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星野道夫コミュのアラスカに星野道夫氏のトーテムポールを

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「極北の地の人や自然を愛した写真家・星野道夫(一九五二-九六年)。彼とアラスカとのつながりの証しとして、「ミチオのトーテムポール」を米・アラスカ州シトカに建立する運動が有志らによって進められている。星野の十三回忌に合わせ、今年八月八日に同州内のハリバット・ポイント州立公園に建てることを目指し、寄付金や協賛金を募っている。」(神戸新聞)
http://www.kobe-np.co.jp/news/bunka/0000847468.shtml
http://www.switch-pub.co.jp/totempole/ttpp/00/index.html

ボブ・サム氏の提案によるのだそうです。
僕も一口寄付してみようと思います。

コメント(33)

私も同感です。
どうもこのイベントの目的がはっきりとわからない・・・
もっとも協力するかどうかは,各人の自由意思です。
僕も同感です。きっと星野道夫氏は望んでいないのではないでしょう。
ボブ・サム氏の提案によるものだそうですが、静かにしておいてあげてほしいですね。

ボブ・サム氏は2000年の明治神宮のイベントの後で彼の住む街に日本人観光客が大勢押し掛けた為、「そっとしていて欲しい」と言っていたのですが、星野道夫氏のトーテムポールができたら大手旅行会社がチャーター便なんかを飛ばしたりしてね。ボブ・サム氏はそんな予想もしているのだろうか?
私は、ボブさん以外のシトカの人たちが賛成しており
彼らにとって伝統を守る良い機会となるならやるべきだと思います。
私も迷っている一人なのですが・・。
タケチさんの言うように、
去年の夏ボブさんがいらした時に話していた中には、確かに「伝統」の意味あいがありました。
新しいトーテムポールは滅多に作るものではない事も話してらっしゃいました。
ボブ・サム氏の気持ちは素晴らしいものだと思います。
http://www.switch-pub.co.jp/totempole/ttpp/01/index.html
直子さんもコメントを出されてますね。

ここでの議論はともかく(それこそが星野さんが望まれることでは?)
、このトピで知らせてくださったしげるさんに感謝します。


すでに、一口参加しました!
私は、素直にアラスカに生きた星野さんのトーテムポールが
たったら、見に行く事はできなくても、嬉しいなー。
星野さんは、アラスカの人と、日本人の架け橋だなーと。
るーさん
 
 そうなんです。
私も同じ所に引っかかって,違和感を覚えているんです。

星野さん,確かに亡くなってからの・・・神格化?
とくに感じてしまいます。

私が一番好きな彼の著作は「アラスカ 光と風」。
あの本を出すまでに彼が培ってきたモノ全てを凝集して発表した作品に思えます。

個人的な感想と好みの問題ですが,私は星野さんがサムと出会ってから
ずいぶんと変わってしまったような気がします。
それで妙な違和感を感じるようになってしまったのも私個人の感想。
 
星野さんが遺したもの,写真とあの文章だけでも私は充分だと思う。
初めまして。

石ころひとつでもいい。トウヒの木の下でもいい。
星野さんは3000万円のお墓を作って、なんて言う人でないことくらい誰でも知ってる。
残された家族の為、というのも、ないわけではないかもしれない。でも、違う。
星野ファン巡礼用?旅行社が考えたオプションプラン用?それも違う。

これは、物語をひとつ編むこと。
ひとつの伝承。 ひとつの奇跡。 
それぞれの人生が交わり、そうと知らぬ間に次への新しい扉が開く。
その波紋が今も日本で広がり続けている。
そのひとつひとつの奇跡への。

狭い意味の宗教ではなく、星野さん自身求め続けられた日本とアラスカの人々との精神性のつながりの深さへの祈り。 その形なのではないか、と思う。

ポトラッチ、エスキモーポテトのエピソード。
初めて聞くけれど懐かしい、そんな風習、神話が口承される場所。
深く深くその中へ入って行ったひとは、身体はこの世になくとも、波紋を広げ続ける。

