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wadadaコミュのwadadaバイオグラフィー

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Robi Bear(ロビー・ベア)がその才能を自分で楽しむようになったのは12歳。フェンスが彼の初めてのキャンパスだった。その後『creator』のタグとペンとマーカーを持ち街へ出るようになる。いくつかのモメ事(警察)を経験し、彼はその世界(Bomb the system from the inside out)を胸にアート・カレッジに進む事を決意。グラフィック・デザインのコーズを終える頃、彼は当時<FACE>や<Mo'wax>の仕事をしていたSwifyに声をかけられる。彼が所属した『Studio Babylon』にはMode2やFred Deakin、Mitchがいた。Robiと彼らはSwftyと共にその後、ロンドン・ジャズ・カルチャーの一つのカラーとなるマガジン『Straight No Chaser』や沢山のアンダグラウンドなレコード・レーベル、フライヤーのデザインに全てを注ぎ込んだ。
'98年、彼は彼自身の世界をマークするために『Studio Babylon』を笑顔で去る。彼は最初に当時活気を帯びていたウェスト・ロンドンのブロークン・ビーツのレーベル『People』や『Main Squeeze』のデザイン、そして『Co-op』のフライヤーのデザインを手がける。一年後、元『Clear』のデザイン・チーフであったHal Udeltと共に『Subtle Ruskus』を結成。二人は『2000Black』や『BITA Sweet』、『Visions』などのウェスト・ロンドン勢を始め、『Dynamite Joint』やBebel Gilbertoのファースト・アルバム、Da Lata、そして多くの目に触れる事となったInnerzone Orchestraのジャケットを制作する。

まだ"サマー・オブ・ラブ"の余韻の中にあった'91年にカナダからイギリスに移住したLeanneとはフリーランスでのPRのコンサルタントとして彼女が大手化粧品メーカに依頼されて広告用のデザインを手がけていた先=Swiftyの事務所で出会う。Robiと恋に落ちたLeanneはその後、9-5 bee(9時から5時までの働き蜂)に疲れ、皆が知るレコード屋『Honest Jon's』のレジに立ち、その流れからか、その後Patrick Forgeの"Kiss100"のラジオ・ショーでのギグ・ガイドをすることになる。この頃にはRobiは彼女とともにいくつかジャケットのアート・ワークを手がけている。二つの強力な個性はやがて、『thanksandpraise』として活動する事となり、よりフリーフォームで、オーガニックでクリエイティヴな情景を靴ひもの解けたコンピューターを用い、フォトやペインティング、そして"Doodle--いたずら書き"を通じて表現する<Wadada>となった。'99年に始まった<Wadada>は手刷りのStevie Wonder、Lee Perry、Mikes Davis、Herbie HancockやAlice Coltraneのイメージを濃厚に残したプリントTeeのリリースを皮切りに今やロンドンはもちろん、トーキョーやニューヨークのショップで目にする事になる。最近ではヨーロッパやアメリカのドープなフライヤーを集めた『Proud 2 Be A Flyer』にも作品が掲載されていた事で記憶に新しい。

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