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月夜見 [ツクヨミ]コミュの端午の節句は女性の祭り

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田の神を迎えるため、「田植え」の中心となる女性が家にこもり、身を清める「五月忌み」という風習がありました。
端午の節句は、このような田植えに関する女性の祭りと結びついていったといわれています...


五月は田植えの月で、一年のうちでも重要な月とされていました。
そのためのお祭り事や物忌みなどが行われていました。

菖蒲湯は田の神を迎えるための禊の名残りとも考えられます。
この日には家の軒に菖蒲をさし、菖蒲の鉢巻をして菖蒲湯に入ります。
もともとは菖蒲のもつ匂いが蛇や虫をよせつけないことが知られるようになり、その根を干して煎じて飲めば解毒作用があるとされました。
五月四日の夜は菖蒲の枕で眠り、次の日はそれを風呂に入れて邪気をはらいます。

農村では田植えに先立ち、その年の稲の豊凶を占う行事として「菖蒲打ち」が行われました。
菖蒲の葉を束ねたもので地面を打って音の大きさを競ったり、隣村の子どもたちと打ち合いをして負けるとその村は凶作になるとするものなど。
また、川を挟んで石を投げ合う「印地打ち」という石合戦も行われました。


田植えは、穀物の霊魂を増やすために田の神を迎えて祭る神事とされていました。
そのときには嫁取りや婿取りも避け、慎み深い生活をしなければなりませんでした。

田植えをするのは、生命を産み出す女性の役目で、早乙女として五月に早苗を田に植えます。
早乙女のサ、五月のサ、早苗のサは全部、稲の穂、穀霊を表す言葉ともいわれています。
田植えという神事を行う女性は清浄さが求められ、とりわけ自分の結婚式などの私事を行うことは神をないがしろにすることとして禁じられたのです。

また、神様の祭りをするためには身を清め、「忌みごもり」をしなければなりません。
これを「五月忌み」といい、この日には菖蒲で亭主の屍をたたいて家から追い出し、女性だけで家にこもったので、「女の家」ともいわれました。

また、菖蒲で家の屋根をふくので「ふきごもり」といったり、愛知県や徳島県、中では五月四日を「女の晩」、高知県の山「女の天下」といい、昔は男性に従う一方だった女性がこの日は威張っていい日とされました。
長野県下のある地域では、最近までこうした風習が残っていたようです。



古代の日本の歴史を紐解くと、実は五節句すべてが女性の祭りでした...

▼五節句(節供)
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=11964238&comm_id=1110372


潮干狩りで浜に下り、水辺で禊をしたり。
人里離れた水辺で機を織り、神を迎えて禊をしたり。
菊の花の香りのお酒でお月さまを愛でる。

古来、ひな祭りを含む五節句は女性の祭りとされていました。
女性たちは日頃の疲れを癒すために近隣の野山に遊びに出掛けるなどして一日を楽しみました。
季節の変わり目=節句は、体調を崩しやすい。
子どもを生み、子孫を増やす機能を備えた女たちが十分に休養をとるという深い意味が込められていたのです。

そんな起源を持つ年中行事が、時代と共に中国由来や宮中や武士の祭りと形を変えて受け継がれ、なおも現代の生活の中に残っている。
女のお祭りだろうが男の祭りだろうが、豊穣や子孫繁栄を願う気持ちは今も変わりません。
素晴らしいお祭りを残してくれたことに感謝して、これからも大切に残していきたいです!

(記:2008年06月04日)

コメント(5)

2009年5月21日(木)/卯月廿七夜/小満

小満とは、麦の穂がだんだんと満たされて膨らんでいく様子。
麦秋の実りを迎え黄金色に輝いてます。
沖縄ではこの二十四節気の次である芒種までが梅雨となるため、この時期の雨を小満芒種と呼ぶそうです。
芒種は旧暦五月の田植えの合図。
端午の節句はそのための神事でした...


日本の風習は実に様々な文化の結晶として、重層化しながら今に伝わっているのが面白いですね。
端午の節句も鯉のぼり、ちまき、菖蒲湯、鎧兜の五月飾りがセットとなって広まったのは江戸時代から。
奈良平安時代の公家社会へ伝わりはじめたその源流を辿れば、はるか紀元前の中国大陸となる。
ときは戦国時代、秦が全盛を極めていたころの話。
楚の国の英雄であった屈原は『楚辞』を書いた憂国詩人でもあったが、陰謀により追いつめられ長江に身を投じ非業の死を遂げた。
その淵に住んでいた大きな鯉が亡骸をくわえ、故郷のある上流まで遡って届けたという故事がある。
その命日が五月五日であり、楚の国の人々は供物としてのお米を竹筒に入れたり、茅、栴壇、笹、菰、葦、菖蒲など神聖で魔除けとなる植物で包んだりして川に投げ込むという風習となった。
また、この命日にちなんで中国南部では舟競渡が行われた。
競渡は白龍(ペーロン)とも呼ばれ、見投げした屈原を救うため速く舟を漕ぐことを競っているのです。
現在でも香港や長崎で盛大に行われていますね。

五月は午月であり、陰陽道で忌みつつしむ悪月。
古代中国にはじまる端午とは初めの午という意味ですが、重日思想の漢代以後に午が五に通じるため五月五日となった。
ということで、午月午日は悪月の極日として祓えの日とされました。
旧暦では五月に必ず夏至が入る仕組みになっていますが、日本列島ではこの月が梅雨の真っ最中となり、ものが腐りやすく病気が蔓延しやすい忌み月でした。
そして五月は早苗月とも呼ばれる田植え月。
庶民にとっての端午の節句は、サの月の田植えに来臨する田の神を迎える祓えの日でした。
五月忌みとか女の家とか葺き籠りといって、豊穣を祈る早乙女が巫女となり、女が家にこもって汚れを祓い身を清め、斎み暮らす日だったのです。
実のところ村社会が与えた女性への気遣いであり、神事というより食事やおしゃべりの時間として、田植え前の女性がワイワイガヤガヤ集まっての休息日でありハレの日だったという方が案外近いのかもしれません...
今年の端午の節句は来週の5月28日(木)です。
芒種は15日後となる6月5日(金)なので、今年のうちの田植えは土日となる6〜7日です!

ちなみに、鯉のぼりにお母さんが居ないのは知ってますか?
歌を唄ってみるとわかります。
その日は忌みこもっていたから、お母さんが不在だったことを象徴していたんだと思います。
だけど田植えのときも見えるように屋根より高くして、家族が応援している姿を眺めていたのかもしれませんね...
ブログに転載しました。
http://www.musublog.jp/blog/fuhgetsu/?entry_id=17591
本日は、旧暦で五月五日。
端午の節句です。
ちなみに、江戸時代の鯉のぼりは真鯉のみ。
昭和に入って鯉のぼりの歌ができた当時は、真鯉と緋鯉の2匹だった。

*歌川広重の名所江戸百景より「水道橋駿河台」

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