3,000万円でも、いくらしても大丈夫。
木で作られたトーテムポールは、ちゃんと自然に戻って行く。

それが大事。星野さんらしい。

読んで下さってありがとうございました。
はじめまして

今日、はじめて庭に一匹のカラスがやってきました。
子供の為に手作りしたブランコで彼は一休みしていました。

トーテムポールを建てることで
もうすでに新しい物語が始まっているのですね。

それぞれの感覚で
自然を想い、動物を想い、人を想う
それぞれが創りだした現実で始まる新しい神話。

私達ひとりひとりが物語になっていく
お金でも旅行会社でも
どこの誰の何の為でもなく

ただ自分自身の為に

そうすることを決めるのは自分なのですね。

私は一口、寄付しました。

自分自身の為に

すべてにつながるいのちの為に

ありがとうございます。




わたしも、るーさんと同じ意見です。

思いを形に…という意図は分かりますが、
金額の大きなプロジェクトですから、理解に苦しみます…。

アラスカでは急速な温暖化の影響で、
驚くほどのスピードで変わってきているそうです。

昨年12月、シュシュマレフ村(星野さんが初めて滞在した村)で
進む温暖化の影響をテレビで見ました。
温暖化の影響で海岸線が侵食されて、そこに住む人たちが
住みなれた土地を離れなければならない…
そんな状況が起きています。

星野さんが見てきたアラスカは、そう遠くないうちに
かつて存在した豊かなアラスカを伝える写真になってゆくでしょう…。

それほど急速な環境の変化を受けているようです。

…星野さんが愛したアラスカと自然、そこに住む人たち。。
「イニュイック」は、自然保護運動に関わる人たちを通して、
アラスカの姿を浮かび上がらせた作品でしたね。

形としてのトーテムポールもあっていいと思いますが、
わたしが星野さんの作品から受け取ったメッセージは、
「語り継ぐ何か」を自分たちの日常のなかで熟成させてゆくことだと
思いました。

それはアラスカだけに限らず…です。

生きとし生けるものを慈しむこと…

アラスカの自然と共に生きた星野さんの作品は、
そんなシンプルな問いかけを残してくれた気がします。

星野さんの伝えたアラスカが、これ以上大きく変わらないことを
願ってやみません…。
シトカ出身の者です。

星野さんのトーテムポールには賛成です。小さい頃からハリバット・ポイント州立公園のトーテムポールは見ていたので、ほぼ同時期に生きていた日本人がトーテムポールになるとはびっくりしてますがうれしいです。ずっとアラスカを見守って欲しいと思います。


シトカは小さい町ですが観光業を主体としている所なので、日本人の方が大勢訪れてくれれば地元の皆さんも嬉しいと思います。シトカ市の観光政策の内容は、観光客によろこんでもらい、地元の経済を活性化させ、自然と共存するという趣旨のものだったと思いますので。






 星野道夫さんを神格化するのも、観光化するのも、星野さん自身ではなく、星野さんをあまり知らない人たちが動き回っているからなのでしょうか。

 星野さんの著作にも、星野さんの目を通して描かれたとはいえ、書き物という性格上、登場人物も含め、創作された部分もあると思いますよ。書かれたものをそのまま疑問ももたずに鵜呑みにする危険性は、刃のそれより大きいものです。人それぞれのなかで噛み砕き、消化した上で判断すべきと思うのですが、如何でしょうか。

 神話は、あくまでも神話です。その土地その土地の人が、自然を畏敬しながら作り上げたもので、真理でもなければ、神から出たものでもありません。

 神話は一つの時代の文化です。神話は神話としてそっとしておくべきです。人がいまの時代に持ち上げて、こねくり回すものではない。ぼくはそう思っています。ましてや、多くの人を巻き込んで、イベントに仕立て上げることが、いったいどのような意味をもつのか。

