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月夜見 [ツクヨミ]コミュの旧暦「立春正月」の各行事について

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更新(2007/1/30)

6世紀に日本に伝わった太陰太陽暦は、同時に陰陽五行思想も一体となっていました。
一年の始期は『立春』を基準とし、その前後の「新月(朔)」を年始の「正月元旦」とします。
つまり、立春のころの新月を祝うハレの日でした。
そのため、今でもお正月を「新春」とか「迎春」と呼びます。

実際に気温が最も低くなる立春こそ太陽の復活という考えもあり、陰陽五行説による二十四節気は「立春」を一年の始まりとしています。
そのため、陰陽五行思想と陰陽道の関わりの深い年中行事は数多く、正月は1年の中で最も行事が集中しており、宮中から武家や民間に流されて現在に至っております。
例えば、正月行事の四方拝、恵方詣、屠蘇、書き初め、七草粥、どんど焼き、左義長など。
そして陰陽道の重要な祭りである節分(宮中行事の追儺式が起源)があります...



◆師走十三日(旧12月13日)

冬の薪を取り込んだり、炭を焼いたり、正月を迎えるための師走の仕事はたくさんあります。昔は具体的な正月の準備を、旧暦の12月13日に始めました。
しかし元々この行事は12月20日に行うのが習慣でした。ところが、三代将軍家光が慶安4年(1651)4月20日に亡くなって、20日はその忌日(いみび)に当たるので、それ以降13日に改められたといいます。

・正月事始め
この日は新しい年の年神様を迎える準備を始める日で、「正月事始め」、「十三日祝い」、「正月起こし」、「煤取(すすと)り節句」などといって、煤払いをし、餅を搗(つ)き、注連縄(しめなわ)をないました。

・門松迎え
また「門松迎え」といって、山へ饌米や神酒(みき)を携えて入り、門松や松飾りの材料、あるいはお雑煮を炊くための薪を山にとりに行くのが習わしでした。


◆師走大晦日(旧12月31日)

毎月の晦日(みそか)をつごもりとも言い、12月の晦日を「おおみそか」又は「おおつごもり」と言い、一般家庭では、大掃除、正月用食品の購入、門松・注連縄・鏡餅の飾り付けなど大変忙しい一日になります。商店街も年の市と言って露天商も並び、南天・福寿草等も夜遅くまで商われます。

・除夜
年越しの境目が除夜で、昔は、新しい年の年神を迎える為に心身を清め、一晩中起きているのが、慣わしだったとか。除夜の十二時を挟んで、諸寺院で108の「除夜の鐘」を鳴らすのは、仏教思想による百八の煩悩解脱を願ってのことです。

・年越し
除夜の夕食は、年取り魚(出世魚と言われるブリ)を中心としたお節料理で豪華に祝う人と、商人など忙しい大晦日に出前の効く年越し蕎麦で簡単に済ます人と、人夫々のようですが、夫々に理屈がつけられています。前者・豪華派は、戦前までの年齢の数え方に着目します。年が明ければ、家族みんなが「数え年」で一才加算されるのですから、除夜は、いわば家族全員の誕生祝で盛大にお祝いしたのだと言います。一方、後者・年越し蕎麦派は、新しい年も、細く・長く健康で幸せな毎日を願って蕎麦を食べるのだと言い張ります。年越し蕎麦を食べる習慣は江戸時代中期からで、ウドンを食べる地域もあり、麺類を食べるに至った由来も千差万別で、明確ではありませんが、今日に至るまで年越し蕎麦の習慣が残っているのも現実として無視できません。


◆正月元旦(旧1月1日)

一月を「正月」と呼ぶのは「正」が年の初め、年の改まる月であることを意味するのは間違いの無いところですが、民俗的には、「正月三が日」又は「松の内」(関東では1月7日まで) を正月と呼ぶのが一般的のようです。他に、小正月・二十日正月等もあります。一月一日を元旦と言うのは、地平線上に日が昇る様から特に元「旦」と言うとか。また、15日の小正月に対して元旦を大正月ともいいます。

