら思います。
そのみやま文庫の研究書はどういった内容なんですか?
>大佐さん
知久平が政友会から立候補し、代議士となってからがメインです。
自分の作ったシンクタンク「国政研究会」と絡めて論じられています。
上下巻のうち、下巻がまだ出版されていませんので、
全体的にどうこう言うことは出来ませんが、
史料が余り多くないなかで、群馬にある「中島文庫」を活用して書かれた、政治家としての知久平という面では初めての本格的研究と言ってよろしいかと思います。

みやま文庫についてはこちらをどうぞ。
http://www.library.pref.gunma.jp/kyoudo/index.html
>てづーさん
ありがとうございます。参考になります。
>大佐さん

しばしのご無沙汰です。

その後、政友会が分裂し、中島は有志と政友会革新同盟という
革新的会派の総裁に就任しました。



中島飛行機の製品の面白い飛行機の話を...。

模倣ではなく完全なライセンス生産で、世界中でたいへん
重宝された 傑作機ダグラスDC2輸送機を6機生産し日航などで
就航されたのだそうです。

その後、応用として日本向き一回り小さいAT輪送機に
アレンジしたりして、 民間用を33機を生産したが、
その後は立川飛行機で陸軍九七式輸送機等として300機以上
も生産されたのだそうです。

本機は寿二型改460馬力2基が搭載されていたそうですが、
これもしっかりとしたライトサイクロンに劣らぬ安定供給
出来る発動機の設計・生産の基礎技術力あっての事業展開
であったと評価すべきでしょう。
中島飛行機で卒論書こうと思ってます。
以後、よろしくお願いします!

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