 さらに言うなら、トーテムポールは、お墓ではありません。ましてや、日本から神主が来て魂入れをするような滑稽でぶざまなものでもありません。南東アラスカの人たちにとっては、トーテムポールはさまざまな意味や要素をもっており、神聖な性格をもったものがあるとしても、自分たちの宗教ではありません。

 星野さんのお骨は日本にあるし、またその一部は散骨という形でアラスカ北極圏で眠っています。その場所は、生前の星野さんがひどく気に入っていたところで、とても遠いところにあり、静かで美しく、春先にはカリブーの群れが通るところです。星野さんが愛したアラスカは、そのような素朴な場所でした。

 なぜこのように変な方向に向かっているのだろう−−と不思議に思います。ぼくが星野さんを好きだったように、多くの方が星野さんのことを、作品や著作を含めて、愛していることは素晴らしいことです。そして、喜ばしいことでもあります。でも、本当に大切にしなければいけないことは、星野さんの魂でもなければ思い出でもない。いま星野さんを愛しているお一人おひとりの人生の歩みです。

 星野さんの生き方に胸打たれた個々人が、本当に一人立ちして自分の人生に対峙するとき、そのときこそ星野さんから受け取ったものを携えて、困難な人生に立ち向かっていって欲しいのです。生きるということは、生易しいものではありません。一人で立ち向かうには、あまりに過酷すぎる。そんなとき、星野さんの写した写真の一枚、文章の一節に励まされながら、その困難を乗り越えられるなら、それこそ星野さんが一番喜ぶことではないかと思います。
TJさんのコメント、もっともだと思いました。
るーさん、はづきさんのコメントもよくわかります。
考えとしては私も同様であると思うのですが、
そこですっぱりと区切れない、自分の想いは何かを考えてみました。

3,000万円のお墓、その金額、大掛かりなイベント...
そうと見れば、いかにも星野さんのひととなりとは相容れない様相を感じます。


望むと望まないに関わらず星野さんが広げてゆく波紋。
神格化なんて気持ちのいい言葉ではないけれど、
誰にもわからない、次の時代への新しい扉を開く人の宿命なのかもしれません。

形は、それそのものが大事なのではなく、
高額であるがゆえに無駄であるという訳でもなく。
そこにあることが、それを見るひとにどんな想いを喚起するのか、
ということが重要なのではないでしょうか。

生前の星野さんのことを全く知らない私だから、
アラスカへまだ行ったこともない私だから、思うことなのでしょうか。
その土地に、余所者たちが勝手な思い入れによって置こうとする
勝手な造作物としてのモニュメントなのでしょうか。

星野さんに、教科書で習ったこと以上に
日本とアラスカの人々とのつながりを初めて強く認識させてもらった者のひとりとして、
この儀式は、新たな人と人を、意識と意識を繋ぎ結ぶ祭へとなる可能性を持っていると、
なにか、そんなこともあっていいのではないか、
神話は今も作られているのではないか、と思うのです。
その一

 二年前の秋、ハイダ族の友人に招かれ、南東アラスカのシトカという島で行われたトーテムポールの建て替え式に出席しました。もともとのトーテムポールは百年前に建てられたもので、それが古くなり倒壊したので、また新たに作り直し、その建立式を行うというものでした。百年前といえば、日本は明治時代の終わりの頃で、アラスカはロシア領からアメリカ領に代わって暫くしたときでした。

 南東アラスカに住むクリンギット、ハイダ、シムシャムという三部族は、それまでお互いが敵対しており、いさかいが絶えず、日常的に殺しあっていたそうです。しかし百年前、人間同士が殺しあうことのむなしさを悟り、それまでの憎しみを捨て、お互いの部族が過去を清算し手を握り合ったのです。長い民族の歴史のなかで画期的な出来事でした。未来に向かって、平和を求めて生きていくことを誓い合った彼らは、その誓いをトーテムポールに刻みました。