・四方拝
四方拝の起源は中国に発するといわれ、日本では平安時代初期に宮中で取り入れられ、後には貴族や一般庶民も宮中に習って広く行われ、元日の朝、東西南北四方を拝して五穀豊穣・無事息災を祈ったといわれますが、今は宮中だけの行事になっているとか。

・初詣
初詣は、古くは「年籠り」と言って祈願のため大晦日の夜から朝にかけて氏神の社に籠るのが慣わしだったものが、やがて、除夜詣でと初詣に分かれたもので、現在のような初詣になったのは、そう遠くない昔だといいます。


◆正月七日(旧1月7日)

・人日(じんじつ)の節句
3月3日・5月5日などと並んで、五節句の最初の節日ですが、中国の呪術に由来する為か、たまたま日が同じ七草粥を食べる日と重なって、「七草の節供」等と呼ばれています。
紀元前の中国の占い書によると、正月一日を鶏の日・二日を狗の日・三日を猪の日・四日を羊の日・五日を牛の日・六日を馬の日、そして、七日を人を占う日(人日)としたとあります。それが何故か、江戸時代に定めた五節句の最初の節日に入れられ、幕府の公式行事として将軍以下七草粥を食べて祝う日になったとか。

・七草粥
日本では平安時代初期に既に七種粥を食べる決まりがあった事は「延喜式」(927)に記されていますが、この時の七種は、米・粟・黍・稗・胡麻・小豆・みの(?)の穀類だったと言います。一方、中国では、人日に「七種菜羹」(あつもの)を食べる習慣があり、日本では江戸幕府の時代に七草粥に変わったようです。
現在の春の七草は、「せり・なずな・ごぎょう・はこべら・ほとけのざ・すずな・すずしろ これぞ七草」の短歌で周知の事ですが、新暦の1月7日では収穫可能なのは僅かに芹程度で、旧暦の1月7日(新暦2007年2月24日)だからこそ出来た習慣です。
非公式の習慣としての七草粥は古くからあったようで、七草摘みは枕草子(紀元1000年?)にも冒頭に出てきますが、それだけに、地方によって種類の変遷があり、粥ではなく雑炊・煮物にする地方もありで多種多様ですが、特徴は七草を刻むときに「囃し言葉」が付くことです。「七草なずな、唐土の鳥が、日本の土地に、渡らぬ先に、七草なずな」が一般的のようですが、これにも、多くのバリエーションがあります。更には、刻み方や回数・時刻にも、お作法の諸説があるのは何故なのでしょう。


◆正月十一日(旧1月11日)

・鏡開き
正月に年の神に供えた鏡餅を下げて食べる祝いの儀式。
昔は1月20日(二十日正月=正月行事を全て終りにする日)だったのが、徳川三代将軍・家光が20日に亡くなった為、11日に変更されて現在に至っているとか。鏡開きと言う言葉にはもう一つ、酒の樽の天板(鏡板)を割る行事がありますが、酒の流通が「甕」から「杉樽」に変わったのは江戸時代以降の事です。ここでは、鏡餅のことについて書きます。「開き」と言うのは、先が開ける縁起からですが、それだけに、鏡開きの鏡餅は「切る」のではなく「割る」事が原則とされています。おしるこにして食べるのが一般的で、寒稽古の後、おしるこが振舞われる講道館の鏡開きが有名だとか。


◆正月十五日(旧1月15日)

・どんど焼き
「松の内」が明けるのは1月7日で、家々に飾った松飾は7日に取り払われますが、これを集めて焼く、火祭りが「どんど焼き」です。呼び名は「どんど焼き」「どんどん焼き」など、様々ですが松本地方だけは「三九郎」と言うユニークな呼び方をしています。注連縄・松飾・神棚の古い護符のほか、だるま・書初めの紙等がありますが、残り火で、だんご・餅などを焼く風習もあるとか。
二日の書初めの紙を焼くのは、燃え残りが高く舞い上がるほど上手になるとの言い伝えがあるとか。尚、東京都は火災予防の為条例で禁止され、東京育ちの人には無縁の行事になってしまったと言います。
元は、小正月(1月15日)の火祭りの行事で、「左義長」(さぎちょう)と言うのだそうです。毬杖(ぎちょう)は祝い棒の一種で、これを三本三脚にして組立てて、火祭りの柱にしたので、三毬杖(さぎちょう)と言ったのだとか。室町時代に、宮中・清涼殿の東庭で毬杖を組立て、天皇の吉書を焼いたのが始まりといいます。
「左義長」が「どんど焼き」になったのは、「火祭り」の語感からして何と無く解るような気がしますが、「三毬杖」が「左義長」になった訳は見当も付きません。