 トーテムポールの基盤には、土中に固定するために別の丸太を使いますが、その生命がちょうど百年くらいなのだそうです。百年経つと基盤の丸太が腐ってきて、トーテムポールは倒れてしまう。トーテムポールが倒れるのは自然なことで、倒れたらそれのレプリカを作ってその意思を継ぎ、また未来に向かって同じ平和の思いで生きていくのだそうです。その思いが大切なんだと、招待してくれた友人は話してくれました。

 建て替えのトーテムポールは巨大で、垂直に立ち上げるのに多くの人の手を必要としました。何本ものロープをトーテムポールに結わえ、三部族から集まった百数十人の人たちが、それぞれ手を携え、力を合わせてロープを曳くのです。お互いが憎しみあって生きるのではなく、お互いが愛し合い力を合わせて生きていくのだという百年前の想いがそのまま伝わってきた瞬間でした。

 建立式の後に開かれたポットラッチはさらに素晴らしいものでした。厳粛な空気のなか、会場のすべての席が埋まると、まず三部族を代表する長老が開会の祈りをしました。その長老がクリンギット族なのかハイダ族なのかはわかりませんでしたが、英語ではなく自分たちの言葉で祈りをし、最後に「アーメン!」と言ったのです。驚いているうちに古老の女性が独唱をはじめました。その歌詞も彼らの言葉でした。ところが旋律は明らかにキリスト教の賛美歌なのです。
 
 ぼくは驚いて、思わず傍にいた、星野さんが晩年付き合っていたクリンギット族のBさんに尋ねました。
「ポットラッチの儀式は、あなたたちの固有の宗教で行なうと思っていたのに、これってキリスト教だよね。あなたたちはみんなクリスチャンなの?いつからキリスト教を受け入れたの?」

 彼の返事はこうでした。
「何でもいいんだよ。キリスト教でも、仏教でも、神道でも。崇めればいいのだから」

 しかし、その返事とは裏腹に、儀式はキリスト教に基づいて粛々と行なわれました。彼の言っていることと、目の前で起こっていることには、明らかな矛盾がありました。ぼくはこのとき、Bさんのなかにブレを感じたのです。
その二

 南東アラスカの人たちがキリスト教に基づいた儀式をするのを見ながら、ぼくは彼らに対する考え方を改めました。というのも、トーテムポールは南東アラスカ先住民の偶像礼拝のシンボルだとそれまでは思っていたからです。でもそれは誤解でした。そのときのトーテムポールは百年前の平和の記念であり、未来に想いを託す彼らの姿勢であり文化なのだということがよく分かったのです。トーテムポールに向かって祈りを捧げたり、霊を感じ取ったりするような幼稚なアニミズムは彼らにはないのです。

 もちろん、トーテムポールにはいくつかの種類があるそうで、代表的なものは自分たちの家系を説明したものだそうです。日本でいえば表札のようなもので、そのトーテムポールを見れば、どの家系のどの血統を受け継いでいるのかが分かる仕組みになっているのだそうです。

 数は少ないようですが、昔はトーテムポールの天辺をくり貫いてお骨を入れるお墓のようなものもあったようです。また亡くなった人を記念するために建てるトーテムポールもあり、今回話題になっている星野さんのメモリアルポールの発想はこれに順ずるものだと思います。

 友人の話によると、トーテムポールを作る費用には相場があるようです。もちろん、彫るポールの長さやカーバーと呼ばれる彫師の知名度によって若干の高い低いの差はあるらしい。そのときのトーテムポールは四十フィートという最大級のもので(観光用にはもっと高いものがありますが、通常のトーテムポールは四十フィートといえば最大級なものなのだそうです)、民族的にも歴史的にも思い入れの多いトーテムポールでしたが、費用は五百万円前後ということでした。

 いま問題になっている三千万円という目標金額を最初に目にしたとき、正直、唖然としました。日本ではアラスカの事情を知らない人がほとんどだと思いますが、三千万円あれば、アラスカ最大の都市アンカレッジで、三百坪の土地にベッドルームが三つもある一軒家が買えます。そのクラスの家には、普通、三つのベッドルームがあり、ガレージは車が二台駐車できるダブルガレージです。トイレは最低二つあり、広いリビングルームとキッチン、家によれば半地下にファミリールームまで付いています。三千万円というのは、アラスカではそれほどの金額だし、それほどの価値があるものです。

 三千万円のトーテムポール――これはアラスカの誰が考えたって普通ではありません。

 誰かが星野さんのトーテムポールを建てたいのなら建てればいい。ただし、もし建てるなら、亡くなった星野さんが、また残された遺族の方々が納得し、喜ぶようなものを建てて欲しい。間違った解釈や都合のいい空想だけで、星野道夫を神格化して欲しくないのです。いま広がっている波紋は、亡くなった星野さんが広げた波紋ではなく、亡くなった星野さんの名前を利用する人たちが広げている波紋だということを直視して欲しいのです。
その三

 南東アラスカに何本のメモリアルポールがあるか知りません。家族内だけの無名のものもあれば、その土地で尊敬を受けた人格ある人のものもあると思います。そして、それほど大きくもないと思う。少なくとも三千万円もかけたものは一つもないはずです。

 そのような土地に、日本人が大金をもってきてトーテムポールを作ったらどのようなことになるでしょうか。観光をビジネスとする一部の人たちを除き、他の多くの先住民族の方たちは驚き呆れないでしょうか。

 星野さんがいかにいい人で、皆に好かれ、アラスカを愛していた人だとしても、信仰的に無知な日本人が、彼らの信仰の高潔さを無視して彼らの土地に土足で入り込むようなことをしたら、一体どのような印象彼らはもつでしょうか。それも、今までその土地の誰もが経験のない大金をかけてトーテムポールを立ち上げるという。挙句の果てに、日本から神主を連れてきて魂入れの儀式までするという。さらには、そこに手を合わせてお参りのようなことをする日本人が大挙してやって来る。

 彼らの宗教観は、一部の観光ビジネスをやる連中は除いて、そのようなものをもはや受け入れないのです。表面的には受容を示すかもしれませんが、そこに尊敬の念は生まれないと思います。悪くすれば軽蔑の対称にしかならない。ぼくは星野さんをそのような目にあわせたくはないのです。

 若い人たちがなぜ素晴らしいかというと、過去の悪習を変える力があるからです。歳を経、経験をつんだ人は、悪い意味で社会の因習にがんじがらめにされて身動きが取れない。間違っていると分かっても、もはや社会を変える力がないのです。

 しかし、若い人は違います。社会にしがらみがない。その分、悪い慣習や間違った通念を変える力がある。社会を善くするのは、若い人の力なしにはできないのです。少し考えれば分かることですが、日本には宗教も含め古い悪習がたくさんあるのです。それらは若い人たちが変えていかなければいけない。それなのに、この件に関してはまったく逆の動きをしているように思います。古い因習を丸呑みにしたような若者が、日本の観念をそのまま南東アラスカにもって来ようとしている。これから未来に生きる者が、それでいいのかと問いたくなります。

 少なくとも生前の星野さんのことを知っている人は、今回のことをまったく黙殺するか、意見は差し挟まないけれど苦々しく思っているかのどちらかだと思います。ぼくも当初は、苦々しく思いながらも無視しようと決めていました。でも、せっかくmixiでみんなと知り合ったのに、仲間に間違いを何も指摘せずに放っておくのはもっと悪いことだと思わされたのです。

 意見の異なる人も多く居ると思います。そういう人もいなければならない。だけど、間違った方向にだけは歩んで欲しくない。自分の人生を大切にして、前進して欲しいのです。長いコメントになりましたが、最後まで読んで下さって感謝申し上げます。

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