・小正月
月の朔望(満ち欠けで望は満月)に対する考え方で、旧暦では月のない日(晦日の翌日)が一日で、15日後が満月になります。そこで、元日を大正月・15日を小正月としたもので、望から望までを一カ月と考える暦法導入以前の農民の意識を反映したものだと言います。
関西等では女正月とも呼んで、暮から正月にかけてずっと忙しかった主婦の為の骨休めの意義付けがされているとか。改めて餅などを搗いたと言います。



コメント(13)

↑前文の一部を更新しました。

二十四節気の大晦日「節分」は2月3日。
そして翌日の新年ともいうべき「立春」は2月4日です。
実生活では仕事が始まり、七草粥でやっと正月気分が抜けるころ...

旧暦では明日が師走十三日。
正月ことはじめです!
 ただの馬鹿番組かと思って見ていたビートたけしの正月テレビ番組で、「初詣の習慣は明治23年に鉄道会社によって作された」という内容が意外な勉強になりました。みなさん見られました?
残念ながら番組は見てませんが、明治の23年ならまだ地方では旧暦で生活していたと思います。
鉄道によって、グレゴリオ暦の正月に遠方の神社へ初詣でする人が増えていったのでしょうか?
 そのテレビ番組によると、なにやら明治23年から京浜鉄道(?)が川崎大師と組み、京成電鉄(?)が成田山と組んで、国鉄とサービスを競いながら東京の人間を隣県の初詣にけしかけたことが、現在のイベント的な遠方への初詣を定着させる契機になった、という趣旨でしたよ。
これからいろいろはじまると思います。
各地の旧正月行事、こんなんありますよとかありましたらぜひご紹介ください!
こんばんは。

年の瀬ということで、お正月の準備に勤しんでおります。

昨年から、年賀状やおせち料理も名実共に春をお祝いする気持ちを心から込めたくて、我が家のお正月を太陰太陽暦の元旦に戻しました。ご先祖様とお揃いです 笑
これに伴い新暦のお正月休みは「冬休み」扱いとなりまして、今年は気ままな車中泊旅行を楽しみました。

いまは松前漬けをこしらえたり、ただいま黒豆・身欠きニシン・塩数の子を戻しているところです。楽しく、厳粛なこころで春(というかお正月さん)をお迎えしたいと思っています。
待ち遠しいですね!
時節と体感でいえば、今このタイミングこそ年の瀬だと感じてます。
自分の周りには新暦中心の人が多いので、ほかにもそれぞれの形で春をお祝いする方がいらっしゃることを知っただけでも、なんとも嬉しいものですね(^ー^*)
みなさん、楽しい年の瀬・お年始となりますよう。

実感から来る持論ですが、旧暦は(ヒトも含めた)可視・不可視のいろんなモノたち(有象無象)と簡単に「繋がり直せる」懐かしい暦だと思っています。切り替えた途端、普段見慣れた空間が、突然にまばゆく輝きだしたというか…表現が拙くてお恥ずかしいのですけれども。

わたしたちの祖先は鮮やかな感性を持って素敵な暦を残してくれたんだなと、素直にお礼を述べたいです。グ暦一本のみだと、私はどうしても疲れちゃいますから 笑
今さらですが、トピ本文中に【訂正】がありました...

×【師走大晦日(旧12月31日)】 → ○【師走大晦日(旧12月30日)】



いよいよ明日が旧12月30日。

師走大晦日ですね!!!

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